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9/19 お父さんのお仕置き

       9/19 お父さんのお仕置き

*)題名に『お仕置き』とありますが、この小説、中身にお仕置
きはありません。描かれているのは何気ない日常風景です。


 とにかく、二人でお父さんの部屋へやって来た。
 また、いつものように本を読んでいる。

 この人、仕事をしていないときはたいていお習字してるか本を
読んでるかのどっちかだ。
 よく、それで退屈しないと思うけど……

 ま、それはさておき、二人にはやらなければならないことが、
あったんだ。

 「お父様、お仕置き、お願いします」
 「お父様、お仕置き、お願いします」
 二人、声を合わせて言った。というより叫んだ。

 もちろん、こんなこと言いたくなかったけど、お母さんがこう
言えって怖い顔で脅かすから仕方なく言ってみたんだ。
 僕も弟のアー坊も小2の子。そりゃあお母さんは怖いからね。

 「お父さんの部屋へ行って、『お父様、お仕置き、お願いしま
す』って言ってらっしゃい」
 って命令されたらやらないわけにはいかないんだ。

 でも、お父さんは優しい人だからね。きっと、許してくれると
思うけど……でも、身体は僕たちの倍くらい大きいからやっぱり
怖いんだよね。
 僕、アーちゃんと一緒じゃなかったら言えなかったと思う。

 でもね、そうやって叫んだら、お父さん、こっちを向いて……
きょとんとした顔してた。

 「お仕置き?」
 こう尋ねられた。

 「うん」
 二人とも怖かったけど頷いたよ。

 そしたら、おいでおいでされて、いつものように近寄ったら、
これもいつものように抱っこされて……

 「お仕置きって、何か、悪いことしたのか?」
 って、尋ねるんだ。

 だから……
 「ラーメン作ろうとしてお鍋にお水を入れて火をつけたら…」
 「マンガが始まっちゃって、それを見ていたら……お鍋に穴が
空いて……」
 「お母さんが帰って来て…ものすごく怒り出しちゃったんだ」

 「火事にはならなかったんだろう?」

 「うん」
 「うん」

 「じゃあ、よかったじゃないか。それだけなんだろう」

 「あと、お皿割った」
 「ラーメン食べる時、いるから椅子に登って取ろうとしたら、
たくさん落っこちちゃったんだ」

 「怪我しなかった?」

 「うん」
 「うん」

 「なら、いいじゃないか。お腹がすいてたのかい?」

 「少し……」

 「おばあちゃんは?……あっ、そうか、今日はお休みだったね」

 「明日はおばあちゃん来るかなあ?」

 「明日は大丈夫さ。でも、子どもだけでガスの火をつけるのは
危ないから、今度やる時は必ず僕のところへ来て一緒にやろうね」

 「うん」
 「うん」

 「そろそろご飯だから、食べに行こうか?」

 「うん、お父さんはお仕置きしないよね」

 「お仕置き?……しないよ。お父さん、子どもが泣く声嫌いだ
から……ター坊もアー坊もぶたれるの嫌いだろう?」

 「うん……」
 「うん、でもね、お母さんが、お父さんにお仕置きしてもらう
まではご飯あげませんって……」

 「あげませんって?そう言ったの?」

 「そう、だから、『お父様、お仕置きお願いします』って言い
なさいって……」

 「大丈夫だよ。お母さんが二人のぶん出してくれなかったら、
お父さんのを二人で食べたらいいんだから……」

 「でも、それじゃあ、お父さんの分がなくなっちゃうでしょう」

 「大丈夫さ、お父さんは一食くらい抜いてもどうってことない
から……」

 「そうなの?……だったら、僕の半分あげる」
 「ぼくのも……」

 「ありがとう、二人とも……でも、たぶん大丈夫だと思うよ。
お母さん、ご飯だしてくれるよ」

 こうして、二人はお父さんの腰に隠れるようにして食堂に行っ
たんだけど……

 お母さんは相変わらず怖い顔していて……
 「あなた、ちゃんと叱ってくれました?」
 なんて言うんだ。

 僕たちとっても怖かったけど……
 「大丈夫、ようく言い聞かせといたから……」
 って言ってくれたんだ。

 「ほんと、けじめだけはつけとかないと……お鍋のことこの子
たちから聞いたでしょう。ほんと、危いんだから……だいたい、
あなたはこの子たちに甘すぎるのよ。たまには恐いところも見せ
ておかないと、子どもから舐められるわよ」

 まだ、お母さんの剣幕はおさまっていないみたいだから、二人
はお父さんの両脇に自分達の椅子を持っていって座った。
 すると……

 「何なの?あんたたち、今日はお父さんのところで食べるの?」
 って言うんだ。

 「……」
 「……」
 二人とも恐々頷くと……
 お母さんが僕たちのご飯茶碗をそこへ回してくれたんだ。

 その日の夕食は、いつものように僕たちの分のご飯もおかずも
ちゃんと出たけど、お父さんが僕たちのにはないお刺身を回して
くれた。

 すると、お母さんも、それってちょっぴり寂しいって感じたん
だろうね。
 食事の途中で僕たちを手招きするんだ。

 『大丈夫そうだね』
 『うん、笑顔になったもん』
 僕たちは顔を見合わせてお互いの意思を確認する。

 そこで、今度は椅子をお母さんの右側と左側に持っていって、
お母さんのそばでご飯を食べた。

 白いご飯の乗ったお母さんのお箸が目の前までやって来たから
パクリとやった。
 もちろん、アーちゃんも一緒。

 すべてのご飯をこうやって食べるわけじゃないけど、こうやっ
て食べるとご飯がとっても美味しいんだ。

 うちは当時の常識からすると甘甘の家庭だったけど、二人とも、
学校で問題を起こすこともなかったし、いじめにも遭わなかった。
お母さんはちょっぴり恐かったけど、まあ幸せな幼年期だったと
思ってるんだ。

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9/18 閉じ込め

9/18 閉じ込め

*)年寄りの思い出話です

 私が閉じ込めというネタをあまり使わないのは、どうも実体験
でピンとくるものがないからなんです。

 確かに我が家にも閉じ込めというお仕置はありました。
 ありましたが、これで恐怖したという記憶がないのです。

 我が家はみなさんご存知の通り質屋でしたから、当然、蔵を持
っています。
 蔵に押し込め。当然、絵になりそうですよね。
 でも、そうはいかないんです。

 我が家の蔵は昔ながら土蔵ではなくて鉄筋コンクリート造り。
 蔵の中にも室内照明用のスイッチがついているんです。
 ですから、蔵に閉じ込められてもそのスイッチを上げさえれば
暗闇に怯えるということはありません。

 むしろ、そこには色んな質物が保管してありますからこの機会
に見学してまわることになります。(これが結構おもしろい)
 それでも退屈したら長持ちの上で寝てしまえばいいんですから
幼い子どもでもお仕置きの効果はいま一つでした。

 ただ、一度おしっこがしたくなったので蔵の隅でしたらこれは
怒られました。
 以来、かえって危ないと悟ったんでしょうね、親は蔵への押し
込めはしなくなりました。

 そこで次に使ったのが、僕の勉強部屋。
 でも、ここはまったく問題ありませんでした。

 山とある本を読んで暇をつぶし、オシッコは窓から放尿。疲れ
たら普段は使わないベッドで昼寝していればいいんですから楽な
もんです。

 もちろん、親に叱られているというプレッシャーは感じていま
したが『何とかなるだろう』ぐらいの軽い調子で構えていました。
 そのあたりはのん気と言うか、過保護の悪い習性で親が自分に
そんなに厳しいことをするはずがないと高をくくっていたところ
もありました。

 ただ、最後に親が選んだ風呂場だけは困りました。
 だって、ここ、遊ぶものがないから退屈してしまいまうんです。

 しかたなく水が抜かれた湯船で昼寝を決め込んでいたらいつの
間にか親がベッドに運び込み、次に目覚めたのは、自分の部屋の
ベッドの中だったというしだいです。

 このように閉じ込めというお仕置きは、我が家に関するかぎり
ほとんど効果はありませんでした。
 つまり原体験が乏しいので小説のネタにならないという訳なん
です。

 ちなみに、締め出しの方も、そうされた時はおばあちゃんちで
夕ご飯を食べることにしていました。
 もちろん、友達の家でも叔父さん叔母さんの家でもよかったん
ですが、親が一番困るのが『おばあちゃんち』だと知れてからは
いつもそうしていたのでした。

********************* 

9/17 愛玩物としての子ども

     9/17 愛玩物としての子ども

*)エッセイ、繋ぎに書いたものですからスルーしてください。

 私の父と母はそれぞれに性格が真反対な人だった。母は勝気で
社交的、明るい性格から商売上手と評判だったが、他人に対して
はドライな面もある人。逆に、父は、学究肌でおとなしい性格、
慣れないととっつきにくい面はあるものの、誰に対しても優しく
接する人だ。

 こんな二人だが、共通していることもあった。
 自分の子ども、つまり私に対する接し方だ。

 私はこんな両親のもとで育ったからそれが当たり前だと思って
育ってきたが、実はこの二人、尋常でない程子どもを甘やかして
いたのだ。

 母親は僕が病気がちなのを口実に小3の頃までオムツをあてて
は楽しんでいた(?)し、天井ではメリーゴーランドが回り、枕
元には哺乳瓶が転がっているといったあんばいだった。
 当然、隣りでは母が毎晩添い寝している。
 要するに、全てが赤ちゃん仕様。それが我が家ではかなり成長
したあとも続いていたのである。

 父だってそうだ。僕がそばに寄れば、必ず抱き上げてあやす。
そう、あやすのだ。ほっぺスリスリ、頭なでなで、お尻よしよし、
お背中トントン。
 一通りスキンシップが終わるまでは許してくれなかった。
 断っておくが、これごく幼児の頃というわけではない。10才
を過ぎてなおこうなのだ。

 僕も、今でこそこんなことおかしいと感じるようになったが、
当時は父の行為をごく自然に受け止め、父のお膝にノンノすると、
笑って、そこで出された甘納豆を二人で美味しく食べていた。
 父に近寄るのはその甘納豆欲しさだったのだ。

 ついでに言うと、この二人、食事の時も僕を膝の上に乗せて、
スプーンで料理を口元まで運び。僕がパクリとやるのを見ては楽
しんでいた。
 そう、離乳食が始まった頃の赤ちゃんと同じ感覚。
 とても10才の少年が食事を食事をしている風景ではなかった
のである。

 硬い肉は親が何度か噛み噛みしてやってくるから原形をとどめ
ない。そこで、僕が「独りで食べる」と求めたりもするのだが…

 「だめよ、柔かい方が消化にいいのよ」
 というのが母の答えだった。

 僕の小学生時代というのは、単に過保護という枠をを超えて、
親からみたらお人形、オモチャとして扱われていたのである。

 今日を生きる人の感覚からすると、こんなこと異常と映るかも
しれないが、両親にしてみれば、これでもすこぶる真面目に子育
てしていたつもりなのである。

 テレビがこの世に存在してない時代、多くの人は娯楽に飢えて
いた。当時、映画館に人が溢れていたのは各家庭にテレビがまだ
普及していなかったためで、映画はそのテレビの普及と共に衰退
することになる。

 我が家は幸い質屋だったので私が生まれた頃、すでにテレビは
居間にあったが、人生の大半、テレビのない世界で生きてきた両
親にとって、子どもは映画同様何よりの娯楽に違いなかった。

 だから、言葉は悪いが、私を、しゃぶりつくせるだけしゃぶり
つくしたかったのである。
 それは、単に、食べさせて着せて寝かせるというだけではない。
子どもとはいろんな形でふれあい、かかわりを持ちたかったので
ある。

 そうやって培った我が子の情報は、失礼ながら今の親の比では
ない。

 今の親なら、ポーカーフェイスでいる我が子の『お腹がすいた』
『怒っている』『悲しんでいる』といった単純な感情を言い当て
るだけでも拍手喝采ものだろうが、うちの親はその程度ではなか
った。

 例えば、『あの子のことは世間には嫌いと言ってるけど本当は
好き』とか『嫌だけど、これはやらなきゃいけないとは思ってる』
とか『やりたいけど30%ぐらい不安がある』といったように、
他人になら言葉を使って発信しなければ伝わりようのない事まで、
しっかり把握しているのである。

 どうしてそんな事まで認識できるのかはわからないが、いずれ
にしても、これは、もう脅威という他はなかった。
 こんなことをされてはプライバシーもくそもなくなってしまう
からだ。

 実際、僕は親の前で嘘をつくのが苦手だった。
 長いこと幼児のように抱かれていたせいだろうか、両親の前で
嘘をつくと身体が震えてしまうのである。

 だから、抱かれていれば、もちろん答えは一発だった。
 「そうなの?」「それ、違うでしょう?」
 という母の声のもとで、まるで生まれたての子犬のように震え
ていたのである。

 ただ、成長するにつれ両親は私が嘘をついても責めなくなった。
 『誰かを愛している』
 『誰かに怒っている』
 『何かを悲しんでいる』
 その『誰か』『何か』は、たとえ両親でも分からない。しかし、
我が子が自分で下した決断が最良のものと信じているなら、もう
それ以上は何も言う必要はないと思ってくれてたみたいだった。

 今の人はまじめだから、愛玩なんて言葉を使うと快く思わない
かもしれないが、親の本音は、子どもをつくればこれをオモチャ
にできると思って子どもをつくるのであって、世の為、人の為、
ましてや天下国家のために子どもを作るわけではない、

 ところが今の世の中、そんな親の素朴な願望に水をさす部外者
があまりに多い。ぶっちゃけた話、チャイルドポルノというのは
親に性欲がある以上、親子にあっては常に存在するものなのだ。

 これを『他人的な感覚』や『おためごかし』で否定することは
もちろん簡単だが、それはどこまでも他人としての立場から見た
ものでしかない。

 教育評論家などと称する人たちの言い分は一見正論に聞こえる
が、それを実行して出てくる答えは、『親が他人になる』という
悲しい事実だけだと私は思っている。
 ただでさえ希薄になりがちな昨今の親子関係が苦行僧と化した
親の存在によってさらに希薄になるようななら子育てにとっては
本末転倒だろう。

 子どもの立場ばかりではなく、子どもと接する親の本音にも、
もっと耳を傾けるべきではないだろうか。

 今は世の中に娯楽が多すぎて、子どもだけを純粋には愛せない
かもしれないが、子どもを愛玩すれば、そこからは得られる情報
はITロボットとの会話の比ではないはずである。

**********************

9/14 実際のお仕置き

     9/14 実際のお仕置き

*)エッセイ

 小説で書くとどうしても過激に筆が滑っちゃうけど、お仕置き
全盛期の昔だって、日常的なお仕置きというのはそんなに過激な
ものではなかった。

 ごく幼ければ怖い顔を見せただけで泣いてしまうからそもそも
手を出す必要すらないわけだし、それでは足りない年齢になって
も、たいていは太股がちょいと赤くなる程度だ。

 それで大半の事は十分に用が足りていたからそれ以上のことを
する必要はなかった。

 口で言っただけでは物足りなくてもちょっとした刺激をプラス
するだけで比較的長い時間効果が持続できる。そのことを、親も
教師も経験的に承知していたから、日常生活のなかに軽い体罰を
織り交ぜていた。

 気付け薬というか、カンフル剤感覚だったのかもしれない。
 しかし、この薬、効果を発揮する為には、あくまで良好な人間
関係というものが必要になる。

 信頼できない相手からだと、たとえ頭を撫でられただけでも、
虐待と感じられてしまうからだ。
 独りよがりや思い込みが強い教師が自分は生徒から信頼されて
いると思い込んでいて体罰を量産したあげく生徒との間に軋轢を
生じさせたなんてのはこの例だろう。

 逆に、親が子どもを比較的厳しく折檻しても、子どもの側が親
を見放すケースは少ない。これは、経済的に自立できていないと
いう打算的な側面もあるが、何より子どもの側に自分は愛されて
いるという実感があるからだ。

 今は怒っていてもすぐにまた抱いてくれる、優しくしてくれる
という信頼関係が、他人がやれば心の傷になりそうな虐待さえも
お仕置きとして包み込んでしまうのだ。

 このあたり、恋愛にもSMにも似ている。

 ただ、それに甘えて親の側が非人道的な行為をしてはならない
こと、これは言うまでもないことだ。

************************
 

9/13 ローソクのお仕置き

    9/13 ローソクのお仕置き

*)何か入れ込まなきゃいけないと思って入れたエッセイ。
  当人しかわからないことですからスルーしてください。


 昔は世の中にないようであるのがお仕置きだった。昔だって、
今と同じように建前は親にしろ教師にしろ『体罰で子どもの心は
動かせない。今の世の中、何より子どもの自主性を尊重してのび
のびと育てなければ立派な大人にはなれない』なんて、大人たち
は偉そうなことを言ってたんだ。

 ただ、実際の家庭生活、学校生活ではそう綺麗事ばかりも言っ
ていられなかった。元気一杯の子どもの前では、お仕置きなくし
ては収拾がつかなくなる事だって多かったからだ。

 お仕置きは手っ取り早く子どもを黙らせる手段として幼い子を
中心に世間で広く用いられていた。

 もっとも、子どもの立場からすると……
 『大人たちは普段からみんな癇癪持ちだ。その大人たちの癇癪
がこうじて堪忍袋の尾が切れた時、彼らは突如として凶暴になる。
言葉の代わりに大きな平手が飛んでくるのだ。ほっぺたに当たる
か、お尻に当たるかはその家のしきたりによるが、ただ、これで
改心したという仲間に出会ったことがないのは不思議なことだ』
 となる。

 幼い時はいきなりパンパンとやられるケースがほとんどだが、
年長になってくると、長いお説教のあとにやってくることも。

 いずれにしても、こうした事が外に漏れると外聞が悪いので、
本人はもとより兄弟に至るまで「この事はお外で話しちゃだめよ」
となる。……ところがだ、母親の厳命もこれが結構お外に漏れて
いた。

 私も、本人が否定するお仕置きを、その妹や弟たちから何件も
聞いたことがある。(尾ひれがついている可能性があるので百%
真実とは限らないが……)

 どのようにお仕置きするか、その方法は家によってさまざま。
閉じ込め、締め出し、平手や物差しによるお尻叩き、なんてのは
ポピュラーだったけど、お灸やお浣腸といったことも、当時なら
あながちフィクションとばかりは言えなかった。

 ただ、そんな中にあってなぜかローソクによるお仕置きだけが
聞いたことがない。(もちろん狭いエリアの話だから偶然だった
のかもしれないけど)
 これはとても不思議なことだった。

 思うに、スパンキングもオーバーザニーによる平手ならともか
く、鞭では親子の一体感に乏しい。お灸では痕が残りやすいし、
お浣腸は後処理が大変だから、お仕置き単体ではなく医療行為の
ついでに行われる場合がほとんど。うんちを我慢している子ども
の耳元で母親が昔の悪さをねちねちと蒸し返すのだ。あまりにも
姑息な手段だから子どもにも評判が悪かった。

 そんな問題を解消して、ローソクのお仕置きは『あり』だな、
と個人的には思うのだ。
 蝋涙を落とす時、母親は我が子の手をしっかり握っているから
一体感はあるし、お灸のように痕も残らない。もちろん、後処理
だって白い蝋の塊をはがすだけだから簡単にできる。

 よい事ずくめのように思えるのだが、私の周辺では聞いたこと
がなかったのである。

 ただ、文献にはこの事例があって、名前は忘れてしまったが、
たしかスウェーデンの王様で、子どもの頃受けたローソクによる
折檻が原因でローソクがトラウマになり、夜になってもローソク
の炎が怖くて、いつも日が沈むとすぐに寝てしまったという逸話
を聞いたことがある。

 だから、『日本にだってこれを試した親はきっといるはずだ』
と思うのだが……。

 私の場合、ローソクはないがお灸の経験はあって、これは母に
抱き抱えられながらやられてしまった。

 その時、母が……
 「熱いけど、我慢するのよ」
 なんいて言うから必死に我慢したら、その痕が、その後水ぶれ
になっちゃって、母と大慌てで大学病院へ行くはめになった。

 母としては、『きっと熱がるはずだから、その顔色を見て火を
消せばいい』ぐらいに気楽に考えていたようだった。
 ところが、私が熱がりもせず、(いや、熱かったけど言われた
通り我慢しただけ)母に握られた手を、それほど強く引こうとも
しなかったから起きた事故だったのである。

 以来、母はお灸をお仕置きに使わなくなったし、それまで以上
に私にはやさしくなった。
 赤ちゃんごっこが始まったのもちょうどその頃だったのである。

 オムツをはめられ、哺乳瓶でミルクを飲み、ガラガラが振られ
れば笑わなければならない。
 『どうして、こんなことしなきゃいけないんだよ!』
 とは思いつつも時間が経つにつれて順応してしまった。

 ただ、これはこれで私にとってはお仕置きみたいなものだから、
もし、あの時のお仕置きが、お灸ではなくローソクだったら……
『超マザコン児』は誕生しなかったんじゃないか……とは思うの
である。

 

Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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