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11/23 ブリーフとトランクス
11/23 ブリーフとトランクス(お仕置きとは無関係です)
僕の家は何から何まで母中心で回っていたから、そうなのかも
しれないが、僕の下着(パンツ)は初めからブリーフだった。
こんなこと言うと、大半の人から「それがどうした」と言われ
そうだが、僕のような古株が子どもだった頃って、男の子の穿く
下着は大半がトランクスで、女の子のショーツみたいなブリーフ
を穿く子なんて最初はほとんどいなかったんだ。
おかげで、小学校低学年の頃までは身体検査の日が嫌で嫌で
仕方がなかった。
「どうして、僕だけこんな女の子のパンツみたいなのを穿かな
きゃいけないのさあ」
僕はしきりにクレームを言ったが、家の絶対君主はガンとして
聞き入れてくれなかったのである。
それが、小学校も34年生くらいになるとブリーフ派も増えて
きて、こちらとしては「やれやれ」なのだが…その顔ぶれを見て
ると面白いことがわかった。
一般的に、『かかあ天下』と思われている家がブリーフ。『亭主
関白』の家はトランクス。と、はっきり色分けできたのである。
ブリーフになった友だちの話では、うちの母親が他の親御さん
たちにブリーフをしきりに勧めて、それに賛同したお母さんたち
が切り替えたというんだけど、真意のほどはわからない。ただ、
ご主人の意向が強く反映する家では、今まで通り男の子の下着は
トランクスだったようだ。
母曰く……
「だって、トランクスみたいに、だぼだぼ、ゆるゆるじゃ、中
であれが、ぶらぶらしているのかって想像しちゃうでしょう。…
…卑猥な感じがして……」
だって……
よく言うよ。その時代はまだひとの物を散々玩具にしておいて、
卑猥も何もないもんだ……と、僕は思うんだけど……
それはともかく、母の意見は一定の共感を得られた(?)ようで、
高学年になると、ほとんどの男の子がブリーフだった。
それからしばらくはブリーフ全盛時代が続いたけど……今は、
ブリーフが好まれなくなったみたいで、古株世代にしてみると、
男の子のパンツ一つとっても隔世の感がありますね。
**********************
僕の家は何から何まで母中心で回っていたから、そうなのかも
しれないが、僕の下着(パンツ)は初めからブリーフだった。
こんなこと言うと、大半の人から「それがどうした」と言われ
そうだが、僕のような古株が子どもだった頃って、男の子の穿く
下着は大半がトランクスで、女の子のショーツみたいなブリーフ
を穿く子なんて最初はほとんどいなかったんだ。
おかげで、小学校低学年の頃までは身体検査の日が嫌で嫌で
仕方がなかった。
「どうして、僕だけこんな女の子のパンツみたいなのを穿かな
きゃいけないのさあ」
僕はしきりにクレームを言ったが、家の絶対君主はガンとして
聞き入れてくれなかったのである。
それが、小学校も34年生くらいになるとブリーフ派も増えて
きて、こちらとしては「やれやれ」なのだが…その顔ぶれを見て
ると面白いことがわかった。
一般的に、『かかあ天下』と思われている家がブリーフ。『亭主
関白』の家はトランクス。と、はっきり色分けできたのである。
ブリーフになった友だちの話では、うちの母親が他の親御さん
たちにブリーフをしきりに勧めて、それに賛同したお母さんたち
が切り替えたというんだけど、真意のほどはわからない。ただ、
ご主人の意向が強く反映する家では、今まで通り男の子の下着は
トランクスだったようだ。
母曰く……
「だって、トランクスみたいに、だぼだぼ、ゆるゆるじゃ、中
であれが、ぶらぶらしているのかって想像しちゃうでしょう。…
…卑猥な感じがして……」
だって……
よく言うよ。その時代はまだひとの物を散々玩具にしておいて、
卑猥も何もないもんだ……と、僕は思うんだけど……
それはともかく、母の意見は一定の共感を得られた(?)ようで、
高学年になると、ほとんどの男の子がブリーフだった。
それからしばらくはブリーフ全盛時代が続いたけど……今は、
ブリーフが好まれなくなったみたいで、古株世代にしてみると、
男の子のパンツ一つとっても隔世の感がありますね。
**********************
11/10 変な特技
11/10 変な特技
昨日の話の続きになるかもしれないけど…人間『念ずれば通ず』
ということなのか、お仕置き大好きな変態少年には、他の人には
まずないだろう特技があった。
町を歩いていて、見知らぬ少年少女とすれ違った瞬間、『この
子は、今日、親からお仕置きを受けそうだ』という匂いを感じる
のである。
それって、どこがどう……という説明を紙ではしにくいのだが、
感覚的に、『この子の親は厳しい』『この子は親を恐れている』
『今日、家に帰ったら、お仕置きされそうだ』という判断が瞬時
に頭をよぎるのだ。
もちろん、たんに『泣いている』『暗い顔をして歩いている』
なんて単純なことで判断しているのでない。物思いに沈む顔が、
親との関わりの場合は独特なのが、経験則上わかるからで、だい
たい、そんな子の三人に一人は家までつけていくと、親の怒鳴り
声が聞こえたり、お仕置きされてあげる子供の悲鳴が外まで轟い
たりする。
その確率はだいたい三分の一。
デジタル世代の人たちからすると、『何だ、100%じゃない
じゃないか』って思うかもしれないけど、多くの場合、人は白か
黒かだけを判断材料にして行動している訳じゃないんだ。
おじさんのようなアナログ世代は特にそうだ。
こんな特技は自慢にならないけど、僕の三分の一は他の人では
絶対にマネのできない高確率だと思っている。
そりもこれも、好きなればこそ。
好きな人というのは、それが嫌いな人や興味のない人なら見逃
してしまうような些細な事までも逐一覚えている。そして、その
積み重なった膨大な資料をもとに自分なりの法則性をあみ出して
判断材料にしているんだ。
ただ、こうしたものの多くは、科学的な検証がなされていない
から、その分野の教科書にも載っていないし、その人だって他人
に訊かれれば「勘ですよ」と答えるたぐいのものなのだ。しかし、
ここでいう勘は決して『いい加減』という意味ではないのである。
**********************
昨日の話の続きになるかもしれないけど…人間『念ずれば通ず』
ということなのか、お仕置き大好きな変態少年には、他の人には
まずないだろう特技があった。
町を歩いていて、見知らぬ少年少女とすれ違った瞬間、『この
子は、今日、親からお仕置きを受けそうだ』という匂いを感じる
のである。
それって、どこがどう……という説明を紙ではしにくいのだが、
感覚的に、『この子の親は厳しい』『この子は親を恐れている』
『今日、家に帰ったら、お仕置きされそうだ』という判断が瞬時
に頭をよぎるのだ。
もちろん、たんに『泣いている』『暗い顔をして歩いている』
なんて単純なことで判断しているのでない。物思いに沈む顔が、
親との関わりの場合は独特なのが、経験則上わかるからで、だい
たい、そんな子の三人に一人は家までつけていくと、親の怒鳴り
声が聞こえたり、お仕置きされてあげる子供の悲鳴が外まで轟い
たりする。
その確率はだいたい三分の一。
デジタル世代の人たちからすると、『何だ、100%じゃない
じゃないか』って思うかもしれないけど、多くの場合、人は白か
黒かだけを判断材料にして行動している訳じゃないんだ。
おじさんのようなアナログ世代は特にそうだ。
こんな特技は自慢にならないけど、僕の三分の一は他の人では
絶対にマネのできない高確率だと思っている。
そりもこれも、好きなればこそ。
好きな人というのは、それが嫌いな人や興味のない人なら見逃
してしまうような些細な事までも逐一覚えている。そして、その
積み重なった膨大な資料をもとに自分なりの法則性をあみ出して
判断材料にしているんだ。
ただ、こうしたものの多くは、科学的な検証がなされていない
から、その分野の教科書にも載っていないし、その人だって他人
に訊かれれば「勘ですよ」と答えるたぐいのものなのだ。しかし、
ここでいう勘は決して『いい加減』という意味ではないのである。
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11/9 興味の問題
11/9 興味の問題
僕が昔のお仕置きの様子を語ると多くの人がこう言います。
「嘘だあ、そんなに厳しくなかったよ」
ってね。
でも、僕は嘘はついてないつもりです。もちろん、差しさわり
があるので、ネットで検索したらわかってしまうような事実は、
一部脚色してありますけど、基本的な部分はすべて事実です。
それでも多くの人が、『そんなに厳しくなかった』と思うのは、
もうその事実を忘れているからなんです。
もちろん、親や教師に理不尽なお仕置きをされたり、普段やら
れないようなお仕置きをされたものについては、大人になっても
覚えているでしょうけど、自分に責任があって、かつ、日常的に
行われていたものについては、意外と記憶には残らないものなん
です。
かつて、英語のできの悪かった僕は、クラスのなかでも英語が
できる生徒に尋ねたことがあるんです。
「どうやったら、英語の成績ってよくなるかなあ」
って……
その彼曰く、
「簡単さ、英語に興味を持つこと。僕なんて朝起きてから寝る
まで、目に飛び込んでくるものは、ほとんど、『これって英語で
どう表現したらいいだろう』ってそればかり考えてるもの。……
そのあたりは君だっておなじだろう。教科書に書いてあるとか、
試験に出るとかは関係なく、歴史のこと、政治経済のこと、僕の
知らないことを山ほど知ってるじゃないか。それって、専門書を
読んで覚えただけじゃなくて、テレビや雑誌や新聞の小さな情報
の寄せ集めが、君の力になってると思うよ。お互いが同じ場所に
いて、同じ物を見ていても、興味のあるなしで記憶に残すものが
違ってくるってことなんじゃないのかなあ」
って……
これって、目から鱗でした。
お仕置きの問題もそういうことだと思うんですよ。
僕は幼い時から他の子がお仕置きされるのに興味があったから、
その本人さえ忘れてしまったようなお仕置きを、大人になっても
覚えてるってことだと思うんです。
(親がしっかり愛情をもってやったお仕置きって、意外なほど
子供の方は覚えていないものなんです)
その膨大な情報を、今になってあちこちから引っ張り出しては
貼り付けていくもんだから、他の人たちからみると……
『えっ!そんなにたくさん、お仕置きってされたかなあ』
って、ことになるんだと思います。
要は興味の問題ってことなんですよ。
***************************
僕が昔のお仕置きの様子を語ると多くの人がこう言います。
「嘘だあ、そんなに厳しくなかったよ」
ってね。
でも、僕は嘘はついてないつもりです。もちろん、差しさわり
があるので、ネットで検索したらわかってしまうような事実は、
一部脚色してありますけど、基本的な部分はすべて事実です。
それでも多くの人が、『そんなに厳しくなかった』と思うのは、
もうその事実を忘れているからなんです。
もちろん、親や教師に理不尽なお仕置きをされたり、普段やら
れないようなお仕置きをされたものについては、大人になっても
覚えているでしょうけど、自分に責任があって、かつ、日常的に
行われていたものについては、意外と記憶には残らないものなん
です。
かつて、英語のできの悪かった僕は、クラスのなかでも英語が
できる生徒に尋ねたことがあるんです。
「どうやったら、英語の成績ってよくなるかなあ」
って……
その彼曰く、
「簡単さ、英語に興味を持つこと。僕なんて朝起きてから寝る
まで、目に飛び込んでくるものは、ほとんど、『これって英語で
どう表現したらいいだろう』ってそればかり考えてるもの。……
そのあたりは君だっておなじだろう。教科書に書いてあるとか、
試験に出るとかは関係なく、歴史のこと、政治経済のこと、僕の
知らないことを山ほど知ってるじゃないか。それって、専門書を
読んで覚えただけじゃなくて、テレビや雑誌や新聞の小さな情報
の寄せ集めが、君の力になってると思うよ。お互いが同じ場所に
いて、同じ物を見ていても、興味のあるなしで記憶に残すものが
違ってくるってことなんじゃないのかなあ」
って……
これって、目から鱗でした。
お仕置きの問題もそういうことだと思うんですよ。
僕は幼い時から他の子がお仕置きされるのに興味があったから、
その本人さえ忘れてしまったようなお仕置きを、大人になっても
覚えてるってことだと思うんです。
(親がしっかり愛情をもってやったお仕置きって、意外なほど
子供の方は覚えていないものなんです)
その膨大な情報を、今になってあちこちから引っ張り出しては
貼り付けていくもんだから、他の人たちからみると……
『えっ!そんなにたくさん、お仕置きってされたかなあ』
って、ことになるんだと思います。
要は興味の問題ってことなんですよ。
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10/30 病気の子供はいないんだ
10/30 病気の子供はいないんだ
私の家は母中心で回っていた。父親だって店主として家にいる
し、仕事だって一応やってはいるのだが、存在感がないというか、
影の薄い人だった。
よく言えば趣味人……道楽者……身も蓋もなく言えば遊び人で、
とにかく、あくせく働いてお金を貯めようなどと言う了見だけは
持ち合わせていない人だったのだ。
だから、母はいつも父をなじっていたし、四六時中父の愚痴を
言っていた。
ただ、僕はというと、彼を母ほどには悪くは思っていなかった。
たしかに甲斐性のない人だったかもしれないけど、子供として
みると、穏やかで包容力があり、知的水準もそこそこ、何より、
とてつもなく優しかった。
いつもにこにこしているし、甘えれば抱いてくれるし、色んな
ことを教えてる。工作も得意で、お庭の滑り台もブランコも鉄棒
もみんな彼の作品なのだ。
だから僕にしてみれば、父はいつも母に責められている可哀想
な存在だったのである。
そんな彼と僕はある年の夏祭りに二人で行ったことがあった。
その瞬間はたいした事だと思わなかったので、はっきり何歳の
時の出来事かは覚えてはいないが、とにかく、小学校にあがった
かどうかという歳だ。
『金魚すくい』や『綿飴』、『射的』や『お面売り』など華やか
な露天商たちが軒を並べる中にあって、そのはずれでアセチレン
ガスの炎に照らされて三人の傷病兵姿のおじさんたちが物乞いを
していた。
一人がアコーデオンを弾きながら、一人が松葉杖姿、もう一人
は、募金箱みたいな白い箱を前に四つん這いになって頭を下げて
いる。
暗い中で見にくかったせいか、それとも彼らの包帯の巻き方が
よほど上手かったのか、僕にはそのうち二人の手や足が一本ない
ように見えたのである。
『戦争で負傷したんだ』
可哀想に思った僕は10円をその箱に入れてあげたのである。
……と、ここまでなら問題はなかった。
ところが、お参りがすんでの帰り道。林の奥から男達の甲高い
声がするので、何気に行ってみると、行きがけ出合った傷病兵姿
のおじさんたちがアンパンとサイダーを肴に松の木に寄り掛かり
馬鹿笑いしているのが見える。
その時はすでに包帯は取れていて、ないように見えた手も足も
生えていた。
僕は大急ぎでお父さんの処へ戻ると、事のいきさつを報告。
「あのおじさんたちは、手や足がなくなったようにみせかけて
僕を騙したんだ。10円損しちゃったよ」
僕がこう言って訴えると、父が……
「そんな事はないよ。お前はあの人たちの為に良かれと思って
10円あげたんだろう?」
「うん、だけどさあ……」
「だったらそれでいいじゃないか。良い事ができたって思えた
んだから、それでその話はおしまいだよ。お前が騙されたと思う
のは10円あげた自分の行為が、商売や取引と同じように見返り
がなきゃいけないと考えているからさ。でもね、善意や愛や寄進、
奉納なんてものには結果や見返りを求めてはいけないんだ」
「どうして?」
「だって、慈善や慈愛はどんな見返りも求めないからこそ尊い
行いだと認めてくれるものだもの。だから見返りを求めて動く、
商売や取引とは別の名前になってるんだ。……いいかい、お前の
あげた10円をその人たちがどう使おうと、それはその人たちの
勝手だし、本当は手や足がなくなっていなかったのなら、お前が
10円あげて手足がないよりよほど良い事じゃないか」
「えっ!?……どういうこと?」
父のロジックは、年少のガキにとっては傷病兵のおじさんたち
の詐欺より難しかった。
「何だ、考えてるのか?…だったら、お前にはまだ人を愛する
資格なんてないってことだな」
父の言葉をその歳の頭で理解することは難しかったので、以後
は傷病兵の姿を見ても絶対に10円なんてあげなかったが、父の
言葉自体は脳裏の隅に残り続けていたのである。
そして、大人になり、あのCMに出会う。
****~CM~<ジョニーウォーカー黒ラベル>****
一人の男が暗がりで女に金を渡して、BARへ入ってくる。
先に中で待っていた彼の友人が……
「だまされたな。今の人、病気の子供がいるって言ってただろ、
ありゃ、嘘なんだ」
と、教えると……
騙された友人は、微笑んで……
「良かった。病気の子供はいないんだ」
と、つぶやく。
その瞬間、詐欺を教えた友人の微妙な表情が何ともいえなくて
深いところに灯がともった。
***************************
長い長い時間の末に、私はやっと父の言葉を理解したのである。
私の家は母中心で回っていた。父親だって店主として家にいる
し、仕事だって一応やってはいるのだが、存在感がないというか、
影の薄い人だった。
よく言えば趣味人……道楽者……身も蓋もなく言えば遊び人で、
とにかく、あくせく働いてお金を貯めようなどと言う了見だけは
持ち合わせていない人だったのだ。
だから、母はいつも父をなじっていたし、四六時中父の愚痴を
言っていた。
ただ、僕はというと、彼を母ほどには悪くは思っていなかった。
たしかに甲斐性のない人だったかもしれないけど、子供として
みると、穏やかで包容力があり、知的水準もそこそこ、何より、
とてつもなく優しかった。
いつもにこにこしているし、甘えれば抱いてくれるし、色んな
ことを教えてる。工作も得意で、お庭の滑り台もブランコも鉄棒
もみんな彼の作品なのだ。
だから僕にしてみれば、父はいつも母に責められている可哀想
な存在だったのである。
そんな彼と僕はある年の夏祭りに二人で行ったことがあった。
その瞬間はたいした事だと思わなかったので、はっきり何歳の
時の出来事かは覚えてはいないが、とにかく、小学校にあがった
かどうかという歳だ。
『金魚すくい』や『綿飴』、『射的』や『お面売り』など華やか
な露天商たちが軒を並べる中にあって、そのはずれでアセチレン
ガスの炎に照らされて三人の傷病兵姿のおじさんたちが物乞いを
していた。
一人がアコーデオンを弾きながら、一人が松葉杖姿、もう一人
は、募金箱みたいな白い箱を前に四つん這いになって頭を下げて
いる。
暗い中で見にくかったせいか、それとも彼らの包帯の巻き方が
よほど上手かったのか、僕にはそのうち二人の手や足が一本ない
ように見えたのである。
『戦争で負傷したんだ』
可哀想に思った僕は10円をその箱に入れてあげたのである。
……と、ここまでなら問題はなかった。
ところが、お参りがすんでの帰り道。林の奥から男達の甲高い
声がするので、何気に行ってみると、行きがけ出合った傷病兵姿
のおじさんたちがアンパンとサイダーを肴に松の木に寄り掛かり
馬鹿笑いしているのが見える。
その時はすでに包帯は取れていて、ないように見えた手も足も
生えていた。
僕は大急ぎでお父さんの処へ戻ると、事のいきさつを報告。
「あのおじさんたちは、手や足がなくなったようにみせかけて
僕を騙したんだ。10円損しちゃったよ」
僕がこう言って訴えると、父が……
「そんな事はないよ。お前はあの人たちの為に良かれと思って
10円あげたんだろう?」
「うん、だけどさあ……」
「だったらそれでいいじゃないか。良い事ができたって思えた
んだから、それでその話はおしまいだよ。お前が騙されたと思う
のは10円あげた自分の行為が、商売や取引と同じように見返り
がなきゃいけないと考えているからさ。でもね、善意や愛や寄進、
奉納なんてものには結果や見返りを求めてはいけないんだ」
「どうして?」
「だって、慈善や慈愛はどんな見返りも求めないからこそ尊い
行いだと認めてくれるものだもの。だから見返りを求めて動く、
商売や取引とは別の名前になってるんだ。……いいかい、お前の
あげた10円をその人たちがどう使おうと、それはその人たちの
勝手だし、本当は手や足がなくなっていなかったのなら、お前が
10円あげて手足がないよりよほど良い事じゃないか」
「えっ!?……どういうこと?」
父のロジックは、年少のガキにとっては傷病兵のおじさんたち
の詐欺より難しかった。
「何だ、考えてるのか?…だったら、お前にはまだ人を愛する
資格なんてないってことだな」
父の言葉をその歳の頭で理解することは難しかったので、以後
は傷病兵の姿を見ても絶対に10円なんてあげなかったが、父の
言葉自体は脳裏の隅に残り続けていたのである。
そして、大人になり、あのCMに出会う。
****~CM~<ジョニーウォーカー黒ラベル>****
一人の男が暗がりで女に金を渡して、BARへ入ってくる。
先に中で待っていた彼の友人が……
「だまされたな。今の人、病気の子供がいるって言ってただろ、
ありゃ、嘘なんだ」
と、教えると……
騙された友人は、微笑んで……
「良かった。病気の子供はいないんだ」
と、つぶやく。
その瞬間、詐欺を教えた友人の微妙な表情が何ともいえなくて
深いところに灯がともった。
***************************
長い長い時間の末に、私はやっと父の言葉を理解したのである。
10/20 『St.Mary学園』って何だ?
10/20 『St.Mary学園』って何だ?
ごめんなさい。ただ衝動的に描いてみたかっただけ。
気まぐれです。
僕は幼い頃からADHD( 注意欠陥 多動症障害)の気があって
一つの事に集中できないたちなんだ。
中学校くらいまでは10分はおろか5分だって同じ教科を勉強
しなかった。
というか、できなかった。
国語やって、詩を書いて、社会やって、理科やって、作曲。
数学やって、スケベ小説、作曲、詩を書いて、英語、また詩を
書いてスケベ小説。数学。国語。部屋中走り回る発狂タイム。
とまあ、こんな調子で、趣味も勉強も一緒くた。おまけに部屋
中を踊りまくったり、奇声ををあげたり、一人漫才なんかもする
もんだから、どんな親しくても他人にはこの姿は見せられない。
『こいつ、ついに気が違ったんだ』
と思われること請け合いだから、それだけは避けてきたんだ。
中学を卒業すると、それ以降は次第次第に収まったみたいで、
あまり顕著ではなくなったけど、でも時々昔のなごりみたいなの
が顔を出すみたい。
もちろん、こんな調子の学校生活だもん、成績なんか上がる訳
ないけど、でも、こうでなきゃ、どのみち勉強できなかったんだ。
おかげで、長い時間かけてこつこつやらなきゃならない英語や
国語といった教科がまったくだめだった。はっきり言って使い物
にならなかったもん。
特に英語は酷くて、先生に訳せって言われると、今の機械翻訳
と同じで文法にただ単語を放り込んで並べるだけの作業しかしな
いもんだから、「それじゃ意味が通じないでしょう。訳すという
のは日本語にすることよ」とか「君は英語と数学の区別がついて
ないんじゃないのか」なんてよく言われてたんだ。
そんなわけで、今度のSt.Mary学園も単なる作者の気ま
ぐれ。この先、続けるかどうかもわからない。
ちなみに、St.Mary学園は略すとSM学園になるからね、
この世界では僕以外のライターさんたちもよく使ってる『超有名
私立学校』なんだ。
***********************
ごめんなさい。ただ衝動的に描いてみたかっただけ。
気まぐれです。
僕は幼い頃からADHD( 注意欠陥 多動症障害)の気があって
一つの事に集中できないたちなんだ。
中学校くらいまでは10分はおろか5分だって同じ教科を勉強
しなかった。
というか、できなかった。
国語やって、詩を書いて、社会やって、理科やって、作曲。
数学やって、スケベ小説、作曲、詩を書いて、英語、また詩を
書いてスケベ小説。数学。国語。部屋中走り回る発狂タイム。
とまあ、こんな調子で、趣味も勉強も一緒くた。おまけに部屋
中を踊りまくったり、奇声ををあげたり、一人漫才なんかもする
もんだから、どんな親しくても他人にはこの姿は見せられない。
『こいつ、ついに気が違ったんだ』
と思われること請け合いだから、それだけは避けてきたんだ。
中学を卒業すると、それ以降は次第次第に収まったみたいで、
あまり顕著ではなくなったけど、でも時々昔のなごりみたいなの
が顔を出すみたい。
もちろん、こんな調子の学校生活だもん、成績なんか上がる訳
ないけど、でも、こうでなきゃ、どのみち勉強できなかったんだ。
おかげで、長い時間かけてこつこつやらなきゃならない英語や
国語といった教科がまったくだめだった。はっきり言って使い物
にならなかったもん。
特に英語は酷くて、先生に訳せって言われると、今の機械翻訳
と同じで文法にただ単語を放り込んで並べるだけの作業しかしな
いもんだから、「それじゃ意味が通じないでしょう。訳すという
のは日本語にすることよ」とか「君は英語と数学の区別がついて
ないんじゃないのか」なんてよく言われてたんだ。
そんなわけで、今度のSt.Mary学園も単なる作者の気ま
ぐれ。この先、続けるかどうかもわからない。
ちなみに、St.Mary学園は略すとSM学園になるからね、
この世界では僕以外のライターさんたちもよく使ってる『超有名
私立学校』なんだ。
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