Entries
11月26日付
<11月26日>
「チイちゃん(私のこと)はね、まだまだ赤ちゃんなの。
だから、お母さんの愛の中にいるのが一番幸せなのよ」
「ほんと?」
「ホントよ。お母さん、好き?」
「しゅき(好き)」
「だったら、悪い子たちと一緒においたなんかしちゃ
だめよ。お母さんの抱っこの中が一番気持いいでしょう」
「うん、お母さんと一緒がいい」
「ホントかしら?さっきまでお母さんにお仕置きされて泣いてたの
に、やっぱりお母さんがいいのかしら?お母さんが嫌いだったら
叔母さんの処で預かってもらってもいいのよ」
「いや、お母さんと抱っこよしよし、ネンネよちよちがいいもん」
「わあ、チイちゃんは甘えん坊ちゃんね。ようし、だったらこれから
も、お母さんのいい子ちゃんでいましょうね」
「は~~~い」
………と、まあ、お布団に入ってしまえば、添い寝するお母さんとは
こんな具合でしたね。でもこれ、幼児の時の会話じゃないんですよ。
当時は五年生。学校では聞きかじったいい加減な知識を振り回し
ていて…
「ぼくはねマルクス君が言うように共産社会が理想だと思うよ。
そもそも親が金持ちだからってそれを引き継げるのはおかしいよ」
とか……
「男女が平等になるためには女の人がもっと偉くならなきゃ。その
為には女の人も男と同じ教育を受けなきゃだめだよ」
なんてね、『お前、何様だ!』って世間の人から思われいても馬耳
東風。大人びた物言いを鼻にかけてはお友達を煙に巻いていました。
要するに二重人格なんですよ。
おかげで、「ませガキ」「気取り屋」「先生の腰巾着」など色々言われ
ていましたが、それはあくまでお外で
のお仕事(?)。家の玄関をくぐれば……
『本日の営業は終了しました』とばかり、『お母さんといつも一緒に
いたがる赤ちゃん』へと逆戻り。
どちらかというと家の中の方が地に近かったみたいです。
というわけで、この趣味はその延長線上にあるんです。
*)
<左上>
赤ちゃんの沐浴シーン
<右下>
中学生くらいの少年が何かの会場でスピーチをしている
そんな古い写真です。
「チイちゃん(私のこと)はね、まだまだ赤ちゃんなの。
だから、お母さんの愛の中にいるのが一番幸せなのよ」
「ほんと?」
「ホントよ。お母さん、好き?」
「しゅき(好き)」
「だったら、悪い子たちと一緒においたなんかしちゃ
だめよ。お母さんの抱っこの中が一番気持いいでしょう」
「うん、お母さんと一緒がいい」
「ホントかしら?さっきまでお母さんにお仕置きされて泣いてたの
に、やっぱりお母さんがいいのかしら?お母さんが嫌いだったら
叔母さんの処で預かってもらってもいいのよ」
「いや、お母さんと抱っこよしよし、ネンネよちよちがいいもん」
「わあ、チイちゃんは甘えん坊ちゃんね。ようし、だったらこれから
も、お母さんのいい子ちゃんでいましょうね」
「は~~~い」
………と、まあ、お布団に入ってしまえば、添い寝するお母さんとは
こんな具合でしたね。でもこれ、幼児の時の会話じゃないんですよ。
当時は五年生。学校では聞きかじったいい加減な知識を振り回し
ていて…
「ぼくはねマルクス君が言うように共産社会が理想だと思うよ。
そもそも親が金持ちだからってそれを引き継げるのはおかしいよ」
とか……
「男女が平等になるためには女の人がもっと偉くならなきゃ。その
為には女の人も男と同じ教育を受けなきゃだめだよ」
なんてね、『お前、何様だ!』って世間の人から思われいても馬耳
東風。大人びた物言いを鼻にかけてはお友達を煙に巻いていました。
要するに二重人格なんですよ。
おかげで、「ませガキ」「気取り屋」「先生の腰巾着」など色々言われ
ていましたが、それはあくまでお外で
のお仕事(?)。家の玄関をくぐれば……
『本日の営業は終了しました』とばかり、『お母さんといつも一緒に
いたがる赤ちゃん』へと逆戻り。
どちらかというと家の中の方が地に近かったみたいです。
というわけで、この趣味はその延長線上にあるんです。
*)
<左上>
赤ちゃんの沐浴シーン
<右下>
中学生くらいの少年が何かの会場でスピーチをしている
そんな古い写真です。
11月27日付
<11月27日>
あくまで私の母の場合なんですけどね、母は私に
「あなたは今私とお父様の愛の中で暮らしているの。
そのお外にはお爺様やお婆様がいらしゃるわ。もし、
お家を出てもご先祖様があなたを守ってくださる。
たとえそれらのものをすべてなくしてもお地蔵様や
大日如来様があなたを導いてくださるわ。あなたが
どんなに偉くなっても、あなたはそれらの人たちに
常に守られ続けて生きているから、どんなに頑張っ
てもその愛のお外へは出られないのよ」ってね、諭すんです。
彼女はそう言って私を自分の愛の中に繋ぎ止めていました。
よく『愛なんて出世の役には立たない』という人がいますが、『誰か
に守られているんだ』という暗示は、困難を乗り越えるにはとても
効果的だと思いますよ。これって、理屈や科学じゃ無価値かもしれ
ません。でも、『常に誰かに守られている』という暗示はその人に
勇気を与えますから。
ただ、この守られているというのは逆の見方をすれば拘束されて
いるということでもあるわけで、折に触れて自由でありたいと願う心
との間で確執が生じます。
それでも幼い頃はすべてにおいて大人が勝っていますから子供は
ただただ妥協するしかありませんが、思春期になると少なくとも体力
だけは親を上回ることができるようになりますから物理的には親の
影響力を脱して自由に振舞うことも可能なのです。
ただ、そこで立ちはだかったのが有形
無形の権威でした。
『あなたはどんな時も多くの人たちや
多くの神様たちに守られているからその
人たちの愛や信頼を失っては生きていけ
ないのよ』という母の暗示はごく幼い頃
から私に愛を授ける形で言い聞かせ続け
た言葉で強い強迫観念となって心の奥底
に刻み付けられたままになっていました。
母にとってはそれを再確認させる手段がお仕置き。
ですから、私へのお仕置きは大半が仏間だったのです。
*)
<左上>
お地蔵さんのイラストです。
<右下>
鮮やかな曼荼羅の写真です。
あくまで私の母の場合なんですけどね、母は私に
「あなたは今私とお父様の愛の中で暮らしているの。
そのお外にはお爺様やお婆様がいらしゃるわ。もし、
お家を出てもご先祖様があなたを守ってくださる。
たとえそれらのものをすべてなくしてもお地蔵様や
大日如来様があなたを導いてくださるわ。あなたが
どんなに偉くなっても、あなたはそれらの人たちに
常に守られ続けて生きているから、どんなに頑張っ
てもその愛のお外へは出られないのよ」ってね、諭すんです。
彼女はそう言って私を自分の愛の中に繋ぎ止めていました。
よく『愛なんて出世の役には立たない』という人がいますが、『誰か
に守られているんだ』という暗示は、困難を乗り越えるにはとても
効果的だと思いますよ。これって、理屈や科学じゃ無価値かもしれ
ません。でも、『常に誰かに守られている』という暗示はその人に
勇気を与えますから。
ただ、この守られているというのは逆の見方をすれば拘束されて
いるということでもあるわけで、折に触れて自由でありたいと願う心
との間で確執が生じます。
それでも幼い頃はすべてにおいて大人が勝っていますから子供は
ただただ妥協するしかありませんが、思春期になると少なくとも体力
だけは親を上回ることができるようになりますから物理的には親の
影響力を脱して自由に振舞うことも可能なのです。
ただ、そこで立ちはだかったのが有形
無形の権威でした。
『あなたはどんな時も多くの人たちや
多くの神様たちに守られているからその
人たちの愛や信頼を失っては生きていけ
ないのよ』という母の暗示はごく幼い頃
から私に愛を授ける形で言い聞かせ続け
た言葉で強い強迫観念となって心の奥底
に刻み付けられたままになっていました。
母にとってはそれを再確認させる手段がお仕置き。
ですから、私へのお仕置きは大半が仏間だったのです。
*)
<左上>
お地蔵さんのイラストです。
<右下>
鮮やかな曼荼羅の写真です。
11月28日付
<11月28日>
これはたしか「カロリーメイト」の広告
にあったのを失敬したんじゃなかったかな。
幼い子のあまりに凛々しい姿に気おされ
て切り抜いてしまいました。
『西洋の子はこんな幼い子でも強い自意
識があるんだなあ。親はどんな教育をした
んだろう』と感心してしまいました。
そして『この子お仕置きしたらどんな顔
になるんだろう?どんな声で泣くんだろ
う?』といったことが頭を掠めたんです。
えっ?「不謹慎」ですか?
今の人たちの感覚ではそうかもしれませ
んね。でも、『弱い者いじめ』や『からかい』
って、正直、楽しいでしょう。楽しいから
こそ今のバラエティーではそんなことばかりやってるわけですから。
ただ、これが友だち内で行われると、最初は軽い悪ふざけのつもり
が、やがて『虐め』になっていき、ついには自殺者が出たりする。
ですから、バラエティー番組だって立派な社会悪なわけですよ。
許容される水準はすでに越えています。
なのに世間は『児童ポルノ』だけを規制しようとする。これは明ら
かに声の小さな叩き易い所を叩いて、民衆の目をそちらに向け
させ、さもそれが原因で世の中が悪くなっているという印象を与え
ようとする大人社会の偽善でしかありません。
ま、それはさておき、こうした問題を考える時、そりゃあ相手の
事を慮れない加害者側にも問題はありますけど、それより何より
そんな事で自殺してしまう被害者側の心の弱さ、親の教育に私は
疑問を感じますね。
というのも、今の親は子どもを大事大事と祀り上げはしても、
真剣に自分の懐へ入れて愛していない。(本当に愛していたら、
たとえ経済的に多少困難はあっても安直に0歳児を保育園に
なんか入れないはずですよ)
今の人は信じられないでしょうけど、僕らの親は自分の子供を
平気でからかい、いじめ、正当な理由もなしにお仕置きしては
その子の泣き顔を楽しんでいたんです。
もちろんそこだけ見れば鬼畜です。
でも、子供と近しい彼らには『そのくらいは大丈夫』という自信が
あったのでしょう。要するに、家庭内で虐めの予行演習が済んで
いるわけです。そもそも、この世の中は天国でも極楽でもないのに
子供に世の中の不条理を教えないなんて、それこそが愚かなこと
なのです。
そんな『お為ごかし』『たてまえ論』の親にこそ自殺の原因はある
と私は思いますよ。
*)ここは左上の一枚のみです。
<左上>
上半身裸の少女(といっても8歳くらいでしょうか)が眼光鋭くこちらを睨み
腕組みをしている写真。でも、これが可愛く感じられるから不思議です。
これはたしか「カロリーメイト」の広告
にあったのを失敬したんじゃなかったかな。
幼い子のあまりに凛々しい姿に気おされ
て切り抜いてしまいました。
『西洋の子はこんな幼い子でも強い自意
識があるんだなあ。親はどんな教育をした
んだろう』と感心してしまいました。
そして『この子お仕置きしたらどんな顔
になるんだろう?どんな声で泣くんだろ
う?』といったことが頭を掠めたんです。
えっ?「不謹慎」ですか?
今の人たちの感覚ではそうかもしれませ
んね。でも、『弱い者いじめ』や『からかい』
って、正直、楽しいでしょう。楽しいから
こそ今のバラエティーではそんなことばかりやってるわけですから。
ただ、これが友だち内で行われると、最初は軽い悪ふざけのつもり
が、やがて『虐め』になっていき、ついには自殺者が出たりする。
ですから、バラエティー番組だって立派な社会悪なわけですよ。
許容される水準はすでに越えています。
なのに世間は『児童ポルノ』だけを規制しようとする。これは明ら
かに声の小さな叩き易い所を叩いて、民衆の目をそちらに向け
させ、さもそれが原因で世の中が悪くなっているという印象を与え
ようとする大人社会の偽善でしかありません。
ま、それはさておき、こうした問題を考える時、そりゃあ相手の
事を慮れない加害者側にも問題はありますけど、それより何より
そんな事で自殺してしまう被害者側の心の弱さ、親の教育に私は
疑問を感じますね。
というのも、今の親は子どもを大事大事と祀り上げはしても、
真剣に自分の懐へ入れて愛していない。(本当に愛していたら、
たとえ経済的に多少困難はあっても安直に0歳児を保育園に
なんか入れないはずですよ)
今の人は信じられないでしょうけど、僕らの親は自分の子供を
平気でからかい、いじめ、正当な理由もなしにお仕置きしては
その子の泣き顔を楽しんでいたんです。
もちろんそこだけ見れば鬼畜です。
でも、子供と近しい彼らには『そのくらいは大丈夫』という自信が
あったのでしょう。要するに、家庭内で虐めの予行演習が済んで
いるわけです。そもそも、この世の中は天国でも極楽でもないのに
子供に世の中の不条理を教えないなんて、それこそが愚かなこと
なのです。
そんな『お為ごかし』『たてまえ論』の親にこそ自殺の原因はある
と私は思いますよ。
*)ここは左上の一枚のみです。
<左上>
上半身裸の少女(といっても8歳くらいでしょうか)が眼光鋭くこちらを睨み
腕組みをしている写真。でも、これが可愛く感じられるから不思議です。
11月29日付
<11月29日>
お仕置きとは何の関係もない絵です
が、私の好きな一枚です。私はWEB
ではお仕置き小説しか発表してこなか
ったのですが、太古の昔には一般の小
説(正確には嘘のお話というだけです
が)も描いていました。
その頃も少年のお話が多かったです
ね。SFや童話やファンタジー。未来
や夢のある話が好きだったんです。
こんなフランスパンではありません
でしたが、近くの日曜日の朝はパン屋
へよく買出しに行かされたものです。
帰りは袋いっぱいのパンを抱えて走っていました。
母というのは仕事はできますが家事は何一つとしてまともにでき
ない不器用な人で、ご飯炊きのおばあちゃんがお休みの日曜日は
我が家には食べるものがありませんから朝はパン食なんです。
昼はデパートの食堂、夜は近所の中華屋さんから出前をとって
飢えをしのいでいました。
勿論、彼女は裁縫なんてできませんから、運動会で使う球入れ
の球も、家庭科で着る割烹着も、学校で命じられた縫い物はこの
おばあさんの作品なんです。
こんな人が、一応女学校の卒業証書を持っているので…
『不思議だなあ』
と思っていたら、ある日、彼女の親が担当教師に多額の
賂(まいない)を渡して作品をでっち上げていたことが発覚。
『なるほど(^_^;)』と頷きました。
そんな母が、私に求めたのは、実は勉強の
ことだけ。姉妹(兄弟)の中で唯一大学を出て
いない母はそれが負い目だったみたいで私に
はちゃんとした大学を出すんだと心に決めて
いたみたいでした。
そんな息苦しい家庭生活を逃れるために書
く作品ですから、暗い作品では意味がありま
せん。何を描いてもパッピーエンド。甘々の
ご都合主義の作品ばかり描いていました。
(母の若い頃に似ている?)
*)
<左上>
5、6歳くらいの幼児が大きなフランスパンを小脇にかかえて
笑顔で走っている写真。
<右下>
小学校高学年か、中学生ぐらいでしょうか、少女の写真です。
実年齢よりちょっぴり大人びてみえる感じです。
お仕置きとは何の関係もない絵です
が、私の好きな一枚です。私はWEB
ではお仕置き小説しか発表してこなか
ったのですが、太古の昔には一般の小
説(正確には嘘のお話というだけです
が)も描いていました。
その頃も少年のお話が多かったです
ね。SFや童話やファンタジー。未来
や夢のある話が好きだったんです。
こんなフランスパンではありません
でしたが、近くの日曜日の朝はパン屋
へよく買出しに行かされたものです。
帰りは袋いっぱいのパンを抱えて走っていました。
母というのは仕事はできますが家事は何一つとしてまともにでき
ない不器用な人で、ご飯炊きのおばあちゃんがお休みの日曜日は
我が家には食べるものがありませんから朝はパン食なんです。
昼はデパートの食堂、夜は近所の中華屋さんから出前をとって
飢えをしのいでいました。
勿論、彼女は裁縫なんてできませんから、運動会で使う球入れ
の球も、家庭科で着る割烹着も、学校で命じられた縫い物はこの
おばあさんの作品なんです。
こんな人が、一応女学校の卒業証書を持っているので…
『不思議だなあ』
と思っていたら、ある日、彼女の親が担当教師に多額の
賂(まいない)を渡して作品をでっち上げていたことが発覚。
『なるほど(^_^;)』と頷きました。
そんな母が、私に求めたのは、実は勉強の
ことだけ。姉妹(兄弟)の中で唯一大学を出て
いない母はそれが負い目だったみたいで私に
はちゃんとした大学を出すんだと心に決めて
いたみたいでした。
そんな息苦しい家庭生活を逃れるために書
く作品ですから、暗い作品では意味がありま
せん。何を描いてもパッピーエンド。甘々の
ご都合主義の作品ばかり描いていました。
(母の若い頃に似ている?)
*)
<左上>
5、6歳くらいの幼児が大きなフランスパンを小脇にかかえて
笑顔で走っている写真。
<右下>
小学校高学年か、中学生ぐらいでしょうか、少女の写真です。
実年齢よりちょっぴり大人びてみえる感じです。
11月30日付
<11月30日>
前にも書きましたが、私は別に
虐待されて育ったわけではありま
せん。(少なくとも自分ではそう思
っています)
母は勉強のことにだけは神経を
尖らせていましたが、あとの事は
鷹揚なもので、私がどんな悪戯を
しようと我がままを言おうとそれ
を厳しくたしなめるということは
しませんでした。
ですから、よその子が勉強以外のことで親に叱られるという感覚
が、今一つピンとこなかったのです。母はよく、「あなたは手がかか
らなくて助かるわ」と言っていました。私がよくお仕置き小説のネタ
にしている門限破りやオナニーなんてのも、我が家に限ってみれ
ば…「ぼく、駄目よ、めっ!」と言って、おでこをこっつんこさせるだけ
だったのです。
母は暗くなって帰ってきた私を抱きかかえると、そそくさと勉強
部屋に運び入れ、膝の上に抱くといつものように日々のノルマに
取り掛かります。自分も仕事を持つ身、時間の方がおしいと言い
たげでした。
勿論、ぶったり叩いたりなんてことは一度もありませんでした。
(ま、そうした勉強の強制が虐待だと言ってしまえばそれはそう
かもしれませんが……)
恐らく、『この子は私が完全に支配している』という自信が
あったのでしょう。実際、膝の上に乗る私に、いきなり「だめよ、
そんなことしちゃ」と言うのです。まるで次に何をしたいのか
ぼくの心が読めるようでした。そして、その代わりという事で
しょうか、夜は一緒の布団に包まってまるで赤ちゃんごっこ
です。
今これを言うと母は烈火のごとく怒りまくりますが、
小学校の低学年頃までは、お風呂上りの僕を仰向けに
しては小さなオチンチンをまるでさくらんぼでもほうばる
ように口で含んでは楽しんでいました。
ええ、ぼくはすでにこの時からフェラチオの味を知って
いたのです。
*)
<左上>
スパンキングのあと
<右下>
体育座り
前にも書きましたが、私は別に
虐待されて育ったわけではありま
せん。(少なくとも自分ではそう思
っています)
母は勉強のことにだけは神経を
尖らせていましたが、あとの事は
鷹揚なもので、私がどんな悪戯を
しようと我がままを言おうとそれ
を厳しくたしなめるということは
しませんでした。
ですから、よその子が勉強以外のことで親に叱られるという感覚
が、今一つピンとこなかったのです。母はよく、「あなたは手がかか
らなくて助かるわ」と言っていました。私がよくお仕置き小説のネタ
にしている門限破りやオナニーなんてのも、我が家に限ってみれ
ば…「ぼく、駄目よ、めっ!」と言って、おでこをこっつんこさせるだけ
だったのです。
母は暗くなって帰ってきた私を抱きかかえると、そそくさと勉強
部屋に運び入れ、膝の上に抱くといつものように日々のノルマに
取り掛かります。自分も仕事を持つ身、時間の方がおしいと言い
たげでした。
勿論、ぶったり叩いたりなんてことは一度もありませんでした。
(ま、そうした勉強の強制が虐待だと言ってしまえばそれはそう
かもしれませんが……)
恐らく、『この子は私が完全に支配している』という自信が
あったのでしょう。実際、膝の上に乗る私に、いきなり「だめよ、
そんなことしちゃ」と言うのです。まるで次に何をしたいのか
ぼくの心が読めるようでした。そして、その代わりという事で
しょうか、夜は一緒の布団に包まってまるで赤ちゃんごっこ
です。
今これを言うと母は烈火のごとく怒りまくりますが、
小学校の低学年頃までは、お風呂上りの僕を仰向けに
しては小さなオチンチンをまるでさくらんぼでもほうばる
ように口で含んでは楽しんでいました。
ええ、ぼくはすでにこの時からフェラチオの味を知って
いたのです。
*)
<左上>
スパンキングのあと
<右下>
体育座り