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<小学校低学年時代>

H無縁の雑文です

<小学校低学年時代>

 僕は今ならADHDを疑われていた少年だったと思う。

 とにかく興味のないことには集中心がないし、わけもなく体が
動く。身体を動かしていないと楽しくないし何より平静でいられ
ないのだ。僕が不必要な身体の動きをやめるのは寝てる時だけ。
長時間じっとしていろと命じられるとストレスが溜まってしまい
耐えきれずに奇声をあげてはまた怒られるといった按配だった。

 こんな僕だから勉強する時だって他の子のようにただ勉強机が
そこにあればよいというわけにはいかなかった。家庭教師の先生
がいる時も、単に膝をつき合わせてというだけでは足りなかった。
それでは一向に勉強しないからだ。
 だったらどうするのか。

 母の出した結論は簡単。僕を膝の上に抱きかかえると、大きな
身体で僕の体が動かないようにしてから始めるというもの。
 こうすれば身体は無駄な動きをしなくるし心だって安定する。
幼児にとって母親の抱っこくらい心の安らぐ場所はなかったから
だ。

 しかし、この方法、いつまでもという訳にはいかなかった。

 だって、子供は成長する。大きくなるのだ。重くなるのだ。
 母の膝がその重さにいつまでも耐えられるはずがなかった。

 そこで、母は最初、父親に応援を求めた。
 もともと父親の方が物知りだし、体も大きかったからだ。

 ところがこの人、知識はあるものの体系的に効率的に教えると
なると不向きだった。
 実際、父親の授業は脱線につぐ脱線で一向に話が前に進まなか
ったのである。

 僕自身は、父の脱線授業をとても楽しみに聞いていたのだが、
即物的な思考回路の母にとってそれは大いに不満で、次なる策を
考えることになる。

 母が次に打った手は家庭教師を雇うという選択だった。

 その求めに応じて我が家へやってきたのは、現役の女子大生。
清楚な感じのお嬢さんだったが……
 結果は同じだった。

 そりゃあ彼女、知識もあるし体系的にも教えてくれるのだが、
いかんせん生徒の方にまったく乗り気がないものだから、結果は
父親の時と同じだったのである。

 母は当初、僕の勉強を女子大生にまかせ自分は仕事をしていた
のだが、どうやらそれではうまくいかないみたいなので授業中も
同室するようになり、そして、ついには……
 昔と同じ姿勢で勉強するようになった。

 これには女子大生のお姉さんも目をパチクリさせていた。

 いや、小3にもなった子が母親の膝に乗せられて勉強を始めた
からというだけではない。その作業効率がまるで違うからだ。
 彼女には『まるで別人』と映ったに違いなかった。

 こんな事情から、僕は『お母さんが僕を抱っこしてくれたら、
テストの間違いも少なくてすむのに……』なんて思っていたが、
まさか小学校に母を連れてもこれないから僕のスクールライフは
大きな欠陥を晒したまま過ごすことになる。


 少年の欠陥はこれだけではない。異常なほどおしゃべりなのだ。
とにかく話し出すと頭に浮かんだ映像をすべて言葉にするまでは
止まらなかった。
 しかも、悪いことに極めてドグマチックだ。

 班で話し合って結論を出さなきゃならない時でも、ろくに他人
の会話を聞かないで自説を押し付けるもんだから、クラスメイト
だっていい心持はしなかっただろう。

 友だちがどうしてそうなるのかと尋ねると、たいていが……
 「だって、〇〇さんが言ってた」
 「〇〇という本に書いてあった」
 と、こうだ。

 おかげで『本屋』というあだ名までついてしまった。
 つまり僕はクラスではお荷物、『困ったちゃん』だったのだ。

 そこで担任の先生は仕方なく、僕を学級委員にして他の子とは
別の仕事をさせ、少しずつ協調性を学ばせる作戦にでてきた。

 取りまとめ役なら他の子の迷惑にならないだろうというわけだ。

 だから僕は先生のご指名で何度か学級委員をやったが、これは
僕に人望があったからではない。もちろん名誉でもなんでもない。
たんにクラス運営のためのやむを得ない処置だったのだ。

 そのことは……
 「あなただから、あえて話すけど……」
 と担任の先生から僕は説明を受けていた。

 ところが、うちの母は体育会系の単細胞だから小二の僕でさえ
理解できた理屈を担任の先生が何度説明してもわからないのだ。
 うちの息子は優秀だから学級委員を拝命しているんだとばかり
思い込んでいた。

 ホントうちは親子して学校の『困ったちゃん』だったのである。

 そんな特殊事情を担任の先生が母親に説明した日のことはよく
覚えている。
 というのも、その日、僕がまたまたちょっとした事件を起こし
てしまったからなのだ。


 その日の数日前、僕は一枚をプリントを持って帰ってくる。
 それは『家庭訪問のお知らせ』だった。

 これを見た母、当然と言うか、いきなり張り切り始めた。
 要するにこちらもこちらで余計な事をし始めたのだ。

 まず最初に、白いシーツを大量に買ってきては、これをお店の
周囲にいくらか残っていた遊郭の看板に被せ始める。
 彼女としては、ここが遊郭街だということを先生に知られない
ための偽装工作なんだろうが……先生は子どもじゃない。ここが
どんな街かぐらいのこと知らないはずがなかった。

 この大仕事のあと、彼女は普段の客には出さないような高級な
お茶と生菓子を用意すると、自分もよそ行きの訪問着でビシッと
決めて、担任の先生を待ち構えたのである。

 当時の家庭訪問は担任の先生と母親のお見合いって感じだった
のだ。

 ま、それはともかく、ここまでは彼女なりに完璧だったのかも
しれないが、最後に一つ、彼女は重大なミスを犯してしまった。

 その準備の最中、まるで夏のハエのように五月蝿く付きまとう
僕たち兄弟に向かって……
 「先生がお帰りになったら一緒にデパートへ行きますからね、
今は静かにしてて頂戴」
 と、軽く僕たちに対してご機嫌をとってしまったのである。

 母は軽い気持だったかも知れないが、僕たちは喜んだ。
 そりゃあそうだ。当時のデパートというのは子供たちにとって
単に買い物をする場所ではない。屋上の遊園地で遊んで、食堂で
お子様ランチを食べてと、色々楽しめる手軽な行楽地でもあった
からなのだ。

 当然、先生がうちに早くやって来て、早く帰ってくれることを
僕たちは望んでいたのだが……。

 こんな時に限って先生の到着は大幅に遅れ、しかもうちに着い
たあともなかなか帰らない。

 おまけに、お母さんが引き止めたりもするもんだから僕たちは
やきもきしていた。

 『このままでは、デパートへ行く時間がなくなってしまう』
 襖一つ隔てて様子を窺っていた僕たちは心配でならない。
 そこで……

 僕はいきなり襖を開けると、つかつかと大人たちの部屋の中へ。
 お母さんが正座する膝にどっかと腰を下ろすと、開口一番……

 「ねえ、先生、もう帰ってよ。これからお母さんとデパートに
行くんだから」
 と宣言したのだ。

 先生が笑った。
 きっと、それって僕らしかったのだろう。

 まあ、誰に対しても恐れを抱かないというか、躾がなってない
というか……
 先生も、もうそろそろお暇(いとま)しようと思っていたから
腰を上げてくれたけど、お母さんの顔は真っ青で真っ赤だった。

 「どうしてあんたはいつもそうなの!!」
 先生が帰ったあとお母さんには叱られてしまった。

 ま、おかげで無事デパートにも行けたし子どもの立場としては
めでたしめでたしではあったが……。

 そうそう常識がないと言えば、こんなこともあった。

 その日は雨上がりで僕は近所の友だちと裏山を駆けずり回って
帰って来たのだが、その勲章としてズボンはドロだらけ、パンツ
にも泥水がたっぷり染みこんでいた。
 
 そこで、床が土間だった炊事場で着替えることになったのだ。
ところが間の悪いことに僕がパンツを脱いだ瞬間近所のおばさん
が入ってきた。

 昔の田舎は隣近所へ出入りするのに麗々しい挨拶なんかしない。
いきなり扉を開けて「こんにちわ」と言えばそれでよかったので
ある。

 その『こんにちわ』のあとに、おばさんが笑った。
 「あら、取り込み中だったわね」

 「いいのよ、大丈夫だから……」
 母は応じたが、おばさんの笑いが僕の心を傷つける。
 そこで……

 「おばさん、出て行ってよ。お母さんが恥ずかしいだろう!」
 と言ったのである。

 これには、やや間があってから二人の笑い声が漏れた。

 「ほら、何言ってるの。お母さんが恥ずかしいんじゃなくて、
あなたが恥ずかしいんでしょうが」
 お母さんが笑われた理由を教えてくれたが……

 でも、それでも僕はきょとんとしていた。

 だって、お母さんの前で全裸になることは珍しいことではない。
お風呂に入る時はいつもそうだ。お母さんが僕の服を脱がし僕の
体を隅から隅まで洗う。オチンチンまで全部洗う。これ我が家の
常識だった。

 それに、たとえおばさんに僕がオチンチンを見られたとしても、
それも驚くような事ではなかった。昨年までは幼稚園だった僕は
今年だって何も身につけず庭の盥で行水してたんだから、隣から
も生垣越しに僕の裸は見えたはずだ。

 だから裸は関係ない。僕にしてみたら、おばさんがお母さんの
している事で笑ったのが許せなかったのである。

訳が分からずボーとしていると……
 「ほらほら、さっさとパンツを穿いて」
 お母さんに言われてしまった。

****************************

<幼稚園>

Hまったく関係なしの雑文です。ごめんなさい。

<幼稚園>

 三歳になり僕は世間の流儀に従って幼稚園へ通うことになった。
 もちろん、家の近くにも立派な幼稚園はたくさんあったのだが、
見栄っ張りな母はそこでは満足しない。当時、この地域で評判に
なっていた隣町の幼稚園に私たちの願書を出したのだ。

 まったくもっていつもながら余計なことをしてくれる人である。

 おかげで、せっかく仲良くなった近所の友だちとは疎遠になる
し、自宅が遠すぎてスクールバスが来ないために乗り合いバスで
通わなければならない。

 百害あって一利なしの決定なのだが、幼い身では反対する力も
なく、僕たち兄弟はその初日、乗り合いバスの最初のステップを
両手で押しつけて体を少し浮かせてから「よっこらしょっと」と
よじ登るはめになったのである。

 通勤時間帯とはいえ、普段はろくに乗降客のない停留所に二人
の幼児の姿。
 中扉を開けやると、その二人がまるで登山のようにステップを
登ってくるから車掌さんもビックリだ。

 僕はその時驚いた車掌さんの顔をはっきり覚えている。

 当時のバスは車高が高く、その分最初のステップも高い位置に
あって、もう少し身長があればいきなりステップに足を掛けられ
るのだが、身長が低い三歳児はいきなりそこへ足が掛けられなか
った。

 ただ、小さな身体でモゴモゴやってると、車掌さんが僕たちを
抱き上げてくれたんだ。

 (あそうか、今の人たちは運転手さん一人で運行するワンマン
バスしか知らないだろうから補足しとくとね、当時は電車と同じ
ように路線バスにも車掌さんというのが乗っていて、切符の販売
や運賃の精算、踏切でのバスの誘導なんて仕事をやってたんだ。
もちろん、ドアの開け閉めも車掌さんの仕事。当時はそれも手動
だった)

 その車掌さんが、次ぎ言うことはだいたい決まっていて……
 「坊やたち、だけなの?……お母さんは?」

 残酷なこと聞いてくるんだよね。
 というのも、うちの母は幼稚園に行く僕たち兄弟をただの一度
も近くのバス停まで見送りに来たことがない。

 あの人、朝の一連の仕事が終わると自分はさっさと布団の中に
戻ってそこから僕たちに「行ってらっしゃい」を言い二度寝する
んだ。

 まったく、鬼のような人間だよ。
 だから、バス停にいるのは僕たちだけ。高いステップも自力で
登らなければならなかったんだ。

 ただ、そうは言ってもいいことだって沢山あったよ。

 当時は三歳児が自分で定期券持って通園するなんて、もの凄く
珍しかったから、僕たち兄弟はたちまちそのバス路線では名物に
なってしまって、運転手さんや車掌さんたちからはもの凄く可愛
がられたんだ。

 いつも二人して一番前の二人掛けの席に陣取ると、運転手さん
ともお話しながら通ってた。

 今は運賃精算のために運転手さんの左側に必ずドアがあるけど、
当時はその必要がないから出入口は真ん中の中扉だけ。一番前に
はドアの代わりに運転手さんと並ぶように座席があって、ここに
座ると、運転手さんが見ているのと同じ景色が見られるから、子
供たちにとってはここが特等席だったんだ。

 バスはボロだけど、短くとも楽しい遠足気分。
 僕なんか『このまま夕方までずっと乗っけてくれてたらいいの
に……』なんて思ってた。幼稚園行かずに済むから。

 そこで……
 降車ボタンなんてない当時は「次ぎで下ります」って車掌さん
に合図を送るのがルールなんだけど、僕はシカとして黙ってる。

 乗ったバスがそのバス停を通過してくれることを期待したんだ
けどね。

 ただ、そんなことをしても車掌さんがそこを素通りすることは
一度もなかった。

 『あ~あ、今日も止まっちゃったよ』
 なんていつも思ってた。

 最寄のバス停で下ろされた二人を待っていたのは幼稚園の先生。
そこからは一緒に幼稚園まで行くことになる。

 でも、こうなると僕のテンションはドタ下がりだった。

 というのも、この幼稚園、僕にはちっとも面白い場所じゃなか
ったからなんだ。

 たしかに、お遊戯もしたし、お絵かきもやった。お歌も歌った。
遠足にも行った。幼稚園の行事はすべてこなしているわけだから
そういった意味では『困ったちゃん』として先生が母親に愚痴を
言うことはなかったんだけど……

 でもそれって先生の言うことは理解できるから、それに従って
行動したまでのことで、同じ年恰好の子が目の前で言ってる事、
やってる事などはまったく理解できなかったんだ。

 変な言葉遣いで、やたら衝動的に行動するし、訳の分からない
自慢話ばかりする。僕の心の中で彼らは『別の星から来た異性人』
だった。
 ホント、困ったことに……

 そんなわけで、幼稚園での僕は立派な孤立児。とにかく、同じ
年恰好の子たちとじゃれて遊ぶっていうことがまったくできない
子だった。
 だから、そういった意味で『困ったちゃん』だったんだ。

 こんな場所、楽しいはずないだろう。

 居場所のない僕は、幼稚園の行事がない時はいつも礼拝堂から
牧師館へと続く廊下にあった棚の上で昼寝をして過ごしていた。
 ここはよくお日様が当たるし誰もこないから快適だったんだ。

 こんな僕だけど弟は立派だったよ。園内にたくさんの友だちが
いて楽しい幼稚園時代だったみたい。
 兄弟でこんなにも違うはなぜだろうと思ったし、羨ましいなあ
とも思った。

 そのせいだろうけど、僕の記憶の中にこの幼稚園での出来事が
ほとんど残っていない。
 建物の様子や先生たちの顔だけはかろうじて覚えているけど、
そこでどんな行事があったかは頭の片隅にも残ってないんだ。

 僕にしてみたら、そんな幼稚園でのことより、その前の段階で
ある出張販売先での出来事の方がむしろ鮮明に記憶に残っている。
 (幼稚園に通いだし、母の出張販売に帯同する機会もめっきり
減ってしまったのが僕にはつまらなかったのだ)

 出張販売では、ご近所のおじさんおばさんも優しかったけど、
特に優しかったのは、夏でも重い外套を持ち歩きお髭ぼうぼうの
おじちゃんだった。

 おじちゃんは若い頃に経験した色んなことを面白おかしく話し
てくれたし、いつもは蛇の絵しか描かないその商売ものの筆で、
僕の為に楽しい絵を描いて見せてくれた。一緒にごはんやおやつ
を食べたりもしたんだ。

 ただ、それを見てしまった母にしてみると、それって予期せぬ
不幸だったらしくて……彼女、僕がそのおじちゃんと昼ごはんを
食べていた事実を知るや、いきなりお店をお休みにして僕を病院
へと連れて行ったんだ。

 ここでも余計なことをする人だった。

 お父さんは……
 「お前は、やることがいちいち大仰なんだよ。そんな事ぐらい
で病院まで引っ張って行って……そりゃあ変わり者かもしれない
けど、せっかく親切にしてくれたおじちゃんに失礼じゃないか。
おじちゃんが食べて問題ないんだら、こいつが食べても大丈夫さ」
 なんて話してたけどね。

 お母さんにしてみたら、そんなのん気な意見、とうてい受け入
れられないみたいで……。
 『だって、この子、道端に落ちてたものを拾って食べたのよ』
 って、そんな感じだったんだ。


 おや、話が脇道にそれちゃったから元に戻そう。

 実は大きくなってからこの幼稚園での出来事を僕が語る機会が
あったんだけど、それって、たまたま同じ小学校に行った友だち
がいたから出来たんだ。

 彼が『お前、俺の彼女取ったって殴られたことあっただろう』
『お前、学芸会で天使の役やったけど、あまりに下手で、みんな
に笑われてたじゃないか』『運動会は二人転んだからビリのお前
が一番になった』などなど、彼が自分の記憶だけでなく僕のこと
まで覚えていてくれたから難を免れたけど、僕自身はというと、
彼が説明してくれた記憶はただの一欠けらも頭の中に残っていな
かったんだ。

 いくら嫌いな場所だったとしても、まったく記憶がないなんて
どういうこと?俺って本当にバカなんじゃないか。
 その時は自己嫌悪だった。

 ただ、そんな中にあっても唯一鮮明な記憶がある場所もある。
 それは、行き帰りのバスの中。

 僕は利用する路線バスの運転計器の配置からどこのメーカーの
何年製で型式は……ってなことを全車覚えてたんだ。
 停止していた脳細胞がここでは覚醒していたというわけ。

 きっと運転席の計器類を食い入るように見ている姿が面白かっ
たんだろうね。運転手さんや車掌さんは、本来仕事中なんだから
雑談なんてできないはずなんだけど、お客さんが少なくなると、
僕たち兄弟にはよく声をかけてくれた。
 (今の言葉でなら『いじられた』というべきかもしれない)

 弟はまともな少年だったから、歳相応に大人に声を掛けられる
と、はにかむようなところがあったが、こちらは水を得た魚みた
いに大はしゃぎ。
 車内にたちまち甲高い声が響くから、乗っていたお客さんには
迷惑をかけたかもしれない。

 幼稚園とは違いここでは相手が大人ということで安心できたん
だろうね。自然とボルテージがあがるんだよ。
 特に、終点の二つ手前のバス停で大半のお客さんが降るから、
そこから終点まで(正確には終点も越えて営業所まで)は、僕と
運転手さん車掌さんとの井戸端会議だった。

 それだけじゃないよ。営業所に着いても僕たちはすぐに帰らな
かったんだ。

 車掌さんに抱っこされて、行く先案内の幕をクルクル回したり、
運転手さんのお膝に乗って営業所の中を一周してもらったりと、
もうやりたい放題だった。

 これって今やったら運転手さん首になっちゃうかもしれないな。
あくまで当時はこうだったということです。牧歌的な時代だった
から、たとえ規則の内容は同じでも適用が緩かったんだと思う。

 ま、これだけ歓待を受けたんだら、ある意味当然なのかもしれ
ないけど、僕は『大人になったらバスの車掌か運転手になろう』
と心密かに決めていたんだ。

 遠くへ行けて(幼児にとっては隣町は遠くの場所)、しかも、
仕事が終われば家はすぐそば。こんな結構な仕事はないと思って
た。
 (幼児のことだからね、常にこの営業所へ来てこの営業所から
帰れると思ってたんだ)

 弟と一緒にそんな将来の就職先候補で30分も遊んでから家に
帰ることも多かった。

 おかげで家にたどり着く頃はいつもニッコニコだから、母は…
 「そう、そんなに幼稚園が楽しかったの」
 なんて言っていたが、それは母の大いなる勘違いで……

 幼稚園なんてちっとも楽しくなかったが、今さっきの出来事が
いつも僕をニコニコ顔にしていたのである。


 幼稚園から帰ったあとは、抱っこしてもらいながらのオヤツの
時間。母は厳しい時ももちろんあるが、普段は僕たちを赤ちゃん
扱いなんだ。

 シュークリームなんかは特にそうなんだけど、たっぷりと口元
にクリームを残すのが僕の得意技だった。

 えっ?なぜこれが得意技なのかって……

 だって、綺麗に食べてしまったら、お母さんがほっぺや口元を
ペロペロしてくれないだろう。せっかくのサービスが飛んじゃう
じゃないか。
 くすぐったいけど、コレがとってもいい気持なんだよ。

 さてと、オヤツが済めばその後に予定はない。
 習い事はあったが、それは隣町で済ませてから帰って来ていた。
 そのあたり通園バスでなかったため、かえって都合がよかった
のかもしれない。

 習い事のある日は、当然、帰宅時間も遅くて夕方。幼児として
は遅い時間に帰り着くことになるが、それでも近所の子と将棋を
指したり、紙芝居を見たり、駄菓子屋さんを覗くくらいの時間は
あった。

 幼稚園の子とはあまり馴染めなかった僕だが、近所の子の場合
は、飾った言葉で話さないし、親の自慢なんてしないし、たとえ
何かあってもすぐに仲直りができた。なかなか顔を出さない僕に
対しても見捨てることなく親切にしてくれたから、僕も友だちで
あり続けることができたんだ。

 そんな友だちも辺りが暗くなる頃にはみんな家に帰る。そして
次に友だちの顔を見るのはたいてい翌朝。
 これが当時の常識だった。

 今のように夜昼かまわず幼児を連れまわす親なんてこの時代は
まだいなかった。花火やお祭りの日でもない限り夜更かしだって
絶対にありえなかったんだ。

 私の家もそんな常識的な家族(?)だったから、僕たち兄弟も
日が落ちてからはずっと家の中で過ごしていた。

 母と一緒にお風呂に入り、母と一緒に夕ご飯を食べて、あとは
子供向けのテレビ番組を見たら寝るまでお勉強。
 これが我が家の生活のパターンだ。

 思わず『お勉強』なんて書いちゃったけど、これは机に向かい
しかめっ面してやるものではない。『畳敷きの帳場に知育教材を
並べ、それで遊んでいる』といった方が正しいかもしれない。
 うちは夜にお店がひとしきり忙しいので、お店をやりながらの
育児だったんだ。

 初めてお店に来た人は驚いたと思うよ。

 お店に入ったら、いきなり女店主の膝に乗った幼児がラッパを
吹いてお出迎え。その脇では別の子がインディアンの格好をして
狭い帳場を走り回ってる。
 『おいおい、ここは託児所か』って光景だ。

 そのうち、持ってきた質札をその子たちが店の奥で質草の管理
をしている父親に届けに行ったりもする。

 みょうちくりんな質屋だったけど……
 でも、これが『あたしんち』だったんだ。

 出張販売の時もそうだが、僕にしてみたら、行動が予測不能な
幼稚園の同輩より、お店にやって来る色んなお客さんたちを観察
している方が面白くて、帳場は飽きることがないドラマだった。

 ただ、夜に限って言うとそうした時間はあまり長くは続かない。
 何しろ幼児だろう、すぐに眠くなるんだ。
 眠くなるとどうなるか。

 一般家庭のように、パジャマに着替えてから『お父さん、お母
さん、おやすみなさい』と挨拶して、自分の部屋の布団で寝る。
 なんて美しい光景にはならない。

 うちの場合は、お客さんが途切れると、母が僕たちと知育玩具
で遊んでくれるのだが、たいていはお勉強の最中に寝てしまい、
そのまま母の膝から布団へと運んでもらうことになる。

 うちでの「おやすみなさい」は寝言で言うことになっていた。

 もちろん、大半はそのまま寝てしまうのだが……
 たまに、ふと気がつけば、目の前にお母さんのオッパイが……
 なんてことも……

 そんな時は、せっかくだからそれをペロペロ舐めてから撃沈(
眠りに着く)するというのが我が家の流儀。そのあたりとっても
ルーズな家庭環境だったのである。


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僕にとっての保育園

*)Hでも何でもない雑文です。

<僕にとっての保育園>

 僕は『保育園』という処へは行ったことがない。三歳になって
幼稚園へあがるまではずっと母のもとで過ごしていた。
 ただ、生まれてその日までずっと家の中にいたのかというと、
そうでもない。『公園デビュー』ならぬ『お店デビュー』という
のがあった。


 僕の母はいわゆる体育会系の人だから頭は大したことないのだ
が、とにかく頑張り屋さんだった。働かない父に代わって家業を
切り盛りしていたうえに子育てまでしなければならなかったから
大変だったと思う。

 特に僕が赤ん坊の頃は、僕を負ぶって出張販売までしていた。
子守はいたが、僕が彼女になつかなかったから仕方なくそうして
いたらしい。

 出張販売というのは、各種の催し物会場の一角を借りて流通品
(中古品や質流れ品)を売りさばく商売のことで、大半は建物の
中に場所を借りて期間限定で商売を始めるのだが、中にはお祭り
の露天商さんみたいに『青空マーケット』というのもあった。

 いずれにしても、そこは本来、子連れで商売ができるような処
ではない。ましてや赤ん坊を連れてくるなんて論外だったに違い
ないのだが……ところが彼女、同業者からの批判何するものぞ、
そのブースの中で、正々堂々、僕にミルクを与えながらオムツを
替えながら接客していたのである。

 家から持ってきた濡れタオルで僕のお尻を拭いてから接客する
もんだから、待たされたお客の困惑はいかばかりか……
 まったくもって無茶苦茶な話だが母は平気だった。その明るさ
と社交術でその無茶を乗り越えて商売していたのだ。

 「あんた、男だったらよかったのに……女にはもったいないよ」
 なんてね、隣りで商売していたご主人が、母にお世辞を使って
いたのを覚えている。

 僕はそんな場所で人生の産声を上げた。
 だから、ここが僕にとっては保育園というわけだ。

 周囲みな大人ばかりの世界で言葉も覚えた。当然、言葉遣いも
周囲の大人たちの会話から覚えていくので、話し言葉も当初から
大人仕様。
 母の話だと、僕は世間一般の子供たちが話すいわゆる幼児語と
いうやつを一切話さなかったらしい。

 慣用句をやたら使いまくるへんてこな幼児で……
 『こんなガキに理路整然とものを言われるのは気色悪い』とか
『可愛げがない』なんてよく言われていた。

 でも、僕自身はというと、こんな環境が決して嫌ではなかった。

 よちよち歩きができるようになるとご近所のブースにも出かけ、
お菓子なんかもらって帰って来る。見知らぬ人に抱かれても滅多
に泣かないから大人の方でも扱いよかったのかもしれない。
 お客さんたちも僕を見て微笑むことはあってもいやな顔になる
人は少なかった。

 僕自身は決して可愛くはなかったが、それでも、『赤ん坊』と
いうわけだ。

 だから『大人は恐い』という幼児の常識は僕には通用しない。
逆に『大人は誰でも自分に優しい』と単純に信じ込んでいたので
ある。

 変な話に聞こえるかもしれないが、こうした仕事場で出会う人
の中で最も恐いのは母だった。仕事中の母に触る時は、そうっと
後ろに回って、そうっと服の端を掴んでから甘えなければならな
かった。

 母はやたらまとわりつく僕が面倒くさくて、よくおんぶもして
くれたが……そもそもデパートの一角で赤ん坊をおんぶしながら
接客している売り子なんて周囲どこにもいなかったのである。

 やがて言葉がしゃべれるようになった僕は周囲にいる大人たち
の会話から色んな言葉を覚えていったが、なかには覚えてはいけ
ないものもあったようで……。

 ある日のこと……見事に太ったおばさんが真珠のネックレスを
買ってくれたのだが……その時、僕はそのおばさんを前に……
 「ねえ、お母さん。こういうのを『豚に真珠』って言うんだよ
ね」
 と、言ってしまったのだ。

 もちろん、お母さんは冷や汗がタラ~リだったが、相手は大人。
一瞬、顔色が変わったものの幼児相手に怒った顔は見せない。
 「あら、坊や。小さいのに難しい言葉知ってるのね」
 と、ニコニコ顔で褒めてくれた。

 だから、こちらも単純に嬉しくて……
 「おばちゃん、また来てね」
 とバイバイして見送る。

 つまり、僕とそのおばちゃんとは良好な人間関係だったのだ。

 ま、こうした失敗談はいくつもある。
 ブースの前を通り過ぎようとする人の袖を引いて、
 「ねえ、おじさん、買いなよ。今、五割引だよ」
 なんて、生鮮品を扱っているおじさんの真似をして自分勝手に
商品を値引きして呼び込みをかけたもんだから、母が慌てて取り
押さえたなんてこともあった。

 世間知らずの子供に振り回されて、母にしてみたらさぞや邪魔
な存在だっただろうが……それでも、僕を見つめるその顔は……
『作っちゃったから仕方がないか』と諦めてるみたいだった。

 あっ、ちなみに弟は僕と違い性格がよかったので、子守さんで
間に合ったみたい。そもそも彼の方が可愛かったからマスコット
として使うなら適任だと思うのだが母がこうした出張営業に彼を
連れ出すことはほとんどなかった。

 これについては、純粋な赤ん坊時代を除き、よくしゃべる僕の
方が母にとって退屈しのぎのラジオ代わりになるという説もある。

 実際この仕事は催し物の合間合間を利用しての商売というのも
多くて、その場合は幕間だけが商売の時間。結構暇な時間もある
から、そんな時は母から絵本を読んでもらって過ごしていた。


 ま、いずれにしてもその日の夕方は母の背に負われながら帰宅。
商品の搬入搬出が最初の頃はリヤカーだったのもよく覚えている。
 (今なら、当然それは自動車なんだろうけど、これはそれほど
大昔のお話ということです)

 「あんたは何の役にも立たないんだから静かにしてなさいって
言ってるでしょう。どうして言う事がきけないの」
 「また余計なことばかりして……お母さん赤っ恥かいたわ」
 「もう絶対におまえなんか連れて来ないからね」
 母の背中に抱きつく僕は母から散々に言われながら帰るのだが、
家につく頃にはたいていその背中で寝ていた。

 ならば、僕を連れて出なければよさそうなものだが、それでも
次の催し物の日がやって来ると……
 「どうしようかあ、この子………あんた一人、家に置いておく
のも心配だし………いいわ、おいで」
 ということになるのだった。

 一方、そう言われて母に抱かれた僕はというと……
 その催し物会場がどんな処であれ、そこではいつもお母さんと
一緒にいられるわけだから、こちらもそれはそれで十分だったの
である。

**********************

見沼教育ビレッジ <第2章> (2)

***** 見沼教育ビレッジ <第2章> (2) *****


******<主な登場人物>************

 新井美香……中学二年。肩まで届くような長い髪の先に小さく
       カールをかけている。目鼻立ちの整った美少女。
       ただ本人は自分の顔に不満があって整形したいと
       思っている。
 キャシー……ふだんから襟足を刈り上げたオカッパ頭で、短い
       フリルのスカートを穿いている。お転婆で快活な
       少女。ケイト先生は元の指導教官で、離れた今も
       会えばまるで仲のよい親子ようにじゃれあう関係。
 堀内先生……普段は温厚なおばあさん先生だが、武道の達人で
       たいていの子がかなわない。美香が卒業するまで
       ケイト先生からキャシーを預かっている。
 ケイト先生…白人女性だが日本生まれの日本育ちで英語が苦手
       という変な外人先生。サマーキャンプでは美香の
       指導教官なのだが、童顔が災いしてかよく生徒と
       間違われる。彼女はすでに美香の両親から体罰の
       承諾を得ており、お仕置きはかなり厳しい。
若杉先生……小学生の男の子たちを指導するイケメン先生。

**************************

***** 見沼教育ビレッジ <第2章> (2) *****

 キャシーは美香の手を取って走り出します。
 それにつられて美香も走ります。

 中学二年の子の全力疾走。
 こんなのに意味なんてありません。
 『衝動的に走りたくなった』ということでしょうか。
 おばさん先生二人がすぐに追いつけるはずがありませんから、
二人が追いついて来る、その僅かな間だけでも自由な時間が欲し
かったということなのかもしれません。

 いくらここの規則だといっても、二十四時間張り付かれたら、
そりゃあうっとうしいに決まっていますから……

 そうやって二人が辿り着いたのは蔦の絡まるレンガ造りの洋館
でした。

 「へえ~立派な建物ね」
 美香が感心していると……

 「ここはね、理事長先生の趣味の館なの」
 「趣味?どんな?」
 「絵画や骨董品の収集。でも、みんな悪趣味って言ってるわ」
 ケイトは先生方を振り切ってこれが言いたかったのかもしれま
せん。

 「さあ、入るわよ」
 「いいの?勝手に入って?先生たち待った方がよくない?」
 「平気、平気、別に入場料は取らないから大丈夫よ」

 二人は追ってきた先生方の到着を待たずに中へ入ります。

 広いエントランスは照明が絞られて暗い感じですが、その壁を
取り囲むように掲げられた大きな油彩画にだけは十分なライトが
当たっていました。

 「あら、珍しい!キャシー。久しぶりね」
 中年の婦人がさっそく声を掛けてきます。

 「(へへへへへ)おぼえてたんだ、先生」
 とたんにキャシーは照れ笑い。

 「そりゃあ覚えてるわよ。事もあろうに、この絵の前でお漏ら
しした子だもの。忘れるはずないわ」

 「昔のことじゃない。いつまでもそんなこと覚えてないでよ。
あの時はまだ小学生だったから、ちょっとビックリしただけよ」

 「(えっ!……何なの、これ……)」
 美香は二人の会話を小耳に挟みながらも、一枚の絵に釘付けに
なります。
 それは美香の身長より大きな額縁に描かれたスパンキングの絵
でした。

 銀行員風の真面目そうな父親が、幼い女の子をテーブルの上で
四つん這いにさせてお尻を叩いています。

 きっと画力のあるプロの絵描きさんが描いたのでしょう。少し
無理な構図にも関わらず、絵の大きさともあいまって『なるほど』
と息を飲む迫力です。
 特にその父親の顔に威厳のあること。赤いお尻の子供の表情が
リアルで、今にも悲鳴が聞こえてきそうです。

 『なるほどね、こんな絵を幼い子が見たら、びびるかもね』
 手を伸ばせば掴めそうなくらいの緊迫感に釘付けになった美香
を見てキャシーが声を掛けます。

 「さあ、さあ、そればかり見てないで……ここにはこんな絵が
他にもたくさんあるんだから……この周りの壁一面どれもこれも
スパンキングだらけよ。よくもまあ、こんなくだらない絵を飾る
気になると思うわ」

 キャシーの言う通りでした。
 たまたま目に止まったその絵ばかりではありません。この広い
エントランスの壁一面を飾る油彩画は、そのテーマがどれも同じ
だったのです。

 ここにあるのは、可愛らしい子どもたちが親や教師やシスター
たちからスパンキングや鞭打ちを受けているものばかり。そんな
微笑ましくも残酷な様子を描いた油彩画が大きく立派な額と共に
ドーム型の壁から美香を見つめています。

 確かに幼い子がオシッコをチビっても不思議のない迫力でした。

 「こっち、こっち」
 キャシーは美香がエントランスの絵を一通り見終わる間も与え
ず、隣りの部屋の入口へ行って手を振ります。

 「えっ、何なの?」
 美香が少し不満そうにその入口に向かうと……

 『家庭での折檻』
 入口にそう書かれたプレートが掛かっています。

 「この部屋に飾られている絵はね、偽善はびこるビクトリア朝
時代、貴族社会やブルジョア家庭で繰り広げられたゲームのよう
な子供へのお仕置きをリアルに描いたものなの」
 キャシーが得意げに説明を買って出ます。

 たしかに、正面中央の壁に掛かる絵は大作でした。

 この絵のメインテーマは、古めかしい衣装を身にまとった父親
から鞭の洗礼を受けて震えあがる幼い男の子の姿なのですが……
 この絵はそれだけではありませんでした。よく見ると、主人公
たちの両脇にも、召使によってお浣腸される子供の様子や木馬に
よる見せしめ、部屋の片隅で壁の方を向いて立たせている子ども
など、ありとあらゆるお仕置きが克明に描かれています。

 「ねえ、こんな気味の悪い絵を見に来る人なんているの?」
 美香が尋ねると……

 「自主的にはいないかもね。でも、小学生にはあまり強い折檻
ができないでしょう。その分、悪さをするとよくここへ連れて来
られたわ」

 「へえ~~これって、つまりはお仕置き用なんだ」

 「そうよ、今はだいぶ大人になったから大丈夫だけど、幼い頃
はここにある絵を一枚一枚丁寧に見せられてから、『今日はどの
お仕置きがいいかしらねえ。あなた、どれをやって欲しいの?』
なんて聞かれたものよ。当時はそれだけで結構びびったんだから
……」

 「そうかあ。そうかもしれないわね。……だって、これ、結構
迫力あるもの。……それで、あなた、お漏らししたのね」

 「やめてよ。それは言わないで……あれは、陰険な先生の罠に
引っかかっただけなんだから……あの時は目隠しをされてここに
連れてこられて、いきなりあの絵の前で目隠しが外されたから、
びっくりしただけよ……ほんと、陰険なんだから……」

 キャシーが口を尖らせてそう言うと、入口の方から声がした。

 「誰が陰険なの?……」
 キャシーが振り返るところにケイト先生が……

 「あっ、先生」

 「あっ先生じゃないわよ。……あなたを一人にしておくと何を
言い出すか分からないわね。そうじゃないでしょう。本当はお尻
叩きだったのを、まだここに来たばかりで慣れてないから可哀想
だと思って、絵を見るだけにしてあげたんじゃない。そうしたら、
それも恐くて泣き出したんでしょうが……あの頃はあなたも随分
と可憐な少女だったけど……今は随分図太くなったみたいね」

 「え、そうだったっけ……」
 キャシーが赤い舌をぺロリと出しますから、ケイト先生も思わ
ずため息です。

 「あのう……キャシーっていつからここにいるんですか?」
 まるで痴話げんかのような会話を聞いて、美香がケイト先生に
尋ねます。

 「いつからって……小学校の四年生からよ。それより幼い子は
ここでは預からないから。キャシーは、言わばここの主みたいな
ものなの」

 「そんなに昔から……」

 「そんなに悪い子じゃないんだけど、色々と事情があってね、
ずっとここで預かってるのよ」

 ケイト先生は露骨な言葉を使わなかったが、キャシーは両親が
育児放棄をしたため、そもそも帰る家がない可哀想な子なのだ。
幸い(?)両親にはまとまったお金があったため、こうした施設
を渡り歩き、小4からはずっとここで預かり続けているのだった。

 以来、今回のような短期の中断はあってもおおむねケイト先生
が担任。キャシーにしてみたら、彼女は先生というより育ての親
みたいな存在だったのである。

 「ねえ、さっき見かけた男の子たちって、よくここへ来るの?」

 美香はキャシーに問いかけたのだが、ケイト先生が答えた。
 「中学生以上の子がここへ来ることは稀だけど、小学生の場合
はまだまだ人畜無害ということで、ここもよく使われるわ。……
お仕置きで……」

 「オ・シ・オ・キ」
 お仕置きと聞いて美香は目をぱちくり。
 もちろん、それって意外だったからだが、その心の奥底には、
『ト・キ・メ・キ』という言葉も隠されていたのである。

 『ボーイソプラノの悲鳴』『未熟なオチンチン』をほんの一瞬、
美香は想像してしまったのだ。

 そこで、恐る恐るケイト先生に尋ねてみる。
 「あのう~~、お仕置きってどんなことするんですか?」

 すると……
 「どんなって……彼らの場合は、私たちとそんなに変わらない
わよ。男の子は中学になると罰のほとんどがお尻への鞭打ちなん
だけど、小学生まではお仕置きも男女でそんなに変わらないの。
……そうねえ……だいたい、ここに描かれている絵の内容は……
何でもされると思って間違いないわね」
 ケイト先生は絵画全体をあらためて見回します。

 「小学生って、男の子も、女の子も一緒なんだ」

 美香のつぶやきに、今度はキャシーが入って来た。
 「私もよくやられたけど、これってゲームみたいなの。目隠し
をされたまま、ここにある絵の前に連れてこられてね……目隠し
を取った時に、目の前に現れた絵が、自分が受けるお仕置きって
わけ」

 楽しそうに答えるキャシーに背を向け、美香は、ケイト先生に
尋ねる。

 「随分、手の込んだことをするんですね。何だか、心臓によく
ないみたいだけど……」

 「幼い子の場合は、身体にあまりキツイこともできないから、
なるべく劇的効果で心を揺さぶって改心を迫るの。あなたたちは
もう大きいから、こんなことぐらいでおたおたすることもないで
しょうけど……お漏らしってね、実はキャシーだけじゃないのよ。
……これもね、逆ギレして暴れる子もいたりして、けっこう大変
なんだから…」

 「暴れる子はもっとお仕置きがきつくなるんですか?」

 「仕方ないわ。お仕置きでは耐えることって大事なことだもの」
 ケイト先生は軽く受け流します。

 そして……
 「男の子たち、今頃は博物館に行ってお仕置きの真っ最中かも
しれないわよ」

 「博物館?お仕置きの真っ最中?」
 美香の頭の中に、他人には見せられないよからぬ映像が……

 「ここは美術館だから展示は絵画が中心だけど、中庭を挟んで
向こう側にある建物は博物館になってるの。あそこには、中世の
拷問用具がたくさん展示してあるわ」

 「レプリカも沢山あるから、色々試せるようになってるのよ」
 ケイト先生の言葉を遮るようにキャシーが再び入ってきた。

 「きっと今頃は授業の真っ最中じゃないかなあ?」

 「授業って……何の?」

 「『何の』はないでしょう。ここに来たら、あいつらやること
は一つよ」

 「ん?」

 「何、変な顔して……お仕置きの授業に決まってるじゃない。
……そうだあ、ついでだもん、見学に行きましょうよ」

 キャシーの明るい声が響きますが、美香は尻込みします。
 その美香をからかうように……
 「可愛いわよ。男の子のオチンチン。……中学生になるとさあ、
ちょっと、ちょっとだけど……あいつら、まだチビちゃんだもの。
可愛いもんだわ」

 ケイト先生はしばらく美香の顔色を見ていましたが、そのうち
彼女がまんざらでないことを見抜きます。

 そこで……
 「そうね、行きましょうか」
 と言って誘うと……
 「それがいいわ。何事も経験して損になることはありませんよ」
 という声。
 それは、遅れてやってきた堀内先生の声でした。

 「えっ!……まあ……」
 こうなると、美香だって嫌も応もありませんでした。


 再び合流した四人は数々の晒し台や拷問具がまるで児童公園の
遊具のように並ぶ中庭を横切って、奥の建物へと入っていきます。
 すると、すでに高い天井に反響して鈍い音が木霊していました。

 『何の音だろう?』
 美香の疑問はすぐに解消します。

 開け放たれた広間は、その入口に立っただけでその部屋全体が
見渡せるのですが……

 『あっ!』

 その部屋の奥。ここでは『木馬』と呼ばれているお尻叩き専用
の机に11歳くらいの男の子がしがみ付いているのが見えます。

 ズボンもパンツも脱がされ、今まさに男の先生からゴムパドル
でお尻をぶたれている最中でした。

 まさにいきなり修羅場に遭遇したわけですが……ただ、そこは
女の子世界のような悲壮感というかドロドロとしたものはあまり
感じられませんでした。

 というのも、その子の後ろにはすでに沢山のお友だちがすでに
並んでいます。中には心配そうな顔の子もいますが、笑ってる子
が大半だったのです。

 それって……まるで体育の授業で、跳び箱の順番を待っている
みたいでした。

 「ピシッ……ピシッ……ピシッ」

 どうやら一人三発というのがお約束みたいでした。
 三発だけお尻に鞭を受けると……男の子たちは先生からパンツ
だけを上げてもらって選手交代です。

 『大きな音だけど……きっと、そんなに痛くはないんだわ』
 美香は思いました。
 というのも、男の子たち、先生の鞭がお尻に当たるたびに顔は
しかめますが、泣き出す子はいませんでしたから。

 と、そのうち……

 「あれっ、堀内先生。ご見学ですか?」
 鞭を振るっていた男の先生が入口で見ていたの女性陣に気づき
ます。

 こちらを振り返った男の先生は、30過ぎ位。身長が高くて、
ウェーブのかかった髪をかきあげると、堀の深い顔がのぞきます。
 これがなかなかのイケメンでした。

 「あれ、若杉先生よ。どう?なかなかハンサムでしょう。……
わたし、あの先生の追っかけしたことがあって、ケイト先生から
イヤッてほどお尻叩かれたことがあるの」
 キャシーが美香に耳打ちします。

 「(えっ!)…………」
 美香は、その瞬間、何一言も言わず顔色だって変えません。

 ですが……
 『私も……あの先生にだったら男の子みたいに、お尻をぶたれ
てみたいなあ……』
 なんて、ついつい思ってしまうのでした。

 女の子だって人間ですからね、思春期の頭の中は、実は男の子
とそんなに違いがないんです。思春期の女の子は男の子と同じで
Hな妄想が大好きなんです。

 ただ、女の子というのは、他人に自分がどう見られているかを
第一に考えて行動する人たちですから、どんなにおしゃべりな子
でも、自分が不利になるようなことは決しておしゃべりしません。

 そこで、そんな取澄ました様子を見ていた男の子たちの間に、
『女の子というのは性に関心がないんだ』などという美しい誤解
が生じるのでした。

 『……そうか、男の子たちって強いものね。お尻をぶたれても、
きっと痛くないんだわ』
 美香は入れ替わり立ち代りお仕置き台にうつ伏せになってお尻
をぶたれていく男の子を見ていてそう思います。

 でも、これは女の子の方の誤解でした。男の子だって人間です
からね、お尻をぶたれて痛くないはずがありません。女の子より
脂肪が薄い分、かえって痛いかもしれません。
 男の子は決してスーパーマンではないんです。

 ただ、男の子っていうのは、やせ我慢が大好きでした。理由は
みんなの同情を引きくようなみっともない声を上げたくないから。
お仕置きが終わったあとも、『大変だった』なんて愚痴を言って
いると、ただ一人『あんなの大したことじゃないよ』なんてね、
虚勢を張りたいんですよ。
 つまり、女の子とは違う処で見栄っ張りなんです。

 ですから、これもまた、女の子の側に『男の子って、やっぱり
強いんだ。きっと私たちがぶったくらいじゃこの子たち堪えない
わ……』なんていう誤解が生まれるのでした。

 そんなことを美香が思っていると……
 「どうかしら、少し、お手伝いしましょうか?」
 堀内先生が冗談めかした様子で若杉先生に提案します。

 すると、若杉先生。美香の予想に反して、『いえいえそれには
およびませんよ』という返事をしませんでした。

 「そうですか。……では、そこのお嬢さん方にも、お手伝い、
お願いしてみようかな」
 若杉先生の返事はこうでした。

 『えっ!?悪い冗談』
 美香は思います。
 でも、それって冗談ではありませんでした。

 「やったあ、やらしてくれるの。わたし、やりたい」
 キャシーが無邪気に叫んで、男の子たちのもとへ……

 「いいよ。でも、平手のスパンキングだけだよ。それでもやっ
てくれるかい?」
 キャシーを迎えた若杉先生に何のためらいもありませんでした。

 「もちろんOKよ」
 キャシーはすっかり乗り気で、腕が鳴ると言わんばかりです。

 『バカ言わないでよ。私は嫌よ。知らない男の子のお尻を叩く
なんて……』
 美香は、とんとん拍子に話が進んでいくのを、ただただ驚いて
見ていましたが……

 「あなたも、混ぜてもらいなさいよ。面白いわよ」
 部屋の入口付近に残っていたケイト先生までが美香の肩を抱き
抱えて部屋の中央へ寄っていきます。

 『えっ!わたしも……』
 美香は、もう、ビックリでした。

 もちろん先生たちの会話を聞いていた男の子たちだってそこは
……
 「え~~~~~~~~~~~やだあ~~~~~」
 だったわけですが……

 美香は、あらためて近くで見る少年達の顔が、真剣に嫌がって
いる顔とはちょっぴり違っていると感じます。
 彼ら、これから私たちの膝の上でお尻を叩かれるはずなのに、
それにどこか余裕があるというのか、気のせいかむしろ楽しいと
言わんばかりの顔に、美香には見えるのでした。

 それって、美香にしてみたら、むしろ不気味に感じられます。

 「じゃあ、キャシー。ここに座って……」
 若杉先生はキャシーの為に折りたたみ椅子を用意してくれます。

 「一人、六発ずつと決めてるから、たとえ失敗しても回数を増
やしちゃいけないよ。それと、ズボンはいいけど、パンツは脱が
さないようにね」

 「分かってるよ」
 若杉先生の注意に余裕綽々のキャシー。どうやら彼女、以前に
もこうした経験があるみたいでした。


 というわけで、生贄になった男の子が一人やってきます。

 「お願いします」
 キャシーの前で一礼すると、椅子に腰を下ろしたキャシー膝の
上にうつ伏せになります。

 とっても可愛くて、とっても礼儀正しい子でした。
 その可愛らしい子の半ズボンにキャシーは手をかけます。

 真っ白なブリーフが現れて……
 「痛いけど、我慢してね」
 キャシーはその子のお尻をなでなで……

 そして、最初の一撃を……
 「ピシッ」
 乾いた音が高い天井に届きます。

 男の子は思わず背中を反りますから、痛いと感じていないわけ
がありませんが、男の子の横顔はなぜか笑顔でした。

 キャシーは再び男の子のお尻をなでなですると……
 「次、いくよ」
 一声かけてから、また次の一撃を……

 「ピシッ」
 その甲高い音は広い部屋中どこででも聞こえます。

 男の子の背中が反り上がって……でも、今度はちょっぴり痛い
という顔をしました。

 「ピシッ」
 「あっ……」
 今度は明らかに痛そうな顔になります。

 「ピシッ」
 「いっ……」
 四回目で初めて歯を食いしばります。
 でも、痛みはすぐに逃げてしまうらしく、『ピシッ』と叩かれ
ても時間をおかずすぐにまた笑顔に戻ります。

 美香はそれを見ていて思います。
 『この子たち、私たちより年下だけど泣かないのね。やっぱり
男の子は強いんだわ』

 そして、こうも思うのでした。
 『こんなに強いんだもの。私が思いっきりひっぱたいても多分
大丈夫だわね』

 「ピシッ」
 「ひぃ……」

 「ピシッ」
 「ああああ」
 六回目で初めて男の子の口から悲鳴らしい声が漏れます。
 それに笑顔に戻る時間も少し長くなったみたいでした。

 「痛い?……痛かったら言ってね。緩くしてあげるから……」
 キャシーは自分の膝の上で寝そべる少年に声をかけますが……

 「大丈夫です」
 幼い声が聞こえました。

 「あと半分だから……頑張ってね」
 キャシーは男の子が相手だと、とたんに優しいお姉さんになる
のでした。

 「それ、もう一つ」
 「ピシッ」
 「あっ…痛い」
 男の子は初めて痛いと言いましたが、その直後、顔を激しく横
に振ります。

 「さあ、次よ。歯を喰いしばってね」
 「ピシッ」
 「いやあ~」
 男の子の口から初めて泣き言が漏れます。
 そして、もうそれからは笑顔に戻ることはありませんでした。

 「ピシッ」
 「ぁぁぁ……」
 九回目。声は立てませんが、その表情からかなり痛そうにして
いるのが分かります。
 ただ、それでも男の子は泣きません。

 頑張って、頑張って、頑張って……とにかく、必死に泣かない
ように頑張ってる姿が、美香にはいじらしく感じられます。
 そして、なぜかそんないじらしい姿を見ているうちに……
 『私もやってみよう』と思うのでした。

 「ピシッ」
 「あっっっっっ」
 それまで遠慮がちにキャシーの膝にうつ伏せなっていた男の子
が、この時初めてキャシーの膝にしがみ付きます。

 キャシーとっては待ちに待ったものが来て、内心歓喜していま
した。
 自分の膝に必死になってにしがみ付く年下の少年。
 それは、女の子にしか分からない悦楽だったのです。

 「ピシッ!!」
 「ひぃ~~~」
 キャシーはさっきより強く男の子のお尻を叩きつけ、男の子も
さっきより強くキャシーの膝をその下半身で締め上げます。
 
 『あああ、いいわあ~~~』
 キャシーの悦楽ははさらに高まります。
 許されるなら、このまま、女の子の気持を全開させてその祠を
濡らしてみたいとさえ思うのでした。

 『あ~あ、これで最後か。もったいないなあ。もうちょっと、
やらせてくれたらいいのね』
 キャシーの心はすでに欲望の渦。

 でも、もう少し、もう少しと思うところでやめておくのがいい
のかもしれません。

 キャシーは諦めて、最後の一撃を男の子に見舞います。
 「ピシッ」
 「ぁぁぁぁぁぁ」

 それは、キャシーがこの子に放った一番強い平手打ち。まるで
自分の未練をこれで断ち切るかのような極め付きの一撃だったの
でした。


 「さあ、今度は君の番だ。……大丈夫さ、噛み付いたりしない
から……恐がらずにやってごらん。何事も経験だよ」
 若杉先生は物怖じする美香を励まします。

 今度は、美香の番です。
 美香は、女の子らしく怖気づいたような顔をしていましたが、
でも、それは『はい、わたしやります』と言って手を上げるのが
恥ずかしかったから。
 本当のところ、腹は決まっていたのでした。

 ドキドキで座る初めての椅子。その膝に乗るゴツゴツした感じ
のお尻。そして、彼女もまたキャシーと同じ経験をするのでした。

 男の子の下半身で自分の膝を締め上げられるという、不思議な
快感。それは、美香が生まれてこの方一度も経験したことのない
悦楽。

 12回が終わったあと……
 キャシーがそう望んだように美香もまた『もう一人』と心の中
でねだってしまうのでした。


***** 見沼教育ビレッジ <第2章> (2) *****

お灸ブームの火付け役 ~昔話~

お灸ブームの火付け役

 僕の家の近所に豆腐屋のお婆さんがいた。
 豆腐屋さんと言っても豆腐を製造販売しているわけではなく、
お店から商品を預かってリアカーで売り歩く委託販売だから日々
の稼ぎはしれたものだろうけど、このお婆さん、なぜかご近所の
おかみさん連中からはけっこう人気があった。

 気がつけば商売そっちのけで近所のおかみ連中と話し込んでる
なんてことも多々あった人なのだ。

 私の母なども、「あの人は、昔、遣り手だったから、やっぱり
話がうまいわ」などとよく感心していた。
 そこで僕は『このお婆さんがきっと商売上手なんだ』とばかり
思っていたのだが……

 これは僕の大いなる勘違いで、このお婆さん、決して豆腐屋の
商売に熱心ではなかった。そっちは老人一人、何とか食べていけ
ればそれでよかったのである。

 そもそもこの婆さん、はじめから豆腐屋だったわけではない。
私が生まれた頃は売春防止法施行前でご近所にあった遊郭も合法。
お婆さんはそこの『遣り手ばばあ』だったのだ。

 この『遣り手ばばあ』、道行く人の袖を引いては店の女の子を
紹介するのが仕事。今の言葉で言うならポン引きというところか。
もともとお女郎さんだった人が店に残って商売替えするケースが
多かったようだ。

 このお婆さん、うちの質店でも常連さんで……
 『店に上がりたいが軍資金が…』などと言って渋るお客さんの
コートなり腕時計なりを剥ぎ取るように持ってきてはお金にかえ
ていったそうだ。
 まさにお客の軍資金調達係りというわけだ。

 その遣り手の仕事は、何もお客さんを連れて来る営業だけでは
ない。
 昼間は店の掃除からお女郎さんの労務管理まで任されていて、
病気のケアや堕胎の手配、はては逃げ出したお女郎さんの折檻も
お婆さんの仕事だった。

 この時の折檻に、実はお灸も使われていて、このお婆さん、
いつの間にか、お仕置きとしてのお灸のオーソリティーになって
いたらしい。そして、『やり手』引退後はしきりにそれを近所の
おかみさん連中に吹聴していたのだ。

 すると、そんなお婆さんの経験談を聞いていたおかみさんたち
の間で、子供のお仕置きにお灸が一大ブームになったというわけ。
 つまり、私たちは大いに迷惑をしたというわけです。

 だから、昭和三十年代は日本国中でお灸のお仕置きが行われて
いて、みんな親からお灸を据えられていたなんて言ったらそれは
嘘です。その当時でも、お灸のお仕置きを受けた人はごく一部で
しょう。

 ただ、今に比べたらはるかにポピュラーなお仕置きだったのも
事実です。
 それまで何もなかった白い太股にある日突然お灸による火傷の
痕を見つけた時はびっくりしました。当時は、女の子だから絶対
にないとまでは言えないお仕置きだったのです。

************************

Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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