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美 国 園 <1> ガイダンス
美 国 園
丹沢の山の中に美国園という学校がある。
学校といっても開校するのは夏休みだけ。それ以外の時期は、
静かな修道院がそこにあるだけだ。
山あいの修道院が、夏の間だけちょっぴり賑やかになる。
広い敷地、緑に囲まれた修道院の一角に、毎年、この時期だけ、
年頃の少女達が集められてくるのだ。
下は11歳から上は18歳までと年齢幅も広く、これといった
個性や特徴も見られない。学業成績や芸術的センス、運動能力、
容姿やスタイルなど、全てがバラバラの少女達なのだが……ただ、
共通した部分もあった。
見る人が見ればわかることなのだが、彼女たち、その何気ない
仕草に品性が隠せない。
実はここに集まる娘たち。普段街中ではお嬢様と呼ばれていた
少女たちなのだ。
勿論、一口にお嬢様といっても、みんながみんな庶民のお手本
になるほど品行方正というわけではない。ここに集まった娘たち
について言えば、親も手を焼くほどヤンチャな子が多かった。
そう、ここはお嬢様専用のリフォーム学校。素行に問題のある
少女を修道院のシスターが夏休みの期間だけ預かり更生を目指す
全寮制の施設だったのである。
もちろん、出来損ないのお嬢様といえど夏休みは家族と過ごす
大切な時間。どの家族でも水入らずでバカンスを楽しむ時期だ。
それを全寮制の施設に入れるのは親としても苦渋の決断だったに
違いない。
しかしそれほどまでに事態が深刻だったから、親としてもやむ
なしだったのだ。
少女だちの間で『ゲシュタポ』と呼ばれて恐れられていたこの
施設は、ここに入れられた子の多くが、夏休み後豹変するとして
有名な場所だったのである。
ここの卒業生たちは、なぜかリフォーム学校での生活について
多くを語らないが、誰しも、その豹変の原因がシスターたちから
毎日毎日頭を撫でられ可愛がられたせいだとは思わないわけで、
ここでの生活が家庭での生活とは比べられないほど過酷だった事
は容易に想像がつくことだった。だからゲシュタポなのである。
それが証拠に、父親から「今年の夏も美國園に行きなさい」と
命じられると、それだけで家出する子が珍しくなかったのである。
そこで、親の方も、ここでの夏休みを出発の当日まで娘に伝え
ないのが普通で、中には、睡眠薬を使い自宅ベッドからそのまま
娘を車に乗せて修道院へ送り届けた親やもっと乱暴に他人を雇い
学校からいきなり娘を拉致して修道院へ……なんてのもあった。
これはそんな猛者たちが集まる更生施設でのお話。静かな環境、
穏やかなシスターたちに囲まれていても、娘たちの日常は、煉獄、
……いや、地獄そのものだったというお話である。
****************************
<1> ガイダンス
~ 中一グループ ~
進藤佳苗(しんどう・かなえ)
松倉亜美(まつくら・あみ)
三井由香里(みつい・ゆかり)
吉田恵子(よしだ・けいこ)
木島弥生(きじま・やよい)
~ 修道院のシスターたち ~
エリザベス・サトウ<院長先生>
小林・樹理(こばやし・じゅり)<鞭・担当>
湯浅・良子(ゆあさ・りょうこ)<浣腸・担当>
日下部・秀子(くさかべ・ひでこ)<お灸・担当>
#####################
美国園の入園式は毎年7月25日。
当時の学校はこの日が一学期の終業式と決められていたから、
リフォーム学校の美国園もそれに合わせて開校する。
終業式と入園式が同日なのは、午前中それぞれの学校で終業式
を終えた娘たちが通知表を貰って校門を出ると、そこにいきなり
手配されたハイヤー待ち構えていて、依頼者を乗せるとそのまま
丹沢の山中へ連れて行ってくれるからだ。
「ねえ、佳苗。急いでどこに行くの?」
佳苗がハイヤーに乗り込もうとする瞬間、友だちが問いかける。
女の子たちはこうした情報に敏感で、すでに佳苗の行く先を知り、
からかっているのだ。
「丹沢よ。去年も行って飽き飽きしたけど、うちはそこにしか
別荘がないから仕方がないわ。……あなたたちも、一緒に来る?
ご招待するわよ」
対する佳苗も思いっきりの作り笑いで切り替えす。
もちろん軽いジョーク。でも、悲しいジョークだった。
1学期が押し詰まり、親や教師の態度からこうなることは佳苗
も薄々感じていた。
そこで逃げ出す算段も色々と考えてはみたが、後々のことまで
考えると、中一の彼女にそこまでの決断はできなかったのである。
昨年は手配された車に佳苗がなかなか乗り込めず、大男が二人
がかりで背中を押し込んで、拉致まがいに丹沢へ出発した。
それに比べれば今年は友だちとジョークも言えたからスムーズ
だったが、もちろん、両親への挨拶はなかった。
ハイヤーが東名高速を失踪するなか、佳苗の脳裏に、昨年の夏、
美国園で起こった様々な出来事が走馬灯のように駆け巡る。
いずれも辛い経験ばかり。その一つ一つが思い出されるたびに
彼女は足をすくませ、太股をしっかり閉じるのだった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
修道院に着くと、その中庭に同じ年頃の子が何人もたむろして
いた。
全員が学校の制服をきているが、持ち物は通知表を入れる薄い
カバンくらいなもの。もちろん着替えなどは持ち込んでいない。
そもそもここではそんな物いらなかったのである。
やがて、予定人数がこの庭に集まっていることを確認すると、
突然、建物の中から一斉に二十人ものシスターが現れる。
『何事?』と戸惑う女の子たちを前に、一人のシスターがこう
指示を出した。
「さあ、みなさん、これから講堂でこれから先の日程やあなた
たちの生活についてガイダンスを行いますから、まずは、今、着
ている服を全て脱いでください」
シスターの指示に動揺する子供たち。
「え~~どうしてよ~~ガイダンスを受けるのと服を脱ぐのと
何の関係もないじゃない」
一人の生徒が不満を口にする。
それは、至極当然に思えるのだが……。
女生徒の疑問にシスターたちは言葉では答えなかった。
その疑問をぶつけた子の身体が、ひときわ屈強な身体に見える
シスター二人によって押さえつけられるとスカート裾が捲られる。
まさに電光石火の早業だった。
ひょっとしたら、あまりに一瞬の出来事でその子も恥ずかしい
と感じる間がなかったかもしれない。
「ピシッ」
「痛い!」
その子が初めて声を上げたのは、シスター二人がかりで押さえ
つけられたお尻に、三人目のシスターが革紐鞭を思いっきり振り
下ろした直後だった。
「この修道院は私語厳禁です。ここへ来る途中、乗ってきた車
で運転手さんから説明を受けませんでしたか?」
「えっ?……あっ、……はい」
「分かったら、以後は慎みなさい。次はこれくらいではすみま
せんよ。当、修道院では、地位のある年長者や諸先輩方に対して
目下の者が自分から口をきくことが許されていません」
「はい……あ、いえ……ただ、私は……ちょっと質問を……」
恐る恐る抗弁してみるが……
「それもできません。質問も私語の一つです。あなたは新参者
ですから私たちの言う通りに行動すればそれでいいのです。それ
以外は何も求められていませんから」
木で鼻をくくったような、高圧的な態度。
「……そんなあ」
小さな声が前かがみになったために長い髪で隠れてしまった顔
から聞こえて来る。彼女は依然としてパンツ丸出しだった。
「あなた方に欠けているのは、どんな命令にも従順に従う素直
な心とどんな事にも耐え忍ぶ忍耐力です。それがないからここで
それを学ぶことになったんです。いいですか、あなた方が使って
いい言葉は三つだけ。…『はい、院長先生』…『はい、シスター』
…『はい、お姉様』……これ以外の言葉は忘れてしまって結構よ。
それが何よりあなたのためでもあるわ。分かりましたか?」
「…………」
答えが返って来ないとみるや、シスターの言葉が一段強くなる。
「分かりましたか!!」
「はい、シスター」
弥生はこう言うしかなかった。
でなければ、いつまでもこの姿勢を取らされかねないと悟った
からだ。
当然、この様子は他の子たちも見ていた。
修道院の厳しい戒律を世間知らずの小娘に教えるには本人だけ
でなくほかの子にもそれを見せておかなければならない。
一罰百戒。それも最初が肝心だとシスターは経験の中で知って
いたのだった。
このことがあって、娘たちは澄み切った青空のもと自分たちの
制服を次々に脱いでいく。与えられた私物入れの大きな袋の中に
着ている服を脱いで納めていくのだ。
しかし、その手はすぐに止まる。ブラウスにまでは及ばかった。
自分のブラウスに、一瞬、手を掛けつつも相手の様子を窺い、
結局はその手を離してしまう。
すると、ここでも弥生が犠牲になった。
弥生も事情は同じ。女の子たちがブラウスから手を離している
のを見ると自分もそれから先へは進まないのだ。
すると、シスターはまたもや二人の配下に命じて弥生の身体を
拘束する。
そして『ブラウスはこうして脱ぐのよ』とお手本を示すのだ。
ジュニアブラとショーツだけの華奢な身体。
それはシスターが当初から望んでいた姿だ。
「中学の子、こっちへいらっしゃい。こちらから、中一、中二、
中三って並んでグループになります」
「小学生はこちらですよ。四年生の子はこちら。五年生の子は
この辺に集まって、六年生はここでいいわ。みんな仲良くします」
「高校生たちはこちらですよ。こちらから高一、高二、高三で
一列に並びます」
シスターが各学年ごとに生徒を振り分ける。
彼女たちは、本来、地元では札付きの少女たち。学校での朝礼
でもこれほどおとなしく大人たちの指示に従ったりはしないはず
だが見知らぬ土地でいきなり見せられた鞭打ちが効果を発揮した
ようだった。
「それでは、講堂の方へ行きましょうか」
さきほど、弥生のお尻に鞭を一撃与えた上級シスターが先頭と
なり、各学年5人ずつ、合計45人の少女たちを先導して、講堂
へと案内する。
修道院のエンブレムが掘られた大きく開いた鉄の扉。
少女たちにとっては、この黒い扉の先がまさに地獄だったので
ある。
=========================
三國園の講堂は入口を入るといきなり下り階段がなっていて、
座席はその下り階段の一段一段に平行して設置してある。全体が
すり鉢状になった構造のため、階段を下りきった最底部が舞台と
なる。生徒たちにとってその舞台は見上げるのではなく覗き込む
といったかたちになるのだった。
このように生徒が覗き込んで見学するこの方式は、手元までが
はっきり見える為、昔は解剖学など技能実習を伴うような教室で
よく使用されていた。
ここで技能実習は行われないものの趣旨は同じようなもので、
院長先生はあることを生徒たちの心に焼き付けたいと願い、この
ような方式を採用したのである。
そのすり鉢型の講堂に生徒たちが入ってくる。
小学生、中学生、高校生、それぞれに担当のシスターがいて、
子供たちは予定された座席に腰を下ろす。
身体の大きさから、舞台に一番近い場所が小学生、その後ろが
中学生、一番遠い場所が高校生となったが、ここは大きな劇場で
はない。たとえ一番後ろの席でも舞台までの距離は遠くない。
そこで、どの席から見ていても、今、舞台で、何が起きている
のか、手に取るようにわかった。また、舞台から見ていても着席
した生徒たちがブラとショーツ姿なのが丸見えだったのである。
いくら夏とはいえ炎天下のお庭とは違い地下室になった講堂は
裸でいては寒い。そこを修道院側も感じてのことだろう、生徒達
にはさっそく白いワンピースが配られた。
ただ、それは普段彼女たちが着ている仕立て屋の仮縫いを経て
手元に届く注文服ではない。大まかなサイズだけが合っていれば
それでよいという、いわば吊るしの既製服。生地は綿でレースの
飾りもない。ただ暑さ寒さと恥ずかしさをしのぐだけのこの服は
お嬢様にしてみたら囚人服と何ら変わらなかった。
ただ、今の身の上を考えると裸よりはまだマシと思うほかない。
しかも先ほどは、お庭でお友だちのあんな姿を見せられたばかり。
巷では札付きと呼ばれる少女たちも、ご挨拶で演壇に立った院長
先生に向かって野次を飛ばす勇気までは出ない様子だった。
「みなさん、こんにちわ。私がこの修道院の院長、エリザベス・
サトウです。みなさんの中には、昨年もここへ来たので、私の顔
なんて二度と見たくないと思う人もいるでしょうけど、反対に、
終業式の日に突然、車でここに連れて来られて、何が何だか理解
できずに戸惑ってる人も多いのではないでしょうか。……そこで、
いちおう説明しておきますと……みなさんにとっては大変残念な
ことなんですが……ここにいるみなさんは、全員が、お父様から
一学期の成績や素行がよろしくないということで、罰を受けた方
ばかりなんです。もちろんお仕置きは、本来、お父様がご自身で
なさるものですが、お父様は私たちを頼られました。『何とか、
娘を救って欲しい』どのお父様も真剣に私に訴えかけられます。
そこで、やむなくお父様の切なる願いを受けて、本来お父様から
受けるべき罰を、この私が、お父様に代わってあなた方に授ける
というわけです。……という事は、……ここでのお仕置きは全て
あなた方のお父様からのもの。お父様が家でなさるお仕置きと、
同じ試練なのです。ですから、ここで行われるお仕置きは虐待や
虐めではありません。むしろ、これはお父様の愛の証しなのです。
ですから、あなたも私たちからのお仕置きを心して受けなければ
なりません。……いいですね!」
院長先生は、ここで一度聴衆を見回す。
すると小学生はおどおど。泣き出す子もいる。中学生になると
呆気に取られ、しょんぼり。高校生は何か言いたげに白けた顔を
している子がほとんどだった。
しかし、こうした光景もここでは例年通りだ。
そこで院長先生はガイダンスをこう続けたのだが……。
「期間は6週間。ちょっと長いように感じるかもしれませんが
……」
そこまでしゃべった時だ。
「え~~6週間って、それじゃあ夏休み全部ってことじゃない
ですか。そんなの人権蹂躙ですよ」
突然、演壇に向かって誰かが叫ぶ。
その声は中学生グループの中からあがったようだった。
おそらく、彼女だってお庭での一件は見ていたはず。だから、
自重できたはずだったが……
『どっちにしても、この修道院は日本にあるのだから……』
彼女の悲劇は、この修道院の敷地内で日本の常識が通用すると
信じてしまったことだったのである。
「シスター樹理、あなた、この子達にうちでの規則は説明しま
したか?」
院長先生はまず傍らに控えるシスターに尋ねる。
当然、答えは……
「はい、院長先生。さきほどお庭で全員に伝えました」
「そうですか」
シスターの言葉を受けて院長先生は、ただそれだけ言っただけ
だったのだが……
たちまち、身分の低い二人のシスターが、野次を飛ばした子の
座る椅子へ直行。まだ子ども子どもした少女が両脇を抱えられる。
少女は抵抗したが、まるで牛蒡でも引き抜くようにその子のお尻
を座席から離すのにそう多くの時間は掛からなかった。
「えっ、何なの……」
身体をごぼう抜きにされた少女は事態の急変に驚き青ざめたが、
彼女をごぼう抜きにしたシスター二人はというと、少女がどんな
に口汚い罵声を浴びせても、顔色一つ変えず、また何一つ言葉を
発しなかったのである。
そして、少女は無言のまま舞台へと連行されていく。
客席とは極端に違う明るい照明のもと、犯人が引っ立てられて
来る。しかし、やる事はお庭での出来事と同じだった。
「いやあ~~」
前か屈みにされたところで恥ずかしさはさほど変わらないはず
だが、その瞬間、鞭の恐怖が頭の隅をよぎったのだろう、思わず
悲鳴を上げてしまう。
すると、それまでただただ状況を見守っていた院長先生が一言。
「ここでは悲鳴も私語も一つとしてカウントしますから、騒げ
ばそれだけ鞭の数が増えますよ」
と注意。
その言葉どおり、二人のシスターに体を前屈みの姿勢のままで
がっちりと押さえつけられた少女のお尻にゴムの鞭が飛ぶ。
「ピシッ」
「……(ひっ)……」
「ピシッ」
「……(ひっ)……」
立て続けに二回、かなり思い切った勢いでゴムの鞭がまだ幼い
少女のお尻にヒットする。
おそらく、院長先生の言葉が彼女の耳にも聞こえたのだろう。
決して楽に受けられる痛みではなかったが、少女はそれを必死に
我慢した。
そして、その痛みが幾分治まった頃、自分のお尻が他の子たち
から丸見えだとわかって、顔を赤らめたのだった。
それほど、ぶたれた彼女にとっても、それを見ていた他の友達
にしても、それはあっという間の出来事だったのである。
二発の懲戒が終わり演壇に戻ってきた院長先生は目を丸くして
舞台を見つめる少女たちに向かって、こう語りかけたのである。
「みなさん、みなさんは野蛮人ではありませんから、世の中で
何がよいことで何が悪いことなのか、何をしてはいけないのか、
何をしなければならないのかは知っています。学校のテストで、
それを問われたらきっと満点でしょう。でも、実際にはできない。
できなかった。それはなぜでしょう?どんなに知識が豊富でも、
言葉使いが巧みでも、それで欲望や悪心といった心を制御できる
わけではありません。では、これまでは何があなた方の悪い行い
を制御してきたのでしょうか。それは、親御さんたちがあなた達
に与えた愛の鞭あってのことなのです。悪心が芽生えるたびに、
鞭の痛みが、やめなければいけないという気持を起こさせてきた
のです。ところが、人間は知恵がついてくると、その知恵を自分
勝手に解釈して邪悪で自堕落な行いを正当化しようと試みます。
ここでは、それを避ける為に日常会話を制限するのです。勿論、
それだけではありません。かつて親御さんたちがなさったような
訓練を行います。お尻への痛みと恥ずかしさをたっぷり体の中に
染み込ませて、悪心が心を支配する前に、やめようという気持を
起こさせるのです。6週間というのは長く感じられるかもしれま
せんが、長い人生の中にあっては、むしろ短い時間です。決して
無駄な時間にはなりませんから私たちと一緒に頑張りましょう」
ガイダンスの終わりにまばらだが拍手が起こった。
きっと、こういう時には拍手をするものだと教えられているの
だろう。もちろん院長先生の言葉が小学生にどれほど理解できた
かは疑問だし、この拍手だって、本心とは関係ないんだろうが、
ここに集まった少女たちは、どの子も良家の子女ばかり、野良猫
と同じように収容先に着いたらいきなり折檻というわけにもいか
なかった。
「……次は、身体検査ね」
院長先生はそう言って演壇を降りたのだった。
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丹沢の山の中に美国園という学校がある。
学校といっても開校するのは夏休みだけ。それ以外の時期は、
静かな修道院がそこにあるだけだ。
山あいの修道院が、夏の間だけちょっぴり賑やかになる。
広い敷地、緑に囲まれた修道院の一角に、毎年、この時期だけ、
年頃の少女達が集められてくるのだ。
下は11歳から上は18歳までと年齢幅も広く、これといった
個性や特徴も見られない。学業成績や芸術的センス、運動能力、
容姿やスタイルなど、全てがバラバラの少女達なのだが……ただ、
共通した部分もあった。
見る人が見ればわかることなのだが、彼女たち、その何気ない
仕草に品性が隠せない。
実はここに集まる娘たち。普段街中ではお嬢様と呼ばれていた
少女たちなのだ。
勿論、一口にお嬢様といっても、みんながみんな庶民のお手本
になるほど品行方正というわけではない。ここに集まった娘たち
について言えば、親も手を焼くほどヤンチャな子が多かった。
そう、ここはお嬢様専用のリフォーム学校。素行に問題のある
少女を修道院のシスターが夏休みの期間だけ預かり更生を目指す
全寮制の施設だったのである。
もちろん、出来損ないのお嬢様といえど夏休みは家族と過ごす
大切な時間。どの家族でも水入らずでバカンスを楽しむ時期だ。
それを全寮制の施設に入れるのは親としても苦渋の決断だったに
違いない。
しかしそれほどまでに事態が深刻だったから、親としてもやむ
なしだったのだ。
少女だちの間で『ゲシュタポ』と呼ばれて恐れられていたこの
施設は、ここに入れられた子の多くが、夏休み後豹変するとして
有名な場所だったのである。
ここの卒業生たちは、なぜかリフォーム学校での生活について
多くを語らないが、誰しも、その豹変の原因がシスターたちから
毎日毎日頭を撫でられ可愛がられたせいだとは思わないわけで、
ここでの生活が家庭での生活とは比べられないほど過酷だった事
は容易に想像がつくことだった。だからゲシュタポなのである。
それが証拠に、父親から「今年の夏も美國園に行きなさい」と
命じられると、それだけで家出する子が珍しくなかったのである。
そこで、親の方も、ここでの夏休みを出発の当日まで娘に伝え
ないのが普通で、中には、睡眠薬を使い自宅ベッドからそのまま
娘を車に乗せて修道院へ送り届けた親やもっと乱暴に他人を雇い
学校からいきなり娘を拉致して修道院へ……なんてのもあった。
これはそんな猛者たちが集まる更生施設でのお話。静かな環境、
穏やかなシスターたちに囲まれていても、娘たちの日常は、煉獄、
……いや、地獄そのものだったというお話である。
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<1> ガイダンス
~ 中一グループ ~
進藤佳苗(しんどう・かなえ)
松倉亜美(まつくら・あみ)
三井由香里(みつい・ゆかり)
吉田恵子(よしだ・けいこ)
木島弥生(きじま・やよい)
~ 修道院のシスターたち ~
エリザベス・サトウ<院長先生>
小林・樹理(こばやし・じゅり)<鞭・担当>
湯浅・良子(ゆあさ・りょうこ)<浣腸・担当>
日下部・秀子(くさかべ・ひでこ)<お灸・担当>
#####################
美国園の入園式は毎年7月25日。
当時の学校はこの日が一学期の終業式と決められていたから、
リフォーム学校の美国園もそれに合わせて開校する。
終業式と入園式が同日なのは、午前中それぞれの学校で終業式
を終えた娘たちが通知表を貰って校門を出ると、そこにいきなり
手配されたハイヤー待ち構えていて、依頼者を乗せるとそのまま
丹沢の山中へ連れて行ってくれるからだ。
「ねえ、佳苗。急いでどこに行くの?」
佳苗がハイヤーに乗り込もうとする瞬間、友だちが問いかける。
女の子たちはこうした情報に敏感で、すでに佳苗の行く先を知り、
からかっているのだ。
「丹沢よ。去年も行って飽き飽きしたけど、うちはそこにしか
別荘がないから仕方がないわ。……あなたたちも、一緒に来る?
ご招待するわよ」
対する佳苗も思いっきりの作り笑いで切り替えす。
もちろん軽いジョーク。でも、悲しいジョークだった。
1学期が押し詰まり、親や教師の態度からこうなることは佳苗
も薄々感じていた。
そこで逃げ出す算段も色々と考えてはみたが、後々のことまで
考えると、中一の彼女にそこまでの決断はできなかったのである。
昨年は手配された車に佳苗がなかなか乗り込めず、大男が二人
がかりで背中を押し込んで、拉致まがいに丹沢へ出発した。
それに比べれば今年は友だちとジョークも言えたからスムーズ
だったが、もちろん、両親への挨拶はなかった。
ハイヤーが東名高速を失踪するなか、佳苗の脳裏に、昨年の夏、
美国園で起こった様々な出来事が走馬灯のように駆け巡る。
いずれも辛い経験ばかり。その一つ一つが思い出されるたびに
彼女は足をすくませ、太股をしっかり閉じるのだった。
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修道院に着くと、その中庭に同じ年頃の子が何人もたむろして
いた。
全員が学校の制服をきているが、持ち物は通知表を入れる薄い
カバンくらいなもの。もちろん着替えなどは持ち込んでいない。
そもそもここではそんな物いらなかったのである。
やがて、予定人数がこの庭に集まっていることを確認すると、
突然、建物の中から一斉に二十人ものシスターが現れる。
『何事?』と戸惑う女の子たちを前に、一人のシスターがこう
指示を出した。
「さあ、みなさん、これから講堂でこれから先の日程やあなた
たちの生活についてガイダンスを行いますから、まずは、今、着
ている服を全て脱いでください」
シスターの指示に動揺する子供たち。
「え~~どうしてよ~~ガイダンスを受けるのと服を脱ぐのと
何の関係もないじゃない」
一人の生徒が不満を口にする。
それは、至極当然に思えるのだが……。
女生徒の疑問にシスターたちは言葉では答えなかった。
その疑問をぶつけた子の身体が、ひときわ屈強な身体に見える
シスター二人によって押さえつけられるとスカート裾が捲られる。
まさに電光石火の早業だった。
ひょっとしたら、あまりに一瞬の出来事でその子も恥ずかしい
と感じる間がなかったかもしれない。
「ピシッ」
「痛い!」
その子が初めて声を上げたのは、シスター二人がかりで押さえ
つけられたお尻に、三人目のシスターが革紐鞭を思いっきり振り
下ろした直後だった。
「この修道院は私語厳禁です。ここへ来る途中、乗ってきた車
で運転手さんから説明を受けませんでしたか?」
「えっ?……あっ、……はい」
「分かったら、以後は慎みなさい。次はこれくらいではすみま
せんよ。当、修道院では、地位のある年長者や諸先輩方に対して
目下の者が自分から口をきくことが許されていません」
「はい……あ、いえ……ただ、私は……ちょっと質問を……」
恐る恐る抗弁してみるが……
「それもできません。質問も私語の一つです。あなたは新参者
ですから私たちの言う通りに行動すればそれでいいのです。それ
以外は何も求められていませんから」
木で鼻をくくったような、高圧的な態度。
「……そんなあ」
小さな声が前かがみになったために長い髪で隠れてしまった顔
から聞こえて来る。彼女は依然としてパンツ丸出しだった。
「あなた方に欠けているのは、どんな命令にも従順に従う素直
な心とどんな事にも耐え忍ぶ忍耐力です。それがないからここで
それを学ぶことになったんです。いいですか、あなた方が使って
いい言葉は三つだけ。…『はい、院長先生』…『はい、シスター』
…『はい、お姉様』……これ以外の言葉は忘れてしまって結構よ。
それが何よりあなたのためでもあるわ。分かりましたか?」
「…………」
答えが返って来ないとみるや、シスターの言葉が一段強くなる。
「分かりましたか!!」
「はい、シスター」
弥生はこう言うしかなかった。
でなければ、いつまでもこの姿勢を取らされかねないと悟った
からだ。
当然、この様子は他の子たちも見ていた。
修道院の厳しい戒律を世間知らずの小娘に教えるには本人だけ
でなくほかの子にもそれを見せておかなければならない。
一罰百戒。それも最初が肝心だとシスターは経験の中で知って
いたのだった。
このことがあって、娘たちは澄み切った青空のもと自分たちの
制服を次々に脱いでいく。与えられた私物入れの大きな袋の中に
着ている服を脱いで納めていくのだ。
しかし、その手はすぐに止まる。ブラウスにまでは及ばかった。
自分のブラウスに、一瞬、手を掛けつつも相手の様子を窺い、
結局はその手を離してしまう。
すると、ここでも弥生が犠牲になった。
弥生も事情は同じ。女の子たちがブラウスから手を離している
のを見ると自分もそれから先へは進まないのだ。
すると、シスターはまたもや二人の配下に命じて弥生の身体を
拘束する。
そして『ブラウスはこうして脱ぐのよ』とお手本を示すのだ。
ジュニアブラとショーツだけの華奢な身体。
それはシスターが当初から望んでいた姿だ。
「中学の子、こっちへいらっしゃい。こちらから、中一、中二、
中三って並んでグループになります」
「小学生はこちらですよ。四年生の子はこちら。五年生の子は
この辺に集まって、六年生はここでいいわ。みんな仲良くします」
「高校生たちはこちらですよ。こちらから高一、高二、高三で
一列に並びます」
シスターが各学年ごとに生徒を振り分ける。
彼女たちは、本来、地元では札付きの少女たち。学校での朝礼
でもこれほどおとなしく大人たちの指示に従ったりはしないはず
だが見知らぬ土地でいきなり見せられた鞭打ちが効果を発揮した
ようだった。
「それでは、講堂の方へ行きましょうか」
さきほど、弥生のお尻に鞭を一撃与えた上級シスターが先頭と
なり、各学年5人ずつ、合計45人の少女たちを先導して、講堂
へと案内する。
修道院のエンブレムが掘られた大きく開いた鉄の扉。
少女たちにとっては、この黒い扉の先がまさに地獄だったので
ある。
=========================
三國園の講堂は入口を入るといきなり下り階段がなっていて、
座席はその下り階段の一段一段に平行して設置してある。全体が
すり鉢状になった構造のため、階段を下りきった最底部が舞台と
なる。生徒たちにとってその舞台は見上げるのではなく覗き込む
といったかたちになるのだった。
このように生徒が覗き込んで見学するこの方式は、手元までが
はっきり見える為、昔は解剖学など技能実習を伴うような教室で
よく使用されていた。
ここで技能実習は行われないものの趣旨は同じようなもので、
院長先生はあることを生徒たちの心に焼き付けたいと願い、この
ような方式を採用したのである。
そのすり鉢型の講堂に生徒たちが入ってくる。
小学生、中学生、高校生、それぞれに担当のシスターがいて、
子供たちは予定された座席に腰を下ろす。
身体の大きさから、舞台に一番近い場所が小学生、その後ろが
中学生、一番遠い場所が高校生となったが、ここは大きな劇場で
はない。たとえ一番後ろの席でも舞台までの距離は遠くない。
そこで、どの席から見ていても、今、舞台で、何が起きている
のか、手に取るようにわかった。また、舞台から見ていても着席
した生徒たちがブラとショーツ姿なのが丸見えだったのである。
いくら夏とはいえ炎天下のお庭とは違い地下室になった講堂は
裸でいては寒い。そこを修道院側も感じてのことだろう、生徒達
にはさっそく白いワンピースが配られた。
ただ、それは普段彼女たちが着ている仕立て屋の仮縫いを経て
手元に届く注文服ではない。大まかなサイズだけが合っていれば
それでよいという、いわば吊るしの既製服。生地は綿でレースの
飾りもない。ただ暑さ寒さと恥ずかしさをしのぐだけのこの服は
お嬢様にしてみたら囚人服と何ら変わらなかった。
ただ、今の身の上を考えると裸よりはまだマシと思うほかない。
しかも先ほどは、お庭でお友だちのあんな姿を見せられたばかり。
巷では札付きと呼ばれる少女たちも、ご挨拶で演壇に立った院長
先生に向かって野次を飛ばす勇気までは出ない様子だった。
「みなさん、こんにちわ。私がこの修道院の院長、エリザベス・
サトウです。みなさんの中には、昨年もここへ来たので、私の顔
なんて二度と見たくないと思う人もいるでしょうけど、反対に、
終業式の日に突然、車でここに連れて来られて、何が何だか理解
できずに戸惑ってる人も多いのではないでしょうか。……そこで、
いちおう説明しておきますと……みなさんにとっては大変残念な
ことなんですが……ここにいるみなさんは、全員が、お父様から
一学期の成績や素行がよろしくないということで、罰を受けた方
ばかりなんです。もちろんお仕置きは、本来、お父様がご自身で
なさるものですが、お父様は私たちを頼られました。『何とか、
娘を救って欲しい』どのお父様も真剣に私に訴えかけられます。
そこで、やむなくお父様の切なる願いを受けて、本来お父様から
受けるべき罰を、この私が、お父様に代わってあなた方に授ける
というわけです。……という事は、……ここでのお仕置きは全て
あなた方のお父様からのもの。お父様が家でなさるお仕置きと、
同じ試練なのです。ですから、ここで行われるお仕置きは虐待や
虐めではありません。むしろ、これはお父様の愛の証しなのです。
ですから、あなたも私たちからのお仕置きを心して受けなければ
なりません。……いいですね!」
院長先生は、ここで一度聴衆を見回す。
すると小学生はおどおど。泣き出す子もいる。中学生になると
呆気に取られ、しょんぼり。高校生は何か言いたげに白けた顔を
している子がほとんどだった。
しかし、こうした光景もここでは例年通りだ。
そこで院長先生はガイダンスをこう続けたのだが……。
「期間は6週間。ちょっと長いように感じるかもしれませんが
……」
そこまでしゃべった時だ。
「え~~6週間って、それじゃあ夏休み全部ってことじゃない
ですか。そんなの人権蹂躙ですよ」
突然、演壇に向かって誰かが叫ぶ。
その声は中学生グループの中からあがったようだった。
おそらく、彼女だってお庭での一件は見ていたはず。だから、
自重できたはずだったが……
『どっちにしても、この修道院は日本にあるのだから……』
彼女の悲劇は、この修道院の敷地内で日本の常識が通用すると
信じてしまったことだったのである。
「シスター樹理、あなた、この子達にうちでの規則は説明しま
したか?」
院長先生はまず傍らに控えるシスターに尋ねる。
当然、答えは……
「はい、院長先生。さきほどお庭で全員に伝えました」
「そうですか」
シスターの言葉を受けて院長先生は、ただそれだけ言っただけ
だったのだが……
たちまち、身分の低い二人のシスターが、野次を飛ばした子の
座る椅子へ直行。まだ子ども子どもした少女が両脇を抱えられる。
少女は抵抗したが、まるで牛蒡でも引き抜くようにその子のお尻
を座席から離すのにそう多くの時間は掛からなかった。
「えっ、何なの……」
身体をごぼう抜きにされた少女は事態の急変に驚き青ざめたが、
彼女をごぼう抜きにしたシスター二人はというと、少女がどんな
に口汚い罵声を浴びせても、顔色一つ変えず、また何一つ言葉を
発しなかったのである。
そして、少女は無言のまま舞台へと連行されていく。
客席とは極端に違う明るい照明のもと、犯人が引っ立てられて
来る。しかし、やる事はお庭での出来事と同じだった。
「いやあ~~」
前か屈みにされたところで恥ずかしさはさほど変わらないはず
だが、その瞬間、鞭の恐怖が頭の隅をよぎったのだろう、思わず
悲鳴を上げてしまう。
すると、それまでただただ状況を見守っていた院長先生が一言。
「ここでは悲鳴も私語も一つとしてカウントしますから、騒げ
ばそれだけ鞭の数が増えますよ」
と注意。
その言葉どおり、二人のシスターに体を前屈みの姿勢のままで
がっちりと押さえつけられた少女のお尻にゴムの鞭が飛ぶ。
「ピシッ」
「……(ひっ)……」
「ピシッ」
「……(ひっ)……」
立て続けに二回、かなり思い切った勢いでゴムの鞭がまだ幼い
少女のお尻にヒットする。
おそらく、院長先生の言葉が彼女の耳にも聞こえたのだろう。
決して楽に受けられる痛みではなかったが、少女はそれを必死に
我慢した。
そして、その痛みが幾分治まった頃、自分のお尻が他の子たち
から丸見えだとわかって、顔を赤らめたのだった。
それほど、ぶたれた彼女にとっても、それを見ていた他の友達
にしても、それはあっという間の出来事だったのである。
二発の懲戒が終わり演壇に戻ってきた院長先生は目を丸くして
舞台を見つめる少女たちに向かって、こう語りかけたのである。
「みなさん、みなさんは野蛮人ではありませんから、世の中で
何がよいことで何が悪いことなのか、何をしてはいけないのか、
何をしなければならないのかは知っています。学校のテストで、
それを問われたらきっと満点でしょう。でも、実際にはできない。
できなかった。それはなぜでしょう?どんなに知識が豊富でも、
言葉使いが巧みでも、それで欲望や悪心といった心を制御できる
わけではありません。では、これまでは何があなた方の悪い行い
を制御してきたのでしょうか。それは、親御さんたちがあなた達
に与えた愛の鞭あってのことなのです。悪心が芽生えるたびに、
鞭の痛みが、やめなければいけないという気持を起こさせてきた
のです。ところが、人間は知恵がついてくると、その知恵を自分
勝手に解釈して邪悪で自堕落な行いを正当化しようと試みます。
ここでは、それを避ける為に日常会話を制限するのです。勿論、
それだけではありません。かつて親御さんたちがなさったような
訓練を行います。お尻への痛みと恥ずかしさをたっぷり体の中に
染み込ませて、悪心が心を支配する前に、やめようという気持を
起こさせるのです。6週間というのは長く感じられるかもしれま
せんが、長い人生の中にあっては、むしろ短い時間です。決して
無駄な時間にはなりませんから私たちと一緒に頑張りましょう」
ガイダンスの終わりにまばらだが拍手が起こった。
きっと、こういう時には拍手をするものだと教えられているの
だろう。もちろん院長先生の言葉が小学生にどれほど理解できた
かは疑問だし、この拍手だって、本心とは関係ないんだろうが、
ここに集まった少女たちは、どの子も良家の子女ばかり、野良猫
と同じように収容先に着いたらいきなり折檻というわけにもいか
なかった。
「……次は、身体検査ね」
院長先生はそう言って演壇を降りたのだった。
************************
『私の原点となった本~蒼白き恋慕~』
『私の原点となった本~蒼白き恋慕~』
やはり、この本との出会いは衝撃的でしたね。
何しろストーリーが『僕の事か?』って一瞬疑ってしまうほど
僕の生い立ちともリンクしてましたから。
そのあと思ったのが…
「こんなのも、やっぱりSMでポルノなんだ」
ということ。
僕にとってそれまでのSM感は、『埃っぽいあばら家で、変態
おやじが大人の女性をいたぶり続ける非人道的な話』
好きな人にとっては無理強いしていく、されていく姿が面白い
んだろうけど……それは僕にとってはノーサンキュー。
だから、当時すでに20歳を過ぎてましたけど、スケベな雑誌
に手が伸びてもSM雑誌というのはまだ一度も買ったことがあり
ませんでした。
それがひょんなことから池袋の書店でこの作品が載った雑誌を
見つけて立ち読み。(今は、こうしたたぐいの本は立ち読みでき
ないように梱包されていますけど、当時はそのまま書棚に並んで
いました)
もう衝動的に購入。
その後もこうした作品が紹介されるんじゃないかと思って通い
ましたが、そうは問屋が卸してくれませんでした。
ただ、これがきっかけで他のSM雑誌も流し目するようになり
ましたから、この雑誌が僕にとってはSMの入門書だったのかも
しれません。
いえ、僕も少年時代から人を虐めるような話が決して嫌いでは
ありませんでした。ただ、それは街で見かけるSMの王道からは
外れていたものですから、本屋さんでそれらを見かけるたびに、
『これは違うな』と思い続けていたんです。
僕の場合は、『基本線はあくまで一般のドラマでありながら、
展開されるエピソードの中に過激な要素が散りばめられている』
そんな世界が好きでした。
ちなみに私の個人的な嗜好を述べますと……
まずは舞台が大事でした。
陰湿なお話でも舞台は明るい場所でなければいけません。童話
のような美しい世界で憧れのお姫様や何不自由ない暮らしをして
いるお嬢様がハレンチな罰を受ける姿に歓喜します。
もちろん庶民をモデルにしたお話が嫌いというわけではありま
せんよ。蒼白き恋慕はまさにそんな庶民のお話ですから。
ただ、その場合でもお仕置き部屋は綺麗に片付けられていると
いうのが暗黙の了解事項。あばら家では興がさめてしまいます。
それと、虐められる側、お仕置きされる側に必ず何らかの理由
が必要でした。理由付けは多少理不尽でも構いませんが何の理由
もなく責められているというのは、ちょっと……だったんです。
SMって本来理不尽を楽しむものかもしれませんが、それだけ
では僕の心は燃えないのです。
そして、さらに言うと……その罰の理由が愛に起因していれば
さらに結構ということになります。
実は、このお話にはその愛が感じられるから僕は好きなんです。
そうは言っても、今の人たちに『このお話の継母にも愛はある』
なんて言ったら、きっとみんなふき出すんでしょうね。
今の親は、愛情と愛玩の区別がつかずごっちゃにしてますから。
でも、日本がまだ貧しい時代、同じ空気を吸って育った僕には、
彼女の芯の強さ、愛情がこの本の行間に読み取れるんです。
この作品には直接的な表現でこの継母を賛美するような表現は
何一つありません。でも、空気感というのかなあ。この継母さん、
義理の娘に対して愛玩はできないけど愛情はまだ捨てていないな
と感じてしまうところがあるんです。
結局、この本の最大の値打ちはそこなのかもしれません。
厳しい生活環境、思うにまかせない人間関係の中で、それでも
精一杯生きている姿が読み取れるこの作品は、単にポルノという
枠をこえて今なお僕の心を打ち続けています。
****************************
やはり、この本との出会いは衝撃的でしたね。
何しろストーリーが『僕の事か?』って一瞬疑ってしまうほど
僕の生い立ちともリンクしてましたから。
そのあと思ったのが…
「こんなのも、やっぱりSMでポルノなんだ」
ということ。
僕にとってそれまでのSM感は、『埃っぽいあばら家で、変態
おやじが大人の女性をいたぶり続ける非人道的な話』
好きな人にとっては無理強いしていく、されていく姿が面白い
んだろうけど……それは僕にとってはノーサンキュー。
だから、当時すでに20歳を過ぎてましたけど、スケベな雑誌
に手が伸びてもSM雑誌というのはまだ一度も買ったことがあり
ませんでした。
それがひょんなことから池袋の書店でこの作品が載った雑誌を
見つけて立ち読み。(今は、こうしたたぐいの本は立ち読みでき
ないように梱包されていますけど、当時はそのまま書棚に並んで
いました)
もう衝動的に購入。
その後もこうした作品が紹介されるんじゃないかと思って通い
ましたが、そうは問屋が卸してくれませんでした。
ただ、これがきっかけで他のSM雑誌も流し目するようになり
ましたから、この雑誌が僕にとってはSMの入門書だったのかも
しれません。
いえ、僕も少年時代から人を虐めるような話が決して嫌いでは
ありませんでした。ただ、それは街で見かけるSMの王道からは
外れていたものですから、本屋さんでそれらを見かけるたびに、
『これは違うな』と思い続けていたんです。
僕の場合は、『基本線はあくまで一般のドラマでありながら、
展開されるエピソードの中に過激な要素が散りばめられている』
そんな世界が好きでした。
ちなみに私の個人的な嗜好を述べますと……
まずは舞台が大事でした。
陰湿なお話でも舞台は明るい場所でなければいけません。童話
のような美しい世界で憧れのお姫様や何不自由ない暮らしをして
いるお嬢様がハレンチな罰を受ける姿に歓喜します。
もちろん庶民をモデルにしたお話が嫌いというわけではありま
せんよ。蒼白き恋慕はまさにそんな庶民のお話ですから。
ただ、その場合でもお仕置き部屋は綺麗に片付けられていると
いうのが暗黙の了解事項。あばら家では興がさめてしまいます。
それと、虐められる側、お仕置きされる側に必ず何らかの理由
が必要でした。理由付けは多少理不尽でも構いませんが何の理由
もなく責められているというのは、ちょっと……だったんです。
SMって本来理不尽を楽しむものかもしれませんが、それだけ
では僕の心は燃えないのです。
そして、さらに言うと……その罰の理由が愛に起因していれば
さらに結構ということになります。
実は、このお話にはその愛が感じられるから僕は好きなんです。
そうは言っても、今の人たちに『このお話の継母にも愛はある』
なんて言ったら、きっとみんなふき出すんでしょうね。
今の親は、愛情と愛玩の区別がつかずごっちゃにしてますから。
でも、日本がまだ貧しい時代、同じ空気を吸って育った僕には、
彼女の芯の強さ、愛情がこの本の行間に読み取れるんです。
この作品には直接的な表現でこの継母を賛美するような表現は
何一つありません。でも、空気感というのかなあ。この継母さん、
義理の娘に対して愛玩はできないけど愛情はまだ捨てていないな
と感じてしまうところがあるんです。
結局、この本の最大の値打ちはそこなのかもしれません。
厳しい生活環境、思うにまかせない人間関係の中で、それでも
精一杯生きている姿が読み取れるこの作品は、単にポルノという
枠をこえて今なお僕の心を打ち続けています。
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『信じられないほどバカな話』
『信じられないほどバカな話』
ある日、僕は大将(彼のことはみんなそう呼んでいた)に頼ま
れてある場所へ出かけた。
そこは堅牢な二階建ての建物で、いったい何をする処かはわか
らないが、大人のそれも大半は男の人たちが大勢そこにはいた。
あわただしく男たちが出入りを繰り返すその建物を前にして、
大将は、長い時間、用心深く中の様子を窺っていたのだが、意を
決して建物の中へと入っていく。
僕も呼ばれた。
わけも分からず一緒に建物の中へ潜り込む。
一階は事務所のような倉庫のような不思議な場所だったのだが、
彼の目的は事務所になっていたそこの二階。
コンクリートの階段を恐々上がっていくと、二階も一階と同じ
で大勢の男たちがしきりに部屋を出入りしている。
そして、ここでも大将は慎重に中の様子を窺っているのだ。
大将と僕は何から何まで違うけど、唯一共通していたのが大人
を恐れないこと。ところが、この日は、大将がひどく大人たちを
恐れているのがわかる。
容易に決断のつかない大将は事務所の入口でずっと中の様子を
窺うだけ。こんな臆病な彼を見るのはこの時が初めてだった。
すると、突然、誰かが大将を見つけたんだろう、
「組長、坊ちゃんみえてますよ」
と中で声がする。
もう、こうなると、大将は逃げなかった。
意を決して中へ入る。
僕もわけが分からぬまま事務所の中へ。
いや、正確に言うと『お父さんが戦争をしようとしているから
やめるように説得して欲しい』と頼まれてここへ引っ張ってこら
れた。ただ一般人が戦争なんて起こせるわけがないと思っている
僕には彼の言ってることはちんぷんかんぷんだったのだ。
薄暗い一階や廊下と違って二階の事務所の中は沢山の蛍光灯に
照らされて明るかった。それとは関係ないが、大きな神棚や虎の
剥製、壁にもたくさんの提灯が飾られていたのを覚えている。
それらを不思議そうに眺めていると、突然、大きな声がした。
「バカかお前、何しに来た!!」
ドスのきいた声だった。
大声の主は白髪交じりの大柄なおじさん。
「別に……でも、何か手伝えるかもしれないと思ったから」
大将が恐々言う。こんなにひびっている彼を見るのは初めてだ。
すると、
「何が手伝いだ、バカが……」
おじさんが言ったのはそれだけ。あとは何も言わなかった。
何も言わずに近くにあった細い棒を掴むと、大将を後ろ向きに
させて、そのお尻を叩き始める。
「いやあ~~~やめて~~~もうしません。ごめんなさい」
僕たちから見たら豪胆にさえ見える大将がまるで女の子のよう
な悲鳴を上げて、おじさんがお尻を叩くままになって耐えている。
『本気でぶってる』
僕にはそう見えた。10歳のガキなんだから手加減はしている
はずなんだけど僕にはそう見えたんだ。
だから僕だって身の危険は感じていたけど、その時は足がすく
んじゃってて動けなくなっていた。
そのくらいこの時のスパンキングは怖かったんだ。
あれで10回くらいぶっただろうか、そりゃあ、僕たちの学校
でも先生がたまに物差しで僕たちのお尻を叩くこととがあるけど
そんなものとは比べ物にならないくらい怖かった。
「今度、俺の前に現れてみろ、本当にぶっ殺すからな。………
わかったんなら『分かりました』って言ってみろ!!!」」
おじさんはそう怒鳴りながら、大将のほっぺたをつまみあげる。
もの凄い力。それで大将の身体が浮いてしまいそうになるくらい
それは本気だったのだ。
「お前、こいつの友だちか?」
おじさんが僕の方を向く。正直、生きたここちがしなかった。
「いいから、こいつを連れてさっさと母ちゃんの処へ帰れ!!
いいか、全力失踪で帰るんだ。……しばらくして、まだこの辺を
うろついてやがったら本当に命はないと思え。……いいな、……
わかったな」
耳を劈く大音量。
いいも悪いもこっちにはない。
10歳の少年が大人にこんなこと言って凄まれたら、そりゃあ
大将だって一目散だ。
ただ、僕たちが全力疾走だったのは部屋の外まで、家まで逃げ
帰ったわけではなかった。
偶然だけど僕たちは入って来た正規の入口ではない別の扉から
外へと出た。そこでやっと我に返ったのだ。
この建物には正規の入口のほかに非常階段があって、僕たちは
そこに出てきた。
「ねえ、もう一度行って見るかい?」
僕が尋ねると、大将の答えは意外にもノーだった。
「じゃあ、帰るの?」
と訊くと、それもノー。
大将はその代わりこの非常階段に縄を張ろうと言い出すのだ。
「じゃあ、落とし穴も掘ろうよ」と僕。
子どもの行動はどこまで真剣でどこから遊びなのかわからない。
僕らの思いつきは、もちろん大人が聞いたら信じられないほど
愚かな思いつき。非常階段に縄を張ってみたって、子どもが作る
落とし穴が出来上がったところで、大人たちが刀を抜いて喧嘩を
しようとしている矢先に、それが何らかの影響を与えるわけでは
ないからだ。
でも、それでも大将は家に帰って結果だけを聞きたくなかった。
彼はそんな人間であり、そこが僕とは大きく違っている。
無理無駄と笑われようが結果の出ていないことにはチャレンジ
し続けるというのが彼の流儀。どう立ち回れば自分にとって最も
有利だろうか?などと日頃から姑息な事ばかり考え続けている僕
から見れば異次元の人なのだ。
だけど、僕は彼が嫌いではなかった。むしろ神々しくさえ見え
ていたのである。
だから、この時もできる限りの事をした。
集められるだけの紐を集めて階段を封鎖し、できる限り大きな
穴を掘って、願わくばたった一人でも彼のお父さんを殺しに来る
大人を撃退できたらと思っていたのだ。
結果、たった一人だけど、こんなトラップに引っかかってくれ
た人がいた。
きっと急いでいたんだろうね、僕らの張った非常階段の紐に足
を取られると、反転して下まで転げ落ち。苦労して掘った穴にも
お尻を入れてズボンが泥だらけになった。
残念ながら敵ではなく味方だったけど。(笑)
「お前ら、何、余計な事やってんだ!!!」
その人はコンクリートの壁で打った頭を押さえながらよたよた
立ち上がると、僕たちの耳を引きちぎれるほどの勢いで摘み上げ、
隣接する廃工場へ引きずっていく。
そして、僕たちをボロ雑巾みたいに建物の中へ投げ入れると、
入口に重い物をたくさん置いてそこへ閉じ込めたのである。
「二度と出てくんな!!」
おじさんは捨て台詞を残して去っていく。
取り残された二人。
廃屋には電気がきてないから薄暗くて不気味な場所だったが、
ただ、そこには長くいなかった。
ま、これもまた間抜けな話だが、その廃工場は広くて、一箇所
入口を塞いでも出口は他にもあったのだ。
僕が「EXITって書いてあるからあそこに出口があるよ」と
言って大将を誘うと、二人とも鍵の掛かっていない裏口から簡単
に外へ出ることができた。
すると、お父さんから連絡が入ったのかもしれない。外へ出た
ところでばったり大将のお母さんと出くわす。
挨拶は往復ビンタだった。
相変わらずこのお母さんは怖い。
結局この騒動で僕がしたことと言ったら、ロープ張りと穴掘り
の手伝い。それにEXITが出口だと教えてあげたことぐらい。
せっかく、僕を仲立ちに指名してくれたのに、僕は彼のためには
何の役にもたたなかった。
なのに、彼は後日、わざわざ僕の家を訪ねて謝りにきたのだ。
それは彼の意思というより、両親に連れられてという形だった。
理由は簡単、大将が僕を危険な目にあわせたからというものだ。
だけど、僕はそれが嫌で嫌で仕方がなかった。
実は、彼の実家は町の小さな時計屋さん。戸籍上のお父さんは、
その店を切り盛りしているおじさんな訳なんだけど、彼は一緒に
暮らすお父さんが本当の父親でない事をすでに知っていて、今回
は彼にとっては本当のお父さんの方を助けたかったのだ。
そんな気持を知って僕も手伝ったんだから彼に責任なんてない
はずだ。危なかったら逃げてくればいいんだし、大将が謝ること
じゃない。
僕はそう思ってたけど、親同士はそうは思えなかったみたいで
大将は僕に頭を下げたんだ。
大将はもちろん辛かったと思うけど僕はそれ以上に辛い思いで
そのごめんなさいを聞いた。その場にいるのが恥ずかしくてなら
なかったんだ。
そして、何よりこんな事が恥ずかしい事だと教えてくれたのが
彼だった気がする。
それって一口では言い難いけど、男義っていうのかなあ。
大将もまた、一度もお父さんと呼ぶことのなかったその人から
男義を教そわったんじゃないだろうか、僕はそう思ってる。
**************************
ある日、僕は大将(彼のことはみんなそう呼んでいた)に頼ま
れてある場所へ出かけた。
そこは堅牢な二階建ての建物で、いったい何をする処かはわか
らないが、大人のそれも大半は男の人たちが大勢そこにはいた。
あわただしく男たちが出入りを繰り返すその建物を前にして、
大将は、長い時間、用心深く中の様子を窺っていたのだが、意を
決して建物の中へと入っていく。
僕も呼ばれた。
わけも分からず一緒に建物の中へ潜り込む。
一階は事務所のような倉庫のような不思議な場所だったのだが、
彼の目的は事務所になっていたそこの二階。
コンクリートの階段を恐々上がっていくと、二階も一階と同じ
で大勢の男たちがしきりに部屋を出入りしている。
そして、ここでも大将は慎重に中の様子を窺っているのだ。
大将と僕は何から何まで違うけど、唯一共通していたのが大人
を恐れないこと。ところが、この日は、大将がひどく大人たちを
恐れているのがわかる。
容易に決断のつかない大将は事務所の入口でずっと中の様子を
窺うだけ。こんな臆病な彼を見るのはこの時が初めてだった。
すると、突然、誰かが大将を見つけたんだろう、
「組長、坊ちゃんみえてますよ」
と中で声がする。
もう、こうなると、大将は逃げなかった。
意を決して中へ入る。
僕もわけが分からぬまま事務所の中へ。
いや、正確に言うと『お父さんが戦争をしようとしているから
やめるように説得して欲しい』と頼まれてここへ引っ張ってこら
れた。ただ一般人が戦争なんて起こせるわけがないと思っている
僕には彼の言ってることはちんぷんかんぷんだったのだ。
薄暗い一階や廊下と違って二階の事務所の中は沢山の蛍光灯に
照らされて明るかった。それとは関係ないが、大きな神棚や虎の
剥製、壁にもたくさんの提灯が飾られていたのを覚えている。
それらを不思議そうに眺めていると、突然、大きな声がした。
「バカかお前、何しに来た!!」
ドスのきいた声だった。
大声の主は白髪交じりの大柄なおじさん。
「別に……でも、何か手伝えるかもしれないと思ったから」
大将が恐々言う。こんなにひびっている彼を見るのは初めてだ。
すると、
「何が手伝いだ、バカが……」
おじさんが言ったのはそれだけ。あとは何も言わなかった。
何も言わずに近くにあった細い棒を掴むと、大将を後ろ向きに
させて、そのお尻を叩き始める。
「いやあ~~~やめて~~~もうしません。ごめんなさい」
僕たちから見たら豪胆にさえ見える大将がまるで女の子のよう
な悲鳴を上げて、おじさんがお尻を叩くままになって耐えている。
『本気でぶってる』
僕にはそう見えた。10歳のガキなんだから手加減はしている
はずなんだけど僕にはそう見えたんだ。
だから僕だって身の危険は感じていたけど、その時は足がすく
んじゃってて動けなくなっていた。
そのくらいこの時のスパンキングは怖かったんだ。
あれで10回くらいぶっただろうか、そりゃあ、僕たちの学校
でも先生がたまに物差しで僕たちのお尻を叩くこととがあるけど
そんなものとは比べ物にならないくらい怖かった。
「今度、俺の前に現れてみろ、本当にぶっ殺すからな。………
わかったんなら『分かりました』って言ってみろ!!!」」
おじさんはそう怒鳴りながら、大将のほっぺたをつまみあげる。
もの凄い力。それで大将の身体が浮いてしまいそうになるくらい
それは本気だったのだ。
「お前、こいつの友だちか?」
おじさんが僕の方を向く。正直、生きたここちがしなかった。
「いいから、こいつを連れてさっさと母ちゃんの処へ帰れ!!
いいか、全力失踪で帰るんだ。……しばらくして、まだこの辺を
うろついてやがったら本当に命はないと思え。……いいな、……
わかったな」
耳を劈く大音量。
いいも悪いもこっちにはない。
10歳の少年が大人にこんなこと言って凄まれたら、そりゃあ
大将だって一目散だ。
ただ、僕たちが全力疾走だったのは部屋の外まで、家まで逃げ
帰ったわけではなかった。
偶然だけど僕たちは入って来た正規の入口ではない別の扉から
外へと出た。そこでやっと我に返ったのだ。
この建物には正規の入口のほかに非常階段があって、僕たちは
そこに出てきた。
「ねえ、もう一度行って見るかい?」
僕が尋ねると、大将の答えは意外にもノーだった。
「じゃあ、帰るの?」
と訊くと、それもノー。
大将はその代わりこの非常階段に縄を張ろうと言い出すのだ。
「じゃあ、落とし穴も掘ろうよ」と僕。
子どもの行動はどこまで真剣でどこから遊びなのかわからない。
僕らの思いつきは、もちろん大人が聞いたら信じられないほど
愚かな思いつき。非常階段に縄を張ってみたって、子どもが作る
落とし穴が出来上がったところで、大人たちが刀を抜いて喧嘩を
しようとしている矢先に、それが何らかの影響を与えるわけでは
ないからだ。
でも、それでも大将は家に帰って結果だけを聞きたくなかった。
彼はそんな人間であり、そこが僕とは大きく違っている。
無理無駄と笑われようが結果の出ていないことにはチャレンジ
し続けるというのが彼の流儀。どう立ち回れば自分にとって最も
有利だろうか?などと日頃から姑息な事ばかり考え続けている僕
から見れば異次元の人なのだ。
だけど、僕は彼が嫌いではなかった。むしろ神々しくさえ見え
ていたのである。
だから、この時もできる限りの事をした。
集められるだけの紐を集めて階段を封鎖し、できる限り大きな
穴を掘って、願わくばたった一人でも彼のお父さんを殺しに来る
大人を撃退できたらと思っていたのだ。
結果、たった一人だけど、こんなトラップに引っかかってくれ
た人がいた。
きっと急いでいたんだろうね、僕らの張った非常階段の紐に足
を取られると、反転して下まで転げ落ち。苦労して掘った穴にも
お尻を入れてズボンが泥だらけになった。
残念ながら敵ではなく味方だったけど。(笑)
「お前ら、何、余計な事やってんだ!!!」
その人はコンクリートの壁で打った頭を押さえながらよたよた
立ち上がると、僕たちの耳を引きちぎれるほどの勢いで摘み上げ、
隣接する廃工場へ引きずっていく。
そして、僕たちをボロ雑巾みたいに建物の中へ投げ入れると、
入口に重い物をたくさん置いてそこへ閉じ込めたのである。
「二度と出てくんな!!」
おじさんは捨て台詞を残して去っていく。
取り残された二人。
廃屋には電気がきてないから薄暗くて不気味な場所だったが、
ただ、そこには長くいなかった。
ま、これもまた間抜けな話だが、その廃工場は広くて、一箇所
入口を塞いでも出口は他にもあったのだ。
僕が「EXITって書いてあるからあそこに出口があるよ」と
言って大将を誘うと、二人とも鍵の掛かっていない裏口から簡単
に外へ出ることができた。
すると、お父さんから連絡が入ったのかもしれない。外へ出た
ところでばったり大将のお母さんと出くわす。
挨拶は往復ビンタだった。
相変わらずこのお母さんは怖い。
結局この騒動で僕がしたことと言ったら、ロープ張りと穴掘り
の手伝い。それにEXITが出口だと教えてあげたことぐらい。
せっかく、僕を仲立ちに指名してくれたのに、僕は彼のためには
何の役にもたたなかった。
なのに、彼は後日、わざわざ僕の家を訪ねて謝りにきたのだ。
それは彼の意思というより、両親に連れられてという形だった。
理由は簡単、大将が僕を危険な目にあわせたからというものだ。
だけど、僕はそれが嫌で嫌で仕方がなかった。
実は、彼の実家は町の小さな時計屋さん。戸籍上のお父さんは、
その店を切り盛りしているおじさんな訳なんだけど、彼は一緒に
暮らすお父さんが本当の父親でない事をすでに知っていて、今回
は彼にとっては本当のお父さんの方を助けたかったのだ。
そんな気持を知って僕も手伝ったんだから彼に責任なんてない
はずだ。危なかったら逃げてくればいいんだし、大将が謝ること
じゃない。
僕はそう思ってたけど、親同士はそうは思えなかったみたいで
大将は僕に頭を下げたんだ。
大将はもちろん辛かったと思うけど僕はそれ以上に辛い思いで
そのごめんなさいを聞いた。その場にいるのが恥ずかしくてなら
なかったんだ。
そして、何よりこんな事が恥ずかしい事だと教えてくれたのが
彼だった気がする。
それって一口では言い難いけど、男義っていうのかなあ。
大将もまた、一度もお父さんと呼ぶことのなかったその人から
男義を教そわったんじゃないだろうか、僕はそう思ってる。
**************************
シンプル イズ ベスト
~作者一言~
『斉藤家のお仕置き』は、あいも変わらずのお仕置き小説。
筋立て単純で、お仕置きがソフト。スパンキング中心という
作品です。子供が親に従順なのは私の趣味。実際、当時は
いいとこの子ほど親に従順だった気がします。
それだけ、親が自分に無茶な事はしないという確信が
あったんじゃないでしょうか。
お尻を叩くのも、パンパンパンと感情に任せて叩いて終わり
というのではなく、お説教しながら時間をかけてというのが
良家の子女の当時のスタイル。それだけお金持ちは、
時間にも余裕があったんだと思います。
*********************
『斉藤家のお仕置き』は、あいも変わらずのお仕置き小説。
筋立て単純で、お仕置きがソフト。スパンキング中心という
作品です。子供が親に従順なのは私の趣味。実際、当時は
いいとこの子ほど親に従順だった気がします。
それだけ、親が自分に無茶な事はしないという確信が
あったんじゃないでしょうか。
お尻を叩くのも、パンパンパンと感情に任せて叩いて終わり
というのではなく、お説教しながら時間をかけてというのが
良家の子女の当時のスタイル。それだけお金持ちは、
時間にも余裕があったんだと思います。
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『斉藤家のお仕置き』 ~ §1 お父様のお仕置き ~
『斉藤家のお仕置き』
~ §1 お父様のお仕置き ~
午後11時30分。由香里は終電一つ前の電車を降りて、自宅
へと続く一本道を早足で歩く。
場所は山の手の高級住宅街。まだ治安もよい時代だったから、
暗い街灯の並木を独りで歩いていても心配することはないのかも
しれない。それでも18歳の少女にとって夜道は怖い。
自宅に近づくにしたがい、しだいに小走りになって……やがて
外灯がまだ灯る自宅へと入っていった。
「ただいま」
エントランスの明かりを点けると……
「おかえりなさい」
真っ暗な廊下の先で台所の明かりから母の声がする。
由香里は、今、予備校に通い、授業が終わるとそこの自習室で
勉強して、いつも今頃、自宅に帰ってくる。
「おかえりなさい」
母が玄関の娘に向かって叫ぶ声もいつもと変わらなかった。
これから母と居間で夜食を食べてもう少し遅くまで勉強する。
これも由香里の日課だ。
その予定で由香里は長い廊下を奥へと歩いて行ったのである。
「おう、由香里、帰ったか……お帰り」
途中、居間を通り抜ける時、父の声がした。
『えっ!?』
由香里は不意を突れた気分だ。
真夜中、父が自宅の居間にいて何の不思議もないはずなのだが、
由香里にしてみると、今日は仕事が忙しく帰らない予定と聞いて
いたからである。
だから、本来なら『お父様、ただいま帰りました』という挨拶
がスッと出てくるはずだが、それが出てこなかった。
「どうしたね、私の顔に何かついているのか?」
「……いえ、ただいま戻りました」
父にそう言われて、由香里は慌てて挨拶する。
『何かが普段と違う?』
由香里はその瞬間感じた。どこがどう違うのかは説明できない
が、そこは女の勘、少女の感性だろうか、18年同じ屋根の下で
一緒に暮らしてきた娘の経験がそれを訴えていたのである。
由香里は父から逃げるように母のいる台所へと向かう。
その時、父の座るソファでコロンの匂いが鼻についた。
『そうだわ、こんな遅い時間なのに、お父様が着替えてない』
由香里はそこに気づく。
普段なら、もうほとんど寝るだけのこの時間。お父様の衣装は
たいていガウン姿だ。それが、たとえ部屋着とはいえセーターに
スラックス姿。コロンの匂いがまだ残っているというのなら未だ
お風呂にも入っていないのだろう。
まるでこの真夜中に誰かと会う約束をしているみたいだった。
台所へ行くと母が鼻歌を歌いながら笑顔でうどんを煮ている。
それはいつもの姿。いつもの空気。
「お母さん、ただいま。今日のおうどんの具は何を入れたの?」
母の姿を見て安心した由香里が、母と並び鍋から上がる湯気を
覗き込むと……
「バカ」
母がいきなり由香里の耳元で小さく囁く。
思いがけない言葉に驚いて母の顔を見る由香里。
でも、その母の顔は笑顔で普段と何ら変わらなかった。
そして、変わらないその笑顔のまま、再び……
「今日は真理ちゃんや清美ちゃんと一緒だったんでしょう?」
『えっ!?』
母の言葉に動揺する由香里。
そこで……
「ねえ、いつのこと?」
と、母に尋ねてみたのだが……母はそれには答えず鍋を火から
下ろしてしまう。
次に出た言葉は……
「さあ、冷めないうちにいただきましょう」
というものだった。
ダイニングテーブルで食べる母と娘二人だけの夜食。
この間もっぱら食べるのは由香里だけで母はお茶を飲むだけ。
母は娘の旺盛な食欲に目を細めて笑っているだけてだった。
「今度、城南デパートでプレタポルテの発表会があるの。一緒
に行かない?」
「うん、うん」
由香里は湯気の立つどんぶりに顔を着けたまま頭を振る。
「私、勉強があるから……」
と、そっけなく断った。
「それはそうでしょうけど。でも、たまには息抜きもしなきゃ。
受験生だから大きなお休みはとれなくても小さな息抜きは必要よ。
根をつめすぎると、かえってそれが大きなロスに繋がってしまう
わ」
こうした母との会話も由香里にとっては毎夜のこと、この日も
母とはいつも通りの夜だったのだが……問題はこれからだった。
夜食を食べ終えたあと、母が食器を片付けながらなにげにこう
言うのだ。
「あなた今日は予備校の授業が終わってからどこか行ったの?」
「えっ……どこかって?……私は、いつものように自習室で」
由香里は咄嗟に取り繕ったが、本当はギクッと胸に突き刺さる
言葉だったのである。
「そう、ならいいけど……いえ、お父様が変なことおっしゃる
から……」
「変なこと?」
「いえ、いいのよ。大したことじゃないから……」
母は言葉を濁したが、実は由香里にはちょっと後ろ暗いところ
があった。
今夜は、この春すでに大学生になっていた真理や清美なんかと
示し合わせてディスコで遊んで帰って来たのだ。
母に気遣いをさせずとも、由香里は自分でちゃっかり息抜きの
時間を作っていたのである。
これが最初の経験だった三人は、入店する時こそおどおどして
いたが、店を出る頃にはノリノリ。
興奮冷めやらぬ三人は、店を出たところでいきなり向けられた
マイクにも、店の中での雰囲気そのままにノリノリで答えてしま
うのだった。
「今夜は最高。今度はお立ち台に上がるんだから」
清美が興奮気味に叫ぶと……真理も……
「由香里なんてね、知らない男の子に声掛けられちゃったんだ
から……」
「あの子、カッコよかったよね」
「あの子、カッコよかったよね」
二人の友だちから同時に振られて由香里は動揺する。
由香里はいまだ予備校生。まるでお酒に酔ったおじさん紳士と
同じようなテンションでははしゃげなかったのである。
すると、インタビュアーが……
「あなた方は、おいくつですか?」
と尋ねるので……
「……21です」
ちょっと間があって真理が答えると……
「全員、同じ歳なの?」
と、清美。
「そう、三人とも高校時代の同級生なんです」
最後は由香里も答えて、この瞬間から三人は一足早く21歳に
なったのだった。
由香里の脳裏にその時の思い出が蘇ったのだ。
『まさか、あれ、見てたなんてことないよね』
由香里は心配する。
でも、そのまさかだった。
「お父様が『由香里がテレビに映ってる』って大騒ぎするもの
だから慌てて居間に飛んでいったんだけど、その時はもう映って
いなくて……私、『人違いじゃないですかって笑ったら…』いや、
真理ちゃんや清美ちゃんたちとも一緒だったから間違いないって
…『大丈夫ですよ、由香里は真面目に予備校に通っていますから
心配には及びませんよ』って申し上げておいたけど…それでいい
かしら?」
「……ええ……まあ……」
由香里はいい加減な返事を母に返しながら……
『どうして、ディスコなんか行ったんだろう、どうしてテレビ
があんなところに来てるのよ』
由香里は後悔したものの、それも後の祭り。
「ねえ、お父様が心配なさってるから、あなたからそのことを
説明してちょうだい」
「そのことって?」
「だから、ディスコなんて行ってませんって……」
母の言葉は、由香里の心に重く圧し掛かった。
由香里は母に背を押され父の疑念を晴らすために居間へ……
でも、それってどうすることもできなかったのである。
居間に戻ると、父はそれまで英字新聞を読んでいたが由香里に
気づいくとそのタブロイド版を二つ折りに。
「おう、由香里。食事は済んだのか?……ん?……どうした?
顔色がよくないな。今夜もまだ勉強するのか?」
「えっ?……まあ……」
「体調が悪いのなら早めに床に入った方がいい。受験は長丁場、
焦ることはない。じっくり体調を整えて臨めば、お前の実力なら
大丈夫さ。今度は、風邪をひいてうまくいきませんでしたなんて
いい訳は聞きたくないからね」
「…………」
気をつけて見て見てもお父様はいつものお父様。
由香里には何か言いたいことがあるようには思えなかった。
そこで……
「それじゃあ、あたし、勉強するから……」
そう言って踵を返したら……。
「そうだ由香里。今日、お父さん、テレビを見ていたらね……」
そこまで言って父がふき出すので……
「えっ?」
由香里は思わず振り返ってしまう。
「テレビの中で、お前が21になった姿を見つけたよ」
振り返った由香里に、父は最初だけ笑っていたが、すぐにその
笑顔は消えて難しい顔になる。
その瞬間、父の難しい表情や21という言葉に……
『ヤバっ……』
由香里は思わずその場から逃げ出したい衝動にかられたが……
「…………」
もしこの場から逃げたとして、この先どうなるか、過去の経験
が思いとどまらせることになった。
斉藤家のルールでは、親に嘘をつく代償はお尻叩きと決まって
いて、それは18になった今でも変更されていなかったのである。
「今日、テレビを見ていたら、六本木のディスコから出てきた
三人のお嬢さんたちがTVのインタビューを受けててね、これが
お前や真理ちゃん清美ちゃんにそっくりなんだよ。ま、三人とも
化粧をしていたから素顔は別人なのかもしれないがね」
「………………」
由香里はたちまちその場に居たたまれなくなる。
というのも、そのTVのインタビューというのは、紛れもなく
今夜の出来事だったから。
ディスコを出てすぐのこと、いきなり突きつけられたマイクに
清美ちゃんが、そして真理ちゃんも反応してしまったのだ。
普段の二人はそんなに大胆ではないが、ひょっとしたらほんの
少しだけ舐めたカクテルが気を大きくさせてしまったのかもしれ
ない。
『そういえば、インタビュアーのおじさんに歳をきかれた真理、
やたら21を強調していたけど、あれはきっと未成年じゃまずい
と思ったわね』
由香里はその時の様子を詳細に思い出す。
あれもこれも今夜の出来事を色々と後悔してみるが、父を前に
してしまうと、それも何の役にもたたなかった。
そして、そんな娘を見て父親も……
「お前が化粧した姿なんて初めて見たよ。なかなか綺麗に出来
てたじゃないか。……自分でやったのか?」
「いいえ、清美のお姉さんに……」
「里美さんか、お前も21になる頃にはああしてもっと美しく
なるんだろうな。楽しみだ」
「…………」
由香里は、はにかんで俯く。女の子はどんな状況でも美しいと
言われるほど嬉しいことはないのだ。
「それで、化粧はどこでしたんだ?。衣装も借りたんだろう?
……それも、里美(清美のお姉さん)さんの処か?」
「……はい」
蚊の泣くような小さな声で答えると……
「ま、お前も18歳だ。あれもこれもしちゃいけないと言った
ら可哀想だろうから息抜きは色々あっていいと思うけど夜の街に
出るのはどうかな。それとお酒はまだダメだよ」
「あれは清美が無理やり勧めてきて……私はほんのちょっぴり
舐めただけで……」
心が舞い上がっていただろう由香里は余計なことをしゃべって
しまう。
「舐めただけか……」
父は苦笑しただけだったが……
『!!!』
その瞬間、由香里は背後に人の気配を感じる。
振り返ると、そこに母が立っていた。
こちらは父のように穏やかな顔ではない。はっきり言えば怒っ
た顔をして由香里を睨んでいたのである。
由香里は、その顔が物語る事の真実をそこで初めて知ることに
……。
『……そうか、この話、母の方が父をたきつけたんだわ』
長年、親子をやっていると娘はちょっとした情報だけで家庭内
の今がわかる。
実際、事実はその通りだった。
居間でくつろぐ夫婦の目の前。身体の線がくっきりと出る服を
着こなした娘が、突然、テレビの中に現れたのだ。
家の洋ダンスにはないような衣装を着て娘がいきなりテレビに
現れたものだから、当然、両親は驚いたわけだが、二人の間には
最初から温度差があった。
父の方はただ苦笑するだけ。
彼にしてみると、家に持ち帰った報告書に目を通すことの方が、
その時はよほど大事だったのである。
ただ母は心穏やかではない。体の線が出る派手な衣装を着込み、
普段はしないイヤリングをさげ付け睫も着けている。ルージュも
チークもコテコテで不自然。とにかく塗ればいい、そんな感じの
メイクだ。
『何なの、これは……やりたければ教えてあげるのに』
母から出るのはため息ばかり。本人はこれでも美しく変身した
つもりでいるのかもしれないが、ちっとも似合っていないのだ。
日頃、スッピンの顔しか見たことのない母にしてみれば、イン
タビューに答える娘の姿は、まるでサーカスのクラウンのようで
まるで晒し者のようにさえ見える。
「あの子、いったい何してるのよ?」
思わずテレビを見ていた母の口から独り言が出たくらいだった。
一方、由香里はというと、こちらは自分の行く末について考え
ていた。
もし、これが父親だけの怒りなら丸め込む方法は幾つかある。
彼女にはその自信もあった。ただ母の怒りを静める方法となると
こちらは皆目分からない。
女の怒りに理性も寛容もないことは、自分も同じ性なのだから
よく分かっていた。
そこで仮に父を丸め込んだとしてもお仕置きなしで今夜ベッド
ルームへ戻れる可能性は極めて低い。
これもまたこの家庭に生まれ育った由香里には先行きが見えて
しまう話なのだ。
絶体絶命の由香里。
確かに何のペナルティーもなくこの場を切り抜ける方法はない。
しかし、父のお仕置きを受けるか、母のお仕置きを受けるかなら、
まだ選択の余地が残っている。そこで……
「ごめんなさい。お父様、……私、嘘ついてました」
由香里は父に向かって素直に謝った。
咄嗟の判断ではない。彼女なりに色んなケースを想定したあげ
く『これが最も被害が少ない』と判断したのだ。
最悪のケースは父親に甘えて許してもらう場合。逆上した母が
何をしでかすか、由香里にはそれさえ分からない。
母との関係ではお仕置きだって、平手や鞭のスパンキングだけ
とは限らない。浣腸、お灸、蝋燭、木馬…SMまがいのお仕置き
がずらりと並ぶ。同性だけにむしろ遠慮が無いのだ。
そんな泥沼になるくらいなら、父親の前に身を投げた方がまだ
ましというもの。これが由香里の結論。お父様に身を任せた方が
かえって被害も少ないという読みだったのである。
「そうか、残念だな。お前はいつも良い子だと思っていたのに
……親の目を盗んで、夜の繁華街をうろつくなんて……とっても
いけないことなんだよ。特にお前はまだ浪人生、立場は高校生と
同じだ。大学生の清美ちゃんや真理ちゃんと比べても立場は同じ
じゃないんだ。……わかるだろう?」
「……はい、お父様」
「これは、お前が浪人したいと私に言ってきた時に話して聞か
せたよね。覚えているかい?」
「……はい」
「覚えているなら何よりだ。だったら、こうした場合には鞭を
お尻に受けなければならないというのも知っているだろう?……
うちの規則だからね」
「はい、お父様」
「よろしい、だったら準備をしなさい」
父が視線を移す先では母がすでにソファに腰を下ろしている。
「(あっ……)」
由香里は思わず生唾を飲む。彼女はくつろいでいるのではない。
可愛い生贄を待っているのだ。
母の目は父の鞭で由香里が思う存分泣き叫ぶのを期待する目。
そのきつい目に由香里は驚いたのだった。
そんな人の膝の上に、由香里は腹ばいにならなければならなか
ったのである。
由香里はゆっくりゆっくりお尻叩きの姿勢になった。
幼い頃は母の膝も広くて、とにかくそこへ倒れこみさえすれば
それはそれでよかったのだが、今は、自分の体が接するあちこち
が気になるのだ。
大きな身体は母の膝を飛び越えて両手が床に着くし、長い髪も
邪魔になる。胸の膨らみ、お臍の下の辺りだってこれが母の膝に
触れると不快だった。
母親は同性なのだから問題なさそうにも思えるが、押し当てた
胸の膨らみやお股の様子で何か悟られるんじゃないか、由香里は
余計な心配をしてしまうのだ。
母が娘のお腹にクッションを入れ、お尻は鞭が狙いやすいよう
より高い位置にセットされる。
こうなっても『ショーツは綺麗にしてただろうか。こんなこと
なら替えてくるんだった』などと少女にとっての心配の種は尽き
なかった。
女の子は自意識とコンプレックスの塊。だから自分の身体も、
最高に美しい時だけ他人に披露して、それ以外は見せたくない。
私の体は私だけのもの。唯一無二の財産。だから、私以外の人が
勝手に私の体に触れるなんて許せないし、その悪口だって絶対に
聞きたくないのだ。
でも、これは我家でのお仕置き。娘が自分勝手に決めた約束事
なんて両親には関係ない。たとえ訴えても『お前のわがまま』と
一蹴されるだけ。そんなことは由香里も当然わかっていた。
「さあ、準備はできたかな」
大きな子どもが母の膝の上に乗ると、頭の上から父の声がする。
「今日は、予備校の授業が終わったあとは、自習室でそのまま
勉強していたんじゃなくて、ディスコへ遊びに行ったんだね」
「はい」
由香里は申し訳なさそうな小さな声で答える。
すると、今度は母が……
「六本木にいきなりじゃないでしょうが……まずは里美さんの
マンションに行って、そこで里美さんの衣装を借りて、里美さん
からお化粧までしてもらって、それから出かけたんでしょう」
母は娘の行動を大胆に推理してみせる。
すると……
「えっ……あっ、はい」
由香里は母の言葉にあわせ思わず息を呑む。
それは母の思い込みが百%真実だったからではない。母の言葉
が一部事実と異なっていたから、逆に言葉に詰まったのだった。
実はその時の衣装、化粧道具はお年玉をはたいて買ったもの。
自宅では親がうるさいから里美さんのマンションに預けておいた
ものなのだ。
ただ親にその事実は言えない。とにかく一刻も早く母の膝から
降りたい由香里にとってこれ以上余計な波風を立てたくなかった
から、思わず言葉を飲み込むことにしたのである。
「なるほど……私は、偶然出会った友だちに誘われて仕方なく
着いて行ったのかとばかり思ってたけど、どうやらこれはかなり
計画的な犯行だったわけだ」
父はほっぺたをぷっと膨らませると硬質ゴムで出来た一本鞭を
由香里のぷくっと目立つお尻に当ててくる。
いざ本番、そういう時になって狙いを外さぬよう、あらかじめ
間合いを計っているのだ。
母の膝でプルプルと震えるやんちゃなお尻を打ちすえるのに、
この3フィートの長さが一番適していた。
「困ったね」
父のこの一言だけでも由香里は身の縮む思いだ。
この家で鞭のお仕置きがある場合、男の子ならそれはもっぱら
ケインだが、女の子の時は傷が残るのを恐れて親も籐鞭は使わず
鞭はほとんどがゴム製だった。
ゴム製の鞭は皮膚の表面だけに衝撃が集中するため裂傷の危険
が少なく、万一、血が滲むようなことがあっても傷口が浅いため
痕が残らない。
ケインのような肉をえぐるような痛みはないものの、女の子の
お仕置きとしてはこれで十分。彼女たちにとっては、無様な姿を
晒し続けているこの瞬間こそが何よりのお仕置きだったのである。
事実、こうして鞭の先っちょでお尻をちょんちょんと突かれる
だけでも、由香里は生きた心地がしなかった。
その恐怖の源泉は幼い日の苦い経験。
由香里は小学校の高学年から中学生の始めの頃、母にがっちり
体を押さえつけられ、身じろぎひとつ許されないまま父からこの
ゴムの鞭でお尻を何ダースもぶたれた経験があり、それが今でも
トラウマになっている。
さすがに高校生になってからは滅多に行われなくなったものの、
両親が娘の躾にとって重要と思っていたその時期には、だいたい
一学期に1回や2回は必ず行われる斉藤家の儀式だったのだ。
その痛かったこと。
あまりの痛さに半狂乱になって泣き叫び、ごめんなさいは何回
言ったかわからない。でも、約束の回数が終わるまでは、決して
許してもらえなかった。
おかげで、途中母の膝にお漏らしをしてしまったり、それでは
足りないとばかり母からあらためてお灸をすえられたりもした。
そんな恐怖の歴史が、今なお由香里の脳裏をよぎるのである。
「まず、今日はお勉強をさぼっちゃったこと、これがいけない
な。分かるよね?」
「はい、……お父様」
最近、あまりこの姿にならなかったので、最後のお父様という
言葉を付けるのが少し遅れた。
普段は『お父さん』で十分だが、こうしてお仕置きを受ける時
だけは『お父様』と様付けして呼ぶ習慣になっていたのだ。
「歯を喰いしばって……」
父がこう言うと、さっそく最初の一撃がヒットする。
「ピシッ」
乾いた音が居間に鳴り響き、由香里は思わず下唇を噛む。
「(ひっ~~~~)」
由香里にとっては久しぶりの衝撃。
でも、それって幼い頃にはよくあった出来事だから、その一撃
ですぐに昔の痛みを思い出すことができた。
『みっともなく泣きわめきませんように』
そんな心配が頭をよぎる。
「遊びに行った場所も感心しないよね。六本木のような盛り場
に未成年の娘が……それも、夜、出歩くなんて……」
「ごめんなさい、お父様」
「どのくらいいけないことだったか教えてあげるから、じっと
してるんだ」
父はこう言うと、二発目を打ち下ろす。
「(ひぃ~~~~~~~~~)」
全身に電気が走って痺れる。
それは一発目よりはるかに痛くて涙が滲んだ。
「わかったか?」
「くすん……は、はい」
小さく鼻をすすり、由香里は父に答える。
本当はすでにお尻に手を回してさすりたかったが、そんな事は
許されない。お仕置き中は何が何でも必死に我慢して手をお尻に
回してはいけないルールだったのである。
「それだけじゃない。あの服は、どうしたの?」
「あれは…………」
しばらく間があってから、
「里美お姉さんのところで借りて……」
申し訳なさそうに答える由香里。
でも、母には娘のそれが真実でないことを、女の勘、母の勘で
感じ取っていた。
「お化粧も里美お姉さんに手伝ってもらったのかい?」
「はい」
由香里は自信を持って答えるが、これも嘘だと母は感じていた。
やりなれた者があんな下手なメイクをするはずがないからである。
「それじゃあ、これは二つだ。『浪人中は高校生らしい服装で
過ごし、お化粧だって大学生になるまでしません』っていう約束
だったよね」
「えっ、どうして二つなの!」
由香里は思わず頭を振って父親を見つめる。
「だって、服とお化粧で二つだろう?」
「えっ?それって別なの!?」
「そうだよ」
「(ふふふふふふ)」
驚いた娘の声に母が思わずふき出してしまう。
そして……
「ほらほら、ジタバタしないの」
母は抱きかかえた由香里の胴回りを、どうだとばかりにあらた
めて締め直す。母の太い腕に力がこもると、それはまるで大蛇に
締め付けられたように身動きがとれない。
母はこうやって何回も子供たちのお尻を叩いてきた。
それは何も幼い頃ばかりではない。中学生になっても、高校生
であっても、母の太い腕から斉藤家の子どもたちは誰も逃れられ
なかった。
母の恐怖は、大きな蛇に締め上げられるこうした圧迫感ばかり
ではない。今は父が鞭を振るっているが、当然このまま子どもの
尻を叩くことだってある。
大きな蜂の大群に襲われて、ピシピシと容赦なくお尻を刺され
まくるような恐怖の平手打ち。
もし、痛みに耐えかねて母の膝から逃げ出そうものなら、広い
居間の隅で、下半身を丸出しにして膝まづき、その姿のまま父の
帰りを待たなければならない。
そんなこと年頃の娘にとっては耐え難いほどの屈辱だったから
その意味でも母の怒りは恐怖の的だった。
この時代、斉藤家に限らずお家の中というのは、日本の法律が
及ばない、いわば治外法権みたいなものだったから、親はどんな
罰でも自由に決めてそれを子供たちに強いることができていた。
由香里が母の膝の上でおとなしくしているのも、幼い頃からの
そんな恐怖の歴史があってのこと。言葉だけで良家の子女が育て
られていないことは、暗黙の了解事項、ある種の常識だったので
ある。
母の強い締め上げによって由香里の身体の震えが止まりお尻も
落ち着きを取り戻すと、的が狙いやすくなったのだろう、父の鞭
が再び降りてくる。
「ピシッ」
「(ひぃ~~~~)」
今度は少し強めに叩かれたので、由香里は思わず声を上げよう
としたが、それを思いとどまらせたのはやはり母の太い腕だった。
身動きのできない身体が鞭の当たった瞬間さらに締め上げられ
逆にそれが心を落ち着かせていたのである。
「ピシッ」
「(ひぃ~~~~)」
由香里は、何とか声を出さないように自分の心を押さえつける
だけで精一杯だ。
ゴムの鞭といって甘くみてはいけない。ハイティーンに悲鳴を
上げさせることぐらいこれで簡単にできるのだ。
「あと、親には嘘をつかないようにしないとね。これが、一番
罪の重いことだからね」
「はい」
「私たちはお前がいつものように予備校の自習室で勉強してる
ものとばかり思っていたからね、お前がテレビに映っても最初は
全然気がつかなかった。お化粧のせいかもしれないけど……でも、
清美ちゃんや真理ちゃんが一緒に映っていたから、お前だとわか
ったんだ」
父がこう言うと、母は由香里の耳元で……
「お父様は鈍いわね。私だったらあなたがどんな化粧していて
も一目見てわかるわよ」
と、囁く。
「ま、それはともかく。これは私たちに対して嘘をついたこと
になるからね、ごめんなさいじゃすまないんだ。背信行為だから
やっぱり罰を受けて罪は償わなきゃ。それはわかるだろう?」
「はい」
由香里はオオム返しに答える。でもそれは鞭がまた一つか二つ
増えただけと思っていたからだ。
ところが……
「良いご返事だ。よし、ならば、これには鞭三つだ」
「え~~」
由香里は思わず叫んでしまった。立て続けに鞭三つは辛かった
からだ。しかし……
「何が、え~~だ」
父は顔をしかめる。そして……
「親に嘘をつくことはどんなことより罪深いことだって教えて
きたはずだよ。それを軽く考えてるのなら、もっとしっかり体に
刻み込まなきゃだめだな。……よし、鞭は六つだ」
「………………」
由香里は声にこそださなかったが、心の中は相当にショックだ
った。ゴムの鞭は一つ一つに間があけば、痛みがすぐに引くので
問題ないが、立て続けにやられると、そりゃあ痛いのだ。
『六回だなんて嫌よ。私、今日これからまだ勉強しなきゃいけ
ないのに、椅子に座れなくなっちゃうじゃない』
由香里は思ったが、18歳になっていても父が決めたお仕置き
には逆らえなかった。
18歳は身体こそ大人だが、心はまだ子供の想いをあちこちに
残している。特に親元で何不自由なく暮らしている子にとっては
いつでも甘えることのできる貴重な存在なわけで、日頃は散々に
不平不満を口にしていても、いざ親の前に出るとなると何も言え
ない逆らえない、そんな子が良い所の子には多かったのである。
由香里もそんな中の一人だから、ここは諦めて母の膝にすがり
つくしかなかった。
「ピシッ」
「ちょっと、やめて。もう少し待ってからにして、痛いもの」
由香里が顔を上げて不満を言うと……
「当たり前だ。痛いからお仕置きなんじゃないか。……お前は、
お仕置きされてるんだぞ、遊んでるんじゃない」
逆に父に凄まれ、由香里は顔を元に戻す。
それでも何か不満なのか床に敷かれた絨毯の模様をあらためて
見つめながら……
「そりゃあそうだけど……もう少しやさしくというか……愛情
があってもいいと思うんだけど……」
ぶつくさ独り言を言うのだった。
「何が愛情だ。自分がどれほど愛されてるのかわからんのか。
そもそもお仕置きしてもらえるなんてのは愛されてるからだろう
が……」
「変なの、お仕置きされてる子が愛されてるなんて……」
「何が変なものか。子どもを愛しているからこそ手元に置いて
育てるし、よくなって欲しいと思ってるからお仕置きするんじゃ
ないか。口を尖らせたりしてみっともない。お父さんのお仕置き
が嫌なら『御國園』にでも行くか?」
『!!!!えっ!!!!』
父の言葉に由香里は固まってしまう。
御国園というのは、キリスト教系の女子矯正施設。生活態度に
問題のある子を一時的に預かり、規則正しい生活習慣を身につけ
させることを目的としたリフォームスクールなのだが、何しろ、
スパルタで、生徒は24時間365日シスターのいやらしい体罰
に怯えながら暮らさなければならない。
おかげで、友だちの間でここは『地獄のキャンプ』とも呼ばれ
恐れられていたのである。
由香里は、父から、たとえ冗談にもせよ、そんな施設の名前を
聞かせて欲しくなかった。
「さあ、わかったら、今はしっかり我慢することだけ考えるん
だ。……ほらあ、だらっとお母さんの膝に寄りかからない。……
お前はもう十分に重たいんだから、お尻を上げてあげないとお母
さんが大変だよ」
父に言われ由香里は渋々自分のお尻を上げる。
そして、鞭打ちが再開。
「ピシッ」
「ひぃ~~~」
当たり前だが、そりゃあ痛い。一回目より二回目、二回目より
三回目と痛みが少しずつお尻に蓄積していくのだ。
「ピシッ」
「あぁぁぁぁぁぁ」
由香里はたまらずその場で地団太を踏んだ。
「ピシッ」
「いやあ~~~痛い、痛い、だめだめだめ、もうだめ」
由香里は耐えられず声を張り上げるが……
「何言ってるの。甘えるんじゃありません。見苦しいことする
ようだったら、お父様に言って鞭の数を増やしていただきますよ」
娘をたしなめたのは母だった。
と同時に、背骨が折れるんじゃないかと思うほどの渾身の力を
込めて娘の身体を抱きしめる。
そうしておいて、娘のお尻にはまた鞭が飛んできたのである。
「ピシッ」
「ひぃ~」
すると、今度は不思議に耐えられた。
女の子は、息も出来ないほど強く抱きしめられると、かえって
心が落ち着いて耐えられるのだ。
「ピシッ」
「あぁ~~~」
強く抱きしめられたこと、強くお尻をぶたれたこと、いずれも
男なら負の体験だが、由香里にとってそれは不思議な麻酔となり
ある種の秘薬となって日常生活では得られないような快楽を子宮
にもたらすことになる。
『この切ない気持は何だろう?』
すでに小学校の高学年時代から感じていたこの不思議な気持を、
今、また感じる。しかし、この不思議な気持を誰かに話したこと
など一度もない。文字通り、これは彼女の秘め事だった。
「よし、これくらいでいいだろう。お尻の痛みが明日に残った
ら、勉強に差し支えて、それもいけないだろうからな」
父にようやく許されて、由香里は母の膝を離れる。
振り返って父の顔を見る時、由香里はすでに許されているのに
ちょっぴり怖かった。
その怯えた顔を父も見たのだろう。由香里を呼び寄せると……
「最後におやすみのキスをしてくれるかな?」
父は笑顔で由香里の強張った顔を解きほぐし、今のお仕置きの
お礼を求める。
「ありがとうございます。お父様」
由香里は無精ひげの目立つ頬にキスをする。
これもまた斉藤家でのお仕置きのしきたりだった。
「お父さん、好きかい?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
由香里はこう言うしかなかった。
「来週は山中湖の方にでもドライブに行こう。そんな息抜きは
ちょくちょくあってもいいから。……今日は疲れただろう。もう
勉強はやめて、さっさと寝なさい」
父はこう言うと居間を離れていく。
彼には報告書に目を通しておくという仕事がまだ残っていたの
だった。
****************************
~ §1 お父様のお仕置き ~
午後11時30分。由香里は終電一つ前の電車を降りて、自宅
へと続く一本道を早足で歩く。
場所は山の手の高級住宅街。まだ治安もよい時代だったから、
暗い街灯の並木を独りで歩いていても心配することはないのかも
しれない。それでも18歳の少女にとって夜道は怖い。
自宅に近づくにしたがい、しだいに小走りになって……やがて
外灯がまだ灯る自宅へと入っていった。
「ただいま」
エントランスの明かりを点けると……
「おかえりなさい」
真っ暗な廊下の先で台所の明かりから母の声がする。
由香里は、今、予備校に通い、授業が終わるとそこの自習室で
勉強して、いつも今頃、自宅に帰ってくる。
「おかえりなさい」
母が玄関の娘に向かって叫ぶ声もいつもと変わらなかった。
これから母と居間で夜食を食べてもう少し遅くまで勉強する。
これも由香里の日課だ。
その予定で由香里は長い廊下を奥へと歩いて行ったのである。
「おう、由香里、帰ったか……お帰り」
途中、居間を通り抜ける時、父の声がした。
『えっ!?』
由香里は不意を突れた気分だ。
真夜中、父が自宅の居間にいて何の不思議もないはずなのだが、
由香里にしてみると、今日は仕事が忙しく帰らない予定と聞いて
いたからである。
だから、本来なら『お父様、ただいま帰りました』という挨拶
がスッと出てくるはずだが、それが出てこなかった。
「どうしたね、私の顔に何かついているのか?」
「……いえ、ただいま戻りました」
父にそう言われて、由香里は慌てて挨拶する。
『何かが普段と違う?』
由香里はその瞬間感じた。どこがどう違うのかは説明できない
が、そこは女の勘、少女の感性だろうか、18年同じ屋根の下で
一緒に暮らしてきた娘の経験がそれを訴えていたのである。
由香里は父から逃げるように母のいる台所へと向かう。
その時、父の座るソファでコロンの匂いが鼻についた。
『そうだわ、こんな遅い時間なのに、お父様が着替えてない』
由香里はそこに気づく。
普段なら、もうほとんど寝るだけのこの時間。お父様の衣装は
たいていガウン姿だ。それが、たとえ部屋着とはいえセーターに
スラックス姿。コロンの匂いがまだ残っているというのなら未だ
お風呂にも入っていないのだろう。
まるでこの真夜中に誰かと会う約束をしているみたいだった。
台所へ行くと母が鼻歌を歌いながら笑顔でうどんを煮ている。
それはいつもの姿。いつもの空気。
「お母さん、ただいま。今日のおうどんの具は何を入れたの?」
母の姿を見て安心した由香里が、母と並び鍋から上がる湯気を
覗き込むと……
「バカ」
母がいきなり由香里の耳元で小さく囁く。
思いがけない言葉に驚いて母の顔を見る由香里。
でも、その母の顔は笑顔で普段と何ら変わらなかった。
そして、変わらないその笑顔のまま、再び……
「今日は真理ちゃんや清美ちゃんと一緒だったんでしょう?」
『えっ!?』
母の言葉に動揺する由香里。
そこで……
「ねえ、いつのこと?」
と、母に尋ねてみたのだが……母はそれには答えず鍋を火から
下ろしてしまう。
次に出た言葉は……
「さあ、冷めないうちにいただきましょう」
というものだった。
ダイニングテーブルで食べる母と娘二人だけの夜食。
この間もっぱら食べるのは由香里だけで母はお茶を飲むだけ。
母は娘の旺盛な食欲に目を細めて笑っているだけてだった。
「今度、城南デパートでプレタポルテの発表会があるの。一緒
に行かない?」
「うん、うん」
由香里は湯気の立つどんぶりに顔を着けたまま頭を振る。
「私、勉強があるから……」
と、そっけなく断った。
「それはそうでしょうけど。でも、たまには息抜きもしなきゃ。
受験生だから大きなお休みはとれなくても小さな息抜きは必要よ。
根をつめすぎると、かえってそれが大きなロスに繋がってしまう
わ」
こうした母との会話も由香里にとっては毎夜のこと、この日も
母とはいつも通りの夜だったのだが……問題はこれからだった。
夜食を食べ終えたあと、母が食器を片付けながらなにげにこう
言うのだ。
「あなた今日は予備校の授業が終わってからどこか行ったの?」
「えっ……どこかって?……私は、いつものように自習室で」
由香里は咄嗟に取り繕ったが、本当はギクッと胸に突き刺さる
言葉だったのである。
「そう、ならいいけど……いえ、お父様が変なことおっしゃる
から……」
「変なこと?」
「いえ、いいのよ。大したことじゃないから……」
母は言葉を濁したが、実は由香里にはちょっと後ろ暗いところ
があった。
今夜は、この春すでに大学生になっていた真理や清美なんかと
示し合わせてディスコで遊んで帰って来たのだ。
母に気遣いをさせずとも、由香里は自分でちゃっかり息抜きの
時間を作っていたのである。
これが最初の経験だった三人は、入店する時こそおどおどして
いたが、店を出る頃にはノリノリ。
興奮冷めやらぬ三人は、店を出たところでいきなり向けられた
マイクにも、店の中での雰囲気そのままにノリノリで答えてしま
うのだった。
「今夜は最高。今度はお立ち台に上がるんだから」
清美が興奮気味に叫ぶと……真理も……
「由香里なんてね、知らない男の子に声掛けられちゃったんだ
から……」
「あの子、カッコよかったよね」
「あの子、カッコよかったよね」
二人の友だちから同時に振られて由香里は動揺する。
由香里はいまだ予備校生。まるでお酒に酔ったおじさん紳士と
同じようなテンションでははしゃげなかったのである。
すると、インタビュアーが……
「あなた方は、おいくつですか?」
と尋ねるので……
「……21です」
ちょっと間があって真理が答えると……
「全員、同じ歳なの?」
と、清美。
「そう、三人とも高校時代の同級生なんです」
最後は由香里も答えて、この瞬間から三人は一足早く21歳に
なったのだった。
由香里の脳裏にその時の思い出が蘇ったのだ。
『まさか、あれ、見てたなんてことないよね』
由香里は心配する。
でも、そのまさかだった。
「お父様が『由香里がテレビに映ってる』って大騒ぎするもの
だから慌てて居間に飛んでいったんだけど、その時はもう映って
いなくて……私、『人違いじゃないですかって笑ったら…』いや、
真理ちゃんや清美ちゃんたちとも一緒だったから間違いないって
…『大丈夫ですよ、由香里は真面目に予備校に通っていますから
心配には及びませんよ』って申し上げておいたけど…それでいい
かしら?」
「……ええ……まあ……」
由香里はいい加減な返事を母に返しながら……
『どうして、ディスコなんか行ったんだろう、どうしてテレビ
があんなところに来てるのよ』
由香里は後悔したものの、それも後の祭り。
「ねえ、お父様が心配なさってるから、あなたからそのことを
説明してちょうだい」
「そのことって?」
「だから、ディスコなんて行ってませんって……」
母の言葉は、由香里の心に重く圧し掛かった。
由香里は母に背を押され父の疑念を晴らすために居間へ……
でも、それってどうすることもできなかったのである。
居間に戻ると、父はそれまで英字新聞を読んでいたが由香里に
気づいくとそのタブロイド版を二つ折りに。
「おう、由香里。食事は済んだのか?……ん?……どうした?
顔色がよくないな。今夜もまだ勉強するのか?」
「えっ?……まあ……」
「体調が悪いのなら早めに床に入った方がいい。受験は長丁場、
焦ることはない。じっくり体調を整えて臨めば、お前の実力なら
大丈夫さ。今度は、風邪をひいてうまくいきませんでしたなんて
いい訳は聞きたくないからね」
「…………」
気をつけて見て見てもお父様はいつものお父様。
由香里には何か言いたいことがあるようには思えなかった。
そこで……
「それじゃあ、あたし、勉強するから……」
そう言って踵を返したら……。
「そうだ由香里。今日、お父さん、テレビを見ていたらね……」
そこまで言って父がふき出すので……
「えっ?」
由香里は思わず振り返ってしまう。
「テレビの中で、お前が21になった姿を見つけたよ」
振り返った由香里に、父は最初だけ笑っていたが、すぐにその
笑顔は消えて難しい顔になる。
その瞬間、父の難しい表情や21という言葉に……
『ヤバっ……』
由香里は思わずその場から逃げ出したい衝動にかられたが……
「…………」
もしこの場から逃げたとして、この先どうなるか、過去の経験
が思いとどまらせることになった。
斉藤家のルールでは、親に嘘をつく代償はお尻叩きと決まって
いて、それは18になった今でも変更されていなかったのである。
「今日、テレビを見ていたら、六本木のディスコから出てきた
三人のお嬢さんたちがTVのインタビューを受けててね、これが
お前や真理ちゃん清美ちゃんにそっくりなんだよ。ま、三人とも
化粧をしていたから素顔は別人なのかもしれないがね」
「………………」
由香里はたちまちその場に居たたまれなくなる。
というのも、そのTVのインタビューというのは、紛れもなく
今夜の出来事だったから。
ディスコを出てすぐのこと、いきなり突きつけられたマイクに
清美ちゃんが、そして真理ちゃんも反応してしまったのだ。
普段の二人はそんなに大胆ではないが、ひょっとしたらほんの
少しだけ舐めたカクテルが気を大きくさせてしまったのかもしれ
ない。
『そういえば、インタビュアーのおじさんに歳をきかれた真理、
やたら21を強調していたけど、あれはきっと未成年じゃまずい
と思ったわね』
由香里はその時の様子を詳細に思い出す。
あれもこれも今夜の出来事を色々と後悔してみるが、父を前に
してしまうと、それも何の役にもたたなかった。
そして、そんな娘を見て父親も……
「お前が化粧した姿なんて初めて見たよ。なかなか綺麗に出来
てたじゃないか。……自分でやったのか?」
「いいえ、清美のお姉さんに……」
「里美さんか、お前も21になる頃にはああしてもっと美しく
なるんだろうな。楽しみだ」
「…………」
由香里は、はにかんで俯く。女の子はどんな状況でも美しいと
言われるほど嬉しいことはないのだ。
「それで、化粧はどこでしたんだ?。衣装も借りたんだろう?
……それも、里美(清美のお姉さん)さんの処か?」
「……はい」
蚊の泣くような小さな声で答えると……
「ま、お前も18歳だ。あれもこれもしちゃいけないと言った
ら可哀想だろうから息抜きは色々あっていいと思うけど夜の街に
出るのはどうかな。それとお酒はまだダメだよ」
「あれは清美が無理やり勧めてきて……私はほんのちょっぴり
舐めただけで……」
心が舞い上がっていただろう由香里は余計なことをしゃべって
しまう。
「舐めただけか……」
父は苦笑しただけだったが……
『!!!』
その瞬間、由香里は背後に人の気配を感じる。
振り返ると、そこに母が立っていた。
こちらは父のように穏やかな顔ではない。はっきり言えば怒っ
た顔をして由香里を睨んでいたのである。
由香里は、その顔が物語る事の真実をそこで初めて知ることに
……。
『……そうか、この話、母の方が父をたきつけたんだわ』
長年、親子をやっていると娘はちょっとした情報だけで家庭内
の今がわかる。
実際、事実はその通りだった。
居間でくつろぐ夫婦の目の前。身体の線がくっきりと出る服を
着こなした娘が、突然、テレビの中に現れたのだ。
家の洋ダンスにはないような衣装を着て娘がいきなりテレビに
現れたものだから、当然、両親は驚いたわけだが、二人の間には
最初から温度差があった。
父の方はただ苦笑するだけ。
彼にしてみると、家に持ち帰った報告書に目を通すことの方が、
その時はよほど大事だったのである。
ただ母は心穏やかではない。体の線が出る派手な衣装を着込み、
普段はしないイヤリングをさげ付け睫も着けている。ルージュも
チークもコテコテで不自然。とにかく塗ればいい、そんな感じの
メイクだ。
『何なの、これは……やりたければ教えてあげるのに』
母から出るのはため息ばかり。本人はこれでも美しく変身した
つもりでいるのかもしれないが、ちっとも似合っていないのだ。
日頃、スッピンの顔しか見たことのない母にしてみれば、イン
タビューに答える娘の姿は、まるでサーカスのクラウンのようで
まるで晒し者のようにさえ見える。
「あの子、いったい何してるのよ?」
思わずテレビを見ていた母の口から独り言が出たくらいだった。
一方、由香里はというと、こちらは自分の行く末について考え
ていた。
もし、これが父親だけの怒りなら丸め込む方法は幾つかある。
彼女にはその自信もあった。ただ母の怒りを静める方法となると
こちらは皆目分からない。
女の怒りに理性も寛容もないことは、自分も同じ性なのだから
よく分かっていた。
そこで仮に父を丸め込んだとしてもお仕置きなしで今夜ベッド
ルームへ戻れる可能性は極めて低い。
これもまたこの家庭に生まれ育った由香里には先行きが見えて
しまう話なのだ。
絶体絶命の由香里。
確かに何のペナルティーもなくこの場を切り抜ける方法はない。
しかし、父のお仕置きを受けるか、母のお仕置きを受けるかなら、
まだ選択の余地が残っている。そこで……
「ごめんなさい。お父様、……私、嘘ついてました」
由香里は父に向かって素直に謝った。
咄嗟の判断ではない。彼女なりに色んなケースを想定したあげ
く『これが最も被害が少ない』と判断したのだ。
最悪のケースは父親に甘えて許してもらう場合。逆上した母が
何をしでかすか、由香里にはそれさえ分からない。
母との関係ではお仕置きだって、平手や鞭のスパンキングだけ
とは限らない。浣腸、お灸、蝋燭、木馬…SMまがいのお仕置き
がずらりと並ぶ。同性だけにむしろ遠慮が無いのだ。
そんな泥沼になるくらいなら、父親の前に身を投げた方がまだ
ましというもの。これが由香里の結論。お父様に身を任せた方が
かえって被害も少ないという読みだったのである。
「そうか、残念だな。お前はいつも良い子だと思っていたのに
……親の目を盗んで、夜の繁華街をうろつくなんて……とっても
いけないことなんだよ。特にお前はまだ浪人生、立場は高校生と
同じだ。大学生の清美ちゃんや真理ちゃんと比べても立場は同じ
じゃないんだ。……わかるだろう?」
「……はい、お父様」
「これは、お前が浪人したいと私に言ってきた時に話して聞か
せたよね。覚えているかい?」
「……はい」
「覚えているなら何よりだ。だったら、こうした場合には鞭を
お尻に受けなければならないというのも知っているだろう?……
うちの規則だからね」
「はい、お父様」
「よろしい、だったら準備をしなさい」
父が視線を移す先では母がすでにソファに腰を下ろしている。
「(あっ……)」
由香里は思わず生唾を飲む。彼女はくつろいでいるのではない。
可愛い生贄を待っているのだ。
母の目は父の鞭で由香里が思う存分泣き叫ぶのを期待する目。
そのきつい目に由香里は驚いたのだった。
そんな人の膝の上に、由香里は腹ばいにならなければならなか
ったのである。
由香里はゆっくりゆっくりお尻叩きの姿勢になった。
幼い頃は母の膝も広くて、とにかくそこへ倒れこみさえすれば
それはそれでよかったのだが、今は、自分の体が接するあちこち
が気になるのだ。
大きな身体は母の膝を飛び越えて両手が床に着くし、長い髪も
邪魔になる。胸の膨らみ、お臍の下の辺りだってこれが母の膝に
触れると不快だった。
母親は同性なのだから問題なさそうにも思えるが、押し当てた
胸の膨らみやお股の様子で何か悟られるんじゃないか、由香里は
余計な心配をしてしまうのだ。
母が娘のお腹にクッションを入れ、お尻は鞭が狙いやすいよう
より高い位置にセットされる。
こうなっても『ショーツは綺麗にしてただろうか。こんなこと
なら替えてくるんだった』などと少女にとっての心配の種は尽き
なかった。
女の子は自意識とコンプレックスの塊。だから自分の身体も、
最高に美しい時だけ他人に披露して、それ以外は見せたくない。
私の体は私だけのもの。唯一無二の財産。だから、私以外の人が
勝手に私の体に触れるなんて許せないし、その悪口だって絶対に
聞きたくないのだ。
でも、これは我家でのお仕置き。娘が自分勝手に決めた約束事
なんて両親には関係ない。たとえ訴えても『お前のわがまま』と
一蹴されるだけ。そんなことは由香里も当然わかっていた。
「さあ、準備はできたかな」
大きな子どもが母の膝の上に乗ると、頭の上から父の声がする。
「今日は、予備校の授業が終わったあとは、自習室でそのまま
勉強していたんじゃなくて、ディスコへ遊びに行ったんだね」
「はい」
由香里は申し訳なさそうな小さな声で答える。
すると、今度は母が……
「六本木にいきなりじゃないでしょうが……まずは里美さんの
マンションに行って、そこで里美さんの衣装を借りて、里美さん
からお化粧までしてもらって、それから出かけたんでしょう」
母は娘の行動を大胆に推理してみせる。
すると……
「えっ……あっ、はい」
由香里は母の言葉にあわせ思わず息を呑む。
それは母の思い込みが百%真実だったからではない。母の言葉
が一部事実と異なっていたから、逆に言葉に詰まったのだった。
実はその時の衣装、化粧道具はお年玉をはたいて買ったもの。
自宅では親がうるさいから里美さんのマンションに預けておいた
ものなのだ。
ただ親にその事実は言えない。とにかく一刻も早く母の膝から
降りたい由香里にとってこれ以上余計な波風を立てたくなかった
から、思わず言葉を飲み込むことにしたのである。
「なるほど……私は、偶然出会った友だちに誘われて仕方なく
着いて行ったのかとばかり思ってたけど、どうやらこれはかなり
計画的な犯行だったわけだ」
父はほっぺたをぷっと膨らませると硬質ゴムで出来た一本鞭を
由香里のぷくっと目立つお尻に当ててくる。
いざ本番、そういう時になって狙いを外さぬよう、あらかじめ
間合いを計っているのだ。
母の膝でプルプルと震えるやんちゃなお尻を打ちすえるのに、
この3フィートの長さが一番適していた。
「困ったね」
父のこの一言だけでも由香里は身の縮む思いだ。
この家で鞭のお仕置きがある場合、男の子ならそれはもっぱら
ケインだが、女の子の時は傷が残るのを恐れて親も籐鞭は使わず
鞭はほとんどがゴム製だった。
ゴム製の鞭は皮膚の表面だけに衝撃が集中するため裂傷の危険
が少なく、万一、血が滲むようなことがあっても傷口が浅いため
痕が残らない。
ケインのような肉をえぐるような痛みはないものの、女の子の
お仕置きとしてはこれで十分。彼女たちにとっては、無様な姿を
晒し続けているこの瞬間こそが何よりのお仕置きだったのである。
事実、こうして鞭の先っちょでお尻をちょんちょんと突かれる
だけでも、由香里は生きた心地がしなかった。
その恐怖の源泉は幼い日の苦い経験。
由香里は小学校の高学年から中学生の始めの頃、母にがっちり
体を押さえつけられ、身じろぎひとつ許されないまま父からこの
ゴムの鞭でお尻を何ダースもぶたれた経験があり、それが今でも
トラウマになっている。
さすがに高校生になってからは滅多に行われなくなったものの、
両親が娘の躾にとって重要と思っていたその時期には、だいたい
一学期に1回や2回は必ず行われる斉藤家の儀式だったのだ。
その痛かったこと。
あまりの痛さに半狂乱になって泣き叫び、ごめんなさいは何回
言ったかわからない。でも、約束の回数が終わるまでは、決して
許してもらえなかった。
おかげで、途中母の膝にお漏らしをしてしまったり、それでは
足りないとばかり母からあらためてお灸をすえられたりもした。
そんな恐怖の歴史が、今なお由香里の脳裏をよぎるのである。
「まず、今日はお勉強をさぼっちゃったこと、これがいけない
な。分かるよね?」
「はい、……お父様」
最近、あまりこの姿にならなかったので、最後のお父様という
言葉を付けるのが少し遅れた。
普段は『お父さん』で十分だが、こうしてお仕置きを受ける時
だけは『お父様』と様付けして呼ぶ習慣になっていたのだ。
「歯を喰いしばって……」
父がこう言うと、さっそく最初の一撃がヒットする。
「ピシッ」
乾いた音が居間に鳴り響き、由香里は思わず下唇を噛む。
「(ひっ~~~~)」
由香里にとっては久しぶりの衝撃。
でも、それって幼い頃にはよくあった出来事だから、その一撃
ですぐに昔の痛みを思い出すことができた。
『みっともなく泣きわめきませんように』
そんな心配が頭をよぎる。
「遊びに行った場所も感心しないよね。六本木のような盛り場
に未成年の娘が……それも、夜、出歩くなんて……」
「ごめんなさい、お父様」
「どのくらいいけないことだったか教えてあげるから、じっと
してるんだ」
父はこう言うと、二発目を打ち下ろす。
「(ひぃ~~~~~~~~~)」
全身に電気が走って痺れる。
それは一発目よりはるかに痛くて涙が滲んだ。
「わかったか?」
「くすん……は、はい」
小さく鼻をすすり、由香里は父に答える。
本当はすでにお尻に手を回してさすりたかったが、そんな事は
許されない。お仕置き中は何が何でも必死に我慢して手をお尻に
回してはいけないルールだったのである。
「それだけじゃない。あの服は、どうしたの?」
「あれは…………」
しばらく間があってから、
「里美お姉さんのところで借りて……」
申し訳なさそうに答える由香里。
でも、母には娘のそれが真実でないことを、女の勘、母の勘で
感じ取っていた。
「お化粧も里美お姉さんに手伝ってもらったのかい?」
「はい」
由香里は自信を持って答えるが、これも嘘だと母は感じていた。
やりなれた者があんな下手なメイクをするはずがないからである。
「それじゃあ、これは二つだ。『浪人中は高校生らしい服装で
過ごし、お化粧だって大学生になるまでしません』っていう約束
だったよね」
「えっ、どうして二つなの!」
由香里は思わず頭を振って父親を見つめる。
「だって、服とお化粧で二つだろう?」
「えっ?それって別なの!?」
「そうだよ」
「(ふふふふふふ)」
驚いた娘の声に母が思わずふき出してしまう。
そして……
「ほらほら、ジタバタしないの」
母は抱きかかえた由香里の胴回りを、どうだとばかりにあらた
めて締め直す。母の太い腕に力がこもると、それはまるで大蛇に
締め付けられたように身動きがとれない。
母はこうやって何回も子供たちのお尻を叩いてきた。
それは何も幼い頃ばかりではない。中学生になっても、高校生
であっても、母の太い腕から斉藤家の子どもたちは誰も逃れられ
なかった。
母の恐怖は、大きな蛇に締め上げられるこうした圧迫感ばかり
ではない。今は父が鞭を振るっているが、当然このまま子どもの
尻を叩くことだってある。
大きな蜂の大群に襲われて、ピシピシと容赦なくお尻を刺され
まくるような恐怖の平手打ち。
もし、痛みに耐えかねて母の膝から逃げ出そうものなら、広い
居間の隅で、下半身を丸出しにして膝まづき、その姿のまま父の
帰りを待たなければならない。
そんなこと年頃の娘にとっては耐え難いほどの屈辱だったから
その意味でも母の怒りは恐怖の的だった。
この時代、斉藤家に限らずお家の中というのは、日本の法律が
及ばない、いわば治外法権みたいなものだったから、親はどんな
罰でも自由に決めてそれを子供たちに強いることができていた。
由香里が母の膝の上でおとなしくしているのも、幼い頃からの
そんな恐怖の歴史があってのこと。言葉だけで良家の子女が育て
られていないことは、暗黙の了解事項、ある種の常識だったので
ある。
母の強い締め上げによって由香里の身体の震えが止まりお尻も
落ち着きを取り戻すと、的が狙いやすくなったのだろう、父の鞭
が再び降りてくる。
「ピシッ」
「(ひぃ~~~~)」
今度は少し強めに叩かれたので、由香里は思わず声を上げよう
としたが、それを思いとどまらせたのはやはり母の太い腕だった。
身動きのできない身体が鞭の当たった瞬間さらに締め上げられ
逆にそれが心を落ち着かせていたのである。
「ピシッ」
「(ひぃ~~~~)」
由香里は、何とか声を出さないように自分の心を押さえつける
だけで精一杯だ。
ゴムの鞭といって甘くみてはいけない。ハイティーンに悲鳴を
上げさせることぐらいこれで簡単にできるのだ。
「あと、親には嘘をつかないようにしないとね。これが、一番
罪の重いことだからね」
「はい」
「私たちはお前がいつものように予備校の自習室で勉強してる
ものとばかり思っていたからね、お前がテレビに映っても最初は
全然気がつかなかった。お化粧のせいかもしれないけど……でも、
清美ちゃんや真理ちゃんが一緒に映っていたから、お前だとわか
ったんだ」
父がこう言うと、母は由香里の耳元で……
「お父様は鈍いわね。私だったらあなたがどんな化粧していて
も一目見てわかるわよ」
と、囁く。
「ま、それはともかく。これは私たちに対して嘘をついたこと
になるからね、ごめんなさいじゃすまないんだ。背信行為だから
やっぱり罰を受けて罪は償わなきゃ。それはわかるだろう?」
「はい」
由香里はオオム返しに答える。でもそれは鞭がまた一つか二つ
増えただけと思っていたからだ。
ところが……
「良いご返事だ。よし、ならば、これには鞭三つだ」
「え~~」
由香里は思わず叫んでしまった。立て続けに鞭三つは辛かった
からだ。しかし……
「何が、え~~だ」
父は顔をしかめる。そして……
「親に嘘をつくことはどんなことより罪深いことだって教えて
きたはずだよ。それを軽く考えてるのなら、もっとしっかり体に
刻み込まなきゃだめだな。……よし、鞭は六つだ」
「………………」
由香里は声にこそださなかったが、心の中は相当にショックだ
った。ゴムの鞭は一つ一つに間があけば、痛みがすぐに引くので
問題ないが、立て続けにやられると、そりゃあ痛いのだ。
『六回だなんて嫌よ。私、今日これからまだ勉強しなきゃいけ
ないのに、椅子に座れなくなっちゃうじゃない』
由香里は思ったが、18歳になっていても父が決めたお仕置き
には逆らえなかった。
18歳は身体こそ大人だが、心はまだ子供の想いをあちこちに
残している。特に親元で何不自由なく暮らしている子にとっては
いつでも甘えることのできる貴重な存在なわけで、日頃は散々に
不平不満を口にしていても、いざ親の前に出るとなると何も言え
ない逆らえない、そんな子が良い所の子には多かったのである。
由香里もそんな中の一人だから、ここは諦めて母の膝にすがり
つくしかなかった。
「ピシッ」
「ちょっと、やめて。もう少し待ってからにして、痛いもの」
由香里が顔を上げて不満を言うと……
「当たり前だ。痛いからお仕置きなんじゃないか。……お前は、
お仕置きされてるんだぞ、遊んでるんじゃない」
逆に父に凄まれ、由香里は顔を元に戻す。
それでも何か不満なのか床に敷かれた絨毯の模様をあらためて
見つめながら……
「そりゃあそうだけど……もう少しやさしくというか……愛情
があってもいいと思うんだけど……」
ぶつくさ独り言を言うのだった。
「何が愛情だ。自分がどれほど愛されてるのかわからんのか。
そもそもお仕置きしてもらえるなんてのは愛されてるからだろう
が……」
「変なの、お仕置きされてる子が愛されてるなんて……」
「何が変なものか。子どもを愛しているからこそ手元に置いて
育てるし、よくなって欲しいと思ってるからお仕置きするんじゃ
ないか。口を尖らせたりしてみっともない。お父さんのお仕置き
が嫌なら『御國園』にでも行くか?」
『!!!!えっ!!!!』
父の言葉に由香里は固まってしまう。
御国園というのは、キリスト教系の女子矯正施設。生活態度に
問題のある子を一時的に預かり、規則正しい生活習慣を身につけ
させることを目的としたリフォームスクールなのだが、何しろ、
スパルタで、生徒は24時間365日シスターのいやらしい体罰
に怯えながら暮らさなければならない。
おかげで、友だちの間でここは『地獄のキャンプ』とも呼ばれ
恐れられていたのである。
由香里は、父から、たとえ冗談にもせよ、そんな施設の名前を
聞かせて欲しくなかった。
「さあ、わかったら、今はしっかり我慢することだけ考えるん
だ。……ほらあ、だらっとお母さんの膝に寄りかからない。……
お前はもう十分に重たいんだから、お尻を上げてあげないとお母
さんが大変だよ」
父に言われ由香里は渋々自分のお尻を上げる。
そして、鞭打ちが再開。
「ピシッ」
「ひぃ~~~」
当たり前だが、そりゃあ痛い。一回目より二回目、二回目より
三回目と痛みが少しずつお尻に蓄積していくのだ。
「ピシッ」
「あぁぁぁぁぁぁ」
由香里はたまらずその場で地団太を踏んだ。
「ピシッ」
「いやあ~~~痛い、痛い、だめだめだめ、もうだめ」
由香里は耐えられず声を張り上げるが……
「何言ってるの。甘えるんじゃありません。見苦しいことする
ようだったら、お父様に言って鞭の数を増やしていただきますよ」
娘をたしなめたのは母だった。
と同時に、背骨が折れるんじゃないかと思うほどの渾身の力を
込めて娘の身体を抱きしめる。
そうしておいて、娘のお尻にはまた鞭が飛んできたのである。
「ピシッ」
「ひぃ~」
すると、今度は不思議に耐えられた。
女の子は、息も出来ないほど強く抱きしめられると、かえって
心が落ち着いて耐えられるのだ。
「ピシッ」
「あぁ~~~」
強く抱きしめられたこと、強くお尻をぶたれたこと、いずれも
男なら負の体験だが、由香里にとってそれは不思議な麻酔となり
ある種の秘薬となって日常生活では得られないような快楽を子宮
にもたらすことになる。
『この切ない気持は何だろう?』
すでに小学校の高学年時代から感じていたこの不思議な気持を、
今、また感じる。しかし、この不思議な気持を誰かに話したこと
など一度もない。文字通り、これは彼女の秘め事だった。
「よし、これくらいでいいだろう。お尻の痛みが明日に残った
ら、勉強に差し支えて、それもいけないだろうからな」
父にようやく許されて、由香里は母の膝を離れる。
振り返って父の顔を見る時、由香里はすでに許されているのに
ちょっぴり怖かった。
その怯えた顔を父も見たのだろう。由香里を呼び寄せると……
「最後におやすみのキスをしてくれるかな?」
父は笑顔で由香里の強張った顔を解きほぐし、今のお仕置きの
お礼を求める。
「ありがとうございます。お父様」
由香里は無精ひげの目立つ頬にキスをする。
これもまた斉藤家でのお仕置きのしきたりだった。
「お父さん、好きかい?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
由香里はこう言うしかなかった。
「来週は山中湖の方にでもドライブに行こう。そんな息抜きは
ちょくちょくあってもいいから。……今日は疲れただろう。もう
勉強はやめて、さっさと寝なさい」
父はこう言うと居間を離れていく。
彼には報告書に目を通しておくという仕事がまだ残っていたの
だった。
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