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第8章 愛の谷間で(3)

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第8章 愛の谷間で

§3 日本という国

 アンの全国大会は3位という結果だった。

 ラックスマン教授やビーアマン先生、ホフマン博士やフリード
リヒ伯爵までもが国際列車でブリュセルまで応援に駆けつけてく
れたのだから、本当は優勝したかったが、ヨーロッパじゅうから
猛者が集まる中での3位なのだからまずまずの成果だろう。

 少なくとも、関係者一同にアン・ブラウンという名前を覚えて
もらうには、それは十分だったのかもしれない。

 そう、アンはこの時、正式にブラウン家の養女となったのだ。

 「養女と言っても、紙切れだけの話です。別に私の財産が引き
継げるわけではありませんから。あれは里子たちの養育費として
残しておかなければなりませんからね。誰にも渡すわけにはいか
ないんですよ。……それでよければ、どうです。………カレン、
いいですよ。あなたも私の養女になってみますか?」

 ブラウン先生は軽口を叩く。
 ちょうどその時、先生はアンとハンス、それにお供で付き添わ
せたカレンと一緒に駅の改札へと向っていたのである。

 すると、見慣れた顔が待合室に見える。
 しかも彼女、何だかとても心配そうな様子だったのだ。

 「どうしました?アモンさん。賞を逃してがっかりでしたか?」

 ブラウン先生はそう言って尋ねたが、サンドラはきりっと口を
閉じて横を向いてしまう。

 「おやおや、嫌われてしまいましたかね。……どうでしょう。
察するに、あなたコンクールとは別のことで何か困りごとを抱え
ているのではありませんか?」

 こう問われると少女は下を向いてしまった。

 「やっぱりそうですか。私はこう見えても、たくさんの子ども
たちのお父さんですからね、そのあたりは察しがいいんですよ。
……時に、マクミラン先生のお顔が見えませんが、どちらに?」

 「先生は急に演奏会の代役を頼まれて、先にボンへ帰っちゃっ
たんです」

 「そりゃまた、随分と薄情ですね」

 「仕方ないんです。契約は今日までなんで……」

 「では、お父様やお母様は?」
 「いるけど……ここへはこないわ。あの人たちピアノに興味が
ないもの。……お父様はいつも忙しい人だし、お母様は継母なの。
私の事なんか知ったことじゃないわ」

 「そうですか?……では、今日の列車で帰るんですか?」

 「それができないから困ってるのよ?マクミランの奴、日にち
間違えちゃって明日のキップ買って渡したのよ。駅の人に頼んで
みたけど、席があいてないからダメだって言うし……ホテル代も
ないから今日はここで野宿かなって思ってたとこなの」

 「そりゃまた大変ですね。そういう事情でしたらどうでしょう。
私たちとご一緒しませんか?同郷のよしみということで……実は、
私たちも明日の切符なんですよ。今日の夜はコンサートを聴いて、
明日はサッカーの試合を見て帰る予定です。もちろん、ホテル代
や入場料くらいは私がもちますよ」

 「えっ!?」
 サンドラは驚き、困惑の顔になった。
 見ず知らずとは言わないまでも、これまでそれほど親しく付き
合いのない大人にいきなり誘われたからだ。

 『ひょっとして人攫い』
 なんて……12歳の少女の脳裏に、一瞬そんな言葉がよぎった
としても不思議ではないだろう。
 だから、答えは容易に出てこないのだ。

 「そうだ、まずはあなたのお宅に電話をしないと……きっと、
あなたのこと、ご両親が心配しておられますよ」
 ブラウン先生は、まず彼女の実家に電話をかけることにしたの
である。

 すると、電話口の相手は丁寧な応対ぶりで、すべてをブラウン
先生に任せると言う。
 そこで、一人増えて五人での道中が決まったのだった。

 「コンサートって?……今、何かやってましたっけ……」
 サンドラが尋ねるので、ブラウン先生は恥ずかしそうに……
 「コンサートといっても有名なオーケストラではないんです。
日本の楽団ですから……」

 「日本って?」
 サンドラが尋ねると……

 「極東の島国よ。中国の先にちょこっとだけある小さな国」
 カレンが最初に説明して……

 「先生は、昔、そこで捕虜になってたことがあったんだけど、
結核になって入院したから他の人たちと一緒には帰れなかったの。
病気は治ったんだけど戦争の混乱で迎えの船が来ないもんだから
三ヶ月間もその国の軍医さんの自宅で同居することになった」
 アンが続く。

 「でも、そこで暮らしがよほど気に入ったみたいで、先生は、
日本人がこちらへ来るたびに世話をやいているんだ」
 ハンスが締めくくった。

 「あまり聞かないけど、その国のオーケストラって上手なの?」
 サンドラの質問に今度はブラウン先生が答えた。

 「残念ながら上手じゃありません。紹介記事を書くのにとても
苦労しますから。でも、一生懸命やっていますからね。つい情に
ほだされてしまうんです」

 「要するに才能がないんだ」

 「それは仕方がありませんよ。彼らは、我々の文化からは遠く
離れた処に住んでいる人たちです。我々なら容易に耳にすること
のできる最上の交響楽団の音を子供の頃に聞いてませんからね。
本物がどういうものか、そもそもわかってないんです」

 「じゃあ、ハーモニーがめちゃくちゃなの?」

 「いえいえ、そんな事はありません。とても綺麗なハーモニー
ですよ」

 「じゃあ、何がいけないの?」

 「音が小さいんです。補聴器が必要です」
 ブラウン先生は笑う。

 「えっ、そんなに……」
 サンドラが真に受けたような顔をするので……
 「冗談ですよ。でも、金管楽器の音量が不足しているのは事実
です。彼らは身体も小さく肺活量が小さいので、金管楽器を吹き
こなすのに苦労しているみたいなんです」

 「日本人って小人の国なんだ」

 「そんな事もありませんが、みんな背は低いです。……でも、
もっといけないのは、その弱い金管楽器を基準に音を組み立てて
しまうことです。彼らは弱い金管楽器が耳障りになってハーモニ
ーを阻害すると思ってるみたいですがオーケストラの音色という
のは弱い処があっても美しく響かせることはできるんです。ただ、
彼らはそうしてできあがった音楽を美しいと感じないから、全て
が整った音であることにこだわるんです」

 「金管パートが弱かったら、後からついてこさせればいいのに
……他のパートが犠牲になるなんておかしいですよ」
 ハンスが言うと……

 「もし、それでも金管パートの人たちがついてこれなかったら?」
 アンが尋ねた。

 「その時は仕方がないじゃないか。今できるところまでで聞い
てもらうさ。金管パートの人たちだって自分たちが遅れていると
思えばそれだけ努力するだろうし………だいいち、そんなこと、
恥ずかしいことでも何でもないもの」

 「ハンス、それはね、私たちの価値観なんです。彼らはそれが
とっても恥ずかしいことだと感じてしまうからできないんですよ」

 「つまらない人たちですね。本来10ある力を、5にも3にも
削ってしまうなんて……」

 「でも、そう捨てたものでもありませんよ。そんな文化だから
こそ、あんな小さな島に一億もの人たちが同居できるんですから」

 「イ・チ・オ・クって?……そんなにいるんですか?」

 「そうですよ。一億人もいるんです。たとえ、トランペットや
ホルンが吹けなくても、サッカーが下手くそでも、仲良く暮らす
ということだけ考えたら、彼らは天才的な技能者集団なんです。
とりわけ、母親の慈愛は凄くてね、我々から見ると、どうして、
こんなにも献身的な愛を子供に注げるのか不思議なくらいです。
ですから、成長した彼らも母親をとっても敬愛していましてね、
彼らは自分の国のことは『母国』とは呼んでも『父国』とは呼ば
ないくらいなんです」

 「故国は母の国ですか」

 「そういうことです。西欧人は日本は国会議員や社長に女性が
少ないから、女性が虐げられていると誤解しているようですがね、
事実は逆なんです。これほど女性の意見が通る国は世界でも珍し
いんですよ。むしろ、ストレスを感じないからあえて責任のある
表舞台には出ないんです。考えてもごらんなさい。夫が稼いだ金
を全部自分の懐に入れて、悠々と家計をやりくりできる国なんて
このヨーロッパにありますか?」

 「えっ!そんなことできるんですか?初耳です。そんな風習が
あるなんて初めて聞きました。……でも、夫はそんなことさせて
大丈夫なんですか?」
 ハンスは先生のご機嫌をとって食いつくように尋ねる。

 「大丈夫ですよ。いくら自分の処にあるお金といってもあの国
の奥さんは自分のものだけ買ったりはしませんからね。だから、
夫だって安心して任せているんです。……政治の世界も同じでね。
女性の代議士がいなくても、労働者出身の代議士がいなくても、
その予算は十分に確保されていますからね、急進的な左翼も育た
ないし女性もあえて代議士を目指さないんです。女性というのは、
本来杓子定規な世界があまり好きではありませんからね。代議士
なんかに誘われても、なかなか腰が重いんですよ。…そんな平和
な国で暮らしていると『いったい、どっちが先進国なんだろう』
って考えさせられることが何度もありました」

 ブラウン先生が日本のことについて話し始めると、止まらなく
なるのは子供たちみんなが知っていること。だからハンスに子守
を頼んで、脇では女の子たちがサンドラと井戸端会議を楽しんで
いた。

 「サンドラ、あなたのお母さんって継母なの?」
 アンが口火を切る。

 ぶしつけな質問にもサンドラはそれほど嫌そうな顔を見せなか
った。

 「ええ、そうよ。ここに来る時だって、玄関に向って『行って
らっしゃい』って言っただけ。私が振り向いたら、もうTIME
を読んでたわ。だから、私が道に迷ったって、探しもしないし、
そもそも迎えに来るような人じゃないのよ」

 「お父様は?」

 「あの人はいつも忙しくて私にはノータッチ。そもそも滅多に
家にいないもの」

 「でも、マクミラン先生にレッスンを受けてるんでしょう?」
 アンに続いてカレンも加わる。
 「そうそう、なかなかハンサムな先生よね」

 「どうだか。あの先生とはビジネスライクなお付き合いなの」

 「ねえ、言い寄られたことってないの?」

 「言い寄るって?」

 「だから……『君が好きだよ』とか……」

 「馬鹿馬鹿しい。あの人、女の子に興味なんてないもん。……
お友達に女の子はいないわ。みんな男ばっかり………そうそう、
そこのハンスさんなんかお友達になれるんじゃないかなあ」

 「ハンスがあ~~」
 アンは笑うが……
 「だって、なかなかハンサムじゃない」
 「そうかなあ」
 アンにとってハンスは幼馴染。あまりに近過ぎて、そうは思え
ないのだった。

 「ねえ、何でピアノ始めたの?」
 カレンが尋ねると……

 「私が学校に行かなくなって、ご近所に体裁が悪いもんだから、
継母が強制したのよ。新しい曲が弾けるようになると、そのたび
に教会へ行ってご近所の人たちに聞いてもらってたんだけど……
お義理にでも拍手をもらえるのが嬉しくて続けてたの」

 「でも、すごいテクニックよね」

 「超絶技巧っていうのかしらね。私もまねできないわ」

 「だって、聞いてる人たちは音楽とは関係ない人たちだもん。
テンポの速い曲をどれだけ華麗にかっこよく聞かせるかが大事な
の。それで拍手をもらうんだもん。テンポの遅い曲は、そんなに
難しそうに聞こえないからだめなのよ」

 「なるほど、そういう事情でしたか」
 ここで、ブラウン先生が女の子たちの中へと割り込む。しかし、
それは女の子たちのお話に割り込むためではなく、引率者として
の注意事項を説明するためだった。

 「さあ、コンサート会場へ着きましたよ。皆さんにとっては、
退屈な時間かもしれませんが、とにかく、一人でも多くの頭数を
増やさないといけませんから、お父さんを助けると思って椅子に
座っててくださいね」

 ブラウン先生はこう注意して会場内へと入る。

 なかでは、ラックスマン教授やビ-アマン先生、ホフマン博士
などといったいつものお仲間に加えて、地元の名士などへも挨拶
回りをしなければならない。
 そして何より、西田と名乗る紳士に会わなければならなかった。

 「ブラウン先生、このたびはご協力ありがとうございます」

 「いやいや、私の力などは取るに足りませんが、まずは盛況で
何よりです」

 「実は、お手紙でもご相談した件なのですが……」
 彼は恐縮そうな顔で傍らにいた少女の背中を押す。

 そこには、まだ可愛らしいという表現がぴったりとくる女の子
が立っていた。

 「ご挨拶しなさい」
 父親に促されて、お人形が口を開く。

 「始めましてアイコ、ニシダです。よろしくお願いします」

 「おう!これはこれは可愛いお嬢さんさんだ。……始めまして、
私がトーマス・ブラウンです。何でもピアニストになりたいんだ
とか……」

 ブラウン先生がそう言った直後、彼は少女がほんの一瞬暗い顔
になったのを見逃さなかった。

 「はい、先生」
 娘はすぐに明るい顔を取り戻して先生に微笑んで見せたのだが
……。

 「それで、今回はシュリーゲル音楽院のピアノ科に入学させた
いと思っているのですが……何しろ、親ばかで……冷静になって
娘の実力を測りかねているのです。……そこで先生に忌憚のない
ご意見をいただけないかと思いまして……よろしければ、一度、
娘のピアノを聞いていただけないかと……」

 「ええ、その件は承知しております。明日、午前10時にここ
でお会いしましょう。……あっ、そうそう、私も他の用事の帰り
でしてね、子供たちを抱えているんですが、同席させてよろしい
でしょうか?」

 「ええ、かまいませんよ。なにぶん、よろしくお願いします」

 二人は、その夜、こんな会話をして分かれた。

*******************(3)******

第8章 愛の谷間で(2)

第8章 愛の谷間で

§2 フレデリックのお仕置き


 とある夜のこと、ブラウン先生の寝室では男の子のお仕置きが
行われていた。

 罪人は坊ちゃん刈りでソバカス顔のフレデリック。どうやら、
おやつとして食料倉庫にストックしてあったベーグルとマフィン
を摘み食いしたというのが罪状らしい。
 カレンが部屋に入ってきた時には、ベスに背中から羽交い絞め
にされ、ブラウン先生からは、石けんの着いたタオルで口の中を
掃除させられているところだった。

 「あっわ、あっっ、うっっっ……げえっっっ」

 苦しい息の下、吐き気を伴ってとても辛そうで見ていられない
が、昔から子どもが嘘をついたりすると親がよくやるお仕置きで、
これだけとってみれば、ブラウン家のオリジナルというわけでは
ない。

 「よろしい、これでお口のなかは何とか綺麗になりましたね」
 こう言うと、ブラウン先生はそれまでの難しい顔をあらため、
入ってきたカレンを笑顔で迎える。

 「あっ、カレン、待ってましたよ。この腕白小僧のお仕置きを
手伝ってください」

 カレンは先生の言葉に小さな衝撃をおぼえた。
 たしかに、今までだってお姉さんとして妹たちのお仕置きにも
参加していたカレンだが、男の子を扱ったことは一度もなかった
のである。

 「えっ!」

 狼狽して、顔を赤らめるカレンにブラウン先生は……

 「大丈夫、大丈夫、フレデリックはまだ子どもです。それに、
あなただって、将来、男の子を持つ可能性もあるわけだし、慣れ
ておくにこしたことはありませんよ」

 お父様に説得されて、カレンはフレデリックのお仕置きに参加
することになったのだ。

 「さあ、お待たせしましたね。準備ができましたよ。リック、
お腹の中に溜め込んだものを全部出してしまいましょうか」

 先生にこう言われて、フレデリックは及び腰になる。

 「お父様、お……お、浣腸するの?」
 思わず、フレデリックの声が震える。

 「そうですよ。口の中は綺麗になりましたがね、いったん飲み
込んでしまっただものはお尻から出すしかないでしょう」

 「そんなこと言っても……だいいち、出しても……そんなもの、
もう食べられませんし……」

 フレデリックはしどろもどろ。照れ隠しに、ほんのちょっぴり
笑みを浮かべると、ブラウン先生の顔が急に険しくなって……

 「当たり前です!何を考えてるんですか!馬鹿ですね、あなた」
 大声になった。

 「あなたが泥棒したものをそのままあなたのお腹の中に入れて
おくわけにはいかないでしょう。……だから、出すんです」

 「……その分は、あしたのおやつを抜いてもいいですから……」
 フレデリックは父親の剣幕に怯えながらも小声で最後の抵抗を
試みた。
 しかし……

 「あなた、わかっていませんね。あなたが摘み食いするたびに
何度も言ってきたことですよ。……いいですか、ここは山の中の
一軒家なんです。町の中のように食料がなくなったからといって
すぐに買いにはいけない場所にあるんですよ。だから、一週間分
きっちり必要な分を買い込んでストックしてあるんです。それを、
みんなが勝手に食べたらどうなりますか?他の人たちはひもじい
思いをすることになるんですよ」

 「オーバーだなあ。マフィン三つくらいで……まだ、いっぱい
あったのに……まったく…お父様はケチなんだから……」
 フレデリックは下を向き、口を尖らせて、小声でぼやいた。

 それって、お父様に聞かせるつもりがあったのかどうかはわか
らないが、いずれにしても、聞こえてしまったら、ただではすま
なかったのである。

 「フレデリック、顔を上げてこっちを向きなさい。あなたも男
でしょう。言いたい事があるならはっきりいいなさい」

 「……………」

 「いいですか、たった三つのマフィンでも我が家の財産です。
あなたのものではありません。あなたのものなんて、この家には
何一つないんです。食べ物だけじゃありませんよ。あなたが、今、
着ている服、靴、帽子、勉強道具、おもちゃ……みんな私のもの
です。何なら、親子の縁は切りますから、素っ裸で今すぐこの家
を出て行きますか!!!」

 「………………」
 強い調子でお父様から言われると、さすがに、フレデリックも
次の言葉が出てこない。

 ブラウン先生は、大変子煩悩な人なので、里子みんなを愛して
いたし、子供たちがお腹をすかせたり、着るものや学用品、玩具
にいたるまで生活面で不自由することは何もなかった。

 ただそれと同時に、彼は子供たちがその事を『当然のこと』と
誤解してほしくなかった。里子であるという現実は忘れてほしく
なかったのである。

 ブラウン先生は、たとえお仕置きとしても、子供たちを全裸で
家の外へ追放するなんてことはしなかった。それが里子たちの心
を闇に追いやるからだ。

 しかし、お風呂に入る時やベッドで一緒に寝る時は、子供たち
を裸にしてはその身体をしきりに擦っていた。
 スケベ心からではない。血の繋がらない親子は何もしなければ
他人に戻ってしまう。濃厚なスキンシップはお互いの絆を確認し
あう為の大切な儀式なのだ。

 そして、それと矛盾するようだが、子供たちには里子である事
を忘れさせなかった。自分たちが無一物で、親に甘えては暮らせ
ない存在であることを忘れてほしくなかったのだ。
 彼が子供たちはよく裸にしたのも、今の自分の姿を、間接的に
分からせるためのものだったのである。

 フレデリックも、余計なことを一言を言ってしまったために、
あらためて自分が無一物である事を理解しなければならないはめ
になったのだ。


 ブラウン先生によって全裸にされたフレデリックは、お父様に
抱きしめられる。
 そして、その吐息がかかるほどの近い位置で……

 「あなたはこれからも私をお父様として慕ってくれますか?」
 「はい、お父様、私はお父様をお慕いします」

 「これからは私の言いつけに何でも従いますか?」
 「はい、お父様、これからはどんなお言いつけにも従います」

 「もし、言いつけに背いたらどんな罰でも受けますか?」
 「お言いつけに背いたらどんな罰でも受けます」

 フレデリックはカレンもかつて受けたブラウン家のしきたりを
受けさせられるのだ。

 もちろん、このやり取り。最初は子どもの側が必ずしも本心を
語っているとは限らない。むしろ嫌々言っている場合がほとんど。
しかし、こうしてやりとりしているうちに、自分の言った言葉が
しだいに本心になっていく不思議な魔力をもっていたのである。

 最初のご挨拶が終わると、場所を変えて浣腸。
 この浣腸、カレンのときも行われたので毎回誰にでも行われて
いるように思われるかもしれないが、そうではない。
 今回はつまみ食いの罰ということで採用されたようだった。

 それと、今回は石けん水ではなくお薬。スポイド式の使い捨て。
要するに日本で言うところのイチヂク浣腸だった。

 リックはソファから全裸のままお父様に抱っこされて背の低い
テーブルに移される。仰向けに寝て両足を高く上げさせられると、
その足が下がらないようにベスが足首を持って手助けしてくれる。

 リックは、そんな恥ずかしい姿勢で、恥ずかしい処が丸見えの
場所に陣取ったお父様と、また、例のやりとりをしなければなら
ないのだ。

 「あなたはこれからも私をお父様として慕ってくれますか?」
 「はい、お父様。お父様をお慕いします」

 「これからは私の言いつけに何でも従いますか?」
 「はい、お父様、これからはどんなお言いつけにも従います」

 「もし、言いつけに背いたらどんな罰でも受けますか?」
 「お言いつけに背いたらどんな罰でも受けます」

 フレデリックは、もう条件反射のようにしてすらすらと答えた。
やけっぱちになったというべきかもしれない。そしてこの儀式が
すむと……

 「カレン、今回は、あなたがこのお薬をリックのお尻に入れて
あげなさい」

 こう言ってイチヂクを手渡すから、カレンもびっくり。
 まるで爆弾でも渡されたように恐々受け取ったもののどうして
よいか分からず立ちすくんでしまうのだった。

 そんな彼女をベスがサポートする。
 「簡単ですよ。先端のキャップを取って、それをこの子のお尻
の穴に挿すんです。そしたら、あとは膨らんでる処を手で潰せば
それでおしまい。誰にでもできますよ」

 「……あっ……はい……」

 「いつもはベスにやらすんですが、あなたも男の子のお尻の穴
がどこにあるかぐらいは知っておかないと、将来、子どもに浣腸
してあげる時もあるでしょうから、困るだろうと思いましてね」

 例の笑顔を見せるお父様の冗談は、カレンにとって心地のよい
ものではなかったが、その指示には従ったのだった。

 『ここね!』

 女の子と違い複雑な構造をしていない男の子のお尻の穴はすぐ
に見つかったものの、優しい力で突っついたくらいでは、リック
が肝心の門を開けてくれないのである。

 お姫様のカレンが、『そこを強引に…』とは出来ないでいると、
お父様が助けてくれる。

 「リック、それを受け入れないということはお父様たちの愛を
受けいれないということですよ。今までたてた誓いは嘘だったと
いうことです。そういうことですか?」

 お仕置きだから仕方がないが、お父様は冷徹だった。
 それに対してリックは……

 「違います」
 恥ずかしい格好のまま涙ながら訴える。

 もちろん、彼だってそれを受け入れなければならない事は百も
承知しているのだ。ただ、肛門にそれが当たると反射的に身体が
反応して門を閉じてしまう。
 彼としてもどうしようもなかったのである。

 そんな自分の身体を騙し騙しして、リックがようやくカレンの
イチヂクを受け入れると、すぐにイチヂクの膨らみが潰される。

 『やったあ』
 そんな死刑執行みたいなこと、カレンは嫌だった。
 もちろんカレンにしてみれば何の罪もないことなのだが、何だ
かちょっぴり罪悪感が残ったのである。

 自分のしたことがどういう結果を生むかが分かっていないと、
人は容易に残虐な方向へ舵を切る。ベスがカレンのお尻を叩いた
のはそのためでもあったのだ。


 リックの身体の中に入ったのはグリセリン60㏄。石けん水と
違って、量はぐんと少ないが、これでも11歳の子どもには必要
以上に多い量。つまり治療ではなくお仕置きの量だったのである。

 その効果は強烈で、すぐに現れる。

 イチヂクが抜き取られ、ベスによってまだオムツが当てられて
いる最中だというのに、リックの顔はすでに脂汗に光り、その頭
が左右に激しく振られているのがわかる。

 カレンはベスに代わってリックの足首を抑える係りに……
 そこで、リックの不安げな瞳とその可愛い一物がオムツの中に
隠れていくさまを見ていた。

 そして、準備がすべて整うと、リックは這ってお父様のもとへ。

 お薬は石けん水と比べれば効果は絶大で、彼はすでに立つこと
さえできないほど困窮していたのである。

 そして、例の問答が始まる。

 「あなたはこれからも私をお父様として慕ってくれますか?」
 「はい、お父様」
 「『お慕いします』とちゃんと言いなさい。あなたは、もう、
赤ちゃんではないのですよ。ちゃんと最後まで言いなさい」
 「はい、お父様、お慕いします」

 リックはお父様の指示に従い言い直したが、でもそのあとには
『だから、おトイレに行かせてください』って、言いたかったに
違いないとカレンは思った。女の子だったら、だめもとで言って
みるこんなことを男の子は言わないのだと思った。

 「これからは私の言いつけに何でも従いますか?」
 「はい、お父様」
 「『これからはどんなお言いつけにも従います』でしょう」
 「これからはどんなお言いつけにも従います」

 「もし、言いつけに背いたらどんな罰でも受けますか?」
 「お言いつけに背いたらどんな罰でも受けます」

 全身に鳥肌が出て小刻みに震えている。まるで熱病にうなされ
た患者のように声が裏返り、かすれ、必死にお父様の身体に抱き
ついている。自分独りでいると粗相してしまいそうで怖いのだ。

 それはカレンにしてみれば、まるで自分のビデオテープを見せ
られているようだったのである。

 ただ、ここから先は少し違っていた。

 限界を感じたお父様は、リックを身体ごと抱き上げると、自ら
部屋を出て裏庭の茂みの中へ……
 リックはカレンたちとは異なりお父様のお膝の上で用を足した
のだ。

 そして、オムツが脱ぎ捨てられ、リックが部屋に戻ってきた時、
彼はお父様の背中に負ぶさっていたのである。

 お父様はソファに腰を下ろしてリックを大切そうに膝の上へと
抱き上げる。

 「お腹、まだ渋ってるか?」
 こう尋ねられて、リックは静かに頷く。

 たった、それだけのことだが、カレンは直感的に『お父様は、
これは、女の子にはなさらない愛だわ』と思ったのである。

 案の定、お父様はリックに対してお腹を洗う浣腸を自らやって
のける。

 11歳は子供と言っても体がけっこう大きい。しかし、そんな
こともブラウン先生には関係ないようで、彼は赤ちゃん言葉まで
使ってリックのご機嫌をとりながら真水でリックのお腹を洗い、
さっきのことでお尻に飛び散ったうんち汁までも綺麗に拭き上げ
てからカレンの前に立たせたのである。

 まだ、それほど大きくないといっても皮のかぶった立派な物を
目の当たりにしてカレンは驚くが今回はさすがに気絶しなかった。
 ただそれ以上に彼女を驚かせたのは、お父様の次の言葉だった
のである。

 「カレン、今日はこの子のお尻をぶってごらん。ちゃんとした
反省や後悔が胸の中に湧き起こった時にだけ出てくる新たな産声
が、この子の口から必ず出てくるから、それまではしっかり叩く
んだよ」

 お父様の言葉は持って回ったような表現だが、それって庶民の
言葉に翻訳すると『悲鳴をあげて、のた打ち回るまで、叩け!』
という事だ。

 いきなり刑吏の仕事を命じられて戸惑うカレンに、ベスがまた
優しくサポートする。

 「さあ、まずあなたが腰を下ろして、リックを招き入れない。
あなたの方がお姉さんだもの。そんな仕事もしなくちゃいけない
わ。……さあ、リック、いらっしゃい」

 ベスはフレデリックを手招きしたが、もちろん、今日お世話に
なるのはベスのお膝ではない。何だか心もとないカレンのお膝だ。

 「大丈夫よ。男の子だからって怖がることないわ。ここの子供
たちは、とってもよく仕付けてあるから、決して反抗的な態度は
とらないの。……ね、そうよね、リック?」

 ベスはすでにカレンの膝にうつ伏せになっているフレデリック
に尋ねたが、答えは返ってこなかった。
 でも、こうしておとなしく膝の上で過ごしていることが、そも
そもその何よりの答えだったのである。

 「叩き方は教えてあげたでしょう。最初はゆっくり軽くあまり
怯えさせないようにするの。……そうそう、そんなものでいいわ。
………………そうね、男の子だから、もう少し強くてもいいわよ」

 ベスの懇切丁寧な指導で始めたお尻叩きだったが、フレデリッ
クがちょっぴり不満そうに身体をねじって顔をあげる。

 「そんなに頭の上でガチャガチャ言ってたら、集中できないよ。
こっちはこれから大変なんだからね」

 すると、そんなフレデリックの不満を聞きつけて今度はお父様
がやって来る。
 リックは慌ててもとの姿勢に戻ったが……

 「そうですか、集中できませんか。それならお手伝いしなきゃ
いけませんね。リック君、あなたはこれからも私をお父様として
慕い続けてくれますか?」
 「はい、お父様……あっ、お慕いします」
 「よろしいリック、あなたは私の可愛い子供です。これからも、
よい子でいるんですよ」
 「はい、お父様」
 
 「これからは私の言いつけに何でも従いますか?」
 「はい、お父様、これからはどんなお言いつけにも従います」

 「もし、言いつけに背いたらどんな罰でも受けますか?」
 「お言いつけに背いたらどんな罰でも受けます」

 また、例のバージョンがまた始まったわけだが、そうなると、
当然、外野は静かになるわけで、カレンは心置きなくお尻叩きに
集中できるのである。

 「さあ、そろそろ、スナップを効かせましょう。………………
そうそう、その調子よ。もっと強くていいわ。男の子なんだから、
もっと強くて大丈夫よ」

 「ピタッ」
 心地よいほど軽快な音が部屋を流れる。するとそれに反応して
リックが両足をバタつかせるから、カレンが思わず怖くなって、
平手を止めてしまうと……

 「だめよ、やめちゃあ。今がチャンスなの。今、畳み掛けるの」

 「ピタッ」
 「あっ……ああああ、痛い」
 それまで、お父様との問答を冷静に受け答えしていたフレデリ
ックの言葉が止まる。

 「どうしました?痛いですか?……痛いのは当たり前ですよ。
お仕置きですから……集中力が足りませんね。…もう一度新しく
誓いの言葉を言ってみますか」
 お父様は冷静だが、いったんオーバーヒートしたエンジンは、
簡単には冷めない。

 それどころか……
 「さあ、今が勝負時よ。もっとスナップを効かせて、間を詰め
てぶつの…………」

 カレンが少し戸惑っていると……

 「心を鬼にして畳み掛けるの。『この人、怖いな』って思われ
るのも私たちの仕事なのよ。でないと、なめられたら何にもなら
ないわ」

 「はい」

 カレンはベスに背中を押され、思いっきり叩き始める。
 おかげで……

 「もうしません。ごめんなさい。良い子になります。なります。
こめんなさい。もうつまみ食いしませんから……許して、許して」

 フレデリックは両足をバタつかせて上半身を左右に捻って必死
の形相になる。当然、先生との問答なんてやってる暇はなかった
が……

 「リック、痛がってばかりいないで答えなさい。あなたはこれ
からも私をお父様として慕ってくれますか?」
 「慕います。慕いますから、ごめんなさい」
 先生はこんな時でもフレデリックに答えを強要するのだった。

 「これからは私の言いつけに何でも従いますか?」
 「はい、お父様、ごめんなさい。ごめんなさい、もうしません」
 「ごめんなさい、ごめんなさいって私はあなたに謝れとは言っ
てませんよ。『これからはどんなお言いつけにも従いますか?』
って聞いているんです」
 先生はお仕置きの最中はどこまでも意地悪だ。

 「これからはどんなお言いつけにも従います。ごめんなさい。
(げほ、げほ、げげっっっ)」
 フレデリックは痰を喉につまらせてげほげほやった。
 涙と鼻水で顔がくちゃくちゃになっている。
 でも、カレンはベスの指示に従いリックへのお仕置きをやめな
い。

 『可哀想なフレデリック』
 お父様も、カレンも、ベスも、そう思う。
 でも、仕方がなかった。

 「もし、言いつけに背いたらどんな罰でも受けますか?」
 「お言いつけに背いたらどんな罰でも受けます。ごめんなさい」

 最後の質問を答え終えて……
 「いいでしょう、カレン、許しておあげなさい」
 先生の指示で、リックのお尻叩きはやっと終了したのだった。


 このあと、フレデリックはカレンにお風呂で身体を洗ってもら
い、素っ裸でお父様と同じベッドに入って一夜を過ごす。
 そして、ネグリジェ姿ではあったがカレンもまたフレデリック
の脇で添い寝したのである。

*************************

 翌朝、フレデリックは一足早くお父様の部屋を離れた。
 もちろん、昨晩何かあったわけではない。三人が同じベッドで
寝たというだけのこと。
 先生にしてみるとフレデリックはまだ子供、間違いなど起こり
えないと確信していたのである。

 ところが、カレンが何だか物思いにふけっている。
 そんなぼんやりしているカレンを気遣ってブラウン先生が声を
かけた。

 「どうかしたのかね。男の子と一緒じゃ心配で眠れなかったの
かな?」

 「そんなことはありませんけど……」

 「フレデリックも、ちゃんと罰を受けたんだから、少しは良い
想いもさせてやらんとな」

 カレンは先生の言葉にきょとんとした。だから正直に自分の心
を伝えてみたのである。

 「良い想いって……フレデリックが?」

 「そうですよ。男と生まれれば、理由のいかんを問わず女の子
の柔肌に触れながら眠る。こんな極楽はありませんよ」

 「だって自分のお尻をこっぴどく叩いた人が脇で寝てるなんて
……残酷じゃありませんか?」

 「そんなの関係ありませんよ。むしろ、自分が完全に押さえ込
まれちゃった相手ですからね。なおのことご機嫌だったはずです」

 「えっ!?」
 カレンはお父様の言っている意味がまったく理解できなかった。

 「あなたは女の子ですからね。男のことはわからないでしょうが、
単純なんですよ、男の気持って…自分より強くて、自分に優しい
人が好きになんです。だから、たいていの男は母親が大好きなん
です。……その人は人生で最初に出会う、自分より強くて自分に
優しい人ですから……」

 「それは女の子だって……」

 「ええ、同じことは女性も言えます。でも女性の場合は他にも
注文がうるさいでしょう。様子が良いとか、馬が合うとか、付き
合って得か損か…とかね。とにかく色んな事が気になるでしょう。
男にはそれがないんです。むしろ、そんなことを持ち出すと男は
不機嫌になります。要するにうぶなんですよ」

 「…………」
 カレンはお父様の話を黙って聞いていたが、『それって偏見だ』
と思った。男だろうと女だろうと、付き合うときにフィーリングや
損得を考えない人なんていないと思うからだ。

 『フレデリックは私を嫌ってる。だからさっさと出て行った』
 カレンはそう思ったのである。

 「まあ、まあ、見ててごらんなさい。あなたにお尻を叩かれ、
あなたに抱いてもらったフレデリックがあなたを嫌うはずがあり
ませんから……」

 「私、リックを抱いてなんかいません。……ここのしきたりに
従って一緒にそばにいただけです」

 カレンが珍しくむきになるのでブラウン先生は苦笑い。
 今さらながら、フレデリックと一緒にベッドを過ごしたことが
恥ずかしくなったのだった。

 『先生はリックと私を結婚させたいとでも思ってるのかしら!』
 そんな勘ぐりまで起こったのである。

 ところが、事実は先生の言う通りで、この後フレデリックは、
カレンをまるで『お姫様』のように慕い続けるのだ。

 力に対する純粋な畏敬の念と異性から受ける情愛への忠誠。

 男の子の心情など預かり知らぬカレンだが、彼女が白馬の騎士
を一人、手に入れたのは確かだった。


******************(2)****

第8章 愛の谷間で(1)

           << カレンのミサ曲 >>

 第8章 愛の谷間で

************<登場人物>**********
<お話の主人公>
トーマス・ブラウン<Thomas Braun>
……音楽評論家。多くの演奏会を成功させる名プロデューサー。
ラルフ・モーガン<Ralph Morgan >
……先生の助手。腕のよくない調律師でもある。
カレン・アンダーソン<Karen Anderson>
……内戦に巻き込まれて父と離ればなれになった少女。

(先生の<ブラウン>家の人たち)ウォーヴィランという山の中
の田舎町。カレニア山荘

<カレニア山荘の使用人>
ニーナ・スミス<Nina>
……先生の家の庭師。初老の婦人。とても上品
ベス<Elizabeth>
……先生の家の子守。先生から子供たちへの懲罰権を得ている。
ダニー<Denny>
……下男(?)カレニア山荘の補修や力仕事をしている。
アンナ<Anna>
……カレニア山荘で長年女中をしている。
グラハム<Graham>
……カレンの前のピアニスト

<カレニア山荘の里子たち>
リサ<Lisa >
……(2歳)まだオムツの取れない赤ちゃん。
サリー<Sally>
……(4歳)人懐っこい女の子。
パティー<Patty>
……(6歳)おとなしいよい子、寂しがり屋。
マリア<Maria >
……(8歳)品の良いお嬢さんタイプ
キャシー<Kathy>
……(10歳)他の子のお仕置きを見たがる。
アン<Andrea>(注)アンはアニー、アンナの愛称だが、先生が、
アンと呼ぶからそれが通り名に……

……(14歳)夢多き乙女。夢想癖がやや気になる。
ロベルト<Robert>または ~ロバート~
……(13歳)端整な顔立ちの少年
フレデリック<Friderick>本来、愛称はフリーデルだが、
ここではもっぱらリックで通っている。

……(11歳)やんちゃな悪戯っ子。
リチャード<Richard>たまにチャドと呼ばれることも……
……(12歳)ポエムや絵画が好きな心優しい子。

<先生たち>
ヒギンズ先生<.Higgins>
……子供たちの家庭教師。普段は穏和だが、怒ると恐い。
コールドウェル先生<Caldwell>
……音楽の先生。ピアノの他、フルートなどもこなす。
シーハン先生<Sheehan>
……子供たちの国語とギリシャ語の先生。
アンカー先生<Anker>
……絵の先生。
エッカート先生<Eckert>
……数学の先生
マルセル先生<Marcel>
……家庭科の先生

<ブラウン先生のお友達>
ラックスマン教授<Laxman>
……白髪の紳士。ロシア系。アンハルト家に身を寄せている。
ビーアマン先生<Biermann>
……獣医なので先生とは呼ばれているが、もとはカレニア山荘で
子供達のお仕置き係をしていた。今は町のカフェの店主。
アンハルト伯爵婦人
……戦争で息子を亡くした盲目の公爵婦人
フリードリヒ・フォン=ベール
……ルドルフ・フォン=ベールの弟
ホフマン博士<Hoffmann>
……時々酔っ払うが気のいい紳士

<ライバル>
ハンス=バーテン<Hans=Barten>
……アンのライバル、かなりのイケメン。
サンドラ=アモン<Sandra=Amon>
……12歳の少女ピアニスト。高い技術を持つがブラウン先生の
好みではない。

<幻のピアニスト>
セルゲイ=リヒテル(ルドルフ・フォン=ベール)
……カレンにとっては絵の先生だが、実はピアノも習っていた。

*****************************

§1 新たな目覚め

 カレンが目覚めたのは次の日の朝だった。
 野鳥のさえずりに、暖かい日の光。窓の外は少し冷えていたが、
ベッドの中は暖かい。

 カレンはその暖かさが自分のぬくもりだと気づく。
 そこはお父様の寝室。お尻がまだ少し痛かった。

 『そうか、私、お仕置きされて、お風呂に入って……』

 突然のフラッシュバック。そして、今、自分が素っ裸である事
にも気づくのだった。

 思わず毛布を自分の身体に引き寄せると……
 隣り住人が目を覚ます。

 「おう、カレン。目を覚ましましたか」

 お父様はいつもの声。
 でも、カレンはこの場から消え入りたかった。

 「どうしたの?……あっ、起きたんだ。よく寝てたね、あなた」

 隣りの隣りで寝ていたアンも目を覚ます。
 これで、一つの大きなベッドに寝ていた三人が、三人とも目を
さました。

 「カレン、大丈夫なの?あなた、昨日、お風呂場で倒れたのよ」
 アンがそう言ってまとっていた毛布を剥ぐとベッドの外へ。
 すると、彼女もまた丸裸だったのである。

 「ねえ、あなた、いつもその格好で寝てるの?」

 驚いたカレンが尋ねると……
 「違うわ。でも、昨日は、私たちお父様からのお仕置きだった
じゃない。その日の夜は純潔を示すために、お父様のベッドでは
裸で寝るのがこの家の決まりなのよ。だから、あなただって今は
何も着てないでしょう」

 「ええ、まあ……」

 「あっ、そうか、あなたは昨日お風呂場で倒れて、そのまま、
ここに運び込まれたんですもの」

 「えっ、それじゃあお医者様がみえてた時は、私、裸だったの」
 カレンは今さらながら顔を真っ赤にした。

 「そりゃそうよ。……でも、あなたその時、気がついてたの?」

 「そういうわけじゃあ、……でも、周りの雰囲気は何となく…」

 「なあんだ、あの気絶、仮病だったんだ。どうりで、お父様も
先生も何だかにやにやしてて……」

 「違うわ、仮病なんかじゃ」
 カレンは恥ずかしそうに声も小さかった。

 すると、お父様がカレンを気遣う言葉を……
 「大丈夫ですよ。今はパンツを穿いてますから……」

 「どういうことよ?」
 アンは迫ったがカレンは答えない。

 代わりにお父様が……
 「カレンは、見慣れないものを見たんでビックリしたんです。
それだけですよ」

 「見慣れないもの?」

 アンがわからないのでブラウン先生は言葉を継ぎ足す。
 「あなたには多分関係ない話です。何しろ、あなたという人は、
私とお風呂に入るとそれをよく握って遊んでましたからね。……
そんな人には何の抵抗もないんでしょうけど、世の中は、あなた
みたいな人ばかりじゃありませんからね……精細な心の持ち主も
いるわけです」

 「???」
 アンは最初それが分からなかったが、すぐにこう聞き返した。
 「ねえ、それって、私がごくごく幼い頃の話?」

 「ええ、そうですよ。今やられるとさすがに問題です」

 「ふふふふふふ。あっ、そう。そういうことかあ」
 アンは意味深に笑う。そして思いついたように……
 「ねえ、カレンってさあ、本当のお父さんとは一緒にお風呂に
入らなかったの?」
 と、尋ねた。

 「…………」
 ところが、カレンはそれには答えない。
 どう答えていいのかわからなかったのである。

 そんなカレンに代わって、またブラウン先生が答える。
 「アン、あなたもこの家を出たら分かるでしょうが、よそでは
こんなにたくさんお風呂をたてないんですよ。たとえ親子でも、
一緒にお風呂に入ることなんてないんです。私があなた方とこう
してお風呂に入るのは、日本人がやってるのを見て私が真似して
いるだけ。カレンが男性の裸を見た事がなくてもちっとも不思議
な事ではないんです」

 「へえ、お風呂って家(うち)だけの習慣なんだ」

 あんな厳しいお仕置きの翌日だと言うのにアンはいつも以上に
明るかった。そんな妹に励まされてカレンも少しずつ元気を取り
戻す。
 そんなカレンにお父様が……

 「私は子供達に隠し事を一切認めていません。身も心も、全て
をさらけ出してくれる子だけが、私の子供です。わかりますか?」

 「はい、お父様」

 「その純潔の証として、お仕置きしたあとは必ずその子を裸に
してベッドに寝かします。一晩添い寝です。あなたの場合はもう
大きくなってからここに来ましたら、それは大きなハンディだと
思いますが、あなたも私の娘である以上、我が家のしきたりには
従ってもらいます。いいですか?」

 「はい、お父様」

 緊張するカレンにアンが声をかけた。
 「大丈夫よ、カレン。お父様は何もしないから」

 「当たり前です」
 先生は気色ばんだ。

 ところが……
 「そうかなあ。幼い頃はよく抱かれた記憶があるんだけど……」
 アンが言うと、先生の頬が少し赤くなるのだ。

 「馬鹿なこと言わないでください。それは、あなたが寂しがる
から抱いてあげただけじゃないですか。おかげで、安心したのか、
翌朝はよくおねしょをしてくれましたよね」

 お父様にこう言われて、今度はアンが顔を赤らめるのだった。

**************************

 それからしばらくは平穏な日々だった。

 カレンは毎日学校へ行って授業を受け、(といっても同級生は
おらず個人授業なのだが)お父様の寝間で奏でるピアノも続けて
いる。すでに作った曲は100を越え、幼児用のピアノ曲集とし
て出版されるめどもたっていた。

 一方、アンは全国大会に向けて最終調整。練習場から、時折、
コールドウェル先生の罵声も響くが、最近はそれにも慣れてきて
『また、裸になってるのかしら』と思って通り過ぎるくらいだ。

 慣れたといえば、『お父様』にもだいぶ慣れたようで、今では
お風呂にもベッドにも一緒に入るが、もう何を見ても驚かない。
最初はぎこちなかった「お父様」という言葉も自然に出るように
なっていた。

 そんなカレンは、里子のなかでは一番の年長さんということも
あって、幼い子の面倒をみさせられることも多い。
 着替え、お風呂、食事……そして、最近ではお仕置きもカレン
の仕事になっていた。

 「だめよ、カレン、そんなに弱くちゃ。それじゃあ、撫でてる
のと同じじゃないの」
 よく、ベスに注意された。
 でも、最初は加減がわからないから、お尻を叩く手がどうして
も弱くなるのだ。

 そんなカレンは幼い子に人気があった。
 不始末をしでかした子がカレンの処へやってきては袖を引くの
である。

 「お姉ちゃん、お仕置きをお願いします」
 「あっ、ずるい。私も……」
 「えっ、私が先に来てたのよ……」
 幼い子たちにこう言われて戸惑うカレン。

 ベスに捕まる前に、カレンにやってもらって、免罪符を作って
しまおうという魂胆だった。

 そこへベスが顔を出すと蜘蛛の子を散らすように逃げてしまう。

 ベスは縦横共に体の大きな女性で、チビちゃんたちのお世話係
なのだが、という事は、この家では懲罰係でもあるわけで、今は
お姉さんぶっているアンでさえ、つい1、2年前まではその膝に
乗せられてお尻を叩かれていたのだった。

 「あんた、見るからにお嬢さん育ちだもんね。本当のお父さん
からは、お尻なんて叩かれたことなかったんだろう」
 ベスの大きな顔が降って来る。

 慌てたカレンは、つい……
 「そんなことありません」
 と言ってしまった。

 すると……
 「本当に?」
 再び、ベスの大きな顔が襲い掛かるのだ。

 「……」
 カレンは唾を飲み込む以外答えが浮かばなかった。

 「嘘はいけないね。……嘘をつく子がどうなるか……さっき、
あんたも見てたよね」

 そのどすの利いた声の主は、さっき、フレデリックを血祭りに
あげたばかりだ。

 「(まさか、そんな……嘘でしょう。そんなはずないわよね)」

 カレンは思ったが、事実はその『まさか』だったのである。

 「えっ!」

 カレンは、その太い腕に抱き抱えられると、テーブルのように
広いその膝にすえつけられる。
 あとは、チビちゃんたちと何ら変わらなかった。

 スカートが捲り上げられ、ショーツが下げられて、大きな手の
平がカレンのお尻に炸裂するのだ。

 「いやっ」
 カレンは最初恥ずかしさから悲鳴をあげたが……

 「パン、パン、パン、パン、パン」

 何もしないで耐えられたのは五六回。
 以降は、何とか抜け出そうと必死にならざるを得なかった。

 「パン、パン、パン、パン、パン」

 「いやあ、もう、だめえ、やめて……」
 彼女が泣き言を言い始めるのに十回も必要ではなかった。

 「あらあら、お嬢様がもうそんなはしたない声をだすのかい。
だらしないよ」
 ベスは皮肉を言うと、また、かまわずまだ叩き続ける。

 「パン、パン、パン、パン、パン」

 「いやあ、いやあ、いやあ、いやあ」
 カレンの口から気の利いた言葉が出てこない。
 足をバタつかせ、必死にベスの頚木(くびき)から抜け出そう
とするが、相手はプロ、30回が終わるまでは自由にさせてくれ
なかったのである。

 「ほら」
 まるで悪戯猫を庭に放り出すようにカレンを床の上に放り出す
と、ベスは、必死にお尻を擦りつづける少女を見ていた。

 もちろん、カレンにしても自分がベスからそうやって見られて
いることは承知していたが、お尻擦りをやめることができない。
 その時はそれほど痛かったからだ。

 「みんな、その痛みを抱えて大きくなるんだ。あんた一人が、
それを知らないなんて不幸だからね。ちょいと、お尻のほこりを
祓ってやったけど、感じたかい?」

 ベスはカレンに尋ねたが、カレンはその意味が分からず、ただ
ただお尻を擦るばかり。
 呆れたベスが再びカレンを膝の上に乗せたが、それにも彼女は
抵抗しなかった。

 「お譲ちゃん、女の子はお尻をぶたれると感じるものなのよ。
お父さんが臆病だと、娘は可哀想だね。楽しいことがみんな後回
しになっちゃって……」
 ベスは意味深な言葉を投げかけるが、カレンはまだそれを理解
する体にはなっていなかったのである。

 そんな報告をベスから聞いたブラウン先生は……
 「やはり、そうですか。ごくろうさまでした」
 と言うだけで、取り立てて表情も変えなかったが、心の中では
ニンマリ。胸をなでおろしたのだった。

********************(1)***

第7章 祭りの後に起こった諸々(4)

第7章 祭りの後に起こった諸々

§4 ブラウン家のお仕置き

 二人へのお仕置きは先生の書斎で行われた。
 書斎と言っても、ブラウン家の場合は堅苦しい場所ではない。
先生の書斎は、普段ならチビちゃんたちの遊び場にもなっている
いわばオープンスペースで、出入りは自由だった。

 ところが、今日は普段開いているはずの扉が閉っている。
 カレンにいたってはここに扉があることさえ、この時、初めて
知ったのだった。

 先生と三人で中に入ると、またびっくり。
 ヒギンズ先生は家庭教師なので普段でも家でお仕事だが、それ
だけじゃない、シーハン先生、アンカー先生、エッカート先生、
マルセル先生、コールドウェル先生まで、学校の先生方がずらり
とその場に居並んでいた。

 これにはカレンも目を白黒。
 「(学校の方は、大丈夫なのかしら?)」
 余計な心配までしたが、ブラウン先生にしてみたら、逆にその
ことが大事だったのである。

 恐る恐る部屋の中へ入ってきた二人に、コールドウェル先生と
ヒギンズ先生が近づいた。そして、コールドウェル先生がアンの、
ヒギンズ先生がカレンの衣装を解いていく。

 突然、手を触れられたカレンはお父様の視線を気にして部屋の
中を見回すと、先生はすでにソファに腰を下ろしてこちらを見て
いるから、抵抗しようとしたが、同時に、アンが素直にコールド
ウェル先生の指に従っているのを見て、それは諦めるのだった。

 ショーツ一枚。ブラさえ剥ぎ取られた二人に与えられたのは、
白い薄絹のワンピース。それを着て、まずはお父様の処へご挨拶
に行かなければならない。

 二人は、共にお父様のもとへ進み出て、そこに膝まづいたが、
カレンは最初で勝手がわからないから、常にアンの様子を見ては
それを真似たのである。

 「お父様、お仕置きをお願いします。私の心の中の悪魔が追い
出され、清き天使のこころになれますように」

 「大丈夫ですよ。試練を乗り越えれば、必ずよい子に戻れます。
そうなったら、また、一緒に遊びましょうね」

 アンの様子を見て、カレンも真似てみた。

 「お父様、お仕置きを……お願いします。私の………そのう…」
 言葉に詰まると、お父様がそれを救う。
 「私の心の中の悪魔が……」

 お父様の言葉を真似てみる。
 「私の心の中の悪魔が……」

 「追い出され……」
 「追い出され……」

 「清き天使の心に……」
 「清き天使の心に……」

 「なれますように」
 「なれますように」

 「大丈夫ですよ。美しい心は必ず取り戻せます。そうなったら、
また、一緒に遊びましょうね」

 先生の言葉はこの歳の子には幼すぎるかもしれないが、アンに
限らず山荘の子供たちは、いったんお仕置きを宣言されたなら、
どんなに幼い子でもお父様にお仕置きをお願いしなければならず、
その時は必ずお父様から『また、一緒に遊びましょうね』という
言葉が返って来るのだった。

 お父様へのご挨拶を終えたアンは、手順が分かっているから、
先に背の低い幅広のテーブルへと向う。
 後を追って、カレンも着いてきたが……
 「あなたは、ここで見てなさい。アンが終わったら、あなたも
同じことをやってもらうわ」
 アンと一緒にテーブルに乗ろうとしたカレンをヒギンズ先生が
止めたのである。

 だから、まずはアンの様子を見ていたのだが、そこでカレンは
全身に鳥肌がたつような光景を目撃するのだった。

 アンは自ら仰向けになってテーブルに寝そべると、そのあと、
自らは何もしなかった。何一つ行動を起こさなかったし表情さえ
も変えなかったのである。

 「……………………………………………………………………」

 コールドウェル先生によってアンのショーツが脱がされたかと
思うと、彼女の両足は高々と天井を向いて跳ね上げられる。

 当然、彼女の大事な処は外気に触れ、足元からなら恥ずかしい
場所が丸見えとなったが、それに驚いたのはカレンだけ。

 周囲の誰もがそれは当然のこととして受け止めていたし、その
足元へお父様がいらっしゃったこともまた当然のことだったので
ある。

 真剣な表情の先生は、まるでお医者様のようにアンの太股の中
を両方の手でさらに押し開いて観察すると、何かのお薬をそこへ
塗ってから元に戻す。

 アンがその薬が塗られた瞬間僅かに顔を歪めたのを覚えていた
カレンは『いくらか刺激のあるものだろう』ぐらい思っていたが、
自分がそれをやられた時は、たまらず姿勢を崩そうとするから、
周囲の先生たちに身体を押さえこまれてしまったほどだった。
 
 アンの観察を終えた先生は……
 「しばらく見ない間に、ずいぶん大人になりましたね」
 と言ってソファへ返っていったのである。

 その後は、浣腸。

 テーブルの上で四つん這いにされたアンのお尻へカテーテルの
管が通され、点滴用の大きなビーカーからは断続的に500㏄の
石けん水がアンの下腹へと送り込まれる。

 時間をかけてゆっくりと処置されるアン。

 彼女の顔には脂汗が浮き、下腹がごろごろと音を鳴らしている。
石けん水がお尻の穴から入ってくるたびに下腹は波打っているが、
そのことに関心をしめす先生は誰もいなかった。

 10分後、アンのお尻から出ていた細長い尻尾は抜かれる。

 たが、これで許されたわけではない。
 ふたたび仰向けに寝かされ、厳重にオムツを当てられてから、
ソファで待つお父様の処へ向う許可が出たのだった。

 「あっ……あっ……ぁぁぁ」

 突然の腹痛に、膝を突き、腰をかがめて這うようにお父様の元
へ向うアン。

 その、声にならない声はカレンの耳には乳を欲しがる赤ん坊の
ようにも聞こえたのである。

 そんな娘の両手を取って先生は……
 「あなたは、これからも、私の娘であり続けますか?」
 と尋ねる。

 「はい、お父様」
 答えはこうに決まっている。
 でも、それだけでなかった。

 「どんなことも、私の言いつけに従いますか?」
 「はい、お父様」
 脂汗を流してアンは答える。

 「もし、言いつけに背いたらどうします?」
 「どんなお仕置きでも受けます」
 アンが、思わず両方の目をしっかりとつぶる。お腹の中が今は
嵐なのだ。
 しかし、先生がそのことに同情することはなかった。

 「本当に、どんなお仕置きでも受けますか?」
 「本当です」

 「信じられませんね。あなたは前にもそう言って、同じ間違い
をしでかしたでしょう?」
 「今度は……本当です。もう悪いことはしません。……どんな
お仕置きでもうけますから……」
 アンの顔には脂汗だけではなく涙が光っていた。
 下腹を押さえて、もう必死に我慢してるのがわかる。

 でも、先生は冷徹にこう言い放つのだ。
 「どうしました?お腹が痛いのですか?……別にいいんですよ。
ここでお漏らししても……オムツは穿いてるんですから……」

 もちろん、こう言われたからといって、お父様の前で漏らす子
なんていなかった。オムツがお尻から離れてまだ数年しかたって
いないような子でもそれは同じだったのである。
 それを承知で、お父様は責め立てているのだ。

 「では、今度同じ間違いをしでかしたら、こんなお仕置きでは
足りませんよ。もっともっと厳しいお仕置きが待ってますけど、
それでいいんですね」
 「はい、お父様、アンはどんなお仕置きでも喜んで受けます」

 その瞬間、アンは全身に鳥肌をつけたまま両目を閉じて天井を
仰ぐ。
 今まさに、大洪水の一歩手前だったのである。

 「いやですか?ここで済ましてしまうのは?私は、いっこうに
構いませんよ。あなたがお漏らししたのは何度も目撃してますし、
オムツを替えたことだって何度もあるんですから。また、やって
あげますよ」

 お父様の意地悪な問いかけにアンは泣きそうになる。
 「いや、ごめんなさい。もう、だめなんです」

 苦しい息の下でうずくまるアンに先生も折れて……
 「そうですか、どうやら限界ですか。仕方ありませんね。……
行きなさい」
 やっとのことでお許しが出たのだった。

 「はい、ありがとうございます」

 健気にお礼を述べたアンだったが、その後、彼女は機敏に動い
たわけではなかった。
 下腹を押さえ、太股をしっかりと閉じた状態でよろよろと立ち
上がると、内股のまますり足で部屋を出て行ったのである。

 ちなみに、お仕置きを受ける子は、トイレを汚すという理由で
家の中のトイレを使うことが許されていなかった。
 子供達は裏庭の藪の中に身を潜めて、自分の身体の中のものを
吐き出さなければならない。
 もし、他の子が学校に行っていなければ、その姿は当然男の子
たちの目にもとまるわけで、悲劇はさらに増幅されるだろう。
 このため、女の子に対して本格的なお仕置きをする時は学校を
休ませて行うのが普通だったのである。


 アンの次はカレン。

 もちろん、カレンにとってこんな事は初めての事。アンの様子
だって衝撃的だったが、今さら逃げ隠れもできないわけで………
 カレンは果敢にアンのあとを追ったのだった。


 こうして、カレンが藪の中のトイレから戻ってくると、アンは
コーナータイムを過ごしていた。
 部屋の壁の方を向いて膝まづき、自らスカートの裾を捲り上げ
て可愛いお尻をみんなに見せびらかしている。

 この時、彼女はほっとしたに違いない。というのは、スカート
の裾を摘み上げたその手は、どんなにだるくなっても決して下ろ
してはいけなかったから。
 アンの両手はプルプルと振るえ、もう限界だったのである。

 「カレン、おトイレは終わったの?」
 部屋に戻るなりヒギンズ先生が尋ねる。

 「はい」
 そう答えたら次は二度目の浣腸を受けなければならなかった。

 これはお仕置きというのではない。腸の中に残る浣腸液を真水
で洗い流すだけ。
 これが終わって、次はいよいよ今回のお仕置きのメイン、お尻
への鞭打ちとなるのだが、その前に……

 「アン、カレン、二人とも、もう体だけは純粋に子供じゃない
が、今回は子供じみたことをしてお仕置きを受けるわけだから、
お臍の下の飾りは下ろしなさい。お互い、相手の飾りを下ろして
あげて、子供の体になってからお仕置きを受けるんだ」

 「はい、お父様」
 「はい、お父様」

 ブラウン先生のこんな注文にも、二人が逆らえるはずはなく、
アンとカレンはさっき浣腸されたテーブルでお互いの陰毛を綺麗
に剃り落としてから、少し高さのある鞭打ち用のテーブルに身体
を投げ出したのだった。

 「……………………」
 「……………………」

 二人はお父様の前でそれぞれ別のテーブルにうつ伏せになって
お尻を出している。

 処置したのは、やはりコールドウェル先生とヒギンズ先生。

 ワンピースの裾はすでに捲り上げられ、腰の辺りでピン留めさ
れているから落ちる心配はないし、ショーツも穿いてないから、
満月が二つ、お父様の前にあったのである。

 お父様はトォーズと呼ばれる、先が二つに割れた幅広革ベルト
のようなものを手にしている。
 ブラウン家で女の子がお尻に鞭を受ける時は大抵これだったの
である。

 「カレン、あなたはこれからも私をお父様として慕ってくれま
すか?」
 「はい、お父様。これからもお慕いします」

 最初のご挨拶のとき、浣腸のさなか、そしてこんな恥ずかしい
格好でいるときも、ブラウン氏は常にこう尋ねるのだった。

 そして、その返事は即座に求められた。
 もし、一瞬でも返事が遅れるようなら、子供達にはたっぷりと
考える時間が与えられることになる。

 その間、鞭は飛んでこないが、罰も終わらない。

 『私はお父様を心から愛しています。お父様のお言いつけには
すべて従います。従わなければどんな罰でも受けます』

 子供たちはお父様が期待するこの言葉をお仕置きの間何度でも
口にしなければならない。とりわけ、十歳を数年過ぎる頃からは、
ただ棒読みではお父様に認めてもらえなかった。心をこめた真剣
な態度が求められたのである。
 そして、それが認められてはじめて……

 「ピシッ」

 その鞭はお尻に炸裂するのだった。

 「ありがとうございます。お父様」

 カレンはお礼を言う。
 脳天まで電気が走るような厳しい痛みを与えた人にお礼を言う
なんて不自然に感じられるかもしれないが、それがお父様に対す
る子供たちの愛の証だったからさぼることは許されなかったので
ある。

 そして、お父様も最初の一撃のあとは小声で……
 「ありがとう」
 と娘に返すのだった。

 こうして、カレンへの最初の一撃が終わると、ブラウン先生は
お隣の満月へとやってくる。

 ここでも、やることは同じだった。

 「アン、あなたはこれからも私をお父様として慕ってくれます
か?」
 「はい、お父様。これからもお慕いします」

 そして……
 「ピシッ」
 その鞭はお尻に炸裂する。

 「ありがとうございます。お父様」

 そして、最後に……
 「ありがとう。私の愛をようく噛み締めて次を待っていなさい」

 「はい、お父様」

 ブラウン先生はアンの声に送られて、またカレンの満月へ戻る。
 そこには、先ほどつけた赤みがまだ完全には消えきらずに残っ
ていた。

 「カレン、これからは私の言いつけに何でも従いますか?」
 「はい、お父様、これからはどんなお言いつけにも従います」

 「ピシッ」

 「ありがとうございます。お父様」

 「ありがとう。カレン、君は優しい子だ。私の愛をしっかりと
噛み締めて次を待っていなさい」

 と、まあこんな調子で、二人への鞭打ちは続いていくのである。

 「お父様をお慕いします」
 「これからはどんなお言いつけにも従います」
 「お言いつけに背いたらどんな罰でも受けます」

 だいたいこの三つ誓いをワンサイクルとして……三セットか、
四セット。場合によっては、六セット、七セットと増えることも
あった。

 この時は、五セット。計十五回、二人はお尻を叩かれた。

 許されたときは、二人ともお尻りは真っ赤、僅かに血が滲んで
いる。泣きたいと思ったわけではなかったが、終わった時は自然
に涙がこぼれていた。


 役目を終えたブラウン先生は、一足早くソファに腰を下ろして
いたが、そこへ二人はお礼のご挨拶にやってくる。

 「今日は、お仕置きありがとうございました。必ず、いい子に
なります」
 こう言って女の子たちは挨拶するわけだが、ここでもまた……

 「カレン、アン、これからもあなたたちは私を慕い続けてくれ
ますか?」
 「はい、お父様をお慕いします」
 「はい、お父様をお慕いします」

 「カレン、アン、これからは私のどんな言いつけも守りますか?」
 「はい、これからはどんなお言いつけにも従います」
 「はい、これからはどんなお言いつけにも従います」

 「カレン、アン、もし、言いつけに背いたらどんな罰でも受け
ますか?」
 「はい、お言いつけに背いたらどんな罰でも受けます」
 「はい、お言いつけに背いたらどんな罰でも受けます」

 二人は今まで散々言わされてきたことをここでも繰り返さなけ
けばならない。もちろん……
 『もう、いいでしょう。散々言ってきたじゃないですか!』
 とは言えなかった。

 「よろしい、二人とも良い子に戻りましたね。これからも私が
あなたたちのお父さんですよ。よろしいですね」

 「はい、お父様」
 「はい、お父様」

 こうして、痛くて、恥ずかしい罰は終了したのだが、とりわけ
カレンにとっては、このあとまだ、ちょっぴり辛いお仕置きが待
っていたのである。

 「では、お風呂にはいりましょうか」

 二人は、お仕置きも終わったことだし、それぞれ部屋に戻って、
真っ赤に熟れた自分のお尻を思い思いにお手入れしたいところだ
ろうが、ブラウン家ではそれはできなかった。

 お仕置きを受けた子供たちはお父様からお風呂に入れてもらう
のが習慣だったからだ。

 この時、ブラウン先生は……
 『自分の預かった子供の身体を知っておくのは親の役目』
 とばかり、二人の服を自ら服をぬがせ、子供たちの体を隅から
隅まで観察する。
 親子でお風呂に入ることも、年齢に関係なく特別なことではな
かったのである。

 もちろん、カレンはこの時、断りたかった。
 でも、今の今、お仕置きされた身、断りにくかったのである。

 アンと一緒に自分の身体がお父様によって調べられる。
 全裸にされ、恥ずかしい処も全部見られ、触られたりもする。
 でも、それは問題ではなかったのである。

 問題はお風呂に入ってから……

 「…………」

 アンのお尻を優しく撫でているブラウン先生を見ながら……
カレンは気が遠くなっていく。

 「おい、カレン、どうした!」
 先生の声が微かに聞こえるが、どうしようもない。

 『湯あたり?』
 いや、そうではない。

 幼い頃からブラウン先生と一緒にお風呂に入っていたアンとは
違い、カレンは、これまで一度も成人男性の生殖器というものを
見たことがなかったのである。

 『あんな不気味なものが人間に生えているなんて……』

 もちろん、子どものものは数回見たことがあったが、あんなに
立派なものを見たのは今回が初めて……
 卒倒するには十分な理由があったのだった。

********************(4)***

第7章 祭りの後に起こった諸々(2)

第7章 祭りの後に起こった諸々

§2 伯爵夫人の憂鬱

 二人は屈強な男数人に取り囲まれると、そのまま店の外へ。
 そして、待たせてあった大きなリムジンへ。
 車内は小娘二人が乗り込むには十分すぎる広さだった。

 「ねえ、私たちどうなるの?」
 不安になったカレンがアンに耳打ちすると……
 それに答えたのは助手席に乗っていた女性だった。

 「心配はいりませんよ。すぐに帰れます。ただ、二つ三つ私の
主人があなた方にお話をお聞きしたいだけです。……ところで、
あなた方、ご姉妹(きょうだい)かしら?」

 「ええ、まあ……」
 歯切れの悪い答え。お互い血の繋がりのない里子同士だからだ。
しかし、あえて否定する必要もないだろうと、カレンは考えたの
だった。

 「私はカレンと言います」

 「カフェでピアノを弾いてたのは?」

 「私です。……彼女はアンドレア。ピアノは彼女の方が上手く
て、今度全国大会に出るんです」

 「そうなの……」気のない返事のあと、彼女は次の質問をする。

 「それで、お父様のお名前は?」

 「トーマス・ブラウンといいます」

 「ああ、カレニア山荘の……それで納得したわ。私は伯爵家で
秘書をしているモニカ=シーリングというの。よろしくね」
 その女性は四十代半ばだろうか、サングラスを取って後ろを振
り向くと、肩まで垂らした長い髪に知的な顔がのぞく。
 キャリアウーマンタイプの美人だ。

 それにしても……
 『もし、話を聞くだけなら、あの店でもよさそうなのに………
だいいち、あの青年はどうしてあんなに高圧的なの?……私たち、
何か悪いことした?』
 カレンの頭の中に色んな疑問が錯綜するのだ。

 本当はそれをアンにぶつけたかったが、今の今、助手席のモニ
カに答えられてしまったから、それもしにくかった。

 そんなもやもやしたものを乗せながらも、車だけが制限速度を
越えて田舎道を疾走する。

 『私たち、拉致されたのかしら?』
 素朴な疑問がカレンの心から離れなかった。

**************************

 一時間ほどかけてたどり着いた先は、その大きさといい豪華さ
といいまさに『宮殿』と呼ぶにふさわしい建物だった。
 リムジンは敷地内に入って徐行し始めたが、それはフランス式
の大庭園を二人に見せ付けるために、わざとそうしているように
さえ思えたのだ。

 「すごいね、ここ」

 カレンが思わず感嘆の声をあげると、ここでアンが車に乗って
から初めて口を開く。
 「当たり前よ。だってここはアンハルト伯爵家のお屋敷だもの」

 「アンハルト?」

 「そう、私たちの昔の御領主様よ」

 『そうか、それであの人、あんなに高圧的な態度だったのか』
 カレンの頭の中にあった謎の一つが解けた。

 市民社会になって百年が過ぎた今でもヨーロッパではかつての
所領に隠然たる勢力を残す貴族が少なくない。店の人たちやアン
が怒ったような顔をしていても、容易に口を開こうとしない理由
がそこにあった。

 『身分が違う』からなのだ。

 そんな少女たちがもとより正面玄関から建物の中へ入れるはず
もなく、リムジンは建物の裏へと回って行く。
 二人は正面玄関に比べればはるかに小さな入り口を案内された
わけだが、それでもカレニア山荘の入り口から比べればはるかに
立派な造りだった。

 「ここで待っててね」
 モニカが一緒に下りて二人のために待合の部屋を案内する。
 そこは十畳ほどの小部屋だったが、リムジンの座席に比べたら
はるかに居心地がよかった。

 というのも、ここには誰もいないからだ。
 モニカが部屋を去ると、それまで口を閉じていたアンが口火を
きる。

 「まずいよ。カレン。こんなことお父様に知れたら、私たち、
ただじゃすまないわ」

 「ただじゃすまないってどういうこよ?……お父様が私たちを
お仕置きするとでも言うつもり」

 「やるわ、この流れなら……絶対」

 「まさか、お父様ってそんな理性のない方じゃないわ」
 カレンはアンが深刻がっているのが理解できなかった。彼女に
してみたら、いつも紳士的なあのブラウン先生が、こんなことで
子供をお仕置きするなんて信じられなかったのである。

 「あなたにお父様の何が分かるのよ。ついさっき、私たちの処
へ来たくせに……」
 アンの声が大きくなる。

 「だって、仕方ないでしょう。私たちが悪いわけじゃないもの。
無理やりこんな処へ連れてこられて……むしろ、私たちってさあ、
被害者じゃないの。どうして、お父様が怒るのよ」

 カレンはアンのうろたえぶりを不思議な顔で見ているが、アン
にしてみると……

 「まったく、もう……あなたは何もわかってないわ」
 となる。

 カレンの言うことは確かに一般的には正論なのかもしれない。
しかし、世の中、正論が必ず通るとは限らない。アンは地元の子、
この問題が必ずしも理屈通りにはいかない現実を肌で知っていた
のである。

 「いいこと、確かにこの伯爵家はもとは私たちの領主様だった。
いえ、今でもこの通り大金持ちよ。……でも、第二次大戦の時、
先代はナチに協力した人だったの。国を売った人だったの。……
そのため町では多くの人たちが捕らえられ、処刑されたの。……
そのわだかまりは今でも残ってるから、伯爵家に関わりを持つ事
には慎重でなければならないのよ。特に私たちのように町の人達
から支えられてる音楽家はなおさらなの」

 「………………」
 カレンはアンの大演説に口を閉ざす。
 彼女にしてみれば、この時、伯爵家の持つ特殊な事情を初めて
知らされたわけだが、だからと言って、今の今どうしようもない
のもまた現実だったのである。

 しばらく時間をおいてからカレンが口を開く。
 「だからって、どうするのよ。あの時、逃げればよかった?」
大声をださなきゃいけなかった?今から、ここを逃げ出すの?」

 カレンに叱られるように言われると……
 「………………」
 今度はアンの方が口を噤(つぐ)むよりなる。

 そんな二人の部屋にノックが響いた。

***************************

 「どうぞ……」

 恐る恐る応じたカレンの言葉に従ってドアノブが回りだす。

 入ってきたのは、さきほどカフェで老婆を介助していた青年だ
った。
 「遅くなって申し訳ない。お待たせしたかな」

 穏やかな笑顔にアンが即座に反応して起立する。
 「いいえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 カレンはソファに座ったまま目を丸くした。普段横着なアンの
こんな姿を初めて見てビックリしたのである。

 「どうぞ掛けてください。先ほどは失礼しました。母が迷惑を
かけてしまった。……僕の名前はフリードリヒ・フォン=ベール。
ご存知ですか?」

 「はい、お名前だけですけど……」

 いつも横柄なアンの緊張した姿。一方の伯爵は余裕の笑顔だ。
 そのせいもあるだろうか。あらためて見るこの男性はカフェで
見た時よりずっと凛々しく見えた。

 「君たちは、ブラウン先生の処のお子さんなんだってね。……
どうりでピアノがお上手なわけだ」
 伯爵も対面するソファに腰を下ろす。駱駝革の肘あてがついた
カシミアセーターをさらりと着こなしている。

 「私は弾いてませんけど、……カレンが何か失礼なことをした
みたいで……」
 アンの言葉に伯爵は初めてカレンの方を向く。

 「そうだ、君だ、君が弾いていたよね。あの曲は誰に習ったの?」

 「誰に……」
 そう言われてカレンは言葉に詰まった。

 あの曲はアフリカ時代、セルゲイじいさんの膝の上で、適当に、
それこそ適当に、ピアノを叩いていたら出来上がってしまった曲
なのだ。

 おじさんが『ここを叩いて』とか『こう、弾きなさい』などと
言って教えたことは一度もない。おじさんはカレンの気まぐれな
ピアノをいつも「上手い、上手い」としか言わなかったし、その
大きな手はカレンの小さな手を包み込んではいたものの、どんな
操作もしなかった。

 だから、彼女はこれまで、『この曲は、自分が作った曲だ』と
ばかり思っていたのだ。
 ところが、その自信が老婆の出現で、今、微かに揺らいでいる。

 そんなカレンの心底を知ってか知らずか伯爵はこう語りかけた。

 「そう、誰かに教わったわけでもないんだ。君の作曲なんだね。
じゃあ、偶然、似たメロディーだったのかもしれないな。………
実はね、君の弾いた曲とよく似た曲を、昔、兄が弾いてたものだ
から……」

 「お兄さま」
 カレンはつぶやく。

 「ほら、そこに写真があるだろう。先の大戦で行方不明なんだ。
おそらく亡くなっているだろうけど、母だけはまだ信じられない
みたいで…………今日は、偶然、君の曲に出会って、取り乱して
しまったというわけさ」

 伯爵の見上げる壁に青年の凛々しい写真が掲げられていた。

 「(あれが……)」
 カレンはその美青年と自分の知るセルゲイじいさんとを頭の中
で重ねてみた。

 しかし、結果は……
 「(それって、やっぱり人違いよ……)」
 目がくぼみ、頬がこけ、頭はぼさぼさで、無精ひげが伸び放題。
そんなむさいおじさんが、昔、こんなにダンディーだったなんて、
カレンには信じられなかったのである。

 「君のピアノは誰に習ったんだい?」

 「父に習いましたけど、でも、父もピアノは我流だったんです」

 「ブラウン先生が?」

 驚く伯爵にカレンは慌てて打ち消す。

 「いえ、違います。私の父は別にいます。先生の処へ来たのは、
ごく最近なんです」

 「あっ、そうか、あそこはたくさん里子を預かってるらしいね。
君もそのひとりなんだ」

 「はい」

 「どうだろう、よかったら、もう一度あの曲を弾いてくれない
かなあ」

 「ここで……ですか?」

 「そうだよ。母の前で弾いてほしいんだ」

 「お母さまの前で!」
 カレンの心に小さな衝撃が走る。
 あの時の映像がフラッシュバックしたのだ。

 「目が見えない母にとって、兄の残した曲は唯一の慰めなんだ。
普段は僕が兄のタッチに似せて弾いてみるんだけど、母はため息
をつくばかりでね。なまじ目が不自由だから音には敏感なんだよ。
僕のピアノじゃ『全然違う』と言ってそっぽを向く始末さ。それが、
今日の出来事だろう。びっくりしたよ」

 「………………」
 カレンは考えていた。
 その考えているカレンの袖をアンが引く。
 「だめよ、カレン……」
 アンはカレンの耳元でささやくが……

 「やってみます」
 何と、考えた末に出た結論は、伯爵の願いに応えるという返事
だったのである。

 「その代わり、一回だけにしてください。私たち、夕食までに
家に帰らなければならないので……」

 「わかった。助かるよ」

 こうして、カレンは伯爵とピアノの約束を交わしたのだが……
伯爵が部屋を去った後、アンが噛み付く。

 「あなた、なんてことしてくれたのよ。私、知らないからね。
こんなこと、お父様に知れたら、私たち殺されるわ」

 「オーバーね、殺されるだなんて。どうしてよ、いいじゃない。
ピアノを弾くくらいで、何でそんなことになるのよ」
 カレンは呆れ顔だ。

 「だって悪い事をしようとしてるんじゃないもの。それであの
お婆さんの気が晴れるなら人助けでしょう。良いことをしてるん
じゃなくて」

 「あのねえ……」
 アンは事態を把握できないカレンがもどかしかった。

 「それに、私、思ったの。……あのお婆さんにしても、伯爵様
にしても悪い人じゃないって……だって、伯爵様、偉ぶった様子
もなくて普通に私たちとお話ししてくださったもの」

 「…………」
 アンはため息を一つ。あとはもう諦めるしかなかった。

 10分ほどして、この屋敷の女中が二人を呼びに来る。
 そのあとを着いて行くと……

 『すっ……すごい……これがピアノ室?…うちの居間より断然
広いじゃないの』
 『さすが伯爵様ね。ピアノを弾くためだけにこんな豪華な部屋
を作っちゃうんだもの』

 足元の厚い絨毯や大きな窓を仕切るカーテン、伯爵様が座って
いるソファや高い天井までも届くような書棚、磁器の香炉や銀の
シガーケース、身の丈サイズの花瓶などなど、この部屋にまつわ
る数々の調度品の真の価値が庶民の二人に分かろうはずがない。
 しかし、それがブラウン先生の持ち物よりはるかに高価なもの
だという事だけは理解できたのである

 「カレン、いつでも、君のタイミングで始めていいからね」

 伯爵様にそう言われてピアノの前に座ったカレンだったが……

 『ピアノが遠いわ』

 そう思ったから椅子を引いた。しかし……

 『まだ遠いわ』

 そこでまた椅子を引く。でも……

 『おかしいなあ、まだ遠い』
 そう思って再度椅子を引くと……

 『えっ!?』
 今度は近すぎてお腹が白鍵に当たっている。
 仕方なく適当な処で我慢して、いざ弾こうとすると今度は……

 『え、ええ、ええっ……』
 鍵盤が霞んで見えてしまうのだ。

 こんな事は初めてだった。

 「(わたし、どうしちゃったのかしら)」

 カレンはうろたえたが、理由は簡単なこと。
 彼女はあがっていたのである。

 今までプレッシャーの掛からない処でばかり弾いてきたカレン
が初めて踏む舞台だ。あがらない方が不思議だった。

 「(とにかく、わたし、弾かなくちゃ)」

 そう思ってカレンはピアノを弾き始めた。
 それはいつも弾いている曲。メロディーラインなど間違えよう
がない。
 ところが、そんな曲なのにカレンは音を外してしまう。
 頭がかぁっと熱くなった。

 当然、そんな曲に感動する者などいない。
 伯爵もそのお母さまも、露骨に嫌な顔などしないが、がっかり
だったに違いなかった。

 一曲弾き終え……
 「(もう逃げ出したい)」
 カレンは思った。

 と、そんな思いが通じたのだろうか、ノックがして、執事さん
らしき人が部屋に入って来ると、伯爵に耳打ちする。

 すると、伯爵は……
 「お父様がみえたよ。でも、君達はもう少しここにいてね」
 そう言い残して部屋を出て行ったのである。

***************************

 静かになった部屋だったが、ほどなく残された人が動き出す。
若い二人ではない。目の見えない老婆がソファを立った。

 よろよろと歩き出す彼女の身に危険を感じたアンが思わず手を
差し伸べると……
 「あなたがカレン?」
 と尋ねるから……

 「いいえ、私はアンです」
 と答えると……

 「カレンさんの処へ行きたいの。連れて行って」
 と、頼まれたのだった。

 もちろん、どんな大きな部屋だといっても、それは静かな部屋
の中での出来事。老婆の声はカレンにも届いていた。

 緊張して待っていると……
 「あなたがカレンさんね」

 老婆はカレンの肩につかまり、彼女の身体を手探りで確認する。
 鍵盤の上に取り残されたカレンの手に触れると、皺くちゃな手
をその上に乗せてそっと包み込む。

 「弾いてごらんなさい」

 老婆に命じられ、手のひらの中で鳴らすピアノ。

 『何年ぶりだろう?』

 優しい音がカレンの耳に戻った。
 カレンのピアノの原点が戻ったのだ。

 「この音ね。あなたがカフェで弾いていたのは……」
 カレンが見上げる夫人の顔は、目を閉じたままでも満足そうに
見える。
 彼女は何度もうなづき、どこまでもカレンの手の感触とともに
ピアノの音を楽しむのだった。


*******************(2)****

Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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