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(1/16)      酒屋2

(1/16)      酒屋2

 私の記憶にある昭和の30年代は誰もが自分の気持ちに素直に生
きていた。自分の気持ちに素直ってことは当然素直な気持ちを表現
された方が怒る場合だってあるわけで、今で言う「言葉の暴力」や
「セクシャルハラスメント」「幼児虐待」なんてのは今よりキツか
ったのも事実だ。

 そんな連中に夜はさらに酒が入るんだから事は大声だけではすま
なくなる。日ごと夜ごと街のどこかで喧嘩が繰り返され、流血の事
態なんてことも珍しくない。
 そんな時代をくぐってきた身としては、今は随分大人しくみんな
お酒を飲んでいるなあと思うのだ。

 子供の世界にしたってそうだ。今の子たちは、この爺様世代から
みるとどの子も大変なおぼっちゃまで、彼らの人間関係を覗いてい
ると時折笑ってしまう事に出くわす。何かというと分かったような
分からないような不思議な理屈で相手を説得しようと試みるから
だ。多分に親や教師やテレビの影響なんだろうが、爺様にしてみれ
ばあまり感心できることではない。

 平和理に物事が解決すればそれにこしたことはないだろうとの意
見が世の大半かもしれないが、それでは彼らが世の中に出てから困
ろうというものだ。

 事を平和理に……なんていえば聞こえはいいが、詰まるところ、
身の保身を願ってうずくまるってことだから、最初から負け犬志願
というわけだ。

 そんなものは大人になってから身につければ良いことで、子供の
間はもっと大きな自然の摂理を学ばなければならない。

 世の中は、強い者が弱い者を虐げ、虐げられた者たちは集団にな
って身を守る。強者も自分一人の力ではやれる事は限られるから、
より大きな力を求めて他人を使うことを覚える。そしてそれを維持
するために組織のルールができて人々は安定した生活を送れるよう
になるのだ。いずれにしても、統治の理屈は最後にやってくるもの。
痛みなくして平和は体現できないものなのだ。

 大切なことは、ガキ大将グループが力の序列から始まってやがて
ルールによって統治されていく過程を子供のうちに体現してみる事
だ。地位は別に大将でなくてもよい。たとえその他大勢でも、そこ
で観察し体験した人間関係が大人になって組織の中で活動する時
に生きてくるのだ。

 人との触れ合いを嫌い理屈やマニュアルといったエッセンスだけ
頭に入れておけば世の中が渡れると信じる頭でっかちな人間は、
ともすると底浅い教養を独善的に使い、周囲を困惑させては自分
だけが悦に入っていたりする。

 そんな狭い了見に縛られた組織は危うく、共産主義社会が崩壊
したのもこの為だ。そして今、子供たちを見ていると我々の時代に
もあったそうした病魔が確実に広がりを見せていると感じられるの
である。

(1/17)       映画館

(1/17)       映画館

 私の家の近くに古い映画館があった。いわゆる名画座というやつ
でロードショウなんて言葉とは無縁な映画館だった。
 便所は臭いし、椅子は狭いしぐらつくし、売店の菓子なんていっ
たいいつ仕入れたのかって思ってしまうようなしろものだった。

 学校が夏冬春の休暇時は必ず子供向けのアニメがかかっていて、
あれ30円か50円だったか、とにかくお安く楽しめたし、ちょい
と話題性のある映画が手に入った時なんかはそれをかけるけど、や
はり圧倒的に多かったのはポルノ。当時はまだピンク映画なんて言
ってたか、おばちゃんの艶めかしい姿を描いたポスターが後生大事
にガラスケースに入れられて張り出されていた。

 当時の私にとってそれはエロスというよりグロテスクな化け物の
ようなもので性的な興味の対象ではなかったのだが、見てみたいと
いう欲求に代わりはなく、ある日友だちと謀って、それをのぞき見
する計画をたてたのである。

 戦略はこうだ。その日の午前中までは学校がお休みということで
アニメがかけられているが、その日の夕方からはポルノへ切り替わ
る事になっていた。今はそんなことはないみたいだが、当時は一日
の途中で出し物が変わるなんて事はそう珍しいことではなかったの
である。
 そこで私と悪童二人は午前中アニメを見たあとポルノ映画が始ま
るまでは便所へと隠れておいて、ポルノをちょこっと見たら、その
まま入口を全速力で駆け抜けようというのだ。

 しかし、10分や20分ならいざ知らずポルノ映画が始まるまで
は四時間。
便所といっても掃除用具をしまう物置みたいな処だから、臭いし、
暗いし、何より小学生にとってそんな長い時間は退屈でならなかっ
た。

 というわけで、二時間後甲高い声が劇場中に響き渡りおやじさん
に見つかりそうになる。その時は窮余の一策、隠れていた物置の板
塀を蹴破って外に出て難を免れたのだが……
 よせばいいのに一時間後自分たちが蹴破った板塀の処からもとの
物置へと舞い戻ってしまう。そりゃあ見つかるだろうという知恵は
当時の小学生にはなかった。

 でも館主のおじさんがいい人で蹴破った板塀の修理を手伝うと、
10分だけピンク映画を見せてくれた。そこはエロスとは関係ない
部分なのだが、大いに興奮したのを覚えている。そしてまだ五分と
立たないうちに映画館の入口を三人で猛ダッシュ。近くの児童公園
まで駆け抜けた。つまり成功したわけだ。

 それにしても四時間、バカとしか言いようのない苦労だ。しかし、
そんな無駄な時間が手に入るほど、当時の少年の生活はのんびりと
していたのである。

(1/18)       やくざ

(1/18)       やくざ

 私の街には皆から「やくざ」と呼ばれている人たちが沢山いた。
なかでも60歳前後だろうか、病気していたみたいで、強面という
感じの人ではないが、周囲の人たちの話を総合すると、どこかの組
の大親分ということらしい。

 そう言われてみると、ふいに眼光が鋭く変化することがあるから、
そんな時は「なるほど」と思わないこともないが、普段は大人しい
紳士である。

 何でも旅館業が本業らしいのだが、それは実質奥さんが切り盛り
していて自分は遊郭に入り浸って遊んでいるらしい。

 そんなこんなが井戸端会議で語られ、私の耳にも入ってくる。
 実際、この時代までは「やくざ」と称する人たちもその多くが私
たちと同じ一般市民として暮らしていた。もちろん道で出会えばお
互い挨拶もするし、極道と呼ばれてはいても別世界で暮らす異邦人
という感じではなかったのである。

 とはいえ幼い私とその人に接点などあろうはずもなく、本来なら
街で見かける程度の関係なのだろうが、実は、その組長さん、私に
一度だけ声をかけたことがあった。

 その日、私は母に叱られて一時的に家を追い出されていた。夕暮
れ間近の家の前で、当時はごく普通にどこにでもあった石造りの四
角いゴミ箱の上に乗っかってしょんぼり夕焼けを眺めていると……

 「おっ坊主、なんだ母ちゃんにまた追い出されたのか!?」
 と声をかけてくる。

 縞のどてらを羽織り、やりての婆さんから買ったであろう豆腐が
一丁浮いた鍋をかかえた姿は、どう見てもやくざの大親分には見え
ない。

 私は無視して横を向き泣きはらした目をこすった。
 すると、
 「しょうがねえなあ、おまえはあの母ちゃんのチンコロだからな」
 と続けるから……
 「なに?」
 と振り向くと……
 彼はただ微笑むだけで何も答えずその場を立ち去ったのである。

 話はこれだけ。からかわれたと言ってしまえばそれまでだが、私
は、彼がその瞬間見せた哀愁を込めた半分泣いているような笑顔を
理解できなかった。
 いや、その場だけでなく、かなり長いことそれは分からないでい
たのである。

 ただ意味は分からないくても、その瞬間、幼い私をバカにして、
そう言ったのではないということだけは何故か私の心に届いたのだ
った。

 時が流れ、私も多くの人生経験を積んで、今はやっと彼の言わん
とした事が分かるような気がする。

 彼は、私が母のチンコロ、つまりペットとしてしか認識されてい
ない現実を見抜いていたのだ。どんなに手間暇お金をかけようとも、
いざ自分のプライドに手がかかるととたんに冷淡になる。その事を
哀れんで微笑んだのだ。

 怖い人ではある。しかし、してみると今は哀れむべき子供の何と
多い事か。

(1/19)      タバコ屋

(1/19)      タバコ屋

 私という男は不思議な人で同世代の子供とはあまり遊びたがらな
かったが、大人たちは総じて好きであまり人見知りしなかった。声
をかけられれば誰でも愛想良く応じ、彼が好む話題に話を合わせる
器用さも心得ていた。

 何のことはない太鼓持ち芸なのだが、おかげでおもらいは多く、
これも母親の影響だなあとつくづく感じるのである。

 ただそうは言っても人間関係の機微に通じていたというわけでは
ないから人を感心させるような話ができるわけもなく、人生相談に
乗れるわけでもない。もっぱら、どこからか仕入れたのか出所の怪
しい自慢話を得意げにぶちまけてはお茶を濁していたに過ぎない。
ま、それでも当時は大人と対等に口のきける子供が少なかったため
か重宝され悪意にとられることも少なかった。

 特に自宅近くのバス停前に店を構えるタバコ屋のお婆さんは四六
時中暇をもてあましてる(?)ということもあってか、母親とハツ
さんを除けば一番たくさんの自慢話を聞いてもらった一人だ。

 その代償が毎度毎度5円のあめ玉一つでは商売に張り合いもでな
いだろうが、お婆さんも幼い私の話をさも興味深げに聞いてくれた
からこちらも調子に乗って時に30分も赤電話の前で話し続ける事
があった。

 「そうかい、それじゃあ気いつけて帰りなさいよ」

 最後はそう言って送られ、あめ玉をしゃぶって家の方へ向かえば
私の仕事はそれでおしまいなのだが、実はこのお婆さん、その後に
大事な仕事を抱えていたのである。

 私は前にもお話したとおり物心ついた頃から何かにつけてバスで
の通学を余儀なくされていた。このため、親も一応はそのあたりは
心配したのだろう、私が立ち回りそうな場所にはスパイを配置して
常にその動静を監視していたのだ。そして私がその場所を通過する
時間を見計らっては各スパイの処へ電話をかけ…

 「坊ちゃん今この前を通られましたよ」
 という声を聞いては安心するという日々だった。
 だから途中どこかで寄り道なんかしようものなら、玄関先で角の
生えた母と対面しなければならない。当初は、なぜこんな事が母に
ばれているのか不思議でならなかったのだが、それを教えてくれた
のがこのお婆さんだったのだ。

 その日私はいつものようにひとしきりお婆さんとお話して別れた
のだが、すこし話し足りないことがあって戻ってみた。
 すると、お婆さんが目の前の赤電話で誰かと話している。

 「坊ちゃん、今しがた帰られましたよ」
 というお婆さんに、受話器越しだが
 「いつもすみません」
 という何やら聞き覚えのある声が……

 『えっ、このばあちゃん、お母さんのスパイだったのか!』
 人生の厳しさを知った瞬間だった。

(1/20)       定期券

(1/20)       定期券

 私は物後心ついた頃からバス通いをしていたから当然バスの定期
は必需品だった。だったのだが不思議とこの有り難みをあまり感じ
たことがなかった。

 当然なきゃいけないものだが、持ち歩くにはちょっと恥ずかしい
ものなのだ。
 というのも、母親がこの定期券を紐につなげてランドセルにくく
りつけるからで、これが嫌で嫌で仕方がなかった。

 母親は何も特別な事を強制したわけじゃない。今でもごく普通に
見かける小学生の通学風景と同じなのだが、これが私には快くなか
ったのである。

 そもそも定期券というものは財布と同じようにポッケットの中で
独立して存在し、その瞬間、必要に応じて「サッ!」と取り出され
なければならない。
 かように考える時、紐やチェーンなどという無粋な物は存在して
はいけなかった。

 もちろん、
 「何言ってるの!だって、なくすでしょうが!」
 と言う母の言い分はまったくもって正しい。
 まったくもって正しいのだけれど、それは私の美学が許せなかっ
たのである。

 なぜって、大人はそうやって定期券を持ち歩いていないから。

 『大人のように振る舞いたい』常日頃そう願ってやまない少年に
とって、紐着きの定期券は子供の象徴。恥ずかしく惨めな存在だっ
たのだ。

 ならば、当時の私はそんなに大人に見えたのか。
 とんでもない。背が低く額が広く、細い足が股上の短い半ズボン
からにょっきりと生えていて、どこからどう見ても子供そのもの。
しかも何かというと独りよがりな意見をまくし立てるもんだから、
その甲高い声が後頭部へ突き刺さる瞬間は大人たちがこぞって眉を
ひそめたものだったが、本人はいたってまじめに、自分は大人と同
じだと信じていたのである。

 だから道で挨拶する時も、「こんにちわ」と穏やかにこちらが話
しかけたにもかかわらず、相手が「よっ、坊主、元気か!」なんて
頭を鷲づかみにしようものなら、とたんに機嫌が悪くなって、横を
向いてしまうというありさまだった。

 今も昔も小学生相手に「よっ、坊主、元気か!」と言ってみたと
ころで、何ら問題はないはずだが、『天狗の鼻が隣町まで伸びてる』
と評される私にとってそれは侮辱されたのと同じ感覚だったのであ
る。

 最後に、私は定期券を他の子より数多くなくしたかもしれない
が、それでもとうとう見つからなかったという事態に立ち至るの
は年に数回(^◇^;)程度。大半はその日のうちに見つかるのだから
……と、いたってのんきに構えていた。

 とはいえ、どこまでも紐付き定期券を嫌がる私に母は最後まで
いい顔はしなかった。おかげで…

 「もう、定期は買ってあげないからね」
 と、こんな言葉を一学期に何回か聞く羽目になる。

 紐を切り取るためやむなくランドセルに穴を空けた時など母親
の嫌がらせより交通費は自腹(お小遣い)で学校へ行かされた事
さえあったのだ。どうもこのあたり女には男の美学というものが
分かりかねるようだ。

Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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