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バカボンちゃんのスクールライフ(2)

 バカボンちゃんのスクールライフ(2)<小説/我楽多箱>

 ボンちゃんは今で言うお受験をした。
 こういうと何だか偉そうだけど、当時のお受験というのは、今
のように大変じゃないんだ。

 受験対策といってもそもそも予備校みたいなものはないから、
そういった事の面倒をみてくれる幼稚園に通って、レクチャーを
受けるんだけ。
 それだって手取り足取りといった感じじゃなくて、傾向と対策
を聞いて、あとは面接の予行演習をしてくれるだけだった。

 週に一回のペースで、三ヶ月もやったかなあ。
 そんなものだったよ。

 そもそもボンちゃんの両親は当初お受験なんて興味がなかった
んだけど、通ってた幼稚園がたまたまそうした幼稚園だったんで、
心変わりしたみたいなんだ。

 だから、受験対策も付け焼刃で、ラッキーを期待してやってみ
ようか程度。

 案の定『こんな子いりません』ってことだったらしいんだけど、
たまたま遠縁の人がその上の大学の先生だったり、叔母さんが、
そこの中学の先生だったり、従兄弟がすでに上級生で頑張ってた
りしたもんだから、『この子だけのけ者じゃかわいそうだ』って
ことになって入れてもらえたんだ。……つまり、情実入学。

 そのことを知ったのはボンちゃんが二年生の時。たまたまその
合否を判定する席にいた先生が担任で、ボンちゃんに教えてくれ
たんだ。

 不合格の理由は、お受験の時、他の子とボール遊びをするよう
に言われたんだけど、ボンちゃんはそれがうまくできなかった。
 もともとボンちゃんは自分と同世代の子とうまく付き合えない
タイプの子で、この時もほかの子が遊ぶのをぼんやり眺めてたん
だよね。だから本人もそれを聞いて……

 「あっ、なるほど」
 と思った。そのことは当人もよくわかってたから。

 だから、「この子には協調性がない」「孤立児」ということで、
入学予定者から外そうという意見が出たらしいんだけど、面接を
担当した先生が力のある人で、この人が、「まあ、いいじゃない
ですか」と言ってくれたんで、流れが変わったみたい。

 ま、ボンちゃんって、そういうラッキーな面は持ってるみたい。
 (ただ、この場合はそれがラッキーだったといえるかどうか…
…そこのところが、いま一つ疑問ではあるんだけどね)

 そんなわけで、ボンちゃんに対しては人付き合いができるよう
にと、入学後、色々配慮してもらったらしいんだけど、はたして
効果があったかどうか、……ん~~~~難しいところです。

 でも、そんな中のひとつで学級委員やったのは楽しかったよ。
先生にしたら『他の子たちとも順応できるように…』と思って、
やらしてくれたらしいんだけど、ボンちゃんにしてみたら、他の
子との関係以上に何より先生と接近できたものだから、そのこと
の方がよほど楽しかったんだ。

 とにかく、ボンちゃんという子は同世代といるより大人といる
方が心が落ち着くという変な子だったんだよ。


注)『バカボンちゃん』というのは、赤塚先生の『バカボン』を
パクったのではありません。僕の子供時代、近所のおばさん達が、
ちょっと足りない男の子の総称として使っていた言葉なんです。
 おそらく、『馬鹿な坊ちゃん』の意味だと思いますが、出処は
知りません。『バカボン』ではなくあくまで『バカボンちゃん』
とちゃんまで付けて呼ぶのが一般的でした。そうでない場合は、
単に『ボンちゃん』と呼ぶこともあります。

バカボンちゃんのスクールライフ (1)

バカボンちゃんのスクールライフ<小説/我楽多箱>

 バカボンちゃんの学校は大学の系列校だった。
 だから、小学校なのにやり方が大学と同じなんだ。

 どういうことかというとね、まず、どんな教科でもその日やる
単元を必ず予習してこなければならない。
 先生はそこを予習してきたものとして授業を進めちゃうからだ。

 心配な時は最初に子供達へ聞き取りなりテストなりをやって、
みんながちゃんと予習してきたかを確認してから授業を進めるん
だ。

 でもって、やる授業は教科書の内容じゃなくてたいてい別の事。
つまり、普通の学校でいうなら『自由研究』ってことになるかな。
 (要するに、受験には何の役にもたたない内容。楽しかったけど)

 もともと実験校って呼ばれてて、色んな教育方法を試すために
作ったみたいなので、教科書通りに授業を進めることはほとんど
ないんだ。

 そのくせ、教科書の内容だってちゃんとテストはするんだよ。
ふざけてるっていうか、理不尽このうえないんだ。
 要するに、教科書の内容とその後の自由研究のための下調べと
両方予習してこなければならないから親は大変なんだ。

 『えっ、子供は大変じゃないのか?』

 もちろん、大変だよ。だけど、子供だけに任せてたらたちまち
我が子は置いてけ堀くっちゃうもん。
 だから、親は毎日最低でも二時間は子供の勉強をみてやらない
といけないわけ。

 そんなわけで、バカボンちゃんの学校では、九九もローマ字も
みんな課題、つまり宿題だったんだ。
 そう、一学期の終わりに「夏休みの間にお父さん、お母さんに
習ってきてくださいね」だって……

 学校では時間をさいて教えてくれないんだ。薄情なもんさ。

 昔、『小さな恋のメロディー』という映画があって、その中で、
11歳の少年ダニーが宿題を忘れて、放課後、先生からお尻叩き
の罰を受けるというシーンがあったけど、あれ身につまされちゃ
ったなあ。

 そりゃあ、予習してこないからってお尻叩きはないけどさあ、
やってこないと最悪その時間を僕のために潰しちゃうことになる
だろう、みんなに迷惑が掛かるわけで、それなりにプレッシャー
なんだよ。

 ある友達が同じ映画の同じシーンを見て「イギリスの学校って
厳しいんだな、宿題わすれたくらいで、上履きでお尻叩かれるん
だから……その点、日本の小学校は楽だよね。宿題なんてやって
なくても『家にプリント忘れてきました』って言えばいいんだか
ら」って言いやがんの。

 僕の頭は一瞬「????」となったけど……事情を聞いて納得。
 うらやましかったなあ。そんなこと言ってみたかった。

(酒飲んで書いてますから内容はいい加減です。あまり深く考え
ないでください)

5)閉じこめ

5)閉じこめ

 押入とか、自分の部屋とか、納屋あるいは蔵なんかに閉じこめ
られることなんですが、家がコンパクトになった今日ではあまり
経験のない人も多いと思います。
 私が子供だった頃は団地のような処に住んでる人の方が少数で
したから、家には比較的余計なスペースがあって子供を閉じこめ
ておく場所にそれほど不自由はしませんでした。
 ですから私と同世代の人は大半がこの経験は持っていると思い
ます。
 もっとも効果のほどがどれほどあったかは疑問でして、幼い頃
なら押入に入れられるだけでも恐怖でしょうが、大きくなると、
むしろ自分の部屋にいる方が心が安らいだりして何とも困りもの
です。(^^ゞ
 ただ、西洋ではスパンキングもそうなんですが、日本より親が
厳しく子供に接するみたいで、この閉じこめも『次のごはんまで』
なんていうような短時間ではなく、一日二日三日はては一週間や
十日なんていうのまであったんだそうです。そのためでしょうか
部屋には室内便器が用意されていて、母親が朝それを掃除に来て
くれるんだそうですが、許してくれるかどうかは、あくまで父親
しだいで、おまけに許してもらうためには目の玉が飛び出るほど
の鞭を覚悟しなければならなかったりして、話を聞いた私は同情
を禁じ得ませんでした。
 そんな怖い話ばかりを散々ステイ先の子に聞かされ、西洋人の
父親ってのはとにかく怖いんだとばかり思っていましたから、彼
と一緒にやったイタズラで鞭をもらうはめになった時は、正直、
おしっこをちびりそうに恐怖したものです。
 でも、実際に受けてみると、それはそれほどではありませんで
した。
 ただ、隣で一緒に受けたその子は天地が裂けんばかりに騒いで
いましたから『あまりにわざとらしい』とその時は思ったのです
が、今にして思うと…『西洋人だってよその子はやはり本気では
叩きにくい』という事でしょうか。それに彼の場合は、私が叩か
れた時よりぐっと幼い頃からやられてるわけで、その逃れがたい
恐怖心というのがあったのかも…あのオーバーアクションも幼児
体験のなせる技なんでしょう。

4)締め出し

4)締め出し

 子供たちへのお仕置きは何も直接身体を痛めるものばかりでは
ありません。例えば、おねしょをした子が自分の粗相した布団を
背負わされて町内を一周させられたりとか、聞き分けのない子が
パンツ一つのいでたちで庭や玄関に放り出されたりなんていうの
は割にどこでも行われていたお仕置きでした。
 小説の世界じゃないので、さすがに真冬はありませんけど、と
いって気候のよい頃ばかりではなかったように思います。やはり
男の子が多いんですが、ならば女の子は皆無かといえば、それも
違っていました。
 このお仕置き、寒さもさることながら恥ずかしさが先に立って
そりゃあ堪えました。
 もちろん恥も外聞もなく家の中に入れてくれるように戸を叩い
て泣き叫ぶ子もたくさんいましたが、ある年齢を超えるとそれも
恥ずかしくて、結局、一時的に近くの物置に身を隠すか、もっと
年齢がいくと、そこの親に見つからないで彼の部屋に上がりこめ
るような友だちを頼ったりしました。
 親の方も鷹揚なもので自分で締めだしておいて二時間ぐらいは
探しもしましせんから、ある時などその友だちの部屋で夜明かし
したこともあったぐらいで、私が現れた時は警察に捜索願を出そ
うかどうか思案しているところでした。
 その時はまだ世の中が平穏で牧歌的、ご近所みんな顔見知りで、
性善説のおつき合い。だいたい児童ポルノなんてのもありません
から、たとえ子どもを裸で放り出しても、そんなに気遣う必要が
なかったんでしょうね。
 繰り返しますが、当時にあってはこれはうちだけのお仕置きで
はありませんでした。

3)お尻叩き

3)お尻叩き

 最近はおしゃれにスパンキングなんて横文字を使う人もいます
が、私の子供時代は尻叩きで充分でした。しかもこれ、突発的な
事態で起こることが多くて西洋のようにお仕置きとして体系的に
位置づけられる家は少なかったようです。
 突発的というのは、例えば沸騰しているやかんに、幼児が手を
近づけようとした瞬間、親が慌ててその子を抱き上げ、その場で
お尻を叩くといったシーン。
 こんな場合です。(-.-;)y-゜゜
 ただ我が家に限って言えばですけど、お尻叩きも立派に体罰と
して位置づけられていました。
 幼い子にはそれほど手荒なこともしませんが、学年が上がるに
したがって平手だけでは足りずスリッパや竹の定規やストラップ
なんて名前の革ひも鞭まで登場します。
 親はどこでこれを覚えてきたのか父親母親ともに鞭の扱いには
なれていました。音を立てたり立てなかったり痛くしたりしなか
ったり、みみず腫れも自在にこしらえます。ですから、ちょっと
見た目は悲惨に見える大きな音をたてつけたみみず腫れも意外に
当人は平気だったり、逆にろくに鞭音もせずみみず腫れもさほど
でもないのに一週間も十日も苦しむことだってあります。
 父親は努めて女の子には避けていましたが男の子には容赦有り
ませんし、母親の方は逆に男兄弟の目を避けて女の子へも頻繁に
やっていたみたいです。
 もっとも、ここに言う女の子というのは歳が二桁に乗った子供
のことで、まだつばなれしていない子は性別は女の子と言っても
扱いは男の子と同じで、居間の真ん中で「パンツを脱げ」という
親の号令がかかればそれに逆らう事なんてできませんでした。
 今の子供たちにはピンとこないでしょうけど、当時の父親とい
うのは群れのボスとして絶大な権力を持っていましたから家族の
誰もがその逆鱗にだけは触れないようにと相当に気を使って生活
していました。

Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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