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9月25日付

<9月25日>

 スパンキングの本場、欧米では
お仕置きの途中にコーナータイム
という休憩時間があって、子供は
その間、部屋の隅(コーナー)で
壁の方を向いて立っていなければ
なりません。
 もちろんその間は、ぶたれずに
済む訳ですから体は楽でしょうが、
恥ずかしさは残ります。要するに
『見せしめ』という意味もあるん
でしょうね。
 前にも言ったように、私たちの
子供時代には親がスパンキングというお仕置きを行いませんでした
から、コーナータイムというものもありませんでした。ただ、見せしめ
の折檻というのは存在したんです。
 例えば、夜中にパンツ一つで家を追い出されるとか、おねしょ布団を
背負わされて町内を一周させられたなんて話は近所でよく耳にしま
したし、学校で教室の後ろや廊下に立たされるなんてのもその一種
でしょう。
 特に小学校の低学年くらいまで
は女の子でも公衆の面前で素っ裸
なんてことが珍しくなくて目撃例
も一つや二つではありません。
 しかも、それに文句を言うと…
 「何、生意気言ってるの。つい
さっき生まれたばかりのくせして、
あなたが恥ずかしいなんてわけが
ないでしょうが……」
 何てね、一蹴されてしまいます。
 どうやらこの時代の大人たちは
『そんな幼い子に羞恥心だなんて、
あるはずがない』って本気で思っ
ているようでした。

*)
<左上>
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<右下>
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9月26日付

<9月26日>

これは『魔法使いサリー』という
テレビアニメの一コマ。このお尻
を叩かれている二人、実は子供の
魔法使いで、大魔王の杖なる物を
盗み出して人間界でやりたい放題。
人間界を混乱させたとしてお仕置
きされているところなんです。
もう、恐ろしく古い作品で最初の
放映は1966年じゃなかったでしょうか。当時は私も現役の小学生でした。
実は私、このアニメのこのシーンで自分の性癖を認識したんです。
それまでも漠然としたものはありましたが、これほど明確に自分の体
の変化に気づいたことはありませんでした。そういう意味では記念碑
的な作品なんです。
以来、似たような作品が他にないか捜し求め、テレビアニメに限らず、
映画もスパシーンがワンカットあればそれだけで何回も映画館に通い
ました。やがて青年期を迎え、『トムブラウンの学校生活』だとか
『自由と規律』『少年』『エロチカ』なんて本や雑誌が自室の棚に
並ぶようになります。ただこれらの本は単に読んで楽しんだという
より、そこから空想の翼を広げるための材料でした。私の目的は、
あくまで心に湧き上がるままの妄想を文字にして楽しむこと。それ
だけなんです。
ただし、当時はそれを発表する場がありませんでした。私自身、
こんな変てこりんな趣味を持つ人は他にいないだろうと考えていた
んですから。
それがロリコンブームを経て、あの会への出会いに繋がります。
今は下火の会ですが、やってきたことに誤りはないと思います。誰かを
傷つけたわけでなし、誰に文句を言われる
筋合いもないはずですから。ただ今はまだ、
世の人たちが物事を十分に理知的理性的に
判断する能力がないようなのでそれはそれ
で仕方がないかとも思います。ですが、数
十年後(あるいは数百年後)『大人の嗜み』
または『紳士淑女の憩いの場』として認知
される日は必ず来ると信じています。

*)
<左上>
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<右下>
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<序文>

        亀山からの手紙(プロローグ)

<序文>

 私はヘブン(楽園)と呼ばれるこの地で15歳までを過ごしま
した。もともと捨て子だった私は、当初公立の乳児院で過ごして
いましたが、1歳を待たずしてここの会員である天野氏によって
亀山の地へ引き取られます。
 以来、なだらかに広がる丘の街が私の住処となりました。
 そんな経緯もあって、私の記憶はこのヘブンの地から始まります。

 広い敷地を持つ邸宅がいくつも立ち並ぶこの街には私の他にも
多くの子どもたち……といっても孤児ばかりですが…がいます。
天野茂氏もそうした子どもたちの世話する里親の一人。他の邸宅
のお父様同様、若い頃に財を成した資産家で、今はこの地に移り
住み、まるで孤児を育てるのが趣味とでもいわんばかりに家の中
は常に大勢の子供たちであふれていました。
 とはいえ、乳飲み子の私が、最初からこうした街の子供たちと
交わったわけではありませんでした。私が最初に接した世界は、
高橋という名の中年女性の懐。そして、乳房でした。

 彼女は生さぬ仲の私に自分の乳房を吸わせ遊ばせ、自分の産ん
だ子と何ら変わらないように私を育ててくれたのです。
 ですから、私にとって彼女は唯一の母親。産みの母はどこかに
いるでしょうが、私が母と呼べる人は未だに彼女だけなのです。

 一緒に寝て、ごはんを食べて、絵本を読んで、積み木で汽車や
お家を造ります。おまるに跨る時だって、一緒に応援してくれま
した。……そのいずれの時も彼女は私と一緒でしたから……

 もともとシスターでしたが、還俗して私とつき合ってくれたの
です。

 その彼女が私に最初に教えてくれた言葉があります。
 「はい、お父様」
 これはここに住む子供たちなら誰もが忘れてはならない言葉で
した。

 高橋先生(お家以外ではママをこう呼びます)は確かにママの
代わりではありますが法律上の責任者はあくまで天野茂氏。私を
経済的に支えてくれたのも彼でした。ですから、『お父様』(おと
うさま)と呼ぶのはごく当たり前のことだったのです。

 彼は大変な子煩悩で、孤児たちを自宅に引き取っただけでなく
高橋先生のように母親代わりになる人まで付けて面倒をみてくれ
ました。
 ただその代わりといっては何ですが、子供たちは天野のお父様
やその奥さんであるお母様に対しては絶対服従。小さな我が儘も
許されません。
 そこで、まず覚えさせられるのが……
 「はい、お父様」
 どんな時もこの言葉だけは忘れてはいけなかったのです。

 こう書いてしまうと、何か堅苦しい感じですけど、お父様やお
母様は幼い私たちを膝の上に乗せてごはんを食べさせたり、一緒
にお風呂に入って身体を洗ってくれたりします。おまけに滅多に
子供たちを叱ったりしませんから、二人が居間にいる時は誰彼と
なく抱きついて遊んでくれるようにせがみます。

 お父様は、ソファでくつろいでいる時に子供たちが肩に乗って
来ても、髪の毛を引っ張っても、お髭を丸めても、お顔の皺を伸
ばしても、耳元で甲高い声で叫んでも、無頓着に笑っています。

 ただ、そんな時でもお言いつけは守らなければなりません。
 「さあ、勉強の時間だよ」
 「さあ、寝る時間だよ」
 その時、子供たちが言わなければならなかったのが……
 「はい、お父様」
 でした。
 こう言われたら、子どもたちは他の言葉を使ってはいけないの
です。

 先ほど私、お父様たちは子どもたちを叱らないと言いましたが、
それはあくまでお父様やお母様が私たちを叱らないというだけで、
母親代わりとなる先生たちは子供たちをよく叱ります。というか、
当時の事ですから体罰だって当然という世界でした。

 お尻叩きはもちろんのこと、納戸や物置に閉じこめられたり、
素っ裸やパンツ一つでお庭の杭に縛り付けられたり、浣腸をして
それを限界まで我慢させられたり、お灸だってあります。いつも
ではありませんが、恐らくここで育った子供たちのなかでお尻に
お灸の痕つまり火傷の痕がない子はいないと思います。

 でも、みんな自分の面倒をみてくれる母親代わりの先生が大好
きでした。私のママだけでなく、どこのママ達も子どもたちには
献身的なんです。およそ血を分けた本当の子供でもないのに……
『どうして?』って感じでした。

 もちろんそんな情熱は幼い子供にも伝わりますから、ちょっと
くらいお仕置きされたからってママを嫌がる子はいません。

 どんな厳しいお仕置きがあった日も…
 「ごはんよ」
 ママのこの一言を境に、どこの家庭でもまた元の親子関係へと
戻っていきます。

 僕のお家では叱られた次のごはんはママのお膝の上と決まって
いました。そこで必死に甘えて失ったものを取り返します。これっ
て、別にお仕置きの償いにママがそうしているわけではないのです
が、うちのママはお膝の上を占拠した僕にスプーンで食事を運んで
くれます。

 そして……
 「ん?お尻、痛かった?」
 「うん」
 「元気を出して、お義母様には内緒よ」
 「どうして?」
 「大事な赤ちゃんのお尻をぶったなんてわかったらママがお義
父様に叱られちゃうわ」
 なんて言われましてね、本気にしていました。(∩.∩)

 お断りしておきますが、この時僕は幼児ではありません。正真
正銘の11歳。世間の常識ではもう『赤ちゃん』だなんて言われ
る歳ではありませんでした。けれど、この街では身体がどんなに
大きくなろうと14歳になるまでは常に『赤ちゃん』なのです。

 「だって、僕はもう赤ちゃんじゃないもん」
 そんなこと巷では通用してもここでは通用しません。
 ですから、おいたが過ぎると、それまで大人たちから与えられ
ていた自由がすべて剥奪されてしまいます。パンツの代わりに、
おむつをはめさせられ、上下続きのベビー服を着せられてベビー
ベッドの上へ。
 ここで丸一日過ごさなければなりませんでした。

 ええ、私もこの罰を受けたことがありますがとっても変な気分
でした。何しろ枕元にはミルクの入った特大のほ乳瓶、起きあが
りこぼしや天井で廻っているメリーゴーランドも同様で成長した
体に合わせた特注品。
 部屋の隅にはおまるが置いてあって用を足したい時は大人の人
を呼んでベビー服を脱がしてもらいここに跨るんですが……
 終わると……

 「はい、終わったの?じゃあ、モーモーちゃんしましょう」

 こう言われたら牛のように四つんばいになって大人からお尻を
拭いてもらわなければなりません。自分が赤ちゃんに近い頃なら
まだしも、10歳を越えてそれは屈辱的でした。でも仕方があり
ません。それがこのお家のお決まり(しきたり)なのですから…

 そんななか、お勉強だけは年相応にやらさせられます。こんな
ことがあると、担任の先生がベビールームまでわざわざ押しかけ
て来て、今日、学校でやったお勉強を教えてくれるんです。
 親切というか、迷惑というか……

 そうそう、クラスメートもやって来ますね。お見舞いというか、
からかいにですけど……

 でも、一日の大半は天井から吊り下げられたメリーゴーランド
を見て過ごす退屈な一日です。
 こんなにも心が幼児退行しそうなお仕置きを、ママはなぜ考え
ついたのでしょうか。

 実はこれ、ママの発案というより、お父様やお母様の願望から
生まれたもののようでした。法律上の親であるお二人は私たちが
いつまでも幼児のような純粋な心のままで自分たちに仕えてくれ
ることを願っていたのです。

 『私たちの天使ちゃんたちは元気かしら』
 お二人はよくこんな言葉で子供たちを表現していました。

 ですから、先生方も子供たちをそうした方向で仕付けますし、
私たち自身もそんな大人ちの要望に応えようとします。おかげで、
家庭内の雰囲気は、巷の一般家庭よりさらに強く、幼さが色濃く
残っていました。

 ユーミンの歌に…
 『小さい頃は神様がいて、不思議に夢をかなえてくれた。……
毎日愛を届けてくれた』
 こんな歌詞がありましたけど、私たちの日々の暮らしもそんな
感じでした。

 ベビーベッドで、今、僕が寝ていると聞きつけるや、お父様と
お母様は必ずお見舞いにやってきます。そして、ミルクを飲ませ
たりオムツを換えたり絵本を読んできかせたりとまったく幼児と
変わらない対応で僕をあやすのです。

 それは端から見れば大人のおままごと。きっと世間の常識では
11歳にもなった少年にそんなことをしたら…
 「やめろよ、そんなこと!」
 と、ほ乳瓶を投げつけて騒ぐんじゃないかと思います。

 でも、ここではお父様にもお母様にも絶対服従です。お二人の
前では何をされてもいつも笑顔でいなければなりません。たとえ、
オムツ替えで下半身を丸裸にされるようなことがあっても決して
騒いではいけないのです。

 目上の人みんなにそうなのですが、とりわけ『お父様とお母様
には絶対服従』がここで暮らす子供たちのお決まり(義務)だと
ママからは繰り返し口を酸っぱくして教えられていました。

 その代わり、私達はこのお二人からは色んな援助を受ける事が
できました。欲しいオモチャや文房具、服やご本など、ほとんど
二つ返事で買ってもらえますしママから言い渡されたお仕置きも
このお二人に泣きつけば、まけてもらうことができましたから、
便利な人たちでもあったわけです。

 ただ、そのための条件が……
 『心が清いこと、目上の人には従順なこと』
 だったのです。

 要は、赤ちゃんのようにして振る舞うことだったのです。

 この日も、ほ乳瓶を口元にあてがわれましたから、口の周りを
ミルクだらけにして一所懸命飲みますと、二人とも大変にご機嫌
な様子で……
 次は……

 「あなた、せっかくオムツしてるんですもの。……オシッコも
うんちもオムツに出していいのよ」
 と、こうです。

 「…………」
 お母様の笑顔に、僕の顔が引きつる瞬間です。

 いくらこのオムツをしているからって、本当の赤ちゃんを卒業
してしまった子が、そう易々と穿いてるオムツにお漏らしなんか
できません。

 当然おしっこがしたくても我慢することになるのですが……
 そうなると役立つのがお浣腸でした。

 グリセリンという薬液を大きな注射器みたいなもので吸い上げ
て、細いゴム管をセット。水鉄砲みたいにガラス製のピストンを
押すと、ゴム管の先端が僕のお尻の穴に繋がっていますからお薬
がお尻の穴から僕の身体の中へと入って行く仕掛けです。

 「……(絶句)……」
 これって、やったことのある人なら分かると思いますが、その
居心地の悪さは格別です。

 でも、問題はその先でした。

 「ウウウウウウウウウ」
 そんなことをされると、1分とたたずもの凄い便意に襲われる
のです。

 信じられないほどの強烈な下痢です。普通の状態でならありえ
ないようなもの凄いやつですから、当然、トイレへ駆け出したい
ところですが、それはたいてい大人たちから許してもらえません
でした。

 「だめえ~~漏れちゃうよ~~~」
 身の不幸を嘆きながら五分から十分。、年齢が上がると20分
も我慢しなければならないのです。

 この時はガラス製の浣腸器から外れたゴム管をまるでお猿さん
のしっぽのように垂らしてお母様の胸にしがみつきます。

 「ああ、出る。出る。だめ、ごめんなさい。もうしませんから」
 わけも分からず懺悔の言葉を口にしながら、全身鳥肌をたてて
泣きじゃくります。

 ところがお父様もお母様もどうやらそんな僕の断末魔が面白い
らしくて、なかなか許してもらえませんでした。
 結局、お父様が暴れる僕を抱きかかえて、それこそ赤ちゃんに
そうするように、おまるの上で僕の両足を持ってうんちをさせて
くれましたが、出てきたものはほとんど水のような物で……
 その瞬間、僕の顔は真っ赤に火照っていたのを覚えています。

 「もし、僕があの時お漏らししていたら?」
 僕はあとでお母様に尋ねたのですが、お母様はこともなげに…

 「もちろん、その時は私たちで片づけますよ。愛するわが子の
ものですもの、たとえうんちでも汚くなんかないのよ」
 こう言い放つのでした。実際、ママも僕に幾度となくお浣腸の
お仕置きをしかけて、その中には粗相したこともあったのですが、
それでもそれを処理する時、ママが嫌な顔をしているのを見た事
がありませんでした。
 もちろん、僕の方はすっぽんぽんにされてのお着替えですから
こちらは相当に恥ずかしかったのですが、ママは笑っていました。

 そんなこんなで、ここでは子どもたちはかなり長い間赤ちゃん
生活。そして大人たちによってわりと平気で裸にさせられます。
それは何もこの部屋の中だけとか、家の中だけといった閉鎖した
空間に限りませんでした。

 赤ちゃんになるお仕置きの時は、晴れていればお散歩の時間と
いうのがあるのですが、これなんか11歳の子でも寝っ転がれる
ような特大の乳母車に乗せられて、みんなが見ている公園の真ん
中でオムツ替えなんてことになります。

 大事なオチンチンを人前に晒して……
 恥ずかしいのを通り越して、その瞬間は頭の中が真っ白になっ
ていました。

 それにひき換え……
 乳母車を覗き込む大人たちは大喜び。まるで子供にはそもそも
羞恥心なんてあるはずがないと思っているようでした。

 実際、気候の良い時などは、公園内で悪さした子がピロリーと
呼ばれる晒し台に立たされていましたが、そんな中には小学校の
高学年になる女の子の姿も……
 さすがに全裸でいることは希でしたがパンツ一丁という姿なら
それほど珍しくありませんでした。

 ここでは子どもが『恥ずかしい』と主張すること自体悪だった
のです。

 目上の人に「裸になりなさい」「パンツを脱いで」なんて言わ
れれようものならすぐにそうしないとお仕置きが増える事になり
ます。ですから、子供たちにとっては嫌も邑生もありません。

 家庭で、学校で、公園で、仮に裸の子がそこにいたとしても…
 「ふ~ん」
 という程度。別段、珍しくも何ともありませんでした。

 お互い異性の裸は幼い頃から見慣れていたのです。
 とはいえ、思春期にさしかかると身体も少しずつ変化していき
ます。特に女の子の場合は、今まで通りというわけにはいかない
ようでした。

 ま、そんなことは大人たちも承知していたのでしょうが……
 だからといって『女の子への羞恥罰はやめよう』という話には
ならないようでした。

 以下は日記をもとに僕の一日を再現してみました。
 興味のある方だけご覧ください。
 

<第1話>①

(6月10日)
 いつものようにママのおっぱいの中で目が覚めた。退屈なのでお布団
の外へ出ようとしたが失敗。またすぐに引き戻されてしまう。代わりに
ママのおっぱいを舐めてみると…
 「だめよ、おいたしちゃ」
 と気だるく言われてしまった。……でも、やっぱりママのおっぱいが
オモチャにちょうど良いから、もう一度舐めてみる。今度は唇で乳首を
捕まえた。すると、先ほどとは違う答え。
 「しょうがないわねえ」
 という返事。おまけに唇1センチの処へ乳首がやってきたのだ。好意
に甘えて左手の指の腹と舌先でちょんちょんと刺激してみると、そこが
ちょっぴりだけど大きくなったような気が……でも、気のせいかもしれ
ない。
 『ママは起きないなあ。ママが起きないと僕が起きられないから困る
んだけど……仕方がないね。もうちょっとおつぱいで遊ぶか』
 心の声が聞こえたのかママは僕の頭をぐぐぐいっとおっぱいの谷間へ
と押しいれる。
 『わ~~何にも見えないじゃないか』
 と、ここで茜ちゃんが起きた。茜ちゃんは5歳の女の子。僕の妹だ。
 すると、とたんにママが僕の頭を両手で掴むと元あった処へ放り投げ
てしまう。
 『むむ、あっちへ寝返り打っちゃった』
 せっかくママとラブラブだったのに大切な時間を取られた気分だ。
 茜ちゃんがママとやることも僕とそう大差はない。二人はいい雰囲気
だったんだけど……そのうち、急に飛び起きた。
 「あなた、またやったの」
 ママの声が頭にキーンと響く。
 要するに茜ちゃんがまたおねしょをしたのだ。
 ま、おねしょをするような子と一緒に寝たのだから仕方がないんだろ
うけど、ママは不機嫌だ。こんな時は僕が茜のパンツを取り替えなけれ
ばならない。
 迷惑な話だが、僕がお兄ちゃんだからこれも仕方がないのだ。
 「あたしがやる」
 新しいパンツを持っていくと茜は自分で着替えようと僕の持ってきた
パンツに手を伸ばした。
 「だめ!これはお兄ちゃんがやるの」
 僕は断固拒否する。僕も小学校の二年生までおねしょをしていたけど、
パンツを取り替えるのはいつも当時中学生の小百合お姉様だったんだ。
もちろん自分でできることなんだけど、これってお仕置きでもあるから
やらせてもらえないんだ。だから、茜もじっとしてなきゃいけなかった。
 濡れたパジャマのズボンとパンツを下ろすと小さな可愛いワレメが顔
をだした。
 「ほら、じっとしてて…」
 僕は叱りつけるような強い口調でバスタオルをその可愛いお股に当て
る。そして少し荒っぽい感じでそのお股の濡れた処をふき取ってやるだ。
 これも小百合お姉様からやられた通りやってあげてる。
 あとは乾いたパンツを穿かせて、スリーマーも取り替える。その後は
ブラウスにフリル付きの短いスカートを穿かせれば完成だ。
 そうなってはじめて、茜にはやることができた。
 お着替えじゃないよ。それは僕がやったんだから。ママへの「ごめん
なさい」だ。
 ママの前で正座して両手をついて…
 「おねしょしちゃいました。ごめんなさい」
 「あなた、昨日はお夕食のあとこっそり食堂へ行かなかったかしら?」
 「……」茜ちゃんは答えませんでしたが、もじもじしてましたからね、
やっぱりジュースをごくりとやったみたいでした。
 「いいこと、今度、お約束を破ったら本当にお灸をすえますよ。あな
たも見たでしょ。香苗ちゃんのお仕置き。あなたもあんなのやってみた
いのかしら?お灸ってとっても熱いのよ」
 「……」茜ちゃんは激しく首を振ります。
 「だったら、夜、お夕食が終わったらお水を飲むのは我慢しなさい。
いいですね」
 「は~い」
 と、事はそれだけ。終わるとママは茜ちゃんを抱っこします。そして、
ママは茜ちゃんを抱っこしたまま家族三人で食堂へと向かうのでした。
 ええ、この子とも血はまったく繋がってませんけどね、僕たち三人は
家族なんです。(正確には5人かな、ここを巣立ったお姉様がすでに二人
いますから…)
 とにかく、天野のお父様のお家には僕たちみたいな母子家庭みたいな
のが7家族も同居していてそれがみんな朝ごはんを食べに食堂へ集まり
ます。
 事情はどこも同じ。高橋先生のような母親代わりの先生がお父様から
預かった二三人の子供たちを連れてやって来るわけです。
 集まってくる子供たちの年齢はさまざまで、本当の赤ちゃんもいれば
中学卒業間近の15歳の子まで色々です。さすがに14歳を過ぎたお姉
様たちはいつも背筋を伸ばして凛とした立ち居振る舞いですけど、まだ
ろくに仕付けられていない小学生グループはそりゃあ賑やかです。
 ここに集まっている子供たちはいずれも法律上は天野氏の里子たち。
つまり、ママはそれぞれ違うけど大きな屋根の下で一緒に暮らす僕たち
にとってはどの子も等しく兄弟たちでした。
 だから、ここに集まる十数名の子供たちが一家族ともいえるのですが、
ママが違えばやっぱり少しだけ距離があるのは仕方のないことでした。
いえ、同じ屋根の元で暮らす者同士ですから仲はとっても良いんですよ。
ただ、「はい、パンツを脱いで」と言われた時にびっくり箱の蓋を開けた
時のような早さでパンツが脱げるのはやはり自分たちのママだけだった
んです。
 『あ、章くん』
 僕は章(あきら)君を見つけると抱き上げます。すると、章君も僕を
抱き上げてくれます。
 これは親しい友だちなら誰でもやるご挨拶。とにかくこの町では大人
たちが誰彼となく訳もなく子供たちを抱き上げますからそれが子供たち
にも広がって握手代わりのご挨拶になっていました。
 二人は同級生。学校のクラスは違っていましたが、同じ歳の男の子は
この街には私と彼の二人だけでしたから普段からとても仲良しでした。
つまり他はみんな女の子なんです。幼い頃はあまり感じませんでしたが、
この頃は価値観が違ってきて少し肩身が狭いんです。だから立場の弱い
二人はいつも連(つる)んでいました。
 二人は揃ってお父様の処へ行きます。
 この時間帯はご挨拶のラッシュですから二三人待って順番が回ってき
ました。
 その日もいつもの通りお父様の足下で跪くと両手を胸の前に組んで…
 「おはようございます。お父様。健児です。今日もよい子でいます」
 「おはようございます。お父様。章です。今日もよい子でいます」
 二人は異口同音に朝のご挨拶をします。もちろん、僕たちの前にいた
子供たちもこんな調子でご挨拶をしていました。
 「おう、我が家の王子たちは元気だったか」
 お父様は満面の笑みで両手を広げます。すると僕たちは遠慮なくその
膝の上に上がって頭を撫でてもらいます。当時、僕たちの体重が何キロ
あったか覚えていませんが子供二人分ですからね、普通に座っているだ
けでも相当に重かったんじゃないかと思うのですが、僕たちは遠慮なく
お父様のお膝の上でお尻を浮かして跳ねまわります。
 でも、お父様のお顔はそんななかでも終始笑顔でした。
 「おうおう、二人ともお尻をとんとんできるところを見ると、昨日は
誰からもお仕置きされなかったな」
 こう言われると二人とも苦笑いを浮かべるしかありませんでした。
 「………ほら、おめざましだ」
 お父様はテーブルに置かれた硝子ボールの中に大きな手を突っ込むと
チョコとクッキー鷲づかみにして数個ずつ僕たちに手渡してくれます。
 『おめざまし』というのは朝寝坊の子供たちの目が覚めるようにと、
お父様やお母様から与えられるお菓子ことで、朝のご挨拶がすむと誰の
手にも握らせてもらえるものでした。
 朝からお菓子なんていい身分だ?
 いえいえほんの一口二口程度ですからね、成長した子供たちにとって
はあまり有難みはありません。ただ、だからといって「そんなのいらな
い」なんて拒否するのはもちろんタブーでした。
 で、次は隣の席のお母様。やり方は同じです。
 「おはようございます。お母様。健児です。今日もよい子でいます」
「おはようございます。お母様。章です。今日もよい子でいます」
 また二人並んでご挨拶すると今度はお母様が座っている大きな椅子の
脇に招待してくれます。さすがに膝の上というわけにはいきませんので。
 大きな椅子も3人一緒に座ると窮屈なんですが、「結構です。狭い処は
嫌いですから」なんて言う勇気はありませんでした。もちろん、おめざ
ましもその時もらえます。
 この時の僕たちのお仕事はひたすらおめざましを食べることでした。
 「章ちゃん、今度の金曜日には何を聞かせてくれるの?」
 お母様はしばらくのあいだ僕たち二人に頬ずりしたり、頭を撫でたり、
お手々を揉み揉みしていましたが、そのうち、章くんの耳元に息を吹き
かけるようにして尋ねます。
 「フルートです」
 「上手になった?」
 「わかりません。でも、合田先生はとっても上手になったって」
 「まあ、それは楽しみね。今度は何を吹いてくれるの?」
 「愛の挨拶」
 「まあ、そんな難しい曲ができるようになったの?」
 「わかりません。でも頑張ります」
 「健ちゃんは?」
 「えっ!ぼく……オルガンで、主よ、人の望みの喜びよ」
 「あなたの得意な曲ね。楽しみだわ」
 お母様はこう言いましたが僕の気持ちはちょっと複雑でした。という
のも、この週は色々忙しいことが続いてピアノの練習ができなかったの
です。おかげで課題曲はクリアできず、仕方なくいつでも弾ける曲を選
んで弾くことになったのでした。
 僕たち天野家の子供たちは二週間に一度それまでに習った曲をお父様
やお母様の前で披露することになっていました。つまり、沢山いる子供
たちの中で自分をアピールするチャンスなわけです。
 僕はそんなことに感心がありませんでしたが、ママにとっては大切に
育て我が子(?)をお父様たちに売り込もうと一生懸命だったのです。
 ですからこの時、僕は章君に差を付けられたみたいでショックでした。
 「さあ、あなたたち、今日はお当番なんでしょう。ここへお座りなさい」
 お母様に言われて僕たちは勧められるままに隣の椅子に腰を下ろしま
す。実は、天野家では十日に一回程度の当番が定められていて、その日
は食事する場所も普段食事をしている下座の円形テーブルではなくお父
様たちが座る上座の席で一緒にいただくことになっていました。
 これって子供たちにはちょっとした楽しみなんです。(*^^)v
 ここからだと兄弟たちが食事をしている円形テーブルを見下ろすよう
な形になってちょっとだけ偉くなった気分ですし、目の前に並んでいる
料理だっていつもの物とは違います。
 上座の人たちのテーブルには下座の子供たちのテーブルより少し贅沢
な料理が並んでいました。それをこの日ばかりはお父様やお母様におね
だりして手に入れることができるんです。
 もちろんお酒やコーヒー、それにコーラがダメでしたか。でも子供に
害がなければお二人が何でも取り分けてくれたんです。
 あ、そうそう、ある日のこと、お母様がウイスキーボンボンを幼い子
に与えてしまいひっくり返ったなんてことがありましたけど、その後も
この風習は残りました。
 その日の日記によれば僕はお母様からフルーツポンチやタンシチュウ
なんかをもらいご機嫌でした。
 僕が甘えた声で「シチューが欲しい」と言うと…
 「そう、じゃあ、あ~~んして」
 料理を乗せた大きなスプーンが目の前にやって来ます。これを笑顔で
パクリとやってみせるのが子供の義務(?)。後は、取り皿に乗せられた
料理を自分で食べることができますが、とりあえず一口だけはこうして
お母様の要望に応えなければなりませんでした。
 お父様もお母様も実の親ではありません。お金に余裕があるから僕た
ちを引き取ったのです。そのせいか、僕たちに接する時は早く自立して
欲しいというより、いつまでも幼い子のままでいて欲しいという願いの
方が強くこもっていました。
 ですから、高慢な物言いや横柄な態度、聞きかじった知識をひけらか
すといった態度には眉をひそめます。そんなことをするくらいなら、た
とえ年齢にそぐわなくても赤ちゃんの様に振る舞った方がまだましだっ
たのです。
 お母様はお口でスプーン奪い取った僕を喜びます。
 「だめよ、そんなことしちゃ」
 言葉ではそんなこと言っていますが、僕はそれがお母様の本心でない
ことを知っています。その証拠にお母様の顔は満面の笑みです。そして、
僕の口からスプーンを取り上げるとその代わり僕はお母様のお膝へ招か
れました。
 「良い子、良い子。今度は何が欲しいのかしら?」
 こうして頭を撫でられていると、とてもいい気分です。今までだって
普段より高い所から眺めていたのにそれがさらに一段高い処から兄弟た
ちや先生を眺められるんですから…もう、神様か天使様にでもなっちゃ
った気分でした。
 ただ、こうした場合、僕だけというわけにはいきません。
 「ほら、今度は章ちゃんよ。ここへいらっしゃい」
 お母様は僕を下ろして章君にお膝の席を勧めます。
 シャイな章君は当初迷っていましたが、そのうち章君のママが行きな
さいと勧めたので結局彼も僕と同じ幸せを味わうことになったのでした。
 11歳という歳は大人の入口にさしかかっていますから何かにつけて
大人たちに自分を一人前と認めさせたがりますが心の中はまだまだ大人
への依存心が強くて、抱いてもらうととたんに赤ちゃんの心が戻ってし
まい本心は嬉しくてたまりませんでした。
 朝の食事が終わると、子供たちは再び先生に連れられて自分たちのハ
ウス(離れ)へと戻ります。そして学校へ行く準備をします。
 僕と茜ちゃんも高橋先生に幼稚園と小学校の制服を着せてもらって、
これからお出かけです。
 察しのいい方はお気づきかとは思いますが、高橋先生は僕の小学校の
先生でもあります。いえ、うちだけじゃありません。他の家のママたち
だってその大半が幼稚園、小学校、中学校のどこかの先生でした。
 つまり、ここのママたちは家ではママ、学校では先生なのです。
 しかもこの三つの学校は全部同じ敷地にあるんですよ。一応、学校の
敷地はくぎられてますけど、小中学校は教員室も同じだし、幼稚園とは
往来自由。寂しがり屋の子がよくママを探しに小中学校へ出張して来ま
すが、大人たちに幼稚園を隔離しようなんて考えはないみたいでした。
 FAXもメールもない時代でしたが情報交換も頻繁で、どこの学校で
起こったこともすぐにその子のママに筒抜け。ママに隠し事は何一つで
きませんでした。
 天野家だけが特別なんじゃありません。うちのような家がこの町には
他にも十数軒もあって、その子供たちはみんなこの学校へ通うんです。
 早い話、ここは街は全体が巨大な孤児院というわけ。右を向いても、
左を向いても、周囲は同じ境遇の子供たちばかりです。ですから、実の
両親がいる恵まれた子供たちから心ない言葉をかけられる、なんていう
心配だけはありませんでした。
 しかもママのお話しでは『あなた方は特別なの。とっても運がいいの。
恵まれているのよ』という事をよく聞かされます。
 要するに今の境遇に感謝しなさいというのですが、こちらは他の世界
をまったく知らない純粋培養ですからね、いくら『恵まれている』『感謝
しなさい』と言われても『この街にいて特別幸せだなあ』と感じたこと
なんてありませんでした。といって『特別不幸だなあ』と感じたことも
なかったのですが…(^^ゞ
 そうそうこれはお断りしておかなければなりませんね。僕たちだって
365日篭の鳥というわけじゃありません。色んな行事で街を離れる(山
を下りる)事はたびたびありました。ただ、いずれもに大人が付き添っ
ていますし、他の世界の子とふれ合う機会もありませんでした。テレビ
だって11歳になった僕でさえ「ひょこりひょうたん島」と民法の30
分のテレビアニメ以外観ることができませんでした。
 つまり外の情報を得る手段がないわけです。ですから、テレビを観て
いても劇の中で起こる出来事が理解できないなんてことが沢山あったの
です。特にお金はこの町にいる限りほとんど触れることがありませんで
した。もちろん学校では教わりますが、そもそも使う機会がないのです。
 ここでは欲しい物はお金を出して買うものではなく大人からプレゼン
トしてもらうものでした。
 お父様、お母様、もちろんママが多いですが、別にそれだけではあり
ません。担任の先生や園長先生、司祭様にだって、おねだりすればそれ
は叶えられたんです。
 嘘みたいでしょう。親でもない人がおねだりされたからってそう易々
他人の子にプレゼントしてくれるなんて…でも、ここではそもそもその
『他人の子』という概念がありません。ここで働いている誰もが街中で
見かけた子供を自由に抱けますしプレゼントをあげることだってできる
んです。
 そんなことして嫌がらないか?
 人見知りする幼い子は当然いますが、そのうち慣れて平気になります。
そもそも周囲から大人に抱かれたらイヤイヤをしてはいけないと仕付け
られていますから……
 こんなこともあって、この街の誰もがよい子へはプレゼントを惜しみ
ませんでした。だからヘブン(楽園)なんて言われるんでしょうけど、
そのあたりの事情は巷とはだいぶ事情が異なっていたみたいです。
 とにかく私たち子供にすれば、大人たちに気に入られることが何より
大事なお仕事だったわけです。
 従順で、純真で、勤勉で……
 大人たちの要求は自由奔放な子供の気性からするとちょっぴり厳しい
ものがありましたが、可愛がられる喜びからみんな一生懸命着いていっ
たんです。
 それもこれも街に暮らす大人たちがいずれも無類の子供好きで邪な心
を持つ人が誰一人としていなかったから可能だった仕組みみたいです。
 そうそう、さっき言った僕たちの学校は町の外れ南斜面を切り開いた
日当たりの良い場所にありました。そもそも一学年10数名しかいませ
んから設備自体も小規模なんですが先生だけは沢山いらっしゃいまして、
どの先生も子供たちには献身的で、何より子供たちが大好きでした。
 朝、登校して木造だった校舎の玄関を入ると、その玄関先に園長先生
が椅子に座って待っています。
 「はい、健ちゃん。おはよう」
 白髪にメガネをかけたこの先生は、子供の目にはおばあちゃん。その
おばあちゃんが、生徒一人一人の頭を撫でてお手々をさすって抱きしめ
ます。これは朝の儀式みたいなものでした。もちろん、うざったいから
としかとして脇をすり抜けるなんてことはできません。園長先生は子供
たちの名前を全員覚えていましたから誰が逃げたかすぐに分かるんです。
 それだけじゃありません。教室に入ると今度は担任の谷村先生が待ち
構えていて、また、同じように僕たちの頭を撫でてお手々をさすって、
ハグします。ただ一つ違うのは、そのあとほんのちょっとだけですけど
子供たちをだっこしてくれることでした。
 女の子もこのくらいの歳になると先生の抱っこにはあまり乗り気では
なかったみたいですが、僕みたいな甘え坊は時間延長をお願いすること
だってありました。
 すると、たいていOK。こんな時は得てして男の子の方が甘えん坊さ
んなんです。(*^_^*)
 もう五年生ですから、赤ちゃんみたいなだっこは世間的にはおかしい
のかもしれませんが、ここでは…
 「子どもが望むなら抱けるだけ抱いてあげなさい」という園長先生の
方針のもと子供たちはどんな先生に対しても甘え放題でした。
 私たちが孤児なのに性格が暗くないのは、この園長先生の教育方針が
あったからなのかもしれません。
 ただ、でれでれと甘やかしていただけではその子の将来が心配ですし、
教室の秩序だって保てませんから、そこは厳しい処だってたくさんあり
ます。甘やかされている分、そしてお互い親しい分、お仕置き(体罰)
だって厳しかったんです。…>_<…
 この日も美津子ちゃんが朝のホームルームで先生の前に呼ばれました。
 「美津子ちゃん、あなた、昨日、お母様のメイクルームに無断で入っ
て鏡に口紅イタズラ書きしたでしょう…ママからお聞きしたけど、あれ
本当かしら?」
 「……」美津子ちゃんは何も言いませんでしたが、渋々頷きます。
 「そう、それっていけないことだって分かるでしょう?……お母様の
お部屋を汚すことはとってもいけないことなのよ。何故ちゃんと消して
こなかったの?」
 先生に諭された美津子ちゃんきはとっさにこう言います。
 「あれ、消し忘れたんです。本当はあとで消すつもりだったんです」
 でも、そんな言い訳ではおさまりませんでした。
 「いいこと、お母様に対するイタズラはあなた一人の罪ではないの。
三輪先生がお世話するあなたの兄弟にも迷惑がかかることなのよ」
 「真由子ちゃんのこと?」
 「そうよ、あなたがそんな子ならもうあなた方の面倒は看てあげられ
ないって他の子も言われてしまうの。そうなったらそれはあなたの責任
なのよ。そうなったらどうするのかしら?」
 先生は厳しい視線で美津子ちゃんを睨みます。
 私たちのお父様やお母様は広い心で私たちを愛してくださっています
から、こんなことぐらいで手を引くなんてことあり得ませんが、本当の
お母様と比べれば色んな意味で気働きは必要でした。こんなこと言うと、
『それをこんな幼い子に求めるのか?』なんて声があるかしれません。
でも、他人にご飯を食べさせてもらっている以上それは仕方のないこと
でした。
 そりゃあ、公立の施設に行けば子供らしく暮らせてそんな気遣いはい
らないかもしれませんが、その代わり、おっぱいを自由に触れたり舐め
させてくれるママが添い寝してくれるふかふかのベッドまではそこには
ないはずです。この山を下りたら、いつだって無条件で抱いてくれて、
オモチャやお菓子を与えてくれる大人たちには会えないのです。
 そんなことはもうこの位の歳になるとみんな薄々理解していました。
 「あなたがここ(楽園)で暮らしたいのなら、お父様お母様はもっと
大事にしないとね。そのことを心に留めて置きなさい」
 谷村先生はそれだけ言って美津子ちゃんの手を引っ張ります。そして、
少しだけハグしたあと……
 「ごめんなさい、……いや、やめてえ~~もうしません。お義父様、
お義母様を大事にしますから……お尻ぶたないで……」
 気が付くと美津子ちゃんは谷村先生のお膝に乗せられていました。
 短いスカートが捲り上げられ白いショーツの上から平手でポンポンと
お尻を叩かれています。美津子ちゃんは慌てて痛いお尻をかばおうと、
右手を後ろにまわしかけましたが、行く手を助教師の青山先生に押さえ
られてしまいます。
 「いやあ、だめえ~」
 そんな美津子ちゃんと先生たちのやりとりを僕は悲しそうな顔で観て
いました。
 というのは公式見解。(∩.∩)
 こうしないと先生に叱られるからわざとそんな顔をしているだけの話で、
美津子ちゃんが腰掛けた先生のお膝に俯せになった瞬間。(^◇^)
楽しくて仕方がなかったのです。
 大人になると『明日は我が身、気をつけなきゃ』なんてネガティブに
考えがちですが子供の頃はそんなことはまったく考えません。今行われ
てることが自分に関係なければそれでいいんです。むしろ、他の子のお
仕置きなんて、またとない余興なんですから、そんな時はいつも楽しく
て仕方がありませんでした。
 僕はさらに先の展開まで夢想します。
 『お馬、お馬、お馬、∈^0^∋』

<第1話>②

そして、それは現実となりました。
 「……さあ、もういいでしょう」
 谷村先生は一旦美津子ちゃんを床の上に解放しますが、床に転げて痛
いお尻をさすってた美津子ちゃんの顔がやがて青くなります。
 「いや、だめえ、ごめんなさい、もうよい子になるから」
 まだおさまっていないお尻の火照りをほおっておいても美津子ちゃん
は慌てて先生の懐へと飛び込みます。
 「お馬はいや、鞭のお仕置きはしないで…お願い、どんな罰でもいい
から……ね、…お願い先生。今度から絶対しないから……」
 美津子ちゃんは抱っこされた先生に向かってその胸の中で必死に哀願
します。それを観ていた僕の心の中は……
 『無駄、無駄、無駄、∈^0^∋』
 僕の心の中では悪魔の叫びが続いていました。
 えっ?何ですか?お仕置きの最中、抱っこだなんて変だろう?
 逃げるっていうならわかるけど……

 そんなことありませんよ。(^○^)
 僕たちにとってはお仕置きを言われて大人の懐へ飛び込むことって、
そんなに不思議なことではありませんよ。先生は鬼じゃないんですから。
僕たちが両手を広げてしがみつけば、必ず抱いてもらえます。そして、
そのまま許してもらえたことだってたくさんあるんですから。
 他じゃ真似のできないほど厳しいお仕置きができるのは、子供たちが
他じゃ真似のできないほどたくさんたくさん大人たちからあやしてもら
えてるからなんです。
 ただ、この時の先生の答えは…
 「ダメよ。だってあなた、朝方ママのお仕置きを逃げてここへ来たで
しょう。三輪先生カンカンだったわよ。あなたのような子にはお耳より
お尻の方が飲み込みが早いから、十分にお仕置きをお願いしますだって」
 ま、願いは叶いませんでしたけどね。(^◇^)
 美津子ちゃんが今先生に甘えたい一番の理由。それは青山先生が準備
しているお馬さんがちらっと見えたからでした。そいつは意地悪そうな
笑い顔が印象的な黒い木馬で、頭だけじゃなくしっぽもちゃんと付いて
います。特に背中はソファになっていて弾力がありまから、普段は隣の
教材準備室に置いてあって、僕たちの玩具にもなっていました。ただ、
月に数回、子供たちのお尻へご用のある時だけ青山先生がそれを教室に
引っ張っきますから、その時だけは、さすがに子供たちも陽気にはしゃ
いではいられませんでした。
 「さあ、行きましょうか」
 谷村先生は美津子ちゃんを抱いたままお馬の方へ向かいます。
 美津子ちゃんの顔は不安が一杯。目が点になった表情がすでに恐怖で
固まっていました。
 『夢ならさめて』
 きっとそんなことを思っていたかもしれません。僕があそこに登った
時はそうでしたから…誰だってそうだと思います。
 「さあ、離れて。あなたが我が儘してると他のお友だちがいつまでも
お勉強できないから迷惑よ」
 先生は抱きついたままなかなか離れようとしない美津子ちゃんに忠告
します。勿論、美津子ちゃんとすればいつまでもこうしてしがみついて
いたいのですが、あんまりだだをこねていると、お仕置きが増えるのは
目に見えていますから勇気を振り絞って観念するしかありませんでした。
 「…………」
 美津子ちゃんは渋々お馬さんの背に跨り、そして、そこへ俯せに……
 僕も経験者ですからわかりますが、あれってとっても不安で怖いんで
す。何しろお馬ちゃんの背中は僕たちの肩か頭くらいの高さがあります
からね。落ちたら大変です。
 ですからここへ乗ると、あとはみんな必死に抱きつくんです。
 美津子ちゃんもそれは同じでした。顔を真っ赤にして、その為に付い
ている取っ手をしっかりと握りしめて…だけどその体は端から見ていて
もはっきり分かるほど震えていました。
 先生は美津子ちゃんが「お母様の処で羽目を外した遊びをしたとか」
「みなさんもこんなことをしてはいけませんよ」なんて言ってたみたい
ですが、僕は何も聞いていませんでした。σ(^^)
 僕の関心はもっと別の処にあったんです。
 お馬ちゃんのお尻というのは背中の真ん中部分よりほんの少し膨らん
でいますから女の子がその角に自分のお尻を乗せると、もうそれだけで
白いパンツがこちらから丸見えになります。
 『パンツ、パンツ、パンツ、∈^0^∋』
 でも、それだけでは足りないとばかり谷村先生は短いスカートを捲り
上げてしまいます。白いパンツが誰の目にもはっきり分かるようになり
ました。
 『やったー\(^O^)/』
 女の子というのは恥ずかしがり屋さんですから、もうそれだけで十分
お仕置きなんですが、お父様やお母様に対する罪は特別ですからねえ、
それだけではおさまりませんでした。
 何度も言いますが、家(うち)は普段甘やかしている分、お仕置きの
時は厳しいんです。授業中ちょっとでもおしゃべりやよそ見をしている
と助教師の青山先生が飛んできて、授業へ集中していない子のために…
 「(熱い!(*_*))」
 手の甲へ燭台の蝋涙を垂らしてくれます。…>_<…
 もちろん熱いのはわかっていますから思わず手を引っ込めたくなりま
すが、それをやってしまうとまた罰が増えるという仕組みでした。
 その他、罪の重さと改悛の情に応じて、お尻叩き、お浣腸、お灸など
など。さらには中庭や階段の踊り場には生徒をさらし者にするための枷
まで設置されていて、毎日のように誰かがそこに捕まっていました。
 ここって日本の学校なのに治外法権なのか体罰なら何でもありなんで
す。(*^_^*)
 この時は谷村先生がトォーズを取り出します。これは先が二つ割れた
なめし革の鞭で小学生の場合は男女を問わずお仕置きの鞭と言えばたい
ていこれでした。
 それを数回、美津子ちゃんの白いショーツの上に乗せて『いいですか、
これでこれからぶちますよ』という脅かしを与えておいて……
 「歯を食いしばって」
 という最後通牒と共に最初の一撃を繰り出します。
 「パチン」
 乾いた音と同時に美津子ちゃんの両足がぴょんと跳ね上がりました。
まるで解剖した蛙の足に電流を流した時のような、あんな感じでぴくり
っと動いたんです。
 こんな時は、お仕置きに関係ない子たちもお仕置きを受けている子が
よい子に戻れるように目をつぶって神様にお祈りすることになっていま
した。でも、やっぱり美津子ちゃんのことが気になりますからね、大抵
の子はちらっ、ちらっと薄目を開けてわき見をします。
 すると、鞭が当たる瞬間、悲鳴こそ上げませんでしたが、必死に目を
閉じてお馬ちゃんの胴中にしがみついている美津子ちゃんの姿が見えま
した。
 『やったあ~~\(^O^)/』
 それはとっても滑稽で楽しい見せ物でしたから僕の心はルンルン気分。
 この時はまだショーツを脱がされていませんから男の子たちもその様
子を見学することができましたが、もし美津子ちゃんが先生をカンカン
に怒らせてしまったら、そのパンツを脱がされることだってあります。
そんな時はお仕置きの間じゅう僕たち男の子は反対の方を向いてお祈り
しなければなりませんでした。
 もっとも、好奇心旺盛な僕はよく先生の目を盗んではヌードになった
女の子のお尻をちら見していました。(*^_^*)
 ただ、それはあくまで好奇心から
で、それを見て興奮するってことは
ありませんでした。小学生の僕にと
っては、女の子の生のお尻より白い
パンツの方がよほど興奮する材料だ
ったんです。
 ついでに言いますと、この街で育
った男の子たちは嬉しいことに(?)
女の子のお尻のさらに奥までも垣間
見るチャンスが年に数回巡ってくる
んです。
 凄いでしょう。羨ましいでしょう。
少女の特出しストリップ。(^_^;)
 もっとも、それを見ての僕の感想
は、『ふうん、なんか変なものだね』
という程度でしたが……(^^ゞ。
 前にも言ったように、思春期に入ったばかりの少年にとっては憧れの
美津子ちゃんのパンツがこんなに間近で丸見えなんですからこちらの方
がよほど大興奮でした。
 美津子ちゃんは結局この時六回ぶたれます。
 間をおいて「パン」「パン」という乾いた音が教室中に響きました。美
津子ちゃんはトォーズがお尻に当たるたびに痛そうな顔はしましたけど
気丈に振る舞って悲鳴は上げませんでした。
 僕の経験だと谷村先生の場合、最初が飛び切り痛くて最後がやっぱり
痛いですけど、途中はそんなに痛くありませんでした。いずれにしても、
金切り声は上がらなかったから先生がそんなに強くぶっていないという
ことなんでしょう。きっとお仕置きとしては、恥ずかしい姿勢でパンツ
をクラスメートに見せただけで十分と考えたのかもしれません。
 とにかくここでは一クラスに生徒はたった6名しかいないのに先生は
二人もいらっしゃるんですからね、先生方は僕たちのことを隅から隅ま
でご存じなのです。 学校の成績やその子の性格、癖なんかはもちろんの
こと、今の体調、心理状態、昨日、今朝、ママからどんな罰を受けたか
なんてことまで逐一情報が入ってきます。朝、教室へ入って来た時に僕
たちを抱き上げるんだって、ただ可愛い可愛いしてるだけじゃなくて、
身体検査の役割もはたしていたようです。
 ママから朝お仕置きされた子はその瞬間大人を怖がりますからすぐに
分かるんだそうです。美津子ちゃんにはあいにくその兆候がなかったの
でまだお仕置き前とわかったみたいでした。
 ママは僕たちにとって無二の存在でしたが、ここでのママは巷によく
ある『悪いことをしてもかばってくれる』という意味でのママではあり
ません。僕のママは僕にとっては世界一やさしい人ですけれど、悪い事
をすれば世界一怖い人。お仕置きなんかも当然と考えていました。
 そこいらはとってもドライです。
 そして、それが他の兄弟のいまえ家の中ではやりにくい時はお仕置き
を学校の先生に頼むことも……
 美津子ちゃんの場合も、そんな連絡がすでに谷村先生のもとへ届いて
いたじゃないでしょうか。つまり『お仕置き依頼』。
 え、驚きですか?巷じゃこんなことありませんか?(∩.∩)
 でも、こんな事ここでは日常茶飯事。なにしろどの子のママもママで
あると同時に自分の通う学校の先生でもあるわけで、子供たちの情報は
他の先生たちとも共有、つのり全て筒抜け。
 『体裁が悪いから家の恥は隠しておこう』なんて気遣いは、ここでは
まったくありませんでした。
 おかげでどの先生も『この子が嘘をつく時はどんな癖が出るか』『何
時間、何日前にうんこをしたか』なんて事までよくご存じでした。
 子供たちをこんなにも丸裸にしているわけですから、授業だって濃密
です。あくび一つでも助教師が心配して燭台に灯った蝋燭の蝋涙を手の
甲に垂らしてくれますからね、眠気覚ましにコーヒーなんていりません。
∈^0^∋
 結果、授業は小学生の授業とは思えないくらいぴりぴりしていました。
 授業中は先生の声と教科書やノートを捲る音、鉛筆を走らす音ぐらい
しかしませんからね、困ったものです。
 特に国語と算数は大事な教科という事で毎日授業の最初に小テストが
あります。宿題として出された漢字20個の書き取りと計算練習が中心。
合格点は18問以上つまり9割以上とハードルはかなり高いのですが、
漢字は出題される20個が事前にわかっていましたし計算問題も習った
処からしかでませんから30分くらいちょこっと予習しておけば一応は
OKです。
 でも、ついつい油断してちゃんとやっておかないと……
 「あなた、昨日は何してたの?ちゃんと予習してきた?ご返事かない
ところみるとさぼったわね」
 なんて先生に追求されて、放課後、間違った処を10回も清書させら
れます。
 いえ、それだけならいいのですが、これが続くようだと、朝、美津子
ちゃんが受けたのと同じ様なお仕置きを受けなければなりません。5年
生くらいになると度胸がついて泣き叫ぶ子は希ですが4年生頃は恐怖心
から辺りはばからず泣き叫ぶ子だっていました。
 3年生までは先生のお膝の上に俯せとはいえ抱っこされてましたから
まだよかったんですが、お馬の上は独りだし高い処ですからね、子供の
身にはとっても怖いんですよ。
 しかも僕のママは勉強には厳しくてこんなことでお仕置きされて学校
から帰ってこようものなら家でも別のお仕置きが待っています。
 「どうしてちゃんとお勉強できないの。ママが見てないからってさぼ
ってるとどんな事になるか一度じっくり教えてあげなきゃいけないわね」
 なんて言われて膝の上にうつぶせにさせられます。たいていズボンだ
けを下ろされてのお尻叩きなんですが、ママって人は手加減って言葉を
知りませんからね、お馬の上の鞭よりそりゃあ痛かったです。(T_T)
 この小テストのための勉強は僕たちの間では『宿題』っていう扱いな
のでママは原則として手伝ってくれませんでした。ただこれ以外の勉強
はたっぷり二時間、ママが家庭教師で目の前にいて目を光らせています。
 毎日こんなのが続きますから、男はつらいよなんです。
 女の子もそうですが、特に男の子の場合は勉強にうるさくて、少しで
も成績が下がろうもんなら、学校でもお仕置き、家庭でもお仕置き、ひ
いてはお父様やお母様の前でもお仕置きでした。
 えっ、じゃあ女の子は楽だったのかって…
 とんでもない。男の子のように『勉強、勉強』ってその事だけうるさ
く言われませんけどね、習い事は多いし何より細かい事にまで気を配ら
ないといけないんで端から見ていても「大変だなあ」って同情しちゃう
んです。
 じゃあ、男の子は習い事なんてないのかって?
 ありますよ。絵画にお習字、綴り方教室、英会話、ピアノ、フルート、
バイオリン、夏は水泳教室にも通わなきゃならないし……でも、女の子
はこの他にも日舞にバレイにお茶、お花、お琴、などなど。おかげで、
自由時間がほとんどない生活をやっていました。だから夕方一時間でも
自由な時間がある男の子は羨ましいって……
 それに女の子はちょっとでも大人たちの言いつけに背こうものなら、
すぐお仕置き。口答えやふくれっ面なんかもタブーでした。
 男の子より厳しいのか?
 …ですね。だからそれは前にも言ったでしょう。ここは世間と違って
女の子中心の社会だから女の子の方がかえってキツいことされるって…
 それとお仕置きのレパートリーも女の子の方が広くて、軽いものなら
百行清書くらいですみますが、さっき言った口答えやふくれっ面をして
しまうと元がどんな軽い罪でもお尻叩きやお浣腸、お灸、さらにはお庭
にある晒し台にパンツ一つで括り付けられたりします。(さすがに真冬は
やりません。季候のよい時だけですけどね…)
 そんなSMみたいなことして過激すぎませんか?
 かもしれませんね。よその人からみれば…いくら男の子が少ない社会
といってもそりゃあ恥ずかしいに決まってますから女の子たちにとって
はぶったり叩かれたりするよりもこちらの方がよほどキツいお仕置きだ
ったみたいでした。
 ただ、女の子の社会では罪と罰が必ずしも比例していなくて罰を与え
る人に広い裁量権があるんです。だから罪を告白する時にその人にどれ
だけ好感を持ってもらえるかが大事なんですよ。
 外で晒し者になるなんてのはよほど反抗的な態度を取った時だけです。
逆もあるんですよ。大変なことをしでかしても改悛の情が顕著だと認め
られれば、軽い罰であっさり許されたりもしますから。
 罰を受ける時の演技力がものをいうんですよ。その点男の子は自分の
本心がすぐに顔に表れますから圧倒的に不利なんですよ。(^_^;)
 そう言えばこの間同窓会でそう言ったら、女の子たちから「そんな事
もないわよ。そこは女同士。演技は演技で見抜かれちゃってもっと酷い
ことになったりする」って言われちゃいました。
 いずれにしても、僕たちはこの社会以外他を知りませんからそんなに
大層なことをされたとは思わないんですよ。
 僕たち自身は少年時代(少女時代)を通して自分が不幸だったなんて
感じる人はほとんどいませんもの。
 僕たちは友達同士でもよく抱き合いました。立ったままハグしたり、
膝の上で抱っこしたり、一緒にお風呂に入ったり、大人たちが自分たち
にやってくれるのと同じことを子供たち同士でもやるのです。
 これは物心ついた頃からの習慣で「この子、嫌い!」と拒否すること
はできませんでしたから習慣で慣れさせていくんです。
 これは大人たちが子供たち同士の仲違いを極端に嫌ったからなのです
が、そのため、この学校で一番厳しい罰はお友だちと喧嘩したり意地悪
をしたりすることでした。
 最初は大人たちがくっつけた強制的な仲良しだったんですが、でも、
不思議なもので、最初は抵抗のあった子とも抱きあっているうちにうち
解けて優しい気持ちになります。
 おかげでこのくらいの歳になると、ママが違ってもお父様やお母様が
違っても、男の子も女の子も、クラスメートはみんな本当の兄弟みたい
にして暮らしていました。
 小学校の高学年になっても体操着に着替える部屋も一緒なら終わった
あとのシャワー室まで一緒。そもそもお風呂にだって男の子も女の子も
一緒に入るくらいですからちょっとやそっとの事では驚かないんですよ。
 よそじゃ考えられませんかね。(∩.∩)
 ですから嬉しいことに女の子の裸は見放題という結構な環境なんです
が、女の子の方だってそれは同じなわけで、おちんちんを見たら食事が
喉を通らないなんて可愛い子はここにはいませんでした。
 それどころか女の子っていうのは集団になると凶暴化するんですよ。
何か気に入らない事があるとすぐに徒党を組んで男の子たちを取り囲ん
ではリンチにかけます。体を押さえつけて半ズボンとかパンツなんかを
平気で脱がすとオチンチンをつねったり引っ張ったり、ミミズを乗せら
れた事だってありました。
 えっ、信じられないですか?
 巷の常識ではそうかもしれませんね。女の子が男の子の裸を観る機会
なんてそんなにないでしょうからね……元来、臆病な女の子がそこまで
踏み込んだりはしないのかもしれません。でも、ここで暮らすと女の子
だって男の子のオチンチンは見慣れたものなんですよ。(*^_^*)
 こんなこともありました。ここでは女の子に対するお仕置きが厳しく
てかなり年長の子でもよくパンツ一丁とか全裸で中庭の晒し台に連れて
行かれます。ですから、嫌でも裸の女の子が目に入りますけど、きっと
それが気に入らなかったんでしょうね。今度は僕がパンツ一丁で晒し者
になっていた時、その子が僕のパンツを下ろしたんです。痴女ですよ。
痴女……(^ニ^)
 女の子がそんなことするか?
 だからしますよ。しかも罪深いことをしているなんて意識はまったく
なくて、ほんの軽いイタズラ程度の感覚なんです。こっちもこっちで、
中学生のお姉さんの悩ましい裸体なんか見つけても何ともないんです。
ここに住んでいれば物心ついた頃からずっと見続けているわけですから
ね、今さら膨らみかけたおっぱいやぽやぽやと下草の見える割れ目なん
か目にしても、やっぱり『ふうん、そうかい』程度の感想しかありませ
んでした。
 そんなことも含めてここはヘブン(楽園)と呼ばれるのかもしれませ
んね。
 ただそんな僕でも目のやり場に困ることだって起きます。それは先生
から『とっても悪い子』という烙印をおされて、保健室前の廊下にある
晒し台に括り付けられている場合。この時ばかりはいくら僕でも平静を
装うことはできませんでした。




<第1話>③

 というのもこの晒し台は窮屈なベッドサイズのラックで女の子たちを
ここへ仰向けに寝かせて両足を高く上げたまま括り付けてしまう晒し台
だったんです。つまり女の子たちは赤ちゃんがオムツを換える時のよう
な姿勢を強制的に取らされているわけで、当然、女の子の一番恥ずかし
い処はすべて丸見えなんです。
 そう、お父さんたちが大好きなご開帳というやつです。
 ただ、僕の感想はお父さんたちとは少し違っていました。
 『ばっちいなあ、もし、うんこしたらどうするんだろう』
 僕の正直な感想です。そんなわけで通常は通りしなに哀れみを込めて
女の子を横目でちらっと見る程度でした。ですが、時にそうもいかない
事もあります。
 ある時、保健の桜木先生が男の子や女の子たちを集めて、この可哀想
な女の子の身体を使って女の子の体の構造レクチャーし始めたんですよ。
(∩.∩)
 「ここがおしっこをする穴、ここがうんち、そしてここから赤ちゃん
が出てくるの」
 つまり、実地の性教育。性教育では絵や写真より実物を見るのが一番
確かですからね…(^^ゞ
 この時ばかりは、さすがに可哀想な女の子だけどばっちい処を全部、
それも細部にわたって見ないわけにはいきませんでした。何しろ、授業
なんですから。(^○^)
 凄い処(◎-◎;)でしょう。
 ここは何事によらず隠し事が一切だめなんです。子供たちは大人たち
の前では身も心もみんなオープンでないといけませんでした。とにかく
立場はみんな赤ちゃんですからね。恥ずかしいなんて言っても大人たち
は相手にしてくれませんでした。
 ただ、あのぐちゃぐちゃに関しては、僕にはあまり気持ちのいいもの
ではありませんでしたから、必要最小限だけ見て、後はできるだけ目を
そらしていました。
 今にして思うと実に惜しいことをしたと思うばかりです。(^◇^)
 こんなこと書いてると何だか女の子だけ虐待されてた見たいですが、
事情は男の子も同じでした。僕だって、女の子の性教育のために何度か
貢献したことが何度かありましたから。(^^ゞ
 彼女たちって結構エッチで、僕の大事な物を割り箸で摘んだりしたん
ですよ。そして、オチンチンやオチンチン袋の裏側なんかもしげしげと
観察。何がそんなに面白いのかやたらキャッキャキャッキャと喜んでい
ましたっけ(^^ゞ
 僕たちにとって裸ん坊は裸ん坊。それだけなんです。もう幼い頃から
何かあるたんびに大人たちから裸にされて赤ちゃんにされて育ってきま
したからね、裸ん坊さんも僕たちにとっては生活の一部だったんです。
 もちろん『変な感情がわいた』なんてことは11歳頃になっても一回
もありませんでした。信じてもらえないみたいですけど、本当ですよ。
(^◇^;)
 僕たちは閉鎖された空間(亀山愛育園)で物心つく前からずっと一緒
に暮らしていますからね、みんな仲良し。男の子だからか女の子だから
はあまり関係ないんです。お互い空気みたいなもので、大切な存在なの
ですが、そばにいても何も気にならないほど当たり前の存在でもありま
した。
 ある夏の日、みんなで川遊びをしていたら一人の女の子がすっぽんぽ
んで泳ぎ始めたんですよ、すると他の子まで一緒になって……でも男の
子だけが一人恥ずかしがってるとみんなでその子のパンツを脱がしちゃ
ったんです。
 こんなお話ばっかりですけど、ここはそんな処でした。大人たちから
常に赤ちゃんのようにして育てられましたし、性に関する情報も外から
は一切入ってきませんからね小学五年生といっても巷の子のような大人
びた感覚は何一つ持ち合わせていませんでした。
 クラスメートはみんなそうだったと思うのですが、11歳の頃って、
ただただママに甘えたい。先生に認められたい。お義父様やお義母様に
可愛がられたい。それだけ考えていた日々だったような気がします。
 でも、それで十分に幸せでした。
 えっと?どこまで話しましたっけ?……とりとめなくお話ししている
ので自分でも分からなくなってしまって(^^ゞ 
 ああ、そうそう、朝、美津子ちゃんがお馬に乗ったことでしたね。
 あ、あれ、どうやら美津子ちゃんがママの目を盗んで家を抜け出てき
た事に原因があるみたいです。僕だってそうですがママとは本物の赤ん
坊の時からの長い付き合いですからね、『どうやら、お仕置きを考えてる
な』なんてことはすぐにピンとくるわけです。そんな時は『お仕置きを
宣言される前に朝のどさくさに紛れて学校へ逃げ込むに限る』と美津子
ちゃんはそう考えたみたいでした。
 ところが、結果は大外れ。美津子ちゃんのママが谷村先生に学校での
お仕置きを頼んじゃったというわけなんです。
 普通の家庭だとたとえそんな事ができたとしても外聞なんか気にして
担任の先生に我が子のお仕置きを頼むなんてあり得ないんでしょうけど、
ここではそれも有りなんです。
 愛育園では金曜日の夕方に『懺悔の会』というのがあって小学4年生
以上の子が全員この一週間の悪さを神父様の前で懺悔しなければならな
いのですがその資料を提供するのはその子のママや学校の先生でした。
しかもそこには『革鞭1ダースお願いします』とか『お浣腸でしっかり
懲らしめてください』なんて恐ろしい言葉が添えてあったりするもんで
すから子供たちにとっては戦々恐々。一週間分の日記を読み直して叱ら
れそうなことは覚えてから神父様のいる個室に入るのですが、たとえ、
その一週間とりたてて悪事を働かなかったつもりの時でも心臓が口から
飛び出しそうなほどの緊張感でした。
 あれ?またお話しがそれてしまったね。ゴメンナサイm(__)m
 それでお馬から下りた美津子ちゃんは、最後に谷村先生とその後ろに
掲げてあるマリア様の絵に『お義母様の鏡にイタズラ書きをしてごめん
なさい』を五回言って許してもらいました。
 いえ、1回でもいいんですけど谷村先生が「声が小さくて聞こえない
から」とか「心がこもってなかった」とか色々難癖をつけて何度もやら
せるんです。実際1回で合格する子は希でした。
 今は授業の始まる前だったので5回くらいですみましたが、放課後、
僕が呼ばれた時なんか20回もやらされて、最後はべそをかいて帰った
記憶があります。
 これだって立派なお仕置きなんです。
 あっ、それから…こうして懺悔する時はポーズが決まっていて、床に
膝をついて両手を胸の前で組んで『とってもとってもゴメンナサイ』と
いう顔をして懺悔するんです。
 ここでは乙女の祈りなんてロマンチックな名前がついてましたけど、
やられてる当人はちっともロマンチックじゃありません。
 『また、やり直しさせられるじゃないか』
 『また、ぶたれるんじゃないか』
 って、不安で膝がガタガタ震えていたものなんです。
 ははは、もういい加減このお話しはやめましょう。(^^ゞ
 で、その日もこの後、当然授業になったんですが、1時間目の国語と
2時間目の算数は苦手でした。別に劣等生というわけじゃないんですが、
とにかく退屈なんです。今は先生方が色々授業のやり方を工夫しておら
れるみたいでどの子も楽しそうですが、僕が小学生だった頃は知識偏重
の詰め込み教育でしたから、授業自体がつまらなかった上に僕のママが
真面目な人で予習や復習を家でばっちり教えてくれますから教室で座っ
ていても新たに教わる事がほとんどないんです。つまり授業を聞いてい
ても新たな感激がないわけです。ですから、成績が悪いわけではないの
ですが、正直言って授業の40分間が苦痛で苦痛でなりませんでした。
 おまけに、さっきちょっびっと書きましたけど、授業中は助教師の先
生が授業の分からない子のために教室を廻っています。そして、もしあ
くびをしたりよそ見をしたりている子を発見すると、眠気覚ましに近く
に置かれた燭台を持ちだして…
 「まだ、ネンネは早いわよ。お手々を出してごらんなさい。目を覚ま
してあげるから」
 となります。こう言われたら逆らうことや言い訳はできませんでした。
そして右手を出すと、その手をしっかり押さえられて甲の処に白い蝋が
ぴちゃんと一滴。
 「熱っ!」
 もちろんお灸ほど強烈じゃありませんでしたが、小さい体にはとって
も衝撃的な熱さで、この為か授業はとっても張りつめた空気の中でおこ
なわれていました。
 今の賑やかで楽しい授業が羨ましいです。
 ま、国語と算数はこんな感じでしたが他の教科は僕らの時代でもけっ
こう楽しかったです。
 理科は実験や観察が中心でしたし、社会科は自分たちで資料を調べて
レポートを書いたり地図作りをしたり社会科見学では色んな工場や街の
様子を見て回ることも多くて施設の外へあまり出られない僕たちにとっ
てマイクロバスで巡る社会科見学は遠足と同じくらい楽しいリクレーシ
ョンの一つでした。
 あとは図工。これも色んなことをしました。粘土での彫塑やクレパス、
水彩、油彩、お皿に絵付けしたり、ロウケツ染め、はてはログハウスな
んてのも作っちゃいました。……おそらく普通の学校より多種多様な事
をしていたと思いますよ。というのも、おのおののお義父様お義母様が
色んな趣味をお持ちで、その方々がこぞって子供たちを指導してくださ
ったんです。そのあたりは恵まれていました。
 それと音楽。これだって事情は同じです。多くのお義父様やお義母様
がやはり先生でした。ピアノやヴァイオリンといったポピュラーなもの
はもちろんフルートやハープ、チェロお琴や三味線なんてのもあります。
しかもこれに合唱の練習もありますから午後の二時間は必ず音楽の為に
用意されていました。
 あっそうか、これも言っておかないといけませんね。僕たちの午後は
この音楽と図工それに体育で占められていてそれは部活動みたいなもの
だったんですが授業として行われる時もあって、部活動と授業の境目が
あまりはっきりしていませんでした。
 それだけじゃありません。そもそもこの学校はお家との区別そのもの
が曖昧だったんです。僕の感覚で言えば学校はお家のお庭の延長でした。
おかげで、どの子も学校から帰るのはたいてい夕方。幼稚園児のような
幼い子も同じでしたが、お家が恋しいということはありませんでした。
 だって、お家に帰ってもママはいませんから。その代わり、ママが恋
しくなると小中学校にママを探しに遊びに来ていました。そんな時でも
ママたち(=先生たち)は優しくて、怒って追い返すなんてことはしま
せんでした。
 そんな僕たちが家に帰るとまずお風呂。信じられないかもしれません
けど赤ちゃん扱いの僕たちは自分で自分の身体を洗いません。僕たちの
身体を洗うのはママか中学のお姉さんたち、あるいはお義父様お義母様
でした。
 その日はたまたまお当番の日でしたから妹の茜と一緒にお義父様やお
義母様と一緒のお風呂でした。身体を隅から隅まで洗ってもらい大きな
湯船で抱いてもらいます。そのお相手はお義父様の場合もありましたし、
お義母様の場合もありました。ただいずれにしろ共にご老人ですからね、
たとえお義母様に抱かれても胸がときめくようなことはまったくありま
せんでした。
 はははは当たり前か。∈^0^∋
 ただお風呂の中で自慢話はします。「今日のテストの点はよかったよ」
とか、「工作で作ったロボットを先生が褒めてくれた」とか、その反面、
『国語の時間に青山先生から蝋涙を落とされた』なんてことは間違って
も言いません。
 そうしておいてオモチャを買って欲しいっておねだりするんです。
 この時のターゲットは、当時人気のあったレーシングカーのキット。
8字のコースをミニカーがもの凄いスピードで疾走するやつです。家庭
用にコンパクト化されてはいましたが、当時としては結構高価な玩具で
した。
 話はうまく運びそうだったのですが、肝心なところでお目付役のママ
が反対します。ママは僕たちがお義父様たちと一緒にお風呂に入る時も
湯船のそばで見守っているんです。
 「ダメよ、そんな高いもの。この間だってGIジョーのお人形買って
もらったばかりでしょう」
 「どうして!いいじゃないか。お義母様が買ってくださるって」
 「ダメよ!今のあなたには分不相応だわ。そんなの章ちゃんだって持
ってないじゃない。ろくにピアノの練習もしないあなたが持っていいも
のじゃないわ」
 「そんなの関係ないよ」
 「関係あります。章ちゃんのお部屋はお義父様からいただいた理科の
年鑑や少年少女文学全集、クラシックのレコードなんかがきちん並んで
てとってもすがすがしいのに。あなたの部屋ときたら、遊びっぱなしの
オモチャが部屋中に散らかってて、とても同じ歳の子のお部屋とは思え
ないわ」
 「うるさいなあ」
 「おまけにあなたときたらせっかく買っていただいたのにすぐ飽きて
捨てるでしょう。だらしないったらないわ。こんな事では私がお義父様
に叱られてしまいます」
 ママの強い申し入れにお義父様もお義母様も苦笑いです。
 実際、お二人は僕たちにとって大事なパトロンではありましたが子供
たちの教育や躾には深く関わっていませんでした。お二人にしてみれば
こうして皺くちゃの肌、垂れたおっぱいでも嫌がらず一緒にお風呂に入
ってくれることが大切なのです。『よい子、よい子』と抱いていられるな
らそれでよかったんです。
 でも、ママの意見は正しいですから、お二人は一旦承知しかけた玩具
の件を棚上げにしてしまいます。
 そして、次の家族演奏会で章くんの『愛の挨拶』に対抗して『愛の夢』
が弾けたらレーシングカーのオモチャを買って上げるということになっ
たのでした。
 章くんというのは、才能も豊かで性格もいいお坊ちゃんタイプの子。
一方の僕はというと、凡才のくせに怠け者というのですから、そりゃあ
誰が見たって見劣りするはするのは明らかでした。
 でも、この時だけはどうしてもレーシングカーのキットが欲しくて…
…頑張らしてもらいました。ねむい目を擦って夜中までピアノを叩いて
いたんですから我ながら物に対する執着心は凄いと思います。(^^ゞ
 その結果、翌々週の土曜日、お義父様とお義母様の前で一応それらし
きものを弾いてみせることができました。もちろん、章くんのように、
『誰が聞いてもうっとりするような名演奏』というわけにはいきません。
お義父様もお義母様もきっと聞くに堪えなかったと思いますが…
 「とってもよかったわよ」
 と言ってくれて、章くんと同様、僕を同じように抱っこして頭を何度
でも撫でてくれたのでした。
 そして、念願のレーシングカーのキットをゲット。\(^O^)/
 でも、ママが心配した通り一ヶ月で飽きました。(^◇^)
 やっぱりママの子供を見る目は正しいみたいです。ママは僕をそりぁ
たくさん愛してくれました。大勢の大人たちから毎日毎日何かにつけて
抱かれ続ける甘やかし環境の中にあってもやっぱり一番たくさんそして
長時間抱かれていたのはママの胸なのです。
 でも僕のママは本当のママでない分、それは溺愛ではなく冷静な目を
持っていました。
 小学校高学年くらいの男の子はおそらく人生の中でも一番といっても
よいほど美しい時をむかえます。カモシカのように細くすらりと伸びた
足、無垢な顔はしかし来るべき大人の世界を見据えて凛として気高く、
誰にもこびない瞳は神々しささえ感じます。
 ですから、古来多くの大人たちがこの時代の少年を抱きたがるのです。
ましてや僕のように可愛い顔の子(いや、自分で言っちゃいけないれど)
ならなおのこと。大人たちの寵愛もこの時ばかりは女の子に勝ります。
 けれど、男の子の美というのはほんの数年でおしまい。以後は自らの
実力で世渡りをしなければなりません。そうなった時、お義父様たちの
寵愛が章くんや他の女の子たちに移るんじゃないか、ママはそれを心配
していたのでした。
 もっとも、当時の僕はお気楽そのもの。そんな深刻な事など露ほども
考えたことがありませんでした。
 『親切にしてくれるんだからそれでいいじゃないか』というわけです。
 お風呂が終わると今度はお夕食。ここでも当番の私たち家族(?)は
朝の食事の時と同様、お義父様たちと一緒のテーブルで食事をします。
 この時、僕はお義母様のお膝のすぐそば、もう体重が重いのでお膝に
乗ることはできませんでしたがお義母様と膝が触れあうほどすぐそばで
食事をしていました。
 「なあに、お肉が欲しいの?じゃあ取ってあげる」
 ママの心配をよそにいつもと変わらない甘えん坊ぶりの食事風景です。
そのお肉は一旦僕の目の前にある取り皿にやって来ますが、僕がさらに
甘えた笑顔をお義母様に見せると、今度はお義母様が料理をスプーンで
すくって僕のお口の前までそれがやって来ますからそれをパクリ。
 お義母様は大喜びというわけです。(*^^)v
 すべてがこんな調子ですから、イタズラしてスプーンをくわえて振り
回したり、結局なんだかんだ言って全部スプーンで食べさせてもらった
りしたんですよ。ま、その後ママにこっぴどく叱られましたけどね……
∈^0^∋
 夕食が終わると地下室へ行ってピアノの練習。
 お父様はこんなにもたくさんの孤児たちを面倒みているわけですから
当然お金持ちです。でもさすがに子供たち全員にピアノは行き渡りませ
んから、三台ある練習用のアップライトピアノは他の子と時間を割り振
って練習していました。
 地下は防音設備のある小部屋が5つもあって今にして思うと『凄いな
あ』なんて感心してしまいますが使っていた当時は『そんなの当たり前』
『どこの家にもあるんだろう』ぐらいに思っていました。お仕置きだっ
てそうです。こんなこと書いてると『すごい事されて育ったんだ』みた
いなことをよく言われますが、その世界しか知らない私たちとっては、
悪さをすれば鞭でぶたれたりお浣腸をかけられたりお灸をすえられたり
するのは当たり前のことだったんです。
 そりゃあお仕置きを受けることは子供にとっては『世の終わり』って
くらい大変なことなんですが…
 『本当のママがいたらこんな辛い目にあわずにすんだはずだ』
 なんて泣いたことは一度もありませんでした。
 さて、ピアノの練習はときどき先生が見回りますが基本的に自主練習
です。でも、次にやる学校の勉強はママがいつもすぐそばで睨みをきか
せている処でやるマンツーマンです。
 凄いでしょう。ママは僕の学校の先生でありながら、家では鬼の家庭
教師でもあるんですから。もっとも、えこひいきがあるといけないから
学校で直接習ったことはほとんどありませんでしたけど。(∩.∩)
 そのママですが、僕に勉強を教えてる時は、はっきり言ってとっても
怖いです。…>_<……いつだったか……
 「そんなに眠いなら目を覚ましてからやりましょう」
 なんて言われてね、お風呂場まで襟首捕まれて連行。ばっしゃばしゃ
頭からお水をかけられたことがありました。
 そんな風ですから終わるとぐったりです。終わった瞬間そのままママ
のお膝でおネンネなんてことも家(うち)では日常茶飯事でした。
 でも、まだ体力が残っている時はそれからママの『よちよち抱っこ』
というのが始まります。
 ママは僕と茜と一緒の布団で寝ます。茜はすでにその頃にはサービス
を受けてしっかり寝入っていますから、たいていは僕だけがママを独占
して一緒におネンネです。
 えっ?、『おネンネ』だなんて幼児じゃあるまいし…ですかσ(^^)
 ところがですね、ママはお勉強の時とはうってかわって、お昼間でも
滅多に見せない穏やかな笑顔で僕の体をよちよちしてくれるんですよ。
(*^_^*)
 頭を撫で撫で、アンヨを揉み揉み、お尻を摺り摺り、お背中トントン、
話す言葉だって赤ちゃん言葉です。イタズラしておっぱいを舐めても、
強く叱られたことなんて一度もありませんでした。
 ちなみにママのおっぱいはAカップ。でも、先っちょはちゃんとあり
ましたからそれで十分でした。(*^_^*)
 とにかく、お布団の中では赤ちゃん時代と何ら変わらない愛撫をして
くれるんです。ですから僕も赤ちゃん時代と変わらない甘え方をします。
そこにはお互い何のわだかまりもありませんでした。
 今は子供の自立を妨げるとか言ってかなり幼い子でも独りで寝かせる
みたいですが、僕たちの世界ではたとえ中学生になっても親の方から…
 「もうあなた大きいんだから独りで寝なさいね」
 なんて言うことはありませんでした。
 ただ、春期期になると心の中に変な気持が沸き起こってしまうので、
自ら独りで寝ようとしますけど……それまでは赤ちゃん時代からずっと
続いているママの『よちよち抱っこ』『よちよちネンネ』のサービスを受
けて寝るのがここでは当たり前だったのです。
 もちろんどんなにきついお仕置きを受けた日も夜の営みだけはいつも
同じです。ですから、体が大きくなった後も『夜、独りで寝る』という
のは不安でした。巷の子供たちに笑われそうですが…
 「そんな悪い子とは一緒に寝られません」
 なんてママに言われて自分の部屋のベッドに放り込まれるのは、ここ
ではそれ自体が立派なお仕置きだったんです。
 飴と鞭がしっかり使い分けられていたようですが、いずれにしても、
当時を振り返って、『あの時代は不幸だったなあ』と思ったことは一度も
ありませんでした。
 びっくりするような事はまだまだありますかけど、それはまた次回と
いたしましょう。




< 第 2 話 >

<第2話>
 僕たちの世界では巷の一般常識にはないことが沢山あります。それは
僕たちが山を離れて下界で暮らすようになってはじめてわかったことで、
亀山にいる間は亀山の常識が僕たちの常識。僕たちにとってはここが、
世界のすべてでした。(*^_^*)
 そんな常識のギャップは色々あるんですが、まずはトイレからいって
みますか。 食事中の方はいないと思いますがゴメンナサイ。m(__)m
 実は子供たちはトイレで大の方をする時水洗トイレでも水を流さない
んです。和式のトイレに現物を残したままドアを開けて出てきます。そ
れから、おもむろに近くの大人を見つけて自分の出したものを確認して
もらわなければなりませんでした。
 学校だと保健室の桜木先生の場合が多いんですが、お家だとその時に
よってママだったり賄いのおばちゃんだったりします。お当番の日は、
お義母様に見てもらったことだってありました。
 でも、どうしてそんなことにこだわるのでしょうか。一つは健康管理。
昔はうんちでその子の健康を知ることが一般的でした。そして二つ目は、
お浣腸のお仕置きの際、それが使うお薬の量や濃さ、我慢の時間などを
判断するのに重要な資料となるからでした。
 ですから、たとえ修学旅行や社会科見学などで街へお出かけした時も
担任の先生に報告して見てもらいます。巷の人たちはこれを話すと驚き
ますが僕たちにしたらあまりに幼い頃からの習慣なので特別恥ずかしい
なんて思ったことがありませんでした。それどころか、立派なうんちが
出た時などはお友だちに自慢して見せてまわったぐらいでした。(*^^)v
 僕は小心者ですからとてもそんな度胸はありませんでしたが、かつて
肝の据わった女の子がいてお浣腸のお仕置きを察知すると、保健室から
無断でイチヂク浣腸を持ちし学校近くの茂みで勝手に用を足したなんて
ことがありました。
 一度排泄してしまえば二度目はとっても楽ですからね。(^_^)b
 でも結局ばれちゃって……中学生のお姉様なので男の子には関係あり
ませんが、お仕置きを見学させられた女の子たちの話では悪さがばれた
その子は全校生徒(女子のみ)の前でとっても厳しいお仕置きを受けた
んだそうです。
 「見てるこっちが辛くなるくらい凄かったんだから」
 クラスメートたちが興奮気味に話していたのを覚えています。
 うんちの話のついで言うと、僕たちはよくオムツのお仕置きをされま
した。巷ではないと思いますけど、きついお鞭のお仕置きが行われる際、
肝心な時に粗相がないように事前にお浣腸をしてお腹の中の物を綺麗に
しておくことがあるんです。
 先生は「これはお仕置きではありません」なんて言いますけどね……
僕たちにとってはこれだって立派なお仕置きなんです。何しろ、先生の
ご機嫌を損ねると着けてるオムツの中に用を足すよう強制されることだ
ってあるんですから……
 『いったい、これのどこがお仕置きじゃないだ!』
 って突っ込みたくなります。
 そしてそんな時は連帯責任ってことでしょうかね。他のクラスメート
たちはこの可哀想なお友だちのためにオムツ替えを手伝わなければなり
ませんでした。つまりうんちの着いたオムツに触るんですよ。僕はこれ
が大嫌いで、ママにも…
 「そんなのママや先生のお仕事じゃないの!?」
 と言ったことがあります。でも、ママは…
 「そんなことはないわ。お友だちが困ってる時にお手伝いをするのは
とっても立派なことなのよ。恥ずかしいことじゃないわ。あなただって、
お友だちのお世話になったことがあるじゃないの」
 なんてかわされてしまいます。
 でも、これには不思議なこともあります。普段はちょっとしたことに
もやれ「不潔!」だの「ばっちい」だのって連呼している女の子たちが
これだは違和感なくやり遂げるんです。
 しかも、どこか嬉しそうな顔で……
 で、考えたんですが、こんなことやらさせられてる方はもちろん顔が
真っ赤で死にたいくらい恥ずかしいわけですから、女の子にとっては、
ばっちい仕事もその子に対する優越感の方が気持ち的に勝っていたのか
もしれません。
 いずれにしても女の子というのはそのあたり不思議な生き物なんです。
 オムツを穿かされる罰は他にもあります。最初の回でもお話ししまし
たが亀山の子供たちは不始末をしでかすと、よく赤ちゃんに戻されたん
です。
 オムツを穿かされ、上下一体になったベビー服を着せられて、お家の
ベビーベッドで一日過ごす罰なんてのがその典型なんですが、ただ寝て
ればいいんじゃなくて、朝、昼、夕方と一日三回もママのお膝の上で俯
せになってスパンキング(幸いこれは『今あなたはお仕置き中ですよ』
という確認の為のものでそんなに痛くはありませんが…)を受けなけれ
ばなりませんし、ほ乳瓶のミルクを美味しそうに空にしなければ満足に
お昼ご飯も食べさせてもらえませんでした。そのくせお勉強はお勉強で
こちらだけは年相応にやらされますし、お見舞いに来たクラスメートの
からかいにも耐えなければなりません。何より辛いのはトイレで……
 「おトイレに行きたいって?赤ちゃんがおトイレなんて使えるわけが
ないでしょう。そのままそこにしちゃいなさいな。そのためのオムツで
しょう。大丈夫よ、やったあとはちゃんと取り替えてあげるから」
 なんて、お目付役のお義母様にまで言われてしまいます。
 もちろん、だからといって今さらここにはできませんから、辛抱して
いると……
 「あら、あら、うんち出ないの。だったらお浣腸してあげましょうか」
 なんてことなります。ただでさえ我慢しているのにお浣腸なんて……
もう辛抱できるわけがありませんでした。
 そこへ示し合わせたようにクラスメートがやって来て、嬉しそうな顔
でお義母様のオムツ換えを手伝うんです。もちろん直接僕のうんちには
触れたりはませんが、蒸しタオルでお尻を拭いたり、ベビーパウダーを
はたいたりはします。当然、僕の大事なところはみんなから丸見え。
 もうその瞬間は頭の回線がショートして昇天。つまり放心状態でした。
(×_×)
 そうそう、でも大事なことが一つあります。どんなに凄いお仕置きが
あった日も夜はママと一緒のお布団で眠ります。これは僕の家だけでな
く亀山ではどこでも当然のお決まりでした。
 僕はそんな日に限ってママのおっぱいを指先でツンツンしたり舌先で
舐めまわしながらおネンネしたのを覚えています。
 変でしょう。11歳にもなった子がママのおっぱいを悪戯しながら寝
るなんて…でも、これもここでは常識だったんです。亀山の子供は叱ら
れた分だけ甘えることでできるようになっていました。
 これって前に話しましたっけ…とりとめなく話してるもので……(^^ゞ
 それはともかく、僕たちがオムツを穿かせられるお仕置きには、もう
一つ別のケースがあります。
 それは継続的なお仕置きとして、例えば一週間オムツを穿きなさいと
命じられること。命じるのはたいていママです。
 「あなたが今回のことを簡単に忘れないようにこれから一週間パンツ
は与えません。代わりにオムツを穿いて学校へ行きなさい」
 なんて言われるわけです。これってお尻の周りが少しごわごわするこ
とを除けば痛くもかゆくもありません。それに男の子の場合はその上に
半ズボンを穿きますからね、ほとんど目立ちませんでした。
 楽な罰のようにも思えますが、ただ、季候のいい時期には長く穿いて
いると蒸れますからね、体育なんかはNGです。そんな時はたいてい病
気を理由に見学にしてもらっていました。そして、最も困るのがこれも
トイレ。
 このオムツはいったん脱いでしまうと自分一人では元のように穿くこ
とができないんです。そこで保健室に行って桜木先生に脱がせてもらい
室内便器(おまる)に跨って用を足す事になるんですが、これってけっ
こう高い音がするんですよ。
 カーテンの向こうに誰かいないか気になって、とっても恥ずかしい思
いをしたのを覚えています。
 僕みたいな男の子ですらこうですからね、女の子にとっはもっと過酷
でした。
 まず彼女たち短いスカートを穿いていますからね、すぐ友だちに『オ
ムツ穿いてる!』ってばれちゃうんです。それに保健室のトイレだって
恥ずかしくて行きそびれる子が沢山いました。
 でもちょっと考えてみてください。これって、変でしょう。だって、
家(うち)の場合は中庭に素っ裸でさらし者になることだって、お浣腸
されて自分のうんちをクラスメート全員に見られることだってある世界
なんですよ。それが、たかだかおしっこの音ぐらいでどうしてそんなに
恥ずかしがらなきゃならないのか。疑問がわくと思います。
 でも、それが乙女心というもののようでした。彼女たちはうんちより
おしっこをしている姿を他人に見られたくないみたいでした。ですから、
カーテン越しにせよその音を知り合いに聞かれたくないんですよ。
 思えば、茜だってママの抱っこでおしっこをしている姿を見ていたら
もの凄く怒りましたからね…きっとそういうものだと思います。
 実際、保健室に行きそびれてお漏らししてしまったなんても子もいま
した。
 もちろん学校の先生方は家庭から『誰々ちゃんをオムツで登校させま
したよ』という情報は得ています。ですから注意はしているのですが、
事故は起きます。そこで、お昼ご飯の時までに一度もおトイレに来ない
子は強制的にお浣腸で出させることになったのでした。
 『めでたし、めでたし』って……ちっともめでたくないか。
 失礼しました。(^^ゞ



< 第 3 話 >

 前にもお話ししましたけど、僕たちの学校(幼稚園から中学校まで)
には同じような境遇の子供たちしかいません。だから…
 「幼稚園いきたくな~~い」
 なんて泣いてだだをこねる子はいなかったみたいです。(本当はいたの
かもしれないけど僕の周囲ではそうでした)
 巷の子にとって幼稚園や学校は家庭とは違う特別な処(パブリックな
場所)なんでしょうけど、僕たちにとってそこは近所の公園にでも遊び
に行くような気安さでした。そもそも、お家に残っていても誰もいない
んだから家に残っている方がよほど寂しいわけです。σ(^^)
 ママは学校へ行っちゃいますし、お父様やお母様の処へは、当番の日
以外こちらから会いに行くことはできませんからね。それに比べれば、
学校や幼稚園はママと一緒ではないにしてもママとの距離はこちらの方
がぐっと近いわけですよ。∈^0^∋
 それに、みんな赤ちゃん時代から学校には通い慣れていますからね。
親しみもあるんです。(∩.∩)
 えっ?赤ちゃんが勉強するのか?
 そうじゃありませんよ。(^◇^)
 僕は今でこそ11歳だけど、ママは11歳の僕をお父様やお母様から
預かったんじゃないんです。ここは基本的に里子を中途採用しませんか
らね、ママはみんな3歳までに子供を預かるんです。
 物心つく前から育てないとなつかないというのがその理由らしんです
が、そうなると赤ちゃんを家にお留守番させるわけにはいかないわけで、
先生は赤ちゃんを連れて登校することになるんです。
 そして、赤ちゃんも一緒に教室へやって来て教壇脇に置かれたベビー
ベッドの中でママの授業を聞きます。赤ちゃんの見上げる天井にはメリ
ーゴーランドが回ってるけど、赤ちゃんが泣けば授業は中断。ミルクを
与えたりオムツを換えたり……どうしても泣きやまない時はおんぶして
授業することだって……どうです、アットホームでしょう。(*^_^*)
 保育園を作ればいいじゃないかって?
 ところがそれがだめなんです。女王様が許さないんですよ。∈^0^∋
 女王様って?
 巷で言う市長さんみたいな人。この街の管理人。でも、もっと偉いか。
(∩.∩)……この街を創ったのがその人のお婆さまで、三代目も絶対君主
みたいなものだからみんな女王様って呼んでるんです。

 彼女曰く、『孤児だからこそ、人並み以上のスキンシップが必要なの』
という考えの持ち主でね、預かった子供を一日の大半他人に任せるなん
て許さないんですよ。
 おかげで、僕に限らずどの子もそうだけど、赤ちゃん時代から学校に
通ってるってわけ。僕の場合も、物心ついて最初に覚えてる風景は教室
だった。(*^_^*)
 2歳位じゃないかと思うんだけど、教壇に立つママの足にしがみつき、
邪魔にされると助教師の先生に遊んでもらってた。その頃はよもやこの
人が自分の手の甲に熱い蝋涙を落とす怖い人だなんて知らないからとっ
ても仲がよかったんだ。
 いや、今でも仲はいいんだよ。学校の授業で分からないことはみんな
彼女が膝の上で教えてくれるんだ。お膝に抱っこして頭を撫でながらね。
とにかくここでは厳しいお仕置きをするため普段は徹底的に甘やかして
るんだ。
 「厳しいお仕置きが子供を立派な大人へと成長させます。鞭を惜しめ
ば子供はダメになります。しかしそのためにはその何倍も愛情を持って
子供を抱いてあげなければなりません。そうでないと、そのお仕置きは
子供の心には伝わりません。子供の心に伝わらないお仕置きは虐待です」
 女王様がママたちにそんな訓辞をしていたのを小耳にはさんだことが
あります。
 ある日、その女王様に「ママは優しいですか?」と尋ねられたから…
 「僕のママは世界一優しくて、世界一怖い人なんだ」ってと言うと、
女王様は笑って…
 「親子なんだからそれが当たり前ね」
 だって……
 ま、そんな事情だから、どの子も普段は「学校に行きたくな~~い」
なんてだだはこねないんだ。
 とはいっても……例外もあるか。(^^ゞ
 学校へ行ってしまうと何かの事情でお仕置きされそうな時なんか…
 「病気になっちゃおうかなあ~~」
 なんて悪魔のささやきに心を揺り動かされることもあるんだ。>^_^<
 ただし、仮病がバレちゃうと、うち(亀山)はただじゃすまない。
 前に話したけど、女の子なんか下半身素っ裸のさらし者にされたうえ、
堂々と性教育の標本にされちゃうんだから……もちろん、今なら(当時
だってそうか)当然のごとく『児童虐待』なんだろうけど、うちの場合
は自分の全てをさらけ出した女の子もその後はあっけらかんとしていた。
 嘘じゃないって、ホントだよ。(^◇^;)
 ごく幼い頃から、何かと言えば『お仕置き』『お仕置き』で…しかも、
頻繁に裸にされてきたから、正常な羞恥心というものが、この頃はまだ
備わっていないみたいだった。
 もちろん、小学校も高学年になれば羞恥心というのは自然に芽生える
んだろうけど、『お決まり』(規則のことをうちはこう呼ぶんだ)だから
仕方がないとか、ママや先生、司祭様が命令するんだから仕方がないと
思っちゃうんだ。そっちの方が心の中でははるかに重くて、心の底から
沸き起こる自然の摂理はまだまだ簡単にはね除けられてたみたいだっだ。
 僕も幼い時から女の子の陰部を色んな機会に観てはきたけど……
 「すっごく興奮したなあ~~(◎-◎;)」
 なんてことは一度もなかった。ここが『ヘブン(楽園)』って言われる
のはそういうことなのかもしれないなあって、今になって思います。
 だいたいそうでないとそんな大きな子を素っ裸にして外に立たせられ
ないよね。きっと……(∩.∩)
 そうそう、そんなHなこととの関連してなんだけど、ママはよく僕に
フェラチオをやっていました。(^◇^;)
 !!!(◎-◎;)!!!
 わあ、また、驚かしちゃったかなあ。でも、ホントなんだよ(∩.∩)





< 第 4 話 >

 僕のママは僕が幼い頃、お風呂から上がるとタオルケットの上に僕を
ゴロンとやって軽く水気を取ったあと、ほっぺたと言わず、おっぱいと
言わずキスしまくるんだ。
 それこそ頭のてっぺんからつま先までぜ~~ぶ。
 で、当然その中にはオチンチンも含まれていたってわけ。(*^_^*)
 ま、これも亀山独特のスキンシップの一環ってことだろうけど、結構
長い時間やってた。僕の方もそんなの嫌いじゃなかったからキャッキャ、
キャッキャって笑ってた。
 五分くらいもやってたと思うよ。茜にも同じようにやってたけど僕の
方が長い時間やってたね。
 特にオチンチンは口の中に入れちゃったこともあったもの。
 \(◎o◎)/!
 びっくりした?(^_^)bだから、フェラチオだろう(^◇^)
 実はこれ、幼稚園の頃までで小学校に通うようになったらやめてしま
ったんだ。僕はその後もやって欲しかったんだけど……(*^_^*)
 それからは、ほっぺとおっぱいとお臍とあんよだけになっちゃった。
 もっともこちらの方は六年生までずっと続いたけどね。
 \(◎o◎)/!
 何だ、またびっくりしてるの?(^◇^)
 だから言ってるだろう。僕たちは13歳までは赤ちゃんなんだって…
 愛されるんだって、赤ちゃんみたいに愛されるんだ。
 生意気な言動はそれだけでお仕置き。『そんなこと恥ずかしいから嫌』
なんて主張するのもダメ。大人たちに愛されたら素直に喜ばなきゃいけ
ないんだ。亀山で暮らす子供の義務なんだ。
 だから、大きくなると『こんなのイヤだなあ』って思うことはたくさ
ん出てくるけど、大人たちには絶対服従だろう。イヤイヤながらやって
いるとそのうちに、また気持ちよくなってきたりして……(^^ゞ
 それってひょっとして性に目覚めたからだったりするの?…(@_@;)
 かもしれない。(^○^)
 でも、オチンチンが大きくなったことは一度もなかった。
 実を言うとね、僕は男の子だったからあまり関係なかったけど女の子
たちはお仕置きを利用して少しだけエッチな感情を引き起こさせる訓練
を受けてたみたいなんだ。
 スパンキングというのは女の子たちにとっては性の目覚めには有効み
たいだよ。(^ニ^)
 僕たちのお父様やお母様は里子である僕たちに大学まで出してくれた
からそりゃあ感謝してるけど、その代わりというか日常生活ではエッチ
なことも結構あったんだ。13歳まで赤ちゃん扱いというのもそうした
事と無縁じゃなかったと思う。
 ただね、お父様たちの事情はともかく、そこに暮らした僕たちはその
事を恨むとか問題視するなんて気持はまったくなくて、今振り返っても
子供時代は純粋に楽しかったなあと思ってる。
 それに女の子はそんな地ならしがあったからその後結婚した相手とも
概ね良好な関係を維持しているみたいだし、一時週刊誌でここのことが
騒がれて、私たちのことを『子供妾』とか『青髭館』だなんて言われた
ことがあったけど、僕たちはそれは当たらないと思ってるんだ。
 どうして?(◎-◎;)
 だってお世話になったお父様やお義母様を今でも愛してるもの。σ(^^)
 お父様たちにたとえいくらか下心があったとしても、それは僕たちに
は関係ない事なんだ。だってそうだろう。いくらお金持ちだからって、
それだけが目的ならもっと安直な方法がいくらでもあるはずで、こんな
大金をつぎ込んで、しかもこんな山奥へ移住までするんだよ。
 なるほど(◎-◎;)
 お父様たちは本当に子供たちが好きだったと思うよ。それって身近に
いた僕たちが一番感じることだもん。それにもっと辛辣なことを言わせ
てもらうと……
 大人っていうのはもともと性欲を心の中に持って子育てしてるんだか
ら、その影響がまったく出ない子育てなんか期待しちゃいけないと思う
んだよ。もしそんな綺麗事を徹底して求めたら、この先誰も子供なんて
作らないんじゃないかなあ。(^_^;
 子供がある側面では親の性の玩具であるというのは他人には言えない
隠れた心理だもの。当事者でもない評論家が人間の本性を否定してお為
ごかしや綺麗事だけで子育て論を語ってもどこかおかしい気がするんだ。
 昔、僕が少し大人に近づいた頃、お父様やお母様の愛撫にそれまでの
様に笑えなくなったことがあったんだけど、その時、ママがね……
 「何故笑わないの。笑いなさい。それはあなたを育ててくださってる
お父様お義母様へのあなたの義務なの。子どもは勝手に笑う権利がある
だけじゃなくてお父様の為に笑わなければならない義務だってあるんだ
から……」
 こんなこと言われたことがあった。その時は随分ぶすっとしたけどね、
それも今ならママの気持が分かるんだ。
 もちろんお父様お義母様が僕たちに求めたのはHなことだけじゃない
よ。僕たちは幼い時から数多くの習い事をさせられていたけど、それは
僕たち自身のためというより、お父様やお母様のためだったんだ。
 僕たちはお父様たちの前で楽器を演奏したり、古典詩を朗読したり、
バレイや日舞を舞ったり、できあがった絵や満点のテストをみせたり…
何でもいいんだけどね、お父様たちにしてみれば子供が一生懸命やって
いる姿を見て触れてそのエネルギーをわけてもらいたんだ。
 育ててもらう事と若いエネルギーを浴びる事。親子はそのギブアンド
テイクで成り立ってる。性の問題だってその一つじゃないのかな。要は
親の愛と理性さえしっかりしていればそれだって構わないはずだよ。
 ははははは、ごめん、ごめん、また脱線してしまった。(^◇^;)
 じゃあ、心の傷なんてない?(-.-;)y-゜゜
 あるかもしれないけどわからない。お当番の日はお父様のお家でお泊
まりなんだけど寒い時期は女の子もパンツ一丁で寝かされるんだ。
 ???寒いのに?(?_?)エ?
 熱い時期は体に掛かったお布団をはね除けてしまうからお腹を出して
寝冷えしないようにパジャマを着させられるけど、寒い時期というのは
タオルケットや毛布なんかで寝袋みたいになって一緒に寝かされるから
ほとんど裸同然でお父様やお母様に抱っこされて寝むるんだ。
 女の子も?(@_@;)
 もちろん。おっぱいが大きくなってお尻が出っ張りはじめて、お臍の
下がもじゃみじゃし始めても、お家では赤ちゃんは赤ちゃんだもの。
 しかも、そのお布団の中でお父様もお母様もやたら僕たちの体を触り
たがるんだ。きっと湯たんぽ代わりにしてたんだと思うけどね。そんな
時だね、僕がほんのちょっぴり変な気持を感じたことがあったのは……
 でも、だからって、週刊誌の記事は大仰だよ。『妊娠した』『堕胎した』
『裏山に水子供養の墓』そんなことあるわけないじゃないか。(^◇^)




< 第 5 話 >

 うちは14歳になってやっと赤ちゃんを卒業できるんだ。
 なるほど、晴れて一人前と認められるんだね。∈^0^∋
 そんなわけないじゃないか。日本の成人は二十歳なんだからそれまで
は相変わらず子供扱い。赤ちゃんを卒業したと言っても少年少女として
認められただけなんだ。
 しかもそうなるためには厳しい試練を受けなければならないんだ。
 試練?…それって成人になるための儀式みたいなものなの?(?_?)
 そう、そんな感じ。これまでやって来た悪さや怠け癖、おいたや規則
違反、お友だちとの仲良し違反(喧嘩)なんかをぜえ~~んぶ新(さら)
にしてもらうため、13歳最後の日にとびっきりのお仕置きを受けなけ
ればならないんだ。
 でも、いつもよい子だったら問題ないんだろう。(*_*)
 そんな子いないよ。(^○^)
 どんなに良い子だって叱られるようなことは一学期に何度もあるもの。
それが子供の宿命だし当たり前なんだ。逆に一学期に一度も叱られなか
ったとしたら、その方が問題だよ。
 どうして?(?_?)エ?
 どうしてって、そんな子は存在感がないだろうし、自分の個性も発揮
できてないだろうからね。大人たちから愛されない不幸な少女ってわけ
さ。
 お仕置きはそれを受けたから悪い子で受けなければ良い子って事には
ならないんだ。人間やりたいことをやっていれば壁にぶつかるし事故も
起きるけど、それを未然に防いだり被害を極力小さくしたりするのが愛
だしお仕置きなんだもん。そもそもお仕置きは愛の一部なんだから適度
に受けるのはその子が健全に育っている何よりの証拠なんだ。
 なるほど(・o・)
 この13歳の禊ぎの会には普段は呼ばれない僕たち男の子や他の家の
お父様たちや司祭様、女王様なんかも呼ばれるんだ。文字通り町中の人
たちみんなの前で自分の最も恥ずかしい姿を晒しまくらなきゃならない
んだから、そりゃあ大変だよ。終わったら発狂寸前になってふさぎ込む
なんて子もいるくらいなんだ。
 すっ…凄い!!なんでそこまで(゜◇゜)ガーン
 ちゃんと恥をかかせないと女の子は強くならないんだって…ここでも
愛なくやれば虐待になって逆効果だけど、うまくフォローしてあげると
人生を生きる糧になるんだって……ま、詳しいことはわからないけど、
ママからそんなことを聞いたことがあるんだ。
 だから、ここの子は大人になっても道を踏み外さないって自慢してた。
 それにしても女の子は強いよ。大半の子が禊ぎの会から三日もすると
学校に出てきてけろっとしているんだから。
 その子たちがよく言ってたのが、「だって私だけじゃないから…」
 女の子っていうのは『自分一人じゃなきゃいいや』って簡単に割り切
れる生き物みたいだね。(∩.∩)
 男の子もやるのか(@_@;)
 もちろんやる。だけど『こんな事すると心の傷は男の子の方が大きい』
と言って大人たちは男の子には籐鞭によるお尻への鞭打ち以外、あまり
ハレンチなお仕置きは与えないんだ。
 世間とは逆じゃないか?ヾ(℃゜)々
 そうなんだけど、ここは特殊な社会だろう。男の子といっても心の方
が男の子として成熟していないから強いショックには女の子以上にデリ
ケートに反応してしまうんだ。そこは育て方にも問題があると思うけど、
女の子たちは『えこひいきだ!』って不満ぷんぷんなんだ。(^_^;)
 それでもお尻は真っ赤に腫れ上がって三日間仰向けで眠られなかった
くらいなんけど、それでも女の子の苦難に比べたらまだましかなあって
思ってる。
 ふ~~ん、女の子ってどんなことやらされるの?具体的に…>^_^<
 普段のお仕置きとやってることは同じだよ。ただし、場所が公園の野
外ステージや公会堂なんでギャラリーも多いからその分応えるだろうね。
 導尿から始まって、スパンキング、お浣腸、お灸とかなりキツい奴を
全部やらされるし、終わったら終わったで、お父様に禊ぎの済んだ体を
くまなく見ていただく儀式もひかえてるから、そりゃあ大変なんだよ。
 「地球が消えてなくなるくらいショックだった」なんて言った子がい
たくらいだから……ま、男の子にとっては目の保養になるからとっても
ラッキー一日なんだけどね。(*^^)v
 ふ~ん、これが終わると、もうお仕置きというか体罰はないんだろう。
 そんなことはないよ。悪さをしたり成績が下がればやっぱりお仕置き。
それは変わらないよ。ただ人前で晒し者になることだけはなくなるんだ。
 あと、勉強時間とか自由に決められるし、習い事もセーブできるから
そういう意味では大きな変化があるよ。
 つまり、世間並みの中学生の生活が始まるってわけだ。
 僕たちは特殊な育ち方をしたからね。いきなり社会へ放り出すとショ
ック死しかねないから、これから残りの中学生活、さらには街を離れて
全寮制の高校で社会に適応できるようにしていくんだ。
 その後は?(-。-;)
 男の子は四年制の大学、女の子は短大というケースが多かった。今は
女の子も四年制の学校へ行くようになったみたいだけど……
 さらにその先は?(-。-;)
 手に職をつけなければいけないとか言われて男の子は医者か弁護士に
なる人が多いけど女の子は大半が教員免許か看護婦の資格をとって結婚
するね。女の子の資格はあくまで寡婦になった時のための用心なんだ。
 いずれも、お父様の敷いたレールを歩く子が大半だよ。特に女の子の
場合は結婚相手だってほとんどがお父様お気に入りの男性なんだ。
 僕だってお父様の息のかかった会社の顧問弁護士で食べているからね。
同じ様なものさ。
 それで時々は街に戻って子供たちの家庭教師をボランティアでやって
るよ。すでにお父様は亡くなってお母様も街を離れられたから僕の家は
すでにないんだけど、やっぱりここが僕のふる里だからね。
 羨ましい。私も亀山で働いてみようかな(-.-;)y-゜゜
 そうかい?でも、十代の頃は大変だったよ。世間とはあまりにかけ離
れた世界で暮らしていたから、そのギャップを埋めるのに四苦八苦した
もん…
 それと、この街に入り込むのは簡単じゃないよ。こんな街だからね、
下働きのおばちゃんにいたるまでしっかりした人の紹介状や適性検査、
素行調査なんかも徹底的にやって間違いのない人物だと確認されない限
り採用されないんだ。覗き見気分で働こうなんてことはできないだよ。
 あれ?(?_?)エ?
 気が付けばまた話が飛んでしまってる。何話してたっけ……(^_^;)

 13歳まで赤ちゃん時代と14歳からはどう違うのか。(-.-;)y-゜゜
 前にも言って繰り返しになるけど、要するに14歳からは社会に出て
行くための訓練を受ける時期になるんだ。
 食事のマナーや言葉遣い、お父様への応対だってこの歳からは違うん
だ。大人のお茶の席に呼ばれたり自分の意見を話せるようになるしね。
要するに巷でよく見かける普通の少女になるべく生活が切り替わるって
わけ。
 僕たち男の子もそこは同じなんだけど、男の子っていうのはなかなか
幼児癖がぬけなくて、日中は何とかそれらしく振る舞えるんだけど、夜
になると人恋しくなって、ついついママの処へ夜這いに行くだ。
 で、いつも怒られてた。(^^ゞ
 14歳の子が母親に夜這い?(◎-◎;)
 普通の家庭で育った君には分からないだろうけど、僕たちはがっちり
大人たちの腕の中で育ったからね。大人の権威というか愛情に寄っかか
って暮らすことが空気を吸うことみたいに当たり前になってたんだ。
 そこから急に態度を改めろと言われてもそう簡単にできるもんじゃないよ。
 でもそれに比べると女の子は変わり身が早いんだ。まだ14歳になっ
て一ヶ月もたたないというのにもうお嬢様然として食事をしているし、
お父様との会話だって、ついさっきまでお父様の首っ玉にしがみついて
甘えてたくせに、今度はお父様を気遣ってショールを掛けるんだからね、
男の子にしたら空いた口がふさがらないよ。
 それが女の子だよ。彼らはどうしたら相手に気に入られるか、感心を
ひけるか、そんなことばかり考えてる生き物だからね。(^_^;)

 ふ~~ん、そんな事しててよく疲れないね。
 分かってないな。だから女の子なの。男の子とは違うんだよ。(^0^;)
 ところで、14歳になってもやっぱりお仕置きってあるの?(?_?)

 そりゃあ、あるさ。赤ちゃんが少女になっただけで大人になったわけ
じゃないからね。お尻叩きも、お浣腸も、お灸……何でもあり。(^◇^;)
 怖い?…>_<…
 そりゃ怖いよ。お仕置き部屋へ行く時なんか足が震えるもん。…>_<…
 ただ、お仕置きの回数は減るよ。赤ちゃん時代のように些細な事まで
何でもお仕置きというのはなくなるからね。それにお父様やお母様以外
ギャラリーもいないし、女の子にとっては恥ずかしめを受けるのが一番
応える罰だからね、痛いのを我慢する方がよほど楽なんだ。




< 第 6 話 >

 僕たちは中学を卒業したら高校へ行く。これは希望してというんじゃ
なく義務なんだ。僕たちは13歳までちょっと特殊な育てられ方をした
から社会へ出す前にリハビリが必要とお父様たちは考えたみたいなんだ。
 そこで、学力より人格で入学の可否を決める全寮制の高校を作って、
そこに入れられるんだ。
 す、凄い!高校まで作っちゃうんだ。\(◎o◎)/!
 そういうこと。そこまでする人たちをそこらの街の変質者と同じよう
に言われちゃ。僕だって頭にくるよ。(`ヘ´)

 で、高校の三年間は楽しかったの?ヾ(℃゜)々
 閉鎖的な空間で勉強ばかりやらされてたからあまり楽しいって感じは
しなかったけど、亀山育ちの僕たちにとっては初めて目にする普通の子
とのおつき合いだからね、彼らのもたらす情報はいつも驚きの連続だっ
た。(○_○)
 実は初めてお小遣いをもらったのもお金を使ったのもこの高校に入っ
てからなんだ。あんまり嬉しかったから最初は一月分が一日でなくなっ
ちゃった。寮に帰るバス代もなくて友達に借りたのを覚えてるよ。(^◇^)
 女の子も一緒の学校なのか?ヾ(℃゜)々
 残念ながら違う。男の子と女の子は中学を卒業するとお別れなんだ。
ただし、その後あった時に事情を聞くと、女の子の方も同じようなもの
だったみたいだね。
 頭はそれほどでもないけど気だての良い子が多くて……年がら年中、
色んなお稽古事をやらされてたって……
 お仕置きとかはなくなったのかなあ。(¨;)
 それもやっぱりあったみたいだよ。ただし、先生に代わって上級生が
ぶつことが多いんだって……だから下級生は特定の上級生に後ろ盾にな
ってもらってるって……もし、誰もいなければ先生が世話してくれる事
もあるんだって……
 そこを卒業するとどうなるの?(-.-;)y-゜゜
 男の子はたいてい四年制の大学に行くし、女の子は当時はまだ短大が
多かったね。
 で、卒業したら医者か弁護士かい。出来過ぎてるよ。(-_-#)
 もちろん人はそれぞれ。公務員になったのも大学の先生になったのも
いるし、サラリーマンだっているさ。ただ、医者や弁護士にしておけば
その後も自分の目の届くところにおいて役立てる事ができるだろう。だ
からお父様たちはならせたがるんだ。
 僕なんて司法試験に30過ぎまで受からなかったし、受かって弁護士
資格をとったあともやってることと言ったら債権の取り立てぐらいしか
してないからね。みんなに比べて肩身が狭いよ。>^_^<
 女の子は?(@_@;)
 大半がお嫁さんだね。お父様が適当な人を世話してくれるんだ。
 ただ、中には猛勉強して四年制の大学へ行ってお医者さんになったの
も大学の先生になったのもいるけど……そうそう、うちの学校の制服、
月代わりで送ってくるやつ。あれこしらえてるのはアパレルメーカーを
率いてるうちのOGなんだ。
 でもやっぱり一番多いのはお嫁さんだね。お父様もそれを最も望んで
るみたいなんだ。たまに孫なんか連れて亀山に戻ると……
 「おう、可愛いなあ。この子、うちの門の前に捨てないか」
 なんてよく冗談言ってるよ。
 でも、どうして他人の子をそこまでって感じがするけどヾ(℃゜)々
 それは僕にも分からない。単なるヒューマニズムなのか、信心なのか、
自分のお子さんでは果たせなかった充足感がここにはあるのか、勿論、
幾らかのエロチックな感情があることは否定できないかもしれないけど、
その為だけにこんなに大仕掛けな舞台装置は作らないと思うよ。
 それはママだって同じで、いくら子供が好きだからといってもあまり
に献身的過ぎると言えなくもない。
 だだ、僕はそんな不思議な人たちの慈愛に守られて生きてきたから、
やっぱり、何かしらの恩返しはしなきゃいけないと思ってるよ。
 実際、ここで毎日消費される食材、衣服、医療、住まい、はては公園
の植木に至るまで、すべてここを出たOBやOGがまかなってるんだ。
 だ゛からここはヘブン(楽園)なのさ。
 そうだ、さっき聞き忘れたけど、全寮制の学校にだって夏休みはある
だろう。どうするんだ?(?_?)

 どうするもなにも、ここに帰ってくるに決まってるじゃないか。(*^_^*)
 部屋も大学を卒業するまでは私物を収納するためにとってあるんだ。
 そこで久しぶりに親子水入らずで『よちよち抱っこ』してもらうよ。
何か問題あるかい?
 えっ!(゜◇゜)ガーン
 だって、もう高校生なんだろう?大学生だったりするんだろう?

 そうだよ。でも、何か問題あるのかい?中学の頃は思春期でまわりが
分からず何となく居心地が悪いもんだから抜け出したことがあったけど、
もうこの頃になると『この人は女じゃない。ママなんだ』って悟れるよ
うになるから、また一緒に添い寝してもらうんだ。
 ということはママも当然OK?(*_*)
 そりゃそうさ。自分の子供を抱くのに遠慮なんかいらないじゃないか。
高校生になっても、大学生になっても、社会人になったってママはママ。
当たり前じゃないか(^◇^)
 夏休み、亀山に帰って他にはどんなことするの?(・o・)
 色々さ。自分の勉強はもちろんだけど、妹や弟たちの世話。司祭様の
お手伝い。よその子供たちに勉強を教えたり、一緒に遊んだりもする。
お父様やお義母様に何か頼まれればそれをやるし雑談だって仕事といえ
ばそうかもしれないね。
 夏休みを利用して旅行とかはしないの?(・o・)
 行くよ。軽井沢みたいな避暑地に二週間くらい。でもその時妹たちの
面倒をみる人手がたりないから重宝に使われることになるよ。σ(^^)
 どんなことをするの?(・0・)
 色々さ。チビちゃんたちの家庭教師だったり、ピクニックの引率だっ
たり、バーベキューの炊事当番とか、家族演奏でギターを弾いたりとか、
そうそう、前の学期に成績が振るわなかった子に特訓する時はお仕置き
も頼まれるんだ。
 それまで、自分がやられることはあってもやったことなんてないから
当初は戸惑うけど、慣れると楽しい。
 何しろ膝の上に抱いた子の生殺与奪の権限が自分にあるんだから……
 「そんなにやる気がないならお仕置きだな」
 なんて言って脅すと、顔を真っ青にしてこっちを振り向くんだ。その
不安げな顔が何ともいえなく可愛いんだな。
 実際にお仕置きしたこともあるの?(・O・;
 あるけど、軽くお尻を叩く程度。本格的に悲鳴を上げるようには強く
ぶたないけど、その代わりパンツは脱がす。当たり前だけど、恥ずかし
そうにしているんで、それがまた可愛いんだなあ。(^o^)
 サディストだなあ君も。そんなことして嫌われないかい?(・0・)
 大丈夫さ、お仕置きっていったって亀山の基準でいうなら超がつくほ
ど軽いものだし、その他の時間はお兄ちゃまのお膝の上に抱かれて快適
だもの。快適すぎて寝てしまうんだ。だからちょっと起こしてやるだけ。
僕だって、相手はお姉ちゃまだったけど、そこのところは同じだった。
普段あまり抱かれない感覚のお椅子だろう。だから結構心地良いんだよ。
パンツ脱がされるのは恥ずかしいけど、何だかときめいちゃったのを覚
えてる。(*^_^*)
 今度はマゾヒストだ。(¨;)
 その二つは表裏一体なんだから仕方がないよ。幼い頃はお仕置きって
単純に嫌なことだったけど、年齢が上がるにつれてちょっと別の感情が
含まれるようになるんだ。考えたらお仕置きは虐待とは違って愛の一部
だからね。その愛が感じられるようになるってことさ。で今度はそれを
後輩にわけてあげようってわけ。
 そして、それが大人になってそのまま愛の形にもなるからうちの女の
子たちはノーマルなSEXしかできない男は結婚相手に選ばないんだ。
たまに遊びに行くとどこの家でもこっそりお仕置きの道具がしまってあ
るよ。
 じゃあ、義兄弟で結婚すればいいじゃないか。(-.-;)y-゜゜
 いや、そんなカップルも珍しくないよ。お父様も反対しないからね。
そんなところ行くとね、ネタはたいてい子供の頃のお仕置き。先生やマ
マ、司祭様なんかにこっぴどく折檻されるのがいいらしいよ。(^0^;)
 そう言えば、司祭様からもお仕置きされるようなこと言ったね。(¨;)
 金曜日の懺悔の会で今週あんまりおいたがひどいようだとお仕置きさ
れるんだ。罪の内容にもよるけど、一番酷い場合はやっぱりお尻叩きと
お浣腸とお灸の三点セット。土曜日か日曜日に修道院でたっぷり絞られ
るんだ。シスターのおばさんたち、顔は笑ってるけど怖いよ。
 三点セットの他にも素っ裸にさせられて中庭で体操なんかさせられる
んだから………>_<…
 ただ、最後はやっぱり抱っこしてもらって神様に最後の懺悔。それが
終わるとやっぱり抱っこのままケーキを食べさせてもらってお仕置きは
終了。
 もちろん、このケーキは自分で食べちゃいけないんだ。たいがい口の
周りがクリームで真っ白になるように食べさせられて、それをシスター
が抱っこのままペロペロ舐めて綺麗にしてくれるのがお定まりの儀式に
なっているんだ。
 そのシスターが言ってたよ。試練と救いが一体になってるからここの
お仕置きは効果があるだって。だからお仕置きの最後は必ず優しくする
んだってさ。





< 第 7 話 >

 ここにいる子たちはみんな孤児院から引き取られて来るのか?(-。-;)
 表向きはね。(-.-;)y-゜゜
 というと?(・O・;
 ここに子供を預けたい母親は生後一年以内に裏山で暮らすおばば様の
処へ赤ん坊を連れて行くんだ。そのおばば様が母親から事情を聞き、納
得できる理由があるなら赤ん坊を山に上げてお父様になってくれる人を
捜すんだ。もし、引き受け手が見つかれば、街の孤児院にいったん預け
て健康診断をしたあと引き取られるんだ。
 その後、母親は子供が18歳になるまでは会えないけど、半年に一度
子供が今どのように暮らしているかの報告書が指定された私書箱に届く
から必ずそれを確認しなければならない。
 もし、二回続けて私書箱が開けられないと三回目の報告書は私書箱に
入れられないし18歳になっても子供とは会えなくなってしまうんだ。
 厳しいんだね。(・o・)その報告書には写真とか貼付してないの?
 いや、報告書と言っても実際にはその他に、8ミリ、今は当然ビデオ
だけど、その子の様子を収めたフィルムが添えられてるんだ。俺の場合
も学校の様子とか運動会、学芸会、家族の演奏会なんかも撮られてて、
親はそれを毎晩見てたらしい。
 じゃあ、産み母親に会ったことがあるんだ。(・0・)
 ああ、会うにはあったけど、どうしても「お母さん」とは呼べなかっ
た。僕にとっては高橋先生がママ、天野茂がお父様だからね。
 そういうもんかなあ?(?_?)エ?
 君にはわからないよ。ほら歌にもあるだろう。「親の血を引く兄弟より
も固い契りの義兄弟」って…あれだよ。もちろん高橋先生とは赤の他人
だし天野のお父様が亡くなっても瓦一枚だって相続させてはもらえない
けど、そんなことは関係ないんだ。
 僕にとっては亀山のこの場所が産土、僕を抱いてくれたすべての人が
お父さんでありお母さんだもん。
 外の人たちから見れば、小学生といっても高学年になった子が公園で
素っ裸にされて晒し者になってたら「虐待だ!」って騒ぐんだろうけど。
僕たちにしてみたらそんなものお風呂に入ってるのと同じなんだ。
 君はママが「パンツをぬぎなさい」って言ったらすぐに脱げるかい?
 ?????(○_○)
 僕は脱げるよ。ここでは女の子だって事情は同じなんだ。お医者さん
以外では世界で唯一、僕のパンツを脱がすことのできる人なんだから。
その人が「ここに裸で立ってなさい」って言ったら、そうするしかない
じゃないか……
 ?????こいつ筋金入りのマザコン?(○_○)
 そうだよ。でも、それでいいじゃないか。みんな愛されて幸せに暮ら
しているんだから……だからこそ、よそじゃできないお仕置きもここで
はできるんだもん。
 今の人たちは逆のことを言ってると思うね。お仕置きがない親子関係
理想みたいに言うけど僕に言わせればそんなの本当の親子じゃないよ。
そんなの所詮演技でしかないと思うから寒々しくていただけないよ。
 本当に信頼しあえている親子なら、そもそも親は度の過ぎたお仕置き
なんてしないだろうし、子供もそのくらいのことで心に傷を受けたりは
しないはずだよ。
 13歳の少女が素っ裸で公園に立っていられるのはそれが家族一緒に
お風呂へ入ってるのと同じ感覚だからなんだ。この街には見ず知らずの
人や子供に敵意を抱くような人は一人もいないからね。それに何より、
子供の方だって大人はみんな優しい人だって知ってるもの。だからこそ
こんなことができるんだ。別に恥ずべきことじゃないよ。むしろ誇れる
ことだと思ってるんだ。
 いやあ、言いたいこと言ってすっきりした。\(^O^)/
 あと、何かあるかい?(*^_^*)
 ねえ、話は変わるけど、『18歳になるまで子供に会わせない』なんて
契約、本当に有効なの?(?_?)エ?

 日本の法律では有効じゃないかもしれないけど、これって、あくまで
紳士協定なんだ。もし、実の母親が約束を破って強引に子供に会おうと
したり、その為にマスコミや裁判所を利用しようなんて考えたら、その
親は永久に子供には会えないだろうね。
 これは法律の問題じゃなくて事実の問題なんだよ。(○_○)
事実の問題って?(?_?)エ?
 そこは察してくれよ。僕たちのお父様たちは功なり名を遂げた人たち
ばかりなんだ。それぞれに法曹界や医学界、もちろん、政財界にも強い
影響力があるんだ。自分の産んだ子供まで捨てなければならない母親が
立ち向かえる相手じゃないよ。
 ……俺、今、怖いこと想像しちゃったけど、間違ってるかなあ(○_○)
 たぶんあってると思うよ。(@_@;)
 (゜◇゜)ガーン。
 とにかく一旦ここに預けた以上、子供が18歳になるまでは辛抱する
しかないんだ。それまでは煮て食おうと焼いて喰おうとお父様の自由っ
てわけ……
 「パンツを脱ぎなさい」ってお父様に言われたら、たとえ18歳の娘
だって、ためらいなくパンツを下ろすね。ここはそういう処なんだ。
 もちろん、SEXの為じゃないよ。∈^0^∋
 分かってるよ。(-。-;)
 18歳で実の母にあったあとはその人と暮らすのも自由なんだけど、
経済的に豊かになっている人は希だから、少なくとも学校を出るまでは
みんなお父様の庇護のもとで暮らすよ。そして、その影響力はたいてい
お父様が亡くなるまで続くんだ。これは仕方のないことなんだよ。
 就職先、結婚相手、子供ができたらその名付け親はたいていお父様だ。
 僕なんて10年も司法浪人したからね。特に頭があがらなかったよ。
 生みの親っていうのは結局のところ茶飲み友達程度になっちゃうね。
 そうそう、その生みの親で思い出したけど、僕は13歳の時に一度、
その親と会っているんだ。(*^_^*)

 どういう事?(・o・)
 その頃、ちょうど実の母が恋しくなってね、物憂い日々が続いていた
んだ。そしたら、家族で出かけたコンサートの帰り。お父様が『お腹が
すいたからレストランに寄ろう』と言い出したんだ。そこで急遽お店を
見つけてはいったんだけど、そこはベンツなんかで来る処じゃなかった。
ところが下町のすすけた食堂なのにお父様が『ここでいい』と言い張る
んだ。
 『おかしいな?』とは思ったけどお父様の命令は絶対だからね。10
人はそこで食事をすることになった。狭い食堂だからそれで満杯だった
んだけど、そこに出てきたウェートレスの様子がどうもおかしいんだ。
 それって、ひょっとして…(@_@;)
 だったみたいだね。お父様はそのことについてその日もその後も何も
言わないし、当のウェートレスも名乗りはしなかったんだけど…………
だった。(-.-;)y-゜゜
 本当は規則違反なんだけど、僕に産みの母を会わせてくれたんだ。
 その後、その母親からは手編みのセーターとか万年筆とか色んな物が
届いたけど、結局、僕には渡らなかった。そんなの規則違反だからね。
倉庫にしまわれてしまったんだ。
 でも、18になって再開した母親はその日のことを覚えててお父様に
感謝してたよ。「生きる張り合いができた」って……
 お父様って人情家なんだ。(^_^;)
 もともと、家族的には不幸だったみたいだね。ここのお父様たちは、
そんな人が多いんだ。だから仕事をリタイアした後、ここへ移り住んで
老後は心ゆくまで子供を愛しながら過ごしたいみたいなんだ。
 おかげで僕たちは随分可愛がられたよ。(^◇^;)
 それって、Hなことも含めてだろう。(^_^;)
 ま、そう言ってしまえば身も蓋もないけど、お仕置き以外では僕たち
が嫌がるとやめてくれたよ。
 だって、絶対権力者なんだからイヤイヤはできないんだろう。(^_^;
 そうはいっても相手は子供だもん。大人のようにご無理ごもっともっ
てわけにはいかないからね。嫌がる子に無理強いはしなかったんだ。
 ねえ、突飛押しもない事を聞くようだけどオナニーっていつ覚えた?
(^^ゞ

 おっ、鋭い質問。(◎-◎;)
 やっぱり幼稚園の頃かな。あれだけ四六時中大人たちから触られ続け
ていると感じるのも早くなるよ。f(^ー^;
 僕はまだ男の子だったからいいけど、女の子は一度覚えちゃうと大変
だったみたいだね。
 ん?どういうこと?(¨;)
 うちはオナニーに関して男の子には鷹揚だけど女の子には厳しいんだ。
あんまり酷いようだと修道院に放り込まれて、貞操帯を着けて暮らさな
きゃならなくなるんだ。
 聞いた話だと、『男の子は我慢できないけど、女の子は我慢できるはず
なんだから我慢させなきゃいけません』って女王様の下知がくだったっ
て言うんだけど、本当かなあ。……でもそういうことみたいだよ。(∩.∩)



< 第 8 話 >

 ねえ、貞操帯って何?(?_?)エ?
 知らないか。無理ないね。特殊なものだから(・o・)
 要するに革製のTバックみたいなもので、うちではショーツの上から
装着させるんだ。大事な処を触ろうとするとそこにピンが出てて指を刺
しちゃうからね、オナニーはできないってわけ。ところが、どうしても
我慢できなくなって指を入れてしまう子もいるからシスターは必ず朝そ
の子の指を検査するんだって……
 刺し傷が残ってないか確認するんだ。
 もし、あったらお仕置き?(○_○)
 そうなんだけど、この場合はお尻をぶったりはしないんだ。
 どうして?(・o・)
 そんなことをすると欲情をさらに煽ることになるからなんだって……
聞いた話では真冬に冷たいシャワーを10分間も浴びる罰だとか、百行
清書を徹夜で書かされるとか、お父様のベッドに素っ裸で添い寝なんて
のもあるんだって……(∩.∩)
 ふうん、でも、どうしてだろう?お父様と一緒に寝たら、余計気持が
高ぶるんじゃないか?(・0・)

 だからそれを押さえる訓練をさせられるのさ。
 でも、だったらそのお父様に逆に襲われないか?(@_@;)
 マジでそんなこと心配するな。(-_-メ)お父様はそんな人じゃないよ。
そりゃあ、一緒に寝てると体中触りまくられるからHな気分になること
もたまにあるけど、だからって一線を越えたことなんてないもの。
 ここは女王様の管理する街だからね、そこの境界にはうるさいんだ。
 大人になっていく過程で女の子は性の目覚めを助長するようなことも
するけど、それはその後結婚した時にお相手の旦那様を失望させない為
なんだって。女の子は気持だけが先行して肝心の体は性の目覚めが男性
より遅いから事前のウォーミングアップがいるってママが言ってたよ。
 ローティーンの子を裸で立たせるのもそうしたことの一環なんだって。
ただ、女の子の性はいったん扉を開くと加速度的に欲求が高まり続ける
から、身勝手なオナニーは認めてないんだって……それをやると、結婚
する時には逆に男性を追い越してしまうからまずいんだってさ。
 『女性は連れ添う男性にあわせて性の喜びを知りマゾヒティクな方が
夫婦生活はうまくいく』って考えなんだ。
 かなり保守的な考えなんだね。(・o・)
 仕方ないよ、お父様も女王様もお年寄りだから……
 そうそう、昔はペニスを包み込むタイプの男の子用もあったみたいだ
けど、僕の時代にはすでに博物館に飾ってあった。(^◇^)
 君はやってなかったの?(・o・)
 やってたさ。(*^^)vそのための専用のタオルケットだって持っていた
くらいだもん。ただ、だからお仕置きされたってことはなかった。
 見つかると、
 「やりすぎると、集中力を欠いてお勉強に影響しますよ」
 ってたしなめられたぐらいだった。だから、女の子からはいつも白い
目で見られてたよ。あいつらは僻(ひが)みっぽいからね。
 もっとも女の子の場合は見つかると修道院送りだからね。落差有りす
ぎって言われても仕方がないか。(^^ゞ
 三日ですむか、一週間になるか、十日以上ってこともあるからな……
やっぱ過酷だよ。
 修道院ってそんなに厳しいの?(*_*)
 そりゃそうさ。朝まだ暗いうちに起こされてお祈り、部屋のお掃除、
朝食の支度だってある。お昼は学校だけど、テストのお点がわるかった
り悪さをして叱られたりして帰って来ると冬でも中庭の泉に行って沐浴
させられるんだ。それだけじゃないよ。夜の反省会では必ずお浣腸させ
られて自分の出した汚物を前に自分がいかに汚い心の持ち主かを反省さ
せられるんだって。
 もちろん指導するシスターに逆らえばお灸のお仕置きだってあるしね。
お尻叩きのお仕置きがないといっても決して楽な生活じゃないだよ。
 それに比べて男の子たちは…
 『やりすぎには注意するのよ』
 だろう、そりゃあ誰だって不平等だって感じるさ。でも、そんな不満
をママや先生に向かって口にすると…
 「何言ってるの。あなた、女の子なんだからしかたがないでしょう。
女の子は女の子で得なことは沢山あるのよ」
 と言われておしまい。もうそれ以上は何も言わせてくれないんだ。
 もし、そこで何か一言二言言えば、今度は何も言わずお仕置き部屋に
引っ張れて行くことになるね。
 たいてい、30分はドアの向こうから悲鳴が聞こえることになるよ。
そのあたり、うちは上下関係がとってもうるさいんだ。『目上の人には絶
対服従』が大原則だからね。
 じゃあ恋愛なんて無理だね。(-.-;)y-゜゜
 そうだねえ……確かにHを前提とした恋愛はないね。お互いが相手を
あまりに知り過ぎちゃってるから………ぶっちゃけ、お互いの性器まで
知ってるあってる仲だもん。親しいのを通り越して空気みたいというか、
見慣れた風景みたいなものでそこに新たな感動がなかなか生まれないん
だよ。
 ただ、例外もあるんだ。純粋なお友だちとしてだけどその子のそばに
ずっといたいなんて言う子がいたよ。
 『小さな恋のメロディ』みたいな?(^_^;)
 そうそう、あんな感じ。但しこちらの大人たちは子供たちの我が儘に
非常に好意的だった。僕たちの街の住人は子供たちを性善説で見ている
からね、そもそも変な勘ぐりはしないんだよ。
 『赤ちゃんの時から天使として育ててきた』という自信があるからだ
ろうね。章ちゃんに衣装を用意してプレゼントを渡し、「こう言うんだよ」
ってデートのお膳立てをしたのは章くんのママやお母様だったんだから。
 で?うまく行ったの?(^_^;
 うん、一ヶ月という短い期間だったけどね、二人はみんなが見守る中、
恋人として過ごしたんだ。
 僕だってクラスメートの美津子ちゃんなんて可愛い子だなあとは思っ
てたよ。でも、面と向かうと意地悪なことしかいえなかった。∈^0^∋
 何だか、話だけ聞いてると夢のような処だね。(^_^;)
 だから、ヘブン(楽園)なんだ。お父様たちが『人生の最後は楽園で
過ごしたい』と考えて私財を投じて造った街だからね、邪な心を持った
人が誰一人入らないように綿密に設計されてるんだ。
 中の子供たちは人を疑うことを知らないし、大人たちもそれに応えて
不条理な形で子供たちを泣かすことは絶対にしない。庭師のおじちゃん
賄いのおばちゃんに至るまで、純粋に子供が好きで好きでたまらないと
いう人たちなんだ。だから10歳を過ぎた子が公園で裸になっていても
何の問題も起きないんだ。
 それだけを見てチャイルドポルノだなんて言うのは、そもそもその人
たちの心がすさんでるからだよ。
 凄い自信だね。じゃあ少年時代は幸せだったんだ。(^_^)b
 今にして思えばね。(^^ゞ
 (?_?)エ?
 今は大人になって外の世界がどんなだか知っているから、『なるほど』
なんだけど、そこで暮らしていた時はいつも不満たらたらだった。
 自分たちが世の中で一番不幸じゃないかって思ったこともあるくらい
なんだ。
 大人たちは何かちょっと気に入らないことがすぐ体罰をちらつかせる
し、習い事は多いし、勉強もさせられるし、自由時間がない。たまに山
を下りるんだって大人の付き添いがなきゃだめなんだもん。窮屈でしょ
うがないよ。
 へえ、山を下りることがあるんだ。(@_@;)
 そりゃあ、あるさ。欲しい物はカタログを見ても手に入るけど、やっ
ぱり実物を見て選びたいからね、デパートは楽しみだった。屋上に遊園
地もあるし。ただし、行ける日はそのデパートがお休みの日なんだ。
 どういうこと?ひょっとして貸し切りとか?(・o・)
 そういうこと。お父様の一人がそこを経営してて、定休日なんだけど
僕たちに解放してくれるんだ。だからその日のお客さんは亀山ご一行様
だけってわけ。玩具売り場でオモチャを漁って、発表会なんかのために
着ていく服の採寸に立ち寄るだけなんだど、空いた時間で屋上の遊園地
でも遊んでた。もっとも僕たちに関係のない店員さんは最初からいない
んだ。
 お金は?いらないの?(・O・;
 もちろん(^-^)売り場に展示してあるオモチャを片っ端から店員さんに
出してもらって遊んでた。で、気に入ったのを持ち帰るんだ。(^◇^)
 屋上の遊園地にある遊具も係の人がお金を入れなくても動くようにし
てくれてたからね、こっちもノーマネー。あと食堂で食事もしたけど、
こちらもメニューにはない特別な料理があらかじめ発注されてるから、
それが出てくる。もっとも、僕たちはサンプルの入ったショーケースを
見てこっちのが食べたいってだだをこねた事があったけどね。





< 第 9 話 >

  凄いなあ!豪遊じゃないか、まったくのお坊ちゃま?(゜◇゜)ガーン
 そうかなあ、それは関係ないよ。むしろお父様の事情で他のお客さん
と一緒に買い物ができない方がよっぽど不幸だと思うけどなあ。(^_^;
 とにかく使ってる階にだけに電気がついててあとは真っ暗なんだから
……山を下りて下界で暮らすようになって初めてデパートに行った時、
『デパートってこんなに沢山の売り場があったんだ』って驚いたぐらい
だもん。
 そういえば玩具売り場で遊んでてショーケースの硝子を割ったら怒ら
れた。傍若無人で構わないってわけじゃないよ(^^ゞ
 ねえ、その日はデパートで1日つぶすの?(・0・)
 お昼ご飯食をべたら遊園地に移動してそこでも遊ぶ。そこも貸し切り
なんだ。
 やっぱり、お父様の経営?(・o・)
 だと思うよ。どなたの関係先かは知らないけど(^_^;)
 ここもデパートの屋上と同じでお金に関係なく乗り物を動かしてくれ
るんだ。大きな遊園地じゃなかったけど楽しかった。(∩.∩)
 どのみち二時間位しか居られないからね、ちょうどよかったんだよ。
 いずれにしても亀山の子供たちにとっては月に一度のお楽しみだから
ね、その前の週は大人たちを怒らせないように細心の注意を払ってたよ。
もし外出メンバーから外されるとそりゃあショックだったもん。
 外出できるのはそれだけなの?(^ニ^)
 あとはお父様が主にご自分のファミリー単位で、コンサートやゴルフ、
ナイター観戦や美術館めぐりなんかに僕たちを連れ出すことがあるよ。
これも月に一回か二回だけどね。
 なんだ、結構外出してるじゃないか(^_^)b
 だけど独りでは出してくれないんだ。僕は気ままな一人旅がよかった
んだけど、それがダメだから『大人たちは僕たちを監禁してる!』って
すねちゃうんだよ。(^ニ^)
 ねえ、ここを脱走した子っているの?(・o・)
 昔は希にいたみたい。人の話では連れ戻されて酷い折檻を受けた子も
いたって聞いたことがあるよ。でも、僕たちの時代にはそんな話は聞か
ないな。ここを出たい理由の一番大きいものは実のお母さんに会いたい
ってことなんだろうけど、たとえここを出ても何の手がかりもないから
ね。路頭に迷うだけなんだ。
 それにここはセキュリティーが厳しいからね、子供の才覚では容易に
出られないよ。
 実は僕も二度ほど一人旅がしたくて脱走を試みたんだけど連れ戻され
ちゃった経験があるんだ。
 じゃあ、酷い折檻?ヾ(℃゜)々
 それはなかった。お父様が「そんなにおんもでぽっぽちゃんにのんの
したいのなら、一生懸命お勉強して1日空きをつくらなきゃな」って言
うから言われた通りにしたら、宮本駅からお父様の専用列車で東京まで
行けたんだ。
 凄く楽しかった。まさにルンルン気分さ\(^O^)/
 ねえ、宮本駅ってどこにあるの?ヾ(℃゜)々
 亀山の麓にある駅のことだよ。今はトラック中心になったけど当時は
街に必要な物資は主に貨車で運ばれてきてこの駅で降ろされるんだ。
 最初脱走を試みた時はこの貨車で逃げようとしたんだけどすぐに見つ
かっちゃって……でも、駅長さんが親切な人で僕を貨物列車の運転席に
僕を乗せてくれて引き込み線を一般の駅まで乗せて行ってくれたんだ。
 ほんの5分か10分の旅だけど亀山以外の空気を吸えたんだから最高
にラッキーだったよ。(*^^)v
 (羨ましい)(¨;)……そうだ、それと…君のお父様って専用列車なん
てものまで持ってるんだ?(-。-;)

 僕のお父様だけの専用っていうんじゃなくて、この街で暮らすお父様
たちみんなのものなんだけどね、お召し列車みたいなものがあったんだ。
でも、通常子供は乗せてもらえないから僕は本当にラッキーだったんだ。
 お父様は他の子以上に僕を可愛がってくれててね、心配性のママなん
かむしろその事を心配して気を揉んでたくらい。
 でも僕の方は調子に乗ってお父様には甘え放題。おかげで、お父様が
「全部ぬいでここへおいで」ってベッドに誘った時だって、何のためら
いもなくすっぽんぽんでお父様と一緒のベッドで過ごした(*^_^*)
 もちろん変な関係なんてないけど、一晩中色んな場所を触られたね。
ただ、これは僕だけじゃなく、ここの子供たちっていうのは概ねお父様
とお母様のペットみたいなものだからね、仕方ないんだよ。(∩.∩)
 それって、性的虐待って言うんじゃ?(O_O)
 広い意味ではそうかも知れない。だからこそ週刊誌が大騒ぎするわけ
で、『子供妾』とか『青髭館』とかここが伏魔殿みたいに書き立てるんだ
けど、お父様は子供たちが嫌がればやらないもん。
 勿論「お前は触らせなかったから援助しない」なんてこともなしだ。
 お父様は僕たちの泣き顔より笑い顔が見たいんだ。
 だから僕たちの義務はあくまで楽器を弾いて、詩を朗読して、歌を歌
って、絵を描いて……とにかくお父様の前で子供らしくしていることだ
もん。
 本当に?(?_?)?
 本当さ。ただ、誰だってお父様とは本当の赤ちゃん以来のお付き合い
で気心も知れてるし、何より、愛されてるお父様にことさら嫌われたく
もないじゃないか。だから多くの子がある程度までなら我慢するんだ。
 でも、そんなことは一般家庭でもあることだと思うよ。
 とにかく、君は平気だったわけだ。(*_*)
 そんなに投げやりないい方しなくてもいいじゃないか。深刻に考える
ような事はしてないよ。(^。^)

 とにかく、本当にオムツが必要な赤ちゃんの時代から過干渉というか、
スキンシップ過剰なところがあるから、それが誤解されたんじゃないか
と思うんだよ。
 ところで、話はガラリと変わるけど、ここの宗教法人は何を信じてる
んだい?(-.-;)y-゜゜

 何をって?(?_?)エ?
 だから、キリストさんか、お釈迦様か、司祭様は当然キリスト者なん
だろう?でも部屋にはお地蔵様とか大日如来様が奉ってあるみたいだし
……(-.-;)y-゜゜

 なんだそういうことか。(^◇^;)
 何でもいいんだよ。自分の信じる神様を信仰すれば………
 ここでは宗教や宗派は関係ないもの。
 たしかに修道院はあるし、屋根に十字架は建ってるし、体裁だけ見て
いると、ここはキリスト教徒の街ように見えるかもしれないけど、実は、
司祭様だって多神教論者なんだ。日本人は一神教になじめない人たちが
多くてバイブルを心の糧とする人たちでさえ、そこは西洋の人たちとは
別の解釈をしているんだ。
 ここは創立者の胤子女史が新宗派を立ち上げた聖地ではあるんだけど、
何より孤児たちの聖地なんだ。お父様たちだってそのほとんどは仏教徒
なんだけど誰も改宗を勧めたりはしないもの。
 だからそこは日本人的おおらかさで、キリストさんも、お釈迦様も、
神さんだって、みんな一緒にお祀りしてるってわけ。
 西洋の人たちにはちょっと理解しづらいだろうけどね。(^◇^;)
 まだ、他に何か疑問な点は?(^_^;
 う~~ん、晒し者にされるお仕置きってさあ、そんなに長く裸にして
たらいくら暖かい時期でも身体を壊さないか。風邪ひいたりとか?(¨;)

ん???(?_?)エ?……ああ、そうか、これは僕の舌っ足らずだったね。
ごめん、ごめん(^^ゞ
 実はね、ママや先生のお小言聞いたり、誓いの言葉を言ったりしで、
お仕置き全体の時間は結構長くなることが多いんだけど、服を脱がされ
てる時間というのは5分かせいぜい10分なんだ。(^◇^;)
 お友だちがお昼休みに中庭を見物してたり、下校時間にそこを通るの
を見計らって「脱ぎなさい」って命令されるの。見せしめの罰だからね、
お客さんがいなきゃ意味ないじゃん。(^_^;)
 で、恥ずかしいからまごまごしてると……今度は先生が通りすがりの
下級生に「これでお姉ちゃまを励ましてあげてくれないかなあ」なんて
言って革ひも鞭(トォーズ)を手渡すんだ。
 これは正直あんまりいい気持ちのものではないけど先生のお言いつけ
だからね、やらないわけにもいかず、枷に繋がれたお姉ちゃまのお尻を
軽くぶってあげると、これが結構悩ましくお尻を振ったりするんだよ。
(^◇^;)
 僕も被害者だから知ってるけど、これって痛いんじゃなくてくすぐっ
たいんだよ。僕たちはみんな大人たちから愛されて育ってる。当然、「人
の嫌がる事はしてはいけません」って何度も何度も繰り返し教わってる
わけで、そんなモラルに反する事をどうして先生はやらせるんだろう?
って困惑するんだけど……これが四年生くらいになると、その理(こと
わり)がわかるようになるから思いっきりぶつ子も出てくる。「このやろ
う、今に見てろ」ってなもんだけど、どうにもならない。…>_<…
ちなみに、これは下級生だけの特権、上級生はダメなんだ。(^0^;)




<第10話>

 ねえ、下級生って何年生までなの?(¨;)
 何年生って?(?_?)?…ここでいう下級生というのはお仕置きを受けて
る子より下の学年の子ならいいんだ。同級生や先輩は見てるだけなんだ。
 このお仕置きは何月から何月までなの?(・O・;
 別に規則で決まってるとかそう言うんじゃなくて常識的に裸にするの
は可哀想だなって先生が思えばやらないってだけさ。だから、11月の
木枯らしの吹く寒い日でもやったことがあったもん。
 亀山は女の子社会だから規則より先生の感情が優先なんだ。要するに
『罪を犯したのに反抗的な態度をとってると、こんな目にあいますよ』
っていう一般生徒への警告なの。
 軽い罪でも先生を怒らせたら最後、こんな悲劇が起こる可能性が常に
あるからね、亀山の子供たちは巷の子供たちよりママや先生をより一層
畏れてるんだ。
 それっておかしくないか?恐れているのに愛されてるって感じるの?
ヾ(℃゜)々
 
 そういうことになるね。(^_^)畏れと言っても単純な恐怖というのとは
違うんだ。

 そりゃあ僕たちだって叱られれば悲しいし、ぶたれれば痛いに決まっ
てるけど……だからといって『ママや先生たちは僕たちの敵で悪い人だ』
なんて思っていないもの。ママや先生たちと意見が違った時、僕たちの
主張は通らないことが多いけど、でも先生が僕たちのために常に動いて
くれているという事実だけは信じられる。それで十分なんだ。
 もし、それが信じられなくなったら、畏れは恐怖に変わり、お仕置き
は虐待と呼ばれるようになるはずだよ。
 いやあ~~柄にもなく哲学しちゃったあ~~(^◇^)
 あれは僕が中学の頃だったけど、ブルマー事件というのがあってね。
女の子たちが「オムツみたいな提灯ブルマーはもう二度と穿きたくない」
って言い出したんだ。そこで学校指定のブルマーをみんなで拒否。うち
に出入りしていたデパートの外商さんに頼んでみんなでショートパンツ
を取り寄せさせるとお揃いの姿で体育の授業に出たんだ。
 僕は男の子だから彼女たちの執念が今一ピンとこなかったけど、とに
かく学校は蜂の巣を突いたみたいに大騒ぎになった。
 これが巷の学校なら、校長先生かなんかが間にはいって「君たちの考
えもわかる、もう一度みんなで考えてみようじゃないか」なんて言うと
ころだろうけど……うちは違うんだ。
 どうなったと思う?(^○^)
 そりゃあ、当然、厳しいお仕置きだろうね。今までの君の話を聞いて
いたらそのくらいはわかるよ(-.-;)y-゜゜

 たしかにその通りなんだ。色んなお仕置きのあと、一人ずつ保健室に
設置されてた処置用のベッドの上に寝かされて大股開きをさせられたん
だけど、男の子が呼ばれてそこにちゃんとお灸がすえられているか確認
する仕事をまかされたんだ。
 ねえ、そこって?どこ?(^_^;)
 いやだねえ、巷の子は…こんなことぐらいで目を輝かせちゃって……
ソコはソコさ。みんなが大陰唇って呼んでるところ。そこに、ちゃんと
お父様からお灸をすえられてきたか、それを確認しなさいって、先生に
言われたんだ。
 ま、まさか、そんな嬉しいこと……う、嘘だろう(◎-◎;)
 俺、今からでも赤ちゃんになって亀山で暮らしたい(゜◇゜)ガーン

 オーバーだなあ(・o・)これってそれほど美味しい仕事じゃないよ。
 どうしてだよ?だって、それってクラスの女の子全員のそれを見られ
るってことだろう。(○_○)

 そりゃそうだけど、男の子たちはすでに性教育の時間に女の子の実物
を見たことがあるし、この後の人間関係を考えるとそこは複雑なんだよ。
 (贅沢な悩みだなあ)(@_@;)
 僕が言いたいのは、その後さ。
 どうしたの?(*_*)
 うん、……女の子たちへのお仕置きが終わると体育の先生が学校指定
の体操着をショートパンツに変えてくれたんだ。あんなに厳しい体罰で
臨んだ先生がだよ。君たちがそんなにイヤなのなら仕方がないってね。
 ひょっとしたら全員亀山から追放されるんじゃないかと心配していた
僕はその瞬間開いた口が塞がらなかった。だったらお仕置きなんてしな
いで、素直に認めてやればいいのにと思ったよ。
 でも、僕たちの学校っていつもこんな感じなんだ。お仕置きが終わる
と、必ず飴玉が用意されてて手なずけられちゃう。コップの中の嵐って
いうのかなあ。厳しいお仕置きと甘々の愛撫がいつもワンセットになっ
て予定調和してるんだ。
 だから端から見てると恐ろしく厳しいお仕置きも馬鹿みたいな赤ちゃ
んよちよちの愛撫もやられてる当人たちはそんなに違和感なく受け入れ
てるところがあるんだよ。
 それが大人たちへの信頼にも繋がってるわけだ。(@_@;)
 そういうこと。(・o・)
 良きにつけ悪しきにつけ僕たちは強い圧力で大人たちから育てられた
からね、ママや先生、司祭様、ひいては大多数の目上の人に対して強い
コンプレックスを持っているんだ。
 でも、それが悪い方向に向かわなかったのはここにいる大人たちの誰
もが子供好きで僕たちを愛してくれていたからだと思う。
 僕たちは亀山に最初に登る時、もちろんおばば様に抱かれて登るんだ
けど、何も身につけていないんだ。まったくの体一つでおばば様にうだ
かれて登ってくるんだ。だから追放される時も素っ裸で裏門から放り出
される。
 女の子たちちも実際に裸で裏門に連れてこられてはじめて目が覚めた
みたいなんだ。事の重大さに…
 ブルマーって、そんなに大変なことなの?(¨;)
 うちのお父様たちは昔の人たちだから女の子はブルマー姿で体操して
欲しいのよ。それを何のことわりもなく変更しちゃったから……
 女の子たちは追放されたの?(¨;)
 まさか。あくまでお仕置きだよ。(^◇^;)
 一週間くらい他人のご飯を食べてきてまた舞い戻るんだ。合宿場所は
公立の孤児施設とか成功したOG・OBの処、そこでたっぷり絞られる
ってわけ。(^_^;)
 ま、それでもそこが良いって言えば本当に追放になるかもしれないけ
ど、僕たちの時代にはそんな子はいなかった。大昔は中途採用していた
からそんな気骨のある子も(?)いたらしいけど、今は物心つく前から
亀山だろう、こっちが楽しいにきまってるもん。だから……
 「どんなお仕置きでも我慢しますからここに置いてください」
 って泣いて謝ることになっちゃう。(^_^;)だらしがないんだ。(^^ゞ
 この話には後日談があって、お仕置きのあと体育の先生のはからいで
体操服はショートパンツが許されたのに、みんなブルマー姿に戻っちゃ
ったんだ。
 あの騒動はいったい何だったんだ?ってなもんだった。
 女の子たちに話を聞いたら、合宿に行ったアパレルメーカーの社長の
別荘で、「あなた達が着ている服は下着に至るまでお父様の愛でできてる
の。ブルマーだってそれはお父様の愛の形。あなた達が勝手に脱ぎ捨て
たらそれは愛を脱ぎ捨てたのと同じなのよ。ましてやお父様の知らない
間に勝手に別の物を買って着たら泥棒と同じ。あなたたちの持ち物は、
今、鏡に映っているその体だけ。他は何一つないの。もっと自分たちの
立場というものをわきまえなさい。でないと今あるお父様からの愛まで
失うことになるわよ」って諭されたみたいなんだ。
 お父様ってのは君たちのパトロンだからね(^_^;)
 たしかにそういう面はあるんだけど、お父様たちはそういう言われ方
をするのをとっても嫌ってるんだ。
 ブルマーのこともほとんどのお父様が「仕方ないか」とはおっしゃっ
てたんだけど、ママや先生達が気遣って女の子たちには厳しいお仕置き
ってことになったみたいなんだよね。
 ちなみにその女の子たちはどんなお仕置きを受けたの?(^_^;
 特別なものは何もなかったんじゃないかなあ。中学2年生生の時だっ
たからお仕置きは公開されないし僕も詳しいことはしらないんだけど…
たしか、一週間オムツ登校だったのは覚えてるよ。それと…昼休みには
一ダースの鞭打ちがあって…ちょっとでも学校で粗相や悪さが発覚する
と風呂場浣腸かお灸をすえられたって言ってたよ。(-.-;)y-゜゜
 風呂場浣腸?(?_?)エ?
 そう、お風呂場でお浣腸されるんだ。冬場、外での見せしめ刑ができ
ない時にお風呂場でやるんだよ。
 体をよ~く温めておいてから、大浴場の隅にある石のベッドでお浣腸
されるんだ。トイレはすぐそばに木の扉があってそこを開ければすぐに
便器はあるんだけど、肝心のその木の扉をお仕置きする大人たちがなか
なか開けてくれないもんだから……
 「ごめんなさい、もうしません。良い子になります。いやあ、だめえ、
もう漏れちゃう。開けてえ~これからどんなお仕置きでも受けますから」
 って泣きべそかくことになるだ。




<第11話>

 残酷だね、それをお友だちに見られてるわけだろう(・O・;
 そうだよ。だから楽しいんじゃないか。(*^^)v
 もちろん自分がやられてる時は洒落にならないけど、お友だちがやら
れてるのを見るのは最高のショーだもん。みんなげらげら笑いながら見
てたよ。
 最初、そうした時は悲しい顔して見てなきゃいけないって言わなかっ
たけ…(・0・)

 ああ、それは教室での話だろう。お風呂場は無礼講だからOKなんだ。
 いくらお風呂場でも、もし粗相したらばっちくないかい?(O_O)
 大丈夫だよ。ドアのすぐ前は他とは分離した流し場になってるから…
ちなみに、終わったあともそこでモーさんしてお尻を洗ってもらうんだ。
 モーさん?(*_*)
 四つんばいになることをここではそう呼ぶんだ。
 ただ、この時は女の子たち全員14歳だったからな。モーさんは見れ
なかったんだ。(^_^)b
 あと、お灸もすえられたみたいだけど、ここではそんなに頻繁にお灸
のお仕置きってあるの?(・O・;

 頻繁かどうかは分からないけど、どんな子でも一学期に一回は何らか
の理由をつけてやらされるんだ。子供がまったく粗相なしに一学期を過
ごすなんてあり得ないからね。
 これだけはさすがに命じられるとその瞬間から茫然自失になっちゃう
ね。一回でもすえられた人はわかるだろうけど、その熱さたるや半端じ
ゃないもの。
 お灸のお仕置きはたいていおばば様の立会で行われるんだ。
おばば様?(*_*)そうそう前に聞いた。ここに捨て子する母親と赤ん坊の
仲介をする人だろう。(・O・;

 ピンポン!正解です。∈^0^∋
 おばば様はその時その母親に二十個のお灸をすえるんだけど、それと
同じ場所に子供もお灸をすえられて、18歳になった時会いに来た人が
本当の母親かどうかをその火傷の痕で確認することになるんだ。
 母親はその日のうちに二十個全部やってしまうけど、子供の方は時間
があるからね、悪さをした時を見計らって、少しずつすえていくんだ。
 じゃあ、18歳までにお灸をすえられるような悪さをしなかったら?
(・0・)

 だから、さっきいったろう。そんな子はいないって…(^_^)b大人たち
がいくら『私たちの天使ちゃん』なんておだてても、生身の人間(子供)
だもん、お仕置きのネタには事欠かないよ。
 それにここでのお仕置きは一種のゲームみたいなもので、よその人が
考え感じたりするほどには当人達は深刻に感じてないんだ。σ(^^)
 ただ、そうは言ってもお灸だけはやっぱり別格、洒落にならないほど
熱いからね、そう宣言された瞬間、みんな顔が真っ青になるんだ。(∩.∩)
 ねえ、さっき女の子たちは一時楽園を追放されて合宿してたって言っ
たよね。ヾ(℃゜)々

 そうなんだ、ここに色んな服を下ろしてるアパレルメーカーの女社長
がいてね、彼女が一週間女の子たちの面倒をみたらしい。
 その時はどんなお仕置きされたの?(・o・)
 ぼくも当事者じゃないのでよく知らないけど、聞いた話では、一日の
大半は写経や刺繍やレース編みなんかやらされてたみたいだね。
 なんだ、ぶったり叩いたりじゃないんだ(・o・)
 がっかりしたかい(^-^)
 ただ、一度レース編みしながら騒いでたらお馬に乗せられてお尻をぶ
たれたんだけど、これがとてつもなく痛くて、同じ鞭でもこんなに違う
のかって実感したって言ってたよ。
 この社長さん、今は引退してうちの養老院にいるよ。お金もちなんだ
からもっと設備の良い処に行けばいいのにって言ったら、「ここがふる里
なんだからそれは関係ない」って笑ってたよ。
 養老院って?亀山には養老院まであるの?(¨;)
 あるよ。僕のママも今じゃ養老院暮らしさ。子供たちがみんな「うち
においでよ」って誘ったんだけど、彼女の答えも同じ。
 「ここが私のふる里なんだからここでいいの。だいいち子供の悲鳴が
聞こえない場所じゃ寂しいもの(∩.∩)」
 なんだってさ。(^_^;)
 ちなみにそこのお婆さんたち、日和がよければいつも校庭のベンチに
雨が降れば教室を見下ろす中二階席に腰を下ろしていて子供たちが遊ぶ
姿や勉強している姿を観察しているよ。
 そこで子供たちの悪さを見つけると現役の先生を差し置いてさっそく
お仕置き。晒し台に括り付けると、下級生が通るたびに…
 「さあ、お嬢ちゃん、この鞭でお姉ちゃまをお尻をピチッとやって、
励ましてみましょうか」
 なんて誘うもんだから困ったものさ。とにかくお仕置き係だけは最後
まで現役なんだよ。(^◇^)
 だいたいわかったかい?亀山ってこんな処なんだ。(^_^)b
 もちろん、僕みたいにうだつの上がらないのもいるけど、出世した人
も沢山いて、その人達がみんな色んなことで亀山に奉仕してくれるんだ。
 さっきのアパレルメーカーの社長さんもそうだけど、建築屋さん本屋
さん、食品メーカーにお医者さん、みんながみんな成功した人は亀山の
ために恩返ししてくれるんだ。ここに居並ぶ建物だって、某ゼネコンの
社長さんが自費で建ててくれたんだから。
 それって、ここでやられたお仕置きが虐待だったと思っていたらやっ
てくれないことだと思うんだ。
 そんなわけで亀山は今や一大勢力。おかげで……
 「昔はやむにやまれず子供を預けに来たのに、最近は自分で育てられ
るくせに出世をもくろんで預けに来るんだから困ったもんだ」
 っておばば様が嘆いてたよ。(^ニ^)
 凄いところだね。ただただ驚きの連続だったよ。∈^0^∋
 また、何か思い出したら書くよ。じゃあそれまでヾ(^_^)BYE、BYE



天野茂氏
高橋先生(ママ)
健児(本人)
茜(5歳の妹)
章くん(僕のママ違いの兄弟)
谷村先生(担任の先生)
青山先生(助教師)
美津子ちゃん(お転婆な少女)

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9月27日付

<9月27日>

可愛い絵ですね。女の子もこの位
の歳だと何をやってもエロチィク
な感じがしません。
「えっ、そんなことはない?」
これは失礼。(^^ゞ今日では色んな
嗜好を持つ方がいらっしゃいます
からね。あくまで一般論です。
でもこの一般論、私の子どもの頃
にはこれがもっともっと徹底して
いまして、親は人前でも平気で我
が子を裸にできるんです。
別にお仕置きだから云々ではあり
ませんよ。プールや運動会などで、
たまたま着替えが必要となった時
なども、当時の親は今の親のように『子供が恥ずかしがるから』などと
いう理由ではしっかりした更衣施設を探してくれませんでしたし学校側
も半ばそんなもの必要ないと思っていた節があります。そこで……
「面倒だからここで着替えちゃいなさい」親はこの一言だけです。
そして私の親も、周囲もだいたいそんなものでしたが、いきなり人前で
服を脱がし始めるんです。
そこで、思わず「嫌だ、恥ずかしいよ」
なんて言ってしまうと……
「恥ずかしい?……何、生意気なこと
言ってるの!だいたいあんたのこんな
もの、いったい誰が見るの!ぐずぐず
言ってると後でひどいよ」
と、脅されてチョン(議論打切り)です。
私たちの時代、親が子どもの羞恥心に
配慮してくれるのは早くても小学校の
中学年くらいになってから。低学年の
子はまだまだお人形扱い。どこで着替
えさせようと親の勝手でした。(*^_^*)

*)
<左上>
http://thehandprints.com/variouss0375.jpg
<右下>
http://thehandprints.com/various565.jpg

9月28日付

<9月28日>

これ、とある写真家さんの一枚です。
ということは芸術写真ということに
なりますでしょうか。
ただ私どもの視点からみると、コレ
って『お仕置きを待つ子どもたち』
って題がついちゃうんです。
今、一人の少女が自らの責務を終え
暗い廊下を抜けてクラスメイトの待
つ控えの間へと戻ってきた。肩を寄
せ合い、うつろな目で出迎える二人
を尻目に、少女は猛烈に痛いお尻の
のことなどどこ吹く風とばかり、真
っ赤に腫らした瞳を細めて怯える二
人に微笑みかけるのである。
私たちの心に映る風景はこんな感じ
でしょうかね。_〆(・・ )♪
私たちにかかれば何でもそっち方
面に見えてしまうんですよ。(^_^;)
ただ、よく誤解されるんであえて
言っておきますが、私達は生身の
少女をどうのこうのしようとした
ことは一度もありません。自分の
子供だって世間的な常識の範囲内
で育てています。ですから……
「ねえ、モデルになってくれない」
なんて誘ったこともありません。
趣味は趣味、仕事は仕事、現実と
妄想を混同したら、それはもはや
別物でしょう。チャンバラ活劇や
戦争物の作家さんが殺人鬼でない
のと同じ理屈ですよ。
右の絵は四条さんには珍しい洋物。力作だけど構図が少し硬いかな……

*)
<左上>
暗い廊下の先に明るい部屋があって少女が二人並んで腰を下ろして
いる。うつむき加減で、どこか憂鬱な表情だ。そして、暗い廊下を
抜けて今まさにその明るい部屋へ入ろうとしている少女がもう一人、
後姿で映っている。
そんな写真なのだが、私にはこれがお仕置きを待っている少女達に
見えてしかたがないのだ。
病膏肓に入るといった感じかなあ。(^^ゞ
<右下>
この絵は風俗資料館を開いた初代館長さんのお気に入りだったらしく
私がここを利用していた頃は額に入れて恭(うやうや)しく高い場所に
掲げられていました。

9月29日付

<9月29日>
 左写真は、新聞の折込広告の写真
ですが、この子に惹かれて切り抜い
てしまいました。
極めて安上がりな資料収集ですが、
もちろん、お気に入りの少女です。
(⌒~⌒;A
『ビーバーちゃん』ってね、勝手に
名前までつけてしまいました。
このビーバーちゃん、実はアメリカ
のテレビドラマの題名で、ビーバー
は主人公(男の子)のあだ名なんで
す。……ですが、硬いことは抜き。
メスのビーバーだっているでしょう
から……この子いわゆる美少女では
ないかもしれませんが、素朴な愛ら
しさが清潔感となって私の心を揺さぶりました。ちょっぴり歯が出てい
るところもチャームポイントです。
ところで、この元ネタのビーバーちゃ
ん。劇中に直接スパンキングシーンは
ないのですが、子供たちの会話の中に
親から折檻されたことが台詞として語
られています。
例えば、兄が父親の部屋から出てきた
ビーバーを捕まえて「お前、よくぶた
れなかったなあ」と尋ねるので「どう
して?」と尋ねると「だって部屋から
悲鳴が聞こえなかったもん」とか……
友達が家に遊びに来た時、その友達が、
「うちの父ちゃんひどいんだぜ。パンツまで脱がしてお尻叩くんだ」と
か……当時小学校低学年、それは何気に覚えていた事と思っていま
したが、筋立てそのものはとうに忘れているわけですから、その頃
から、心の奥底にはそんな興味があったんでしょうね。(≡^∇^≡)

*)
<左上>
撮影当時は小学校の五六年生といったところだったんじゃないでしょう
か。可愛くて愛くるしい感じの子ですけど、美人というわけではありま
せん。ただ、エプロンドレスがどこか私立小学校の制服のようにも見
えて、この写真を見るたびに清楚で知的なイメージで見ていました。
この子も、その後常識的な社会生活を送ったとすれば、すでに結婚
して子供のいる歳です。
<右下>
これは有島武郎さんの「一房のぶどう」という小説の挿絵です。
男の子が座って泣いているところへ女性の先生が一房のぶどうを
差し出している、そんな絵です。
淡い感じの水彩画ですが、絵に品があって物語りをよくあらわして
いる優れた挿絵だと思います。
ちなみに、私自身は決して上品な人間ではありませんけど、色事は
上品なものが好みです。

9月30日付

<9月30日>

僕は幼い頃ピアノを習っていた。習
ってはいたがいっこうに上達はしな
かった。ピアノというのは、先生の
元でレッスンを受ける時間があれば
よいのではない。家でも毎日1~2
時間は練習しなければついていけな
いのだ。
他に五つも六つも習い事を抱えてい
る僕にはその練習時間がとれない。
…ん?( ・◇・)?…いや、テレビ
を見る時間を削ればそれは可能だっ
たがそんな気はさらさらなかった。
σ(⌒▽⌒;)やたら多い習い事だが望んで始めたものは一つとしてなく、
すべては母の押し付け。ピアノもご同様で少年は教室の劣等生だった
のである。そういえば教室に尋ねてきたお友人に
先生が、「大丈夫よ、そんなに大変でもないわ。
要はお月謝分、頭を撫でておけばいいだけなん
だから」という声を耳にした事がある。私など
はまさにその口だったのだろう。
ところで、世の中はそんな劣等生ばかりではな
い。才能豊かな子、努力する子も沢山いるのだ。
そんな子には先生もレッスンが厳しい。次第に
呼吸が荒くなり、語勢も強く、時には罵声だっ
て飛ぶ。僕はそんな子供たちを「可哀想に」と
思いながら控え室で『リボン』や『少フレ』を
読んでいた。(ピアノ教室は女の子主体だから、
少女マンガしか置いてないのだ(;^_^A)
ところが、発表会が迫ったある日、事件は起こる。ある子が「昨夜林檎
を剥いてて指を切ったから今回の発表会には参加できません」と満面
の笑みで申し出たのである。すると、一拍おいて…その笑顔に平手打
ちが一発!…先生のお仕置き。これが私たちの言うお仕置きなのだ。
無論、お月謝分頭を撫でてもらっている少年には関係ない話ではある
のだが。

*)
<左上>
ピアノを弾いている女性のイラスト
<右下>
西洋の女の子(7、8歳ぐらいでしょうか)たちがバレイの練習用の
タイツ姿でおしゃべりを楽しんでいるといった写真です。

Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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