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12月10日

<12月10日>

 実は昨日のお話と同じ様な体験がもう一つあります。

 左の写真のお二人さんには何の関係もないんです
けどね、むかし、パブロンという風邪薬のCMで、
子どもがくしゃみをしたのを見た母親が……
「帰ったらパブロンね」
という台詞がありました。

 笑顔で楽しそうな二人の、その何気ない会話が
テレビから流れた瞬間、私は遥むかしに聞いた
同じような会話を思い出しました。

 それは……
 「帰ったらお仕置きね」
 というもの。

 言い方、受け方、その雰囲気がそっくりそのまま
なんで驚きました。実はその瞬間は何かの聞き
違いだろうと思っていました。
 だって、親がお仕置きすると言ってるのに子供が
笑って「はい」なんて答える筈ありませんからね。
さして気にもせず聞き流していました。

 ところが、ところが、それって聞き違いではなかった
んです。

 その日お泊りした夜のこと、私はこの子の悲鳴や
謝る声を聞きます。

 「お仕置きをお願いします」

 少女の声は衝撃的でした。もちろん、目の前で見た
わけではありませんし声といっても風に乗ってかすか
に流れてくる程度。恐らく昼間なら周囲の喧騒にかき
消されて聞こえない程度の声です。
 でも今度は耳をそばだてて声が流れてくる離れの方
を見ていましたから間違いありません。

 「あれって、本当だったんだ」

 驚いた私は家に帰るなり母にそのことを話してみま
した。すると、母はさして驚きもせず、代わりに「女の
子のそんな事をよそ様の処へ行っておしゃべりしちゃ
いけませんよ」ときつく言います。

 私がそれに不満そうにしていると、さらに顔が険しく
なって……

 終いには、「そんなに言うことがきけないならお灸を
すえます」と言い出すのです。手を引っ張られた私は
慌てて謝りますが取り合ってくれず……結局、本意
ではありませんでしたが、母に求められるまま……

 「お仕置きをお願いします」
 …と、ポツリ。

 …すると、母は笑って…
 「何言ってるの。あなただってちゃんとご挨拶できる
じゃない」

*)左上の一枚だけです。
<左上>
 パブロン(風邪薬)のコマーシャル写真です。
 母親役の人が娘を背中越しに抱きしめている。
 微笑ましい光景です。

12月9日

<12月9日>

 私の家は母が働いて支えていましたから、勉強以外、
躾に関することまで手が回らなかったとみえて、母は
私の日常には寛容でした。

 Hな本が見つかっても「あらあら」と言うだけでしたし、
何かやってて夜更かししていても「早く寝なさい」とは
言いませんでした。

 何をやっていていつ寝ようと与えた課題さえ怠りなく
やってくれれば構わない。そんな感じでした。

 ですから、従兄弟の家に初めてお泊りした時のこと、
そこの娘が…

 「お父様、お母様、おやすみなさい」
 と言った時には、 もう、それだけで腰を抜かすほど
のびっくりでした。

 当時の僕が寝る時は『母親のお膝にだらしなくしな
だれかかる』それだけ、
まさにそれだけだったんですから。

 いえ、それだけじゃありません。

 「学校で書かされた日課表があるだろう、あの通り
に暮らしてる奇特な子がいるんだよ(◎-◎;)」
 って友達に話したら……

 「君は、違うのかい?」
 って逆に驚かしてしまいました。

 というのも、僕の家ではどんなにだらしなく暮らして
いても母親が『まじめに日課表どおり生活してますよ』
って学校に嘘の報告をしてましたからね、
 世間の子だってもみんなそんなものだと高を括って
いたんです。

(^^ゞだから、他の家の子が勉強以外のことで叱られる
ことがあるなんて、最初は信じられなくて……
そこで、その事を母親に話したら……

 「あなたは特別。怠け者で、ちょっとだらしないところ
もあるけど、とにかく良い子だもの。こんなに手がかか
らない子は珍しいのよ」

ってね。親はやっぱり子供の乗せ方がうまいです。(^◇^;)

*)ここは左上に一枚だけです。
<左上>
 私のお気に入りの少女の写真です。
 白い寝巻き姿、といっても庶民の着るようなものではありません。
 豪華なドレスようなガウンです。
 本を抱えてこれからお父様のところへおやすみのご挨拶でしょうか。
 清楚な中にも目の奥に芯の強さがうかがえて……よろしいです。

****************************
髪を編む少女(アンカー)
髪を編む少女(アンカー)
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12月8日

<12月8日>

 今は世間の雰囲気が子供の体罰に否定的ですから
成績が悪いからなんて理由で、お尻を叩かれたりは
しないでしょうけど、我々爺さん世代では子供が折檻
される理由として一番多かったのがこれでした。

 当時はスパルタ教育なんて言う暗記中心の長時間
学習が流行っていていまして、『出来ないのはやる
気がないからだ』なんて言いがかりを付けられては
お仕置きされるケースが多かったんです。…>_<…

 いえ、それだけじゃありません。おねしょだって、
『そんなのは夜中に起きようという努力をしないから
だ。甘ったれた気持をこれで叩き直してやる』なんて
言われてお灸をすえられるんです。

 なかには『こいつはう~んと恥ずかしい目にあわな
きゃ目が覚めん』という事で、おねしょ布団を背負わ
されて町内を一周させられた子もいました。
 
 この時代は親の経験や近所の噂話の方が科学的
根拠より重要だったんです。ですから、『お灸をすえ
たらオネショが治った』なんて噂が井戸端会議から
広がるとたちまち数人の子供が犠牲になることに
なります。

 おまけに艾に触れたこともない母親がろくにツボ
の知識もないままやり始めますからね、危険この
上ないの代物でした。

 よって、よってすえられる場所も様々。
 背中が多いですけど、手や足の指の股や頭の
てっぺん、内股やお臍の下にある蟻の門渡りと
呼ばれる場所、もちろん、お尻のお山にすえられ
る子も決して例外でありませんでした。これらは
大人になってから灸痕が見えにくい場所にという
親心だったのでしょう。

*)
<左上>
(悪いテストでお仕置き)
<右下>
(少女のOTKとベッドイン)

12月7日

<12月7日>

 この絵は以前ご紹介したことがなかったでしょうかね?
この講もいつの間にか長くなってしまい、いったい何時
どれを出したんだか自分でも整理がつかなくなってます。
ごめんなさい。(^^ゞ

 この絵はMIYUKIさんという方の作品です。
 いかにも、『女の子が描いたんだなあ』って感じられる
優しさがあります。

 私たちがサークルを立ち上げた頃は、まだまだ女性の
会員さんが描く小説は優しくて、お仕置き小説と銘打って
あっても、日常の心象風景にちょっとだけ色がついている
という程度。男たちが好むようなSMまがいの過激なもの
を書く人はいませんでした。

 ですから私はそれが彼女達の本心だと勝手に解釈して
しまったのです。

 ところが、ところが……親しくなった彼女からもらった小説
原稿は、男どもでも目の玉が飛び出るくらい過激なもので、
私はついに最後まで読むことができませんでした。

 恐らくそれは、世間には発表するつもりのない、自分の
内心を写す日記のような作品だったのでしょう。

 でも、それは私に見せるというのは……
 『私を自由にして…』
 という彼女なりのメッセージだったんだと思います。

 『有無も言わさず抱きかかえられ、1mmも動かないように
拘束されて、頭の中が真っ白になって何も考えられなくなる
までひたすらお尻をぶたれる』

 そんな自分を想像していたのかもしれません。ところが、
現実は彼女の思うようにはいきませんでした。

 なぜって、相手の男もまた彼女と同じようなことを願って
いたものですから…

(*)MIUKIさんのイラスト
<左上>
ソファーの上で
<右下>
OTK

12月6日

<12月6日>

 いきなり、ダイレクトな写真でお食事中の方(そんな人
いるかなあ?)失礼しました。

 この写真の主、当然ながら薹のたったオバサンです
が、こうして見ると無理無理ちょっぴり少女と見えなくも
ありません。そこが気に入ってとっておいたんです。
(*^_^*)

 悪趣味?……ですか?(^^ゞ
 それは仕方ありませんよ。ぼくは人間の男性なんで
すから……
 女性でも、妖精でも、もちろん天使でもありません。
(^◇^;)

 煩悩の赴くままに暮らす大凡人です。大凡人だから
こそ、こんなものでも楽しいって感じられる。それもまた
いいじゃないですか。

 ただ、これもまた最初に見た時は感じ方が今とは随分
違っていました。

 とにかく女といえば母親ぐらいしかいない家で育ちま
したからね、女性器というものを、まじかに見る機会が
なかったんです。
 もちろん、母親とはかなり大きくなるまで一緒にお風呂
に入っていましたが、そこで見ることができるのは陰毛と
割れ目まで。ご本尊を拝んだことは一度もありませんで
した。

 ですから最初に生のこれを見た時は、しばらくその
映像が脳裏を離れなくてご飯ものどを通らないくらいの
ショックだったんです。

 あまりの心地よさに?
 ははははは(*゚▽゚)ノこれまたご冗談を……

 そのまったく逆。寒気がして気持悪くてです。…>_<…

  ところが、やってるうちに段々許せるようになって
くるから不思議です。

 それでも、こんな写真を手許に置こうなんて考える
ようになるには、それから10年近くかかりましたね。

 ぼくって恐ろしく晩熟(おくて)なんですよ。(^^ゞ

 ただ、それでも少女のものだけは未だにありま
せん。
 もちろん、ネットで見た事はありますが、それを
手許に置こうと思ったことはありませんでした。
 あれはやっぱりパンツの方がいいようです。


*)アメリカのネットに行けばこんなもの山のようにあるでしょうが、
 この写真はさすがに伏せておくべきでしょう。
<左上>
 女の子(といっても実年齢はかなり高そうですが)が
オムツ替えのポーズをして鞭打ちを受けています。
<右下>
うつ伏せでお尻にケインの鞭打ちを受けている少女の写真。
大事なところが丸見えなんです。

**********************
泉(アングル)
泉(アングル)
**********************



12月5日

<12月5日>

 よろしいですな、パンチラ。男の子、永遠の憧れです。

 今でこそ女性器などというなまめかしいものに胸が
ときめくようになってしまいましたが、幼い頃にはあの
純白でふっくらとした…あの綿の実のようなパンツこそ
がときめきの対象だったのです。

 たとえ何かの拍子に女の子の割れ目が見えたとして
もそれにはあまりときめきをおぼえませんでした。
女の子というのはあくまで『スカートを風に膨らませ
ながら白いパンツが時折見える生き物』だったのです。

 要するに短いスカートと白いパンツは女の子の象徴
であり身体の一部であってどちらが欠けても興ざめ
だったのです。

 彼女たちは当然、私たち男の子とは住む世界を異に
します。その妖精のような生き物が身に着けている
スカートを捲って白い綿の実を見学するのは男の子たち
にとっては一種の宝探しでありインディージョーンズ
と同じくらいの冒険ですから、たとえ親や先生に叱られ
たってやめられないわけです。

 女の子の姉妹(きょうだい)、特に姉がいる家に育った
子は私たちとは感覚が少し違うようでしたが、女といえ
ば母ぐらいしか知らない私には女の子というのは神秘
の生物だったのです。

 えっ、母親は女ではないのか?

 ははははは(*゚▽゚)ノご冗談を……
 な、わけないじゃないですか。

 母親というのはね、幼い子にとっては神様と同じ。
いえ、天罰は必ず落ちるかどうかわかりませんが、
こちらの方は、まごまごしてると必ず雷が落ちますから
ね、神様以上の存在というわけです。

 母親というのはどんな子にとっても
 『世界一怖くて、世界一優しい人』
 そんな人の性別なんて無意味なんですよ。(*^_^*)

*)
<左上>
少女の『パンチラ』イラストです。大昔のゲームの中の一コマ。
<右下>
ショーツと靴下だけしか身につけていない少女(10歳位でしょうか)
がベッドに仰向けになってこっちを気にしているみたいなんですが、
ショーツの端に手がすでに掛かっているのはこれからこれも脱ごうか
という決意の表れなんでしょうか。意味深なイラストではあります。


12月4日

<12月4日>

 平牙人先生の小説に加藤かほる先生が付けた挿絵です。
もうハイティーンになるような娘(こ)がオムツ姿を見られたら
死ぬほど恥ずかしいかもしれませんが、唯一の救いは、
見られているのがいずれも同性ということでしょうかね。

 これはやはり大きな違いだと思います。特に女の子に
とっては……

 男だってそこのところの事情は同じはずなんですが、
女の子ほどには傷つかない。

 というのも、男の場合は勉強や仕事といった自分の
体を離れた処での実績を社会が評価してくれますから、
容姿や体裁にそれほど神経を使わずにすみますが、
女性の場合はその評価の大半が自身の体そのもの
ですから、同じように恥をかいたとしてもその傷の度合い
が違ってくるわけです。

 お仕置きが盛んだった私たちの頃でも、親は娘が
思春期にさしかかると見せしめの体罰というのは
しなくなっていました。
 男の目があれば、たとえお仕置きをした方がいいと
思っても控えるのが常識だったのです。

 なら、女の子はハレンチな体罰を受けずに大人に
なれたかというと、そうは問屋がおろしません。

 要は男の目や世間体さえクリアできればいいわけ
ですから、場所を借りてちゃんと行われていたよう
です。

 例えば、女性しか住むんでいないお屋敷や口の
堅い聖職者を信頼して牧師館やお寺の庫裡の一室
を借りたり……今ではあり得ませんが、意外に多い
のが学校。
 これには先生も協力して…と言いますから、
お口あんぐりです。

(*)

<本来左上にあった絵> 
 加藤かほる先生の挿絵(1)
(下段右の写真)

<本来右下にあった絵>
 加藤かほる先生の挿絵(2)
(一番下の段右の写真)

12月3日

<12月3日>

 英国の挿絵画家で児童文学者である
Cicely Mary Barker(シシリー・メアリー・バーカー)さんの作品
です。
 勿論、お仕置きとは何の関係もありません。

 前にも述べたと思いますが、私にとってお仕置きを
想像するうえで必要なのは赤く腫上がったお尻では
ないのです。

 私にとって大事なことはその世界がどこまでも美しい
こと。風景も人の心も全てが心地よい世界でなければ
ならないのです。

 生来気の弱い私は『家なき子』ですら満足に最後まで
読む事ができませんでした。悲しいお話は自分では
読まず母の胸にしがみつくと母が読んでくれるお話を
聞いて宿題の読書感想文を書いていました。

 胸の中で泣き止まない私に呆れた母親が、悲劇の
結末を適当に改ざん、ハッピーエンドに作り変えて
話していたなんてことも……

 そんなわけで私はお仕置き小説を書きながらも
いわゆるSM小説とか、その手の雑誌を最近まで
見たことがありませんでした。

 もし、偶然にも開いたページにグロテスクな絵が
載っていたら私はしばらく小説が描けなくなって
しまうからです。

 私のお話の源泉は特殊な場所に置いてある
特別な小説からではなく、こんな無垢な子供たちと
穢れのない風景を見ながら恐ろしいお仕置きが
幾つも重なる怖い怖いお話を描いてきたのです。

 そうやって予定調和の中に必ず納まるコップの
中の嵐をあきもせず50年近くも書き続けてきた
わけです。

 馬鹿でしょう。自分でもそう思いますが、
やめられませんでした。(^^ゞ


(*)シシリー メアリー バーカーさんの花の妖精

<左上>
花の妖精(スイートピー)

<右下>
花の妖精(夕顔(?))

12月2日

<12月2日>

 私は修道院というのがどういう世界なのか知りませんから
あくまで外から想像するだけですけど、戒律の厳しい世界
でしょうから、当然そこに住まう人達はストレスが溜まること
でしょうね。

 そのはけ口の一つが他人の罪を見つけてはそれを是正
してやる事。

 大きなお世話なような気もしますが、子供の躾として頼ま
れたり、若妻の性の火照りを鎮めたり。あるいは変化のない
暮らしに刺激を求める中年のおばさん達が自ら罰を求めて
懺悔するなんてのもあったみたいで、けっこう需要もあった
みたいです。

 いえ、シスターたち自身もその惰性を恥じてお互いを鞭打
っていたと伝え聞きますから、中世のヨーロッパは、まさに
スパンキング天国だったのかもしれません。

 いずれにしても、平和な時代だったんでしょうね。
 もし混沌とした時代だったら、それこそ日常がSM状態な
わけですからそんなことをして楽しむ必要がないわけです。

 救われることを前提とした苦行。それが『お仕置』きという
ものなら、その伝統はその後の学校や家庭でも脈々と受け
継がれてきたような気がします。

 そして私たちこそはその最後の生き証人なのかもしれま
せん。

 だからあえて言い放ちますが、『お仕置き』というのは
純粋な教育行為でもなければ、懺悔告解でもなく、半分は
最初からレクレーションだったんです。

 こんなこと言うと、そこここから「ほら、みたことか」なんて
声が聞こえそうですが、逆に現代の苦行僧たちに問い
かけましょう。

 「そもそも、それがいけませんか?」

 被虐加虐は人の根源的な欲求であり、たとえ親子で
あっても存在する遊びなんです。それを他人行儀な理屈を
捏ね回して自分を追い込んで何が面白いんですか?
 長続きしませんよ。

*)絵は二枚とも平先生のHPから
平さんのHPへ
   <左上>
     上から四段目の左のイラスト。
   <右下>
     一番上にある卵型の縁取りの絵です。

12月1日

<12月1日>

 これはおなじみLeeさんの絵です。

こんな風に親に手を引っ張られたり、体ごと抱えられて
お仕置き場に向かう時の心境は何とも表現に困るほど
のショックでしたね。
それこそト殺場に向かう牛と同じでもうどうしようもあり
ませんから頭の中は真っ白でした。

 もともと子供というのは自分で稼いで食べていくことの
できない、いわば寄る辺なき身の上ですから、世の中で
親の他に頼る人はいないわけです。

 ですから、親に嫌われると家の中に身の置き所がなく
なってしまうわけで、それは、ぶたれて痛いとかいう
物理的な問題だけじゃないものがあるわけです。

そしてそれは、年長となり理(ことわり)がわかる歳に
ならなくても、ごく幼い子でも直感的に感じられる恐怖
でした。

 ですから、お仕置きが終わったからといって親に
ほおって置かれると子供はどんどんナーバスに
なっていき心の傷は広がっていきます。
 そうならないためにも『今でも愛しているよ』という
親のメッセージは大事で、たとえ大人に近い体に
なっていたとしても抱けるうちは抱いてあげれば
いいと私は思うんですよ。

 実際、私の家はそうでした。

 そして、もし…そんな抱擁を思春期の照れから
嫌がるようなら、また、お仕置きをしなおせばいい
んです。

 前にも説明したようにお仕置きで子供が得られる
感化は『親が怒っている』という事実だけ。ただ、
それを知識ではなく事実として心に刻むことが
大事なんです。

 ですから親子の儀式の最後は「ごめんなさい」と
「よしよし」なんです。たとえ18歳の娘でもそれは
同じなんですよ。

(*)
<左上>
Leeさんのイラスト(1)
<右下>
Leeさんのイラスト(2)

11月1日付

<11月1日>

男の子の半ズボン姿、よろしいです
なあ。男の子はこうでなくちゃいけま
せんよ。最近はバミューダパンツみた
いなのを着せるでしょう。私ら世代に
したら、『今どきの母親はどういう美的
感覚をしているのか!』って思わずに
はいられませんね。
 カモシカのように細い足にはそれを
強調する股上の短いショートパンツ。
当たり前の組み合わせじゃないか!と
思うんですがね。
 私は自分の容姿に自信がありません
でしたから、可愛い男の子に憧れを持
っていました。自分とは同性でありな
がら、年下の、ちょっぴり生意気で歯
ごたえのある可愛らしい子がいると、
何とかお近づきになれないものかと、
ない知恵を絞り色々画策したものです。
 もちろん、卑猥なことはしませんで
したが、べたべたと肌を寄せてき
たので、相手はきっと不快だった
でしょうね。当然逃げる子も沢山
いましたが、『どうしてもこの子は
…』という場合はその子の家まで
押しかけて母親にアタック。無理
やり年上のお友達を認めさせたの
でした。(もの凄い行動力でしょ)
 でも、男の子を抱くうちに欲望
があらぬ方向へ広がっていきます。
 それが『お仕置き』…この子、
お仕置きの時はどんな顔になるん
だろう。どんな声で泣くんだろう。そう思うと夜も寝られませんでした。

*)
<左上><右下>
共に十歳未満の男の子の写真。たしか、チラシ広告の切抜きです。

11月2日付

<11月2日>

 私の子ども時代、私の田舎には親
の言うことを聞かない子どもが行か
される家がありました。
 人よんで『おばばの家』
 町の外れ、山ぎわ田んぼの脇に小
さな家があって、おばあさんが独り
で住んでいましたからそう呼ばれて
いたのです。元は巫女さんだとも、
今は産婆さんだとも聞きましたが、
子供にとってはそんな事はどうでも
よいことで、問題はそこへ行くとお
灸をすえられるという現実でした。
 ですから、親に「この手紙を持っ
ておばばさんの家へ行きなさい」なんて言われようものなら、どの子も
例外なく震え上がったものです。今の人たちはお灸といっても千年灸
のたぐいしか知らないでしょうから、その恐怖感というのがピンとこ
ないかもしれませんが、当時は艾を厚い台紙などに置かず、肌へ直に
乗せて火をつけましたからその熱さ痛さは半端じゃありませんでした。
大抵の子が、一度すえられるとその後しばらくは……「そんな事してる
とまたお灸だよ」という一言だけで大人しくなったものだったのです。
 それが今回は自分ひとりで他人の家へ
行ってそんな恐ろしい罰を受けなければ
ならないわけですから、気の弱い子はな
んて卒倒寸前。大泣きして親の腰にしが
みつき恥じも外聞もなく許しを乞うなん
て事はざらにあったみたいです。
 ただ、そこへは私も行きましたが、実
際にすえられない事も多く、すえられて
もゴマ粒みたいに小さなものだけ。
 こうした事は脅かしだけで十分という
ことのようでした。そう、他のお仕置き
も半分以上が脅かしだけだったんです。

*)
<左上>
おそらく『ヘンゼルとグレーテル』に材をとったのでしょうが、
おばあさんと男の子と女の子、三体の人形の写真です。
<右下>
これ作者さんの名前を忘れてしまったのですが、とっても
Hな、そして可愛らしい、今でいう萌え萌えのイラストです。
ご自身どっかで茶道をたしなまれたことがあるらしく、その
経験を元に描かれた一連の作品が特に秀逸で他の人が
あまり描かない、思いつかないようなポーズが沢山あり
ました。
ここにあったのはチェーンで両手を拘束された素っ裸の
女の子が、野外で、つま先だってしゃがみ込み、湯飲みを
一回り大きくしたような器(茶道を知らないので名前は分か
りません)に、おしっこをしている。たしか、「野点」と題されて
いましたか、文字で描くとグロテスクに思えますが、実際の
絵はとてもチャーミングです。
この方が今でもHPを立ち上げていられればURLを掲示でき
るのですが、今は閉鎖されてしまったようです。

11月3日付

<11月3日>

 (゜Д゜≡゜Д゜)??ちょっと刺激
が強すぎましたでしょうか?
 すみませんです。m(__)m
 でも、お仕置き小説をエロ小説
と捉えれば夢はこんな風に広がっ
て不思議じゃないと思います。
 ちなみにこの絵は『過激なファ
ンタジア』という題で一時ネット
を賑わしておりましたが、突然、
消えてしまいました。
 事情は分かりませんが、ほっと
したような、残念だったような、
複雑な気分です。ただ、私が思っ
たのは……『なるほどね、おかず
になるって、こんな絵の事を言う
んだ』ってこと。こんなのを基準
にしたら私の小説なんてそれこそ沢庵の尻尾にもなりませんよ。
 「そもそもお仕置き小説ってエロ小説なの?」
 なんてよく尋ねられますけど、この絵を見る限りそのものずばリエロ
で間違いないでしょうね。ただ、私は、エロでないお仕置き小説だって
この世にはたくさん存在すると思うんです。
 別にそれが直接おかずにならなくても、
それを読むと昔を思い出してほっと癒され
るとか、好きな音楽を聞きながら読むとひ
とりでにエロチックな妄想が広がるとか、
即物的な刺激ではなく小説が誘引剤となる
ことで自分だけが感じることのできる最上
のオルガスムスに到達できる。そんな小説
を提供できたらと思うんです。
 小説は百人いれば百通りの人生経験で読
むもの。これで噴火しなさいと押し付ける
ものだけがいい作品ではありませんよ。

*)
<左上><右下>
これは共に私の心の中で許されるエログロの限界点にある
作品です。というわけで、絵の説明は止めておきます。
私だって「恥ずかしい」という言葉は知っていますから。

11月4日付

< 11月4日>

 私、すけべですからね、外国のサイトもよく見る
んですよ。だって、あちらはダイレクトに見せち
ゃっていいんでしょう。.。..。.:*・゚(゚∀゚)゚・*:.。. .。.:
スケベ心をそそられない男はいないと思いますよ。
昔なら考えられない事でまさにインターネット様々です。
\(^^\)三(/ ^^)/アリガトネ

 それに白人さんって色が白いじゃないですか。(当たり前だけど)
お尻ペンペンしても絵的にはれるんですよね。白地にピンク。誠に
結構です。*・゜゚・*:.。..。.:*・゚(゚∀゚)゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*

 都都逸に『痣のつくほど抓っておくれ、それをのろけの種にする』
ってのがありますが、日本人の場合はその先の方で『痣のつく
ほど抓ってみたが色が黒くて分からない』って感じですかね。
やっぱり外人さんはいいです。ヽ(^_^;))

 そうそう、それはそうと、白人のおネエさんのあそこって白いんです
ねえ。驚いちゃいました。日本人ならとうに色素沈着が始まってそう
な年恰好なのに黒くなってるはずのものが子供の時のままなんで
すよ。

 あれって、まさか脱色してるんじゃないですよね。もし、そうなら
凄いプロ根性だと思います(私、西洋の方とお付き合いしたことが
ないので、そこらあたりは知らないんです。知ってる方は教えて
ください。(^^ゞ)

 いずれにしても、若い子、萌え萌え大好き派の私としては
とってもとっても結構です。\(゚▽゚)/

 私も千昌夫さんみたいに白人のお嫁さんもらえばよかった
かなあ。……でも、『太平洋にごぼう』でしょうから、すぐに
性格の不一致で離婚ですね、こりゃあ。
 ネットだけにしておきます。

11月5日付

<11月5日>

 これはたしか、平牙人先生の小説(タイタニックの孤児?)に、
加藤かほる先生が付けた挿絵だったと記憶しています。

 加藤先生お得意の洋物で、Hは抜きにしてもとてもどれも
綺麗な仕上りです。

 お仕置き小説は当たり前のことですが、教育的なお話では
ありません。Hな気持を持って書かれ、読まれるお話です。
ただ、SMのようにどんな人が読んでも同じ様に感じるかと
いうと、そうはいきません。やっかいなことに、その琴線に
触れるには色んな条件がいるんです。

 条件の大きなものは二つ。まず最初に、その人は親から
愛されて育っていなければなりません。

愛されずに……というか……愛を感じずに育った人にとって
『お仕置き』は『虐待』と同義語だからです。私のサークル
にもそうした人たちがある時期から急に増えましたので、
私、身の上話を聞いてみたんです。すると、彼らの語る
お仕置き(虐待)は意外なほど大事ではないのです。

 要するに、女の子がよく言うやつです。
 『何をされたかが問題じゃないの!誰にされたかが問題
なの!』

 親に強い不信感を持つこれらの人たちは、恐らく親が
頭を撫でても怒るはずです。彼らは元々そのはけ口を
SMに求めていたのですが、『世はまさにロリコンブーム』
ということでこちらへ流れてきた人たちでした。

 それと、時代の変化が大きいです。今の人たちは
私たちが常識と思う程度のお仕置きも経験せず大人に
なっていますからね、私たちの作品を見ても残酷なSM
としか映らないんです。よって、今やお仕置き小説は
中高年の懐古趣味となってしまったというわけです。

*)加藤かほる先生のイラスト
タイタニックの孤児の挿絵

11月6日付

<11月6日>

 ロックウェルさんの絵(No.1)は、ちょいと意味が分かり
づらいかもしれませんが、初老の婦人が子供と一緒に
食事の祈りを捧げているのを若者達が不思議そうに
見ているという図です。

 アメリカだってそういつまでも緋文字の時代ではあり
ませんからね。いちいち場末のレストランでお祈りする
人は好奇な目で見られてしまうのかもしれません。

 でも、お仕置き小説にはそんなストイックな世界の方
が合理性を追求した現代社会より似合っているようで、
洋物を書く人たちがこぞって取上げるのも「修道院」
「伝統的な学校(寄宿舎)」「貴族の館」なんてのが
最もポピュラーな設定のようです。

 権威の名の下に娘を縛りつけ、規則の名の下に
鞭打つというのが定番です。そして、この娘がお仕
置きに際しても暴れたりせず従順に定めに従うという
のも我々の琴線触れる約束事なのです。
 今の人にすれば、『そんなお人形みたいな女が
いるわけないじゃないの』ってことになるんでしょうが、
私たちにすれば、それは親や教師や聖職者といった
大人を信頼している証であって、『よく仕付けられて
いる子だ』となるわけです。

 『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』
 というのはどこに身を捨てても浮かばれるわけでは
ありません。愛されていると信じる人に身を任せると
いうことであり、任せられた方には当然その子の為に
なるよう計らう義務が生じるのです。

*)私の好きなロックウェルさんの絵
ロックウェル(No.1)
ロックウェル(No.2)

11月7日付

<11月7日>

 平先生考案の拘束椅子。洒落てて私は好きです。
本気で暴れたら椅子が倒れて危ない気もしますが、
西洋人と違い日本人はおしとやかですからね、少々
の鞭の痛みにも耐えられるでしょうから、なかなか
面白い趣向だと思います。

 何より、食卓椅子をそのまま転用できるところが
グッドアイディアです。これなら、普段の食事する
際も、子供は常に背後に緊張感を持ちつつ、
お行儀よくしているのでは……

 『お子さんの食事中のお行儀が見る見る改善。
愛情いっぱい躾椅子』
 なんてコピーはどうでしょう。ひょっとしたら売れる
かもしれませんよ。

 冗談はさておき、実はお仕置き小説というのは、
ストーリーそのものは、どれを読んでもそれほど
変わりばえするものはないんです。

 特に子供が家庭や学校で叱られる話なんて…
『固有名詞以外どこが違うんだい』って突っ込まれ
そうなものばかりです。
 ですから、作者さんはこうした拘束台や晒し台を
独自に工夫したり、子供がどうしてもその権威には
逆らえないシュチエーションを創造したりするわけ
です。_〆(・・ )♪

 私も長い経験から拘束台や晒し台では自主開発(?)
したものが数多くありますが、これらはいずれにして
も、問答無用で子供を強制することになるわけで、
味わいに欠けます。やはり読んでいて心に深く沁み
るのは、権威に屈して耐えている子供の健気な姿
でしょう。

 この『逃げられるけど、逃げられない』という
ジレンマこそがお仕置き小説の醍醐味なんですよ。
そう悪趣味なんです。



(*)
平先生のイラスト

11月8日付

<11月8日>

 これは本邦初公開。親しい友達
にさえ話したことのない内容です
が、話そのものは、たわいのない
内容です。そこで、以後は二度と
語らないかもしれませんので軽く
聞き流してください。

 私はほとんど物心ついた時から
ずっと二重人格でした。

 母は私が二歳で絵本を読むようになったのを見て『自分の子は
天才だ』と勝手に思い込み、以後、ご近所にそれをふれ回ります。

 幼児教育の発達した今では「そんなの当たり前」ですが、当時は
二歳の子に文字を教える親は稀でしたから文字が読める子も稀
だったのです。

 おかげで、私は家の外へ出る時は天才のふりをしなければならなく
なります。ご近所だってそうです。親がそうやってはしゃいでいるのに
水をさしたら悪いだろうと思いますから、あえて否定もしませんよね。
それを両親は勘違いしたわけです。(^∇^;)

 この勘違い、結構長い間続きました
から、その間はほかの子より常に多く
の知識と大人びた言動が求められます。
平々凡々たる頭しかない私にとってそ
れは苦痛でしたが、その代わりという
のでしょうか、家の中での両親は私を
信じられないほど甘やかしたんです。

 もう小学校も中学年になろうという
のに生活は幼児のままというか赤ちゃん状態でした。もちろんオムツ
はしていませんが、着替えも歯磨きもママ任せ。食事は寄り添うママ
からスプーンで運んでもらいますし、哺乳瓶だってまだまだ現役なん
です。夜のベッドにはビタミン入りのミルクを始めジュースお茶お水
など、なんと6、7本の哺乳瓶が枕元に並んでいました。それをおね
だりしてママに飲ませてもらいます。いえ、年に数回でしたが、本物
だって(^^ゞ

 そんな怪しい子が家を一歩出たとたん顔つきが変わって学級委員
を務める天才児へ豹変するんですからこれはもう学校の怪談ですよ。

*)
<左上>
赤ちゃんのイラスト
<右下>
左上と同じ時期にネットから拾ってきたんですが、
今回見つかりませんでした。
お座りのできるようになった赤ちゃんがネコちゃんの
手を借りてご本を読んでいるイラスト。メルヘンチックで
といも可愛い作品です。

11月9日付

<11月9日>

 私の永遠の恋人です。(*^_^*)
 これを中学の美術の教科書に見つ
けたときは…
 『おい、こんなもの教科書に載せ
ちゃっていいのかよ』
 と思いました。
 きっとその頃からお股に毛のない
娘(こ)が好きだったんでしょうね。
(^◇^;)
 たしかに、その後も年上に憧れた
事は一度もありませんでした。私に
とって年上はお袋さんだけで十分だ
ったんです。こう言うと……
 『やっぱり、幼児にしか興味がな
い危ない男だったんだ』
 なんて思われそうで怖いのです
が、決してそんなことはありません。
私も中学から高校、大学、社会人と
ごくノーマルな形で恋愛はしてきた
んです。((^。^;)ノ
 ただ、それはそれとして並行する
形でやっぱり『お仕置き』はずっと心のテーマでした。これはお仕置き
小説なんか書いてる仲間の大半がそうなのですが、私たちは成人
女性に興味がないわけじゃないんです。ただ心の充足感はノーマル
な形の恋愛では決して埋まらないのも事実だったのです。ですから、
一定の行事(SEX、結婚、子育てなど)が終わり自分の精力にも限界
が見えてくると、それまで陰に隠れていた欲求が再び表へと出てくる
のです。(@_@;)
 昔からよく言うでしょう『ロリコンは童貞と老人の趣味』ってね。
 お仕置き小説もセックスレスで一般的に対象年齢が低いですから
ね、同じことが言えるでしょう。ただね、事情を知らない人から
 『…だから幼女が危ない』
 と言われるのは心外です。だって、私たちは想像の世界を越えて
誰一人現実の子供を傷つけてなんかいませんから_〆(・・ )♪

*)ここは左上に一枚だけです。
<左上>
泉(アングル)
(ドミニク・アングル画/泉)
ドミニク・アングル<泉>について

11月10日付

< 11月10日>

  これは『うる星やつら』でラン
ちゃんがお母さんからお仕置きさ
れているところだったと思います。
(自信はありませんが…(^^ゞ)

あのマンガは楽しかったです。
とても女性が描いたとは思えない
ほどすべてが突き抜けてました。

 それまでも女性が少年マンガを
描くことはあったんですが、そのほとんどが理屈っぽくて、男としては
読んでて疲れるんですよ。それがないのに驚きました。(正直、最初
は…「高橋留美子?」……「男性の変名じゃないの」と疑ったくらい
です)

そういえば、このマンガにはあたる君をはじめ至るところにお仕置き
シーン(スパシーンというわけではありませんが)が散りばめられて
いて、しかもそれが嫌味なく展開していくのに驚かされました。

 ギャグマンがというのはともすればアクが強くて女の子はひいて
しまうようなものが多いのですが、これはまさに明るく上品に(?)突き
抜けていましたから女の子も安心して読めたと思います。

 何より『お仕置き』という言葉がこんなにも乱舞するマンガは、私に
とってはこれが初めてでした。(あくまで個人的な感想です)

 ですから、これ以降に生まれた子どもたちはごく一般的にお仕置き
という言葉を耳にしながら育ったんじゃないかと思います。そうした
意味でもこのマンガはお仕置き小説にとって功績大ですよね。
 (*゚▽゚)ノありがとー

 実際、コミケなんか行ってもラムちゃんの二次ものは山のように
ありますから、そのあたりをみてもこのマンガがいかにロリ系の
人たちの心に浸透しているかがわかります。みんな
明るいお仕置きが好きなんじゃないかな
あ。(あくまで個人的感想です)(^◇^;)

 私?…勿論、ラムちゃん大好きですよ。

 でも、ひょっとしたら…良くも悪しく
も女の子らしいランちゃんや怒りん坊で
甘えん坊のテンちゃんの方が気になって
いるかもしれませんね。(⌒-⌒;)

*)
<左上>
アニメーション
静止画
<右下>
ネットからとったのは間違いないのですが
今回は見つかりませんでした。

11月11日付

<11月11日>

 これは太田慶文さんのイラスト。
少女もので名高い先生としては珍
しく男の子、それもとても素朴な
感じがして珍品の部類じゃないで
しょうか。

 私、もちろん少女も好きですが
飾らなくて媚びない感じの男の子
の美はまた格別です。

 こういう子の泣いてる顔と泣き
止んだ時のほっとした表情がすぐ
目に浮かんできて、職業病(?)かな
と思ったりもします。

 私の子供時代は可愛らしさとは
縁のない顔をして、いつも屁理屈
ばかりこねている困ったちゃんで
したからね、大人たちからはいつも顰蹙(ひんしゅく)をかっていま
した。

 そうそう、前にちょこっとだけ家の中での事を話しましたが、外での
私はそれとはまるで別の顔を持っていました。成績優秀で品行
方正。自分で言っちゃいけませんが(^◇^)、先生にとっては扱い
やすい子でした。

 おかげで一学期の学級委員を必ず
務めさせられ、テストの採点まで任
されていました。

 でも、統率力だとか協調性なんて
のは全然なくて、ギャングエイジの
頃も、群れで楽しんだという経験が
ほとんどありませんでした。ただ、
盛んに悪戯を仕掛けては親や先生達
からお仕置きされていた仲間たちを
「愚かなやつら」と見下す一方で、
ガキ大将に対する強烈な憧れを持っ
ていたのも事実でした。実はこれが
私のお仕置き小説の原点の一つなんです。

*)
<左上>
慶文さんの男の子
(おおた慶文・画/女の子の下にいる男の子)
<右下>
こちらはポスターに載っていた男の子。可愛いですよ。

11月12日付

<11月12日>

 越野眞砂さんのイラストです。
私はご本人を存じ上げないのです
が、このお方、男性でしょうか?
女性でしょうか?
 なかなか達者な絵をお描きにな
るので数点取り寄せてみました。
ただ、足先が異様に膨らんでいる
のはなぜなんでしょうか?そんな
つまらない処ばかり気になります。
 さて、お話は変わってしまうの
ですが、私たちのサークルは男中
心の組織でした。昔の事ですから
当たり前といえば当たり前なので
すが、でも中に女性が二人だけい
らっしゃって、やはり作品を提供
してくださいました。
 で、その初回、男どもとすれば相手
は女性ですしね、当然、理屈っぽくて、
恋愛中心で、お仕置きと言っても形ば
かりなんてのを想像してたんですよ。
ところがところが、届いたものを読ん
だらこれが恐ろしく過激でまるでSM
なのには驚かされました。そこで……
 「次回はもう少しお手柔らかに……」
 とお願いしてみたら……今度は……
 「そんなことしたらリアリティーが
なくなります。女の子はお仕置きの時、
むしろ問答無用で身体が1ミリも動か
ないようにされて自我が完全に吹っ飛
ぶような強烈な刺激を待ってるんです。
要するに『仕方がない』を待ってるん
です」と言われ、『なるほど』って納得してしまいました。(◎-◎;)(^◇^;)

*)
<左上><右下>
二枚の絵ともネット上にはありませんでした。
他の作品は若干ですがネットに出ています。
越野眞砂先生の作品に興味がおありの方は
下記までお問い合わせくださいませ。
私、風俗資料館の回し者ではありませんが、
私の経験から言えば、まじめに取り組む方に
とっては環境のよい図書館(あくまで純粋に
図書館)です。

風俗資料館 Tel:03-5261-9557/E-mail:pl-fs@kagoya.net
〒162-0824 東京都新宿区揚場町2-17川島第二ビル5F

11月13日付

<11月13日>

 左の写真はお父さんのイメージ
です。適当なものがなかったので
適当に新聞を切り抜きした物です。
カッコよすぎますかね(^^ゞ

 というわけで、お父さんという
存在はお仕置き小説では影が薄い
場合が多いですね。

 もちろん、私たちが育った時代
は父親の権威というのは今ほど地
に落ちてはいませんでした。

 家では常に上座に座り、食事のおかずも他の家族より一品二品
多いのが普通、お風呂も原則一番風呂ですし、お母さんが高価な
ものを買う時は必ずこの人の同意が必要でした。世間ではこれが
普通だったのです。

 ただ、うちに限って言うと、家の主役は完全にお母さん。お父さんは
名義上は店の主でしたが商売(質屋)はお母さんに任せきりで、ご自
分は書道会や東洋哲学の会などを開いては遊び暮らしていました。
確かに、女遊びや大酒飲みではありませんでしたが要するに道楽者
だったんです。

 ですから、きっと母も寂しかったんだと思います。母は私が大人の
ような口のきき方をするのを好みました。幼児語はあえて教えず、ボ
キャブラリーを増やして文法に沿った会話ができるように仕込んだの
です。

 幼稚園児が日常的に大人の会話では、同世代と話が合うわけが
ありません。またご近所でも、『恐っそろしくませた幼稚園児』として
すでに有名人でした。

 でもこれが夜になると役回りが一転します。

 私は『ママの大事な赤ちゃん』も演じなければなりませんでした。

 いやはやこの人とのお付き合いは気苦労の連続でした。

 そんな私は、長いこと自分の育ってき
た母の家をかなり特殊な家庭とばかり思
っていたのですが……実はお仕置き小説
を書く多くの人たちがやはり母親中心の
家庭で育ってきたことがわかって……
「類は友を呼ぶってやつか。やっぱり、
この性癖と家庭環境には何か関係あるの
かなあ」って、今は思っています。

*)
<左上>
このお父さんはおままごとなどでよく使われるハンサムな外国人の
お写真です。別に他意はなくてその辺にあったのを切り抜いただけ
ですから、出典は不明です。
<右下>
これも確か新聞の漫画の切り抜きだったと思います。ちょうど、
主人公が母をイメージさせてくれたので使わせてもらいました。

11月14日付

<11月14日>

 LeeWarnerさんの絵です。逃げ惑う女の子をヘアブラシを持って
追い回す父親でしょうか?今の人たちならこの光景は間違いなく
虐待でしょうね。でも私には、これは父親が娘達とお仕置きを兼ね
た鬼ごっこをしているように見えるんです。

 『ん?それって?子供を甚振(いた
ぶ)ってるって事じゃないですか!』

 そんな声が聞こえそうです。(^○^)

 ええ、その通りですよ。私たちは
バラティー芸人のように親からいじ
られて育ちましたからね、甚振られ
て育ったとも言えるでしょうね。

 でもね、『自分の幼年期は虐待があ
って暗く不幸な時代だった』なんて思った事はありませんよ。だって
お仕置きってのは全体の時間の中ではほんの一瞬の出来事です。
それに比べて抱かれている時間は圧倒的に長いんですから。お仕
置きの前も後も多くの時間は親に抱かれて「よちよち」状態です。

 はっきり言いますが、保育園通いする
今の子供たちより親に抱かれる時間は私
たちの方がはるかに長いと思いますよ。
とにかく生まれて三歳位までは母親がず
っと肌身離さずって感じで子供のそばに
いましたから。

 そのせいでしょうかね、私たち爺さん
世代は親が言葉に出さなくても、今、ど
の程度怒っているかを直感的に判断でき
るんです。『言葉では怒ってるけど、心は
もう許している』とか、逆に『言葉では
許してるけど、まだ心は悲しんでる』とかね。

 私たち溺愛組は親の喜怒哀楽を肌をすり合わせるだけ抱かれる
だけで分かるんです。だからこうやって大仰に追い回している時は
本当はもう許している時だってわかるんですよ。

 もちろん日本の親の場合、私たちの親の場合…ですけど、(^^ゞ)


*)
<左上>
Leeさんの絵(1)
<右上>
Leeさんの絵(2)

11月15日付

<11月15日>

 左は幼いカップルの写真です。
こんな幼い子にお仕置きはしたく
ありませんが、私の子ども時代に
は「こんな幼い子にこそ体罰は必
要」という意見がありました。
 「分別のない幼い子には体罰で
条件反射を起こさせて生活習慣を
身につけさせるべきだ」というのです。
 実際、そうやって躾られた人も少なくなくて、ひょっとしたら私も
その一人だったかもしれません。
(当時はむしろこれが主流の考え方でしたから……)
 でも、私が書く小説には特殊な物を除きほとんどこの年齢の子
は登場しません。もちろん、その必要性を頭から否定するわけじゃ
ありませんが、猛獣使いのように子どもを調教するというのでは、
概念的にはSMと同じでお仕置き小説のコンセプトにはあわない
ような気がするのです。
 ですから、最初は、分別がつき始める小四くらいから、最後は、
体罰では効果が期待できなくなる中二くらいまでが守備範囲と
なるわけです。
 ちなみに、こうして育てられた人の大半は超のつくマザコンです。
というのも幼児期の体罰がトラウマになって母親にはイエスマン
でいる人が多いようなんです。
 こう言うと今の人たちから『そらみたことか』って言われそうです
が、でも、これはこれでいい事もあるん
ですよ。(*^_^*)というのは……
 その子が思春期を迎え、親から精神的
に独立しようとする時、今の親はどれほ
どの餞別を子供に送れるでしょうか?
 私たちの親はたとえ子供を力で支配で
きなくなった後も、それまでの権威を利用して助言にすることが
できたんです。もちろん、子供がすぐに親の言う通りに決断する
わけじゃありませんが、経験者の助言を頭の片隅に留めて置く
のとおかないのではその後の人生で大事な判断材料を持って
いるか否かに関わるのです。
 当時、『引きこもり』や『積み木崩し』があまり話題にならなか
ったのは困った時に親の餞別がいきるケースが多かったから
だと思いますよ。

*)
<左上>
池のほとりで幼い男女の子供(幼児)二人が肩を抱き合って
立っている後姿の写真。
<右下>
ティーンエイジャーの男女二人が体を寄せ合って本を読んで
いる写真。
雑誌か新聞の切り抜きだったと思う。
私の資料は安上がりに出来ているんですよ。(^◇^;)

11月16日付

<11月16日>

 私のお仕置き小説の守備範囲は
だいたい小四くらいから中二くら
いまで収まります。でも、中には
この外の年齢もあって、その一番
多い例が赤ちゃんから幼稚園児。
 お話の中にぶったり叩いたりは
ありませんが、お仕置き小説とい
うくらいですからお仕置きはあります。それが……(*^_^*)
 ちょっと怖い顔をして泣かせてみるとか、わざと知らん振りして相手
にしないとか、お閉じ込めも押入れとかではなく抱っこの中にぎゅ~~
っと押し込む……といった按配です。
 会話もすべて赤ちゃん言葉ですからね。当然、発表したら……(*^_^*)
 「こんなのお仕置き小説じゃない」
 って一部の人から言われてしまいました。∈^0^∋
 でもね、私にとっては、これだって立派なお仕置き小説なんですよ。
だって、これだって『愛されてるママから叱ら
れてるお話』なんですから(*^^)v……過激かど
うかは問題じゃないんです。勿論それで感じる
かどうかも個人の問題というわけです。
 それに…私の場合、これって実体験の焼き直
しみたいなものですからね。これはこれで結構
ぐっとくるんですよ。(^○^)
 オチンチンを摘まれて、引っ張られて、前立
腺の辺りをなでなでされて、耳の穴、お口、お
臍、お尻の穴だって「おいたをするとこんな事
されちゃうぞ」なんて笑いながら言われ続け、
その指で犯され続けます。それだけじゃありま
せん。ママの舌が口の中に入って来たり、ほっ
ぺや顎やおっぱいやお臍を嘗め回したり、勿論、
オチンチンだって袋ごとぱっくりです。どうです。過激でしょう。
 ママのお仕置きは最初とっても窮屈で嫌だったけど、でも、そのうち
何だか切なくて…最後はとっても気持ちよくなったのを覚えています。


*)
<左上>
女の子、と言ってもほとんど赤ちゃんですが、彼女が熊のぬいぐるみ
を今まさに取ろうとしている後姿。文字で書くと何気ない光景ですが、
これが愛らしいんですよ。やっぱりプロの撮る写真は違います。
<右下>
女の子が街の小さな祠(ほこら)の前で手を合わせているところ。
大人が同じことをやっても感動しませんが子供だと感動するのは
不思議です。やはり写真家の腕がいいからでしょうかね。

11月17日付

<11月17日>

 何に限らず経験をつむというのは
いいことです。特に子供のうちは感
受性が強いですからね、その影響が
大人になっても何かしら役立ちま
す。
 私も乗馬なんてやってみたかった
けど、当時の田舎にはそんな施設は
ありませんでした。私がやったのは、
ピアノ、お習字、綴り方教室、絵画
教室、水泳教室、英会話、……そうそう少年少女合唱隊っていうのも
席だけありましたっけ。(^^ゞ…要するに、ものになったものは一つも
ないんです。親の道楽、月謝の無駄遣いで終わってしまいました。
 それでもどんな処か顔を出しただけでもよかったと思っています。
特に塾のような場所は普段の学校ではなかなか顔を合わせないよう
な子供たちとお知り合いになれますから色んな情報が入ってきます。
 私の場合も芸事そのものはものになりませんでしたがそこで色んな
情報を仕入れることができました。当然、お仕置きの話なんかも…。
 お仕置き小説って小説ですからね、嘘八百だってそりゃあ構わない
訳ですが、真珠と同じでそこに何かしらの核
みたいなものがないと美しく輝きません。
そう言う意味でこれらの習い事は小説を
書く上では参考になりました。
 実際、いつも顔を合わせている、ある
いは近所の子たちと違って習い事のお友
達というのは結構ざっくばらんに私生活
のことなんかを語ってくれるです。
 中には「本当かよ?」って疑いたくな
るような過激な話も結構ありましてね、
それがまた小説のネタになったりしたん
です。゜+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゜
 ただ、先生の方は親からお月謝もらっ
ている手前、預かった子供をぶつなんてことはありませんでした。


*)
<左上>
親子でしょうか、紳士と少年が並んで馬に乗っている写真です。
<右下>
少女がピアノを弾いている写真です。

11月18日付

<11月18日>

左はおなじみLeeWarnerさんの
絵。これってひょっとしてお浣腸
でしょうかね?お尻をぶった後の
ようですから薬を塗ろうとしてい
るんでしょうか?仔細はよく分か
りませんが浣腸好きの日本人には
差し出す右手がイチヂクに見えて
しまうから不思議です。(^_^;)
 平先生のお話では西洋でもスパ
ンキングの際、子供が粗相しない
ように事前にお浣腸するのは、そ
んなに珍しいことではないそうな
んですが、これは事後のようです
からどうでしょう。((^。^;)ノ
 いずれにしてもあまりお目にかからない構図ですね。仮にこれが
イチヂクを握り潰したところであったとしても彼らの間ではお仕置き
はあくまでスパンキングがメイン。お浣腸は事前準備で、お仕置き
ではないんでしょうね。
 まあ、私もこんなことに造詣が深いわけではないので、軽々しく
物を言ってはいけないのかもしれませんが私の見るところ西洋の人
たちは日本人に比べて糞尿に対する嫌悪感が低いみたいですね。
昔の話ですがベッドパンにうんちをしたら、掃除に来たおばちゃんが
それを手づかみ。目が点になりました。(゚◇゚ )
 <お食事中の方がいたらごめんなさい>
 彼らってSMでこれをやった時も日本人ほど必死に我慢してくれ
ないので興が乗らなかった思い出があります。その彼女曰く……
 「だって苦しいんだもん。死
ぬ訳じゃないんだから……」
 と、あっさりしたものでした。
 でも親の言いつけというプレ
ッシャーのかかる子供の場合は
どうでしょう。もう少し頑張っ
てくれると思うんですがね。

*)
<左上>
Leeさんの絵<左上>
<右下>
Leeさんの絵<右下>

11月19日付

<11月19日>

 まあ、厳しい絵ですねえ。今ど
きこんなことしたら、すぐに人権
侵害で訴えられるでしょうね。…
…親がいれば、ですけど……
 もし、この少女に親がいなくて
ここが孤児院だったとしたら……
 そんな設定で描かれたのが私の
「孤児シリーズ」です。
 ま、身勝手でご都合主義の設定
ですけど、こうすれば少々過激な
ことが行われても、辻褄(つじつま)
があって読んでもらえるかなと思
ったんですよ。
 アメリカンポルノによくある、
『南米刑務所の女囚もの』に似て
ますけど……虐待派の人たちには
おおむね好評でした。(^_^;
 でも、今となっては私自身ちょっと『やり過ぎたかな(^^ゞ』とも思っ
ているんです。(゜Д゜≡゜Д゜)
 これは私に限った事ではないのです
が、お仕置き小説を長く書いていると、
『とにかく子供を罪に落として、キツ
い罰を与える』という事にばかり気を
とられてしまうんですよ。
 つまり、お仕置きのはずがいつしか
刑罰になっちゃてるんです。……でも、
これじゃまずいんですよね。お仕置き
小説はどこまでも愛を確認する場でな
いといけないんです。お仕置きする人
とされる人の信頼関係がそのお仕置き
で壊れちゃったら、それはもう違う物
なんです。そこが難しいんですよ。

*)
越野眞砂さんの絵に関しては東京飯田橋の風俗資料館
に問い合わせれば比較的安価な値段でブロマイドみたい
なものを手に入れることができると思います。
<左上>
眞砂さんの絵(1)
<右下>
眞砂さんの絵(2)

11月20日付

<11月20日>

 これはアメリカのスパンキング
サイトに載ってた階段を使っての
お仕置き。
 密室と違って『他人に見られる
かもしれない』というドキドキ感
と拘束台のように大きく前屈しま
せんからそれなりに痛みは強いと
思います。いずれにしても、なか
なかのグッドアイデアです。『なぜ今まで気がつかなかったんだろう』
と、他もあたってみましたが採用しているのはここだけでした。
 (注)スパものでもSMサイトは意識的に見ませんから知りません。
((^。^;)ノ
 これに刺激されたわけじゃないんですが、以下は各種の鞭を私が
小説の中でどう使い分けているのかのおさらいです。(聞くところに
よると、このレポートを最近は私の小説を一度も読んだことのない
人が見ているみたいですから……)
<ケイン>
 使うのは主に男の子。それも中学
に上がらない子にはあまり使いませ
ん。厳しい折檻を連想させるもので、
ほんわかムードの私の小説では軽々
しく登場してこないものです。

<乗馬鞭>
 これは壁に掛けて飾っておくも
ので実用性はありません。これで
ぶったからと言って人道に反する
とまでは言えませんが…
<トォーズ>
 これは私の物語にはよく登場す
るお道具です。幼い子供たちや
女の子って肌が弱いですからね、
やっぱり革製品がよろしいかと。


Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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