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11月21日付

<11月21日>

 先日の続き。
<パドル>
 やはり、お嬢様へお使いになら
れる場合はこのようなものがよい
かと思われます。
 ケインのような材質の硬い鞭は、
女のお子さんが最も敏感に感じる
皮膚表面より男のお子さんが感じ
やすい肉や骨に痛みが集中します。
 それだけでなくあとに蚯蚓腫れ
ができて大変見苦しゅうもござい
ますから女のお子さんには避けた
方がよろしいかと存じます。
 その点、パドルは皮膚表面だけ
に刺激が集中しますので女のお子
さんを懲戒なさる時も無駄がござ
いませんし、傷跡も皮膚表面だけですから比較的短期間で治ります。
 いかがでしょう、何かの折、女のおこさんと言えど必要もございます
でしょうから、一本お求めになられては……こちらの花柄などは壁に
掛けておいても手鏡風で威圧感もございませんから、万一お客様の
目に触れる様なことがあっても恥ずかしい思いをぜすにすむかと存
じます。
 (^^ゞ売り込み口上はこんな感じですかね。このほかにも以下の
ようなものがあります。
<木製穴あきパドル>
 この穴は空気抵抗を減らして強くお尻
を叩くために空けられていいます。使用
は中学生からの方がいいでしょうね。
<藤製バットビーター>
 小型の布団叩きといったところでしょ
うかね。これも幼い子には不向き。
 やはり小学生以下の子には愛の篭った
平手が最良の鞭だと思いますよ。


11月22日付

<11月22日>

 左は、サルトルさんのご幼少の
砌(みぎり)のお写真です。何とも
頭の良さそうなお顔じゃありませ
んか。栴檀は双葉より芳しという
ことでしょうね。(修正したのかも
しれませんけど(^ニ^))

私はぶ男に生まれたので、こう
いう顔に嫉妬します。ですから、
こんな顔を念頭に厳しいお仕置き
を頭の中で夢想したりします。

 何とも卑屈で恥ずかしいのです
が、それがお仕置き小説を書く原動力でもあるんです。(^^ゞ

 ただ、ある時、担任の先生に「もっと凛々しい顔に生まれたかった」
と愚痴を言ったら…「男の顔は履歴書といって優秀でない者がいくら
優秀なふりをしてもそれはわかってしまうものなんだよ。先生は、
何も聞かされずとも君がどんな能力に秀でているか、だいたい分か
るもの。君だってね、見る人が見れば十分凛々しい顔をしているん
だよ」

 と慰めてくれました。私は先生というのは凄い能力をもってるんだと
思いましたが、見回してみれば、例えばピアノの先生は待合室で
生徒の誰がピアノを弾いていてもピタリと当てますし、絵の先生
だって一目で誰が描いた絵か分かるみたいです。いえ、いえ、
私の親にしたところで、僕が子供部屋に篭って何かよからぬ
ことをしていると、さっそくやって来ては鋭い視線を投げ
かけました。それは何か根拠があってそうしているので
はなく『何かいつもと違う。それも悪い方に…』というだけ
の事なんです。

 今の人達は信じないでしょうが、私たち世代の親は何
の根拠もなくただ『怪しい』というだけで子供をお仕置
きするんです。母親には『怪しい』が『証拠』なんです。
でも、悔しいことに百%近く当たっていました。愛して
いるからこそ感じるテレパシーのようなものが、昔の親
や教師は今よりはるかに強かったような気がします。

*)
<左上>
サルトルさんの幼年期のお写真はネットでもどっかに
あると思うのですが発見できませんでした。
<右下>
Sassyさんの絵(F/m)

11月23日付

<11月23日>

 これはお馴染み平牙人先生のイ
ラストです。失礼ながら飛び切り
上手というわけではないのですが、
お仕置きという行為にとても深い
愛情を感じる絵です。

 お仕置きは刑罰とは違います。
その時々の状況。親としてそれが
事情酌量の余地があるかどうかで
刑罰ならどう転んでも罰は免れな
いものが無罪放免になったり、逆
にこんな些細なことでと思うよう
なことで目の玉が飛び出るような
お仕置きになったりします。

 ですから、その罪の重さは親のさじ加減一つなのです。
 これを不条理だと言う人がいますが、私はそれは違うと思います。
 家庭は小さな国家。そこには当然、外の世界とは違うルールが
存在するわけで、幼い国民はそれを守って暮らさなければなりま
せん。これは事の是非も含めて否応ないことであり、そこで得た
人間観察や処世術がその子が別の世界(大人社会)で生きて
いくための素地となるわけですから、お仕置きだって必要な行為
というわけです。

 ですから、親がただ独りよがりな正義を
振りかざし闇雲に子供を打擲(ちょうちゃ
く)すれば、その子の心は傷つき社会に出て
も何事にも恐れるばかりの人になりましょ
うし、まったく体罰や不条理を知らず、た
だ理屈だけを頭に入れて大人になれば、や
はり現実社会とのギャップになすすべなく
立ち尽くすかもしれません。

 お仕置きはもちろん筋道が通っているこ
とが第一ですが、親子関係がしっかりして
さえいれば多少不条理であってもそれはそれで意味のある行為なのです。

*)
<左上>
平さんのイラスト (椅子)
<右下>
平さんのイラスト (OTK)

11月24日付

<11月24日>

 私たち世代にとって浣腸器と言
えばこれですね。ガラス製の注射
器を一回り大きくしたような形で
お医者さんに行くとよくやられま
したからこれを見ると今でも恐怖
と恥ずかしさがこみ上げます。

 もちろん、今だってやることは
あるんでしょうが、頻度がその頃
とは違います。当時は、親が「お
腹が痛いと言っています。何だか
熱もあるみたいで…」なんて言お
うものなら医者はまず間違いなく
看護婦さんに浣腸を指示しました。

 それだけじゃありません。大抵
の家庭にはイチヂク浣腸は常備さ
れていて、親は食あたりなんかを
疑えばまずは浣腸して子供のおなかを空っぽにしようと試みた
のです。

 ただ、これらはあくまで医療行為。当時、日本の家庭では
これを直接お仕置きに転用するという家庭はほとんどありま
せんでした。

 ただ、こうした医療行為の最中にも……
 「そういえば、あなた先週返してもらった理科
のテストはどうして70点だったの?」とか……

 「昨夜はおやすみなさいを言わずに寝てしまっ
たみたいたせけど、お母さんが嫌いになったの?」
とか……こっちが必死に我慢している最中にも関
わらず、すでに決着のついた過去の事をねちねち
と言ってくるんです。要するに、医療行為を利用
したお仕置き。人の弱みに付け込んで「もうしま
せん」とか「もし、またやったらどんな罰でも受
けます」なんてことを言わせたいみたいなんです。

 実はこれ、うちの母親だけかと思ったら他でも
あるようで、女の卑劣さに怒りを禁じえません。

*)いずれも越野眞砂さんのイラストです。
<左上>
戦前のポスター風といったデザイン画で、看護婦さんが
馬に使うんじゃないかと思うようなぶっとい浣腸器を捧げ
持っています。看護婦さんの制服や『リスリン灌腸液』と
いうロゴに郷愁を感じる人がいたら相当お年寄りでしょう。
<右下>
女生徒が上半身はセーラー服のまま、下半身はスカートや
下着を剥ぎ取られてオムツを当てさせられている光景です。
それを三人の少女たちが眺めています。二人は看護婦の
制服、一人はお医者様という設定のようです。
『さあ、反省のお時間です』
『おむつをあてて立ってなさい』
という題字と……
『もじもじしないでちゃんと立っててくださいな。おねえさんなのに
ベソなんてかいたらおかしいわ。はずかしいおいたのくせが治る
ようもう少し反省しましょうね』
という文章が載っています。

11月25日付

<11月25日>

 私は、昔、とある小説サークル
に所属していました。小説といっ
てもロリータ小説、それが高じて
お仕置き小説に発展(?)していくの
ですが、いずれにしても今のよう
なパソコンを使ったものではなく、
方法は極めてアナログ。ある一人
が作品を仕上げるとそれを郵便で
次の人へ送ります。するとその人
は自分の作品をそれに添えて次の
人へ…といった具合で回覧板方式
で回していくんです。もちろん、絵の描ける人はイラストも入れていま
した。一人に二箇所書くスペースがあって、二箇所そこが埋まると
最初に書いて回した方の作品を取り除いて新しい作品を入れて
出すといった按配でした。会員には学生時代からの腐れ縁が多くて
気心が知れていたせいかトラブルらしいトラブルはなく続いていたの
ですが、この問題を親の虐待と捉える人達が入ってきた頃から様相
が変わってきて、古くからのメンバーが少しずつ抜けていくようになっ
てしまいました。

 出発した当初のメンバーは、親に愛されていたゆえに、逆に、
お仕置きに憧れを抱いていたという不思議な人達でしたから、
そもそも親にぶたれたことを恨んでこの小説を書き始めたわけ
ではなかったんです。

 ですから、お仕置きをする親が子供を愛
しているのは当然、その子たちにあわせて
手加減するのも当然なら、お仕置きの後の
愛撫だって当然の儀式だったんです。

 もちろん中には、不条理な理由でお仕置
きされるものもあれば、SMと何ら変わら
ない厳しい折檻だってありました。でも、
コップの中の嵐では何をやっても親(教師)
と子どもたちとの信頼関係が揺らぐような
お話は一つもありませんでした。

 ええ、私もその一人だったんです。

*)
<左上>
SUさんのイラスト (1)
<右下>
SUさんのイラスト (2)

11月26日付

<11月26日>

 「チイちゃん(私のこと)はね、まだまだ赤ちゃんなの。
だから、お母さんの愛の中にいるのが一番幸せなのよ」

 「ほんと?」

 「ホントよ。お母さん、好き?」

 「しゅき(好き)」

 「だったら、悪い子たちと一緒においたなんかしちゃ
だめよ。お母さんの抱っこの中が一番気持いいでしょう」

 「うん、お母さんと一緒がいい」

 「ホントかしら?さっきまでお母さんにお仕置きされて泣いてたの
に、やっぱりお母さんがいいのかしら?お母さんが嫌いだったら
叔母さんの処で預かってもらってもいいのよ」

 「いや、お母さんと抱っこよしよし、ネンネよちよちがいいもん」
 「わあ、チイちゃんは甘えん坊ちゃんね。ようし、だったらこれから
も、お母さんのいい子ちゃんでいましょうね」

 「は~~~い」

 ………と、まあ、お布団に入ってしまえば、添い寝するお母さんとは
こんな具合でしたね。でもこれ、幼児の時の会話じゃないんですよ。

 当時は五年生。学校では聞きかじったいい加減な知識を振り回し
ていて…

 「ぼくはねマルクス君が言うように共産社会が理想だと思うよ。
そもそも親が金持ちだからってそれを引き継げるのはおかしいよ」
 とか……

 「男女が平等になるためには女の人がもっと偉くならなきゃ。その
為には女の人も男と同じ教育を受けなきゃだめだよ」

 なんてね、『お前、何様だ!』って世間の人から思われいても馬耳
東風。大人びた物言いを鼻にかけてはお友達を煙に巻いていました。

 要するに二重人格なんですよ。

 おかげで、「ませガキ」「気取り屋」「先生の腰巾着」など色々言われ
ていましたが、それはあくまでお外で
のお仕事(?)。家の玄関をくぐれば……

『本日の営業は終了しました』とばかり、『お母さんといつも一緒に
いたがる赤ちゃん』へと逆戻り。

 どちらかというと家の中の方が地に近かったみたいです。
 というわけで、この趣味はその延長線上にあるんです。

*)
<左上>
赤ちゃんの沐浴シーン
<右下>
中学生くらいの少年が何かの会場でスピーチをしている
そんな古い写真です。

11月27日付

<11月27日>

 あくまで私の母の場合なんですけどね、母は私に
「あなたは今私とお父様の愛の中で暮らしているの。
そのお外にはお爺様やお婆様がいらしゃるわ。もし、
お家を出てもご先祖様があなたを守ってくださる。
たとえそれらのものをすべてなくしてもお地蔵様や
大日如来様があなたを導いてくださるわ。あなたが
どんなに偉くなっても、あなたはそれらの人たちに
常に守られ続けて生きているから、どんなに頑張っ
てもその愛のお外へは出られないのよ」ってね、諭すんです。

 彼女はそう言って私を自分の愛の中に繋ぎ止めていました。

 よく『愛なんて出世の役には立たない』という人がいますが、『誰か
に守られているんだ』という暗示は、困難を乗り越えるにはとても
効果的だと思いますよ。これって、理屈や科学じゃ無価値かもしれ
ません。でも、『常に誰かに守られている』という暗示はその人に
勇気を与えますから。

 ただ、この守られているというのは逆の見方をすれば拘束されて
いるということでもあるわけで、折に触れて自由でありたいと願う心
との間で確執が生じます。

 それでも幼い頃はすべてにおいて大人が勝っていますから子供は
ただただ妥協するしかありませんが、思春期になると少なくとも体力
だけは親を上回ることができるようになりますから物理的には親の
影響力を脱して自由に振舞うことも可能なのです。

 ただ、そこで立ちはだかったのが有形
無形の権威でした。

 『あなたはどんな時も多くの人たちや
多くの神様たちに守られているからその
人たちの愛や信頼を失っては生きていけ
ないのよ』という母の暗示はごく幼い頃
から私に愛を授ける形で言い聞かせ続け
た言葉で強い強迫観念となって心の奥底
に刻み付けられたままになっていました。

 母にとってはそれを再確認させる手段がお仕置き。
ですから、私へのお仕置きは大半が仏間だったのです。 

*)
<左上>
お地蔵さんのイラストです。
<右下>
鮮やかな曼荼羅の写真です。

11月28日付

<11月28日>

 これはたしか「カロリーメイト」の広告
にあったのを失敬したんじゃなかったかな。
 幼い子のあまりに凛々しい姿に気おされ
て切り抜いてしまいました。

 『西洋の子はこんな幼い子でも強い自意
識があるんだなあ。親はどんな教育をした
んだろう』と感心してしまいました。

 そして『この子お仕置きしたらどんな顔
になるんだろう?どんな声で泣くんだろ
う?』といったことが頭を掠めたんです。

 えっ?「不謹慎」ですか?

 今の人たちの感覚ではそうかもしれませ
んね。でも、『弱い者いじめ』や『からかい』
って、正直、楽しいでしょう。楽しいから
こそ今のバラエティーではそんなことばかりやってるわけですから。

 ただ、これが友だち内で行われると、最初は軽い悪ふざけのつもり
が、やがて『虐め』になっていき、ついには自殺者が出たりする。
ですから、バラエティー番組だって立派な社会悪なわけですよ。
許容される水準はすでに越えています。

 なのに世間は『児童ポルノ』だけを規制しようとする。これは明ら
かに声の小さな叩き易い所を叩いて、民衆の目をそちらに向け
させ、さもそれが原因で世の中が悪くなっているという印象を与え
ようとする大人社会の偽善でしかありません。

 ま、それはさておき、こうした問題を考える時、そりゃあ相手の
事を慮れない加害者側にも問題はありますけど、それより何より
そんな事で自殺してしまう被害者側の心の弱さ、親の教育に私は
疑問を感じますね。

 というのも、今の親は子どもを大事大事と祀り上げはしても、
真剣に自分の懐へ入れて愛していない。(本当に愛していたら、
たとえ経済的に多少困難はあっても安直に0歳児を保育園に
なんか入れないはずですよ)

 今の人は信じられないでしょうけど、僕らの親は自分の子供を
平気でからかい、いじめ、正当な理由もなしにお仕置きしては
その子の泣き顔を楽しんでいたんです。

 もちろんそこだけ見れば鬼畜です。

 でも、子供と近しい彼らには『そのくらいは大丈夫』という自信が
あったのでしょう。要するに、家庭内で虐めの予行演習が済んで
いるわけです。そもそも、この世の中は天国でも極楽でもないのに
子供に世の中の不条理を教えないなんて、それこそが愚かなこと
なのです。

 そんな『お為ごかし』『たてまえ論』の親にこそ自殺の原因はある
と私は思いますよ。


*)ここは左上の一枚のみです。
<左上>
上半身裸の少女(といっても8歳くらいでしょうか)が眼光鋭くこちらを睨み
腕組みをしている写真。でも、これが可愛く感じられるから不思議です。

11月29日付

<11月29日>

 お仕置きとは何の関係もない絵です
が、私の好きな一枚です。私はWEB
ではお仕置き小説しか発表してこなか
ったのですが、太古の昔には一般の小
説(正確には嘘のお話というだけです
が)も描いていました。

 その頃も少年のお話が多かったです
ね。SFや童話やファンタジー。未来
や夢のある話が好きだったんです。

 こんなフランスパンではありません
でしたが、近くの日曜日の朝はパン屋
へよく買出しに行かされたものです。
帰りは袋いっぱいのパンを抱えて走っていました。

 母というのは仕事はできますが家事は何一つとしてまともにでき
ない不器用な人で、ご飯炊きのおばあちゃんがお休みの日曜日は
我が家には食べるものがありませんから朝はパン食なんです。

 昼はデパートの食堂、夜は近所の中華屋さんから出前をとって
飢えをしのいでいました。

 勿論、彼女は裁縫なんてできませんから、運動会で使う球入れ
の球も、家庭科で着る割烹着も、学校で命じられた縫い物はこの
おばあさんの作品なんです。

 こんな人が、一応女学校の卒業証書を持っているので…
 『不思議だなあ』
 と思っていたら、ある日、彼女の親が担当教師に多額の
賂(まいない)を渡して作品をでっち上げていたことが発覚。

 『なるほど(^_^;)』と頷きました。

 そんな母が、私に求めたのは、実は勉強の
ことだけ。姉妹(兄弟)の中で唯一大学を出て
いない母はそれが負い目だったみたいで私に
はちゃんとした大学を出すんだと心に決めて
いたみたいでした。

 そんな息苦しい家庭生活を逃れるために書
く作品ですから、暗い作品では意味がありま
せん。何を描いてもパッピーエンド。甘々の
ご都合主義の作品ばかり描いていました。
(母の若い頃に似ている?)

*)
<左上>
5、6歳くらいの幼児が大きなフランスパンを小脇にかかえて
笑顔で走っている写真。
<右下>
小学校高学年か、中学生ぐらいでしょうか、少女の写真です。
実年齢よりちょっぴり大人びてみえる感じです。

11月30日付

<11月30日>

 前にも書きましたが、私は別に
虐待されて育ったわけではありま
せん。(少なくとも自分ではそう思
っています)

 母は勉強のことにだけは神経を
尖らせていましたが、あとの事は
鷹揚なもので、私がどんな悪戯を
しようと我がままを言おうとそれ
を厳しくたしなめるということは
しませんでした。

 ですから、よその子が勉強以外のことで親に叱られるという感覚
が、今一つピンとこなかったのです。母はよく、「あなたは手がかか
らなくて助かるわ」と言っていました。私がよくお仕置き小説のネタ
にしている門限破りやオナニーなんてのも、我が家に限ってみれ
ば…「ぼく、駄目よ、めっ!」と言って、おでこをこっつんこさせるだけ
だったのです。

 母は暗くなって帰ってきた私を抱きかかえると、そそくさと勉強
部屋に運び入れ、膝の上に抱くといつものように日々のノルマに
取り掛かります。自分も仕事を持つ身、時間の方がおしいと言い
たげでした。

 勿論、ぶったり叩いたりなんてことは一度もありませんでした。
 (ま、そうした勉強の強制が虐待だと言ってしまえばそれはそう
かもしれませんが……)

 恐らく、『この子は私が完全に支配している』という自信が
あったのでしょう。実際、膝の上に乗る私に、いきなり「だめよ、
そんなことしちゃ」と言うのです。まるで次に何をしたいのか
ぼくの心が読めるようでした。そして、その代わりという事で
しょうか、夜は一緒の布団に包まってまるで赤ちゃんごっこ
です。

 今これを言うと母は烈火のごとく怒りまくりますが、
小学校の低学年頃までは、お風呂上りの僕を仰向けに
しては小さなオチンチンをまるでさくらんぼでもほうばる
ように口で含んでは楽しんでいました。

ええ、ぼくはすでにこの時からフェラチオの味を知って
いたのです。

*)
<左上>
スパンキングのあと
<右下>
体育座り

§1

<ブルマー事件>

§1

 それは私が小学五年生の二学期に起きました。
 私たちの学校は幼稚園から小学校、中学校まで同じ敷地にあります。
街外れにあって亀山に住む子供たちしか通いませんから一クラスは12
名前後。運動場はテニスコートぐらしかありません。ただ車寄せのある
趣のあるレンガ造り二階建ての建物は大きく立派で、前庭、中庭、裏庭
と三つあるお庭にも四季それぞれに色んな草花が咲き乱れています。
 外見だけ見ると学校というよりどこかの邸宅のような造り見えるかも
しれませんが私たちにとってはこれが学校でした。
 一緒なのは建物だけではありません。先生方も小中学校はもちろん、
幼稚園までもこなすオールマイティーなのです。なかには、一時限目が
中学の先生、二時限目は小学校、午後からは幼稚園で子供たちとお遊戯
なんてスーパーウーマンもいらっしゃいました。
 そんなわけで生徒たちはもちろん、どの先生方とも超がつくほど親密
で、おまけに先生は必ずどの子かのママというわけですから、良いこと
悪いこと、すべてはママに筒抜け。学校で起こったことはどんな些細な
ことでも隠し事なんてできませんでした。
 おまけに、教室の後ろには中二階席というのがあって元気なお父様や
退職して今は養老院たお住まいの先生方、それに心配事のある娘を抱え
たママなんかが授業の合間を縫って見学に訪れます。
 私も授業中に隣の子とおしゃべりしていたら紙くずを丸めたボールが
頭の上に落ちてきますから『誰よ!こんな悪戯するの!』ってあたりを
見回したら、ママが中二階から睨んでた、なんて事がよくありました。
 こんな話をすると、『わあ~息が詰まりそうな学校生活ですね』なんて
同情されますが、私たちは他の世界を知りませんからそれを窮屈と感じ
たことはありませんでした。
 むしろ、幼い頃は学校にいてもママやお父様がわりに近い処にいます
から、見つけるといつも抱きつきに行っていました。これも普通の環境
なら「あなた、ここは学校なのよ。甘えるんじゃないの」なんて言って
叱られるところでしょうが、亀山というのは、もともとお父様たちが私
たち子供を思う存分抱きたくて造った街ですから、それもありませんで
した。
 いつでもどこでも大人たちへの抱きつきOK。というより大人たちに
両手を広げられたらそこへ飛び込まなければならなかったのです。亀山
で『抱かれる』というのは子供とっては特権というより、むしろ義務の
ようなものだったのです。
 ですから逆に子供たちは抱かれたい大人たちを選べません。体臭がす
るからからとか、顔が醜いからなんて理由で大人たちの愛撫を拒否する
ことはできませんでした。それは幼い頃はある種苦痛でもありましたが、
それも慣れが解決します。ある程度年齢がいくと嫌いな大人でもお愛想
で笑えるようになるのでした。
 そして大人たちにうまく抱かれればプレゼントへの期待も膨らみます。
亀山にはそもそもおもちゃ屋さんとか駄菓子屋さんなんてものがありま
せん。お金をもらっても使う処がありませんでした。ですから欲しい物
は何でも大人たちからの現物支給。大人たちに抱かれて喜ばせてそれを
ゲットする術を次第に身につけていくことになるのでした。
 こうした生活が亀山では実に13歳まで続くのです。本物の赤ちゃん
の時から大人の身体に近づく13の歳まで私たちはお父様の抱き天使、
無垢な赤ちゃん役を演じ続けなければなりませんでした。
 このためでしょう、大人たちは外の情報をほとんど与えてくれません
でした。もともと外界と隔絶したこの地ですが、貴重な情報源であるテ
レビは一日に一時間半だけ。それもすべて検閲済みのビデオでしか見る
ことができません。本も内容にHなものがある時は子供向けの物でさえ
見ることを許されなかったのです。
 ただ、そうは言っても歳がいけばそういつまでも純粋無垢な赤ちゃん
というわけにはいきません。ここの子供たちの多くは女の子ですから、
できるだけママやお義父様に気に入られたいと思ってがんばりますが、
それでも11歳くらいになるとそれまで押さえつけていた自我が頭をも
たげ始めます。私たちの場合はそれがブルマーでした。
 当時、私たちは学校の制服や発表会で着るユニホーム、日々の私服も
すべて亀山出身のデザイナー三人がわざわざ亀山を訪れて作ってくれて
いました。ですから、どの子もとってもお洒落さんだったのです。
 ところが、体操着だけはいつまでも同じ白のジャージにブルマー姿。
私たちが仮縫いなんかで学校を訪れるこれらのOGに「ねえねえ体操着
はもっとカラフルなのにしてよ。今どきブルマーなんてださいの穿いて
るのうちぐらいよ」っておねだりしてもこれだけは頑として聞き入れて
くれなかったのです。
 そこで、私たちは思い切って先生に嘆願書を出したのです。「ブルマー
をショートパンツに替えてください」ってね……
 ところが、嘆願書を見せると……
 「これは何!ショートパンツですって!まだ嘴の黄色いひよこのくせ
して何言ってるの。ブルマースは我が校の伝統あるユニホームなのよ。
それに何よりあなたたちのお父様方がお気に入りのスポーツウェアなの。
あなた方が自分たちのご都合で変えることのできるものではないの」
 なんて頭ごなしに園長先生に言われたものだから……
 「だって、あんなの時代遅れでかっこ悪いし……」
 「誰も穿きはたくないって……」
 「そう、オムツ穿いてるみたいでいやなんです」
 「あんなの時代錯誤ですよ」
 「そう、私、こんな姿じゃ恥ずかしくて……」
 なんて、口々に言ったら……
 「恥ずかしい?……お黙りなさい!生意気言うんじゃありませんよ。
あなたたち、いったい誰のおかげでこうやって暮らしていけると思って
るの。お父様に愛していただけてるからでしょう。そのお父様がブルマ
ー姿のあなたたちの運動する姿を見たいとおっしゃっるならそうすれば
いいだけのことじゃありませんか。あなたたちのお姉さまたちもこの姿
で体育をやってきたのよ。どうしてあなたたちだけが恥ずかしいの?」
 私たちはそれを言われると弱いのです。
 でも、何事によらず流行のファッションに身を包みたいと思うのは女
の性(さが)みたいなものですから……
 「だったら、お父様たち全員の承諾をいただいたら許可してください
ますか?」
 私がだめもとで粘ってみたら、あっさり……
 「いいですよ。ここにあなた方のお父様からの承諾書を持ってきたら
あなたたちの望みが叶うようにしてあげましょう」
 園長先生は自信たっぷりにこうおっしゃったのです。
 で、私たちは、一瞬顔を見合わせ、飛び上がって喜びます。
 誰の心の中も『私のお父様は私のことを他の子より可愛がってるんだ
から承諾書なんてチョロイものよ』という思いがあったのです。
 ところが……
 「えっ!どうしてだめなの?ねえ、お父様は時代の流れに逆らうの?
一生のお願い。ねえ~~承諾書にサインして……してくれたら、何でも
言うこときくから……」
 私がどんなに猫なで声で甘えて頼んでも……
 「困ったねえ、私はお前のブルマー姿が見たいんだよ。それはいけな
いことなのかい?」
 お父様は膝に乗せた私の頭を撫でながら11歳の少女の色仕掛け(?)
には反応しませんでした。
 「(えっ、いい子にしてたら何でもしてあげるよって言ったのに………
私のこんな簡単な望みを叶えてくれないの?)」
 お父様は私を特別に愛してくれていたと思っていたのに、それがそう
でもないとわかって正直ショックでした。
 おまけに遠くで二人の会話を聞いていたママまでもが……
 「何言ってるの。体操着は学校で決まってるものでしょう。そんなの
簡単に変更できるわけないじゃない」
 だめを押してきます。
 ただ、お父様はこうもおっしゃったのでした。
 「お前がどうしてもブルマーを穿きたくないなら、他のお父様の承諾
も取らないとね。これは私の一存で決められる事じゃないから……もし、
他のお父様たちの多くがそれに賛成だとおっしゃるなら私はそれに反対
するつもりはないよ」
 つまり、多数決には従うというわけです。でも、翌日学校に承諾書を
持ってこれたのは12名中たった2名でした。
 どの子も『我こそはお父様の一番の愛児』と思っていたみたいですが、
どうやら当てが外れたみたいでした。
 ま、ここでやめておけばみんな無事ですんだのですが、女の子という
のは時として意地になって無謀なことをやらかします。この時もそうで
した。
 既成事実を作ってしまおうというわけです。
 ワープロで打った承諾書の文言の下に、自分たちでお父様のサインを
真似て署名し、普段お父様たちが返却されたテストを確かに見ましたよ
という証につくハンコを勝手に持ち出して押してしまったのです。
 そう、思いついたのは承諾書の偽造でした。
 その偽造書類は結局11枚集まりました。ところが私だけはその印鑑
がどこにあるのかわかりません。そこでお父様にお友達が作った11枚
の承諾書を見せて……
 「ねえ、他のお父様はみんな承諾してくださったの。だから、お父様
も…いいでしょう」
 また、お膝の上でお色気作戦です。
 すると……
 「………………」
 お父様はしばらくの間かき集めたその承諾書をじっとご覧になってい
ましたが、そのうち…ふっと、笑顔になって……
 「仕方ないな……承諾書を書くとするか」
 とおっしゃったのです。そして、私をお膝からおろすと書斎へ……
 私は、当然、心の中でガッツポーズ。
 『渋々だって嫌々だって書いてくれればいいのよ』
 なんて生意気なことを思っていました。
 数分後、書斎から戻ったお父様の手には封書が一通握られています。
表書きには『承諾書』とありますから、当然これはブルマーを変更して
もよいというお墨付きに違いないと思うじゃないですか。ですから……
 「これは中を見ずに園長先生にお渡しするんだよ」
 と言われた時もさして疑いをもっていませんでした。
 『とにかくこれで準備は整った』
 そう思ったのです。
 私たち12名は2枚の承諾書と9枚の偽造承諾書、それに封を切って
いない承諾書1枚を携えて園長室に乗り込むとショートパンツへの変更
を迫ります。
 すると、最初いぶかしげにその書面を眺めていた園長先生も、やがて
昨夜のお父様と同じような笑顔になります。
 そして…最後に私が提出した封書を開封して中を確認すると、思いっ
きりほほの筋肉を緩めてお笑いになったのでした。
 「わかりました。でも、もう少しお待ちなさい。こちらにも準備とい
うものがありますから」
 そうおっしゃって私たちを一旦部屋から出されたのです。
 「やったやった、大成功」
 「さすが、茜。あったまいい~~」
 「ちょっちょっと頭を働かせばこんなものよ」
 私は友達の手前、一緒にはしゃいでいましたが、これは女の勘という
のでしょうか、お父様といい、今の園長先生といい、その笑顔にどうも
違和感を感じて仕方がありませんでした。
 そして、次の週末。
 私たち12人は園長先生に呼ばれます。それは他のお友だちにすれば
成功を確信する言葉でした。
 「これから、あなたたちには新しい体操着を朝比奈さんの処へ取りに
行ってもらいます。何分、最初のことで身体にフィットするかわかりま
せんからお姉様の処で試着させてもらいますからお行儀良くするのです
よ」
 園長先生にこんなことを言われて送り出されました。
 本来、篭の鳥の私たちはあまり亀山の外に出る機会がありません。で
すから他のお友だちは、マイクロバスに乗って山を下りることができる
というだけで大はしゃぎでした。
 ただ、私はというと園長先生に会う前に行われた健康診断の方が気に
なっていました。普段は外出許可の出る日に健康診断なんてしないから
です。
 『どうして健康診断なんかしたのかしら?…………まさか!?』
 でも、そのまさかだったのでした。
 バスは1時間ほどかけて朝比奈お姉様の別荘へとやってきます。
 ちなみにお姉様は『森のアリス』という子供服ブランドの社長さん。
私たちと同じ亀山出身で、主にローティーの子の制服や私服をデザイン
してもらっていました。
 そんな縁もあって、私たちが彼女の別荘を訪れるのも今回が初めてと
いうわけではありませんでした。私たちは過去にも新作発表会のモデル
として呼ばれたことが数回あって、そのたびに法外なギャランティーを
せしめていたのです。
 こんなことは他でも沢山あって亀山のOBやOGたちは私たち現役を
ことあるごとに呼んではお金を握らせてくれていました。それは、一旦
銀行に預けられ私たちが社会へ巣立つ時に渡されます。
 つまり亀山のOBやOGというのは単なる卒業生というだけではなく、
一種、現役世代の親代わりのようなところがあったのです。
 私たちが通された広い広い居間にはその親御さんたちがすでに三人も
ソファーに腰を下ろして待っておられたのでした。
 「あら、いらっしゃい」
 「元気にしてたあ」
 「この子たち五年生だっけ、最近の子は身体も大きいわね」
 このお三人さん、いずれもアパレル業界の方々で、樺山のお姉さまは
下着メーカーの『ホワイトスワン』朝比奈お姉さまは子供服メーカーの
『森のアリス』藤田お姉さまは『装美』というファション雑誌の編集長
をなさっています。
 もちろん一介の孤児にすぎない私たちから見ればみんな雲の上の存在
です。
 ちなみにここへ着てきた服や下着も元はといえばお姉さま方からいた
だいたもの。雑誌に取上げられた際にはちゃんとモデル料が自分の口座
に振り込まれていました。
 とはいえそこは子供のこと、親切されたからと言って三人にことさら
恩義を感じることもありませんでしたが、日頃から、ママや園長先生、
女王様からまでも日ごろから「くれぐれも粗相のないようにしなさい」
なんて言われていましたから、部屋に入って三人をいっぺんに見た時は
緊張してしまいました。
 「おかけなさい」
 どぎまぎする私たちに対して、朝比奈のお姉さまに言われましたが、
まずは床に膝まづいて両手を胸の前で合わせてご挨拶。亀山では室内で
大人の人たちにご挨拶する時は『乙女の祈り』と呼ばれるこのポーズを
とります。
 「本日はお招きにあずかり、ありがとうございます」
 12名の子が一斉にこれを始めましたから、大合唱になってしまいま
した。
 「はい、はい、わかったわ。いいからお座りなさい」
 朝比奈のお姉さまは、まず大きなソファーに子供たちを分散して座ら
せると、今度はおもむろに手を広げます。
 これは『私に抱きつきなさい』という大人側のサイン。こうされた時、
子供たちは何をさておいても飛び掛っていかなければなりません。逡巡
すれば無礼と思われますから、短い距離をもう条件反射で駆け寄ります。
 すると、12名もいる場所でのこと、他の子と朝比奈のお姉さまの目
の前でぶつかりそうになりました。
 結局、彩夏(さやか)ちゃんや春奈(はるな)ちゃんに譲ってもらい
私が最初にお姉さまに抱きつきます。
 「あなたはお名前は清美(きよみ)さんだったけ」
 「はい、そうです」
 「お父様は藤山様よね」
 「はい、そうです。お父様は藤山慶介です」
 「ママは?」
 「駒田春子先生です」
 私たちはこんな時、ママのことを先生と紹介します。家ではママです
が、それはあくまで内々での事。あくまで正式には家庭教師の駒田先生
なのですから。
 「そう、ママは春子先生なの。肌がつやつやしたなかなか美人の先生
よね。私のママはもうおばあちゃんだったからうらやましいわ」
 朝比奈のお姉さまは私を膝の上で抱き上げたまま私の頭を撫で背中を
さすり頬ずりをします。それは特別なことではなく大人たちが必ずやる
挨拶のようなもの。何しろ亀山では泣いても笑っても13歳までは全員
赤ちゃんという位置づけですから、挨拶も赤ちゃん並みというわけです。
 と、ここでお姉さまが、とある大きめの紙袋を取り出します。
 「これ、着て御覧なさい。あなたに似合うと思うわ」
 お姉さまがその中に手を入れて取り出したのは真新しい体操着。上着
はピンク、下はモスグリーンのパンツ。それは、私たちが待ちに待った
ユニホームだったのです。
 見ると、他の席でも樺山や藤田のお姉さまからも最初に抱かれた子が
おニューの体操着をいただいています。
 まさに『やったあ~~』という気分です。ですから、それをお姉さま
から「着て御覧なさい」と言われたときも何のためらいもありませんで
した。
 ここは女子だけの世界。さっさと服を脱いで下着になると、着替えを
済ませ、お姉さまの膝は次の子に譲って、空いたソファーの上で思いっ
きり跳ね回っていました。
 ええ、五年生なんて知恵があるように見えてもまだまだほんの子ども
なんです。ですから、このあと自分たちがいかに子供であるかを思いっ
きり知ることになるのでした。
 子供たちが全員新しい体操着に着替えたのを見届けると朝比奈のお姉
さまが大きな封筒を取り出します。そこから白い紙が現れて……
 「谷口茜ちゃん……これ、お返ししておくわ。とっても綺麗なサイン
だったのでびっくりしたわ」
 「守山秀子ちゃん……あなたのお父様は、たしか元の法務大臣よね。
そのお子さんがこんなことしちゃお父様だってお嘆きになるわよ」
 「駒田清美さん……」私の番です。恐る恐る側によると見えてきたの
は私たちが園長先生に提出した体操着変更の承諾書でした。それを提出
したそれぞれの子に返していたのでした。
 「これはあなたが考えたの?……」
 「……えっ、…いえ……」私は返事に困りました。
 「たいした知恵者ね。でも、今はまだこんなことをすべきじゃないわ。
今はまだ赤ちゃんなんだから……お義父様やお義母様、ママや園長先生、
女王様たちのお膝にの上で甘えてなきゃ……そういうのは嫌?もう飽き
ちゅゃった?」
 「…………」
 「でも、それがあなた方の今のお仕事よ。背伸びしても良い事は何も
ないわ」
 「…………」
 このサイン、あなたたちが自分で書いたんでしょう?」
 「……!!!」
 私はいきなり背中を鉈で割られたような強烈なショックを受けます。
このサインはみんなが何度も何度もそれぞれのお父様のサインを真似て
書いたものでしたが、何度も練習しましたから、いわば自信作だったの
です。
 亀山を知らない人たちには『所詮小学生が大人のサインを真似ること
なんてできるはずがない』とお思いかもしれませんが、私たちは幼い頃
から一日何時間もペン習字をお稽古させられて育ちましたから、自分で
言うのも何ですが同年代の小学生と比べればかなり綺麗な字を書きます。
 お父様のサインを真似ることだって、それほど難しくないと踏んだの
ですが……
 「あまりにも綺麗な字だから、承諾書を見た時はあなたのはお父様も
園長先生も、一瞬、目を見張ったようよ。でも、筆圧も線の勢いが弱い
から、すぐに誰かが真似て書いたものだってわかったの」
 「………(そうか、それで二人ともあの時笑ったのね。もう、あの時
ばれてたんだ)」
 私は立ち尽くしたまま臍を噛みます。
 「それで、園長先生から『こういうものは受け取れませんから子供達
に返してください』って言付かったの。……それと、もう一つ。あなた
のお父様と駒田先生からは、それぞれお手紙をいただいたの。それが、
これよ」
 朝比奈お姉さまはそうい言って二通の封書を私に手渡します。それは
間違いなくお父様とママの筆跡でした。
 「(承諾書!!)」
 そこには奇しくも私が提出したのと同じ文字が書かれていました。
 「いいから、中を読んでごらんなさい」
 そう言われて中を見ると……
 『承諾書、朝比奈孝子様へ。親として娘(清美)には厳しいお仕置き
が必要だと信じております。いかなるお仕置きにも同意いたしますので、
どんなに泣き喚こうが決して手を緩めないでください。もし、反抗的な
態度でお困りの時はご連絡ください。こちらでさらに厳しい折檻をして
ご報告いたします。お手数かけて申し訳ありませんが、よろしくお願い
いたします。……清美への追伸。清美、歯を食いしばってしっかり耐え
なさい。そこであまり見苦しいようなまねをするようならお家でママに
改めて折檻をしてもらいます』

§2

§2
 お父様のお手紙は私をこの世から煉獄の世界へと連れ去るものだった
のです。
 「(いやよ、わかったんなら、あの時叱らないのよ!注意してくれれば
いいじゃないの!!)」
 私は心の中で叫びましたが、こうなってはもうどうにもならないこと
だったのです。
 承諾書はもう一通ありました。こちらはママから朝比奈のお姉さまに
宛てられたもの。もちろん中身は、私に関するお仕置き承諾書でした。
 『承諾書、朝比奈孝子様へ。思う存分のお仕置きお願いいたします。
本来なら私がそちらへ伺って折檻しなければならないのですが、こちら
で手の離せない用を園長先生より言い付かっております。なにとぞこち
らの事情をお察しの上よろしくお願いします。なお、清美は我慢強い子
ですらスパンキングは平手60回とトォーズ30回位は楽に耐えます。
お浣腸もイチヂク30㏄程度なら30分は我慢しますので、くれぐれも
泣き喚きに惑わされることなく厳しくお願いします』
 「(何よ!そんなにもつわけないでしょう!私が、いつそんなに厳しい
お仕置き受けたのよ!いい加減なこと言わないでよ!)」
 私は声にこそ出しませんでしたが心の中はすでに半狂乱だったのです。
 この手紙にもお父様と同様に私への追伸が書かれていました。
 『清美へ追伸……あなたも身体が大きくなり心も強くなってきました
からそろそろ私の腕の中でのお仕置きでは退屈なようですね。……』
 「(そんなことないよ!)」
 『……そこで、今回は亀山の人たち以外からお仕置きを受けてもらう
ことにしました。朝比奈様の場合はうちのOGですからあなたの立場や
亀山の仕組みなどもよくご存知のはずです。完全に他人とはいえません
ので、あなたが最初にお尻を叩いて頂く方としては適任なのではないで
しょうか。……』
 「(勝手なこと言わないでよ!ママでいいよ!ママのお膝に乗るから)」
『……なお、私は今回忙しくてそちらへは行けませんが、代わりに、
園長先生と女王様があなたたちのお仕置きを見守ってくださいます。…』
 「えっ!」
 私は思わず手紙から顔を上げます。すると、その視線の先に見慣れた
お二人の姿があるではありませんか。
 「(いつの間に)」
 お二人はいつの間に開いたか覚えていないカーテンの奥でオムツを畳
んだり、ガラス製のピストン浣腸器を確認されたりしていました。
 「(何よ!何よ!何なのよ!)」
 私は残り少ない手紙の最後を読みます。ひよっとして『冗談ですよ』
なんて書いてないかと思ったのです。
 『甘い』ですか?
 でも、その時は本当にそんな気分だったのです。『藁にもすがる』って
いうか、そんな気持ちでした。
 『……あなたにとってこれは初体験です。でも、何度も言ってるよう
に「女の子は愛される人の中で恥をかかないと強くなれません」今回は
あなたとも顔なじみですし信用できるうちのOGということでこちらの
三人にお願いしました。お姉さま方のお手を煩わせることなくしっかり
恥をかいてらっしゃい』
 「(何よ、何よ、人の気も知らないで、勝手なことばかり言わないでよ)」
 もちろん動揺しているのは私だけじゃありません。周囲に気を配れば
すでに涙目の子もいます。すでに私同様全ての子に今回の件が告げられ
ていたからでした。
 「さあ、みなさん。事情は分かりましたね。辛いでしょうけど亀山で
暮らす子にとっては避けて通れない事ですからね。10人のお子たちは
気持をしっかり持ちましょう。あっ、それから香澄ちゃんと朝香ちゃん。
あなた方は今回の偽造には直接関わらなかったけど他の子が悪いことを
するのをただ見てたわけですからね、今回も見学とお手伝いはきっちり
やっていただきますよ」
 朝比奈のお姉様はまるで私たちの先生のような口調でおっしゃいます。
これはやがて私たちもそうなるのですが、亀山では上級生になると先生
のように下級生の面倒をみさせられます。そこでは一定の約束事のもと
で下級生にお仕置きする権利も認められていました。それは高校へ行く
ともっとはっきりします。お姉様たちは亀山の卒業生ですからそうした
ことも心得ておられるみたいでした。
 「さあ、それでは、まず最初は発声練習からしましょうか。みなさん、
お父様の写真の下に行って下さいね。そこで乙女の祈りを捧げますよ。
いいですか」
 朝比奈お姉さまは奥の壁に掲げられたお父様方の写真を見ながら私達
に指示なさいます。
 「……」「……」「……」「……」「……」「……」「……」「……」「……」
 もしこれが、お母様やママが言ったのなら、一目散ということになる
のですが、顔見知りとはいえ洋服屋さんのおばさんが号令したのでは、
みんなお互いの顔色を窺うだけでそう機敏には行動できませんでした。
 しかたなく園長先生が動きます。
 「さあ、さあ、あなたたちにお姉さまの号令を拒否する自由はありま
せんよ」
 先生はいきなり私の前で膝間づくと、いきなり私の穿いてたショート
パンツをそのショーツごと引き下ろします。
 そして……
 「ピシャ」
 私のお尻はまるで楽器のようないい音で鳴ったのです。
 こうなると、嫌も応もありませんでした。一人の子が部屋の奥に飾っ
てあるお父様の写真の前へ向かうと、他の子も釣られるようにして動き
出します。
 結局、私だけが取り残されたような形になりました。
 すると、園長先生はおもむろに私のショートパンツを元に戻して背中
を一つ叩きます。
 もう、行かないわけにはいきませんでした。
 「お父様ごめんなさい。清美はお父様の名前を騙って悪いことをしま
した。どんなお仕置きでも受けますから、終わったら今までと同じ様に
可愛がってください」
 この文言は目の前の壁に貼り付けてあります。要するにカンペです。
ただ、五年生くらいになると懺悔の言葉も自分で考えなければならない
のです。膝まづく姿勢で、お仕置き担当の先生からは何度も何度もダメ
だしされますから、最初に懺悔の言葉が整うころには幾筋もの涙で頬が
濡れているものなのです。
 ですが、それだけは許してもらったみたいでした。
 ただ、これは一回じゃ収まりません。
 「声が小さいわよ。そんな小さな声じゃ、お父様にも神様にも聞こえ
ないわ。さあ、もう一回」
 「もっとゆっくりはっきり言いなさい。何言ってるかわからないでし
ょう。さあ、もう一回」
 「泣きながら言ってもだめよ。お鼻ぐじゅぐじゅさせて言うことじゃ
ないの。はい、もう一回言って」
 「あら、痰が絡んじゃったの?ほら、これに出して……」さっそく、
口元にティシュがあてがわれますが、そこにペッてやると……
 「はい、すきっきりした?じゃあ、もう一回」
 とにかく何かと難癖をつけられて、結局10回以上は懺悔させられる
のが普通でした。
 この時は懺悔の言葉が最初から決まっていましたからその分厳しくて、
20回も同じ言葉を繰り返し繰り返し写真のお父様とそれより一段高い
処に祀ってあるマリア様に向かって語りかけるはめになったのでした。
 「はい、いいでしょう。こんなに大きくてはっきりした声ならお父様
の耳にもマリア様の耳にも届いたことでしょう……」
 「(そんなわけないじゃない)」
 思わず私の心に悪心が走ります。こんなの慣用句なんですから聞き流
せばよいのですが、私はそれができなくて、一度、心の声をお外に漏ら
してしまい、下半身全裸のお臍の下をトォーズで『ピシッ』とやられた
ことがありました。以来心の声はお外に漏らしていませんがいつも胸の
あたりまで上がってくるのでやっかいです。
 「さあ、では、こちらを向いてください」
 朝比奈お姉さまの涼やかな声がかえって不気味に感じられます。
 言われたとおり後ろを向き直ると、そこにはこちらの予想通りお浣腸
の準備が整っていました。
 グリセリンを入れた焦げ茶色の薬ビンとガラス製のピストン式浣腸器。
山のように積まれたオムツやタオル。床には白いシーツが敷き詰められ、
そこに薄い敷布団が乗っています。黄色いゴムのチューブが見えるのは
ガラス製の浣腸器を直接お尻に刺すと、万が一暴れてガラスが割れ子供
に怪我をさせてはいけないというお姉様方なりの配慮だったのでしょう。
 実際、家や学校でのお仕置きの際は、直接、ガラスの尖った先がお尻
の穴に突き刺さるのが普通でした。
 「!!!!」
 いえ、それよりもっと重要なものが目に入ります。
 カテーテルや膿盆と呼ばれる金属製の皿、それに局所麻酔用の注射器
までもが見えます。これは導尿とよばれて強制的におしっこを採るため
のもので、お浣腸のお仕置きをやるからと言って必ず行われるものでは
ありませんでした。
 「ねえ、お灸もすえられるの?」
 寂しがり屋の真理江が私の耳元で囁きます。
 「嘘よ、だっておばば様が来てないじゃない」
 そうなのです。お灸と導尿はよく一緒でした。お灸の熱さに耐えかね
て、一度お浣腸したにもかかわらず残っていたおしっこがまた漏れ出す
なんてことがありますから、徹底的に膀胱からおしっこを抜こうとして
これが行われることが多かったからでした。
 ただ今日はお灸のお仕置きには欠かせないおばば様の姿が見えません
から、それはないんじゃないかと思ったのです。
 「二人とも、お仕置き中は私語は厳禁よ」
 私達は背中の声に震え上がります。それは女王様の声でした。彼女は
文字通り亀山では絶対君主。お父様ですらその決定には逆らえないくら
いですから、年端も行かない小娘からみれば雲の上の存在だったのです。
 「はい、ごめんなさい」
 「はい、ごめんなさい」
 二人はそれしか言えませんでした。
 子供達全員が正座したのを確認すると朝比奈お姉さまが口を開きます。
 「では、次は汚れた身体の中を洗いましょう」
 お姉さまはそう言って視線を泳がせると私と目を合わせます。
 「清美さん、いらっしゃい」
 「えっ!(どうして私が最初なのよ)」
 私はショックでしたが、行かないわけにはいきません。
 そうなんです。どうやら大人たちの間では、今回の許されざる犯行を
指揮したのは『私』ということになってるみたいでした。
 「さあ、お洋服、脱ぎましょうね」
 朝比奈お姉さまの前に立つとお姉さまは微笑んで一言。でも次の瞬間、
 「万歳して……」
 樺山、藤田の二人のお姉さまが前後から挟みつけるように、前からは
若い樺山お姉さまがシャツを、少しお年を召した藤田お姉さまは後ろか
らパンツを、一気に剥ぎ取ります。
 「…………」
 まるで追いはぎです。短ソックスを除き全裸にされた私は、あまりの
早業に胸を隠すのさえ忘れてしばし薄い布団の上に立っていました。
 「さあ、ここへ仰向けになるのよ」
 お姉さまにそう言われて慌ててしゃがみますが後の祭りでした。
 「やり方は学校でやっているのと同じ。お薬が全部身体に入ったら、
裸のまま私に抱きつくの。10分たったら可愛いオムツを当ててあげる
から、その後はそこに出してしまっていいわよ」
 「…………(そこに、って?)……」
 私は自分の両足の裏が天井を向いているのに気づきます。
 もう、私の見せたくないものがお友達に丸見えになっているのがわか
ります。でも、それは仕方がないことでした。でも、『そこに出していい』
というのには引っ掛かります。
 「あら、そのお顔は、何か心配そうね」お姉さまはそう言うと、私の
ほっぺをちょんちょんと突いて……
 「あら、ひょっとして、おまるなんか期待してるのかしら?」
 「……(おまるというより、おトイレは行けませんか?)……」
 そんな私の顔に不気味な笑顔が逆さになって大きくしかかります。
 「だめよ。これだけのことしたんですもの。今日は……」
 「………あっ!」
 油断していたらいきなり硬質ゴムの先がお尻に突き刺さります。
 「……オムツの中にするの」取り込み中のさなかお姉様の声が遠くに
聞こえます。
 「……(いや、気持ち悪い)」
 言葉は出さず、首を振るだけて自分の気持ちを外へ伝えます。
 実際、これから先はどうすることもできませんでした。
 50ccのあの嫌な気持ちをお臍の下に受け入れるとあとはゴムの管が
抜かれて言われた通り朝比奈のお姉さまに抱きつきます。
 「……(ひぃ!)」
 最初の便意がもう抱きつく前から起こりました。
 「さあ、私のブラウスをしっかり握りしめて我慢するのよ。あなたの
したことはね、大人の世界ならおうちから追放されても文句の言えない
ようなことなのよ。しっかり我慢して、悪い物をぜ~んオムツに出して、
しっかりお友達にそれを見てもらいましょう」
 「そんなあ、おトイレは?」
 「そんなもの必要ないわ。あなたの仕事はたくさんウンチがでたら、
それをお友達に見てもらうことですもの」
 「…………」
 「そんなに困った顔しなくてもいいでしょう。どの道、お友達だって
あとで同じことするのよ」
 私の思い切り閉めた肛門の筋肉がほんのちょっぴりですが緩みます。
 「(そうだ。今日は私だけじゃない)」
 これが唯一の救いでした。
 とはいえ、これはどこで何度やってもやっぱり地獄のお仕置きだった
のです。
 強烈な下痢が短い周期で定期的に私のお尻を苛みます。
 「……あっ、いや、だめ、だめ、うっっっおう、いや、いや……」
 こんな訳の分からないつぶやきを漏らしながら、顔は一面脂汗。両手
両足にはびっしり鳥肌が立って毛穴が開いています。しかも全裸で……
 しかし、もう後先のことを考える余裕なんてありませんでした。今は
ただ正座したお姉様という大木に蝉のように抱きついて自分のプライド
を守るのが精一杯なのです。
 おかげで悲しいとか恥ずかしいという感情すら湧きませんでした。
 「さあ、もういいわ。オムツを当ててあげるからそれまでは我慢する
のよ」
 そう言ってお膝を下ろされます。
 10分なんて遊んでいたらあっという間ですがこんなことの10分は
1時間にも2時間にも感じられてお膝を降りた時は精根尽き果てていま
した。
 ですから、あらがう元気もなく私のお股にはオムツがはめられていき
ます。もちろん、お友だちは私のひくひくと動く汚い部分を目の当たり
にしているはずですが、それを気にする気力さえありませんでした。
 「さあ、もういいわよ。ウンチ出してごらんなさい」
 こんな事をお姉様が耳元で囁きます。でもねえ……
 「いやよ、そんなの。おトイレでやりたい。おトイレに連れてって」
 無理は承知で訴えますが……
 「だめよ、さっき言ったでしょう。今日はお仕置きだもの。おトイレ
でなんかできないわ。みんなの前で恥をかかなければお仕置きにならな
いでしょう」
 「いやあ、絶対にいやあ」
 私はさらにごねます。もちろんそれはむなしい抵抗なんです。でも、
何かやっていなければもう本当にこの場で全てをぶちまけてしまいそう
だったのです。事態はそれほど切迫していたのでした。
 「大丈夫よ。いいからここでやっておしまいなさい。後は、私たちが
あなたの身体を綺麗にしてあげるわ」
 ええ、結局はそういうことになるはずです。あらがっても仕方のない
ことは分かっていました。でも、こんな言葉はやはり悪魔の言葉として
しか聞くことができません。ですから私はお姉様に目をむいて抵抗する
のです。
 「あらあら、怖い顔して、お父様にもそんなお顔することがあるの?
だめよ、お父様にだけはそんな顔をみせちゃいけないわ。女の子はお顔
が命。少しぐらい辛いことがあっても人を怖がらせるようなお顔をして
はいけないわ」
 「(何、勝手なこと言ってるのよ!)」
 「今のあなたはお父様からの愛があるから楽しく元気に暮らしていけ
るのよ。そのお父様が望まないことをあなたはしてはいけないの。お顔
も、ブルマーもよ」
 お姉様が明るく諭します。でも、その時でした。再び大きな波がお臍
の中で暴れます。
 「あっ、だめえ!」
 また、必死に肛門を閉めました。でも……
 「朝比奈さん、貸して御覧なさい」
 園長先生が半ば強引に私を奪い取ります。そして、お姉さま同様正座
した上私を乗せると下腹を擦り始めます。
 「あ、いや、そんなことしないで!」
 左手一本で私の身体を支える園長先生に普通なら上げない声を上げて
抵抗しましたが、園長先生の右手はお臍の下をさらに下りていきます。
 そして、オムツをすり抜けると……
 「あっっっっ…いやぁぁぁぁぁぁ…出る~~~~~~~」
 クリトリスも尿道口も今まさに蹂躙されて……
 そりゃあ、女性同士ではありますが……
 「(こんなこと、イヤぁぁぁぁぁ)」
 先生の指先に擦れてクリトリスが痛いというのは覚えていますがそれ
以降の記憶に感情はありませんでした。もうこれ以上辛い記憶を残した
ら立ち直れない。頭の中がそう判断したのかもしれません。
 大きなおならをいくつもしながら大量のウンチが鉄砲水のように数回
にわたって出てきました。
 そして、それが一段落すると、園長先生に両方の太ももを抱えられて
おまるへ。ちょうどよちよち歩きの赤ちゃんがウンチをする時のような
あんな姿勢で……みんなが見ている前で……
 「さあ、もうちょっと出ないかしら?お腹に残っていたら出した方が
いいわよ。少しでも残ってるとパンツに着替えた時、気がつかないうち
に漏れちゃったりするから……」
 園長先生の言葉に私は激しく首を振ります。お腹に少し残っているの
はわかっていましたが、ここであらためてあんな汚いものを出すなんて
とってもできないと思ったのです。
 でも、それは園長先生だけでなく女王様もご承知だったみたいで……
 「(えっ!うそ!)」
 私の前に現れたのは女王様でした。そして、あろうことかその手で私
の下腹を擦(さす)ったのです。
 「何?驚いちゃって?私も女性ですからね、赤ちゃんのお下のお世話
ぐらいするのよ。あなただってそのうちやらなきゃならなくなるわ」
 そして、切ない感情が、指の先、顎の先、乳首の先から子宮の方へと
痺れを伴って伝わります。それはこれまでにほとんど感じたことのない
感情でした。純粋な性欲ではありませんがその萌芽なのかもしれません。
 ただ、少なくとも麻酔薬の役割は果たしていたようで私は再びウンチ
とおしっこを中腰の園長先生のお膝の上からおまる目がけてしてしまっ
たのでした。
 「……!」
 と、その時です。見学していた誰かがくすっと笑ったのがきっかけで
私の感受性が復活します。
 「ああ、だめ」
 私は身体を揺すって園長先生のお膝を降りようとします。
 もう、1秒でも0.1秒でも耐えられませんでした。
 その事は経験豊富なお二人にはお分かりだったようですが、さりとて
すぐに恥かき終了とはなりませんでした。
 「はいはい、わかったわ。でも、もうすぐだから我慢なさい」
 こう言われて、あらためて薄い布団の上に立たされると蒸しタオルで
お股の中を清められ、今度は寝かされてまたあのオムツ換えのポーズ。
ベビーパウダーをこれでもかというほどはたかれると、ここでやっと、
まともなショーツを穿かせてもらえるのでした。
 その後、ショートパンツやスリーマー、ジャージなんかを着せられて
再び体操着姿に戻してもらって私のお浣腸のお仕置きは終了しましたが、
お友達の列に戻っても他人(ひと)と口を利く気がしません。隣の子の
腕がほんのちょっと触れただけでも飛び上がりそうなほどの嫌悪感が走
ります。
 「(もうこのまま死んでしまいたい)」
 本当にそんな惨めな気持ちでした。ですから、体育座りで眺める次の
お友達も私と同じような目にあっているのですが……
 「…………」
 何の感情も沸きませんでした。普段の私なら、神妙な顔はしていても
心の中では拍手喝采で見ているはずなのに、歓喜する光景も、ほとんど
ぼんやり眺めるだけだったのです。
 そうそう、大事なことを忘れていました。実はお友達の列に戻った時、
私は女王様に勧められるまま正座した膝を椅子代わりに座っていました。
女王様は亀山の絶対君主ですから大人なら恐縮するところでしょうが、
そこは子供のこと、頭を撫でられ、両手の指を揉んでもらっても、当然
という顔をしていました。

§3

§3
 でも、その次の茜ちゃんの時でした。
 茜ちゃんは普段は私同様活発というか、お転婆な少女でした。ですが、
そんな子ほどこんな事には弱いものなのです。
 彼女はオムツに用を済ませ、私と同じように園長先生に抱えられて、
おまるのある場所へと移動させられようとしていましたが、どこか疳の
虫に触ったのでしょう。
 突然、激しく暴れて園長先生の両手から降りてしまいます。
 でも、その際……
 「うわっ!」
 自分がさっきやってしまったオムツの上に右足を下ろしてしまったの
です。
 「わあ、……あ~~あ、ばっちい子ね」
 大人たちが大慌てするなか、茜ちゃんは泰然自若として立ち尽くして
います。きっと、あまりの事に頭の回線が切れてしまったのかもしれま
せん。ぬちゃぬちゃウンチが白いソックスにべっちゃり着いてしまいま
した。
 「ピシャ!」
 園長先生の平手が茜ちゃんの可愛いお尻にヒットして乾いた音が部屋
中に響きます。
 「おとなしくしてないからでしょうが…」
 園長先生の叱責に茜ちゃんは無言のままでいましたが、心には響いた
みたいでした。
 すっかり正気に戻った茜ちゃんでしたが、大人たちはこの子にはこれ
では足りないと感じたのでしょう。再びオマルに跨り用を済ませたあと、
お股を綺麗に拭き上げてから薄いお布団に仰向けに寝かせます。
 「…………」
 茜ちゃんは言葉を発しませんでしたが、周りの雰囲気から、これから
自分が何をされるかわかっていたことでしょう。その無念さは私達の処
までも伝わってきます。
 「お注射するけど、動かないでね」
 茜ちゃんはお股をこれでもかというほど広げさせられて尿道口近くに
細身のお注射を受けます。
 お注射は局所麻酔のキシロカイン。今はゼリーで塗り薬ですが当時は
注射でした。
 「暴れたら大変な事になりますからね。わかってますね」
 なんて散々脅されたあげく震えながら大また開きを続けるのです。
 その目的は導尿でした。
 とたんに周囲の女の子たちが微妙にお股を閉じ腰をもじもじさせ始め
ます。もちろん今行われていることは茜ちゃんだけの問題、自分達には
関係のないことはわかっていますが、女の子たちにとっての『導尿』は、
その言葉を聞くだけで身の毛がよだつお仕置きであり、また胸の奥から
エロティクな気持ちを呼び覚ましてくれる魔法の言葉でもあったのです。
 女の子は赤ちゃんが出てくる場所とおしっこが出てくる場所がとても
近くにありますから、ウンチ以上におしっこをしている姿を見られる方
が恥ずかしいのです。
 しかも導尿はおしっこの穴からカテーテルと呼ばれる管を差し込まれ
て強制的におしっこさせられるわけで、先生しか見てない処でやられて
も消え入りたいほど恥ずかしいのに、それをお友達の前でやるわけです
からこんな屈辱的なお仕置きはありません。
 自分のおしっこが膿盆にたれていくのをぼんやり眺めている茜ちゃん
の心が尋常だったはずがありません。でも……
 「もしここで暴れたら、次は……)」
 茜ちゃんはそう思った事でしょう。そしてその先は、それは想像する
だに恐ろしい事だったのです。
 そんな茜ちゃんの様子を見ていて私の心は落ち着きを取り戻していき
ます。
 殿方には理解しにくいことかもしれませんが、女の子というのは自分
が人より恵まれていると感じる時より、自分より不幸な人がいると感じ
る時の方が安心できる生き物なのです。
 ですから、男性に「よくこんな悲惨な映像を正視できるなあ」なんて
感心されてしまいますが、女の子ならそれは当たり前のこと。だって、
私の方が『幸せ』で勝ってるんですから……
 そう、女の子は自分勝手で本当はとっても残忍な生き物なんです。
 それはともかく、茜ちゃんのおかげで私は息を吹き返します。
 「(私より不幸な子がいる)」
 そう思うことができたのです。
 あとはいつも同じでした。顔だけはちゃんと深刻そうに装っています
が、心の中はまるでバラエティー番組でも見ているかのようにお友達の
痴態をはしゃいで楽しんでいます。
 そこは子供ですから、すぐに落ち込みますが大人のようにネガティブ
に考え込むなんてこともありませんでした。
 「あら、今度は楽しいみたいね……」
 私は耳元でささやく女王様のために首を横に振りますがそこは女同士。
微妙な変化も見逃しませんでした。
 「いいのよ、それで…赤ちゃんは正直な方が良いわ。でもこれだけは
忘れてはだめよ。こんなお仕置きの最中に笑顔でいられるのも、あなた
たちには帰る家があるから、飛び込むベッドがあるから、安らげる大人
の胸があるからなのよ」
 彼女は続けます。
 「本来、孤児にはないこれらの物をお父様方が用意してくださったの。
だから間違ったことには一般家庭ににも負けないちゃんとしたお仕置き
ができて、社会に出ても立派な働きができて、それが亀山に還流して、
ここが孤児の楽園になったというわけ。あなたたちは分不相応なほどに
幸せ者なのよ」
 女王様のお話は亀山ではたいてい『このくそばばあ!お前、だいたい
説教が長いんだよ!』なんてお腹の中で思いながら聞いていましたが、
大人になると、その言葉の意味がわかります。
 赤の他人同士の社会では血の繋がりのある人たちのように『親だから
こんな事は当然してくれるだろう』という暗黙の了解事項のようなもの
がありません。ですから、これでもかというほど沢山のスキンシップが
常に必要になるわけです。『13の歳まで赤ちゃん』という人間関係も、
そういう関係でなければ子供の側が大人たちからの愛を素直に受け入れ
ないから、そうしているのです。
 お仕置きはそんな愛の一部として、大人たちがやる年中行事のような
ものですから、一見するとものすごく理不尽で厳しい事をしているよう
に見えるかもしれませんが、実際には『そのために心に深手を負った』
なんて子はいないと思いますよ。
 私だって、そりゃあお転婆でしたからね、厳しいお仕置きを山と受け
て山を降りましたが、だからと言って『あの時代が不幸だった』なんて
思った事は今まで一度もありませんでした。
 むしろその逆で、あの時代が一番楽しかったように思います。
 ま、そこにいた頃は、不満たらたらでしたけど……(⌒-⌒;)
 それはともかく、子供たちの列にはお浣腸を終えた子が次々と帰って
きて、それを女王様や樺山、藤田のお姉さまたちが慰めます。
 慰めるといっても膝に乗せて髪を撫でてお手々を揉み揉みする程度の
ことなんですが、これも亀山の習慣で子供達は何かお仕置きされた後は
必ず大人たちのよちよち抱っこを受けなければなりませんでした。
 中には「ほっといてよ!」と言いたい時だってありますがそれを拒否
するとお仕置きが増えますから大人たちの愛玩をおとなしく受けるしか
ありませんでした。つきりこれもまたお仕置きの一部だったのです。
 こう言うと、『嫌なことされてたのか?』と思う人もいるかもしれませ
んね。女の子はたまに虫の居所が悪い時があるというだけで普段はそん
な事ありませんよ。そりゃあぶたれてる時よりこちらの方がぐんといい
ですから。
 私なんて甘えん坊でしたからね「ほら、もう離れなさい」なんて言わ
れるまで大人たちの身体にセミみたいにくっついていました。 (⌒-⌒;)
 こうして、お浣腸のお仕置きが終わると、次はいよいよお尻たたきの
お仕置きが始まります。
 ところが、ここでなぜかお浣腸を受けなかった彩夏(さやか)ちゃん
や春奈(はるな)ちゃんが先にお仕置きを受けることに……
 その罪はお友達と一緒にいたのにその悪事を止めなかったから。
 二人とも園長先生のお膝にうつ伏せになり裸のお尻を平手で叩かれま
す。だいたい20回位でしょうか。終わり頃には手足がばたつき途切れ
途切れに悲鳴が漏れるという程度。世間の常識は知りませんが亀山では
軽い部類の罰です。
 そもそも最初からその程度で済ますつもりだったから二人にはお浣腸
をかけなかったのでした。
 ということは、私達はそれではすまない。そのことは他の子全員がわ
かっていたことだったのです。
 「さあ、おちびさんたち。これからがいよいよ本番ですよ」
 朝比奈お姉さまの笑みに全員の顔がこわばります。
 「大丈夫、試練は必ず乗り越えられるわ」
 近くにいた藤田お姉さまが私の手をとって励まして下さったのですが、
当時の私にすればそれは皮肉以外の何ものでもありませんでした。
 「清美さん、しらっしゃい」
 園長先生のご指名です。
 「はい」
 私は小さくご返事をして立ち上がります。視界の隅に陽光に包まれた
お庭が開け放たれたステンドグラスの扉の向こうに見えます。私は一瞬
そこへ駆け出したい衝動に駆られましたが……
 「どうしたの?」
 園長先生の声が再びします。
 もう、行かないわけにはいきませんでした。
 私は椅子に座った園長先生の足元で膝まづくと胸の前で手を組んで…
 「今回はお父様のサインを偽造してしまいました。どうかよい子に戻
れるようにお仕置きをお願いします」
 そう懺悔すると、園長先生はまず私を膝の上に抱き上げます。さっき
女王様や藤田のお姉さまとやっていたようにその膝の上に馬乗りになり
大きなお胸の中に顔をうずめて抱きつくのです。
 「いい子ね、ちゃんと懺悔ができたのね。亀山の子はこうでなければ
ならないわ。だってこれからもあなたはお父様の天使様として暮らすん
でしょう」
 「はい、先生」
 私はすでに体中が震えていました。園長先生はその身体をやさしく抱
きしめ頭をなでつけながら私の頭をご自分の胸の谷間へとさらに押し付
けます。
 「わかったわ。それでは辛いお努めだけど受けなきゃならないわね。
大丈夫、歯を食いしばって頑張ればすぐに終わるわ。そうすればあなた
はこれからもずっとずっとママやお父様から誰よりも大きな愛を受けら
れるはずよ」
 「本当に?」
 「もちろん、あなたのママやお父様は誰よりもあなたのことを心配な
さってるわ」
 「…………」園長先生はそう言って私の顔を覗き込みます。
 「子供は大人より沢山の悪さをするから大人より沢山お仕置きされる
けど、それが終われば、みんなもとの天使様。以前の綺麗な心のまま、
誰からも愛されるわ」
 「愛されるって大事?」
 「大事よ。特に女の子はどのくらい愛されているかでどのくらい幸せ
かがわかるの。どんなにお金を稼いでいても、愛されない人は幸せには
なれないわ」
 「…………」
 「さあ、では始めましょうか」
 園長先生はそう言うと私を膝の上でうつ伏せにして寝かせます。
 頭が少し下がってお尻がちょんと上がって、デニムのショートパンツ
がみんなの視線に晒されて自己主張しているはずです。
 そんなパンツを……
 「パン」「パン」「パン」「パン」「パン」「パン」
 園長先生は小気味よく叩きます。大きな音はしますが、厚い生地の上
からですからそれほど痛くはありません。
 次はモスグリーンのショートパンツが引き下ろされ白い綿のショーツ
が顔を出します。
 「パン」「パン」「パン」「パン」「パン」「パン」
 これも続けざまに6回ほど平手で叩かれましたが、足をちょっとばた
つかせただけで乗り切りました。
 でも、さすがにそりショーツまで取られて丸いお尻が現れると平常心
というわけにはいきません。
 「パン」
 たった一撃でそれまで跳ね上げなかった処まで足首が上がります。
「パン」
 思わず身体が硬くなります。両手両足は使えませんがそれ以外の部分
で園長先生のお膝を挟みつけようとします。
 「パン」
 「ぁぁ」
 小さな吐息と同時に握りこぶしを固めていました。
 「パン」
「いっ……」
 腰が小さくはねます。
 「パン」
「ひぃ」
 たった裸のお尻にたった5発命中しただけでもう悲鳴。
 これでは先が思いやられます。ですから、やせ我慢をして次を待ちま
した。
 「パン」
 「……」
 覚悟を決めて臨んだその1発だけは悲鳴を上げずにすみましたが……

 「パン」
 「いやあ~」
 最初の悲鳴が上がると後はぐずぐず……
 「パン」
「いやあ、だめえ~~」
 「パン」
 「駄目じゃないでしょう。さあ、お手々を戻して……」
 先生は私のお尻をかばった手を元の位置に戻します。
 「パン」
 「痛い、先生、痛い」
 「当たり前でしょう、お仕置きなんだから……さあ、お尻をさすらな
いの」
 「パン」
 「だめえ~~~」
 「駄目じゃないの。これから効果がでるんですからね」
 「パン」
「ひい~~」
 この時から朝比奈のお姉さまが私の右手を押さえてしまいます。
 ですから、私のお尻は園長先生の右手の独壇場。
 「パン」
 「いやいやいややや」
 お尻を叩く乾いた音と言葉にならない私の嬌声が部屋中に響きます。
 「パン」
「ぎぃあ~~ぎゃあ、ひぃぃひひひひひひひどい」
 「ひどくなんかありません。このくらいまだ序の口よ」
 「パン」
 「パン」
 「パン」
 あとは何回叩かれたか覚えていませんが、園長先生のお膝から降りた
時、顔が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていたのは確かでした。
 そんなひどい顔を樺山のお姉さまがタオルでぬぐってくださいます。
 おかげでその間は真っ赤になっているであろうお尻を沢山さすること
ができたのでしたが……
 「さあ、お父様の写真の前で懺悔なさい」
 ただその後は、そのままの格好、つまりショーツも脱がされた格好で
お父様の写真が飾られた壁の真下に膝まづき亀山流の乙女の祈りを捧げ
なければならなかったのです。
 「私はお父様のサインを偽造してしまいました。どうかもとのよい子
に戻れますように厳しいお仕置きをお与えください」
 お尻の痛みはすぐに引きましたが、涙は次から次にあふれて止まりま
せん。こうした時、子供たちは同じ懺悔の言葉を延々繰り返さなければ
なりませんでした。
 むき出しのお尻の方は数回懺悔の言葉を口にすると「パンツを上げて
いいわよ」ってお許しがでますが、懺悔の言葉は相変わらず繰り返さな
ければなりません。もちろんそんなこと子供達とっては苦痛ですから、
次第に声が小さくなったり、言葉が不明瞭になったりしますが、そんな
ことをしていると、見張りの先生にその場で四つんばいになるよう命じ
られ、またパンツを下ろされて、革のパドルでお尻をぶたれるはめにな
ります。
 今回はそのお努めを樺山のお姉さまがなさっていました。
 革のパドルはせいぜい5、6回。沢山ぶたれればそりゃあ痛いのです
が、このくらいならそれほど痛みはありません。ただ、四つんばいにな
るということは、またしても大切な処が丸見えになっちゃいますから、
その意味で辛いお仕置きだったのです。
 私の周りには次第に最初の平手打ちを終わった子たちが周囲に集まり
始めます。それは私以上に泣き叫んだり暴れたりした子ばかりでした。
 『ちっ、意気地のない子』
 私は心の中でちょっぴり場違いな優越感に浸ります。
 えっ?どうしてそんな事がわかるのか?(^◇^;)
 いえ、わかりませんよ。私が勝手にそう思ってるだけです。ひょっと
したら私より我慢強い子がいたかもしれません。でも、そんな事はどう
でもいいんです。女の子というのは、どんなにつまらない思い込みでも
それを心の支えにして過酷な試練も乗り切れるのでした。
 女の子が男の子以上に打たれ強いのはこの思い込みがあるからでした。
 やがてすべての子のお尻叩きが終わり、私の背中では何やら舞台装置
が整えられているのがわかります。最初にお浣腸までしたんですから、
きっとお馬を用意しているのでしょう。
 その覚悟はもうとうについていました。
 亀山では、小学三年生までの子にはほとんどのお仕置きが平手だけの
スパンキング。鞭を使っての厳しいお仕置きというのはありません。
 それが四年生になると、お仕置きに鞭が登場し、同時にお浣腸もやら
なければならなくなります。とりわけ小学五年生から中学一年生までの
三年間は厳しいお仕置きの最盛期で、この時期に鞭とお浣腸とお灸をい
っぺんにやる『トリプル』と呼ばれるお仕置きを経験しない子はいなか
ったと思います。
 もちろん女の子ですから、男の子みたいに無鉄砲な事はしませんが、
女の子とはいえこの頃は体力的にも男勝りのの時期。大人たちが女の子
達が震え上がるようなお仕置きを言い渡すためのネタに不自由すること
なんてありませんでした。
 「駒田清美さん、こちらへいらっしゃい」
 また、私からです。もちろん振り返りたくもありませんが、今更逃げ
出すこともできませんでした。
 長い間膝まづいていましたから立ち上りぎわふらついてしまいます。
そうやって後ろを振り返ると、そこには椅子に座った女王様を取り囲む
ように園長先生や朝比奈、樺山、藤田の各お姉さま方が立ってこちらを
見ておられますが、私の方から見れば全員ふらふらと陽炎のように揺れ
ておられました。
 私はおぼつかない足で前へ進むと女王様の足元に膝まづきます。
 「本日はお仕置きありがとうございます。これからもこの地で幸せに
くらせますように厳しいお仕置きをお願いします」
 私は心にもない事をすらりと言いぬけました。だって、これは亀山の
ご挨拶。どのくらい悪い子だったか、本当にそう思ってるかなんて事は
この際、関係ありませんから。
 でも、大人たちの評価は違っていました。
 「まあ、素直ないい子じゃなくて…」
 「ほんと、目が澄んで美しいわ」
 「お父様もこんな子ばかりならお幸せにちがいないわね」
 三人のお姉さまたちはこちらの背中が痒くなるような事を口々言って
私を褒めます。そして、園長先生や女王様まで……
 「明るい子なの。勉強もできるし水彩画なんかここ何年も県展で連続
入選してるわ」
 「じゃあ、お父様も可愛がってくださるんじゃなくて……」
 「よく教室にいらっしゃるから、きっとお父様もこの子には目をかけ
られてると思うわ。……ま、私の立場で言わせていただくと、お転婆で
お調子者で、大人に取り入るのが上手だから、時々今回みたいにお友達
をそそのかしてよからぬ事をたくらんだりするから要注意人物だけど」
 「まあ、酷い言われようね。こんなにいい子なのに」
 「でも、男性って、そのくらいの方がかえって歯ごたえがあって付き
合いやすいみたいよ」
 園長先生とお姉さま方の会話の中に女王様も混じります。
 「これは正式に要請があったわけじゃないけど、藤山のお父様は中学
からこの子を男の子の中で学ばせようとお考えのようなの」
 「(えっ!何よ、それ!聞いてないわよ!)
 私は女王様の口から出た突然の辞令に戸惑いを隠せませんでした。
 亀山は基本的に女の子の世界です。小学校は一クラス6人から8人で
構成されていますが大半は女子。男の子はクラスに1人か2人しかいま
せん。その男子も中学になると男子だけで集まって授業に臨みますから
中学からは晴れて女の園で学べるはずだったのです。
 ところが、女の子であっても一学年に一人か二人、男の子のクラスに
編入される子がいて、そうした子は、以降男の子と一緒に全寮制の高校
へ進学、四年制大学を目指すことになります。
 そう、今で言うキャリアウーマンへの道が敷かれてしまうわけです。
 ここにいるお姉さまにしたところでつまりはそういうルートから今日
あるわけで、私も同じ道を進めと命じられたわけです。
 でも、それは私の人生設計からは大きく外れていました。
 私の予定ではこれからも他の女の子たちと一緒に中学高校を卒業し、
短大を経てお父様が用意してくださった方と結婚。子供ができたら……
びしびしお尻を叩いて育てようと思っていたのです。

§4

§4
 私は他人(ひと)にこそ言いませんでしたがお父様が大好きでした。
お当番の夜、真っ裸でお父様と一緒にベッドを供にできる幸せを失いた
くなかったのです。
 知らない人は素っ裸で里親とベッドインなんて言ったら強姦されてる
ぐらいに思ってるようですが、もちろんそんなことはありません。ただ、
幼い頃愛撫され続けてきた女の子達の中には強いエディプスコンプレッ
クスを持つ子が少なくなく私もその一人でした。ですから、結婚はして
も何か口実を見つけて離婚、子供達と一緒にこの亀山へ舞い戻りお父様
を独り占めにして暮らすという夢を幼いなりに描いていたのでした。
 「あら、元気がないわね。私達みたいになるのは嫌なのかしら?」
 「そりゃあ、嫌よね。いつまでもお父様の愛の中にいたいもの」
 「あら、あなたファザコンだったの?」
 「どうして?知らなかった?私、男子のクラスに入れられた時なんて
お父様に『絶対に嫌!みんなと一緒に勉強する』って泣いて頼んだのよ」
 「へえ~~そうなんだ」
 「他に何人の姉妹(きょうだい)がいても、お父様は私だけをみてる。
愛してると思ってたもの」
 「それはみんなそうよ。物心つかない頃から素っ裸で抱かれ愛撫され、
服を着せてもらい、お菓子をもらい、玩具をもらい、お膝の上で跳ね回
ってもお腹をあんよで蹴っても、ただ頭を撫でられるだけ。それでいて
他の人がどんなにお仕置きしてもお父様だけはかばってくれるんだから、
これで嫌いになるはずがないじゃない」
 「だから、そういう風に仕組まれてるの。子供が自分を愛するように」
 「あら、じゃああなたは騙されたと思ってるの?お父様や亀山の人達
に……」
 女王様が口を挟みます。
 「そんなつもりは……私だってお父様が大好きですから」
 藤田のお姉さまはまるで少女のように頬を赤らめました。
 「私は、たとえ事実はその愛が私だけに降り注がれたものでなくても、
私だけがお父様に愛され続けてきたと思ってきたの」
 「それはみんな同じよ。お父様は仮想の恋人、永遠の恋人なの……」
 「だからさあ、私が言いたかったのは『私こそはお父様に一番愛され
てきた娘なんだ』って信じられるなら、それが一番幸せなことなんじゃ
ないかってことよ。……自慢じゃないけど、私、お父様にフェラチオを
いたしましょうかって持ちかけたことがあるんだから」
 「えええええ」
 「うっそ~~」
 「本当よ」
 「で、お父様は?」
 「目を丸くしてた」
 「そりゃあそうでしょうね」
 「それでしばらく困った顔をなさって、間があって『できるのか?』
っておっしゃっるもんたから『えっ、たぶん……本で読みましたから』
って言っちゃったの」
 「で、どうしたの?やってあげたの?」
 「まさかあ。……『どこでそんな本を読んだの?』って追求されて…
(ハハハハハ)いやあ、五体がばらばらになるんじゃないかって思える
ほどの強烈なトリプルだったわ」
 「いくつの頃?」
 「だから、この子と同じ歳の頃よ。うちの場合、この頃が一番お仕置
きがきつい頃だから本当はもっと自重しなきゃいけないんだろうけど、
何しろ子供でしょう。何でも興味津々だったのよ。…でも一番辛かった
のは、それからしばらくはお床入りでパジャマを着せられたことなの。
何だかお父様との間に垣根ができてしまったみたいで……」
 「それからはずっとパジャマ?」
 「いいえ、数回したら、お父様の方から『嫌ならそう言いなさい』っ
て言って脱がしてくれたの。私、恥ずかしそうにはしてたけどとっても
嬉しかったわ」
 「わあ~~お惚気ね」
 「いいじゃないの。私のお父様だもの。私も普段はお友達に『まるで
熊みたいにのしかかってくるだもの。いつもベッドの端で震えてるのよ』
なんて言ってたけどやっぱりお父様の胸の中が一番安らげたわ」
 「かあ様(ママ)は?」
 「もちろん、ママは別格。私のお師匠さんだもん。ただ、色々教えて
もらって感謝はしてるけど『安らげる』とか『癒される』っていうのと、
それはちょっと違うのよね。それに比べてお父様は男性だからママより
遠い存在なのかもしれないけど、私達になくてはならない存在というか、
絶対的存在というか……」
 「とにかく、良くも悪しくも権威の塊だったわ。だから抱かれている
と絶対的な安心感みたいなものがあったもの」
 「『もう、何されてもいい』みたいな……」
 「そうそう、どっちみち裸だし(ハハハ)」
 周囲に笑いの波紋が広がります。
 「ま、考えてみれば、私達はみんな処女を奪われたわけじゃないけど、
心の処女は、遠い昔、お父様に捧げちゃったのかもしれないわね……」
 朝比奈のお姉さまはそこまで言うと、ようやく私の存在に気がついた
みたいで……
 「あら、あら、ごめんなさい。こっちの話に夢中になっちゃって……
いいこと、今のことは他所言って話しちゃだめよ」
 こう言って大人のおしゃべりに区切りを着けたのでした。
 「これからお鞭のお仕置きをいただくことになるけど……もう、随分
時間がたっちゃったから、また少しだけ、お尻を暖めた方がいいわね」
 女王様はこともなげにおっしゃいましたが、お尻を暖めるというのは
要するにもう一度お尻をぶつってことですから女王様のおっしゃりよう
はあんまりです。
 「(何よ、自分達で勝手におしゃべりしておいて、どうして私が余計に
ぶたれなきゃならないのよ)」
 私は大いに不満でしたが、広げられた両手の中へ飛び込むしか道はあ
りませんでした。
 「ピシッ」
 「いやあ、だめえ」
 私はいきなりパンツとショーツを下ろされてうろたえます。
 「ピシッ」
 「だめじゃないでしょう」
 「ピシッ」
 「ああ、痛い!」
 「ピシッ」
 「だめえ、やめて~~」
 私はお尻を振り振りあんよをバタバタ。
 だって、今度のは最初のスパンキングより痛いんですから仕方があり
ません。実際、同じお膝の上でのお尻叩きといっても微妙な手首のスナ
ップの具合で衝撃はいかようにも調節できるのです。
 「ピシッ」
 「いやあ~~~(どうして今度はそんな強くぶつのよ)」
 私はむくれていました。でも、そうなると身体を自分で静止できず、
手も足もばたついてしまいます。
 そうなると……
 「ほらほら、お譲ちゃん暴れないのよ」
 「もうすぐすみますからね」
 まるで幼女をあやす時のような猫なで声でお姉さまたちが応援に駆け
つけます。
 「ピシッ」
 「ひぃ~~」
 右手と左右の足を一本ずつ押さえられたら、あとはどうすることもで
きませんでした。
「ピシッ」
 「あっ~~~」
 完全に身体を押さえ込まれ裸のお尻を晒してただただ痛いのを待ち続
けるなんて、他人からみれば悲惨にしか映らない光景ですが、私はその
瞬間、ほんの一瞬ですが、胸の奥に塊る不思議な切なさを感じ取ってい
ました。
 「ピシッ」
 「うぅぅぅぅ(えっ?)」
 「ピシッ」
 「いぃぃぃぃ(何だろう?)」
 「ピシッ!!」
 「…………(これって?)」
 最後の三つは強烈でした。特にラストは女王様が放った衝撃の中では
一番強烈だったのですが、私はそれを悲鳴もあげず感じてしまいます。
 思えばこれが初めての肉欲、『女としての私』を意識した瞬間だったの
です。
 女王様による10回のスパンキングが終わると、次は園長先生。
 やり方は同じです。
 「ピシッ」
 「あなた、反省してますか?」
 「はい」
 「ピシッ」
「口先だけじゃないの」
 「違います」
 「ピシッ」
 「本当に……」
 「本当です」
 「ピシッ」
 「いやあ、痛い」
 「痛いのは当たり前です。お仕置きなんですから。あなた、亀山の子
じゃなかったかしら」
 「ピシッ」
 「亀山の子です」
 「だったら、ごめんなさいじゃなかったの?」
 「ピシッ」
 「ひぃ~~ごめんなさい。もうしません」
 「ピシッ」
 「ああっ、いやあ~~~」
 「嫌じゃないでしょう。ありがとうございますでしょう」
 「ピシッ」
 「ありがとうございます。先生」
 「ピシッ」
 「ほら、もう一回」
 「いやあ~、ありがとうございました」
 「ピシッ」
 「まだ終わらないわよ」
 園長先生は結局私をいたぶりながら20回もお尻を叩いたのです。
 それだけではありません。お姉さまたちも代わる代わる椅子に座り、
真っ赤になった裸のお尻をめでては、そこを10回ずつ平手で叩いたの
でした。
 ただ、それらはいずれも痛みと屈辱だけ。女王様がやってのけた芸当
を再現する人はいませんでした。
 「さあ、もういいでしょう。いつまで床にお尻をへばりつけてるの」
 園長先生はやっと終わった大人たちのスパンキングで真っ赤になった
お尻を冷ましている私をせき立てます。
 次はいよいよ鞭のお仕置きでした。
 「いらっしゃい」
 園長先生が両手を広げます。
 「(『ようこそ、地獄の入り口へ』か……)」
 私は園長先生の言葉の続きを呟きます。
 そして、覚悟を決めてその懐へ……
 「大丈夫、あなたはいい子だもの。きっとお父様の天使に戻れるわ」
 先生は私を抱き上げると少し広めのテーブルに腰を下ろして私を膝の
上へ抱きかかえます。頭を撫でられ、背中をさすられ、頬ずりをされて
……でも、いやいやをする気力もありませんでした。
 なされるままにしてやろう。それが一番楽にこの場を乗り切れそうな
気がしたのです。
 確かにその判断は間違っていなかったと思います。
 私は、やがて無言のまま園長先生がテーブルに仰向けになって倒れ込
むので、その上にうつ伏せに乗っかるのような形になります。
 そして、園長先生が膝を立て、私のお尻はそこで晒されて、私の顔は
先生の胸の中へ……万歳をした私の両脇から先生の太い両腕が伸びて、
私の背中は抱きかかえられます。
 亀山での鞭打ちは、通常、お馬と呼ばれる拘束台を使って子供を革の
ベルトで固定して叩くのが一般的ですが、幼い子や気の弱い子の場合は
こんな形で抱き合いながらというのも稀ではありませんでした。
 こうして教師が抱いてやることで心の負担を軽くできると考えられて
いたのです。
 「ほら、ここに頭を乗せなさい」
 園長先生がご自分の胸にクッションを乗せて体全体のバランスを取り
ます。ちなみに先生の立てた膝頭にはバスタオルが乗せられ、そこに私
のそけい部が乗っかかる形になります。
 体勢が整ってもまるでやじろべいのように不安定で私の両足はつま先
がテーブルに触れるくらい、踏ん張ることなどできませんでした。
 「さあ、いいですよ」
 園長先生の声に、当然のごとくパンツとショーツが脱がされ、お尻が
外の風に吹かれてすーすーします。加えてアルコールたっぷりの脱脂綿
でお尻が綺麗に拭き取られますから、その意味でも私の緊張はマックス
でした。
 「さあ、歯を食いしばって」
 朝比奈お姉さまの声がして最初の一撃が……
 「パーン」
 乾いた音が部屋中に木霊します。もちろんお尻は物凄い衝撃でしたが、
存外びっくりするほどの痛みはありませんでした。
 「一つ、お姉さまありがとうございました」
 私は朝比奈のお姉さまにお礼をいいます。自分をお仕置きする人にあ
りがとうだなんて変かもしれませんが、これは亀山のしきたり。礼儀で
した。そして鞭打ちの最中はこれ以外何も言ってはならなかったのです。
 「さあ、もう一つよ」
 そう言って次の一撃が……
 「パーン」
 やっぱり意外なほど痛くなかったのです。
 「二つ、お姉さまありがとうございました」
「そう、ちゃんとご挨拶できるのね。でも、まだまだよ」
 「パーン」
 「ぅ……」
 でも、このあたりから痛みがお尻に蓄積され始めます。
 「三つ、お姉さまありがとうございました」
 「感心、感心、亀山の子はそうでなくちゃね。さあ、次よ」
 「パーン」
 「いっぃぃぃ」
 私はこの鞭で初めて園長先生を頼りました。それまで軽く握っていた
だけの二の腕を痛みに耐えかねて強く握ったのです。
 私ははっとしてすぐに手を離しましたが先生はにこやかに笑っておい
ででした。
 「四つ、お姉さまありがとうございました」
 「パーン」
 「ひぃ~~」
 私は五回目で思わず悲鳴を上げます。
 「五つ、お姉さまありがとうございました」
 不安定な身体を自分で制御しながら、しかも園長先生に迷惑をかけて
はいけないという思いから先生の身体に思いっきり抱きつく事もできま
せん。
 「パーン」
 「いやあ~~」
 悲鳴は続きます。その鞭は、トォーズの衝撃そのものはそれほどでも
ないのに、とても辛いお仕置きとなったのでした。
 「六つ、お姉さまありがとうございました」
 「まあ、最後はちょっとあやしかったけどいいでしょう」
 朝比奈のお姉さまは私の苦し紛れの悲鳴を見逃してくださいました。
 「ほっ……」
 私は思わず胸をなでおろします。しかし、鞭のお仕置きがこれで終わ
ったということではありませんでした。
 「さて、次は私の番よ」
 朝比奈のお姉さまに代わって今度は樺山のお姉さまが私の後ろに立ち
ます。
 ということは樺山のお姉さまが終わっても、さらに藤田のお姉さまも
控えていらっしゃるということじゃないですか。もう目の前が真っ暗に
なりそうでした。
 樺山のお姉さまも始める前に私のお尻をアルコール消毒します。
 「いやあ、やめてえ~~」
 恥ずかしい声が部屋中に木霊します。きっと、お友達だってそれを聞
いたはずです。そう思うと顔が真っ赤になりました。
 普段ならそんなにうろたえないはずなのに、ちょっと環境が変わった
せいでしょうか、動揺してしまいました。
 「いいから、私の胸に抱きつきなさい」
 「…………」
 私は一瞬躊躇しましたが背に腹は替えられません。園長先生のお言葉
に甘えることにしました。
 無我夢中で先生の大きな胸を抱きしめたのでした。
 「パーン」
 クッションに顔をうずめ、園長先生の背中に手を回して抱きしめると、
先生もまた私の背中を抱いてくださいます。結果、体がさっきより安定
したせいかお姉さまの鞭も比較的楽に受けられます。おまけに園長先生
と抱き合うことで心までもしっかり先生から守ってもらっているような
安らぎを感じます。
 ひょっとしら、こんなことも予想して学校ではあまりやらないやり方
での鞭打ちを選択されたのかもしれません。
 「一つ、……お姉さま、……お仕置き……ありがとうございました」
 途切れ途切れの感謝の言葉。涙でくしゃくしゃの顔はどうにもなりま
せん。鼻水をすすりながらそれを隠すように園長先生の胸の上に置かれ
たクッションに顔をダイブさせます。
 「だめねえ、あなた、そんなつっかえつっかえの言葉じゃ、ちっとも
反省してるよう聞こえないわよ。さあ、やり直し、もう一度最初からよ」
 樺山のお姉さまはこう言って再びトォーズを私のお尻で擦り擦り。
 十分じらしてから二発目、いえ一発目がやってきます。
 「パーン」
 「一つ、お姉さまありがとうございました」
 「あれ、お仕置きありがとうございましたじゃなかったっけ?」
 「えっ!?」
 「お仕置きという言葉が抜けたわよ。じゃあ、もう一度最初から…」
 「えっ?えええええ」
 私は泣きそうになりました。本当は今の姿勢を翻して、樺山お姉さま
の胸倉へ飛び掛りたいくらいだったのです。
 でも、それはできません。できることは……
 「はい」
 そう答えてより強く園長先生を抱きしめることだったのです。
 「(あっ……)」
 またアルコールでお尻が清められ、トォーズの革紐がお尻を擦り擦り。
 「…………」
 「パーン」
 「あっ!…………一つ、お姉さまお仕置きありがとうございました」
 不意をつかれて感謝の言葉が少しだけ遅れます。
 でも、樺山のお姉さまはそれすら問題にするのでした。
 「どうしたの?どうしてすぐに感謝の言葉がでてこないのかしら?…
…ひょっとして、私達じゃ嫌なの?」
 「違います」
 私は思わず大声を出しましたが…
 「だったら、感謝の言葉がなぜ遅れたの?」
 「それは……」
 私は即答できずにいました。
 でも、そのうちに今度はお姉さまが私のお尻を開いて中を覗き込みま
す。
 「…………」
 女同士ですから、それほど強烈な羞恥心があるわけではありませんが、
それでも……
 「可愛い」
 樺山のお姉さまに小声でそう言われると、私の顔は真っ赤になるので
した。
 「パーン」
 「一つ、お姉さまお仕置きありがとうございました」
 「やっと、まともにできたわね。……ところで、私、いくつあなたの
お尻をぶったんだっけ?」
 「えっ?……」
 突然の質問に面食らいます。実際その時の私はそれどころじゃありま
せんでしたから数なんて覚えていませんでした。
 「あら、大事なことも覚えてないのね。真剣にお仕置きを受ける気が
ないんじゃないの?」
 「(そんなあ~~)」
 「今までに、私、あなたのお尻を四回ぶったのよ?覚えておきなさい。
……じゃあ、また最初からよ」
 「(え~~もういやよ)」
 私はもう絶望的な気分でした。

§5

§5
 「ちょっと待ってね。この子のお顔があんまり汚れてるから……」
 女王様はこう言って私の顔を拭いてくださいます。
 その時、しばしの間があって、あらためて周囲を眺めてみると、藤田、
朝比奈の二人のお姉さまが何やら微笑みながら小声で談笑している内容
が私の耳に入ります。
 「この子が首謀者なの?」
 「そうみたいよ。そもそもの言いだしっぺが彼女だし、お友達二人が
自分にはできないって言ったら、その二人分のサインも自分で作っちゃ
ったらしいわ」
 「へえ、なかなか可愛い顔してやり手じゃない。こんな子を持つと、
お父様も大変ね」
 「ところが、事件が発覚してしまうと、この子のお父様は園長先生や
女王様にまで穏便な処置を求めて出向いたそうよ」
 「男性はえてしてこんな子が好きなのよ」
 「どうして?」
 「だって、ちょっとぐらいやんちゃな方が張り合いがあるというか、
お仕置きに困らないでしょう」
 「なるほどね」
 私は二人の会話を聞いていて…
 『私、首謀者なんかじゃないもん。お友だちができないっていうから
助けてあげただけじゃないの。だいいち、お父様は私のお仕置きを見た
がってるみたいなこと言わないでよ。お父様は今まで何回もお仕置きさ
れそうになった私を助けてくださったのよ。私が姉妹の中で一番のお気
に入りなんだから』
 私は声を大にして言いたかったのですが、とうとうその勇気がでませ
んでした。
 私は、二人が大好きなお父様の悪口を言っているようで腹が立ちます。
 そして、腹が立ったまま樺山お姉さまの鞭を受けます。
 「パーン」
 すると不思議なことにその回はそれほど痛く感じませんでした。
 おかげで、感謝の言葉の方もさっぱり忘れてしまいます。
 「……………あっ、一つ、お姉さまお仕置きありがとうございました」
 これには当の樺山のお姉さまもあきれたご様子だったみたいです。
 「もういいわ。あなたとやってると先に進まないから、次のを最後に
しましょう。ようく、歯を食いしばりない」
 樺山のお姉さまはそう言うと、何と、私が脱いだショーツを口元へ…
 「口を開けて……」
 もちろん嫌でしたが、仕方なく開けた口の中へ私のショーツがねじ込
まれます。そうしておいて……
 「パーン!!!」
 最後の一打で私の身体全体に電気が走ります。手の指先、足の指先、
脳天が痺れて、そこから雷の電気が放電していったようでした。
 本物の目の玉が飛び出そうになるほどの衝撃というのも生まれて初め
て。オーバーに聞こえるかもしれませんが、ひょっとしたら今の衝撃で
身体がばらばらになったんじゃないかと思えるほどだったのです。
 「…………………………」
 おかげで暫くは放心状態。歯の根が合わずがたがたと震える口元を見
てお姉さまは処置なし、待っていられないと思われたのかもしれません。
私が感謝の言葉を言い出す前に……
 「もういいわ。これで六回ね。だけど次にやったら、これでは許して
もらえませんからね」
 樺山のお姉さまはこう言って許してくださったのでした。
 でも、これで終わりではありませんでした。もう一人、最後に藤田の
お姉さまが待っておられます。このお姉さまは私が寝そべったままお尻
をぶたれるのをよしとはしてくださいませんでした。
 「こちらへいらっしゃい」
 私は命じられるままにテーブルを降り、暖炉の前に立つと……
 「大丈夫?痛かったでしょう。カバちゃんは手加減というものを知ら
ないから困ったものだわ。だいたいこんな可憐なお嬢ちゃんにショーツ
で猿轡なんて品のないことしなくてもいいのにね」
 私はその時まだ下半身がすっぽんぽんでしたが、藤田のお姉さまのお
顔があまりに穏やかに見えたので、少しだけほっとしたのか笑顔を取り
戻します。
 「さあ、これを噛んで……」
 それはおしぼり大の硬いクッションで、よくアニメなどでみかける犬
が銜える骨の形、プリント柄も同じ骨の形でした。
 私は指示されるまま少し前かがみになって両手を膝の裏側で組み合わ
せます。
 恥ずかしい姿勢、窮屈な姿勢で私はお姉さまの鞭を待つことになるの
でした。
 「私のはすぐに終わりますからね。それに反省の言葉や感謝の言葉は
いらないからとっても楽よ。……但し、暖炉の側を離れたり、しゃがみ
込んだりしたら鞭を追加しますからね。わかった?」
 「……」私は猿轡をしたまますでに真っ赤になっ顔を上げ下げします。
 「鞭のお仕置きは、その愛をしっかり謙虚に受け止めることが何より
大事だもの。無用の脅かしはいらないわ。ね、そうでしょう」
 お姉さまは私に同意を求めましたが、その答えを考えているうちに、
もう最初の衝撃がやってきます。
 「パーン」
 一瞬、目の前が真っ暗。全身に悪寒が走り鳥肌が立ちます。
 「(ひぃ~~~)」
 「パーン」
 その瞬間息が詰まります。酸欠状態で思わずその場にしゃがみ込もう
としましたが、すんでのところで思いとどまります。
 「パーン」
 前のめりになってあやうく暖炉まで歩いていきそうです。
 「パーン」
 今度は思いっきり伸び上がります。おかげで膝の後ろで組んで絡ませ
ていた両手が解けそうになります。
 「(ぎゃあ~~)」
 「パーン」
 「(死ぬぅぅぅ)」
 本当にそう思いました。
 「パーン」
「(あぁぁぁぁ)」
 最後の一撃は亀山の伝統にのっとって一番強烈です。その時は私自身
の身体が持ち上がったようにさえ感じたのです。
 私は生まれて初めて自分に子宮があるのを感じます。そしてそれが、
ぎゅーっと萎むのを感じたのでした。
 確かに、たった六回、それもリズムよく打ち据えられますから今まで
のお姉さまたちより早くは終わりはしましたが、でもそれが楽だったか
と言うと、答えはNO。
 私はその短い時間に失禁し、再びお姉さまの手を煩わせることになり
ますし、お仕置きが終わって藤田のお姉さまに抱かれた後も歯の根があ
いませんでした。
 こんなに長い時間葉の根が合わず震えていたのは初めてでした。
 「今日は楽しかった?……ん?そんなわけないか」藤田のお姉さまは
私を膝の上に抱き上げると、笑いながらご自分のおでこを私のおでこに
擦り付けます。
 「……でもね、時間がたって大人になったあとに振り返ると懐かしい
思い出になるはずよ」
 「どうして?私、こんな嫌な思い出、早く忘れたいわ」
 「忘れられないわ」
 「どうして?」
 「あなたをぶった人がみんなあなたを愛してるからよ。そしてあなた
も、その人たちに愛されてると感じているから……愛の思い出の中には
遊園地で遊んだ思い出なんかと同じようにお仕置きも忘れられない思い
出なの。…お仕置きは確かに辛い体験だけど、大人になってもう自分を
叱ってくれる人が誰もいなくなったとわかると、それはとっても寂しい
ことなのよ」
 「わからないわ、そんなこと。お仕置きは悪い子だけのものだもの。
よい子は受けないもの。ないにこしたことないじゃない」
 「お仕置きを受けずにいる子の方が幸せ?」
 「そりゃそうよ。当たり前じゃない。美郷ちゃんなんか、いつだって
良い子にしてるから滅多にお仕置きなんてされないんだもの。私なんか
羨ましくて仕方がないわ」
 「美郷ちゃん?……ああ、あの、おとなしいそうな子ね。あの子は、
確かにお仕置きを逃げてるわね。……でも、そんなこと子供にとっては
自慢にならないのよ。だってお仕置きを受けない代わりにあの子は多く
の愛も受け取り損ねてるもの。あなたが受けた多くのお仕置きはあなた
が得た計り知れないほど多くの体験と大人たちからの洪水のような愛の
証でもあるの。あなたは美郷ちゃんよりはるかに幸せ者よ」
 「それって皮肉?」
 「皮肉じゃないわ。あなたも大人になればその意味がわかるわ。全て
は愛の中での睦ごとだもの」
 「でも、私、お仕置きされると、とっても心が傷つくわ。死んじゃい
たい時だってあるんだから……」
 「そうなの?でも、あなた生きてるじゃない」
 「そりゃあ……」
 「大丈夫よ、痛い思い出も恥ずかしい思い出もそれはみんなあなたを
愛している人たちからのプレゼントだもの」
 「プレゼント?」私はそのあまりに意外な言葉に目を丸くしました。
 「……そんなのいらない」
 「あなたもいつかは社会に出て憎しみを持つ人や見ず知らずの人から
いわれのない暴力や辱めを受ける時が来るわ」
 「どうして?そんなのいやよ」
 「それは大人の社会が亀山のような楽園ではないから仕方のないこと
なの。でも、そんな時、お仕置きという名の免疫を持たないで社会に巣
立ってしまったら……そんな子は弱いものなのよ」
 「美郷ちゃんは?」
 「彼女がどんなに良い子ぶってお仕置きを避けていても、そこは先生
方が工夫して彼女にもちゃんと愛のお仕置きを与えてくださるはずよ」
 「お仕置きって予防注射みたいなものなの?」
 「そうよ、だから亀山にはあなた達を愛さない人は誰一人として街に
入れてないの」
 「だから、子供の楽園って呼ばれるの?」
 「そういうこと。だいたい十歳を超えた子を街の真ん中で裸にできる
処なんて、日本国中探しても恐らくここだけのはずよ。それはあなた達
にとってはありがたくないことに思えるでしょうけど、それができるっ
てことが幸せなことなの」
 「…………」
 「普通の家庭でもその子を愛して育てたお父様やお母様ならその子を
裸にだってできるでしょうけど、それ以外の人が裸にしようとしたら、
その子は傷つくはずよ。でも、ここは山全体街全体がお父様やお母様の
働きをするように女王様によって創られだ特殊な場所なの」
 「特殊な場所?」
 「そうよ、ここではお父様方や先生方だけでなく、庭師のおじさんや
賄のおばちゃんに至るまでここに暮らす全員が子供愛することが義務に
なってるの。あなたたちだってお友だちを虐めたら厳しい罰を受けるで
しょう。あなたはこの街で自分を傷つける人に合ったことがある」
 「…………ん~~~ん」私はしばらく思いをめぐらしましたが、結局、
 「…先生はよくお仕置きするし、お友達は意地悪することもあるけど
……けど……」
 「けど、何?」
 「幸せでしょう。だって叱られたって、意地悪されたって、とにかく
近くにいる誰か大人の人に抱いてもらえばいいんですもの。これって、
世間では当たり前のことじゃないの。とてもとても幸せなことなのよ」
 「……うん、それはそうだけど……」
 「なたはこの街しか知らないからわからないでしょうけど、山を降り
ると、巷はそんなに子供好きの人ばかりが暮らしているわけではないの」
 藤田のお姉さまのお説教はまだまだ続きましたが、私の方はお膝の上
で眠くなってきていました。ですから、そのうちお説教を子守唄に半分
眠りかけていたのです。
 ところが、その半分閉じたまぶたが突如元に戻ります。
 。・゜・(/Д`)・゜・。うわぁぁぁぁん
 もう無意識でした。私はいきなりお姉さまの膝を飛び降りると一目散
に走りだします。そして懐かしいその大きな胸に抱きつくと、訳もなく
ただただ泣き続けるのでした。
 たしかに、お姉さまの言うとおりです。亀山の子供達は、悲しいこと、
嫌なこと、ご機嫌斜めな時、もちろんうれしい時だって、誰彼かまわず
近場の大人に抱きつきます。だって抱きつけば必ず抱き上げてくれます
から、どんなにむしゃくしゃしていてもこれ以上心持が悪くなることは
ありません。
 でも、それはここの習慣のようなもの、誰に抱かれてもみんな平等、
効果が同じということではありませんでした。
 当然、お父様やママは別格だったのです。
 その別格な人に抱かれて、私はしばしご満悦で過ごします。
 お友達が鞭でぶたれて悲鳴を上げているのを肴にお父様に身体の全て
を任せます。すると、お父様のことですからショートパンツ越しに当然
陰部にもその指先が立ち寄りますが、気にもなりませんでした。
 これもまた亀山の習慣なのですが、どのみち十日に一度のお当番の日
にはどの子も素っ裸になってお父様とベッドインしなければなりません
から、そこでは否応なしに体中を撫で回されるわけで、ショートパンツ
の上からなら何でもないことでした。
 もちろん、お父様は紳士ですから子供が嫌がればやめてくださいます。
ただ、私の方も物心ついた時からの習慣ですし、今さら、嫌がったり、
悲鳴を上げたり、なんてことはありませんでした。
 それでもなされるままに身を任せていると、最近は私の身体に微妙な
変化が訪れます。
 「(何だろう、この切ない気持ちは……あっ、ショーツが濡れている)」
 そんなことを思うようになっていました。でもそれが何なのか、性の
知識が一切封印されている亀山に育った私にはわかりませんでした。
 結局、その後他の子のお父様も現れて、私のお父様だけが特別に私を
気遣って会いにきてくれたのではないというのがわかって、ちょっぴり
ショックでしたが、でも、こうして抱かれていると『私だけのお父様』
という実感が持てますから、私は幸せなひと時を送ることができます。
 きっと、これは女王様の配慮なのでしょう。
 『どの子も幸せなままに、お仕置きを終えなければならない』
 これもまた亀山の習慣。どんなに罪深いことをしてどんなに厳しい罰
を受けた時でも最後は必ず大人の抱っこで終わることになっていました。
 もっとも思春期になると……
 「あんな奴に抱かれること自体が苦痛、こっちの方がよっぽどきつい
お仕置きだわ」
 そんな憎まれ口をお友達同士でぶちまけたことも珍しくありません。
ただ、幼い頃から誰もが顔見知りで、その誰にでも幾度となく抱かれて
育ちましたから、『好き』という言葉に濃淡はあるものの『この人は絶対
に無理』という人は、本当は、誰もいませんでした。
 むしろ今回、お山の外にいるお姉さまたちからお仕置きされたので、
そのことがよほど怖かったのかもしれません。
 それにしてはけっこう親しげだったですか。(^◇^;)
 幼児の時に習い覚えた習性というのは恐ろしいもので、亀山の子は、
どんな大人に抱かれてもその瞬間は反射的に笑顔になってしまいます。
それは『大人に可愛がられなくちゃいけない』という脅迫観念みたいな
ものをママや先生、されに司祭様たちから植え付けられて育つからで、
最初は嫌だなと思っても、結局は大人たちに丸め込まれてその愛を受け
入れてしまうようにできていました。
 私は抱っこされたまま帰路の車に乗り込み、亀山に着いた後もお父様
に負ぶさって家へと帰ってきます。
 私もこの時すでに11歳、幼い子とはいえませんから私を背負っての
山登りは大変だったと思いますが、お父様は存外ご機嫌なご様子でした。
 察するに、私が泣いて抱きついたのが功を奏したようでした。
 お父様たちがおっしゃってましたが、女、子供は着せて喜ばす楽しみ
と脱がして泣かす楽しみがあるのだそうで、今回は後者がお父様の琴線
に触れたようでした。
 やがて家にたどり着いたお父様を目にした女中さんたちは慌てて私を
引き離そうとしましたが、お父様がそれをさえぎりました。
 「いいから、私が運んでいく」
 お父様がそう言って家の中へ入っていきますから、結局女中さんたち
の仕事は私の靴を脱がせただけでした。
 居間に着いた私はさすがにソファへと下ろされましたが、その後もお
父様のサービスは続きます。
 それまで身に着けていたショートパンツの体操着を上下共、下着ごと
脱がされて普段着へと着替えさせてもらいます。
 「なんだ、恥ずかしいか?」
 ショーツを脱がされた瞬間、ほんのちょっとイヤイヤをしましたから
そう尋ねられましたが、私は即座に首を振ります。お父様が何をしても
私たちは嫌とは言えない立場だったからです。といって、どうにもなら
ないほどの恥ずかしさはまだないのですが……
 「あなた、何もそこまでなさらなくても……」
 そばにいたお母様が口ぞえしてくださってそれ以降はお母様に身を委
ねます。
 そのお母様がお尻にお薬を付けてくださいました。ちなみに、お母様
というのはお父様の奥様のこと。ですから私たちは当然お母様とお呼び
するのですが、お父様ほど積極的に私達と関わろうとする方は稀でした。
 きっと、ご主人が行くというので仕方なく移住してきた方がほとんど
だったのかもしれません。ただ、それで私たちが意地悪されたとか困っ
たということはありませんでした。
 私たちは赤ちゃんという身分ですから、普段から大人たち、とりわけ
ママからは日に何度も裸にされてその場にあった服へと着替えさせられ
ます。パジャマに始まり朝食用の服、部屋着、学校への通学服、お外で
遊ぶ為の普段着、夕食用の服、お父様の処へお泊りする時の服など用途
別に様々です。やはては生理の日のための入浴用下着というのまであり
ました。
 これらは一つには私をお父様に可愛く見せるための演出なのですが、
それだけではありません。万が一誰かに虐待を受けていたらそれを早め
に見つけ出して心の傷が深くならないうちに対処するためでした。
 ですからお着替えそのものは特別なことではないのですが、お父様が
じきじきに子供の着替えを手伝うなんて事は滅多にありませんでした。
 きっと泣いて懐に飛び込んだ私がとっても愛おしかったのでしょう。
 「おいで……ほら、おいで」
 ソファに腰を落ち着けたお父様は着替えが終わった私をまるで子犬の
ように呼び寄せます。そして、その全身をくまなく撫で回しながら今日
のお仕置きのことを、また根掘り葉掘り尋ねるのでした。
 それは現場でも散々話しましたからすでにネタ切れだったのですが、
お父様はそれを許してくださらなかったのです。
 実際、私のお父様に限らず亀山に住むお父様たちはみなさん尋常じゃ
ないほどの子供好きでした。ふよふよとした肌をお人形や縫いぐるみの
ようにして四六時中抱いていたいという思いがあったようでした。
 ですから、本来教育係であるママたちは私たちをお父様がお気に召す
ように育てようとします。
 従順で可憐で清楚、楽器が上手に弾けて、綺麗な字が書けて、時には
古典詩なんかもそらんじてみせて…と、そんな理想の少女に向けて育て
られます。
 もちろん子供ですから、失敗もあり、悪戯もあり、癇癪を起こしたり
もしますが、そうしてお仕置きされている光景もお父様は大好きだった
のです。
 そして、そんな泣き叫ぶ子を懐に入れてあやすのがまた大好きでした。
 悪趣味ですか?(^_^;
 ええ、でもお父様たちはそれが楽しみで私たちを育てているようなと
ころもあるので、仕方がないんです。それが暴走しないのはお父様たち
の身分や社会的信用がブレーキになっているのと、女王様が上手に手綱
さばきをしているからでした。
 そんなわけで、我が子がお仕置きされると聞きつけるやお父様たちは
カメラを持って現場に駆けつけます。そして八ミリか十六ミリのカメラ
が回っている隠し部屋に撮影班の人たちと一緒に入り幾枚ものスクープ
写真を撮り終えると意気揚々と引き上げるのでした。
 いえ、そんなことをしなくても亀山では子供たちへの厳しいお仕置き
はその大半がカメラの元で行われていたのです。
 そのため、その映像はその日のうちにお父様の手元へ渡り子供たちも
いつの日かお父様のお膝の上でそれを目にすることになります。
 『お仕置きされてる自分の映像を見るなんて、最低!!!』
 そうは思いますが、お父様が…
 「ほら、見てごらん」
 と囁けば目をつぶり続けることはできませんでした。
 それならばと……
 『要するに必要最小限のことだけ注意深くやってお仕置きを受けない
ようにすればいいんじゃない』
 なんて言って、用心深く用心深く生活してみようとする子もいますが、
それはあまりに困難な道でたいてい途中で挫折してしまいます。
 というのも、そんな我が子の異変に気づくと、ママの方が黙っていま
せんで、揚げ足を取るような形で我が子を他の子と同じお仕置きの列に
加えてしまうのです。
 子供の揚げ足なんていくらでも取れますから……(^◇^)
 そもそも亀山ではそんな消極的な子は誰からも好まれませんでした。
 「あなた、お仕置きも受けないような引っ込み思案でどうするの!!
そんなのちっとも偉くないのよ。どんなオイタをしても子供のうちは、
お仕置きさえ受ければすべてが帳消し。元の清らかな身体でお友達との
楽しい生活に戻れるんだから。こんな楽なことはないわ。そして、経験
であれ教訓であれオイタで得たものが必ずその後に残るの。そのことが
子供とってはとっても大切なことなのよ。あなたのように普段からオド
オドしていたら何も身につかないまま空っぽの大人になってしまうわ。
さあ勇気をもってお仕置きを受けてらっしゃしゃい」
 先生はこんなことを言ってお仕置きを逃げ回る子をいさめるのでした。
 世間の子にはこんなものはきっと求められないでしょうが、亀山では
『お仕置きを受ける勇気』というのも女の子とっての大事な資質だった
のです。

§6

§6
で、その日の夕刻、心配したママがお仕事を早めに切り上げて帰って
きます。
 ママは部屋に入るなりお父様の膝の上で胡坐をかいている私をきりっ
とした視線で威圧します。でも、それからしばらくはお父様と大人の会
話でした。
 「本日はわざわざこの子のために引き取りに出向いていただいたそう
でありがとうございました」
 「いや、私が行きたかっただけだ。ただ、私が着いた時はもうこの子
のお仕置きは終わっててね、私を見つけると泣きながら駆けてきてた。
可愛かったよ。あれだけでも行った甲斐があるというものだ」
 「傷の具合なんかはごらんになりましたか?」
 「さっき少しだけ裸にして見たけど、大したことないように見えた。
彼女達だって他人の子にそう無茶はしやせんよ。むしろここでのお仕置
きより痣が少ないくらいだ」
 「そうでしたか?」
 「きっとぶたれた痛みはそれほどでもないんだろうが、日ごろ馴染み
のない人たちだったから精神的にプレッシャーがかかってそれで泣いた
んだろう」
 「そうですか、そんなに効いてないんじゃ、もう少しだけ、お仕置き
する必要があるかもしれないわね」
 ママの言葉に思わず背筋に寒気が走ります。そして、その後ろから出
てきた見慣れた老婆を見て、このままお父様の抱っこの中で卒倒しそう
になったのでした。
 「(どうしておばば様がいるのよ。あそこにはいなかったのに)」
 私のショックは計り知れないものでした。
 でも、これは現実。受け入れるしかありませんでした。
 「おばば様も今日はお忙しくて向こうには出向けなかったの。元気な
らちょうどいいわ。お灸のお仕置きはここで済ましちゃいましょう」
 ママにあっさり言われてしまいました。私は慌ててお父様の胸にしが
みつきますが、お父様は私をしばらく愛おしく抱いたあとご自身で和室
の部屋へと向かいました。
 「(いやあ、だめえ、ごめんなさいするから許して、お願い、お願い)」
 私は心の中で叫びましたが声にはなりません。もちろんそんな醜態を
さらして罰がさらに重くなったらという心配からですが、それだけじゃ
ありませんでした。私はお父様にお姫様抱っこされて運ばれていく今が
とても心地よかったのです。
 「(お灸はどのみちすえられるけど、この瞬間は大事にしたい)」
 私はそう思ったのでした。
 和室に着いたお父様は床の間を背にして正座します。
 「ここは客間ですので、いつもの仏間の方がよろしいかと……」
 「もしも、備後表に粗相のあとでもついては……」
 ママやおばば様が助言すると……
 「いいですよ。大丈夫です。よしんばここで粗相したところで、どれ
ほど事も起こりませんから………それより、他の娘たちをここに呼んで
来てもらえませんか」
 「(えっ!!冗談じゃないわよ!)」
 私は抱きついたお父様の胸をさらに強く握ってそれをテコに上体を起
こします。
 見上げたお父様の顔は今まで同様笑っていましたが、私が不安そうに
見上げているのに気づくと…
 「どうした?怖いか?」
 「そうじゃなくて妹たちを呼ばないで…」
 「大丈夫。すぐ終わるよ。それに向こうでも話しただろう。女の子は
好きな人の前で恥をかかないと幸せになれないって……」
 「先生もよく言ってる」
 「清美は私が嫌いか?」
 私は首を横に振ります。
 「じゃあ好きか?」
 「だったらいいじゃないか。姉妹みんなお前が大好きなんだから……
嫌いな子がいるのか?」
 私は首を振ります。
 「嫌ってる子がいるのか?」
 私は首を振ります。
 「だったらいいじゃないか。おばば様も、もちろんママだってお前が
大好きなんだから……そうした愛されている人たちの前で恥をかくこと
お仕置きされることが女の子はとてもだいじなんだよ」
 「どうして?」
 「女の子というのはそのままにしておくと、自分の殻に閉じ篭もろう
篭もろうとしてしまうからね。外見や外聞ばかり気にして、ろくに人の
意見を聞かなくなってしてまうんだ」
 「私、違うよ。先生のお言いつけはちゃんと守るもの」
 「そうだ、良い子だ。だから今のうちにもっともっと人の意見を素直
に心へ取り入れられるようにしておくんだ。大人になってからではでき
ないからね」
 「男の子は?」
 「男の子は仕事をしていく中で嫌でもそうしなければならなくなるか
らあまり心配要らないけど、女の子の人生ではそうしたことから逃げて
生きる事ができるからそうやって転落していく人も多いんだ。だから、
今のうちに生きるための度量を広げておかなければならないんだ」
 「それは大事なことなの?」
 「大事だよ。沢山の人の意見が聞けるということは困った時にも色々
な可能性が思い浮かぶということだからね。不幸になったり転落したり
する可能性が減る。つまり、幸せになれる可能性が高いってわけさ」
 「…………」
 私は困惑します。何しろ小五のチビちゃんですからね、そんな難しい
お話がわかるはずがありませんでした。
 「いいんだよ。わからなくて……後になって『あの時、みんなの前で
裸にされてお灸すえられた。まったく忌々しい親父だった』なんて思っ
てもそれはそれでいいんだよ。私も先生もおばば様もみんな思いは同じ、
とにかくお前が幸せになってくれればそれでいいんだから」
 そうこうしているうちに姉妹がやってきました。
 お父様は私の体を正面に向き直させます。目の前にはいつものように
真っ白なシーツに包まれた薄いお布団、お線香の匂いがぷ~ん鼻をつく
と、自分の身体がすべて心臓になったんじゃないかと思えるほど鼓動が
高まります。
 最初は幼稚園の時、そこから数えてこれで5回目でしょうか、お転婆
でしたから過去もけっこうやられていました。でも子供にとってのお灸
は何度やられても慣れるという事がなく、いつもとてつもなく怖いもの
だったのです。
 「これから清美おねえちゃまはお灸のお仕置きをいただきます。みな
さんはこんな辛いお仕置きを受けずにすむ様によい子でいましょう。わ
かりましたか」
 「は~~い」
 元気な声が部屋中に響きます。彼らは…いえ、私だって反対の立場に
いたらそうなんですが、他の子のお仕置きを見るのが大好きでした。お
かげで沢山の好奇の目に私のお股は晒されることになります。
 「清美お姉さまはどうしてお仕置きされるんですか?」
 「清美ちゃんは体操着のブルマーをショートパンツにしてくださいっ
てお父様にお願いしたけど、お許しが得られないものだから自分勝手に
お父様の名前を書いて、お父様のお許しが出ましたって園長先生に嘘を
ついたの」
 「わあ、いけないんだあ」小さな子が叫べば、「ずいぶん大胆な事する
のね」「馬鹿みたい。そんなのばれるにきまってるじゃない」年上の子が
ひそひそ話しを始めます。
 世間で言う11歳の少女ならこんなの耐えられない屈辱なんていうの
かもしれません。私だって恥ずかしくないわけじゃありませんがこれま
でに多くの他の子のお灸の様子を何度も見てきましたから『おあいこ』
という思いもあったのです。
 お仕置きの最初は目の前に広げられたお布団の上に仰向け。肩から上
を胡坐をかいたお父様の足の上に乗せて下半身だけを投げ出します。
 ほどなくワンピースのすそが捲り上げられ、ショーツが下げられると
私のお臍の下があらわになりました。
 亀山では、本来下草の生えるデルタ地帯に3つすえられることになっ
ていました。
 私の場合、過去4回もすえられているので灸痕とよばれるお灸の痕を
示す火傷がはっきり残っています。
 その場所へ寸分狂わず小さな三角錐に形を整えられた艾が乗せられ、
それにお線香の火を近づけると、艾に触れるか触れないかのうちに火が
点きます。
 三角錐の頭が一瞬赤くなり、すぐに黒く燃え尽きて、燃え広がる様は
一旦視界から消え去りますが、火は消えたのではなく艾山の火口を下へ
下へと燃やし尽くしていきます。そしてそれが肌にまで達した時に……
 「(痛い!!!!)」
 となるのです。
 何のことはない。不良たちがタバコの火を押し付ける根性焼きのよう
なものですが、小学生のお仕置きに使われる艾はごくごく小さいもので
すから熱いというか、実際は錐でもまれた時のように痛いと感じるので
すが、それは数秒間だけでした。
 それをお臍の下には三箇所というわけです。
 「ようし、ここは終わりじゃ。お前も身体が大きゅうなったせいか、
泣いたり暴れたりせんようになったのう」
 おばば様は褒めてくれましたが、この時は万歳した両手をお父様が、
投げ出した両足をママが抑えてくれていたから……本当はたった三つで
も、やっぱり泣き叫びたいくらい熱かったのでした。
 お灸のお仕置きはこれだけではありません。お臍の下が終わると一旦
ショーツを元に戻してはくれますが、すぐにまた正座したお父様の膝の
上にうつ伏せならなければなりません。
 お父様のお膝の上には座布団が載っていますから、私は畳の目を間近
に見ながらお尻は高くして次を待ちます。
 やがて、やはりワンピースのすそが跳ね上げられショーツが引き下ろ
されてお尻のお山が外気にさらされることになります。
 「(冷たい!)」
 ここでもやはりアルコール消毒。大人の人たちにはピンとこないかも
しれませんが体温の高い子供たちには結構効果的なお仕置きになってい
ました。
 「ほう、なかなかよい色合いに仕上っとる」
 おばば様は私のお尻を撫でたり摘んだり抓ったりしながら、なかなか
艾を乗せようとしません。
 「(早くしてよ)」
 姉妹達のくすくす笑いが聞こえるなか、私は苛立ちます。
 でも、どうすることもできませんでした。こうして焦らすのもお仕置
きの一つなのです。
 やがて、おばば様は自分の唾を一旦ご自分の指にとってそれを私のお
尻に刷り込みます。そして、さっきより大きめの艾を二つ、それぞれの
お山に乗せるのでした。
 「よう、観念せいよ」
 おばば様はそう言ってお線香の火を艾に近づけます。
 「ひぃ~~~」
 ここは二箇所だけですが、艾自体が大きくて燃え尽きるのに時間がか
かりますから痛みにもそれだけ長く対処しなければなりませんでした。
 終わると一筋二筋涙が頬を伝っているのがわかります。でも、涙なら
まだしもお漏らしとなると話は別です。
 私は思わずお股の辺りを注意深く擦り付けてみます。
 すると……
 「大丈夫じゃ、漏らしちゃおらんよ。よう頑張った」
 おばば様はそう言いましたが、そう言いながらもタオルで私のお股を
拭き清めていたのでした。
 最後は大陰唇、つまりお股の中にすえられます。
 巷の人たちにすれば「えっ、そんな処に!?」と思うかもしれません
が、亀山の中で育つと、最初はお姉さまたちがそこへすえられているの
を見学させられますし、やがて自分達もそこへすえられますから、特別
な意識はありません。
 むしろ、ここへすえられるのは脳天を突き破られるような強烈な熱さ
を感じる反面、性にまつわる神経を活性化させて、『自分が女なんだ』と
感じさせるのです。
 私は再び胡坐をかいて座るお父様の下半身を枕にして上半身をそこに
預けるとショーツを取り去られた両足を高々と上げます。
 それをぐっと引き寄せるのもお父様でした。
 世間ではこれを『ご開帳』というそうですが、ここではさらにママが
それでは足りないとばかりに私の恥ずかしい部分の全てを押し広げます。
 ですから、おばば様が大陰唇に艾を乗せる時には、もうこれ以上ない
ほど哀れな姿を姉妹達の前に晒すことになるわけです。
 でも、これは『お互い様』。亀山で育った子供たちでこの姿にならずに
すんだ子はいません。いわば生活習慣のようなものですから、当の本人
にはたいしたショックはありませんでした。
 ただそこはちょっとでも動くとすぐに艾が落ちてしまう場所ですから、
艾が燃え尽きるまでは微動だにせず我慢を続けなければなりません。艾
そのものはとっても小さいのですが、本来の灸痕から滑り落ちれば必ず
やり直しですから、それがこのお仕置きで一番辛いことだったのです。
 ところが……
 「よし、終わったぞ」
 その日は一回目であっさりおばば様のOKがでます。こんな事は過去
には一度もなかったことでした。
 「お前も身体が大きくなってこのくらいのことには耐えられるように
なったみたいじゃな」
 おばば様はそう言いましたが、私はわかっていました。お父様に支え
られている安心感が成功の秘訣だったのです。
 これがママの枕だったらこうはうまくいかなかったと思います。ママ
はもちろん私にとっては一番近いところにいる人です。でも、同性です
から、お互い我がままがでますし相手の気持ちがわかりすぎて許せない
事も多いのです。その点、お父様は異性。お互い理解し合えないことが
あっても、男性だから仕方がないかと許せてしまうことの方が多いので
した。
 もちろん血の繋がらないお父様は私たち子供にとっては『パトロン』
なんでしょう。でも、私がお父様をそんな風に思ったことは一度もあり
ませんでした。私にとってお父様はお父様。私をいつもやさしく抱いて
くれて、お菓子やドレスや宿題の答えがポンポン出てくる打ち出の小槌
なのです。
 そんなお父様に抱かれていると自分がとっても偉い人になった気分が
しますし、それに何よりここが一番安心できるベッドでした。ですから、
お父様とは十日に一度の逢瀬しかありませんが、ママと同様、……いえ、
時にはママ以上に大事な人だったのです。
 「お父様、今回はお父様のお名前を汚してしまい申し訳ありませんで
した」
 私はお父様の前で正座すると両手をついてあらためて『ごめんなさい』
を言います。それは姉妹達の見ている前でしたからとっても恥ずかしい
ことでした。
 当時の私の感性では、さっきやったご開帳なんかよりこっちの方が、
よほど恥ずかしい出来事なのです。
 「こっちへおいで」
 そんな恥ずかしい子をお父様は優しく抱き上げます。
 「ほら、いい子になった」
 抱き上げられた私は頬ずりをされたり高い高いをされたりしてまるで
生まれたての赤ちゃんか二三歳の幼女ようにあやされます。それは周囲
で見ている姉妹達の嫉妬深い視線を感じて、それはそれでまた別の恥ず
かしさがありますが、お父様の懐の中で甘えていると心はしだいに癒さ
れていくのでした。
 こうして、長かったこの日のお仕置きは終了。あとは……
 『引き続き大嫌いなお父様に抱かれて過ごす苦行がまっていました』
 と、これはあくまで私の公式見解。姉妹や友達、ママにだってこう言
います。でも、その内心は違っていました。
 『一週間もパパと一緒にネンネ。ラッキー(*^_^*)v』
 だったのです。
 さっそく欲しいものリストを作るとそれを暗記し……その日の夜は、
いつものように素っ裸になってお父様のベッドへ滑り込みます。
 そして、お父様が現れると女の色気(?)を駆使してあれこれおねだ
りしてみるのです。もちろん全部買ってもらえるわけではありませんが、
その一部は必ずお父様から買ってもらうことができます。今回も……
 「じゃあ、一週間後でいいね」
 お仕置きが完全に終わってからという条件はつきますが、心はもう、
一足早くルンルン気分でした。
 あ、そうそう、これを言っておかなければなりませんね。実は今回の
お仕置きは初日ですべて終わりではありませんでした。
 私たち犯罪者(?)たちはそれから一週間、全員オムツを穿いて登校
しなければならなかったのです。
 亀山のお仕置きオムツは頑丈にできていて容易に脱ぐことができない
うえに無理に脱がそうとすると二度と穿くことができないようになって
います。
 つまり、自分勝手にはトイレへ行けないようになっていたのです。
 ですから、トイレへ行きたい時は保健室へ行って保険の先生にオムツ
を脱がしてもらうことになります。しかも、肝心のトイレは中庭に置か
れたオマル。人の目を気にしながら用を足さなければなりませんでした。
 それだけではありません。午前中一度も用を足さなかった子は保健室
で強制的にお浣腸されて中庭へ、すっぽんぽんのお尻を晒して飛び出さ
なければなりませんでした。
 それがどんなに恥ずかしいことか。いくら裸に慣れてる亀山の子でも
ウンチやおしっこをしている姿を見られるのはまた別だったのです。
 ですから、たいていの子は午前中の授業中に手を上げてトイレを申し
出ます。もし休み時間に行くとお友達の目がありますから……
 でも、中には意地悪な先生がいてせっかく生徒が勇気をふりしぼって
手を上げているのに却下してしまうのです。こんな時は授業態度が悪い
というのがその理由のようですが、それでも却下された子は、たいてい
ショックで泣き出すことになります。
 満座の前で恥をかかされるというのは、大人の目から見ると一見たい
した事のないように見えますが、実は幼い女の子にとっては裸にされる
こと以上にショックだったりするのでした。
 だって、そこには心の支えとなるママもお父様もいないのですから。
 そんなことがあって、私たちは翌日の休み時間徒党を組んで保健室へ
と押しかけます。
 『赤信号、みんなで渡れば怖くない』ということでしょうか。みんな
でお浣腸を受けてみんなで中庭へ並べば一人分の負担は減ると考えたの
でした。
 これには保険の先生も大笑い。亀山はみんなが幼馴染の仲良しさん。
大人たちが可愛がらずにはいられない天使の里です。でも、それを守っ
ていくには厳しいお仕置きも不可欠。そのバランスが全てでした。
 私たちはこの他にも初日のお仕置きで汚れた体操着や下着を自分達で
毎日洗わされます。特に下着はこれを契機にその後もずっと自分達で洗
わなければなりませんでした。
 そう、それはお仕置きというより女の子の身だしなみとしてやらされ
たことでした。
 で、一週間後、私たちは望みのショートパンツを得たのですが……
 「これ、返します。私たちはもとのブルマーの方がいいですから」
 ここでも私が口火を切るはめに……
 「(なによ。どうしてまた私なのよ。また私が先生に恨まれるでしょう。
もし、これでお仕置きなんかされたら、みんなを生涯恨んでやるからね)」
 そう思いながらモスグリーンのショートパンツを差し出したのですが、
園長先生は以外にもにこやかな顔で受け取ってくださいました。
 「いいわ、預かりましょう。女の子はブルマー、男の子は股上の短い
ショートパンツ。それが小学生の体形には最も可愛く見えるわ。お父様
もそうお思いだからこそ体操着だけは変えないできたの。でも、あなた
たちは私たちが命じるお仕置きをしっかり我慢してこれを勝ち取った。
大変な苦労をしてこれを手に入れたんですもの。大威張りでこれを穿い
ていいのよ。どうしたの?もういらないの?」
 「……はい」
 私は小さな声でつぶやきます。
 「そう、でも、これが穿きたくなったらいつでも言いなさい。出して
あげますよ」
 園長先生はそう言いながらロッカーへショートパンツをしまいます。
 園長先生の言葉は嬉しかったのですが、結局、あれが穿きたいという
子は卒業の日まで現れませんでした。
 亀山では表向き目上の人、大人の権威は絶対です。しかし、お仕置き
覚悟なら子供たちの我がままもけっこう通ります。大人たちは愛する子
供たちの夢を完全には砕きたくなかったのです。ただ、翻って子供たち
に「だったらお父様やママに嫌われてもやりたいのか」と問うと、それ
にイエスと答える子供はほとんどいませんでした。
 亀山はそんなバランスの上に成り立っていたのです。





駒田清美(主人公)
彩夏(さやか)ちゃんや春奈(はるな)ちゃん
谷口茜ちゃん
守山秀子ちゃん
/藤山慶介(お父様)

10月1日付

<10月1日>

私たちの行為は、世間ではSMの
一種だと見られているようです。
劇の中に『責める人がいて、責め
られる人がいる』わけですから、
行為の形態からそう見られるので
しょうが、SMのように責める側
の親や教師、責められる側の子供
がそれで快感を得ることはありま
せん。(悲しみを得ることはあるで
しょうが)快感を得るのは、もっ
ぱらそれを見ている人だけです。
ここがSMとは違うところなのです。つまりこの趣味はSMのような
参加型の遊びではなく傍観型の遊びなのです。(勿論、シナリオに
基づいて寸劇をやることもありますが、役者はみんな大人、生身の
子どもが登場する余地はありません。仮に、これに子供を引き込ん
だ場合は、たとえ本当の親子であってもそれは子供への犯罪行為
でしょう)
我々の趣味はどこまでも空想の中で楽しむことが基本であり、
しかも、話の中身はつまるところ自分のことなのです。ただ、
よほどの自惚れ屋でもない限り、人は自分の容姿を完璧な
ものだとは思っていませんから、理想の姿に劇を仕上げる
ために美しい子どもたちに懸想するのです。
ですから、その限りでは何の問題もない
はずなのですが、ただその約束事が守れ
そうにないと世間で思われているから、
問題が生じるようです。
最後にこれだけは言っておきたいのですが、
我々の趣味に影響されて子どもに危害を
加える人の数が、猟奇ものや残虐ものと
いったビデオに影響されて罪を犯す人達
より数が多いとどうして言えるのでしょうか。
そこが不思議に思います。

*)
<左上>
幼児用の童話の本にでもありそうな赤頭巾ちゃんのイラスト
<右下>
こちらも幼児用の童話の本にありそうな西洋のお城のイラストです。


10月2日付

<10月2日>

 これは『常識に帰れ』という題
(アメリカで出版され和訳された
ものはありません)がつけられた
本に載っていた一枚の写真です。
 女の子の綺麗なお尻に見とれて
しまってコレクションしてしまい
ました。(^^ゞ
 ところで、この『常識』という
言葉。「そんなの常識じゃないか」
ってお互い分りあって使っている
ようですが、実はかなりあやふや
だったりします。(¨;)
 まず外国人と日本人では生まれ
育った文化が違いますから、当然
常識とするものも違ってきます。これはまだわかりますけど、
同じ文化で育ったはずの日本人同士でも、この常識は
異なるのです。
 世代間ギャップとでも言うんでしょうか、私たちが常識として信じて
きたことが、実は若い人たちの間では非常識と
なる事が多々あるんです。その一つがお仕置き
(体罰)ではないでしょうか。
 今では「それが子供の心を歪める」「絶対にし
てはならない」とされていますが、私たち世代
の考え方は違います。「それで人間一本心棒が通
る」という積極的な肯定派から「ない方がいい
けど必要悪だ」という消極的な是認派まで立場
はさまざまですが、いずれにしてもそれを「100
%悪」と言い切る人はまずいませんでした。
 つまり私たち世代にあっては「お仕置きは、
あるのが当たり前」だったのです。ですから、
その常識にそってこの趣味は成り立っている訳
で、その常識が非常識になると社会からは当然
白い目で見られることになるわけです。

*)
<左上>
どこにでもあるようなOTKの白黒写真ですが、
女の子の剥き出しになったお尻があまりに
プルンとしていて、まるでむきたてのゆで卵が
そこにあるようで、思わず笑ってしまいました。
<右下>
お菓子の缶に印刷してあったもので、母と娘が
お菓子作りをしている微笑ましいイラストです。
そうそう、母親の腕の中には赤ちゃんもいて、
おしゃもじのような物をもって自分も参加しよう
としています。

10月3日付

<10月3日>

左の絵は恐らくどこかのSM雑誌か
らもってきたものでしょうが、作者
不詳、出典不明、いつコレクション
したものかさえわからないというか
なり怪しげな代物です。思うに『お
灸』と『浣腸』というお仕置き小説
にとっては定番の責めと重なりあう
ので採集したんだと思います。
このようにお仕置き小説とSMとは
行為において重なり合う部分が多い
ので多くの人がお仕置き小説はSM
の一種、亜種又はソフトなSMなん
だと思っておいでのようですが、こ
の二つの行為は相手をどのように見
ているかという心根において大きく
異なるのです。
「なあんだ、気持の問題だけか」( ^▽^;)
とお思いかもしれませんが、私たちにとってはそれが
全てと言ってもいいほど重要なことなんです。
SMは相手を屈服させる快感に酔うサディストと自我
が崩壊するほどの肉体的精神的な苦痛により擬似解脱
(?)を体験したいとするマゾヒストとの利害が合致す
れば成り立ちます。ですから行きずりの少女を廃屋に
連れ込んで悪戯(調教)しても相手が愉悦を楽しむほど
に感化されてしまえばお話はハッピーエンドです。
コレに対し、お仕置き小説の場合は、最初から特別な
人間関係のない者同士では成り立ちません。責める側
に相手方を更生させるという大義名分がないならそれ
は虐待(又はSM)でしかなく愉悦の対象外なのです。
誇り高い(?)我々は、被虐加虐の快楽を非日常の暗いイメージでは
なく、普段の生活の中に見出したいと考えているのです。ガムでも
噛んでいるような気安さで楽しむ快楽。それが我々の望みなのです。

*)
<左上>
パイプベッドに仰向け大の字に縛られた女の子が男によってお臍の
下にお灸をすえられているところと、その奥では、膝ま付き後ろ手に
縛られた女の子がおっぱいポロンの女性からお浣腸を受けている
ところ。
ま、常識的に見て「SMだなあ~~」って感じの絵です。
<右下>
これは一応私が描いた絵。お尻叩きのための拘束台に縛り付け
られた少女がそこで寝ている絵です。『懲罰台のうたた寝』なんてね、
麗々しく題名までついていますけど下手な絵です。(^^ゞ

10月4日付

<10月4日>

 私は小説(そんな大層なものではあ
りませんが)を発表するようになって
からというものほぼ一貫して女の子を
主人公としてきましたが、実は、私が
この趣味を始めた頃の対象者は男の子
でした。

 初恋のお相手が同級生の弟だったの
です。私は彼の家に遊びに行くと何も
知らない兄を尻目に「分からないことは教えてやるよ」などと図々しい
物言いで彼を膝に抱いては鉛筆を握るマシュマロのような手を包み
込み、頬にたなびく産毛をそっと吹いてみたり、半ズボンから伸びた
太股を揉んだり撫でたり時には自分の太股で揺すってみたりとやり
たい放題です。明るく愛らしいその子が膝の上にいる時が私の至福
の時間だったのです。

 次に好きになったのもやはり11歳の男の子。品があり、プライドが
あり、その顔は大人になりたいと願って凛々しい。
 でもそれでいて時折見せるどこか物憂げな表情が子どもを感じさせ
て私の心を締め付けます。

 当時私は中学生。ただ家が近いこともあって、事情が許す限りその
子の校門で『出待ち』までして一緒に帰りました。

  『一緒に帰りました』(右の写真は別人デスヨ)
 (`Д´≡`Д´)??いえいえ、これは正確な
表現じゃありませんね。実は私、その子に声を
かけてお近づきになれたわけではないのです
から…
 ☆ヽ(∇⌒*)よろしぅ♪

 どう声を掛けていいかわからずじまいでした。
(相手にされずです)

 ですから……『その子の帰り道を毎日つけて
いた』というのが正しいでしょうね。要するに
ストーカーだったわけです。

 でも、楽しかったなあ、あの子を見ていると
それだけ癒されましたから(’-’*)♪

 ある日その子がバスの中で色鉛筆を落とした
のを見て自分でも驚くほどのスピードで拾いに行きました。……そして
「ね、これ、くれないか?」って……ひゃあヽ(≧▽≦)ノバカですね~

*)
<左上><右下>
記事とは無縁の共に男の子の写真です。
このお二人さんもすでに成人しています。

10月5日付

<10月5日>

 左はとある修道院ですが、
こんなものを見ながらよく
空想の翼を広げて孤児院の
お話を書きます。私自身は
孤児院の出身でも関係者で
もありませんからその実態
は知りません。普通、小説は知らない事実は調べてから書くという
のが常識ですが、この世界は夢の世界。なまじ実態を知ってしまうと、
嘘を書きたくないという思いからかえって筆が進まず、中身も平凡な
ものになってしまうことが多いんです。

 実はこれ、女の子も同じで、物語に登場する女の子は、正真正銘、
街を行きかう『女子』ではちょっと具合が悪いんです。あくまでこちら
サイドの生理にかなった理想化された『女の子』ということになります。
つまり女の子という姿かたちを借りているだけで、スカートやショーツ
を穿いていても心は男の子なのです。(^◇^;)

 孤児院も実態はどうでもいいんですよ。
孤児院、修道院、教会といった閉鎖的で、
ストイックで、神秘的で…という日本人の
持つイメージ。西洋コンプレックスをくす
ぐってくれる建物(外観)や内装、衣装、儀
式などその有り様(雰囲気)を借りて着飾っ
てるだけなんですから。

 ですから、小説を書き始めた頃はこれで
も書物を積読して歴史的経緯やその有り様
にでるだけ副ったものを書こうなどと無謀
な挑戦を試みましたが……挫折してしまい
ました。(×_×)

 その言い訳というか、開き直りで言うわ
けなんですけど、私たちの世界は何も事実
に則さなくてもファンタジーでいいような気がします。その方が楽しい
ものができますから。むしろ、その夢の世界と現実とを混同しない理性
こそが大事なんじゃないかと思うんです。

*)
<左上>
修道院のイラスト(ワインのラベルだったかなあ)
<右下>
ヨーロッパのお城の写真
共にあまりに古いことでどこから持ってきたかは忘れてしまいました。

**************************
無原罪の御宿り(ムリーリョ)
無原罪の御宿り(ムリーリョ)
**************************

10月6日付

<10月6日>

素朴な良い絵ですね。庶民的で家庭的な温かみを感じます。
母親の何気ない仕草が子供のお尻を気遣っているのがよく
分かります。

母親が幼い子のお尻を叩く。
子供は泣き叫び、必死にその膝から逃げ出そうとするが、
母親はそれを許さず、さらに強く叩いて子どもの泣き声を
強くする。

ちょっと見、無慈悲で残酷そうに見えますが、お仕置きは
割れないコップの中での嵐。
叩く方は子どものお尻の限界を知っていますし、叩かれる
方も親や教師がある一線を越えないことを知っています。
その暗黙の了解事項が存在するからお仕置きなのです。
なければ虐待でしょう。

そんな『お仕置き』だから、そんなことはとうに卒業した
はずのご婦人があえて痛くて恥ずかしい場面を求める
のです。樺の鞭は今の身にはそれほど堪えないかも
しれませんが、幼い日に必死で母の膝を抜け出そうと
した甘い煉獄の思い出は簡単に蘇るはずです。

今日のように『子供を叩けばその子の心に傷がつくから
けしからん』というのは虐待を繰り返す親には当てはま
るでしょうが、お仕置きをする親には当てはまらないと
思いますよ。

(*)本来、このページを彩っていた絵画
<左上>
素朴なOTK
<右下>
シスターによる懲戒

10月7日付

<10月7日>

彫刻の置物にはよくスパンキングを題材にしたものがあります。
今はあまり好まれないイメージなのかもしれませんが、その昔は
これを見て心和む人達が沢山いたのでしょう。

いえ、私だってその一人です。

私たちの世代では親が自分の子どもをスパンキングしている
光景は、残虐性よりむしろ微笑ましい光景として好意的に受け
取られていました。私たちの親世代までは親が子を懲戒する
のは当たり前で『愛情があるからぶつんだ』なんて嘯(うそぶ)
いていました。

それがすべて正論だったとは思いませんが、少なくとも私の
見る限り今の親より子供との関係が近しかったのは確かです。
私に言わせてもらえれば、今の親たちは子供をペット以上の
ものとして認識していません。それが証拠に自分の生活が
楽になるからとまだお誕生前の乳飲み子を平気で保育園に
預けるなんてことするじゃありませんか。

僕らの親世代ではまず考えもしませんよ。おそらく、『まだ
物心つかない赤ん坊のミルクやりなど誰がやっても同じこと』
と思っているんでしょうね。

ペットホテルと同じ理屈なんでしょう。

私たちが生まれ育った時代にももちろん保育園はありました。
ありましたが……そこは今のように堂々と子供を送り出す
場所ではありませんでした。
そうしなければどうしても生活が成り立たない特殊な事情を
抱えた家庭の子だけが利用する場所だったのです。

もちろん昔だって…いえ、昔は今以上に生活は楽ではあり
ませんでしたよ。でも必死に家計をやりくりして、少なくとも
赤ん坊の時代は母親が抱いて負ぶって育てたものです。

そこで感じた皮膚感覚こそが子供をして母親と認識させた
んです。だから、お仕置きされたってその関係は微動だに
しないんですよ。
そこにあるのはその後獲得する知識や経験じゃありません。
動物的な嗅覚んです。

(*)本来このページを彩った置物の写真
<左上>
スパンキングの置物(1)
<右下>
スパンキングの置物(2)

10月8日付

<10月8日>

 僕がまだ小学生の頃だから大昔のことだけど、
ちょっとした用事があって独りで東京へ出かけた。

 今は東京くらい誰だって行くと思うが、当時の親は
やっぱり心配だったのだろう、ブルトレの車掌さんが
起こしに来てくれ、もうじき着くよと教えてもくれた。

 そんなにして出かけた東京だったが、当時はまだ
街の規模が大きいというだけで未来都市のような
ものを想像していた僕にはむしろがっかりだった。

 ただ、驚いたことも沢山あった。

 地下を走る鉄道に初めて乗ったし田舎にはない
高い高いタワーにも昇った。ただ、一番驚いたのは
何といっても同じ年頃の子の仕草や言葉遣いだった。

 僕だって草深い田舎の町にいれば大人たちから
「都会的であか抜けてる」なんてね、そんな評価が
もっぱらだったのだよ。
ところが、東京へ来るとそんな自分が『一匹の山猿』
でしかないことに気づかされるんだ。

 お世話になった東京のお家は大豪邸で自分と同じ
小五のお嬢さんが相手をしてくれたんだけど……、
この子が自分の父母をごく自然に「お父様」「お母様」
と呼んだのには目の玉が飛び出るほどびっくりした。

 田舎者には『これはドラマかあ~!』ってなもんである。

 そして、もう一つは、そこの家族と街へお出かけした
ときのことだ。

 彼女がそこでちょっとした不始末をしでかしたんだけど
……
 その時、そこのお母様が……「帰ったらお仕置きね」
とまるで夕飯の献立でも思いついたかのようにあっさり
した口調で宣言。
 娘の方も顔色一つ変えず……「はい、お母様」だもん。

 『東京の子って子供じゃない!』と思った。

*)
<左上>
昔ながらの『お父様』といった感じのイラスト。
<右下>
ヴァイオリンを手にしたタイトスカート姿の女性の写真。
僕のイメージでは『先生』というとこんな感じだ。

10月9日付

<10月9日>

 先日の続き。
 僕は彼女がお母様からお仕置きを宣言されても
顔色一つ変えなかったから、お仕置きといっても
大したことはないだろうと高をくくっていた。

ところが、その日の夜。どこからともなく少女の
悲鳴のようなものが聞こえるのだ。

 『空耳かな?』
 と最初は思ったが、どうやら本物のようで…
どうしても妄想が頭を駆け巡ってしまう。

 まさかこんな絵のような事はないだろうが、
当時はすでに今と同じ嗜好をもっていたから
夜遅くまでなかなか寝付かれなかった

 もちろん、何をされたかなんて彼女は言わ
ないし、お母様だって話すはずがない。
 その二人がまるで何事もなかったかのように
朝の食事をしているのがこれまた驚きだった。

 もしあれが家の母親だったら……

帰りの電車の中では能面のような顔をして
口をきかず。家に着くなり胸倉を締め上げて
往復ビンタ。汚い言葉で罵って……
 もし、生意気な口答えなんかしようものなら
……「あんたって子はお灸でもすえないとわか
らないみたいね」なんて脅してくる。

 ははは(^◇^;)こんな母親、
 お母様だなんて呼べるかあ(゜0゜*)ノ
 えっ、?相手だって呼ばれたくない?
 そりゃそうだ。\(^^\)三(/ ^^)/ 

(*)
いずれも加藤かほる先生の洋風作品
<左上>
ベッドでお浣腸を受ける少女。
普通ピストン浣腸器はガラス製だが、
加藤先生の場合はデコレーションの
ついた陶器製(?)がほとんど。
<右下>
燃え盛る暖炉の前で母親からローソクの蝋を
むき出しのお尻に落とされる少女のイラスト。

*******************
食前の祈り(シャルダン)
食前の祈り(シャルダン)
*******************

10月10日付

<10月10日>

 これは平牙人先生のイラストです。

 先生はこの世界では恐らく唯一のプロ作家です。
 当然、文章は練れてますし考証もしっかりしていて
「なるほど!」という作品ばかりです。おまけにこうして
イラストも手がけられますからまさに鬼に金棒。

 新しい作品が出ると、同じ趣味を持つ人はたいてい
買い求める人気ぶりです。
 ですが、いかんせん同好の士が少ないのが難点です。

 日本ではスパンキングを受けて育った子が少ない
ので郷愁をもって読めないのかもしれません。

 ですから、先生の名前はむしろ欧米の方が有名なの
です。
 おまけに昨今は、我々の趣味は何かと世間の風当り
が強いですからね、先生も苦労されてると思います。

 先生は普段は穏やかな紳士なのですが、時として
激高する人ですから、昨今の情勢に鑑みて脳溢血か
なにか起こさないか心配です。

 余計な心配は百も承知ですが、どうかお体を大切に
なさって今後もご活躍くださいませ。

 ところで、右の絵はちょっと改変してピロリー(晒し台)
として私の小説の中で使わせていただきました。

 お仕置き小説は相手が子供である事が前提ですから
あまり激しい責めはたとえフィクションでも興をそいで
しまいます。痛みだけでなく恥ずかしさをうまく織り交ぜ
て書く事が大切なんです。

*)平先生のイラスト
平さんのイラスト(1)
平先生のイラスト(2)
平先生のイラスト(3)

10月11日付

<10月11日>

左の絵とは直接関係ないのですが、
私はこの絵を見ると、昔、小学校
時代の友人が肥溜めに吊るされた
お仕置きを思い出します。
いえ、現場をじかにみたわけでは
ありません。友だちの間で、一時
話題になった時それを想像したの
を今でも時折思い出すのです。
それがなぜかこの絵で蘇るんです
よ。馬鹿ですねえ。ヽ(≧▽≦)ノ
通常、肥溜め(これが分からない
人はネットで調べてください)と
いうのは屋根があってもきゃしゃ
にできていますからね、重い物を
吊るせるようにはなっていないの
ですが、そこはどういうわけか鉄骨
柱と頑丈な屋根がついていまして、
なるほど人を吊るすにはもってこい
の構造だったんです。
で、本人に後で聞いたら、「そんな事
ありません」と、きっぱり否定され
てしまいました。(真偽は不明です)
子どもって友だちの噂話が好きで、
「あいつ、今でも哺乳瓶でミルクを
飲んでるんだぜ」とか「あの子、お
風呂でうんこ漏らしたんだ」とか…
結構いい加減な情報をまことしやか
に話すんです。私は幸い被害者にな
りませんでしたけど、これって傷つ
くんですよね。心の傷としては親か
らのお仕置き以上の被害でしょうね。

*)
<左上>
オムツをはめられ、廊下で後ろ手に縛られて、
つま先が床に着く程度に吊り上げられている
少女のイラスト
<右下>
乳母車にオムツ一つだけの裸で乗せられ拘束
された少女。周囲を姉妹が取り囲み逃げられない。
少女と言ってもハイティーンのようだから自宅の庭
でやっていても他人の目が気になる様子で、生垣
越しに通るおばさんを気にしている様子がいい。
こういうジレンマはお仕置き小説でも重要な心理的
ファクターです。
ちなみに、この時代、加藤先生は若草物語を念頭に
数々の作品を創作されていまして、これもその一連
の作品群の一つです。

10月12日付

<10月12日>

 クリスマスプレゼントがスパンキングとは、子供たちは
災難でしたね。
 西洋版『なまはげ』といったところでしょうかね。比較的
よくある構図ではありますが、子供たちの現実にも似た
ようなことがあるからかもしれません。

 私も学期末がこんな感じでした。
 成績がよければ問題ないのですが、そうでないと三者
面談(=うちの学校は終業式前に親を呼んで一足早く
今学期の成績を発表。休暇中の計画を提出させるん
です)の日は心臓が張り裂けそうでした。

 我が家の場合、成績が悪いから即体罰という訳では
ないんですが、休み中の勉強時間が大幅に増やされ、
特訓塾みたいな処へ行かされたりします。

 つまりはそれがお仕置きでした。

 こんな時は『女の子はいいなあ。女の子になれない
かなあ』と思ったものです。

 というのも当時はまだ女の子に学業はあまり期待
されていませんでした。男女平等が徹底された今日
では信じられないでしょうが、女の子は小学校も
高学年になれば家の手伝いをするのが当たり前、
さぼればお仕置きだって当然というのが親の考え
だったのです。

 私の友だちは家の仕事が免除されたのは受験
当日の朝だけだったそうです。

 そんな環境のなか進学校へやって来た子は多くが
優秀でしたね。人間やはり揉まれて育たないと強く
なりませんよ。お仕置きだってその一助だと思うん
ですけどね。(*^_^*)



(*)本来、このページにあったイラスト

<サンタさんのお仕置き>
サンタさんのお仕置き

<チャーチワードさんのイラスト>
チャーチワードさんのイラスト

10月13日付

<10月13日>

 左の絵はクラウン(Pixiv)さんの作品。アットホームな感じが
気に入っていてコレクションに加えました。

 私はこんな風にごく自然な形で行われるお仕置きが
大好きです。

 えっ、『女の子がパンツを脱がされていて、これのどこが
自然だ!』ですか。

 いいじゃないですか、パンツぐらい。自慢じゃないけど
私なんて二十歳過ぎても母親が……
 「ほら、さっさと着替えないと…パンツを脱いで」
 と言ったら、その目の前でごく自然に脱いでましたから…
…(^◇^;)

 今の人たちは情報過多で幼い時から異常なほど羞恥心が
強いようですが、幼い頃の羞恥心って頭の中で作り上げた
幻影で、生理的なものじゃありません。恥ずかしいなんてのは
性的な情動が起きてから考えればいいんですよ。

 頭でっかちに「あれも怖い」「これも怖い」と怯えていたら、
恥をかく事が許される貴重な時期に度胸をつける体験ができ
なくなって、大人になって困った時に自分の人生の幅を狭めて
しまいます。

 よく『男は度胸』なんていいますけどね、本当に度胸がいる
のは、その時には裸になれない女性の方なんです。

 あれは僕が四年生の時だっか、田舎に遊びに行ったら、
小五の女の子が自宅近くの川ですっぽんぽんで泳いでました。

 余計な情報を耳に入れず、周囲が善良な知り合いばかり
というコミュニティーの中では水着はまだ必要なかったんで
しょう。

 私の言う『自然』とはこういう事なのです。


*)クラウンさんのイラスト

<家族団らんの食事でスパンキング>
家族団らんでのスパンキング

<お友達がみてる前でのお仕置き>
お友達がみてる前でのお仕置き

10月14日付

<10月14日>

上の絵は内山亜紀ちゃん(本当は『先生』って呼ばなければいけ
ないんでしょうが…)お得意の幼女。先生はロリコン全盛期には
知らぬ者はない漫画家さんでした。お仕置き小説というのはどち
らかと言うと幼児退行の精神状態にある人が多いので、当時は
亜紀先生にはみなさんお世話になったんじゃないでしょうか(^◇^)
 この世界、『子供をお仕置きしたい』と思う人ももちろん大勢読ん
でおられるのですが、やはり多くは『自分が子供になってお仕置き
されたい』と願う人のようです。というのも、前者はSMでもその願い
は叶えられますが、後者はお仕置き小説でしか満足が得られない
からなのです。
 普段着ている大人の鎧を脱ぎ捨て、幼き日の男の子あるいは
女の子になりきって自分でも経験した事のないようなきついお仕
置きを想像して楽しむ楽しむ奇妙な病。その昔は天地がひっくり
返りこの世の終わりのように泣き叫んだ悲劇を、なぜ今になって
再現しなければならないのか。それはお仕置きが決して無間地獄
ではない事を今は知っているから。やがて訪れる甘美な愛情の
中でこの苦行が終わると約束されているから。
パッピーエンドを約束された世界など大人の生活に
は存在しませんからね。
 人は困難を経て掴み取ったものに特別の価値と愛
着を見出します。スポーツも芸事も趣味も勉強も、
もちろん仕事だって、努力して成功するというのが
人間の真っ当な姿です。ただ、人間は弱い生き物で
すから挫折しかける時もあります。そんな時……お
仕置きという過去を思い出すんです。困難と母親や
教師に抱かれる(許される)快楽とがワンセットに
約束されている世界で擬似的にではありますが達成
感や特別な幸福感が得られるというわけです。
 愚かな事?(?_?)エ?……確かにそうです。(^^ゞ
でも、仕事の合間に点ける一服や気を落ち着ける為
のガムの役割にはなると思いますよ。(⌒~⌒;A

*)
<左上>
帯状に女の子たちがそれぞれに色んなポーズをとっているイラスト
<右下>
タイトスカートをはいた女性が一本鞭をしならせているイラスト
作者さんはどういう女性をイメージして描かれたか知りませんが、
私にとってタイトスカートをはいて知的な表情ならそれは『先生』の
イメージなんです。

Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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