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10月15日付

<10月15日>

  こう言っちゃあ何ですが、私は女性のすっぽんぽんより、
恥ずかしそうにパンツを見せている時の方がぐっと来る時が
あります。

 私の家には女の兄弟(姉妹)がいなかったせいか、
小中学生を通じて女性器を見る機会が一度もありません
でしたから、女性器がどんな形をしているのかまったく知ら
なかったのです。

 『だって、母親はいただろう?』ですか。

 ええ、もちろん母親はいましたよ。一緒にお風呂にも入り
ましたし、毎晩のように一緒の布団で包まって寝ていました。

 ただ、子供にとって母親と言うのは『女』とか『女性』では
ないんです。

 『母親が女でなかったら、男だったのか?』

 いえいえ、そういうことではなくて、子供にとって母親と
言うのは神様みたいなもので、『神聖にして犯すべからず』
だったんです。ですから、たまさかそんな処を覗こうとしても
……

 「ダメよ!変なことしないの」
 なんて言われると、良い子は二度目をチャレンジしたり
しないんです。

 もちろん、これが普通の女の子なら諦めたりはしないで
しょうからね、小学生にとって『母親』は『女性』とは違う
生き物という事になるわけです。

 それと、小学校の時はどうあっても女の子のお股の中
を覗きたい、という欲求があまりありませんでした。
 これは私だけの性癖かもしれませんが、女の子は白い
ショーツさえ見えたらそれで十分だったのです。ですから、
このSUさんの絵のようなものを描いてはやに下がって
いたんです。_〆(・・ )♪

(*)SUさんのイラスト(白いパンツ)
これはもともと別の場所で見る事ができたのですが、SUさんが
PIXIVの中に絵を移してしまわれたので見るためにはPIXIVへの
登録を求められるかもしれません。

<左上>
SUさんのイラスト(1)
<右上>
SUさんのイラスト(2)

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二人の天使(ブグロー)
二人の天使(ブグロー)
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§1

§1

 「多くの子が同じことをされて大人になっていくんだから…」と多く
の大人たちに励ましというか慰められましたが、結局、心の中に入って
くる言葉はありませんでした。亀山に住む13歳の子にとっては……
 『どうしてこんな事しなきゃいけないのよ。どうして昔のことまで蒸
し返すのよ。わたし、この先も赤ちゃんでかまわないわ。おむつをして、
おしゃぶりをくわえて、学校だってどこだって行けるんだから……』
 なんて、啖呵を切りたくなるような出来事です。頭の中をつまらない
繰り言だけがいつまでもぐるぐる駆けめぐりますから、もうそれだけで
疲れます。そのうち……
 「恵子、お父様がみえられたわ。行きますよ」
 ママの声がしますから勉強机から立ち上がりましたが、気分は最悪で
した。震える足に力を込めて、心の中の自分に「よし」というかけ声を
掛けて部屋の外へ出ます。
 「あら、来ましたわ。噂をすれば影ですわね。……あなた、お父様が
お待ちかねよ」
 玄関先でママの声が弾んでいます。お父様はいつもの通り泰然自若と
いった感じで少し慌てた様子の私を見ていらっしゃいました。
 「遅くなりました」
 「いや、少し早かったけど行こうか。雰囲気には早く慣れておいた方
がいいだろうと思ってね」
 「そうですわね」
 ママが合いの手を打つ。彼女にしてみれば今日は娘の晴れ姿でもあり
ましょうから、ご機嫌でした。
 お父様は私の手を握るとゆっくり歩き出します。私はいつものエプロ
ンドレスでお父様もいつものツイードのコート。お父様との関係はママ
と比べれば少し遠いのですが、こうして手を繋いで歩いていると本当の
親子のようにも感じられます。二人は微妙な位置でした。
 『甘えたいなあ』
 そう思ってすこし肩の位置をお父様の二の腕にすり寄せた時でした。
 「お父様」
 いきなり健児がお父様の前に現れます。健児はこの時まだ八歳。その
子が両手を大きく広げますから、お父様は抱かないわけにはいきません
でした。亀山では幼い子こうすれば赤の他人だって抱き上げます。
 当然、私が握っていたお父様の手は解き放たれます。今からはずっと
ずっと握り続けていて欲しかった手なのに……
 「おう、健児はいつの間にか重くなったなあ。ママのおっぱい沢山飲
んでるな」
 頭より高く『たかいたかい』をしてもらった健児はご機嫌なお父様に
ご機嫌な笑顔を作って答えます。
 その健児が地面に下ろされてまず言ったことは私の肺腑をえぐる言葉
でした。
 「ねえ、お姉ちゃま、今日は、お仕置きなの?」
 こう問われてお父様は少し苦笑い。それをフォローしてママが…
 「違いますよ」
 「でも、お姉ちゃまは今日が13歳最後の日でしょう。みんな言って
るよ。女の子は14歳の誕生日前にとびっきり厳しいお仕置きをされる
って……」
 「そんなことはありません。それは過去に色々と大人の人達に迷惑を
かけた子だけが赤ちゃん時代の清算としてやられるの。お姉ちゃまは、
これまでずっとよい子だったから、きっとそんなことにはならないわ」
 「ほんと?」
 「本当よ」
 「だって、クラスの女の子たちが、13歳最後の日は地獄なんだって」
 「そんなことはありません。今日はご近所のおじさまたちと赤ちゃん
時代の思い出話をするだけよ。さあ、いいから、お家に帰って宿題すま
せちゃいなさい。今日はママ忙しいからピアノの練習とお習字は青山の
おばさまが代わりに面倒見てくださることになってるの。いつも以上に
ちゃんと良い子にしてるのよ。怠けたらすぐ分かりますからね」
 「ネンネも青山のおばさまとなの?」
 「いいえ、あなたのネンネまでには帰るわ。それまでに決められた事
をやっておかないと、あとが怖いわよ。いいわね」
 「は~~い」
 ママは最近知恵がついてさぼり気味になってる健児に釘を差すと追い
払ってくれました。でも、それで私の苦境が改善されるわけでもなく、
それからも私は屠殺場へ向かう牛のようにお父様に手を引かれてクリス
タルパレスへの長い坂道をとぼとぼと歩いて行ったのでした。
 こんな日はもう目的地に着くまでは誰とも会いたくないのですが……
やはり狭い街のこと、そうもいきません。
 坂道のちょうど中間点あたり、少し開けて亀山の町並みがよく見える
場所でその人は街の風景をスケッチしていました。
 「小西先生、こんにちわ」
 私は、内心はともかく笑顔でこちらから挨拶します。それは亀山では
子供の義務でした。大人たちが子供にせがまれれば何をさておいても抱
かなければならないように、子供たちもまた笑顔の挨拶が義務。もし、
挨拶してもふてくされた顔や嫌々ながらの顔なら、もうそれだけで大人
たちはお仕置きの準備だったのです。
 そのあたりは厳格に守られていた習慣でしたから、もう条件反射の様
にして笑顔とおじぎがセットになってやってしまいます。
 「おや、恵子ちゃん。もう来たの?……私も、もうそろそろパレスに
行こうとしていたところなんだ。そうだ、よかったら記念に私に13歳
最後の日をスケッチさせてくれないか」
 一旦片づけ始めていた小西先生がふたたびスケッチブックを再び取り
出します。
 「そりゃあ、いい。写真もいいけど、絵というのはそれとはまた違っ
た趣がありますからね。恵子。小西先生に描いてもらいなさい」
 話は決まりました。急遽、私はそばにあった桜の木にしだれ掛かって
小西先生のモデルを務めることになったのでした。
 小西先生は天野のお父様と同じ立場の方ですから本来なら『おじさま』
とお呼びするところですが、私は小西先生に絵を習っていましたから、
あえて小西先生だったのです。
 「おう、画伯。今日はスケッチ旅行かい」
 富田のおじさまが声をかけます。
 「モデルは天野先生のご令嬢、恵子姫か。どれどれ……」
 おじさまはスケッチブックを覗き込みます。
 「おう、こりゃあ美人だ。二三年経つと、きっとこうなるという顔だ」
 そう、小西先生は今の私の顔から想像してハイティーンになった頃の
私を描いてくださったのでした。
 ほんの十分ほどの間でしたが、次から次にギャラリーが増えていき、
桜の木の周りはたちまち黒山の人だかり。みんなクリスタルパレスに私
を見に行くお父様たちばかりでした。
 「ほら、見てごらん」
 丁寧にデッサンされた絵の中の私は小西先生の中で理想化されていて、
まるで別人のようですが、悪い気持ちはしませんでした。
 いよいよ私たちは、亀山の街中から少し離れた小高い尾根の上に建つ
四階建ての大きな建物へと入って行きます。クリスタルパレスは地下と
一二階がパブリックスペース、三四階が女王様のプライベートスペース
です。特に一階には百畳ほどの展示スペースや五十席ほどの映写室なん
かがあって、まるで博物館か市民ホールのようになっています。
 今、その展示スペースで一週間前から開かれているのが、私の回顧展。
『回顧展』だなんていうとまるでお亡くなりなった有名人みたいですが、
私も今日で赤ちゃんという現役を退きますからそういう意味で同じかも
しれません。
 もちろんこれは私だけじゃありません。亀山の子が十三歳を終える時
には誰にでも企画される催しだったのです。
 物語(写真)は、おばば様にうだかれてお父様の門を叩いた時から始
まっています。おばば様が差し出す乳飲み子を受け取った瞬間のお父様
とお母様の喜びの表情がそこにありました。
 「へえ~」
 こんな写真が撮られていたなんて私自信初めて知ったのでした。写真
だけじゃありません。ガラスケースに恭しく収まって哺乳瓶やガラガラ、
起きあがりこぼしや産着、オムツまでもが麗々しくも飾られています。
 ハイハイの瞬間も、タッチの瞬間も、もちろん、あります。
 少し大きくなった頃には、教壇に立つママにおんぶされてる写真も…
世間じゃあり得ないでしょうが、ここではこれも常識なんです。
 赤ん坊は三歳までは母親が抱いて育てる決まりになっていましたから。
 おかげでミルク、オムツ、ぐずりと何があっても授業は中断しました
が、私たちはそれが当たり前の事だと思っていました。
 やがて幼稚園ともなると、私の作品が登場します。稚拙なお絵かきや
人生初めて作ったお人形。手足をただ動かしてるだけのバレイなんかも
ちゃんと写真になって残っていました。
 お父様やお母様はもちろん、ママやおじさまたちも懐かしそうに眺め
ていますが、当の本人はまだ自分を回顧するには早すぎてただ気恥ずか
しいだけでした。
 そうそう、会場内に流れていたBGMも私のピアノでした。ちょうど
オープンリールの録音機が出たばかりの頃で、新しものが大好きな本宮
のおじさまが気を利かせて盛り上げてくださったのでしょうが、それは
とある発表会でとちってメロメロになった時のものでしたから…
 『よりによってどうしてこんなの流すのよ。消してよ。お願いだから
消して!』
 私の心臓は締め付けられるばかりです。そこへ張本人が現れて……
 「恵子ちゃん、おめでとう。ちょっと見ないうちに随分大人になった」
 「こんにちわ、」私とすればおじさまの胸にすぐにでも飛び込まなけれ
ばならないのはわかっていたのですが……
 「おや、ご機嫌ななめみたいだね」
 「そんなこと……」
 私は否定しましたが、まだ心の中を隠すまでの笑顔を作る事までには
至っていまませんでした。
 「ほら、おじさまに抱いてもらわないと……」
 ママが背中を押しますが、足取りは重くて…私自身は感じていません
が、どうやらその時、私はおじさまを睨みつけていたみたいでした。
 「どうしたの。今聞こえてる曲、覚えるだろう?先日の発表会で君が
弾いてたのを会場で録音して流しているんだよ」
 『だから嫌なの!こんな失敗した演奏なんか流してどういうつもりよ。
おじさまは私に意地悪する為に来たの!恥をかかせるために来たの!』
 私は喉元まで出掛かった言葉をやっと押さえていました。
 「でも、失敗しちゃって……」
 これだけ言うのが精一杯でした。
 でも問題はこれだけではありませんでした。というより、今日の宴席
ではこんなのはほんの序の口、軽い挨拶代わり。問題はこれからだった
のです。
 「さあ、映画が始まるわ」
 「映画?」
 「そうよ。あなたの成長の記録を山崎のおじさまが編集してくださっ
てるのよ」
 「それって、ひょっとして……(図書館の……)」
 私は怖くてその先が口にできませんでした。
 「さあ、行きますよ」
 ママは私の背中を押します。目の前には映写室。ドアがすでに開け放
たれているのですが中は真っ暗でした。ただその大部屋の先がほんのり
明るく光っていてすでに映写会は始まっているようでした。
 「恵子ちゃんは木登りが得意でした。すでに幼稚園児にしてこの高さ」
 当時の動画はまだ8ミリフィルムの時代。それが16ミリと32ミリ
で撮られたフィルムを2台の映写機を使って上映しているのです。特に
32ミリは劇場映画と同じものですから今にして思えばお金持ちにしか
できない贅沢な趣味でした。
 「先生方が心配して見上げるさなか手を振っています」
 32ミリでは山崎のおじさまが下手なナレーターまで務めています。
 「ほらあ~~~見てえ~~~」
 当時幼稚園の裏庭にあった柿の木を一番上まで征服した幼い日の私の
声が聞こえます。
 でも、この後……
 「おっ~~~」
 場内にどよめきが起きます。実は枝が折れて私は落下するのです。
 それをキャッチしてくださったのは原口のおじさまでした。
 丸いお顔でいつも笑っておいででした。この時も抱き上げられた時に
おじさまが笑っていたのを覚えています。
 「失礼します」
 私は劇場内でお父様を見つけてその隣に座ろうとします。でも……
 「おいで」
 お父様は私が隣に座る事を許してくださいません。
 「はい」
 そう言うしかありません。そう言ってお父様のお膝に乗るしかありま
せんでした。
 「今日は、私のお膝の上にお前を乗せて一緒に見ていたいんだ」
 「えっ、……」私に小さな緊張感が走りました。もちろん私は天野の
お父様の子供ですから、言われたらどんな命令にも従わなければなりま
せん。ただ、ここしばらくは「もう、重くなった」からとお膝の上は免
除されていたのでした。それが久しぶりに……
 「でも、重たくありませんか?」
 「大丈夫だよ。歳は取ってもそのくらいのことで音を上げたりしない
から……」
 実は、私が大人に近づいてお父様を異性を意識を意識し始めている事
に気が付いておいでだったのです。お父様たちは紳士ですから娘に無理
強いはなさいません。それは、お仕置きを見学すると言うのとは違った
心持ちでした。
 今はそんなお父様の気持が理解できますがその瞬間は不思議だったの
です。
 私はそろりと膝の上へ…でも、お父様はそんな私をしっかり抱きしめ
て息もできないようにしてしまいます。そう、ちょうど今スクリーンに
映っている時代に寝床で起こった出来事のように……
 幼稚園、小学校を通して私…いえ亀山で暮らす子供たち全てがお父様
の前では全裸で添い寝しなければなりませんでした。寝室で一糸纏わぬ
姿になってお父様の胸にうだかれます。
 巷の常識では奇異に聞こえるかもしれませんが、ここでは当たり前過
ぎるくらいの常識で、私も幼い時は恥ずかしいも何もありませんでした。
お父様はもう年配ですから体臭もしますし肌も皺々です。けれどタオル
ケットやバスタオルにくるまれて抱かれるとそれはそれで幸せな気分に
なります。
 特に天野のお父様は物語を作るのが上手で妖精の話や天国の事、外国
の子供たちの話やご自分が育てた本当の子供たちの事なんかもよく話て
くださいました。
 いえ五年生まではそれで何ともなかったんです。でも、六年生も半ば
を過ぎる頃からベッドの中に裸でいると心の中に妙な気持が湧くように
なったのです。
 とはいえ巷の子のように性に関する知識をまったく持っていなかった
私はそれが何なのかまったく分っていませんでした。それを察したので
しょう。ある日、お父様は私にパジャマを着けるように命じましたが、
私の方でそれを拒否します。他の子がみんな裸で寝ているのに自分だけ
ずるしているようで嫌だったからでした。
 そうはいっても子供は赤ん坊の方へは戻れません。昔はしがみついて
寝ていたお父様との関係もこの一年ほどはただ横で寝ているだけになっ
ていたのです。それが、今日は強烈に抱きしめられて……
 でも、あらがう気持はありません。たとえおじいさんでも、男の人の
大きな胸に強い力で締め上げられると不思議と心が落ち着きます。
 そして、画面はそうやって落ち着いて見なければ、心がどっかへ飛ん
で行ってしまいそうなものになっていたのでした。
 「あなたはお父様がいなければここでは暮らせないのよ。………この
ブラウスもスカートも靴下もすべてお父様の物なの。あなたの物はここ
には何一つないわ。見てご覧なさい。あなた何か持ってるかしら?……」
 先生に促されるまでもありません。先ほど身ぐるみ剥がされて、今は
素っ裸なんですから。
 幼い私は泣いていました。お友だちがみんな恐る恐る私の前を通り過
ぎる姿がスクリーンに映し出されています。
 もちろんこれは私だけに課せられる特殊な罰ではありませんでした。
亀山で暮らす子供たちなら男女に関わらず年に一度や二度必ずやられる
お仕置きだったのです。
 「私は悪い子でした。これからはお父様のお言いつけを守ってよい子
で暮らしますからどうかこれまで通りここへ置いてください」
 最後は必ずこの言葉を乙女の祈りのポーズで誓わなければなりません。
 このように上映されるフィルムは必ずしも名誉な事ばかりとは限りま
せん。正視に耐えないようなお仕置きだって、私の歴史だったのです。
 「恥ずかしかったかい?」お父様が私を包んでいてくれたことが救い
でした。そして、その大きな胸の中に向かってこうおっしゃったのです。
 「恵子は女の子だからできたら一度も恥はかきたくないだろうけど、
恥をかいた事のない子は弱い。幼い頃にどんなにたくさん愛されていて
も、愛される人の前で恥をかいた事のない子は幸せにはなれないんだよ」
 「えっ?ホント?」
 「本当だよ。女の子の心の強さは猫可愛がりだけじゃ育たないからね。
男の子が仕事を成し遂げて自信をつけていくように女の子は愛される人
の前で恥をかくことで自信をつけるんだ」
 「?????」私はその時のお父様の言葉がまったく理解できません
でしたが、社会に出た今はその言葉が理解できます。女の子というのは
本来コンプレックスの塊のようなものですから男の子のように成功体験
を積むだけでは自信に繋がりません。
 いくらうまくいっていても『次はうまくいくかしら』『失敗したらどう
しよう』なんて余計なことばかり考えちゃうのです。ところが愛される
人の前で裸になるというか恥をかくと、そこから先、失うものがなくな
ったせいでしょうか、不思議と『これできっとうまくいく。幸せになれ
る』と信じられるようになるのです。
 ま、今時のキャリアウーマンや殿方には分からない理屈でしょうが、
私の人生経験ではそうでした。そしてこれは亀山の教育哲学みたいなも
のでもありますから、女の子たちはあちこちで大人たちから問答無用の
恥をかかされるはめになるのでした。

§2

§2

 フィルムは代わって私のピアノの発表会の様子が映し出されます。
 舞台でピアノを弾いている時の様子はもちろん楽屋の様子や自宅での
練習風景なんかも撮られていました。
 思い返せば確かに、そうした日常の細々した様子をおじさまから「写
真とらせてね」と言われてカメラを廻されていたのを思い出しました。
とはいえ…
 『あれ、あの時フィルム回ってたんだ』
 なんてのがたくさんありました。というのも、こうして写したプライ
ベートフィルムを子供たちが見る機会というのがほとんどありませんで
したから。
 フィルムは私の心の中しまい込んでいた思い出を次々とスクリーンに
映し出します。
 運動会や学芸会なんかは街のカメラ屋さんが撮ってくれたものですか
ら亀山の公式記録です。ですからこれは家族で見ていた記憶があります。
でも、ここで上映されているものの中には私が気づかないまま隠し撮り
されたものがいくつも混じっていました。
 学校の休み時間にやってしまったお友だちとの取っ組みあいの喧嘩の
様子やすっぽんぽんではしゃいだ川遊び。学校や公園に設置された枷に
捕まってべそをかいている様子や更衣室での着替え、水着に着替えるの
で全部脱いじゃったところを撮られたのもありました。角度が悪くて、
割れ目までばっちり撮られちゃってます。
 「どうした?恥ずかしいのか?」
 「うん」
 力無く頷くとお父様はさらに強く抱いてくださいました。そして、今
動かせるのはお目々だけという状態にしておいてなお…
 「恥ずかしくても見なきゃだめだよ」
 と言われたのでした。でも、まあこれくらいならまだいいのですが…
特に厳しいお仕置きの様子を写したものが現れると……
 『いったい、いつ撮ったのよ!誰がいいって言ったの!私は認めてな
いわよ!』
 って叫びたくなるものばかりでした。
 でもこれ、お父様やおじさまたちがこっそり撮っていたのではありま
せん。亀山では子供の記録は最大限残しておかなければならない規則で
した。とりわけお仕置きの様子は虐待を防ぐ意味からも事の顛末を全て
残す決まりになっていたのです。
 当然、私の大事な処もどアップで晒しものになります。
 「ほら、目を背けちゃだめだ」
 お父様に顔をスクリーンに向けさせられますが、すでに身体はサウナ
に入っているようにかっかかっかと火照っていますし心臓はバクバクで
す。もう、この場からすぐにでも逃げ出したい気分でした。
 「逃げちゃだめだ。自分のことなんだからね。ちゃんと見ないなら、
高橋先生お頼みしてあとでお仕置きしてもらうよ。それでもいいのかい」
 お父様はいつになく強硬だったのです。
 「今日は恥ずかしいことを全部やって、明日少女になるんだ。いいね」
 「はい」
 「もし、今これを見ないと、今日はお家に帰ってからでも見せるよ。
いいね」
 「はい、おとうさま」
 「よし、それでこそ私の赤ちゃんだ」お父様は右手の人差し指で私の
頬をちょんちょんと軽く叩きます。そして、「大丈夫、亀山の子はみんな
こうして大人になっていくんだから。恥をかくことは愛されない人の前
でなら虐待だが、愛される人がやれば一番効果的な励ましになるんだよ」
 「励まし?」
 『どうしてこんな事が励ましになるんだろう?』その時は素直にそう
思いました。
 「女の子にとって大事なことは何をされたかじゃなくて誰にされたか
なんだ」
 「どういうこと?」
 「頭を撫でられてもお尻をぶたれても好きな人ならそれで良いってこ
とさ」
 「私そんなことないわよ。好きな人だってお尻をぶたれたらやっぱり
痛いもの」
 「(ははははは)」お父様はひとしきりお笑いになったあと、「お前も、
大人になればわかる。ここは街全体が大きな大きなお風呂場みたいな処
だから、子供たちがどこで裸になっても傷つくことがないんだ」
 「えっ、傷つくよ。だって恥ずかしいもん」
 「(はははは)そりゃあしょうがないじゃないか。お仕置きなんだから
……でも、誰かを憎んだりはしないだろう?」
 「そりゃあ、仕方がないから……」
 「そうか仕方がないか。でも、仕方がないから公立の施設へ移るって
事でもいいじゃないか?もう一度裸になって裏門まで駆け足すれば良い
んだから……」
 「(んんんん)」私は激しく首を振ります。そして再びスクリーンの方
を向くと独り言のように「お父様は意地悪なんだから………だいたい、
おかしいわよ。そんな大きなお風呂なんて……お湯もないのに?」
 当時の私には亀山を去るという決断はありえませんでした。ですから
お父様の突飛おしもない比喩の方を笑います。でも、それもあながち嘘
ではないのかもしれません。とにかくここに住むことができる住人は、
子供が何より好きな善人だけ。女王様のお眼鏡にかなった人だけでした。
 ここで暮らしていると、世間では我が儘と非難されることもたいてい
通ってしまいます。ここの子供たちは、「だっこ」「おんぶ」「お菓子」こ
んな事を街を歩いている見ず知らずの大人にぶつけます。
 それがまた現実に通りますから、大人を見れば誰彼構わず抱きつくよ
うになるのです。それでたいていの悩みは解消するんですから、確かに
子供たちにとっては楽園なのかもしれません。
 でも、この楽園では勝手に大人になることはできませんでした。普通、
世間の親は子供が自立し始めると喜ぶものですが、ここではそれは喜ば
れませんでした。むしろ赤ちゃんのままで甘えて暮らす子の方がよい子
なのです。
 胸が膨らみ、お尻が大きくなって初潮が始まっても、とにかく13歳
迄は赤ちゃんのままでいなければなりませんでした。
 『赤ちゃんなんだから羞恥心なんてない。だから裸にしても構わない』
 こんな乱暴な論理が当然のようにまかり通ってしまう世界でもあった
のでした。
 私もここの住民です。しかもその時は赤ちゃんです。ですから、自立
なんてしてません。『もし、お父様の愛を失ったら……』『もし、ここを
追放されたら……』そんなことは想像しただけでも身の毛のよだつこと
だったのです。
 亀山の子供たちは大人に甘えます。我が儘も言います。けれど、馬鹿
ではありませんからその源泉がどこにあるかはちゃんと知っていました。
先生になんか教わらなくても、お父様のこのお膝が、亀山で最も安全な
場所、楽しくて幸せな住処だと知っていたのでした。
 だから、昼間、先生からお馬の上で脳天まで響くような鞭を受けても、
お父様のお膝でぐちゃぐちゃのうんちをオムツにして自己嫌悪になって
も、おばば様から錐で揉み込まれるような強烈な熱さをこれ以上ないよ
うな恥ずかしい格好で受けたとしても、夜になれば必ずお父様と一緒に
お布団の中でよしよししてもらえる事が私の…いえ、恐らく女の子全員
の幸せの原点だったのです。
 お父様は…
 「自分はもう年寄りだから…もっと若いお父様の方がよかっただろう」
 なんて時々おっしゃいますがそんな事を言われると悲しくなります。
ママと同様お父様だって物心つく前からずっとやさしいお父様なんです。
 だからこそ、ママからのお仕置きの最中もお父様から「ぐずぐす言っ
てないでパンツを脱ぎなさい」って命じられれば5秒と掛からず脱いで
しまいますし、自分がお仕置きされてるフィルムなんて、本当は見たく
ありませんが、お父様がこうして抱いてくださっているから見ていられ
るのでした。
 というわけで、私は自分のお仕置きのシーンではお父様の胸の中で消
え入りそうに小さく身を縮めて見ていました。
 終わるといつものようにお父様は私の頭を優しく撫でてくださいます。
世間的な常識からするともうすぐ14歳になろうとしている娘と接する
にしては幼稚なように見えるかもしれませんが、亀山ではこれが常識で
した。
 映画が終わりお父様は私の顔をご自分の胸の中へしまわれます。
 「よしよし、…ん?、ちょっと恥ずかしかったか?」
 「ううん、ちょっとじゃない」
 私はお父様の胸の中で小さく首を振ります。
 「ま、そう言うな、人生にはこんな日もあるさ。……だけど今日一日
だけは我慢しないとな………でも、やり遂げさえすれば明日からは少女
になれる。少女になれば楽しいことだって沢山あるぞ」
 「どんなこと?」
 「自分で服を選べるし自分の部屋も持てる。自分で勉強時間を決めて
習い事も減らせる。」
 「お仕置きも減るんでしょう」
 「それは恵子次第だ。ただ、人前で裸になることだけはなくなるよ。
そんなに大きな身体の子が町中で裸じゃ、そこを通る人が目のやり場に
困るからね」
 「ふ~ん、私は平気だけどね」
 「おう、本当かい。だったら女王様に家の恵子には赤ちゃんお仕置き
を残しますって言ってあげようか」
 「えっ、嘘、そんなの絶対ダメよ。本当は今でも裸になると死ぬほど
恥ずかしいんだから……」
 「…………」
 「何だ、やっぱり14歳になるのが嬉しいのか。ざんねんだなあ~。
私はお前が15でも20でも赤ちゃんのままこのお膝にこうしていてく
れた方がいいんだがなあ。私は恵子ちゃんが『二十歳のおしめ様』でも
ちっとも構わないんだよ」
 お父様はその大きな右手で私の両頬を鷲づかみにします。でも、それ
ってお父様のご機嫌が良い時にやる仕草でした。
 「いやだあ」
 「そうか、嫌かあ」お父様はまるで本物の赤ん坊でもあやすように私
のおでことご自分のおでこをごっんこさせて笑います。
 「大丈夫、14歳ともなればもうレディーになる訓練を受けなければ
ならないからね、そういつまでも赤ちゃんのようなお仕置きはできない
よ。ただ、今日までは13歳だからね。私だけじゃなくおじさまたちに
も色々お世話になりました。これからもよろしくお願いしますというご
挨拶をしなきゃいけないよ」
 お父様がそう言った時でした。女王様が自ら声を掛けられます。
 「そろそろお時間ですので参りましょうか」
 その言葉に呼応して私たち親子は腰を上げます。
 最初に向かったのは近くに設けられた楽屋。ここで生まれて初めての
メイクをして、髪をセット。レースのたくさん付いた白いワンピースに
着替えると気分はまるで花嫁さん。ウエディングドレスのような衣装の
ままお父様と目があった私はついいつもの癖でお姫様抱っこをねだった
んですが……
 「やっぱり、無理だよ」
 幼い頃と違って私もそれに重くなっていましたからすぐに床へと下ろ
されてしまいます。
 「これでいいだろう」
 お父様は私の身が腕に左腕を絡めます。
 「うん」
 結局、お父様に腕だけは組んでもらって二階の小ホールへと向かった
のでした。そして、中央の扉がファンファーレと共に開きます。
 今日はこれからがいよいよ本番でした。
 赤い絨毯の上を祭壇に向かいお父様に手を取られて歩くなんてまるで
結婚式みたいです。私は純白の衣装ですし祭壇脇には司祭様もおいでに
なりますから間違えそうです。もっとも、そこには旦那様はいません。
代わりに出迎えてくださったのは、赤い玉座に腰を下ろされた女王様。
それとその周囲を固めた八人のおじさまたち。この方たちは、お父様に
万一何かあった時には協力して私を支えてくれる後見人の方々でしたが、
私の方から見ると普段私の為に何かとプレゼントをくださる方々でした。
 総勢十一人の大人たちの視線が私に集まるなかこの日は黄色いドレス
姿の女王様の足下に跪きます。そのすぐ後ろでお父様も跪いています。
 「本日はお招きいただきましてありがとうございます」
 私は胸の前で両手を組むと型どおりのご挨拶をします。
 いくら情報管理にうるさい亀山でもこれから何が起こるかは知ってい
ます。でも、そんなことは関係なく女王様に礼はつくさなければなりま
せんでした。
 「よく来ましたね。今日の朝の検診では健康状態は良好とのことです
が、あなた自身、体調はいいですか?」
 「はい、女王様」
 「今日あなたを呼んだのは他でもありません。今日があなたにとって
最後の13歳。明日は14歳になるからです。どういう事か、おわかり
ですか?」
 「はい、承知しています」
 「亀山ではどの子にも13歳までは『赤ちゃん』という身分しか与え
ません。どんなに知恵がついてもどんなに身体が大人に近づいても大人
の命令には絶対服従。どんな些細な命令違反でもお仕置きだったはずよ」
 「…………」私は心の中で頷きました。
 「お勉強をさぼればお尻を叩かれますし、口答えや生意気な言動には
お浣腸で体を内側からきれいにしなければなりません。聞き分けのない
子にはお灸というのもあります。みんなの前で素っ裸にされた事だって
一回や二回じゃないはずよ。……『これはあなたの物ではなく、あなた
のお父様の物です』なんて意地悪なことを言われて身ぐるみ剥がされた
でしょう」
 「はい」
 「だからあなたは思ったはずよ。『なんて自分は不幸なんだろう』って
『本当の母親ならこんなことはしないはずだ』って……」
 「はい、…あ、いえ」
 私は『はい』と言っておいて慌てて自分の言葉を取り消します。
 「ん?そうは思わなかった?」女王様は笑います。「……そんなことは
ないはずよ。だってそうでなきゃ、三回も脱走を企てないでしょう」
 「…………」
 「気にしなくていいわ、他人がどんなに優しくしたところでまだ見ぬ
肉親を想う気持をそう簡単に払いのける事なんてできないもの。だから、
ここでは普通の親子なら三年間ぐらいしかない赤ちゃんの時期を十年も
先延ばしにしたの。そしてその間は普通の赤ちゃんと同じように事ある
ごとに抱いてもらうようにしたの。あなたは、今こんなに身体が大きく
なってるけど、やっぱり大人の人たちから抱いてもらえるでしょう?」
 「はい」
 「それは、あなたの身分が赤ちゃんだからなの。赤ちゃんの外側には
大人たちの愛しかないの。邪悪なものや穢れたものは一切ないから裸で
いられるの。そうは言っても普通の家庭ならそれは親の腕の中だけ家庭
の中だけのお話だけど、ここではそれを街ごと全部にしてしまったの。
亀山は、この山全体が愛のドームで被われているから、街の中でも裸で
いられるのよ。こんな場所は世界中探してもここだけだわ」
 「…………」
 女王様はぽかんとして聞いている私に向かってさらに穏やかな調子で
諭します。
 「あなたもやがて外の世界の現実を知って感じるでしょうけど、ここ
は孤児たちの奇蹟の楽園なの。……それを作って下さったのがあなたの
お父様やおじさまたち。だから、幼いあなたはお父様やおじさまたちの
知性や理性にすがって絶対服従でいることの方が何より幸せの道なの。
そのためには自立するより赤ちゃんの身分のままの方がより多くの愛を
受け入れやすいでしょう」
 「女王様が考えたんですか?」
 「私?私じゃなくて私のお婆さまがそうお決めになったの。おかげで
数々の成功者を生み出して、その人たちがさらに亀山の為に働いてくれ
るから、着るもの、食べるもの、色んな施設もこんなに充実させること
ができたの。だから世間で訳の分からない連中が『体罰反対』だの『心
に傷がつく』だのと言っても相手にしないの。あなたもやがて分かる時
がくるわ。お仕置きされる子は愛されてる子だってことが……」
 「私は愛されてるんですか?」
 「もちろんよ。ちょっとお転婆さんだけど利発で清楚で素直、みんな
あなたが大好きよ。私も司祭様も先生方もそうだけど賄いのおばちゃん
や植木屋のおじさんたちも…ここに住む人であなたを愛さない人なんて
誰一人いないわ」
 「どうしてそんなことわかるんですか?」
 「一人一人子供を愛せる人だけを私が選んだからよ。ここではあなた
たちを抱くこと愛することがそもそも仕事の条件なの。だから、あなた
たちに無関係な人というのは一人もいないわ」
 「愛のお布団ってことですか?」
 「そうよ、よく知ってるわね。誰から聞いたの?亀山の赤ちゃんたち
はね、めくってもめくっても愛のお布団を出ることはないの」
 「どういうことですか?」
 「『ママが嫌い!』ってママの愛を抜け出してみてもそこにはお父様と
お母様の愛があるわ。今度は『お父様が嫌い!』って叫んでも、お父様
とお母様の愛のお外にはおじさまたちや先生たちの愛が待ってる。……
さらにその外側には司祭様や私があなたを守ってる。それだけじゃない
わよ。私たちの外側にはさらにマリア様があなたがどこに行こうと守っ
てくださるの」
 「…………」私は思わずため息。正直うざったい気分でした。
 「今のあなたはあまりに大きな愛の中にどっぷりと浸かっているから
自分の置かれた幸せが分からないでしょうけど、社会に出てみれば自分
がいかに凄い処いたかわかります。お婆さまがここを始めた頃は明日の
お米にさえ困っていたけれど、お父様たちだけでなく、社会に出て成功
したOB、OGの方々が何かにつけて協力してくださるので、着るもの
食べるものに不自由しないばかりか、学校や公園の改修もその方たちの
多額の寄付でまかなわれたからほとんど費用がかからなかったわ。もし
お仕置きをされて惨めな思いをしたとお思いならそんな処へ寄付なんて
なさらないはずでしょう。あなたも亀山の子としてお兄様やお姉様たち
と同じ道を歩みなさい。決して不幸にはならないわ。……さあ、ここに
いらっしゃい」
 女王様が両手を広げます。こうすれば子供たちは無条件でその手の中
へ飛び込まなければなりませんでした。これは女王様だからではありま
せん。大人なら賄いのおばちゃんであろうが植木職人のおじちゃんでも
事情は同じでした。ここで暮らす子供たちにとって『大人に抱かれる』
というのは権利というより義務だったのです。
 私は義務を履行します。
 すると不思議なもので、嫌々でもお膝に乗っかり抱かれてしまうと、
まんざらでもない気持がするのです。13歳になった今でもそうなんで
すから困ったものでした。
 「これからあなたは小学四年生から今日まで赤ちゃん時代に犯した罪
の清算をしなければなりません」
 「清算?」
 「そうよ。お仕置きが重なったり生理の日だからという理由でその時
は許してもらった罪があるでしょう。その清算を今日するの」
 「……」私は瞬時に身を固くします。でも、今さら逃げられるわけが
ありませんでした。

§3

§3

 震える私に女王様は耳元で囁きます。
 「あなたが『そんなの嫌だ』って言うのなら無理強いはできないけど」
 「もし、嫌だって言ったらどうなるんですか?」
 私は心細く訪ねてみます。けれど、その答えを聞いたところで気が変
わるはずもありませんでした。
 「どうにもならないわよ。お父様からお借していた服をお返しして、
素っ裸で山を下ればいいだけのことだもの」
 「(やっぱり裸になるんだ)」私は思いました。
 「裏門を出たところで公立の孤児院から職員の人がお迎えに来てくれ
ているから、その人についていけばいいの。やってみる?昔はそんな子
もいたのよ」
 「………………」
 私は激しく頭を振って女王様の胸の中へ顔を埋めていきます。13歳
の子が幼児と同じような甘え方をするんですから、巷の人たちが見れば
きっと滑稽に映るかもしれません。でも、亀山ではごく自然なこと。…
…そして「これからお仕置きになるけどいいわね」と大人たちに言われ
て……
 「はい、お願いします」
 とつい言ってしまうのも亀山の子としてはごく自然な習性でした。
 「賢明な判断よ。大昔にはお仕置きがいやで公立の孤児院へ移った子
もいたにはいたけど、最終的にはほとんどの子戻ってきたもの。何事も
経験を積むのは大事だけど何も好んで遠回りすることもないわ」
 「どんなお仕置きを受ければいいんですか?」
 「どんなって、全部よ。お尻叩きもお浣腸もお灸も……まずはここに
おみえのおじさま方のお膝でスパンキングのお仕置きをいただくの……
大丈夫、平手で10回くらいだから大したことないわ」
 女王様は穏やかな顔でおっしゃいますが、一人10回ってことは……
おじさまは八人だから80回です。「いくら平手でもそれは…」という数
でした。
 そんな不安げな顔を察したのでしょう。女王様は付け加えます。
 「そんなに耐えられない?大丈夫、一人一人の間にコーナータイムが
あるからしっかり歯を食いしばっていれば泣き叫ぶほどではないわ」
 「でも、八十回もあるんでしょう?」
 「んんん」女王様は首を振ります。「お父様も私も司祭様も加わるから
全部で百十回よ」
 「…………」
 私はそれを聞いただけで気が遠くなりそうでした。だってママのお仕
置きの中にお尻百叩きというのがあるのですが、ママの厳しい平手の下
ではどんな大きな子もドアの中だけに悲鳴を隠すことができませんでし
た。
 「不安そうね。でも、あなただってこれまで色んなお仕置きをいただ
いてきたでしょう。もう慣れっこじゃないかしら?」
 「そんなこと……」
 私は不安を顔に出します。確かに亀山で育てばお尻叩きをされたこと
のない子なんていません。それも10回や20回とかじゃなく桁が一つ
二つ違うくらいの回数です。場を踏んでいるといえばそうですが、だか
らと言って慣れっこというのは違う気がしました。
 特に幼い日に受けたお仕置きの記憶はそれはそれは強烈で、さながら
天地がひっくり返って地獄に落とされたみたいでした。「殺される!!」
って叫びたいくらいの恐怖なんです。
 それがトラウマになっていますから、身体が大きくなっても恐怖心は
人一倍あります。恐らく幼い頃お尻叩きのお仕置きを受けていない子に
とっては「なんだ、この程度か」と思うような軽いお尻叩きでも私たち
亀山の子を怯えさせるには十分なのです。
 ですから、実際のお仕置きではそれを考慮して通常の罰ではそれほど
強くお尻を叩かれることがありませんでした。
 「仕方がないでしょう。小学校の四年生から今までの分、全部だもの。
それだけじゃないのよ。それが終わったらお浣腸やお灸だってあるわ。
いずれも普段あまりお見せできない処を今日は最後なんだし、しっかり
ご覧いただくの」
 「えっ、…………」
 そりゃあ頭の悪い私だってそれがどういう事かは分かります。
 「あっ、イヤ……」
 ですから、私は思わず女王様のお膝から逃げ出そうとしました。
 いえ、後先考えての事じゃありません。女のカンでとっさにヤバイと
感じたからでした。
 でも、女王様は巧みに私が膝の上から逃げ去るのを阻止します。その
あたりは普段から子供を抱き慣れているせいもあってうまいものでした。
 「はいはい、そんなに暴れないで頂戴。あなたがもしこのお膝から転
げ落ちたりしたら私はまた新たな折檻を考えなきゃならなくなるのよ。
あまり大人を困らせるものじゃないわ」
 「…………」
 私は急におとなしくなってしまいます。それはちらりとママの視線が
こちらへ届いたからでしすが、それだけではありません。女王様の言葉
にあった折檻という言葉が引っ掛かったのでした。『お仕置き』と『折檻』
国語的には同じ様な意味かもしれませんが、亀山では『折檻』というと
お仕置きにはない『情け容赦のない体罰』という意味が込められていま
した。
 女の先生にありがちなヒステリー症状による子供の被害や迷惑。これ
だったのです。
 「いいこと、何度も言うけどこれが赤ちゃん時代最後のお仕置きなの。
それなりに頑張って我慢しないと卒業できないわよ」
 「えっ、そんなあ~……もし、合格しなかったらどうなるの……」
 「どうにもならないわ。今まで通り、赤ちゃんのままよ。……たまに
いるのよ。ぐずぐず言って意気地のない子が……身体はもう立派な大人
なのに学校の中庭や公園で裸になってる子。あなたもそんな意気地なし
の仲間になりたいのかしら?」
 「そんなこと……」私は言葉を濁します。私に限ったことではありま
せんが女の子は他人から美しく見られたいし羨ましがられたいんです。
自分の汚い(きたない)ものやハンディキャップは最大限隠し通したい。
ですから、日頃から『恥をかきたくない。惨めな思いはしたくない』と
そればかり思っていて、男の子のように積極的にはなれない子が多いん
です。それを根底から否定するようなことなんて普通ならできるはずが
ありません。
 でも、お父様やおじさまには愛されたいし、女王様や司祭様にだって
嫌われたくありません。それに何より私は亀山の子供なんですから他の
子がやっているのに自分だけやらないというわけにはいきませんでした。
お友だちから仲間はずれにされたくはないのです。
 そんなこんなで私は女王様のお膝で迷っていましたが、結論というか
踏ん切りなんて簡単につくはずもありませんでした。
 でも結局は……
 「さあ、始めますよ」
 という女王様の一言で決まりです。そうなんです。
 私は亀山では赤ちゃんなんですからね、始めから結論は出ていました。
 『お父様には絶対服従』
 この鉄の掟の前には何を言っても無駄なんです。でも、女王様は私の
為に手や足を揉み揉み、頭を撫で撫で、お背中トントン、お尻よしよし、
ほっぺたを摺り摺りして私の心が落ち着くのをじっと待っていてくれた
のでした。
 私は女王様のお膝を降りると、最初のおじさま原口さんの足下へ跪き
ます。このおじさまが最初になったのは単に女王様の席から一番近い処
にいらっしゃったからでした。
 八人のおじさまたちは小さなテーブル付きの椅子に腰を下ろすと扇形
に広がって私と女王様の様子をご覧になっていました。ある方はタバコ
を燻(くゆ)らしながら、ある方はワインを飲みながら、本を読みなが
らとか、鼻歌を口ずさみながらという方もいらっしゃいました。
 どの方もゆめゆめ私が裸でこの場を駆け出して裏門へ走るなんてこと
は考えてらしゃいませんが、焦る様子もなくその時を待っておられます。
 この亀山に籍を置くお父様たちは何も私たちの泣き顔だけがお目当て
でこの地へ移住されたわけではありませんでした。笑った顔、困った顔、
甘えた顔、そのすべてを愛してくださっていたのです。
 ですから、私が女王様のお膝の上でお仕置きを受ける決断をするまで
だって、お父様たちにとっては大事なショーの一部だったのです。
 わなわなと震えながら……
 「原口のおじさま、どうか綺麗な身体で14歳をむかえられますよう
に……」私はここで少し詰まりましたが、すぐに勇気を奮い起こします。
「…お仕置きをお願いします」
 乙女の祈りのポーズのまま漏らしそうなほど緊張している私に女王様
が耳元で囁きます。
 「キツいお仕置きよ」
 「あ、キツいお仕置きを…」
 と、そこまで言ったところで今度は原口のおじさまが私の言葉を遮り
ます。
 「いいよ、どのみち僕はそんなにキツいお仕置きはできないから」
 原口のおじさまは男性としては小柄で小太りでした。顔もハンサムで
はありませんが、いつも柔和に笑っておいでで普段からよく抱かれてい
ました。
 前にも述べましたが、亀山の子供が大人に抱かれるのは義務のような
もので「この人は生理的に受け付けません」なんて理由で拒否する権利
はありませんから誰であろうと両手を広げられたらまるでお風呂に入る
時のようにその胸の中へ飛び込みます。
 私は原口のおじさまの胸の中で暫くよい子よい子された後、おじさま
が軽くひざを叩きますからそこへ俯せになります。
 もうあとはなされるまま我慢するだけでした。
 短いスカートが捲りあげられ、ショーツが無造作に下げられます。
 そんなこといつものことでした。ただ……
 「ぴしっ」「……?……」
 その衝撃にはいつもと違う感覚を覚えます。
 「ぴしっ」「……おっ…」
 痛みの質がそれまでとは違います。
 「ぴしっ」「……あっ…」
 これまで私のお尻を叩いていたのは大人でも女性でした。ですから、
どんなに痛いといってもそれは皮膚の表面をひりひりさせるような痛み
だったのです。
 「ぴしっ」「……ああああ」
 私はたった4発でもがいてしまいます。男性のスパンキングは、一発
一発に重みがあって身体が持ち上がるような衝撃なのです。そして痛み
は皮膚の表面というより身体の中からやって来ます。
 「ぴしっ」「わぁぁぁぁぁ」
 5発目、私は大きく体をよじっておじさまの膝から転げ落ちかけます。
でも、そんなこと周囲の大人たちが許すはずがありませんでした。この
時すでに女王様からは両手を押さえられ、ママからは両足をつかまれて
います。
 「(あっ、ママ)」
 もし、痛みに任せて両足でママの顔面を蹴り上げたら……そう思うと
痛みに耐えるしかありませんでした。
 「ぴしっ」「……ひぃやあ~」
 6発目、私は自分が惨めになるのを恐れて何とか我慢しようとしたの
ですが、その思いとは裏腹に悲鳴が部屋中に響きます。
 「ぴしっ」「いやあ~だめ~」
 7発目、原口のおじさまはそれほど強く叩いているわけではありませ
んが、手首のスナップがほんの少し利いただけで脳天に響くほどの痛み
でした。
 「おう、痛かったか。ごめんごめん」
 原口のおじさまは私の悲鳴があまりに大きかったので一度赤くなった
お尻をさすってくださいました。
 と、その時です。私の脳裏にある過去の記憶がよみがえります。
 それは7才の時のことでした。初めてのピアノの発表会で着たドレス
が見当たらないのでママに尋ねますとお父様が見知らぬ女の子にそれを
あげてしまったというのです。私はママの制止も振り切り、血相変えて
お父様の処へ行くと青筋立ててまくし立てました。
 「お父様は鬼よ。悪魔だわ。どうせ私なんか愛してないんでしょう。
悪魔なんてここにいないで地獄で暮らせばいいんだわ」
 なんてことまで言ってしまったみたいです。当人は興奮していて覚え
ていませんが、お父様が終始笑っていたのは覚えています。
 そして当初は「いや、あれはその子が欲しいって言うから……」とか
「ちょうどサイズもぴったりで似合ってたから」なんて言い訳がましい
ことばかり言っていましたが、そのうち「また、すぐに同じのを買って
あげるから」とまで言ってくれたのです。
 でも、私の怒りは収まらず、
 「あれがいいの。あれじゃなきゃだめなの」
 と床を踏み鳴らしてだだをこねます。
 結局10分位もお父様の目の前で金切り声を上げては大演説をぶった
みたいです。その間、心配したママが幾度となく止めに入りましたが、
私はききません。そしてそんなママを止めたのは、なぜかお父様でした。
 「いいから、ほっときなさい」
 こう言ってママに癇癪を起こさせなかったのです。
 とはいえ、10分後、私は疲れ、のどが枯れてしまいました。
 すると、そんな私の処へママが寄ってきて…
 「どうなの?もういいのかしら?おしまいでいいの?」
 と念を押しますから、それとなくうなづきますと、私の体が急に持ち
上がり、そして何か尋ねる間もなく私の身体はお父様のお膝の上にうつ
伏せになって横たえられたのでした。
 「・・?・・」
 やがて、私の頭の方へ回ったママの顔が大きくクローズアップして私
の目の前へ現れると、思いもかけないことを言うのです。
 「お父様、お仕置きをお願いしますって言いなさい」
 「えっ!………」
 私はこの期に及んで初めてことの重大性を知ったのでした。
 「………………」
 私が口ごもっていると…
 「さあ、言いなさい。でないとお庭に引き出してみんなの見てる前で
お仕置きしますよ。その方がいいの」
 ママの言い方は明らかに脅迫です。お庭に出てみんなの前で下半身を
さらけ出すなんて女の子にはとってもできないことなんです。ですから
答えは一つしか残っていないのですが、子供が自分の方からお仕置きを
お願いするなんてとても勇気の要ることだったのです。
 「………………」
 困っている私にお父様は助け舟を出してくださいます。
 「もう、いいでしょう先生。私も軽い気持ちであげちゃったんです。
この子がそれほど気に入っていたとは知らなかったものだから……」
 こう言ってもらったのですが、先生、いえママは納得しませんでした。
 「そうはまいりませんわ。お父様は鬼だの悪魔だの、ましてや地獄に
落ちろだなんて、たとえどのような事情があっても口に出して言っては
ならないことですから……そういうことにはけじめをつけませんと…」
 そう言っていきなり今度は私のショーツをあっさり足首のところまで
引き下ろしたのでした。
 「………………」
 7才の時ですから羞恥心といってもそれほど強いものではありません
が、その瞬間の映像が原口のおじさまのお膝の上でフラッシュバックし
たのでした。
 「『お願いします』は?」
 再び私の目の前に大きなママの顔が現れて脅迫します。
 「お父様、お願いします」
 意に沿わないことですが仕方ありませんでした。か細い声でつぶやく
とお父様は頭を撫でてくれました。
 お父様は自ら子供をお仕置きしたりなさいませんが、ママや司祭様の
ような人たちから頼まれた時だけは別で、この時もママの要請があった
ので私のお尻を叩きました。ただ、それは懲らしめのためにというより
付いた埃を払う程度の衝撃だったのを覚えています。
 ちなみにお父様が女の子にあげたというその服は、私が18才の時、
実の母親と再開した際に彼女の押入れで見つけることになります。実は
亀山ではお父様が里子の実母と接触する事は禁じられていました。勿論
物をあげたりする事もできませんから、私には知らない女の子にあげた
なんて苦しい言い訳をしていたのでした。
 お父様は誰に対しても優しい人だったのです。
 原口のおじさまは10回の約束を終えると私を膝の上に抱いて楽しそ
うでした。頭を撫でたり、頬ずりをしたり、両手の指を揉んだり、殿方
が私たちになさることはだいたい似通っています。そして、おじさまの
里子である克子さんがピアノが上手だと言って私をうらやましがってい
たとか、14才の誕生日には万年筆でいいかい、なんてことをおっしゃ
るのでした。
 原口のおじさまに限りませんが、私たちがおじさまと呼ぶ人たちは、
いずれも万が一お父様が私の面倒を看られなくなった時にその代わりを
務めてくださる方々で、普段は色んな記念日ごとにプレゼントをいただ
けるからその分だけ親密という関係でした。
 もともと私たちはこの亀山に暮らすすべての大人の人たちの愛を拒絶
できない立場にあります。だから、その人がどんな仕事をしているかは
関係ありません。大人が両手を広げる処へは必ず飛び込まなければなり
ませんし自分の方から誰彼かまわず抱きついて行っても「迷惑だ!」と
言って叱る人はいませんでした。
 特に幼いころは、どなたにせよ抱きつけば高い高いをしてもらったり
お菓子をもらったりできますから私も結構手当たり次第に抱きついた方
でした。原口のおじさまにも克子ちゃんのお家で籐椅子に座っておられ
たおじさまの首っ玉にしがみついていた記憶があります。その時は原口
のおじさまは家のお父様と兄弟なのかと思っていました。
 そんなおじさまは別れ際「14才になっても遊びにおいで」と言って
くださいました。もうその頃にはお尻の痛みも癒えていました。

§4

§4

 次は木村のおじさま。このお方は背も高くてなかなかハンサムです。
ですから、本当はお尻なんて出したくなかったのですが、ここではそん
なわがまま聞いてもらえません。
 やっぱり……
 「ぴしっ」「……おっ…」
 「ぴしっ」「……ひぃ…」
 「ぴしっ」「……あっあ、あ…」
 「ぴしっ」「……いやあ~~…」
 ってことになります。後はこれの繰り返しです。10回だけむき出し
のお尻を叩かれると、お膝に乗せられて昔話や将来何になりたいのかと
いったこと、「おっぱいが大きくなったね」なんてちょっぴりHなことを
言われたり太ももやスカートの中に手を入れられることだってあります。
 でも、そんなことがあっても決して取り乱してはいけないとママに言
われていました。
 実際、亀山では子供たちが抱く抱かれるの間にHな刺激を受ける事は
珍しくありませんでしたから、巷の子供たちに比べたらそのショックは
少ないと思います。
 こうして、私は次から次へとおじさまたちのお膝を渡り歩くわけなん
ですが、五人目六人目の頃になると、しばしお膝に乗って休んでもお尻
の痛みが回復しなくなっていました。
 最初から……
 「ぴしっ」「……ひぃ~~…」
 「ぴしっ」「……いやあ~~だめえ~~…」
 「ぴしっ」「……もうしないから~~……」
 「ぴしっ」「……だめえ~~~……………」
 「ぴしっ」「……痛い痛い痛い痛い………」
 恥も外聞もなく足をばたつかせます。おかげで私の大事なところはお
じさまたちに丸見えになってしまいますが、どうやらそれがこの催しの
お楽しみらしく、可愛そうな私を誰も助けてくれませんでした。
 七人目八人目はとうとう涙が流れ落ちて止まらないままおじさまの膝
の上に乗る破目になったのでした。
 そして……
 「ぴしっ」「いやあ~だめえ~~痛い痛い痛い痛いもうしないから~~」
 たった一発でもうこの断末魔になっていました。
正直、後のことはわかりません。もう、耐えることに必死でその時の
ことを覚えていないのです。
 気がついたら私は床に転がってまだパンツも上げずにお尻をさすって
いました。そう、普段おとなしい紳士たちの平手がこれほど痛いなんて
そのとき初めて知ったのでした。
 私は八人のおじさまたちの洗礼を受けると部屋の隅でしばしの休憩を
とります。休憩といってもスカートは捲り上げられてピン留めされて、
ショーツも引き下ろされたままですからお尻は丸出しです。頭の後ろで
両手を組んでるそのポーズは過去にもたびたび経験していましたが、そ
んなポーズを今自分がしている、恥ずかしい格好でいるというのを実感
したのはそうなってから結構時間が経ってからのようでした。
 お父様たちとおじさまたちの雑談が聞こえるようになって我に返った
みたいでしたが、そうなると今の自分はとても恥ずかしくていたたまれ
ません。
 何とかお尻が隠れないかと身体をひねったり間違ってもお尻の割れ目
から中が見えないようにと必死に肛門を閉じたりしました。勿論そんな
こと何の役にも立たないのですが……
 そのうち、お父様が私の異変に気づいたらしくそばへとやって来ます。
普段ならこんなこと大したことじゃないんですが、その時はとっても恥
ずかしくて私の存在が消え入りそうでした。
 「立ちなさい」
 私はお父様の言葉に反応して頭の上から両手を下ろしショーツを引き
上げようとしますが、それより一瞬早くお父様の大きな手が足首の辺り
で小さくなっている白いパンツを鷲づかみにして有無も言わさずお臍の
上まで引き上げます。
 それからよろよろと立ち上がった私はスカートのピンを取ってもらい
曲がりなりにも元の姿に戻ったのでした。
 「恥ずかしかったか?」
 そう言われて肩を抱かれて私たち二人は控え室へ。
 そこは六畳ほどの広さの洋間に化粧台や姿見などががあって、普段は
保健室にいる桜井先生やママが待機していました。
 「…………」
 私はまず姿見の前で白いワンピースに着替えさせられます。
 「さあ、脱いで。下着も全部取り替えるよ」
 ママの指示ですからすぐにでもそうしたいところですが、そこにはお
父様の姿もあります。
 「どうしたの?」
 ママの問いかけにあごをほんの少ししゃくっただけで答えます。
 「女の子は恥ずかしがり屋さんだからな。出ましょうか」
 お父様はこう言ってくださいましたが、ママが承知しませんでした。
 「お気になさることはありませんわ。まだ儀式も終わっていませんし、
この子は今日まで赤ちゃんなんですから」
 結局、私はお父様の前で素っ裸にかることになりました。
 与えられたのは絹のショーツとスリップとブラ。何でもないことの様
に見えるかもしれませんが、今までは綿の下着しか身に着けたことがあ
りませんでしたから少し興奮しました。ブラジャーなんてはじめの経験
だったのです。
 「人には恥はかかないにこした事がないと思ってるかもしれませんが、
愛されてる人の前で恥をかいて初めて女の子は幸せになれるんですよ。
たとえあなたを愛してくれる人がそばにいても、恥をかく勇気がないの
なら愛されてる意味もまたないの。赤ちゃんの頃はお仕置きで強制的に
恥をかかしてもらえるけど、大人になったらその殻は自分で破らないと
いけなくなるから大変なのよ」
 ママは生まれて初めてブラジャーを身に着ける時に耳元でこう囁くの
でした。
 「えっ?どういうこと?」
 その瞬間はまだ私の心にはその言葉を理解するだけの心の余裕があり
ませんでしたが、言葉自体は脳裏にしまわれていて、時間が経つにつれ
『なるほど』と思ったりもするのです。
 次はお化粧。これだって人生最初の経験だったのです。
 アイラインを引き、つけ睫を付けて、チークを塗ると私の顔が私の顔
でないように変化していきます。それは気恥ずかしいようなそれでいて
晴れがましいような不思議な気分でした。
 もちろん儀式はこれで終わりではありません。
 いえ、いえ、むしろこれからが佳境だったのです。
 お父様と再び会場に戻った私は八人のおじさまたちから万来の拍手で
迎えられます。
 私が最初に求められたのはピアノの演奏でした。
 亀山では少なくとも二種類の楽器を習うことが子供たちに義務付けら
れていました。それは私たちのためというよりお父様やお母様が楽しむ
ためにそうしなければならなかったのです。
 ですから私もピアノとヴァイオリンを物心ついた頃から習っています。
 この日、譜面台に乗せられていた楽譜は、エドガーの『愛の挨拶』と
ショパンの『幻想即興曲』それにお父様が作った『月の光』
 お父様は音楽に造詣が深いわけではありませんでしたが、よくご自分
が作った曲を私に弾かせては楽しんでおいででした。
 私は事前にそれらの注文を受けていましたからある程度練習して臨み
ましたが、お父様は私の演奏に満足なさらず、月の光などは「もう一度」
「もう一度」とおっしゃって結局5回もやり直しさせられたのです。
 おじさまたちの拍手の中、お父様の両手の中に迎え入れられた私は、
その膝の上胸の中でこんなことを言われたのです。
 「音楽は奏でている者の心がそのまま表れる。自分では普段通り弾い
ているつもりでも心に波風が立つとその怯えがせっかくの美しい旋律を
曇らせてしまう。それは弾いている者より聞いている者の方がよくわか
る。でも、今は元の恵子ちゃんに戻っているからね。お尻の叩きがいが
あるというものだ」
 私はお父様の最後の言葉に身を硬くします。
 「いいかい恵子。今日のお前は理由のない理不尽なお仕置きを受けな
ければならない。それは14才になったお前がこれからも私たちの子供
であり続けられるか否かの試練なのだ。幼児の時は正と悪は誰の目にも
はっきりとしている。しかし大人になると正義は必ずしも一つに定まら
ない。自分の信じる正義が必ずしも大人たちに受け入れられないことだ
ってたくさんある。でも、そんな時でも君が私たち大人を信じてついて
来て欲しいんだ。それが受け入れられる子でなければこれから先、君を
養育していくことは難しいからね」
 お父様のお話は13才の私には難しいものでしたが、そんな私にも、
理解できることがありました。それはこの日の試練がお父様やおじさま
たちをこれからも愛し続けられるかどうか私が試されてるということ。
そしてもう一つはこの日どんなお仕置きを受けても我慢し続けなければ
明日からの亀山での日々はないということでした。
 もちろん、実際にはそんなことまで悟れない子が泣きじゃくり暴れま
わることもありますが、最後の最後にこの先もお父様の胸の中に入るか、
それとも裸でこの山を駆け下りて新天地を目指すかを問われて、お父様
の胸の中を選ばない子はまずいません。だってこれまでそれほどまでに
お父様からママからおじさまたちから愛され続けて育ってきたのです。
一度や二度理不尽なお仕置きがあったからといってそれで道をたがえる
子はいませんでした。
 「あっ!」
 機は熟したとみたのでしょう。お父様がいきなり私を膝の上でうつ伏
せにします。スカートが跳ね上げられ、ショーツが下ろされます。すべ
てはおじさまたちの時と同じでしたが、違うところもあります。それは
脱がされたショーツを口にくわえなければならなかったこと。そして何
よりスナップの利いた平手がとてつもなく痛くて切ないことでした。
 「ピシッ」「(いやあ~~ごめんなさい。もうしませ~ん。だめ~え)」
 私は口をふさがれているのでもぐもぐやりながら心の中で叫びます。
まさか一発目からこんな痛いとは思いませんでした。悲鳴上げるつもり
はなかったのに、そんな我慢さえできないほど痛かったのです。
 「ピシッ」「(いやあ~~痛い痛い痛い、痛いからやめて~だめ~~)」
 「ピシッ」「(ひぃ~~下ろして痛い痛い痛い、痛いからやめて~~)」
 たった三発で全身に鳥肌がたち、髪の毛が逆立ちます。顔は真っ赤に
腫れてパンパン。次は眼球が飛び出すんじゃないかと思うほどでした。
 「ピシッ」「(もうしませんからやめて~~だめ~~もうぶたないで)」
 「ピシッ」「(よい子になります。どんなことでもしますから~~~)」
 私は足を必死でばたつかせます。いえ、ばたつかせようとしました。
でも、そこはママに抑えられ、右手も女王様に抑えられています。
 「ピシッ」「(もうしませんからやめて~~だめ~~もうぶたないで)」
 「ピシッ」「(ひぃ~~壊れちゃう、壊れちゃうから~~やめてえ~)」
 「ピシッ」「(もうしませんからやめて~~だめ~~もうぶたないで)」
 お父様のお尻たたきは一発一発脳天まで響きます。子宮も大波に揺ら
れてもうどこにあるのかさえわからないほどです。
 「ピシッ」「(あんなに優しかったのにどうしてこんなことするの?)」
 「ピシッ」「(…???…何よ今の。ひっとして…お・も・ら・し?)」
 太ももの奥を伝う何かの水滴。事実は私の想像とは違っていましたが、
恥ずかしいものであることに変わりはありませんでした。
 ママがそれをぬぐう間だけ中断して、スパンキングはまた始まります。
 「ピシッ」「(何でこんなことするのよ。もうゃめて~~だめ、だめ)」
 「ピシッ」「(いやあ~~ん、お父様、十回過ぎてる。もうだめ~~)」
 「ピシッ」「((ひぃ~~下ろして痛い痛い痛い、痛いからやめて~~)」
 私は猿轡になっている自分のショーツを吐き出そうとしましたができ
ません。とうとう力尽きた私は足をばたつかせたり上半身をねじったり
するのをやめてしまいました。
 すると、ここでお父様が声をかけてきます。
 「どうだ、痛いだろう。男の力を甘くみると本当に痛い目に遭うぞ」
 そして、ママも……
 「あなたはこれまで赤ちゃんだったからお父様はあなたへのお仕置き
はご遠慮くださったの。でも、これからはこれがお尻たたきの基準です
からね。身体で覚えておきなさい」
 「…………」
 私はショーツの猿轡が取れないまま涙でぐちゃぐちゃになった顔だけ
を上下させて答えます。
 『もう、早くこのお仕置きが終わって欲しい』その一心でした。
 「ピシッ」「((ひぃ~~まだやるの!だめだめ下ろして痛い痛い痛い)」
 「ピシッ」「((ひぃ~体がばらばらになっちゃう。もうしないでよ~)」
 「ピシッ」「(いやあ~~ん、………………………………………あっ…)」
 それは十六回目の時でした。明らかにそれまでとは違う涼しさが太も
もに感じられます。
 「ピシッ」「(濡れてる?…………まさか?…………でも………あっ…)」
 十七回目を終えて大人たちの動きに変化がみられました。お尻たたき
が止まり、わずかな時間でしたが無言のまま何かを話し合っているよう
なのです。
 そして、再開。
 「ピシッ」
「ピシッ」
 「ピシッ」
 でも、その後の三回は明らかに勢いが弱くなっていました。
 そしてお尻たたきのお仕置きが終わると、やはり私の不安は的中して
いたのです。
 私はお父様の目の前に立たされ、大きめのタオルでお股の中を綺麗に
拭き清められることになります。
 お父様の手が私のお股の中で動くさなか私はお父様の濡れた膝を見つ
めていました。申し訳なさと恥ずかしさでこの場から消え入りたいほど
だったのです。
 そんな憔悴した私はせっかくやってもらったメイクも涙でぼろぼろ、
まるで打ち捨てられたお人形のように身じろぎもせず、ママや女王様に
よって再び自分の身なりが整えられていくのをぼんやりと見つめていた
のでした。
 でも、そんな夢遊病者のような私をある音が現実へと引き戻します。
 それはガラスの擦れあう音。五十ccのガラス製浣腸器がグリセリン
を入れたビーカーを叩く音でした。
 「……!」
 私はとっさに身を縮めその場にしゃがみこもうとしましたが、それを
女王様が抱き起こして支えます。そして、こうつぶやくのでした。
 「次はお浣腸よ。あなただって初めてじゃないんだし、慣れてるから
大丈夫よね」
 そうなんです。亀山で育てばどんなによい子にしていても一学期に二
度や三度はお世話になるお仕置きでした。ママや先生に嘘をついたり、
お友達に意地悪をしたりすると、保健室に呼ばれてこれがやってくるの
です。もちろん私だって初めてじゃありませんが、これに慣れるという
ことはありませんでした。
 グリセリンというお薬をお尻の穴を開いて入れられる時の恥ずかしさ。
オムツを着ける間にも襲ってくる強烈な下痢。ですが、すぐにトイレへ
なんて行かせてもらえません。その罪の重さにもよりますが、とにかく
先生の許可が出るまでは脂汗を流しながら我慢しなければなりませんで
した。
 だいたい五分から十分、場合によっては二十分も、お漏らしの恐怖に
おののきながら先生やママのお膝で必死になって我慢しなければなりま
せんでした。
 そして、おトイレを許されても、用を足せるのはみんなの見ている前
でのおまる。ここににしゃがみこんで用を足します。出した後もお腹が
渋ってそれはそれは不快でした。
 しかも、万が一粗相なんてことになったら次はお灸が待っています。
ですから、誰もがそりゃあ必死になってうんちを我慢します。子供たち
にしたらたまったものでありませんが、大人たちはどういうわけかこの
脂汗を流し必死な顔で全身をぷるぷると震えさせながら抱きついてくる
子供たちの様子が大好きで、たとえそのお膝の上で粗相しても、それで
不快な顔をする人は誰一人いませんでした。
 とはいえそんなものいくつになっても慣れるはずがありません。それ
が証拠に、私は今、浣腸器の触れる音で目を覚ましたくらいなのですか
ら。
 私には女王様の言葉は意地悪そのものに聞こえたのでした。

§5

§5

気がつけば見慣れた浣腸台と呼ばれる黒い革張りのベッドが部屋の隅
にすでに用意されています。
 私はできることならこの場でもう一度気絶したい気分でした。
 「さあ、行きましょうか。お浣腸でお洋服を汚してはいけないから、
司祭様にお洋服を脱がしていただきましょう」
 女王様はそう言って私の背中を押し始めます。私は驚いて後ろを振り
返ろうとしましたが、じたばたしても私の頭はすでに女王様の胸の中に
すっぽり納まってしまって身動きがとれません。目的地の浣腸台はすで
に目の前。もうどうすることもできませんでした。
 浣腸台の周囲を八人のおじさまたちが取り囲み、籐製の脱衣かごの脇
には司祭様が立っておられます。
 私は幼い頃からの習性で気がつくとその足元に膝まづいていました。
 「あなたが14才を迎えるにあたり、これまでに負った穢れを清め、
無垢な心でその日を迎えるため、今日ここでお腹の中を綺麗にします。
よろしいですね」
 「……はい」
 司祭様の言葉は確認です。どのみち嫌とは言えないませんから確認な
んです。そう答えるしかありませんでした。
 こう言うと何だか自由を奪われ権威や権力で脅されて嫌々そう言って
るみたいですが事実は少し違っていました。お父様やママもそうですが、
いつも優しくしてもらっているこれらの人々の命令に従うのは、よい子
にとっては喜びや安心でもあるのです。
 『お仕置きされるとわかっているのにそれはないだろう』と思われる
でしょうが、亀山の子供たちはママを親代わりに、お父様をおじい様の
代わりとして、ちょっぴり過干渉でも愛情深く育てられてきましたから
ママやお父様が望むことなら何でも叶えてあげたいと思うものなんです。
 司祭様への愛もそれは神様への愛と同じでしたから、司祭様が私の服
を脱がし始めた時も私は何一つ抵抗しませんでした。
 純潔な体、無垢な心、天使のような振る舞いはお父様たちが私たちに
大金を投じる理由だったのです。その思いに私たちが自然に応えられる
ようにママが育てて、そのおかげで私たちは本来なら縁もゆかりもない
お父様から、時に実のお子さん以上の愛を得ることができるのでした。
 13才の試練というのは、そんな亀山での卒業試験のようなもので、
もし巷で育てていれば羞恥心という鎧をガチガチに着込んでいる年頃の
娘を膝まづかせ、裸にして、何の理由もなくお仕置きすることで、娘の
忠誠心を確認する儀式だったのです。
 私は白い短ソックス以外は何も身につけていない状態で黒革張りのベ
ッドへ上がりました。
 あとはなされるまま。まずは女王様とママが仰向けになった私の右足
と左足を一本ずつ持ち上げて私の女の子としての中心部が殿方にようく
見えるようにします。
 そこをアルコールに浸した脱脂綿で丁寧に消毒してもらうのですが、
何しろ敏感な処ですから声をたてずにやり過ごすということはまずでき
ませんでした。
 苦悶の表情を浮かべて頭を激しく左右に振りうなされいるような声を
上げます。そんな私を気遣われてのことでしょう、司祭様が私のおでこ
を優しく撫でてくださいます。
 私はそのやさしさに一瞬ほっとしたのですが、次の瞬間とんでもない
ことに気づきます。
 いえ、このお仕置き自体は過去に何度もあるんです。でも今回は……
私の頭の付近に司祭様がいらっしゃって、ママと女王様も私のあんよを
担当なさっている…ということは、今、私のお股に触れているのは……
 「!!!!!」
 私の背筋に衝撃が走りました。私は慌てて身を起こそうとしますが、
それは司祭様に止められてしまいます。その代わり、それが誰なのかを
司祭様は私に教えてくださったのでした。
 「今、原口のおじさまがあなたを清めして終わったところです。次は
木村のおじさま。あなたはこれからすべてのおじさま、もちろんお父様
からも自分の大事な処を清めてもらわなければなりません。少し時間が
かかるので寒いでしょうが、辛抱してくださいね。これはあなたにとっ
て、とてもとても大事なことですからね、逃げることはできませんよ」
 「…………」私は本当はうなづきたくなかったのです。だってそれま
で司祭様を除いては一度もされたことのなかった殿方からのお清め(ア
ルコール消毒)なんですから。『たとえお父様でもそこまではなさらなか
ったのに…』私は思いましたが『今ここで逆らってもどうにもならない』
と悟るしかなかったのです。
 司祭様のおっしゃるとおりお清めは長くかかりました。何しろ八人も
の殿方が代わる代わる念入りに私のお股の中を吹き上げていくのですか
ら……
 「(いや、いやあ~、やめてえ~、もうしないで、ひりひりする)」
 私は右に左に頭を振りながら心の中で叫びます。いえ、幾つかは言葉
になって外へ飛び出てしまったかもしれませんでした。
 大陰唇、小陰唇はもちろん膣前庭や尿道口、ヴァギナやクリトリスだ
って例外ではありませんでした。本当はなりふり構わずベッドから飛び
降りて表に飛び出したいくらいの衝撃だったのです。
 それを目いっぱいの力で理性が何とか押しとどめていたのでした。
 そのうちアルコールの刺激に慣れたのかお父様やおじさまたちの会話
が耳に入ってくるようになります。
 「ほう、この子は綺麗な格好をしてますなあ、家の真美はオナニーの
癖があるせいか、こうした襞がすでにぐちゃぐちゃになってますわ。色
素沈着も始まってますから成長が早いみたいですな。そこへいくと天野
さん処はうらやましい。こんな綺麗な形と肌をしたまま少女になれるん
ですから」
 「そんなことはありませんよ。この子だってオナニー用のオムツを穿
かせたことだってあります。あれは一度覚えてしまうと、なかなか治り
ませんから親は苦労します」
 「ほんとほんと、真美にはここに三回やいとをすえてみましたが、今
だに親の目を盗んでやってるみたいです」
 触られた処は膣前庭でした。お父様やおじさまたちは綿棒を使って私
の大事な部分に無遠慮に触れてきます。殿方にとっては何気ない行為や
会話なのかもしれませんが、聞かされてる、触られてる私からすれば顔
から火が出るほど恥ずかしくて両手で顔を覆わずにはいられません。
 その意味でもこのお清めは苦行だったのです。
 そんな私の両手を司祭様がやさしく離します。
 「どんなに恥ずかしくても顔をかくしちゃいけないよ。君はその体の
すべてでお父様やおじさまたちの愛を受け入れなければならない立場に
あるからね。わかっていると思うけど、亀山の赤ちゃんは、何一つ隠す
ことが許されてないんだ。恥ずかしい処も含めてそのすべてを愛しても
らえる人に捧げて暮らしているんだから……それがここでのルール。…
…知ってるよね」
 「はい、司祭様」
 「明日からはそれも終わる。多くの恥ずかしい出来事からもさよなら
だ。でも、それと同時に明日からは自分で自分の体を管理しなければな
らなくなる。自分で着替え、自分で髪をすき、自分で体を洗い、自分で
お尻を拭く。巷でなら幼稚園の子でもするような当たり前の事を今から
始めることになるんだ。大げさに言うと明日からが君の本当の人生だ」
 「間に合うの?」
 「もちろんさ。亀山では今までもみんなそうやって大人になってきた
んだからね」
 「でも、明日からは、もうお父様は愛してくださらないの?」
 「どうして?そんなことあるわけないじゃないか。誰がそんなことを
言ったの?14になっても15になっても恵子ちゃんは僕のお姫様だよ。
いつでも枕を持って私のベッドにおいで、大歓迎だから」
 「お父様!」司祭様の声が聞こえたのでしょうか、お父様が私の枕へ
とやってきました。
 「13才の赤ちゃんなんて世間じゃ変だろうけど、私に限らずお父様
になる人たちは一日でも長くよい子たちを抱きたいものだから女王様に
お願いしてそういう形にしてもらったんだ。そり代わり、この山を降り
て行く高校だって、その先の短大だって恵子ちゃんたちがいきなり世間
の風に当たって風邪をひかないように万全の体制を敷いてあるからね、
今まで赤ちゃんだったからってこれから先も何も心配いらないんだよ」
 「…………」
 そうは言われても私は心配でした。とにかく、自分が特殊な育てられ
方をしたんだということだけはこの時わかりました。
 「とにかく『恵子ちゃんがお嫁に行くまでは面倒をみます』って私は
女王様には約束したからその約束だけは守るつもりだけど、私はすでに
老人で、ひょっとしたら恵子ちゃんがお嫁に行く前に天に召されるかも
しれない」
 「そんなの嫌よ。お父様、どこか悪いの?」
 「いや、そうじゃないよ。万が一だ。万が一そうなってもここにいる
八人のおじさまたちが君を守ってくれるはずだ。おじさまたちと女王様
とでそのお約束がすでにできているからね。でもそのためにはおじさま
たちにも君のことをよく知っておいてもらわないといけないから…」
 「それでこんなことしてるの?」
 「そういうことだ。恵子ちゃんの性格やら学校の成績なんかはすでに
つたえてあるけど、おじさんたちは君の生身の身体は知らないからね…」
 「……わたし……もしお父様が亡くなったら公立の施設へ移りたい」
 私は重い口を開きました。でも、もちろん答えはノーだったのです。
 「それはできないよ。君はここでの生活しか知らないからわからない
だろうけど、ここは子供たちにとっては幸せすぎる場所なんだ。もし、
外で幸せに暮らしたいならその前に色々準備をしないとね。心がすぐに
風邪をひいてしまうんだよ」
 「心が風邪?」
 「そう、さっき司祭様がおっしゃってただろう。女の子は好きな人の
前で恥をかいて成長するって。あれはね、あくまで恵子ちゃんを好きな
人、本心で愛していくれる人の前でかく恥だから有効なんだ。ここには
君がすべてをさらけ出しても邪念をいだく人が誰一人としていないから
街のどこで裸になっても君の心に傷なんかつかないけど、そんなことは
巷でなんか絶対にできないことなんだ」
 「どうして?」
 「巷にはね、愛する気もないのに女の子の身体をもて遊ぶだけの輩が
たくさんいるんだよ。そんな人の前で恥をかいたら、女の子は一生心に
傷を受けることになるからね。外に出て暮らすなら、まずその人が本当
に自分を愛してくれる人なのかどうかを見抜く力が必要なんだ」
 「ここにはそんな悪い人はいないってこと?」
 「悪い人?う~んそれとは少し違うけど、ま、そういうことだ。私も
ここへ来るまではそんな楽園の存在など信じてはいなかったけど、真実
だった。この世に人の手で創れる極楽があるとしたらここだけだろうね」
 「そんなにここってすごいの?」
 「そう、すべては女王様の才覚と先生方の献身的な努力が支えている
んだよ。だから、あんよを持ってもらってるお二人には感謝しなればね」
 「ま、お上手ですね、私はこの街の管理人にすぎませんわ。この街は
天野様はじめお父様方のお力添えなくして一日もうごきませんもの」
 女王様は笑顔で振り返りますが、お父様はそれには首を横に振って応
えていられました。
 「ただ、ここは楽園だけど、それだけにここでの常識は巷のそれとは
大きくかけ離れている。だからこれから進む高校と短大で、君は実社会
に出るための勉強をたくさんしなければならないんだよ。途中下車なん
て危険なことはできないんだ」
 「間に合うの?」
 「もちろんさ。そうやって社会に巣立って、成功した人が何人もいて、
その人たちが惜しみない援助してくれるおかげで、今の君たちは豊かな
食事や有り余る玩具や本や衣装、快適な家にだって住めるだよ。もしも、
ここにいた時代が不満だらけだったら、先輩たちだって、たとえ社会に
出て成功しても亀山に援助をしようなんて思わないはずだろう」
 「…………」
 「ここでの生活は今も昔もほとんど同じ。先輩たちもここにいた頃は
みんなたくさんのお仕置きを受けて、たくさんの恥ずかしい目にあって、
13才の試練だってもちろんみんな経験してここを巣立っているんだ。
彼らだってここにいる時はここの良さなんてわからない。ほかの世界を
知らないからね。でも実社会に出てみると、ここがどんなに凄い処だっ
たかがわかるから、その楽園を守りたくてみんな援助してくるんだよ」
 お父様のそんな言葉の直後でした。誰かが私の肛門をいじります。
 「(あっ、いや)」
 ママでした。
 「もうよろしいでしょうか」
 お父様に声をかけます。
 「あっ、ごめん、ごめん、つい娘との話しに夢中になってしまって…」
 「では、最後にお父様に清めていただきますからね」
 ママの指示でお父様は私のバックへと回ります。そして……
 「じゃあ、いくよ」
 お父様は私のお股の中をアルコールを浸した脱脂綿で吹き始めます。
 「……………」
 その時もおじさまたちの時と同様、声は出さなかったと思いますが、
私の頬はすでにくすぐったさで緩んでいました。
 不思議なものです。まったく同じことをされているのに感じ方が全然
違うのですから。人には話せませんが、その時の私はおしゃぶりのいる
赤ちゃんへと、一瞬戻っていたのでした。
 でも、その直後でした。
 「……!……」
 細く尖ったものがお尻を突き刺したのがわかります。
 「……(あっ)……」
 イチヂク浣腸の先が肛門の中へと入ってきたのです。
 そして、『ぐちゅっ』という、あのえもいわれぬ不快感。
 後は、次から次へとおじさまたちが私の身体をイチヂクで突き刺して
いきます。
 たった10グラム、されど10グラムの重みが積み重なって終わった
時には90グラムのグリセリン溶液が厳重に締めこまれたオムツの中で
踊っています。
 これからが地獄です。
 私の体はこれからおじさま方の膝の上を転々として回されます。
 お一人、約1分。まるでロシアンルーレットのように、怖い運試しで
すが、みなさん全身に鳥肌を立てて震える私を抱くとなぜかとても喜ん
でおいででした。
 8分後、みなさんを一周して最初に抱いていただいた原口さんの膝へ
戻って来ると……
 「恵子ちゃん、もうどこでお漏らししてもいいからね」
 「好きなおじさまがいたらそこで漏らすといいよ」
 「そうそう。その人がオムツを換えてくれるからね」
 あちこちからかおじさまたちの声がかかります。
 でも、その時の私はたとえ好きな人がいたとしてもその人を選んでお
漏らしするなんて器用なことはできませんでした。とにかくお尻に集中
してほかの事なんて考えられません。ほんのちょっとでも気を許したら
恥ずかしいものが一気にオムツの中へ流れ込むことは間違いありません
でした。
 もちろん、このゲームに終わりがないこと、どんなに必死に頑張って
みてもいつかは恥をかかなければならないのはわかっています。でも、
それでも…もう、本能的にお尻に力を入れてしまうのでした。
 三週目、私は原口おじさまのお膝で力尽きます。それはおじさまが…
 「私でいいかい?」
 と尋ねられた時に無意識にうなづいた結果でした。
 すると、おじさまは私のオムツの中に手を入れて下腹をさすってくだ
さったのです。
 「いやあ~~~」
 私は思わず絶叫します。でも、その先はもうどうにもならないことで
した。

§6

 §6

私は絶望と安堵感と虚無感が入り混じる不思議な気持ちの中でお臍の
下の汚れを原口のおじさまの手にゆだねます。それは同時にお父様の身
に万が一の事が起こった時に、後見人代表として原口のおじさまを私が
選んだということにもなるのでした。
 もちろん、事実は原口のおじさまが私の難儀を見かねて名乗り出てく
ださったわけですが、そんなことはこの時はどうでもよかったのです。
 「(終わったあ~~~~)」
 大勢の大人たちの前で素っ裸で、しかもうんちまみれの体を晒して、
でも思うことはただそれだけだったのです。
 私は女王様とママそれに原口のおじさまに連れられてお風呂場へ向か
います。そこで汚れた下半身を綺麗に洗うためです。
 私をシャワーのある場所に立たせると、ママと女王様が代わる代わる
私のお股にの中に手を入れてはその指の腹で私の汚れた部分を取り除き
ます。
 最後は原口のおじさまの手が入ってきましたが、両手を万歳したまま
で立っていなければならず、もちろん悲鳴を上げることなどできません
でした。
 おじさまはバックから手を入れて後ろの穴だけでなく前の小さな突起
にまで触れてきます。私はそのたび腰が砕けて中腰になりましたが……
 「だめよ、しっかり立ってなきゃ。これからあなたの後見人になって
いただく方なのよ。このくらいのことも耐えられないのかって笑われる
わよ」
 「もう少しで終わるから、我慢してなさい。あなたのようにそう何度
も何度も腰をひいたら失礼よ」
 ママや女王様にそんな事を言われながら何度も襲い来る蜂に私はただ
ただ耐えるしかありませんでした。
 やがて長いお風呂の時間が終わって、私には体操着が与えられます。
 私はてっきり試練は終わったものだと思い込んでしまいましたが……
体操着姿で七人のおじさまやお父様が待つ会場へ戻るとそこにおばば様
がいらしたのでビックリ。もう、その場で気絶したい心境だったのです。
 「おう、戻ったか。原口先生からは可愛がってもらったか?これから
お世話になる方じゃからな、粗相があってはならんよ」
 おばば様は子供たちがお灸のお仕置きを受ける時は必ず現れます。幼
い子にとってはまさに疫病神。私も道端でおばば様を見つけると思わず
物陰に身を隠してしまうほどでした。
 そんな私もすでに13才。慣れもあり身体も大きくなった今では発狂
するほどの悲鳴は上げずにすむようになっていましたが、それがほかの
お仕置きに比べても恐ろしい儀式であることに変わりはありませんでし
た。
 日本庭園の見える和室に舞台を移し、ほかのおじさまたちが床の間を
背にしてお茶を楽しむなか、私は縁側で正座したママのお膝にお臍をつ
けてうつ伏せに……
 ちょうどお尻だけが一段高くなった姿勢で女王様からブルマーとショ
ーツを一緒に引き下ろされてしまいます。
 「(いやあ!)」
 一瞬にして私の顔が真っ赤になるのがわかります。不思議なことです
がそれはとても恥ずかしくて、むしろ今までやられていたお浣腸の方が
まだましなくらいでした。
 ここでもアルコールによる消毒は欠かせません。
 ほんの一瞬、お尻の皮膚が熱を奪われるだけのことなのに、それだけ
で全身の毛穴が開き、産毛が逆立ち、鳥肌がたち、頭のてっぺんまで電
気が走ります。
 そうしておいて、おばば様はやおらもぐさをお尻のお山の定位置に乗
せると、事前に呼び寄せていたおじさま二人にお線香を握らせて艾に火
をつけさせるのでした。
 ところが、そのお灸の熱いこと。今までもお仕置きで数回経験してい
ましたがこれはやはり特別だったのです。
 「(ひぃ~~~)」
 もう少しで歯が折れるか、悲鳴をあげるところでした。
 「どうじゃ、少しは応えたか。最後じゃからな、ようく思い出に残る
ようにしてやるからな」
 おばば様の意地悪そうな声が耳元に木霊します。
 逃げ出せるものならこのまま逃げ出したいくらいでした。
 「よしよし、よう逃げださんじゃったな」
 私の気持ちを見透かしたようにおばば様は頭を撫でます。もちろん、
すえられるお灸はまだこれからたくさん残っています。でも私は思わず
たった二つのお灸で涙を流してしまったのでした。
 今度は仰向けにされてお臍の下に三つ。ここはその後うっそうとした
茂みで覆われますから、灸痕と呼ばれる火傷の痕も隠れます。そのため
でしょうか、どの子も他の箇所より大きなお灸をすえられていました。
 ただそれにしても……
 「えっ!」
 私はママのお膝に頭を乗せてもらっていますからその様子が自分の目
で確かめられるのですが、乗せられた艾は普段の倍はありそうに大きな
ものだったのです。
 「(そんなのいやよ!)」
 今さら逃げ出す勇気もない私はせめてもの腰を振ってみます。
 すると、おばば様が……
 「どうした?怖いか?」不敵な笑いを浮かべて「体も大きゅうなった
んじゃからいつまでも鑿のウンチみたいなもんじゃ、いつ終わったかも
わからんじゃろう。どのみちここを出て高校へ行ったらもっと大きな物
をすえてもらうことになるから今日はその予行演習じゃ」
 口の悪いおばば様はいつも人の嫌がることを言って子供を脅かします。
でも、高校に進学してまでお灸のお仕置きがあるなんて私はこの時初め
て知ったのでした。
 「さあ、恵子ちゃん、火をつけるからね、我慢してね」
 遠藤のおじさまが仰向けになった私のすぐ傍らに座ります。
 頭を撫でられると私はお約束の言葉を言わなければなりませんでした。
 「お願いします、おじさま」
 こうして物凄く熱い、というかお灸の場合は錐で揉まれるような痛み
なんですが、それを我慢すると、次は……
 「ありがとうございました」
 こういうご挨拶をしなければならなかったのです。お仕置きは愛情の
一部だから子供がお礼を言うのは当たり前という理屈でした。
 実際、亀山のお仕置きでは年齢や体格、体調などを考慮して先生方が
細かく手加減をしますから、泣きわめいたり暴れまわったりしてご挨拶
もできないなんてほど過酷なものは存在しませんでした。
 次は木村のおじさまが、三つ目は牧田のおじさまが担当です。
 頭を撫でてもらい優しく微笑んでから火がつきます。もちろんご挨拶
もちゃんとしました。
 両手をママと女王様に押さえられ寝ながらバンザイをするような姿勢
で私は火の山が次第に下へ沈んでいくのを見つめます。
 「いぃ~~~ひぃぃぃ」
 歯を食いしばってがんばりますが、その熱さは気絶しそうでした。
 最後は、なるべく火傷の痕が広がらないように、おばば様が指の腹で
小さなたき火を消してくれます。そして、それが終わるとご挨拶……
 ま、こんな姿のまま「ありがとうございます」なんてのも変でしょう
けど…でも、これが亀山のしきたりだったんです。
 「よくがんばった。えらいよ。えらい、えらい」
 「よい子だったねえ。もうすぐお姉ちゃまだもんな」
 お二人はお灸が終わってからも、口々に私を励まし、私の頭を撫でて
くださいます。
 『そんなに小さな子でもあるまいに、今さら13の子がそんな事され
ても嬉しくないだろう』
 と思われるかもしれませんが、亀山で暮らす子供たちは13になって
も赤ちゃんは赤ちゃん。亀山という無菌室の中で大人たちによって無垢
で純真に育てられましたから、褒められればその顔はほとんど反射的に
笑顔に変わるのでした。
 「木村のおじさま、牧田のおじさま、ありがとうございました」
 私が胸の前で手を組んでご挨拶するとお二人共とても穏やかな笑顔を
返してくださいます。
 「頑張るんだよ、自由はもうすぐそこにあるからね」
 木村のおじさまがおっしゃいます。実際、14という歳は私が初めて
自由を手にできる歳となるのでした。
 ただ、そのためにはまだまだ試練が残っていたのです。
 「(あっ!)」
 女王様の手でそれまでは太股に止まっていたブルーマーとショーツが
一気に剥ぎ取られます。そして、高々と両足が持ち上げられるとそれが
頭の上を通過して両耳の脇へと着地したのでした。
 「…………」
 ま、その姿を想像してみてください。巷で育った子なら絶叫している
んじゃないでしょうか。でも、亀山育ちの私にとってこのポーズはそれ
ほど凄いことではありませんでした。
 亀山の子供たちは、お仕置きで、あるいは健康診断と称して、少なく
とも月に一回は大人たちの前でこの姿勢をとらされるのです。ごく幼い
頃からママやお父様、学校の先生や司祭様、色んな大人たちに女の子と
しての自分をさらけ出していましたから、最近恥ずかしく感じるように
なったといっても、ことさら「恥ずかしいことしないで!」なんて騒ぐ
こともなかったのです。
 ちなみに、亀山の子は赤ちゃんでいる間はトイレへ行ってもウンチを
流せませんし、お尻を自分で拭くこともできません。お風呂へ行っても
服を脱がすのも、体を洗うのも、再び服を着せるのもすべて自分たちで
勝手にやってはいけなかったのです。そんな中唯一許されていたのは、
メンスの処理だけ。これだけが女を自覚できる貴重な体験だったのです。
ところが、当時の私はまだ子供で、この時期になると周囲の大人たちが
よそよそしく自分を避けるように思えて不満だったのです。
 私は、どんな時も大人たちから抱かれたい。いい子いい子して欲しい
と願っていたのです。もちろん抱かれていれば大人たちは私の微妙な処
へも手を伸ばしますし、ぐずればママからのお仕置きの危険もはらんで
います。でも、大人たちに囲まれて抱かれている時の方が、独りでいる
より数段楽しいのです。
 天使として大人たちの懐に抱かれ、妖精としてお庭を跳ね回っていた
私たちの義務は大人を疑わないこと、恥ずかしがらないことです。
 ですから……
 「お股のなかを見せてね」
 大人たちはたった一言断れば私たちのお股の中を何度でも心ゆくまで
見ることができたのです。
 というわけで、こんなあられのない姿でいてもそれが苦痛という事は
ありませんでした。ただ、体を海老のように曲げられ大きくお股を広げ
られて、それを固定するためママや女王様に体を押さえつけられている
のは苦痛ですし、やはりそこは女の子にとっては感じやすい処ですから
おばば様に艾を置かれると緊張します。
 「それではいくよ」
 「我慢するんだよ」
 ここの担当はお父様と原口のおじさまです。お二人は何だか申し訳な
いようにお線香の火を大陰唇に乗せられた艾に移します。
 ここはお父様と後見人になった原口のおじさま以外、担当することは
ありませんでした。
 「ひぃ~~~~~」
 火が回ると全身に震えがきます。そのくせ顔だけが真っ赤に火照って
熱いのです。まるで一瞬だけ自分がお尻から脳天めがけて槍で串刺しに
あったような、そんなショックでした。
 ただここで使う艾は本当に小さいものですから燃え尽きるまでほんの
一瞬の出来事。特別な処にすえられているから特別熱いということでも
ないのです。あくまで、熱くて痛くて大変だったのはお尻のお山にすえ
られるお灸。ここには大きなサイズの艾が置かれます。しかも二回目と
なると先ほどの傷も癒えていませんから痛みは倍化します。
 「(いやあ~~~ゆるしてえ~~~)」
 私はあまりのことに必死になってママと女王様のくびきから逃れよう
としました。しかも無意識のうちにお漏らしまで……
 でも、そのことに誰も大騒ぎしませんでした。そんな私の粗相を片付
けながらおばば様が諭します。
 「いいか、この灸痕はお前の誇りじゃ。恥ずかしがることじゃないぞ。
寄る辺なき身の上のお前らが何かに困った時、助けてくれる人もお前と
同じ灸痕をもっとるはずじゃからな。無傷でここを巣立ったら先輩たち
は誰もお前を助けんよ。ほら、もう少しじゃ」
 おばば様はゆっくりと噛んで含むように私に話しかけました。残念な
がらここにいる間はされは理解できませんでしたが、結果はおばば様の
言う通りでした。お尻のやけどは一般の人には不幸な傷にしか見えない
でしょうが、私たち亀山の出身者にとってはその傷があるから寄り添え
るのです。その子を仲間として迎え入れることができるのです。
 お尻の灸痕は単にそこを出てきたというだけでなくそこで自分たちと
同じ苦労をしてきた証としての大事な身分証だったのです。
 結局、私はお尻とお臍の下とお股の中に計7箇所、三回ずつお灸をす
えられました。おかげでお風呂に入ると今でもはっはりそれとわかる傷
が残っていますが、それを恥ずかしいと思ったことはありません。
 それが私たち亀山の紋章なのですから。
 ちなみにその灸痕は、おばば様があみ出した技法によって独特の文様
になっていますから、よくよく見れば誰でも一般の人のものとは違うと
わかるようになっていました。
 試練が終わった時、私は放心状態でした。かつてのお仕置きでもトリ
プルといってお尻たたきとお浣腸とお灸を一緒に受けたことはあります。
でも、こんな疲れたことはありませんでした。
 綿のように疲れた身体をおじさま方が代わる代わる抱いていくのがわ
かります。お人形のように抱かれるその瞬間はお愛想笑いさえできませ
んでした。でもその反面、ガラガラやでんでん太鼓を目の前で振っても
らうと、これまた不思議なくらい自然に笑えるのです。
 13才ともなればどんなに情報に乏しく育っても自分が女性であると
いう自覚が芽生えます。プライドや傲慢さが二つ合せになって身につき
ます。もう帰れない道ですが、この瞬間だけは純粋に人を信じその人の
腕の中で安らぐことができたような気がしました。普段ならちょっぴり
遠慮していまうおじさままでもがこの時ばかりは王子様だったのです。
 「普通親は良きにつけ悪しきにつけ傍目にはばかばかしいことを子供
にしてやる。それがあるから子は親を特別の存在として認識するのじゃ。
お前はててなし児じゃからな、親に戯れることができぬ。しかし、こう
いう形でなら『自分にも特別な存在の人がいる』と認識できるはずじゃ。
お仕置きは人の心を傷つけるなどと、ろくに人を愛したこともない馬鹿
学者どもがのたまわっておるがな、そもそも心に傷を受けずして人生を
まとっとうできる者などおらんよ。……そう、ここではわざと子供の心
に傷をつけておるんじゃ。しかし誰もがその子を愛しておれば誤った道
には進まんし、こんな他人同士でも絆は深まる。こんなことは有史以来
の人の道じゃて、それを否定するとは愚かなことよ」
 この日、おばば様は珍しく雄弁でした。

10月16日付

<10月16日>
 
左の絵はピロリーと呼ばれる枷。
もとは中世ヨーロッパで罪人を晒
し者にしておくために街の広場や
村の辻に設置されていたのですが、
私の場合は、現代のお話でもよく
小説の中にこれを登場させます。
 用途は同じで罪人となった子を
コミュニティーの中で見せしめに
するための道具です。ただ木に縛
られて立ってるより遥かに本人に
とっては恥ずかしいんじゃないか
と思って採用しているです。
 お仕置きは刑罰と違って肉体を
痛める事にもおのずと限界があり
ますから、本人の羞恥心に訴える
体罰はお仕置きでは有効な手段の
一つなのです。私の幼い頃にも、学校で教室の後ろや廊下に立たされ
るのはそう珍しいことではありませんでした。
 家庭でも、その子がまだ幼いならパンツ一つで
家から放り出すなんて荒業もありました。今なら
児童相談所へ通報されてしまうでしょうね。でも、
当時はそんな親が非難されることはありませんで
した。家から閉め出すと言っても親は家の中から
子供の様子を観察していますし近所のおばちゃん
たちも異変を察知して気にかけてくれています。
 結局のところ、そんなおばちゃんに手を引かれ
て親元へ謝りに行くというのが当時のお定まりの
パターンだったような気がします。まったくもっ
てご近所には多大なご迷惑をかけてしまっている
わけですが、逆の見方をすると、当時はそれを迷
惑と感じないほどの親しいお付き合いがあったと
言うべきかもしれませんね。(*゚▽゚)ノ☆ヽ(∇⌒*)

*)
<左上>
これは拷問や刑罰といったダークな項目を軽い感じのマンガで
紹介した本の一コマ。(御免なさい、題名を忘れてしまいました)
<右下>
http://thehandprints.com/various249.jpg


10月17日付

<10月17日>

 お尻をぶたれるってどんな気持で
しょうか?体験したことがないので
わかりません。
 『えっ、お前、お仕置き小説書い
てるくせに体験したことないって…
…それじゃあ、詐欺じゃないか!』
 ええ、ごもっともなんですけど、
ないものはないんです。いえ、大人
になってから戯れにならやってみた
事はありますよ。でも大人になって
やってみても子供時代にやられた人
と同じ追体験ができるわけじゃない
と思うんです。
 お仕置きというのは、親は大した事をしたつもりがなくても、幼い子
にとっては強烈な思い出として心の奥底に焼きつきます。昔、ご近所
では珍しくスパンキングをやる親御さんの家で悪さをしてしまい、その
家の子と一緒にお尻叩きを受ける事になったのですが、その罰を宣言
された瞬間のその家の子の恐怖といったらありませんでした。
 『そんなに凄いことなのか?』
 私は心配になりましたが、結果は、そ
れほど大したことではありませんでした。
(勿論、他人の子を本気になってぶてない
という事情もあるでしょうが…)
 私の母もご近所では優しいお母さんで
通っていますが、本人(私)にしたらこん
な怖い人はいません。私にとっての母は、
『世界で一番優しくて世界で一番怖い人』
なのです。そしてその怖さの源泉はやは
りお仕置きなのです。幼児体験の恐怖が
親の権威となって後々まで脳裏に残り、
たとえ体力で親に勝るようになっても親
の言うことを聞く子ができるんです。これっていけませんか(゜〇゜;)???

*)
<左上>
http://thehandprints.com/various178.jpg
<右下>
http://thehandprints.com/animation69.gif

10月18日付

<10月18日>

 今の子供たちは母親とどんな付き合い
をしているのか、子供時代はもう太古の
昔となってしまった老いぼれには理解で
きませんが、私の少年時代は生活のリズ
ムがのんびりとしていたせいか、かなり
年長になっても親との関係では『コドモ、
コドモ』していたように思います。親は
もちろん子供の成長を楽しみにはしてい
ますが、一方でいつまでも無垢な天使の
ような存在でいて欲しいと願っていた節
があります。
 私の母親はなかでもそんな意識がとり
わけ強かったようで、私が小学校の高学
年になっても扱いは赤ん坊の時代とさし
て変わりませんでした。
 朝の着替えに始まり、洗顔、歯磨き、学用品の準備とその全てに
口を挟みます。はては朝食の時もスプーンでご飯やおかずが口元
まで届くという有様でした。そう、赤ん坊に離乳食を与えるあの姿です。
もちろん全てをそうしていたわけではなく、例えば嫌いなおかずを避け
始めると、たちまち大きなスプーンが口元へとやってくるという訳です。
 そしてこれは前にも書きましたが、毎
晩、寝る時もやはり一緒の布団に包まっ
て抱かれながら眠るというのがごく普通
の日常でした。これにはその前があって、
実は寝る前、母は私に勉強を教えている
のですが、それが終わると同時に私がそ
のまま母親の胸の中でダウンしてしまいますから仕方なく自分の寝床
へ連れて行き一緒に寝るというパターンが習慣化したみたいです。
いずれにせよ母と私はべったりな関係だったわけです。私の世代から
少し下るとアメリカの影響を受けて子どもとの接し方も変わってきます
が、残念ながら私はそれが良い方向へ変わったとはとは思っていない
のです。

*)
<左上>
一人の婦人の両肩にそれぞれ天使が羽ばたいている絵です。
<右下>
ギターのようなものを弾いている天使の絵です。

10月19日付

<10月19日>

 たとえそれが自分の望んだ道で
あっても修道僧のような禁欲生活
を長年続けていると人間ストレス
が溜まってきます。そしてその溜
まったストレスを吐き出そうとす
るのですが、それが聖職者である
場合はやれる事と言っても方法は
限られているわけで、結局は余計
なストレスまで溜め込むことにな
ってしまいます。
 そこで中世のお坊さんは、街の
在家信者から日頃の行いについて
の色々と懺悔をきいてやり、その
結果としてそれ相応の罰を与えることにして楽しんでいたみたいです。
 曰く『悪魔に乗っ取られた心を神の名の下にこの鞭で救い出す』とい
う大義名分で公明正大に婦人の剥き出しとなったお尻を鞭打てるわけ
ですから、これは楽しい決まっています。
 懺悔聴聞僧という身分がいるそうですが、私もやってみたいです。
 また御婦人方にしても、当時は女性には色々と制約の多い生活ぶり
だったみたいで、こちらも日頃からストレスが溜まる生活を送っていた
ようですから、その懺悔聴聞僧のもとでお坊さんとは別の快楽を得て
いたようでした。ですから、
その聴聞僧が思いのほか若
くてハンサムだったりする
と、やってもいない罪まで
告白して鞭を得ようとする
ご婦人が続出したそうです。
 これらはきっとキリスト
教の教義にがんじがらめに
なっていた社会の数少ない
レクリエーションだったの
かもしれません。もちろん、これもお仕置き小説の大事な一分野です。

*)
<左上><右下>
http://pl-fs.kir.jp/kunken/cat9tail/INDEX-2/ITEM/DETAIL/RELIGION/RELI.htm
 注)同じ場所に二枚ともあります。左上に使ったのは一番上にある卵型の縁取りの絵。
  右下に使ったのは上から四段目の左のイラスト。

10月20日付

<10月20日>

 四条さんの絵はやっぱ
り和物がよろしいです
ね。ポルノとかなんとか
いうより純粋に心が安ら
ぎます。(*^_^*)
 私には女の子の兄弟
(姉妹)がいなかったので
女の子というのは体罰に
縁のないものとばかり思
っていました。ところが、大学に入ってからボランティア活動を通じて
女子大生とお付き合いするようになると、幼い頃の女の子というのは、
お仕置きに関して男の子とそう大差がないことが段々わかってきました。
 打ち上げの席なんかで、こちらの下心は隠してやんわり聞いてみた
んですが、結構厳しいことも経験済みだったので驚いてしまいました。
 足の指の付け根にお灸をすえられたとか、パンツ一つで自宅の庭に
放り出されたとか、これはお医者さんの子供だったんですが、患者さん
の見ている前でお浣腸させられ排泄までさせられたなんてのまであり
ました。
 そんななか、今では最もポピュラーなお尻を叩かれたという話だけが
何故かありませんでしたが、ただ、お尻を叩かれるという行為自体に
は、そこはかとない憧れを持っているなと感じました。
 さらにお酒がまわってく
ると、お話にも尾ひれがつ
き段々過激になってきます。
姉妹でお互いイチヂクを打
ち合って我慢比べしたとか、
艾とお線香を悪戯してたら
畳を焦がしてしまいお母様
から大目玉だったとか、小
六の時にお友達とストリップショーをやって色々比べっこしたとか……
出るわ出るわ普段の彼女たちからは想像できないような話がポンポン。
 『異性のいる前でお嬢様がそんな話するか!』ってお思いかもしれま
せんが、純朴だったのか当時の子は今の子以上にオープンでしたよ。

*)
<左上>
ソファで女の子がOTKによるスパンキングを女性(母親?)から
されている絵
<右下>
ベッドで仰向けになった少女が高く上げた足を掴まれながら
イチヂク浣腸を受けている絵

10月21日付

<10月21日>

 ピアノ教室のレッスン場へ入口
にうっとりするほど魅力的な聖母
子の油絵が飾られていました。
 教室に通っていた頃は、何気に
見ていたのですが、大人になって
気になり調べてみるとこれがどこ
の画集にもみつからないんです。
おかしいなあって思っていたら、
それもそのはずで、油彩は複製画
だとばかり思っていたのに、実は
ご主人の力作だったのです。
 ご夫婦にはお子さんがいらっし
ゃいませんから、その思い入れも
あったのかもしれません。
 この教室に限りませんが、当時
習い事で教室を開いている先生方
は例外なく子供好きで心から子供を愛しておられました。これは、今の
方々には大変失礼ですが、当時の先生方にとって塾を開くということ
は、お金儲けの手段ではなかったのです。子供を愛したい、子供と
触れ合いたいから教室を開いているのです。ですからどこも月謝が
安かったですし、何より子どもたちに対してどなたもが献身的でした。
 塾の先生にしてそうですから親はもっと献身的でした。母親は産んだ
子どもをまるで自分の体の一部のようにして自分の手元から離しま
せん。おかげで医者より早く子供の異変に気づく親が当時は沢山いま
した。物言えぬ赤ん坊は肌の触れ合いでしか自分を表現できないです
から、今、肌を触れ合っている人にしか助けを求められないのです。
 お腹がすいた、おむつが濡れた、何となく気分が悪い、そんな数々の
トラブルを解決してくれる今、肌に触れている人が赤ん坊にとっての
親であり、その情報は生涯離れることはないのです。三つ子の魂百
までも……子守さんが音痴なら大人になったその子も音痴というわけ
です。
 勿論、科学的な根拠はありませんが、少なくともミルク代や保育園の
経費を負担した人が赤ん坊の親とは限らないと私は思いますよ。

*)ここは左上に一枚だけです。
<左上>
ラファエロ『大公の聖母』が掲げてあります。

10月22日付

<10月22日>

 お仕置き小説をどちらのサイドに立
って読むかはその人の自由ですが作者
さんはやはりキーの立場で書いている
時間が長いようです。
 少なくとも、私はそうです(^◇^;)
 ですが、作者さんが自身の作品に出
てくるような恐ろしげな折檻を受けて
育ってきたのかというと……実際は、
真反対のケースがほとんど。(今は、
実体験の虐待をもとに作品を作られる
方が多数ですが、そうなるとこれは…
SMという範疇になってしまいます)
 私達は、もともと親に溺愛され、
甘やかされて育った甚六さんたちのサークル
だったんです。変な話ですが、みんな子供の
頃からご近所で行われるお仕置きに憧れて(?)
この世界に入ってきた変り種なんです。ですから
お仕置きをファンタジックな世界と捉えて描く事が
中心でした。自ら進んでおいたをする勇気なんて
ないくせに、自分もほかの子と同じように怖い目
痛い目にあってみたい。誰に尋ねられようとそん
な気持を吐露する気は決してないんだけど心の
奥底にはいつも不思議な願望が渦巻いていた。
そんな人たちが偶然にも出合ってしまったので
した。でも、時代の流れは私たちに好意的では
ありませんでした。一番大きかった大きかったのは親の意識の変化。
 今の子供たちは、虐待を除けば親からろくにお仕置きを受けずに
育ってますからね、私たちの作品を読んでも「これってSMでしょう」
ってことに……。
 過激に書いたつもりが……『この程度なら、うちの親だって当然に
やってたよ』とみんなで笑い飛ばしていた昔が懐かしいです(*^_^*)

*)100%の自信はありませんが、たぶん越野眞砂さんの作品
だと思います。
<左上>
正座した母親のお膝の上でのOTK。母親は着物、部屋は和室、
お仕置きされてる女の子は夏用のセーラー服という和物の絵。
<右下>
女の子二人がベッドの上でOTKでふざけあってる絵。

10月23日付

<10月23日>
 
 お仕置き小説というのは、元々
みょうちくりんな分野ではあるん
ですが、その中でも極めつけの、
みょうちくりんな小説があります。
 私が書いたんですが…(^^ゞ
 主人公(私)は大の怠け者で日頃
から赤ん坊に戻れないかと思って
いました。すると、神様が現れて
望みを叶えてくれます。赤ちゃんになって最初の頃はママに甘えて
ご機嫌だったのですが、知らない大人は怪物のように大きく見えま
すし、ママが抱いてくれないとどこへもいけないので退屈で仕方が
ありません。おまけにおしっこもウンチもオムツにしなければなら
ないから気持悪いし、そのたびにオチンチンは見られるわけで、
段々嫌になっていきます。
 そこで今度は神様に天国で暮らせるように望むと、神様はそれも
叶えてくれました。神様のお国は食べ物着る物に困りませんし住ん
でる人がみんな善人ですから、虐めや偏見、誰かに騙されるなんて
事もありません。だって誰もが相手
の心の中を見る事ができるのです
から……
 でも、そうなると自分も相手から
その心の中を見られているわけで
結果として常に良い子で振舞わな
ければなりませんでした。一日中
良い子でいるというのは一見良い
事のようですが、それってとって
もとっても疲れる事だったのです。
やがて「悪戯したい」「意地悪した
い」という気持が一日中離れなく
なります。そうしたある日……
 私は天使のスカートを捲ってしまいました。
 すると、たちまち天使長が降りてきて私を摘み上げ
地獄のゴミ箱へポイ。
 地獄では逆に常に何か悪事をしていないと悪魔からお尻を槍で
突つかれます。これも嫌で泣いていると……ママの声が……
 「ぼく~、おっきよ」

*)
<左上>
赤ちゃんの写真。純粋に可愛い写真です。
<右下>
sassyさんの絵。女の子が母親(?)からOTKでむき出しのお尻を
ヘアブラシで叩かれている。昔はネット上にあったけど……今は
見つからなかった。

10月24日付

<10月24日>

左はおおた慶文さんのイラスト。
この先生の少女は清楚でありなが
らどこか色気があるので好きです。
勿論、ポルノとは関係ありません。
 世の中ではよく『これはポルノ
か?芸術か?』なんて議論をしま
すが、私に言わせてもらえれば、
そんなのは無意味な議論ですね。
多くの人は、性器や陰毛やお尻、
乳房などが卑猥なもので性欲を起
こさせる源だから取り締まるべき
たと思っているみたいですけど、
世の中には性器より女の子のうな
じや足首、指先などに異常なほど
の執着心を持つ人もいます。いえ、
そもそも女の子以外のモノに興奮
する人だって少なくないんです。
 卑猥とはそれを見る人の感性の問題
でありモノ自体ではないということ。
産婦人科医は毎日女性器を見ていても
勃起しないでしょうし、逆にこの絵だ
って見る人が見れば十分にポルノ画と
して役割を果たしうるものなのです。
 昨今は、児童ポルノがけしからんと
所持までも禁止してしまいましたが、
これはいくらなんでもやり過ぎです。
 自由社会がここまで繁栄できた要因
の一つは中世キリスト教社会にはなか
った内心の自由を保障して国民の心理
的ストレスを緩和したからなのです。
いくら幼児への犯罪が増加傾向にあるといってもこの原則を曲げ
なければならないほどの明白かつ現在の危険はまだこの社会には
ないはずです。

*)
<左上><右下>
共に、おおた慶文さんの少女を描いたイラスト

10月25日付

<10月25日>

 私、体操は苦手でしたけど、こ
んな感じで跳び箱に抱きつくのが
好きでした。(なんじゃそりゃ)
一番上に張ってあったかまぼこ
状の丈夫な布(帆布?)を両手で強
くパンパンと叩いて、そこから立
ち上る匂い(松脂?)を嗅ぎながら、
左の絵の様にお臍の下を押し付け
てぐりぐりやると……もう、えも言われぬほどの不思議な感触に心を
奪われるんです。体育の時間が始まる前や終わった後に友だちの
目を盗んでの独り遊び。まだ幼い時ですからね、性欲といえるほどの
ものはなかったと思うのですが、でも、それに似た切ない感触を味わ
っていました。
 そのせいでしょうかね、別にこの予行演習が功を奏したわけじゃ
ないんでしょうが、後年、お尻を叩く時にその子を拘束しておくための
拘束台を次々と考案するようになります。
 ただ、お尻叩きはやはりママのお膝の上で
お尻を出すのが基本ですよね。拘束台を使え
ば確かに体は確実に固定されますが、そんな
処でぶたれるのは刑罰のような冷たい感じが
して『お仕置き』という言葉にそぐわない気
がします。やはり、お仕置きは……
 「お父様(お母様)、どうか悪いミー子(私)
にお仕置きをお願いします」
 などと心にもないご挨拶から始まって……
 「ほら、じたばたしないの」……「いやあ、痛い~~」……「痛い
のは当たり前でしょう、お仕置きなんだから。痛いのがわかったら
もっと良い子でいなさい」……なんていうやり取りがあり~の……
 『ママのお膝は不安定で転げ落ちそうだけど、落ちたらまた叱ら
れるし……(ひい~~)また飛んできた。いやあ~大きなハチさん
嫌い!』 ってなことを思いながら、汗と涙と鼻水でべちょべちょの
お顔で終了。
 後は、痛いお尻をママのお膝に乗せられて、大きなおっぱいと
ごっつんこ。頭なでなで…ほっぺすりすり…お菓子は口移し……
とね、こうでなくちゃ。

*)
<左上>
http://thehandprints.com/variouss0881.jpg
<右下>
http://thehandprints.com/variouss0797.jpg

10月26日付

<10月26日>

 私の子どもの頃は、お尻叩きという行為
そのものが、まだ一般家庭では普及してい
ませんでした。『お尻は不浄なものでたとえ
子供の折檻のためでも使うべきでない』と
考えられていたのです。
 ですから、今では盛んに行われる(勿論、
小説の中だけですが…)お浣腸もお仕置きと
してはまず行われませんでした。ただ、お
仕置きとしては行われませんが、医療行為
としては今より盛んで、お医者さんの前で
母親が『この子お腹が痛いみたいで…熱も
あるみたいなんです』なんて言おうものな
ら、子供にはまずお浣腸でした。しかも、
このお浣腸、病院だけでなく家庭でも盛ん
に行われていましたから、親の方も慣れた
もので、子どもに排泄を我慢させる間も、
しっかりと抱き上げて、ねちねちと遠い昔
の失敗や悪戯なんかを言い立てます。母親
にしてみたらここぞとばかりのお仕置きなんで
す。ですからこの瞬間は小説と同じ。私もこんな
女の心根の卑しさに何度か泣かされました。
 でも不思議な事もありましたよ。母があまりに
引き伸ばしすぎて、本当にお漏らししてしまった
事があったんですが、その時の母は嬉々として私
の汚物を処理していました。その間、私は本物の
赤ちゃんと同じように寝ているだけ。
 『あれだけ不浄視しておいて、なぜ?』……『ひ
ょっとしたらわざと?』……複雑な思いが頭の中
を駆け巡ります。真相はいまだに闇の中ですが、
母にしたら久しぶりの赤ちゃん仕事。それはそれ
で、楽しかった(?)んじゃないでしょうか。
 私はこれが『その人を愛している』ということだと思うんですよ。

*)
<左上>
四条綾さんの絵。セーラー服姿の女学生が割烹着姿の母親(?)から
ピストン式のガラス製浣腸器でお仕置きされるところ
<右下>
越野眞砂さんの絵。オムツをされたお下げ髪の女の子が便意を
立ったまま我慢しているところ

10月27日付

<10月27日>

 昨日はお浣腸でしたが、
そもそもこの『お仕置き』
という言葉自体、私の育っ
た草深い田舎では一般的で
はありませんでした。
 『折檻』という言葉の方
はありましたが、これは今
の虐待と同じような意味で
子供のお仕置きの際に使う
言葉ではありませんでした。
 では、親や教師が子供叱る時にそれを総称して何と言っていたの
か?
 実は、そんな事はあまりに当たり前すぎてそれを的確に表す言葉が
なかったんです。(本当ですよ)ヾ(゜0゜*)ノ?ヾ(゜0゜*)ノ?
『納屋に閉じ込められた』『パンツ一丁で家から締め出された』『庭の
柿の木に縛られた』等々、個別具体的に話すだけで総称はなかった
から単に『叱られた』と言っていました。
 だいたい『お仕置き』って本来は時代劇でいうところの死刑でしょう。
子供を叱るのに『おいたばかりしていると、死刑にしますよ』って……
そりゃあ、ありえませんよ。(^^ゞ
 それが、言葉として普及し始めたのは
実はテレビの影響なんです。洋の東西を
問わず、ホームドラマで子供が叱られる
時に「そんなことしてるとお仕置きよ」
といった言葉が飛び出してきて、田舎者
も…『へえ~大人が子供を叱るのはお仕
置きって言うんだ』って認識。その世代
が親になることで、この草深い田舎でも
『お仕置き』なる言葉が一般化するよう
になったんです。
 ですから、この言葉、『折檻』『虐待』
といったもののように深刻な意味を持ち
ませんし、何よりハイカラなイメージなんです。

*)
<左上>
http://www.xerotics.com/hosted/flixx_2007/31/images/06.jpg
<右下>
http://www.spankingmoney.com/hostedgalleries/rsi/set11/realspankingsinstitute_tgp_set11_16.JPG


10月28日付

<10月28日>

 私の母は父親が頼りなか
ったせいか私に過大な期待
をかけていて、息子の私は
それが不満だったりするの
ですが、子供時代、二人の
関係がぎくしゃくすること
はあまりありませんでした。
 というか、赤ちゃん時代
から母が私のすべてを支配していて、その愛のプールから私が抜け出
ることはなかったのです。
 朝起きるとまず母の大きな胸が目の前にあって、母が起きたいと思う
時間迄はあんよやお手々、頭や背中、お尻なんかを丁寧に愛撫され
ながら時間を潰します。寝床から起きた後の着替えも洗顔も歯磨きも
朝食も、勿論学校へ持っていく物をチェックするのも、全て母の仕事。
およそ私の仕事で母が手を出さないことは何一つありませんでした。
 それだけじゃありませんよ。学校から帰れば、宿題や勉強の面倒を
全部みますし、家庭教師が来ても同じ部屋で編み物なんかしながら
過ごすんです。お風呂では一緒に入って身体を洗いますし、テレビを
見る時もネンネも当然一緒でした。
 これって、幼児の頃だけじゃないんです。小学校を卒業するまでは
ずっとこんな状態なんですよ。都会の子は笑うかもしれませんがね、
当時の田舎では、母親がこんなサービス(?)をすること自体、そんな
に珍しいことではありませんでした。男の子で、長男で、ちょっぴり
リッチな家庭環境の子だったら、他の家の子もだいたいこんなもの
だったんです。
 そんな親子でしたから、
母は私の心の奥底まで知り
尽くしていました。ほんの
ちょっとした不安や怯え、
怒り…好きになった女の子
なんて私がそう感じ取る前
に母の方が察知してしまう
くらいで…(本当ですよ)。
だからこの人からお仕置きされても心が傷ついたなんて思わない
んです。

*)
<左上>
http://img.bdsmbook.com/galers/sound_punishment/019/pic_1.jpg
<右下>
http://www.redstripefilms.com/affilgalleries/2011/gal50/images/Image30.jpg

10月29日付

<10月29日>

 私はすでにお爺さんですが戦後
の生まれです。男女平等が謳われ
ている憲法下で育ちました。
 でも、当時人々の意識がそれを
喧伝していたかというと、それは
今とは大きく違っていました。
 特に女の子の場合は、『人生最大
の関心事はどこへお嫁に行くか』
であって、就職と言ってもそれは
相手を見つけるまでの腰掛。
 『女の子がなまじ学問をすると、
相手を選好みして婚期が遅れる』
と心配する親御さんも珍しくあり
ませんでした。
 ですから、女の子が学業でどんなに優秀な成績を収めても親は
あまり関心がなかったのです。いえ、家庭だけじゃありません。そう
した事には本来開明的な学校でさえ、先生たちの考え方はそうした
親御さんたちとそんなに大差がありませんでした。田舎の学校では
学級委員にも正副というのがあって、女の子は大抵が副学級委員
ということになっていました。
(もちろん、これお上がそうしろって言ったん
じゃないですよ。自主的にそうしてたんです)
 こう言うと『女の子は不幸だ、虐げら
れている』と思うかもしれませんが必ず
しもそうではありません。確かに学問で
身を立てる人は稀ですが、お嫁に行った
先で子供を産み、その子を味方につけて、
やがてはそこの家業そのものも乗っ取っ
てしまうなんてケースは珍しくないのです。
 私の青春時代はそんな生き方が女には
ふさわしいとする母親世代と高学歴志向
の娘と対立、あげく折檻から家出なんて
ことがよくあったんです。

*)
<左上>
http://img.deepme.com/spsl//galleries/0/155/13_325.jpg
<右下>
http://dlsrv02.rge-films.com/Shadow/LP-054/008.jpg


10月30日付

<10月30日>

 左の絵はノーマンロックウェル
という有名な米国の挿絵画家さん
の一枚。家出してきた少年を警官
がやんわり説得しているところを
描いたものです。
 この人の絵は古き良き時代のア
メリカ。それも庶民の暮らしぶり
を活写していて好感が持てます。
昔、西岸良平さんが昭和三十年代
の生活を描いて、映画にもなった
『三丁目の夕日』というのがあり
ましたが、そのアメリカ版みたい
な絵です。日米共にそうですが、あの頃は人の心が暖かだったような
気がします。私も人並みに家出経験者ですが行けたのは町外れまで
でした。
 そこまで来ると、見ず知らずのおばさんに呼び止められたのです。
 「タアちゃん、お母さんが心配してるから帰りな」
 って……『この人、誰?』だったんですが、坊やではなく名前を呼ば
れたんで帰りました。(^◇^;)
 『僕って有名人?』
 いえいえ、私だけじゃありません。街中
の多くの大人が多くの子どもたちの名前と
顔を知っていました。ですから、都会と違
って悪い事をしてもすぐにバレるんです。
大人もそうです。当時の子どもは大人の
玩具。理不尽なものも含めて今よりはるか
に多くの場面で子供はお仕置きされていま
した。でも、それが目に余るようだと周囲
から有形無形の圧力がかかります。その為
あまり悲惨なことにはなりませんでした。
 それと、今の人が「ムっムっ」とすることを最後に一言。当時だって
街に怪しげな人たちは沢山いたんですよ。いたにはいたんですが、
彼らはあえて罪を犯さなくても街を散策するだけで、そのご相伴に
ありつけたものですから、事が大事になるケースが少なかったん
じゃないでしょうか。

*)
<左上>
http://www2.plala.or.jp/Donna/paint-folda/rockwell/runaway.jpg
<右下>
http://blog.goo.ne.jp/miurat_tdi/e/10818ba64b198b22f93a87279c044bc0
(同じ絵ということで掲載しましたが、ロックウェルさんの絵は
ネット上比較的どこにでもあるので自身どこで拾ったか忘れ
てしまいました)

おことわり

<この『日記』についてのおことわり>
実は、この日記はごく親しい人にだけ見せることを念頭に、昔、
創ったもので、一ページにつき原則二枚のイラストや写真が貼り
付けてありました。本来はそれらと一体でないと意味をなさない
のですが、機械音痴の私は説明書を読んでもどうやって絵や写真を
載せたらいいのかわかりません。
それにほとんどが私の著作物ではないのでWEBのような場所では
公開できないみたいです。 あしからずご了承ください。
 『だったら、出さなきゃいいじゃないか!』
 と言われそうですが、小説だけ貼り付けたんじゃあまりに味気ない
ので、あくまでアクセントづけなんです。
 ということで、これから先も凝ったものにはなりそうにありません。(^^ゞ
 重ねてご承知おきくださいませ。m(__)m
 

10月31日付

<10月31日>

 お仕置き小説というのは、
作者が『これがお仕置きです』
と宣言すれば、息子50才、
母80才だってそれはそれで
成立するんだけど……やはり
お仕置きというのは子どもが
受けるものだと思いますから
ね。適齢期があります。
 私の場合は小四から中一。
これより幼い子では痛々しくて
不快だし、これ以後だとエロチックなものが入ってきて何だか好色
小説みたいになっちゃうでしょう。(^_^;)それはそれで別物なんです
よ。
 『えっ?お仕置き小説って好色小説じゃないのか?』って(^^ゞ
 ええ、そこが微妙なんです。(-。-;)……たしかに、エロチックな
ものを感じてこれを書いているのは確かなんですけど…だったら、
コレおかずになるのかって言われると……恥ずかしながら私の
表現力ではそれも無理なんです。(`Д´≡`Д´)??
 『じゃあ、役に立たないじゃん』
 って言われると……それも違うんです。
つまり文章を読んだだけで一気にリビドー
が高まるわけではないんですがそこに火を
点けた時に盛大に燃え上がるための薪には
なるんですよ。\(^^\)三(/ ^^)
 私も昔は好色小説を読んでました。勿論、
SMも……でも、それらは私の琴線を震わ
せないんですよ。(+_+)
 『僕が求めている楽園はここにはない。
……どこかに理想の花園はないだろうか。
……ええい、ないならないで自分で創って
しまえ』と思って始めたのがこれなんです。
 だから時代劇映画でいうと、背景、役者の衣装、音楽など
役者の殺陣以外は全てこれ(お仕置き小説)がまかなっている
というわけなんです。_〆(・・ )♪

 *)
<左上>
http://thehandprints.com/lwclr050.jpg
<右下>
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=21536607

< 序 >

< 序 > ~続・亀山からの手紙~ 

 その楽園(ヘブン)が私にもたらしてくれたものは、知識でも
お金でもましてや名声や権力などではありませんでした。
 一言で言ってしまえば『心の平安』たったそれだけのこと。
 でも、それが何より大事なんだと、私もお父様の歳に近づいて
思います。
 たしかに、お父様に幼い子に対する性的な快楽を求める気持が
まったくなかったと言ったら嘘になりましょう。しかし、それは
極めて希薄な、とるに足らないほどのリビドーであって、現に、
私たちは多くの場面でお父様の前で裸になり、幾晩も裸でベッド
をともにしましたが、そこで耐え難い苦痛を受けたなどと言う事
は一度もありません。
 お父様、お義母様の手はお年寄りですからその手もしわがれて
いて、ガサガサと幼い肌を手荒く刺激します。すべすべのママの
手に比べれば心持ちがよいはずありません。
 しかし、その豊富な知識と経験に基づくホラ話を聞きながら、
その手に触れられていると不思議と勇気が湧いてきます。ここに
いれば大丈夫なんだという気持になります。
 それは言葉にできないまか不思議なパワーでした。
 そのパワーが体の隅々まで行き渡るように、ママはお父様への
絶対服従を仕付けたのです。私たちはお父様のお人形であり空の
器なのです。お父様たちは若いエキスを求めてここへ来られたの
でしょうが、私たちもまた功なり名を遂げた方の不思議なオーラ
を全身に浴び、心を癒されて成長していったのでした。
 絶対服従というと屈辱的な人間関係のように思う人がいるかも
しれませんが、そもそも赤ん坊は母親の絶対服従の中で暮らして
いますが何の不幸もないでしょう。
 それは母親がその子を愛しているからです。
 幼い子も同じで、知識も経験もとるに足らない幼子がいきなり
名船長になるはずがありません。最初は親の愛の船に乗り込んで
色んな知識や経験を無条件で受け入れて航海術を身につけるべき
でしょう。
 13歳まで赤ちゃんというと、多くの人が無理のある考えだと
思うようですが、私は、おかげで孤児にもかかわらず亀山という
ふる里と天野茂という偉大な先達から生きるノウハウを得ること
ができました。
 亀山では赤ちゃんである13歳まではお父様に限らず、どんな
大人たちにも絶対服従です。そして基礎的なことに絞って教育を
受けるのです。
 漢字の読み書きと簡単な計算。綺麗な字が書けて……古典詩を
諳んじて……あとは楽器が弾けて、ちゃんとしたご挨拶ができれ
ばそれでいいのです。少ない教材を繰り返し繰り返しやるので、
子供たちに人気はありませんが、それでも間違っても偏差値を上
げるための教育というのはしません。
 ですが、それで不足はありませんでした。知識は、14歳から
でも十分間に合いますが、生き方というものは幼い頃身につけた
ものを生涯ずっと背負い続けることになりますから。『三つ子の
魂百でも…』というわけです。
 亀山から多くの成功者が出ているのは、血は繋がっていなくて
も一度成功した人の身につけたものを受け継ぐことができたから
だと思うのです。

第 1 話 ①

< 第 1 話 > ①
 私は紀尾井倶楽部へ久しぶりに入った。ゴシック様式のご大層な造り、
亀山を出て成功した人たちのサロンだ。私も亀山出身ということで会員
にはしてもらっているが出世はできなかったので肩身が狭くて頻繁に出
入りしているという訳ではなかった。
 今回も半年ぶりに男女の裸身を象ったギリシャ彫刻の下をくぐる。
 広い円形の玄関ホールにはすでに受付が用意されていた。
 近づくと、
 「こんにちわ、ご出席ありがとうございます」
 まだ中学生とおぼしき女の子が二人立ち上がってお辞儀をしてくれる。
おそらくアルバイトでかり出されたのだろう。亀山はこんな催しに子供
達を貸し出してはしっかりアルバイト料をせしめるのだ。
 ま、私だって亀山にいた頃はそうやって稼がしてもらったのだから、
これには文句は言えない。
 「これっ」
 私はまず10万円の入った小切手入りの封筒を手渡した。これは今回
修道院を改築するための寄付。今日はそれが目的のパーティなのだ。こ
んなのが年に2回くらいあってこっちはそのたびに寄付金を迫られる。
 ちなみに10万円は一口だから最低水準。出せる人はその十倍も百倍
も包むのだが私はこれしかできない。弁護士といえば聞こえは良いが、
少額の債権取立てなどでやって細々と生計をやりくりしている身だから
10万円が出せる限界だったのである。
 二人の少女から恭しく赤い薔薇を胸に飾ってもらって宴会場に入ると
そこは立食パーティだった。
 いずれも和気藹々。さながら年始の賀詞交換会といった趣だ。いや、
女性が多いのでその分いっそう華やかではある。そしてここには亀山の
OBOGだけでなく現役のお父様や先生方の顔もあった。亀山を離れて
長いので中に知らない人もいるが多くが見知った顔ばかりだ。
 「おう、健太、元気じゃったか」
 中で顔も手もしわくちゃの婆さまが襲いかからんばかりんやって来て
私の両肩につかまる。
 「お前、良子ちゃんにちゃんとご飯を食べさせてもろうとるか」
 こうきかれてこちらは苦笑するしかなかった。
 「大丈夫ですよ。おばば様、今ではちゃん自分で稼いでますから…」
 おばば様は俺が司法試験で苦労している頃までを覚えていてその時分
同棲していた同じ亀山出の今の奥さんから散々いびられていたのを心配
して今でもこう言うのである。
 「いいわねえ、あなたは…今でもおばば様から心配してもらって…」
 「まったく、あなたは甘え上手を見習いたいわ。私なんかおばば様か
ら一学期に三度もお灸すえられたんだから……」
 「いいじゃないの、それくらい。私なんかお父様の前で大股開きさせ
られて…それで……」
 さすがにその先は口に出したくない様子だったが顔は笑っていた。
 広い宴会場のあちらこちらで女性特有の嬌声が上がっている。私はそ
んな雰囲気が嫌いではなかった。脳のどこかで昔に戻ったような錯覚が
起きているのを楽しむのである。
 おばば様は今は引退しているが、私たちが亀山にいた頃は主にお灸の
お仕置きを担当していてどの子にも恐れられていた。やたらお仕置きの
多い亀山だが、中でもお灸のお仕置きはどの子にとってもその思い出が
強烈だったのである。
 といって昔の子供たちが今もこの老婆を嫌っているとか敬遠している
とかはない。お尻やお臍の下、陰部に至るまで下半身を中心にあわせて
20個以上も灸痕が残っている身だが、それがない亀山出というのもい
ないわけで、灸痕は自分が亀山の出身者であるという証のようなものだ
ったのである。
 おばば様は確かに怖い存在だったが、ママがヒステリー気味にお仕置
きしようとしてる時には助けてくれたこともあった。
 そして、何より私たちが彼女を否定できなかったのは、自分たちの実
の母親が自分たちを亀山に預ける時、このおばば様によって自分たちが
すえられたのと同じ位置にお灸をすえているという事実だった。
 これは亀山の規則で、実母が18歳で子供に会いに来た時本人である
事を証明するために取られた処置なのだが、お灸を全身にすえられた母
親はおばば様に赤ん坊を預けて、そのままおばば様の家を立ち去る。
 つまり彼女はこの亀山で実の母親の顔を見知っている唯一の人だった
のである。
 そんなこんなで人それぞれに複雑な思いが渦巻く老婆だが、亀山時代
も今も彼女を悪く言う人は誰もいなかった。
 この催しには亀山から楽団が来ている。ピアノやヴァイオリン、クラ
リネットやフルート、ハーブの奏者もいる。いずれも亀山の中では芸達
者な子供たちだ。
 彼らは私たちのこうした催しには必ずやって来て3、4曲演奏しては
けっこう高額なギャラを持って帰る。それだけではない。お父様たちは
自分の配下にある組織で何か催しものがあるとやはり同じように楽団を
送りこんでは分不相応な報酬を払わせるのだ。
 しかし、それとてもとはといえばお父様側から会社の経費として支出
されたものなので、いわばマッチポンプなのだが、お父様としては直接
お小遣いとして渡すより余計な経費がかかっても子供たちが自分で稼い
だお金という形にしてやりたかったのである。
 「ねえ、健ちゃんは大学を卒業する時、いくらあったの?」
 女の子にこう問いかけられて私は一瞬ためらったが…
 「450万」
 今さら隠してもしょうがないと思った。
 「えっ」
 「すごい!」
 「じゃあ18歳で最初に貯金通帳をもらった時はいくらあったのよ」
 「1000万くらい」
 「う、うそ。そんなにどこで稼いだのよ」
 周囲にちょっとしたさざ波がたった。
 実は、私は演奏そのものはへたくそだったから章くんのようにプロと
して演奏会を開きその収入が加算されたものではなかったが、幼い頃か
らピアノをめちゃくちゃに弾いてはそれを作曲と称して音符にしていた。
それが高津先生の手を経てレコードになり、お父様の圧力で学校や子供
関係の公共施設に流れて行いって、その印税という形で貯金通帳にたま
っていたのである。

第 1 話 ②

< 第 1 話 > ②
 「いいなあ、私なんか最初から180万しかなかったのよ。だから、
自分で結婚資金も稼いだの。章君もそうだけど男の子は恵まれすぎよ」
 清美が笑う。しかし、そんなはずはない。お父様が結婚相手と結婚式
の費用を清美にだけ出さないなんてことはあり得ないからだ。
 むしろ私はなまじお金があるばっかりに司法試験に身が入らず10年
も無駄な時間を費やしてしまった。恥ずかしい話だが、私がやっとの事
で合格できたのは、そうした資金が底をつき、章くんがアメリカへ渡っ
て彼とセッションする舞台のアルバイト料も入らなくなってからだった。
 要するに私という男はお尻に火がつかなければ何もできない怠け者な
のである。
 舞台では亀山の最近の様子がビデオ上映され……バザーが開かれ……
ビンゴ大会になり……と、ここまでは普通なのだが、その賞品というの
がここでは世間の常識とは違っていたのである。
 「湯川水紀と言います。合沢おじまさま、よろしくお願いします」
 僕の前に思いがけず手にした豪華な商品がやってきた。それは今まで
清らかな音色のフルートでお客様を楽しませていた少女だ。
 『なかなかの美少女じょじゃないか』
 思わずスケベ心が顔を出す。
 「いくつ?」
 「11歳です」
 私は歳だけ聞いて彼女の肩を抱く。そして、他の人たちと同じように
地下への階段を下りていった。
 「おじさんでもいいけど、お兄様じゃだめかい」
 「えっ!」
 はにかむ顔がまだ初々しい。
 「いえ、お兄いちゃま、お願いします」
 このビルの地下には『ここは温泉旅館か』と見まがうばかりの大浴場
があるのだ。このビル自慢の施設。その脱衣場で私はおもむろに彼女の
服を脱がせ始めた。いや、私だけではない。周囲みな手にした賞品の服
を脱がせ始めている。
 ま、普通に育った子にいきなり見ず知らずの大人がそんなことをすれ
ば嫌がるか暴れ出すところだろうが、そこは私たちの世界で育った天使
たち。抵抗する子など誰もいない。
 水紀ちゃんも私がすっぽんぽんにしても笑顔こそみせるものの困った
様子など何一つ見せなかった。
 思えば遠い昔、私もどこかの温泉宿で見知らぬ人に裸にされて一緒に
温泉に浸かったことがあったが、その日も恐らく今日と同じ趣旨だった
のだろう。私も今の水紀ちゃん同様、何一つ特別な感情がなかった。理
由は簡単で、亀山で暮らしていれば大人達が自分たちをこうしてお風呂
に入れてくれるのがごく自然な形なのだ。
 亀山の子供たちは大人がやるどんなことにもことにも逆らってはなら
ないし、どんな時も心を空っぽにして大人たちの愛を受け入れなければ
ならない。
 これは物心ついた時から繰り返しママたちから教え込まれる絶対的な
約束事で、13歳まではどんな無理難題を命じられても異を唱えること
なんてできない身の上だったのである。
 もちろん、だからといって大人が好き勝手やっているわけではない。
事情は逆で周囲を固める大人たちは常に子供の幸せを第一に考えて気を
つかっている。10歳を越える子にも赤ちゃんと同じ気遣いをしている
からこそこんな強いことが言えるのだ。
 赤ちゃんと同じ無垢な心のままで育てるとなると、どうやらこうした
方法しかなかったようである。亀山で大人たちとまともにものが言える
ようになるのは14歳からだった。
 無論、私たちの方も我が産土を汚すつもりは毛頭なく、単純にこの子
と一緒にお風呂に入れればそれで良かった。
 私たちはかつてお父様お母様に愛されたように自分たちも我が子を愛
したいとは思っている。しかし巷でそれを実現することは不可能に近い。
もう四年生にもなった娘をお風呂に誘っても変態扱いされるのがオチだ。
だから卑猥な感情をもってこの子をどうこうしようというのではない。
 亀山でやっていたように柔らかで華奢な体を抱いて、撫でて、身体を
洗い、自慢話をしてやる。その子もまた、自分に対して優しく嫌がらず
に接してくれればそれで天国だった。お父様が、毎夜毎夜堪能していた
美しい夢をこのお風呂場でつかの間得られる満足。それがこの時の賞品
だったのである。
 「水紀ちゃんはママやお父様お母様以外の人にこうしてお風呂に入れ
てもらったことがあるの?」
 私は大きな湯船の中で少女をゆったりと抱き上げてたずねてみる。
 「賄いのおばちゃんに一枝さんって方がいらっしゃるんですが、その
方からはよく身体を洗っていただきます」
 よそ行きの言葉は私を意識してのことだろう。
 「そう、それでは僕のような見ず知らずの人間とは初めてなんだ」
 「はい」
 「じゃあ怖いだろう。見知らぬおじさんの前で裸になっちゃうのは」
 「………」ふっと一瞬、間があって本心が顔に出る。しかし、そこは
女の子、すぐに気を取り直すと……
 「大丈夫です。ママが一緒にお風呂に入ればあなたにとって必ず良い
ことがありますからって……おじさま…いえ、えっと~おにいちゃまは
亀山を出て成功なさったんでしょう。そうした方は、あなたにとって、
とても心強いお味方になってくださるからって……」
 私は思わず苦笑してしまう。もともと亀山の子は大人たちから可愛が
られるように教育されるから、ある面でとても物分かりがいい。しかし、
こうまで言われると、その歳で自分はどう受け答えただろうかと考えて
しまった。
 「わたし、何かいけない事言いましたか?」
 水紀が心配してたずねるので私は彼女の頭を撫でる。
 「そうじゃないんだ。君の答があまりに大人びてたからびっくりした
だけ」
 私はそう言って水紀の頬に自分の頬をすり寄せる。
 「ただ、残念だけど、僕は君の力になって上げられるほど優秀な人間じゃないんだ」
 「でも、弁護士さんなんでしょう」
 「それはそうだが、弁護士もピンキリでね、私はキリの方なんだ」
 「そうなんですか」
 「ごめんね」
 「いいえ、そんなこと……だって、どんな先輩も私よりは優れていら
っしゃいますから……」
 「ありがとう。そんなこと言ってくれたのは君だけだよ」
 私は自分の抱いた子に、実はヨイショされているのに気づいて、内心
笑いが止まらなかった。
 『なるほど、こんなにも気持ちのいいものだったんだ。だからこそ、
お父様たちは私たちを育てていたのか』
 私は今の今になって、お父様たちが大金を投じて何を得ていたのかを
感じることができたのである。そして…
 『私もその時代幾度となくお風呂でお父様に抱かれたが、あまりにも
何気なく過ごしてしまって、はたして天野のお父様を喜ばすことができ
ていたんだろうか』
 と心配にもなったのだった。
 「亀山は楽しいかい?」
 「えっ、……あっ、はい。楽しいです」
 私のささやきに、また、間があいた。でも、その正直さが心地よいの
だ。
 「辛いこともあるだろう。何でこんなにお仕置きばっかりされるんだ
ろうって思ってるんじゃないの?……僕は思ってたよ。」
 「…………」水紀は私の腕の中に抱かれたまま下を向いて答えない。
 「もう、君の歳になって中庭で裸にされたら、そりゃあ恥ずかしいく
てね。亀山以外の孤児院に行きたいと思ったことが何度もあったよ」
 「…………でも、それはわたしがいけないことしたから……」
 小さな小さな声、抱いているこの近さでも聞きそびれてしまうほどの
ささやきが聞こえた。
 「……そうか、それなら、ひょっとしてお灸のことかな?」
 最後の言葉で水紀の顔が思わず上を向く。恐らくその瞬間彼女のツボ
にヒットしたんだろう。見れば水紀のお臍の下にある灸痕はまだ新しか
った。
 「熱かったかい?」
 「…………」
 「熱いというより痛かっただろう。錐でもまれるようなもの凄い痛み
だからね、あれは……」
 「わたし、お灸だけはすえられないようにしようと思ってたんです。
……だって、痕がつくでしょう。だからイヤだなって思って……なのに
……わたし、お転婆だから」
 「いいじゃないか、女の子はお転婆なくらいでちょうどいいんだよ。
元気な証拠だもん。それに、痕がついたことを気にするなって言っても、
しちゃうだろうけど、それは亀山で暮らす以上仕方がないことなんだ」
 「…………」
 「でも大丈夫。君はしらないだろうけど、ここを卒業して桜花(女の
子が行く全寮制の高校)に入るまでには全員のお尻に火傷の痕はついて
るから……実は、お灸をもらわずこの山を下りる子は誰もいないんだ。
それに、これは君が18歳になって本当のお母さんと出会う時に必要な
ものなんだ」
 「知ってます。でも、それは母にすえた場所の記録さえ残っていれば
いいんじゃないですか?」
 「確かにそれで、あるお母さんが赤ちゃんをここに預けたという証明
にはなるだろうけど、その子が君だという証明にはならないんだよ」
 「どうして?」
 「実はね、ここに預けに来たお母さんのことを知っているのは亀山の
中でもおばば様だけなんだ。だから、もしおばば様がなくなったら、二
人が親子だって証明はできなくなってしまうんだよ」
 「それは、今はDNAで…」
 私はそこまで言った水紀の言葉を遮る。
 「それに、お灸の痕があるからみんな同じ境遇、同じ出身として力を
合わせることもできる。もし、何もなかったらその事は隠して生きてい
こうとする人だって少なくないはずだ。OBOGが人生で成功した後も
こうして亀山を自分のことのように援助してくれるのはその痕が体から
消えないからでもあるんだよ。体の傷は残酷なことのように君には映る
かもしれないけど、そのおかげで亀山はずっとずっと孤児を受け入れ続
けられるんだ」
 「…………」
 水紀は黙っていた。もとよりこんな幼い子にそんな理屈が理解できる
はずもないから、この社会の現実を解いても無意味なのかもしれないが、
やがて彼女も社会に出てそれなりの地位を占めるようになれば分かって
くれんじゃないか、そう思って話したのだった。
 「おにいちゃまも…やっぱり、痕があるの?」
 「そりゃああるさ。見て見るかい?」
 こう言うと、水紀は思わず身体を硬くする。でも、好奇心の方が勝っ
たようで…小さく頷いて見せた。
 私は湯船から這い出ると洗い場で四つんばいになる。そのお尻の傷を
水紀もしゃがみ込んで恐る恐る眺めた。
 「お医者様に行って消したいとはおもわなかった?」
 「一度だけ、思ったよ。でも、考え直したんだ。これを消してしまっ
たら、僕の青春も昔からのお友だちも消えてしまうような気がしてね…
…それで、やめてしまったんだ」
 「ふうん」
 水紀の小さく可愛い指先が私の灸痕を撫でているのがわかる。
 「あんまりよくわからないね」
 「もう、最後にすえられてから随分時間が経つからね。目立たなくな
っちゃったんだ。でも、角度を変えて見てごらん。皮膚がそこだけキラ
キラ光ってるのがわかるはずだから……」
 「あっ、ほんと、分かるよ。お灸の痕が光ってる。…ねえ、これって
恥ずかしくないの?」
 「あまり親しくない人と一緒にお風呂に入る時は、ちょっぴり恥ずか
しいかな。でも、これを見て笑うような人とはお風呂に入らないから…
…それに、今となってはこのお灸の痕が僕の誇りでもあるんだ」
 「変なの?……わたしなんか、こんな傷があったらお嫁に行けないん
じゃないかって心配なのに……」
 「そんなことないよ。お父様がきっといい人を見つけてくれるから」
 「他の人にもそう言われたわ。お父様がそんなここと気にしない立派
な人を紹介してくれるって、でも、わたし、お婿さんになる人は自分で
見つけたいの」
 「そうか、お父様は嫌いか」
 「そんなことないわ。緑川のお父様は立派な方だし、私は子供たちの
中でも一番可愛がられてるの。だって、いつも一番長く抱っこしてもら
えるんだから……でも、お婿さんは自分で見つけたいの。背が高くて、
ブラウンの巻き毛がふわふわっとしてて、蒼い瞳なの。もう決めてるの。
だけど、そんな時、こんな火傷の痕があったら嫌われるんじゃないかと
思って……」
 「大丈夫さ。水紀ちゃんが本当に好きなら、男はそんな事を気にした
りはしないから……」
 「ほんと?」
 「ああ、本当さ。逆に、そんな事をとやかく言うようなら君のことが
本当はそんなに好ではないってことなんだ。だいたい、君はいつお尻の
火傷をその人に見せるつもりなんだい?……お互いが仲良くなってから
じゃないかい?……だったら大丈夫だよ」
 「……」
 水紀は答えなかったが、代わりに私の背中に顔をすり寄せたのである。

第 1 話 ③

< 第 1 話 > ③
 「ほら、お馬さんにのんのしてみるかい?」
 私が誘うと、彼女は喜んで私の背に跨る。もちろん二人とも全裸。
 それが羨ましく感じられたのだろう、ご一緒していた森山さんまでが

 「おっ、楽しそうだな、恵子ちゃんもおじさんの背中にのんのしてみ
るか」
 賞品の恵子ちゃんを背中に乗せて風呂場を歩きだした。二人は嬉しく
なって浴室を4周も四つんばいで回ってしまった。
 さっきまで見ず知らずだった男といきなり風呂に入れられ、お馬さん
ごっこだなんて巷でなら到底信じられない光景だろう。しかし、それが
亀山の子、亀山の躾だった。
 『知らない人に着いて行っちゃだめですよ』というのが巷の格言なら、
亀山は……
 『目上の人を見たら笑いましょう、万歳して抱いてもらいましょうね。
ご飯と同じ、好き嫌いはいけませんよ。どんな方も抱いていただけるな
らあなたにとってきっと、きっと、良いことがありますからね』
 と諭され続けて育ってきたのである。
 私は水紀の身体を洗ってやる。洗い場の腰掛けに腰を下ろさせると、
すっぽんぽんの身体を隅から隅までスポンジにボディーソープをつけて
丹念に洗うのだ。
 もちろん、彼女が嫌がるなんてことは一度もなかった。
 実は、亀山では13歳までの子が自分で自分の体を洗うことはなく、
大人たちが洗ってくれるのをただ待っていなければならなのだ。だから
彼女にとって私は初対面の大人なのだがお風呂の入り方としては亀山で
の習慣と何ら変わりなかったのである。
 私たちは再び湯船に浸かった。そして、さっきと同じように膝の上に
水紀を乗せるとタオルで愛おしく顔から胸、背中、お尻、あんよ、そし
てお臍の下の大事な処に至るまで丹念に撫で洗ったのである。
 「気持ちいいか?」
 と言うと…
 「はい」
 という屈託のない笑顔を返す。これなんか普通に娘を育てていればあ
り得ないこと。亀山の躾の賜なのである。
 そんな蜜月を楽しんでいる処へ先ほどの森山さんから声がかかる。
 「どうですか、ミルク、あげてみませんか?」
 「こりゃあどうも…じゃあ、遠慮なく」
 思わぬほ乳瓶の差し入れ。よもや賞品をゲットできると思っていなか
ったからそこまで用意していなかったが、彼は用意周到な人なのだろう。
ありがたかった。
 「水紀ちゃん、ミルク飲むかい?」
 私はほ乳瓶のミルクを水紀に勧める。言葉の形は勧めるなのだが亀山
の子がそれを拒否することなどあり得なかったから命令というのが実際
のところだった。
 「はい、おにいちゃま」
 もちろん水紀は快く応じる。私だって同じ場所を通ってきた人間だか
らその事情はよく知っているが、亀山の子は『13歳までは赤ちゃん』
なのだから大人にほ乳瓶を差し出されたら笑顔で美味しそうに飲まなけ
ればいけなかった。
 ふてくされた態度で飲めばそれだけでもお仕置きだったのである。
 「ああ、良い子だ。良い子だ」
 懸命に大きな特注ほ乳瓶を頬張る水紀を見て、私は思わず『このまま
家に連れて帰りたい』という衝動にかられた。正直、私自身がお父様や
お母様からこれをやられていた頃は『なんでこんな事が面白いんだろう』
と思っていたから、今は水紀だってそう思っているのだろうが、水紀を
湯船の中で抱いてみて『なるほど』とお父様たちの気持ちが理解できの
である。
 「よし、あがろう」
 私はそう声をかけて立ち上がる。最初はそんなつもりがなかったが、
ほ乳瓶を口にする彼女のあまりの可愛さに見とれ彼女からほ乳瓶を取り
上げる気にならず、抱いたそのままの姿で湯船を出ると、身体も吹かず、
前も隠さずで赤ちゃん水紀を脱衣場へと運んだのだった。
 ところが、脱衣場の扉を開けたとたん、レディーたちの甲高い声が聞
こえて慌ててしまったのだろう。手近にあったベビーベッドに赤ん坊を
寝かしつけると、自分は手早くパンツだけを穿いて水紀の身体を大判の
バスタオルでくるんでやった。
 「……」
 そんな私の慌てぶりが面白かったのだろう水紀はピンク色の頬を見せ
て笑う。
 たしかに赤ん坊というには大きな身体だったが、この上もなく愛らし
く食べてしまいたいほど可愛い姿に変わりはなかった。
 「ほう、水紀ちゃんもお風呂あがりか。可愛いなあ」
 森山さんが寄ってきて水紀の頬を人差し指の腹でぷよぷよっと押す。
とたんに、水紀の顔が緩む。それは親愛の情でというより女の子として
の営業笑いなんだろうが、たとえ、そうでも男二人は嬉しいかった。
 「可愛いな、さすがは女の子、愛嬌がある。同じ歳の男の子をここに
寝かせてみてもこうはならんよ」
 森山さんはご満悦の様子で水紀の顔をあちこち指先でこづき回す。
 私もそんなお人形遊びは嫌いではない。
 二人でお互いの賞品を見比べあい、悪戯しあっていると、先生がやっ
てきた。
 「そろそろこの子たちに服を着せていただけますか?」
 二人は恐縮してさっそく作業にとりかかったが……
 「?」
 脱がした時には穿いていたこの年頃の子が穿くような綿のショーツが
見あたらないのである。
 「いえね、パンツが見あたらないと思いまして……」
 こう言うと先生は思わず失笑したようで……
 「ごめんなさい。わたしとしたことが……いえ、お話しまだでしたね。
実はこの子たち二人ともこれから学校に帰ってお仕置きがありますの」
 「えっ、そりゃまた……そんな、おいたをするようにには見えなかっ
たけど……いったい何をしたんです?」
 「二人して日曜日のミサをさぼったんです」
 「ミサを……」
 私と先生の間に森山さんも加わる。彼も私と同じ悩みを抱えていたの
だ。だから二人とも上はブラウス下もスカートだけは穿いているのだが、
その中はすっぽんぽんだったのである。
 「ほう……」
 私と森山さんは思わず顔を合わせて笑ってしまった。
 「あのミサは大勢の子が一緒に司祭様のお話を聞くので礼拝堂に自分
一人いなくてもばれないだろうって思っちゃうんでしょうね」
 「出欠も取らないから……」
 「だけど、あれ香月先生が天井桟敷で出欠をチェックしてるんですよ。
……あ、今はどなたが……」
 「香月先生です」
 「やっぱり」
 「いえ、それだけならまだいいんですが、この子たちその事を注意さ
れると『体調が悪かったから保健室で休んでた』って嘘をついたんです」
 「あらあら、それはいけないわな。亀山は天使の楽園、嘘をつくよう
な子は置いてもらえないんだよ」
 森山先生は青ざめた二人の顔を交互に覗き込むと、ちょっと茶目っ気
のある笑顔で「めっ!」と言ってたしなめたのである。
 「でも、そんな子をよく出しましたね」
 「それとこれとは話が別ですから。…それに幼い子と違ってお仕置き
はこれからでもできますから……」
 「そうですか、……で、これから私たちは?」
 「よろしかったら、この子たちにオムツをはめてもらえないでしょう
か」
 「ええ、それは構いませんけど…いいんですか?私たちで」
 「はい、先生方は私たちの亀山の優秀な先輩ですから間違いはないと
信じております」
 若い先生に持ち上げられて私と森山さんは二人の可哀想な少女の為に
オムツを当ててやることになった。
 もちろん、少女達の大事な部分は全て丸見え。その時、二人の奥の宮
にはすでにお灸の痕があることを知って、そのことでもお互いに顔を見
合わせてしまった。
 「これ、新しいですね。すえられて間がないみたいだけど、やっぱり
この一件ですか?」
 「ええ、これが適当な時期と園長先生ともども判断致しましたしたの
で……」
 「この子たち五年生なんでしょう。実は僕も五年生の初夏でした」
 「そうですか、僕も秋口だったけど、やっぱり5年生だったんです。
5年生が多いみたいですね」
 「ええ、早い子は四年生、遅い子は六年生の子もいますけど、やはり
五年生というのが一番多いみたいです」
 「早い方がいいでしょう。成長してからじゃ余計熱いでしょうから」
 「ところが、そうでもないんです。大陰唇はいわば外皮ですから成長
しても、だから特別に熱いということはありません」
 「でも、熱いのは熱いんでしょう?」
 「そりゃあ、お灸ですから……ただ、その熱さがお尻なんかと比べて
も特別なものではないということなんです。……ただ、女の子にとって
それは自分の大事な処ですからね、その精神的なショックが大きくて、
それで、『あそこは特別に熱かった』なんていう子がいるんです」
 大人たちの雑談が続く間も二人の少女の両足を高く上げて待っていな
ければならなかった。当然、少女達は自分の両足の付け根を人前に晒し
たままにしておかなければならないわけで、すでに身体が変化し始めて
いる少女達にとってはとっても恥ずかしいことだったはずである。
 かといって目上の人への絶対服従が掟になっている亀山で育つ彼女達
は、「早くしてください!」なんて叫び声をあげることもできない。
 おまけに楽しそうな声に誘われて隣の婦人用の脱衣場からもレディ達
が顔をだすものだから、可哀想な二人はいよいよもって大勢の前で晒し
者になってしまったのである。
 「あら、何やら賑やかな声が聞こえたので立ち寄ったら、チビちゃん
たちのオムツ替えだったのね」
 「おやおやレディ、ここは男性の更衣室ですよ」
 「承知してますよ。でも、お二人ともお着替えになられたんでしょう」
 「私と森山さんはそうですが…」
 「だったら、よろしいじゃありませんか」
 「でも、まだチビちゃんたちが…」
 「なにぶん慣れないもんでオムツ替えに手間取ってしまって……」
 「この子たちはいいんですよ。赤ちゃんなんですから」
 恰幅のいいその中年女性は、森山さんから浴衣地のオムツを取り上げ
ると、手際よく女の子のお尻にはめていく。
 でも、ちょっぴり遊び心が起こったのか、浴衣地の布を当てる瞬間、
水紀の小さな小さなクリトリスを十分露わにしてから舌先でちょろりと
舐め上げた。
 「あっ、いや!」
 凍り付くように身を固くする水紀。しかし、大声は出さない。
 ま、巷の家庭でこんなことが行われているかどうかしらないが、亀山
でならこれは事件でもなんでもなかった。亀山の赤ちゃんたちは誰から
も愛されていたが、そこには純粋な慈愛だけでなく性にまつわる愛情も
含まれている。もちろん節度はちゃんと守られていたが、例えば風呂上
がり、大人たちは悪戯半分に子供たちの性器へキスするのが習慣で、愛
を込めて行われるフェラチオやクニングスはそもそもお仕置きでも虐待
でもなく、やはり愛の表現だったのである。
 実際、私自身もこの歳の頃までは毎日のようにお風呂上がりにはママ
のキスを全身に受けて喜んでいた。
 そう、単純にくすぐったくて気持ちよかったからだ。だから、世間の
評価はともかく彼女の行いを非難する気などまったくなかったのである。
 オムツをはめた二人に大人たちは亀山流の祝福をする。
 膝に抱き上げ、ほ乳瓶でミルクを飲ませるのだ。
 もちろんこの時、女の子たちは笑っていた。
 きっとお腹の中では…
 『ああ、うっとうしい。もういい加減やめてよ』
 と思っているのだろうが笑顔はしっかり作っていた。
 『どうして、こんなことさせて楽しいんだろう』
 抱かれていた頃はそう思っていたが自分が抱く立場に変わると確かに
子供の笑顔はそれが本心でなくとも自分に力を与えてくれる。ましてや
それが上品である程度の教養を備えていればなおのことだ。
 ママからよく言われたことがある。
 「あなたがお勉強するのも、ピアノを練習するのも、今はすべて育て
てくださるお父様のためなの。でも、一度身に付いたものはあなたの体
を離れないから、それはあなたが大人になった時には役立つはずよ」
 「あなたはこの街で暮らすどなたにも無条件で抱いてもらえる。それ
はあなたが女王様からいただいたプレゼント。でも同時に、大人の人に
抱いてもらったら必ず笑わなければならないわ。それはあなたの女王様
に対するお礼。決して忘れてはいけないことですよ」
 亀山での赤ちゃん生活はただ寝ていればいいというわけではないのだ。

第 2 話

< 第 2 話 >
 実に20年ぶりに私は亀山へ登った。この山は実の母親さえ受け入れ
を拒むほどガードが固い。すべては子供たちを純粋培養で育てる為だ。
だから、OBと言えど半年以上経てば性格テストや心理テストを受けな
ければならない。邪な心を持つ者が1名たりとも入り込まないためだ。
 おかげで許可が下りるまで3ヶ月もかかった。これがまったくのビギ
ナーなら確かな人の推薦状から始まって学歴、職歴、現在の資産や収入
などまで申告しなければならない。それを検証した上に、さらに各種の
テストを受けようやく許可が下りるのが1年後というケースは珍しくな
かった。
 ママが僕を中庭で最初に素っ裸にした時、嫌がる僕にむかって……
 「大丈夫よ。お山の上はどこもかしこもお風呂と同じなの。ここには
同じ立場の子供たちしかいないもの。それにここで働いている人たちは
あなたたち子供のためにだけに働いてるの。だから、病院のお医者様と
同じ。裸になってもちっとも恥ずかしくはないわ」
 幼い僕には……
 『そんなこと言ったって……』
 ってなもんだったが、確かにママは嘘はついていなかった。
 確かにここは公衆浴場であり病院の診察室なのだ。誰もが子供たちを
良くしようとして働いている。もちろん、人の内心をすべてつまびらか
にはできない。これだけお仕置きが多く裸にされる場面も多いのだから
関わった人たちがささやかなリビドーを感じることも多々あるだろうが、
歴史100年以上の亀山で、大人たちが子供たちに牙を剥いたなんて事
はただの一度もなかった。
 今回の私の目的は養老院の下見。実は亀山にはOBの要望から養老院
が設けられていた。お歳を召したシスターや先生、ママたちが身を寄せ
る施設は以前からあったが、OBの中にも高齢になって再び亀山に安住
の地をもとめたいと願う人が増えて、10年ほど前から開設しているの
だ。
 『亀山はいいなあ。水も空気も澄んで、緑は豊か、ご近所から流れて
くるピアノの音がBGMになって、まるで物語の世界に引き込まれてし
まったようだ。……ん!?これって僕の曲だ。…先生が「ハ長調にまだ
こんな綺麗な旋律が残っていたなんて」って褒めてくれた曲だよ(∩.∩)
……ちょっぴり恥ずかしい。……きゃ(/\)」
 『小さな子が弾いてる。僕よりうまいじゃないか。(^_^;)』
 『公園は……遊具は変わったけど、蒼い芝は昔のまま。今日は天気が
いいからおままごとのシートが多いな。あのマリア様は僕たちの時代と
同じものなんだろうな。あの脇に、たしかピロリーなんかあったけど…
…げっ!やっぱりある。しかも今でも現役なんだ。女の子がいるもんね。
(^0^;)……何やらかしたんだろう。付き添いの婆さんが、女の子の涙を拭
いてやってるけど、そんなことするくらいなら、早く枷から外してやれ
ばいいのに……どのみち大したおいたじゃないんだろう。この公園に来
る婆さんたちは多くが元教師、おまけに暇を持て余してるから編み物を
しながらいつも子供たちにおいたがないか見張ってるんだ』
 『おっ、枷を外すぞ。とにかくうちはやたら女の子に厳しいからな。
……案の定、嘆願書なんか渡して……あっ、走り出した。元気の良い子
だなあ。……でも、あれって結構恥ずかしいんだよね。おばさん達の前
に行って自分がどんな罪を犯したか告白しなくちゃならないから……』
 『ほれっ、まずは抱っこしてもらって、……乙女の祈りで罪を告白と
……嘆願書にサインをもらって……最後にもう一度抱っこしてキスして
もらえば、一丁あがり!っとね。……ちぇ、隣の婆さんも乙女の祈りを
させてるよ。今まで隣で聞いてたんだから、どんなおいた知ってるだろ
うに。さっさとサインしてやればいいのに……俺の時もあったな、こっ
ちはもういいって言ってるのに「おいで~~」って呼ぶおばさん』
 『……それにしても、この子、これで8人目か……いったい何人から
サインをもらうつもりなんだろう。俺も仲間に入れてもらおうかなあ。
結構元気そうな子だから見知らぬ俺でも飛び込んでくるじゃないか』
 『…………おっ!来た、来た……やっぱり来たよ!』
 「よしよし、良い子だ」
 まるで子犬のようだ。まだ幼稚園の年長さんといったところか。抱き
上げる重さも手頃、純真そのものの笑顔が可愛い。女の子はこうでなく
ちゃ……
 しかしながら、この子を専有できる時間は短い。
 すぐに…「おんり、おんり」…となる。
 そして手早く乙女の祈りのポーズを取ると…
 「今日、柵を越えてお池に入りました。ゴメンナサイ」
 と、そういうことか……
 これがもっと大きな子になると「これからお仕置きをいただきます。
これからは、きっと、きっとよい子になりますから、どうか、どうか、
私の罪をお許しくださいませ」なんて文言が続くんだが、幼い子は覚え
きれないから後半はカットだ。
 でも、大人の方き趣旨を承知しているから、罪さえ告白できていれば
子供が差し出す『免罪嘆願書』快く自分のサインしてあげることになる。
 実はこれ大人なら誰でもよいから、『免罪嘆願書』を渡された子供たち
は誰彼構わず抱きつくのが普通だった。
 ただ、あまり大きくなっちゃうと、恥ずかしさの方が先に立って……
 「いいです、お仕置きの方を受けますから」
 なんて言っちゃって、また先生に叱られちゃうんだよね。
 女の子ってのは他人(ひと)に働きかけて何かしてもらうことが大切
だから、『自分が我慢すればいいんでしょう』みたいな物言いはふてくさ
れた態度とみなされて大人たちからよく思われないんだ。
 「あなた、謙虚さがたりないわね」
 なんて言われたら、まずお浣腸だね。もの凄い赤っ恥をかかされる事
になるんだ。『免罪』なんてついてるけど、要するにこの嘆願書を持って
大人たちの間を回ることが大きな子にとってはお仕置きなんだ。
 そんな恥ずかしさの少ない幼い子はお仕置きを免除してくれるならと
頑張るんだけど……それにしても、あの子は異常だな。あんな幼い子が
そんなに重い罰を受けるはずがないもん。通常なら二人三人からもらえ
ばそれでお仕置きを言い渡した先生も許してくれるはずなのに……
 あっ、とうとうシスター先生が動いたな。
 ちょっと事情を聞いてみるか。
 「どうしたの。小百合ちゃん、そんなにいらないわよ。嘆願書を返し
てちょうだい」
 「いや」
 「どうして?」
 「だって、今度お仕置きされる時にとっとくんだから……」
 『なるほど、そういうことか』
 「たけめよ、それはできないの。嘆願書のサインはその時にもらわな
ければ意味がないのよ」
 「だって、香織おねえちゃまは一生懸命『百行清書』してるよ。今度
『提出しなさい』って言われたらこれを出すんだって……」
 『なるほど、それは俺もやったな。罰を受けた時に書いてたら、夜に
何もできなくなっちゃうからね、暇を見つけては書きだめしとくんだ。
……でも、ネタばらしされたおねえちゃまの方はとんだ困ったちゃんを
妹に持ったもんだな』
 と、そんなことを思ってその場を離れようとした時だった。年輩のシ
スターを補佐していた先生が女の子の持ってきた嘆願書を見て思わず顔
色を変えた。
 「健ちゃん、健ちゃんなの」
 嘆願書から顔を上げた中年の先生は笑顔で僕の名前を呼ぶ。
 「えっ!美里ちゃん」
 実に四十数年ぶりに友達と再会をはたした。彼女は五年前からここの
修道女になっていたのだ。
 「あなた、先生にでもなったの」
 「いや、養老院を見に来たんだ。随分立派な施設だそうだから…」
 「確かに設備は整ってるけど……でも、一旦入ったらなかなか外へは
出られないわよ」
 「それは承知してるよ。その時は当然決心して入るから……今はまだ
見学だけ。……君こそ、よくシスターになる決心がついたね」
 「夫と早くに死に別れて、女手一つで子供を育てあげたら、何だか、
ぽっかり心に穴があいちゃって……ここなんかもいいかなって…………
だって、外には出られなくても、この中では比較的何でも自由に振る舞
えるもの。格好はこの通りだけどシスターだからって特別ストイックな
処はないの。ここが小さな国家だと思えばこんな理想的な場所はないわ。
……私にとってはね……」
 「ここは相変わらずかい?」
 「暮らしぶり?……ええ、相変わらずよ。子供たちは女王様やお父様
たちの大きな愛の中でさかんに産声を上げているし、街を歩けば相変わ
らず裸ん坊さんのオンパレードよ」
 「お父様たちはほとんど入れ替わったんだろう」
 「そりゃそうよ。私たちがすでに天野のお父様のお歳に近づいてるん
だもん。……でも、代わられたお父様のどなたも、やっぱり立派な紳士
よ」
 「じゃあ、何一つかわってないんだ」
 「そうねえ、……女の子の体操着がブルマーじゃなくなった事と……
昔、8ミリで撮っていた記録映像がビデオテープからDVDになった事
ぐらいかな。……あっ、そうそう。忘れてた。大きな変化があったわ。
春と秋の学芸会と運動会に実母の参加が認められるようになったの」
 「そりゃ凄いや、じゃ18歳の前に名乗れるんだ」
 「いえ、それはできなくて、観客席で見てるだけなんだけど…熱心な
親はその後衣類やお菓子を山のように届けたりするわ。………受け取れ
ないれどね」
 「君の親は?18歳の時に会えたの?」
 「ええ、でも、また音信不通になっちゃった。健ちゃんところは……」
 「うちも、会うのはあったんだけど、とうとう一緒に暮らす気にはな
れなかったね」
 僕はこっちへ向かってきた子を両手を広げて抱き上げる。
 何度も言っているが、ここの子供たちは見ず知らずの大人の懐に何の
ためらいもなく飛び込むのだ。
 「お前はどこの子だ?お父様は?」
 「刈谷渡(かりやわたる)」
 「刈谷?……ああ、造船屋さんか……」
 「知らない。お父様はお船作ってたの?」
 「日本で一番大きな造船会社だったよ。お父様は優しいか」
 「分からない」
 「ママの名前は?」
 「綿貫先生」
 「やさしいか?」
 「優しい時もある」
 「何だ、それじゃあちょっぴりしか優しくないみたいじゃないか」
 「ん……だって、怖い時もあるから……でも、ねんねする時はいつも
優しいよ」
 「どうせその歳じゃ、まだママのおっぱい飲んでるんだろう?」
 「うん」
 少年は顔を赤らめたが肯定した。見たところ4年生くらいだろうか、
でも、この亀山でならそれは当たり前。生のおっぱいにありつけるのは
良くも悪しくも彼らが赤ちゃんとしての扱いを受けている証拠だった。
 「そりゃそうだ、一日の最後が辛かったら、次の日だって辛いもんな」
 「ふ~~ん、そうなんだ」
 「ところで、なんで私の処へ飛び込んだんだ?」
 「分からないけど、暇だったからお相手してあげようかなって思って」
 「ほう、そりゃあ、ありがとう」
 私は苦笑する。巷の子供ならこんな物言いはしないだろう。しかしな
がらここは亀山、子供が大人に抱かれるのはいわば挨拶代わり。そして、
自分たちの望みを叶えてくれるのも彼らだと知っているからだった。
 「ねえ、欲しいもの言ってもいい?」
 「ああ、いいよ。どのみちだめな時はだめって言うから」
 「ノートパソコン、ダイナブック……」
 彼は型番やら性能やらを一気にまくし立てたあげく最後に…
 「……安いのでいいよ。30万くらいだから」
 と、こちらの懐を心配してくれた。
 「悦、だめよ、そんなに高いの。あなたにはまだ早いわ」
 「悦君か」
 「大柴悦司。刈谷さんちの子、今でもおにいちゃまから中古をお下が
りして持ってるんだけど、それじゃあ飽き足らないみたいで……それで
大人と見れば誰彼なく抱きついてねだるのよ。相手にしなくいいわよ」
 「パソコンか、俺もやってはいるが…ネットサーフィンとメールぐら
いしか使ったことがない」
 「私だって同じよ」
 「刈谷のお父様は?」
 「それもいずこも同じ。買ってやりたくてうずうずしてるわ。だけど
……」
 「ママがダメだって言うんだろう。やっぱり昔の俺らと同じだ」
 「あなたもここの出だから分かるでしょうけど、ここでお父様は世間
でいえばお爺さま。孫の機嫌取りに何でも与えようとするけど、それを
野放図にやっていたら大人になって苦労するのは本人だもの。だから、
際限のない欲望は押さえさせてるの」
 「ま、この子には分からないだろうけど…お父様と呼ばせてはいても
所詮他人なわけだから、いつまでも甘えられるものでもない。細く長く
信頼を積み重ねた方が得策というわけか」
 「それに他の子とのバランスもあるから……いくらお父様がお金持ち
でも12人もいる子供たちが一気にあれも欲しいこれも欲しいって言い
だしたらお父様自身が音を上げて、せっかく良好な親子関係が壊れかね
ないもの。お父様が本当のパトロンになっちゃったらそれはそれで問題
なのよ。…………わかるでしょう?」
 「わかるよ。子供は寄る辺なき者、慈愛が取引になった時、売り物は
その身体と心だけ……女王様がよく言ってた」
 「ここは慈愛と取引の微妙なバランスの上に成り立っているからその
門は人を選ぶの……」
 「巷の人には何を言っているのか分からないだろうな……そう言えば、
天野のお父様もパトロンと呼ばれると酷く不機嫌になってたもん。……
実際はそうでもそういう関係で子供とつき合いたくなかったんだろうね。
僕も高いオモチャをねだって、お父様からはOKが出たんだけど、ママ
に止められた事があってね。事情は同じなんだろうなあ」
 「ねえ、ダメなの」
 「残念だけど……でも、そのパソコンでいったい何がしたいんだい」
 「何って……お兄ちゃんも持ってるし……」
 「それだけかい?ただ、『お兄ちゃんが持ってるから僕も…』っていう
理由じゃだめかもしれないね。でも、パソコンを使ってやりたいことが
はっきり言えれば、買ってもらえるかもしれないよ」
 「ほんとに……」
 「お父様やママにどうしてもやりたいことがあるからパソコン買って
くださいって言わなくちゃ大人は説得できないよ」
 「うん、わかった。…………ありがとう」
 男の子は肩車してもらっている私の頭と肩に左右の手をかけると器用
に地面に下りて走っていく。
 その後ろ姿を見送りながら……
 「驚いたな、十歳やそこいらの子が30万のものを見ず知らずの人に
買って欲しいってねだるんだから…」
 「何言ってるの。私たちだって同じだったのよ。物価水準が私たちの
頃とは違うだけ。外に出てよく言われたわ「そんな孤児院があるか」っ
て…その時になって初めて自分たちがいかに恵まれた環境にいたか知っ
たの。同時にいかに大人たちから愛されていたかも………でも、ここに
いた子供の頃は不満たらたらだったわ。『何で美樹ちゃんし同じものじゃ
ないのよ』とか『どうしてこんな些細なことでお仕置きされなきゃいけ
ないのよ』とか色々……」
 「それは僕だって同じさ。生まれてこの方ここしかしらないんだもん。
他がどうなってるかなんてわからないじゃないか。『うっとうしいなあ、
何でもかんでも干渉しやがって…』なんて思ってたよ」
 「うちは並はずれて過干渉だもんね。私なんか、何して良いか分から
ないってだけでかんしゃく起こして公園の真ん中で泣いてたらシスター
のおばさんたちがよってたかってよしよし抱っこしてくれたの」
 「ここは大人を見つけて体当たりさえすれば、何かが起こるからね、
退屈はしないよ。だからゲーム感覚で誰にでも抱きついてた」
 「但し、怒らせるとすぐにお仕置きだから適度な緊張感はあったけど」
 「確かにそういうバランス感覚で成り立つ社会なんだけど、歪んだり
もしなかった」
 「それはここに住む人たちが高い教養と理性を兼ね備えてたからよ。
一般社会じゃこうはうまくいかないわ」
 「何しろ賄いのおばちゃんが東京女子師範、庭師のおじさんが東大出
っていう世界だからな。そりゃあ過去に色々あって現在そうなってるん
だろうけど、それにしても凄いことさ。その人たちが幼い子をあやして
勉強まで教えてくれる処なんて、世界中探したってあるわけないよ」
 「だから楽園って呼ばれてるんでしょう」
 「そうなんだけど……楽園の天使たちはいつの時代も裸ん坊さんが、
お好きなみたいで……」
 私たちはいつしか学校の中庭に来ていた。そしてそこでは、いつもの
ように天使たちが素っ裸で一列に並ばされ両手を頭の上に組んで先生に
一人ずつお尻を叩かれていた。
 ここにいた頃は『愛とお仕置きの日々』(いや正確にはお仕置きも愛の
一部だったんだけど)。
 だけどその伝統を変えようだなんて亀山で育ったかつての子供たちは
誰も思ってはいない…はずだ。

第 3 話

< 第 3 話 >
 美里と別れた私は校舎の中へ。巷の小中学校というのは外部の人間が
自由に出入りできないのが普通らしいが、ここでは誰の出入りも自由で
ある。
 里子を預けているお父様お母様や懺悔聴聞に訪れる司祭様などはもち
ろんのこと、養老院のシスターや私のような学校と直接関係のないOB
OGでも咎める人はいなかった。
 もともと、この街に受け入れる時点で厳しくチェックしているので、
その信用で、という事らしかった。
 そんな部外者の人たちがよく訪れるのが父兄席。この学校の教室には
その後方、高い処に中二階があって、ここに座ると子供たちの授業風景
が見学できるようになっている。
 元気なお父様は毎日ように里子たちの教室へ顔を出すし、ママも何か
につけてちょこちょこっと顔を出すのでこっちは気が気ではなかった。
 『もし、無様な処を見られたら家に帰ってお仕置き…>_<…』
 そんな想いが脳裏を掠めるのだ。
 久しぶりに訪れた中二階は昔とあまり変わっていない。年輩の老夫婦
はお父様とお母様だろう。法衣を纏ったシスターもいる。これは大抵が
先生のOBだ。それに私のように元生徒の姿もちらほら……
 しかし、授業の方は様変わりしていた。
 とにかくみんな楽しそうだ。10分ごとにイベントが用意されていて
まるで遊んでいるように見える。恐らく子供の集中心が10分程度しか
もたないと見てこんな方法を取っているのだろう。
 私たちの時代はいわゆる詰め込みの教育というやつで、教室の雰囲気
もピリピリしていた。ちょっとでもよそ見をしていようものなら助教師
の先生が手燭を持ってきて手の甲に蝋類をたらしてくれる。
 もちろんお灸ほどには熱くないが、何しろ幼い頃の話だからそりゃあ
恐怖だった。
 ただ亀山の子は基本的にお父様を満足させるために子供を育てている
から、まずは『気立てがよく従順なこと』が優先で偏差値競争のような
教育はしていなかった。
 求められればいつでもおとなしく抱かれることや楽器を演奏したり、
バレイを見せたりといった習い事の披露、それに綺麗な字が書けること
なんかが大事だった。
 教科書的な知識の修得はその次で、小学3年生頃までは僕の実感では、
幼稚園の延長みたいな感じだった。四年生を過ぎる頃になると、ママも
テストの結果を気にするようになって、『成績が悪いから』という理由の
お仕置きも出てくるが、それは六人(これでクラス全員)がみんな完璧
に理解しないうちは先に進まないという約束事があるためで、他の子に
迷惑をかけたというのがその理由だったのである。
 そして、中学2年生からは巷と同じ競争社会。ここから高校3年まで
は脇目も振らず勉強させられることになる。男の子の場合は…
 女の子の場合はお父様たちが用意してくれた短大でよければ勉強の方
はそうでもなかったみたいだけど、その代わり将来はお父様が決めた人
と結婚しなければならなくなるから、それを嫌って男の子並に勉強する
子もいた。
 僕たちは良くも悪しくもお父様のペットみたいなものだから、事実上
人生の選択に自由はなかったんだ。男の子だって大学卒業後はお父様の
勧める会社なり役所に勤めて、結婚相手も自分勝手に決めることは許さ
れてなかった。
 もちろん自分で相手を見つける事だって可能なんだけど、その娘との
結婚にはお父様の承認が必要だった。もし、それも無視して…となると、
次の人生は日陰で暮らさなければならなくなるし、万一亀山でのことを
マスコミに流したりしたら、身の安全さえ保証されないんじゃないかな。
 お父様は個人的にはとっても優しい人だけど、背負ってるものがあま
りに大きいから、そんな愚かな道を選ぶ人は許されないと思うんだ。
 私の場合、妻は3つ違いの亀山出身。僕の方から妻の手を引いてお父
様の処に許しを得に行ったんだけど、同じ亀山出身ということで、何の
問題もなかった。
 いつも散々やられた『お仕置きごっこ』なんかしながら夜を楽しんで
る。傍目には見せられない乱痴気騒ぎだけど僕たちの共通項だからお互
い楽しいんだと思う。
 実は、こんな事は他にもあった。僕たちのママはすでに高齢で養老院
(今は施設なんて呼ぶけど、施設じゃ何の施設かわからない。養老院と
言って恥じることはないと思うんだが)暮らし。頭も少しボケ始めてる
んだけど、昔お世話になった子供たち(女の子)が面倒を見ている。
 勿論、義務とかいうじゃなくてボランティアだ。
 そのママが何かというと子供たちを添い寝させたがるので困っていた。
身体はこれ以上大きくならないくらい大きくなって、顔には皺も目立ち
はじめてる子供たちを今さら布団に入れてどうしようってなもんだが、
そうやると心が落ち着くらしい。
 私がお見舞いに行くと、案の定、ベッドの布団を叩いて中に入れとい
うのだ。気恥ずかしかったが、女の子たちの苦労を想い、一晩、一緒に
寝てみた。
 すると、不思議なもので、遠い昔に抱かれていたあの感覚がすぐさま
蘇ってしまうのである。
 皺くちゃで骨張った細い腕になってしまっていだが、
 「あっ、コレだ!」
 と身体が反応するのである。さすがにおっぱいは舐めないが、
 「ママ、ママ」
 という甘えた声は自然に出てしまった。
 「健ちゃんは今日一日良い子でしたか?」
 お布団の中でママの顔がとっても大きくなる。僕のおでことごっつん
こさせたからだ。
 「良い子だったよ。ママのお言いつけはみんなまもったもん」
 「ホント?」
 「ホントだよ。お父様もお母様も高橋先生も桜木先生も河村先生も司
祭様もみんな良い子だって褒めてくれたよ」
 「わあ、よかったわね。お父様の前でもちゃんとピアノは弾けたの?」
 「できたよ。とっても上手だったって……」
 「そう、よかったよかった。じゃあ、ミルクあげましょうね」
 すると、甘~~いミルクの入ったほ乳瓶が現れる。さすがに13歳に
なった頃には数もへったが、五年生頃までは毎日出たその日最後の晩餐
だった。もちろん夕食は食べたからお腹がへっているわけではないが、
そのちゅぱちゅぱは僕には必要だった。
 いくら子供とはいえ10歳を越えた子が布団の中でほ乳瓶を飲んでい
るのを見たら心が引くだろうが、ここではそれが子供の義務だった。
 亀山では、いつも可愛く笑っていること、どんな命令にも従順に従う
こと、そして大人たちの前ではいつも心を開けておいて隠し事をしない
ことは子供の大事な努めだったから、大人たちからほ乳瓶を差し出され
れば、自分の意に添わなくても美味しく飲まなければならないと悟って
いたのである。
 「今日は一日おんもへは行かせませんよ。だからオムツをしてなさい」
 「ほ乳瓶を空にしてからでないとご飯はあげませんよ」
 「ほら、笑ってえ、悲しいお顔や怒ったお顔はお父様はお嫌いなの。
できないと、ここから放り出されるわよ。……わかったら、笑いましょ。
……ああ、良い子ね、そのお顔をお父様にお見せしましょうね」
 こうしてママに抱かれていると、13の歳までそう言われ続けた昔が
走馬燈のように脳裏を掠めはじめる。
 自立することを拒まれる少年少女時代は不幸な事だと思われがちだが、
その巨大な愛の海に身を置いていた者としては、別段それを不幸と感じ
たことはなかった。
 もちろん私だって白雉じゃあるまいし、反発したことだってあったが、
 「どうしたの?坊や、いやいやなの?ここはいやいやしちゃいけない
処なのよ。いやいやはママの抱っこの時だけにしましょうね」
 「えっ?ママの愛のお外?…ママの愛のお外にはお父様の愛があって、
お父様の愛のお外には女王様の愛があって、女王様の愛のお外には仏様
の愛があるの。あなたをお守りくださるのは大日如来様。光の神様よ。
あなたがお言いつけを守っていればそのどれかに救われてこぼれる事は
決してないのよ」
 こう言われてママにほっぺを摺り摺りされると、不思議なことに僕の
不安もわがままに治まってしまったのだ。
 思えばママとは乳飲み子の頃からのお付き合い。しかも、3歳までは
一日中いつも一緒だった。ママがお仕事で授業していた時でさえ、僕は
その足下にからみつき、教室中を駆け回り……疲れればママのお背中で
授業の声を子守歌代わりにしてお昼寝していたのである。
 世界中探しても先生が子守しながら授業する学校はここだけだろう。
でも、だからこそ僕にとってママの胸は絶対的なゆりかごであり続け、
その声は神様と同じ重みがあったのだ。
 13歳まではママのやりたいことが僕のやりたいことであり、ママが
幸せに感じることが僕の幸せだったのだが、それで不満はなかった。
 疑うことを知らない時代。我々の古き良き時代が戻った一夜だった。

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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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